沖縄戦「慰霊の日」 北海道出身の犠牲者1万人…戦没者の遺品の“印鑑” 遠く離れた遺族のもとに (22/06/23 21:00)

1 年前
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沖縄は6月23日「慰霊の日」を迎えました。77年前に第二次世界大戦の沖縄での組織的戦闘が終わった日です。

沖縄戦での北海道出身の犠牲者は1万人以上。その遺族に遺骨や遺品を返還しようと取り組んでいる夫婦を追いました。

沖縄本島南部の沖縄県糸満市。青い海と白いサンゴ礁が広がる美しい土地は77年前、激しい戦火に見舞われました。

1945年3月、アメリカ軍が上陸。激しい地上戦が行われ軍人と民間人、日米合わせて20万人以上が犠牲となりました。

そのうち北海道出身者は1万人以上に上ります。

沖縄県以外では全国で最も多い数字です。

ジャーナリスト 浜田 哲二さん:「これは薬きょうですね。当時の小銃の薬きょうです」

元新聞記者でジャーナリストの浜田哲二さんと妻の浜田律子さん。20年以上、沖縄戦で亡くなった人の遺骨や遺品を収集し、遺族のもとへ届けるボランティアをしています。


ジャーナリスト 浜田 哲二さん:「77年前の“おにぎり”ですよ」

焼かれて炭となった“おにぎり”。旧日本軍のものとみられます。


2022年2月、持ち主を特定できそうな遺品が見つかりました。

ジャーナリスト 浜田 哲二さん:「印鑑が土の中から出てきた」

ジャーナリスト 浜田 律子さん:「土に突き刺さっていたんです」

1本の印鑑です。彫られているのは聞きなれない名前でした。


ジャーナリスト 浜田 哲二さん:「佐賀県の『佐』に岩手県の『岩』。『佐岩(さいわ)』さんなんですよ、非常に珍しい名前です」

沖縄の平和祈念資料館で戦没者名簿を調べたところ、「佐岩」という人は見当たりませんでした。さらに…。

ジャーナリスト 浜田 哲二さん:「私たちが調べた範囲では、いま日本国内に『佐岩』という姓はないんです」

印鑑の業界団体や、日本人の名前に詳しい大学の研究者に尋ねても、心当たりがないというのです。

そこで浜田さんはある仮説を立てました。

ジャーナリスト 浜田 哲二さん:「名字の一文字と名前の一文字を組み合わせて、印鑑を作ったのではないか」

「佐岩」というのは姓と名の組み合わせではないのか。沖縄県糸満市の平和祈念公園にある、戦没者の名前が刻まれた「平和の礎」を調べると、4人の「さとういわお」さんが当てはまりました。

このうち印鑑が見つかった場所で戦っていた部隊に所属していたのは、北海道新ひだか町静内地区出身の「佐藤岩雄」さんだけだったのです。


遺族は今も住んでいるのか。浜田さんは北海道へと飛びました。

「佐岩」と彫られた1本の印鑑。持ち主は北海道新ひだか町出身の佐藤岩雄さんなのか。浜田さん夫婦は、佐藤さんが所属していた部隊の名簿に記されていた住所を訪ねました。

ジャーナリスト 浜田 律子さん:「わかっている住所は戦前の住所なんです」

地元住民:「戦前か。戦前なら、なおのことわからないね」

ジャーナリスト 浜田 哲二さん:「どこにあったのだろう。見る限り、家がみんな新しい」

かつて佐藤岩雄さんの自宅があった場所は、グラウンドとなっていました。

戦時中から営業している印鑑店を訪ねましたが、心当たりはないといいます。

店主の田畑隆章さんが町史を調べてくれました。


田畑印章房 田畑 隆章さん:「町史に戦没者の氏名や住所などが記されています」

手がかりは見つかるのでしょうか。

ジャーナリスト 浜田 律子さん:「佐藤岩雄さんは出ていない」

ジャーナリスト 浜田 哲二さん:「佐藤岩雄さんはないね。遺族が戦死公報を受けとってから引っ越した可能性もあるのかな」

翌日、浜田さんが訪れたのは北海道旭川市の北海道護国神社。


北海道出身の戦没者が祭られています。

佐藤岩雄さんの遺族の行方がわかるかもしれません。

ジャーナリスト 浜田 哲二さん:「佐藤岩雄さんが所属していた第三中隊が、そこで戦っていたという証言が得られているんです。限りなくこの『佐藤岩雄』さんではないかと考えられます」

北海道護国神社 総務課 田畑 和子さん:「調べてみますが、いかんせん『佐藤』姓はいっぱいあるから」

数多い「佐藤」姓の中から該当する人物を見つけられるのか。

すると…。

北海道護国神社 総務課 田畑 和子さん:「あっ、ありました? ありました、ありました。良かった」

佐藤岩雄さんの弟の名が記されていました。そして、その住所は北海道新ひだか町静内地区。あのグラウンドのすぐ近くでした。


調査に協力してくれた田畑さんの印鑑店で遺族と会うことになりました。

田畑印章房 田畑 隆章さん:「佐藤さんがみえました」

佐藤岩雄さんの弟の武さんは、10年以上前に亡くなっていました。

その息子、岩雄さんの“おい”にあたる佐藤秀人さんです。


佐藤岩雄さんのおい 佐藤 秀人さん:「戦時中、出征するときに“はんこ”なんか持っていくのかな」

ジャーナリスト 浜田 哲二さん:「当時は毎月給料をもらうとき、印影をはっきりと押印するために、『“はんこ”を掃除しろ』と言われるくらい大切にしていたらしい」

亡くなった武さんは生前、兄の岩雄さんの遺骨を探していたといいます。

佐藤岩雄さんのおい 佐藤 秀人さん:「遺骨がないから、沖縄の土を持ってきてもらって墓に入れたということを、父親から聞いている」

ジャーナリスト 浜田 哲二さん:「お父さんは岩雄さんのことをよく話していた?」

佐藤岩雄さんのおい 佐藤 秀人さん:「助けてもらったということしか聞いていない」

秀人さんは伯父の岩雄さんを写真でしか知りません。


佐藤岩雄さんのおい 佐藤 秀人さん:「立派な“はんこ”だね」

ジャーナリスト 浜田 律子さん:「77年間、土の中にありました」

佐藤岩雄さんのおい 佐藤 秀人さん:「押印できるだろうか?」

秀人さんは実際に印鑑を使って、押印してみました。

佐藤岩雄さんのおい 佐藤 秀人さん:「今でもしっかり押印できる」


形見の品が遠く沖縄から届けられました。

佐藤岩雄さんのおい 佐藤 秀人さん:「これは仏壇にしまっておく。父親は喜ぶのではないか、遺骨はなくても」

戦後77年。浜田さんは、戦没者を直接知る遺族が年々少なくなっていることに危機を感じています。

ジャーナリスト 浜田 哲二さん:「国がもう少し早く対処して、きちんと遺骨収集をしていれば、この印鑑やもしかしたら遺骨も、もっと早く直接の兄弟のもとに返還された可能性がある。もう、本当に時間がないので、ぜひ遺族は私たちに積極的に声をかけてほしい」
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