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徒手空拳日記

2 年前
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(基於 PinQueue 指標)

徒手空拳日記

徒手空拳日記

傾聴に値しないコメント

徒手空拳日記 2022年3月10日木曜日 馬車が自動車になったとき、いったい誰が運転するのかという大きな問題が生まれましたが、運転というつまらない単純労働を、自由と結びつけるプロパガンダによって、解決できました。マスメディアは、1対nの一方通行通信でしたが、ソーシャルメディアは、n対nの双方向通信になり、ボケっと情報を受け取るだけではなく、なんらかのフィードバックを返さなければならないかったるさを私は感じています。だから、TwitterもFacebookもやめてしまいましたね。なんで、よくわからない相手とやり取りしなきゃならないのか、わからなくなりました。 だれからもなーんにも報酬をもらえないのに、yahooニュースに長いコメントを書き込む人とか、クルマを運転するよりもさらに動機が意味不明ですが、寂しいのかなと思います。自分がなにか価値のあるコメントをできると考えている根拠が、ゼロなのにようやるわ、と思います。 しょうもないご意見、どっかで聴いたような御高説に、時間を割くだけアホらしいって思います。そんなひまあったら、ただ寝ていたいです。SNSの有象無象によるコメントなんて聞く耳を持たないほうがいいです。酔っぱらいの会話を聞かされているようなものです。自分の屁の臭いでもかいでたほうが、まだ生きてる実感があります。 最近は、ラジオやYou Tubeも聴くのがかったるくなって、Audibleもひと月のお試し期間の終わりを待たずに聴くのをやめてしまいました。なにもかも、一顧だにする意味のない、牽強付会です。どうせ牽強付会ならば、他人のうわ言なんかより、自分の徒手空拳日記をエンドレスに聞いていたほうがマシです。 昨年の今日垂れ流した、一年前の徒手空拳日記を聴いてみて、ああそういえば今日は東京大空襲の日だなと思い起こします。東京大空襲の総合プロデューサーである、カーティス・ルメイに戦後文化勲章をあげちゃったのは、小泉進次郎のおじいちゃんですけど、そういう負け犬国家のわたしたちが、ウクライナを応援してるのって、頭がおかしいのかなって思います。ウクライナがんばれの前に、お前ががんばれよ。いったいいつまで、米軍の代理人でしかない、政財官学マスメディアにいいようにやられているのかなって思います。 昨年の今日の徒手空拳日記では、小泉進次郎の仕事がおじいちゃんやお父さんに比べて、ゴミ袋やプラスティックスプーンを有料化するといった超絶しょぼいことばかりだと書いてますが、一年経ってファミリーマートがようやっとプラスティックスプーンやフォークを有料化するらしいんですけど、しょぼいうえに、ウルトラ遅い仕事ぶり、横須賀のチンピラ上がりの政治屋ファミリーに、なにかコメントするのもかったるいので、そろそろコーヒーでも飲んで、散歩に行こうと思います。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-03-10 21:00:49

正義よりも正気

徒手空拳日記 2022年3月9日水曜日 正義は、武器に似たものである、と芥川龍之介は言いました。だから正義は、おカネで買えるのだとも、言いました。 おカネで買えるものは、どんどん小さくなっています。ということは、正義なんていう武器に似たものも、どんどん小さくなっているわけです。正義のコモディティ化です。 正義の反対は悪ではなく、もうひとつ別の正義です。正義と悪の二項対立にこだわっても、それはまさに水掛け論であって、正義に期待して、正義に寄りかかるのではなく、おのれの正気を保つことだけを考えよう、それが徒手空拳日記のスタンスです。 ロシアが正義なのか、ウクライナが正義なのか、はたまたNATOが正義なのか、どれも正義だし、どれもアクなんです。みんな違って、みんなダメ、それだけのことです。日本ペンクラブとか、そんなこともわからない間抜けな組織で、反吐が出ます。2次情報、3次情報では、なんにもわかりません。これを機に、Twitterなんてやめたほうがいいですよ。もし平和を愛するのなら、ロシアにもウクライナにもNATOにも、加担しては意味がありません。 朝日新聞の届かない朝、NHKのおはようニッポンの映らない朝、犯罪者ステーションでしかないテレ朝のモーニングショーの映らない朝、最高です。こういうときは、とにかく速報を捨てることです。本当の速報なら、Jアラートが教えてくれます。 単なる刑務所への登竜門である、韓国大統領選挙も、果てしなくどうでもいいですよ。誰がなっても、大差ありません。日経平均の続落も、どうでもいいですね。おそかれはやかれ、暴落間違いなし。すでに日銀による株価操作ができなくなっています。日銀が最大の株主になっているので、株価が落ちると日銀が終わります。あとは重力に任せるだけの、パイルドライバー相場です。 そんなことより、問題は今日のエタノール薬物中毒、国民の神経と内臓がエタノールによって、ズタボロになっています。エタノール依存症の人が買う蒸留酒、大五郎とかサントリーレッドの大容量4リットルが飛ぶように売れていたり、無敵の人とは真逆であるはずの、政財官学マスメディアのエリートのみなさんが、酒の失敗でつぎつぎと失脚していたり、エタノールによる社会不全は、もうすでに、かなり見えてきています。プロパガンダ戦争にばかり気を取られて、世界にひとつしかない肝臓をおろそかにする、それを愚か者と呼ばずして、なんと呼べばいいのでしょうか。 ガソリンが高いと文句垂れながら、自分が飲むエタノールにカネをいくらでも使うというのも、私からすれば意味不明です。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-03-09 21:00:12

米軍の代理人

徒手空拳日記 2022年3月8日火曜日 私の場合は、たとえばリモート会議が15時からの開始だとすると、きっかり10秒前くらいにつなぐことにしています。対面の訪問なども、ベルをピンポンするのは、ジャストインタイムです。逆の立場になると、少し早めに来られるのは、調子が狂うからです。やたらとはやく来ちゃう人、私は嫌いじゃないんですけど、自分はそういうキャラになれませんね。 ロシアではスパイのことを、外国の代理人って呼びます。エージェントですね。このロジックにしたがってあえて呼べば、日本の政財官学マスメディアは、米軍の代理人です。 つまり米軍のスパイが、日本国を統治しています。ロシアではマイノリティである、スパイが日本ではマジョリティなんです。オセロが真逆になっています。おかしいですね。だから、日本のマスメディアが伝える情報は、ほぼ120%、米軍による命令です。 頑張って東大に入って、上がりが米軍のエージェントです。自民党の世襲若手衆議院議員、三菱商事最年少課長、財務省の切れ者、日本テレビ放送網の敏腕プロデューサー、どいつもこいつも米軍のエージェントです。頑張った結果が、単なるコマンドキーだなんて、アホらしくてやってられませんね。 日本テレビ放送網とは、もともと反共産主義プロパガンダの役割を担う存在として、つくられました。日本のマスメディアが、ウクライナを無条件に支持、肯定する立場も、おのれの価値判断は丸でなく、単なる米軍の代理人だからです。元気で明るく、ちょっぴりエッチ、それなのにとことん謙虚な朱子学カルトとは、米軍の代理人です。 日本は核兵器シェアリングどころではなく、おのれの命運を米軍に完全に委ね、あづけています。つまるところ単なる米軍のスパイでしかない偏差値エリートが、屈折した愛国心を持つと、日本会議になります。広島、長崎、福島と、核攻撃ワン・ツー・スリーを喰らいながら、安倍晋三とトランプを支持するネトウヨとか、ミジンコなみに思考能力ゼロです。 政財官学マスメディアによるおよそ80年間の断言、反復、感染とはつまり、米軍万歳、アカは死ね、というフレーズではないでしょうか。学校、企業、軍隊、病院どこにいっても、与えられる情報はただひとつ、星条旗よ永遠なれ、です。米軍のエージェントとして、徹底的なロボトミー手術を施された日本人の末路は、米軍の代理人としての末路であって、米軍基地周辺に住んでいるといつとばっちりを食らうかわかりません。おもしろくもなんともない、米軍の代理人仕事なんていますぐやめて、自由になったほうがいいと思います。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-03-08 21:00:45

八百万の木っ端決議

徒手空拳日記 2022年3月7日月曜日 かつての内務省、いまの総務省の下部構造としての地方自治体は、補助金を配ったり、ワクチンを打ったり、とにかくここのところ酷使されまくって、疲弊しまくりですけど、1700以上ある地方自治体の議会ひとつひとつが、今回のロシアによるウクライナ侵略という蛮行を、議会として避難する決議を、右にならえでみんながやっているのですが、彼らはバカなのか、ひまなのか、あるいはその両方なのか、いったいどれなのでしょうか。 地方に行くと役場の敷地に、平和都市宣言みたいな古い書体のモニュメントが朽ちていたりしますけど、ヤオヨロズの戦争反対決議を、飯倉のロシア大使館まで届けるとか言って、無駄な東京出張などしていそうで、寒けがします。議会中の居眠りと、視察という名のオノボリさん海外観光ツアーしかしていない、香川県議会議員とか、いまここでひとり残らず消え失せても、この国の未来には、まったくなんの影響もないと思いますよ。 エビデンスベースの人工知能、AIによる政策決定がなされれば、地方議員なんて3人くらいいればよくて、もちろん議員報酬はゼロ、というかおカネを物理的に受け取ることのできない、ご当地ゆるキャラとか、ねこやほたてのような下等動物、あるいはバーチャルユーチューバーなどを議員にしてしまえば、こと足りると思います。 統一地方選挙とか、あまりにも無益なので、全面的に廃止してほしいです。地方議員って、要するに国政選挙の票をかき集める熊手、あるいはロボットアームみたいなもので、国会議員にしてみれば、自民党京都府連みたいに、現金をロンダリングして木っ端議員にぶっこんで、その熊手で票をかき集めなければ、お立場ご身分もすぐに危うくなるわけです。 これから遠くない未来にかなりの確率でやってくる世界恐慌や、エネルギークライシス、あるいは隣国との軍事衝突などの事態で、国会議員から地方議員までの、クソみたいな利権でつながっているだけの政治屋さんがまともな判断をできるわけもなく、かと言って、米軍に書き換えられた日本国憲法を改正する時間的な余裕もなく、おそらく日本はウクライナと大差のないカオスへと落ちていくと思いますが、日本人大衆の皆さんは、こんな時にこそ、政財官学マスメディアエリートの皆さんの裸踊りや、火だるまの舞を、ひとつの娯楽として楽しむ風情があります。 私が生きているうちに、敗戦後のクソみたいなスキームが瓦解する可能性も見えてきたと思います。本日の日経平均も激落ちくんですが、ボラティリティの大きさを示すVIX指数も、30越えの高どまりです。ホモ・サピエンスの残虐さは妄想によるものなので、まったく知らない種族に対してよりも、隣の種族への憎悪は何万倍にもなります。だからこのまんまいくと、ロシアによるウクライナへの戦術核使用もぜんぜんありえますので、第三次世界大戦がリアルになりつつあります。 第一次世界大戦や第二次世界大戦の端緒も、こんな、遠いところの、残酷な感じだったのではないでしょうか。今回のウクライナ侵略とか、ルワンダ虐殺みたいな戦争こそが、もっともホモ・サピエンスらしい、残忍な本質だろうなと思いますよ。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-03-07 21:00:44

慇懃にミュート

徒手空拳日記 2022年3月6日日曜日 うわべだけは矢鱈と丁寧に見えて、その実、偉そうなさまを、慇懃無礼なぞといいますが、私の場合は、無礼の手前で消えていなくなる、いわば慇懃ミュートを目指しています。どうでもいいひと、もの、ことは、できるだけ慇懃に、そっとミュートしたいです。あちらからはミュートされているとは気づかれず、でも実際は言うことをまったく聞いていない、それが理想のミュートです。あれ、そういえばあの人、最近全然音沙汰ないな、と気づかれたときには、こちらは完全にもぬけの殻、そんな離れかたこそ最強です。 これからはあらゆる人間関係に、無礼はなくなって、ミュートに置き換わります。コロナ禍の影響で、歓送迎会そのものがなくなりつつあるので、よりいっそう簡単にミュートできます。お別れのご挨拶さえなく、そっとさようなら、それがこれからのスタンダードになります。 You Tubeも最近では、気にいらないものは、このチャンネルをおすすめに表示しないっていう設定ができるので、ありがたいです。チャンネルそのもののミュートです。結合と離反が簡単になり、そうやってリアルもバーチャルも、どんどんエコーチェンバーが強まっていきます。サラリーマンをやめてから、お世話になっております、という意味不明の書き出しをやめたのですが、これからの人間関係は、うわべのつきあいそのものがどんどん薄味になっていくと思います。 「そうか、君は課長になったのか」という気持ちの悪い本が話題になったのは2010年のことで、あれは日本的経営がまだ死んでない頃のざれごとだったと思います。Amazonのレビューに、この本についてのこんなコメントが書かれていますので、引用します。 出世のレールに乗った大企業の役員が、家族をうつ病に追い込み、周りに迷惑をかけながら、上司の出世に助けられ成功したという話。苦労したのは家族や周りの人間なのに、それを自分の手柄のように自慢する内容にはうんざり。 以上で引用終わりですが、そうか、こういう本なのか、一生読まなくてもいいクソな本だなと思います。まだあの頃は、課長になるためなら、家族が犠牲になっても構わないとすら思われていたんだろうなと思います。朱子学カルト、恐ろしいです。 私としては、バブル世代もZ世代も、朱子学カルトはひとり残らず丸々っと、慇懃にミュートしたいです。半世紀生きた、もう働きたくない。世のため人のためになんて、なりたくない。死んでもなにも残さない。わたしは、老いてますます、この3つの「ない」を大切に生きています。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-03-06 21:00:02

今年のテーマ bullshitlessness

徒手空拳日記 2022年3月5日土曜日 ハラリは、著書のホモデウスのなかで、20世紀までの人類にとって、一番の問題だった飢饉、疫病、戦争は、もうほぼ抑え込みつつある、なんて書いてましたけど、丸で抑え込んでいませんでしたね。ウソばっかりです。ベストセラーそのものを読むことをやめたいと思います。知的な話題書は、岡田斗司夫がだいたい無料で取り上げてくれるので、ふんふんふんって聞いてりゃ、自分は、読まなくていいと思います。なぜなら、情報とはすべて、誰かの命令だからです。 第一次世界大戦は、ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボからはじまり、第二次世界大戦は、ポーランドの東西国境からはじまり、第三次世界大戦は、ウクライナからはじまりました。ホモ・サピエンスのチカラのぶつかる場所は、だいたいあのあたりなんですかね。世界大戦3つともロシアが、絡んでます。 戦争、疫病、飢餓から逃れて、ど田舎で晴耕雨読が最強です。茨城県結城市に2090万円ふるさと納税という名の寄附をすると、返礼品で核シェルターがもらえます。結城市のふるさと納税サイトを見ると、在庫ありになっていて、「有事の際は、放射性物質やサリン、ウイルス兵器、火山灰など危険な外気を特殊フィルターでろ過し、安全な空気だけを室内に取り込みながら、同時に室内の空気圧を一定に高め、危険な外気の室内侵入を完全に防ぎ、あなたの大切なご家庭を護ります!!」と書いてあります。 おそらくこの核シェルターのじっさいのお値段は、寄附額の3割、600万円くらいだと思いますが、私が欲しい高断熱木造トレーラーハウスもそれくらいのお値段です。都営地下鉄のプラットフォームなんて、モロに地下シェルターみたいなレイアウトですよね。 まあしかし、こんな環境で、政財官学マスメディア内部で、ブルシットジョブなんてアホらしくてやってられません。 今年の私のテーマは、ズバリ、ブルシットレスネスで、人生半世紀時代のいま、ブルシットジョブをとことんさけて、できるだけ働かない、クソみたいな政財官学マスメディアの仕事をやらない、ひたすら、他人の役に立たないといったことを目指しています。特に下請け、孫請けのクソ仕事はいっさいやらず、ディスインターミディエイションを進めたいです。 どこにいたってブルシットレス、元気で明るく、ちょっぴりエッチな朱子学カルトを完全スルーしながら、ダーティーオールドマンと交流せず、ひたすらディスコネクションを目指します。本を速く読むとか、生産性を上げるとか、そういう向上心をすべて捨てて、いかに世界の役に立たないか、そればかりを考えています。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-03-05 21:00:08

老衰失調症の中高年≒日本≒トヨタ

徒手空拳日記 2022年3月4日金曜日 伊武雅刀による1983年の楽曲、子供達を責めないで、は秋元康の作詞ですが、いまあらためて歌詞を読んでみると、子供の部分をすべて、中高年に変えても、全然違和感がありません。特に次のフレーズなんて、上下をさかさまにすればぴったりきすぎて、こわいです。引用します。 努力のそぶりも見せない 忍耐のかけらもない 人生の深みも渋みも なんにも持っていない そのくせ上から見下げるようなあの態度(引用は、以上です) 中高年って、私も含めてスッカスカ、人生の深みも渋みもなんにもなくて、がらんどうです。田原総一朗の朝ナマとかみていると、あまりの老衰ぶりに、さむけがしてきます。私が特に痛感するのは、田原総一朗の老いぼれぶりもさることながら、こんな彼に引退の鈴をつけられない、犯罪者集団、テレ朝社員の無能ぶりです。いまの日本とは、この老害極まる朝まで生テレビと、完全に同じです。50代うんこバブル世代の保身によって、60代以上の長老支配がやめられない、とまらない、これは長老依存症あるいは、長老失調症だろうなと思います。 私などは、バカなくせに偉そうな、長老の近くにいるのが生理的に無理で、サラリーマンをやめたクチなので、中高年の老害、全員死ね死ねとしか思っておらず、政財官学マスメディアと絶縁すると、まあ、なんということでしょう、身の回りから老人がほとんどいなくなります。政財官学マスメディアとは、老人そのものなんですね。 日本はすでに、後期高齢者がコロナに感染して死んでいくことを、なんとも思わない感性に塗り替えられています。昭和から平成時代の3K、つまり、経験、カン、根性は、まったく無価値となり、特に中高年の培ってかた経験は、もはや異次元のものである気がします。 トヨタグループの総崩れが始まっていますね。ランサムウェアによるサイバーテロで、すべての国内工場が止まった3月1日には、トヨタ自動車は、系列の販売店で顧客の個人情報計14万件分が紛失・破棄されていたと発表しましたけど、今日になって日野自動車の排出ガスデータの不正が、漏れ出て来ました。徒手空拳日記では口酸っぱく、トヨタなんぞ単なるハリボテで、実は自動運転の技術なんてなんにもないって言っていますが、かんばん方式とかジャストインタイムって、要するに下請け、孫請けを倉庫代わりに使うシステムで、かんばん方式の前提にあったのは、強い円の購買力でした。 もはや貴重な電子部品を思うように買い付けられなくなってきて、ジャストインタイムなんていつまでも追求していたら、生産ラインが止まりまくりです。アップルにせよ、テスラにせよ、重要なパーツはほとんど全部、自分でつくっており、外から買ってくる部品は、付加価値の低い、だいたい可能なものばかりです。トヨタの総崩れとは、OEMを頂点とする二十世紀的なすり合わせ型製造業の、完全なる終わりを象徴しています。よかったですね。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-03-04 21:00:38

万物のコモディティ化といい人戦略

徒手空拳日記 2022年3月3日木曜日 モノ消費から、コト消費へなどと言われ、そういう時代に売れるには、ストーリーが大切などとよく耳にしますが、次から次へと世界中で生み出される、Netflixのドラマや、ドキュメンタリーはもちろん、現実の世界でも、侵略戦争から不倫ネタまで、この世界はすでに目の離せないストーリーで飽和しているので、売らんかなででっち上げる、牽強付会なストーリーなんて、つくるだけムダじゃないかなと思います。ストーリーにすらなってもない、おためごかしだったり、まぎらわしかったり、嘘だらけです。デザインはもちろん、ストーリーも、果てなくコモディティ化しています。 ウクライナのことをdisりまくっていた、ニュース編集者、航空技術者、科学出版物の著者などを装った架空の人物になりすましたフェイクアカウントが凍結されましたけど、その顔データなんかも、合成でつくられた、実在しないものだったりして、もはやストーリーを吐き出す人間さえも、架空と実在の境界が曖昧で、何を信じたら良いのか、よくわかりません。 私は、暇なときにヤフコメをウォッチしていますけど、ヤフー・ニュースにコメントを投稿しても、おカネになるわけでもないのに、なんでこんなに多くの人が、ヤフコメを書くのか、まったく意味がわかりません。つまり、ヤフコメを書いている人間も、コモディティ化しています。いまも毎日200人以上が日本ではコロナ関連で死んでいますが、その死んでいく人々さえも、徐々にコモディティ化が進んでいます。 もうだれも、そのひとつひとつのコロナによる死というものに、思いを寄せることはなく、政財官学マスメディア丸々っと、感情のないサイコパスによる、冷たいオペレーションが、無限に続いているように思います。 そういった世知辛い世の中で、岡田斗司夫の言うように、いい人戦略だけは役に立つかもしれません。半世紀生きたもう働きたくない、でおなじみのピロヤンさんは、ついに残金が100万円になって、家賃無料のシェアハウスへ引っ越しました。You Tuberやってたことが、ソーシャル・キャピタルづくりに役立って、シェアハウスに誘ってもらい、カレー屋さんの店番をしながら、野垂れ死にを華麗に免れています。最後はナマポもいいかもね、って動画で話していましたが、これはサクセスストーリーです。ピロヤンはいい人だから、生き残っているのです。これは、まさにいい人戦略の成功事例だと思います。私も、他人にはいい人であるようにうっすく、浅く、軽くしか付き合わず、検索されたり、目を付けられないように、ひっそり生きていこうと思っています。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-03-03 21:00:34

コスモスからカオスへ

徒手空拳日記 2022年3月2日水曜日 ウクライナ情勢を、遅い、疎い、頭がおかしい日の丸マスメディアでみてると、オワコン過ぎて全然役に立ちませんね。岸田文雄っていう、大連のキクヤ百貨店の末裔は、ロシアの領空侵犯には、それは遺憾のイカンザキ、コロナ禍の感染ぶり返しには、事態を注視します、つまりみーてーるーだーけー、あるいは、なんについてもひたすら、検討しますしか言えない検討師、こいつが政権取った頃と真逆のスーパー有事となって、その無能ぶりが露呈してしまい、こりゃいかん、この無能をなんとかして引きずり降ろさなければ、と事態が動いてきました。末法、乱世への急速なギアチェンジです。満洲国2.0には、全然ついていけません。 岡田斗司夫が、コロナ禍は第三次世界大戦と言ってましたけど、気づいたら、メタファーとしてではなく、現実の第三次世界大戦になってきましたね。第三次世界大戦のあとやってくるのは、北斗の拳の世界です。いまどき現実の国民国家どうしの侵略戦争なんて起きないって、偉そうな人はみんな言ってましたけど、ホモ・サピエンスはどこまでも妄想的で残虐だということが、またはっきりとしてきました。 プーチンって、冷戦末期はKGBのスパイとして、東ドイツの秘密警察、シュタージとコラボってた人ですので、特高顔した秋田のプーチン、菅義偉みたいなもんですね。目つきが似ています。エリツィンのあと2000年に大統領になったときは、最初はかなり雑魚キャラ扱いだったのですけど、いつの間にかヒトラーになってました。まあ、ヒトラーも最初は雑魚キャラだったので、ホモ・サピエンスは雑魚キャラを独裁者に祭り上げてしまう愚かな習性を持っているのかもしれません。 ウイルスそのものによる災いとしてのコロナ禍第1形態も、まだぜんぜん収まっていませんが、軍事的な戦争、エネルギー不足、経済恐慌などの二の矢、三の矢、第2形態、第3形態は、世界をどんどん末法の世へと塗り替えていきます。 こうなるとますます、個人のレベルでは政財官学マスメディアからできるだけ離れていたほうが、なにかととばっちりを受けなさそうです。逃げるが勝ちです。すっかすかの場所ならば、ウイルスもさけられますし、学校、会社、病院、軍隊など、国民国家の目がいっさい届かないところへ、身を隠すことがなによりも効果的だと思います。 今年の冬は特に寒かったようで、原油高に拍車がかかり、電気代や灯油代がけっこうかかりましたが、来年の冬は、なんとかして脱化石燃料化や断熱効率を高めたいです。たとえば、家の中にテントを張って、オイルヒーターだけであたたかくするとか、劇的に金のかからない実験をやってみたいです。そうやっているうちに、再来年くらいには、断熱性能のやたら高い、オフグリッドのタイニーハウスに移転したいです。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-03-02 21:00:06

経済安全保障と私

徒手空拳日記 2022年3月1日火曜日 霞が関の下部構造としての民間の小役人、つまり総務省にとってのNTTとか、財務省にとってのみずほ銀行とか、経産省にとっての東芝や日産とか、彼らは要するに、一蓮托生の朱子学カルトツインであって、どちらかが滅びれば、どちらかが滅びるという、一心同体、少女隊です。 特に、犯罪者官庁、経産省に紐付いているチンケな企業舎弟の弱体化はすさまじく、東芝などは、腐りきったいびつなホールケーキを己の手でうまく切れないほどのとてつもない衰退ぶりですが、どの省庁の下部構造であろうと政財官学マスメディアは目くそ鼻くそ、消えてなくなるのも時間の問題です。 トヨタ系列の小島プレスという会社が、ランサムウェアのサイバー攻撃で、国内トヨタグループ全体が丸一日操業停止とのことで、急いでトヨタイムズをみてみたのですが、なにひとつ有益な情報はありませんでした。いまこそが、テレ朝報道ステーションキャスターを辞めてトヨタイムズいりすると噂の、富川悠太アナが、トヨタイムズにデビューする絶好のチャンスだったと思うのですが、トヨタイムズなぞ、所詮はトヨタの人民日報でしかなく、だんまり、頰かむりです。トヨタ社内報みたいなコンテンツ、こんなしょうもない提灯記事、果たして誰が読むのでしょうか。 ウクライナ危機になってから、それみたことかと、旭日旗やドナルド・トランプのアイコンで経済安全保障とか、核兵器シェアリングとか、わちゃわちゃ言い出す人が多く見られますが、経済安全保障という名のもとに、公安に逮捕され1年近く身柄を拘束されたあと、一転起訴を取り消された大川原化工機とか、お気の毒過ぎて言葉もありません。この国で事業家になっても、ろくなことありませんよね。 サラリーマンになっても、事業家になっても、桜田門や霞が関に目をつけられて、気にいらなければ、岡っ引きやマッポに、容赦なくしょっぴかれます。政財官学マスメディアの下請け、孫請けやってもいいこと丸でなし、私は生涯個人商店でやっていくつもりです。かっこいいオフィスもいらなければ、看板もいりません。マイクロソフトもiPhoneも使いません。ChromebookとPixelがあれば、なんとでもなります。 米軍、官僚、民間企業というバームクーヘンの構造から距離をおいて、生きているのか、死んでいるのかよくわからない存在になるのが一番です。検索されなければないのと同じことです。社会人からステルスであることが、これからの私の経済安全保障です。死んでも何も残さないのはもちろん、生きているいまも、痕跡を何も残さない、これがなによりも大切です。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-03-01 21:00:48

総力戦の意味を誤解している日本人

徒手空拳日記 2022年2月28日月曜日 Swiftからのロシア排除によって、主な国とロシアとの決済が、これからまったくできなくなると、カニやイクラが食べられなくなります。うんこマスゴミは、カニが食べられなくなるぞーって、豊洲やかに道楽にレポーターを通わせて、これから絶叫しまくるだろうと思います。そうすると、取り付け騒ぎのように、日本中の冷凍庫からカニが、瞬間蒸発します。 訴状を読んでないのでコメントしない、みたいな定型句は最強だなと思います。バカなので相手にしないとか、金持ちなのでケンカしないとかも、定型句としてやたら強いです。ロシアなんて知ったことではない、それもいい定型句だと思いますよ。 魯鈍なスラブ民族のことなんて、本当にどうでもいいです。逆に、ウクライナに10億円寄付する三木谷浩史さんとか、節税以外の意味なんてあるのでしょうか。いまも週4日のノルマで二子玉に強制出社させられている楽天社員からすると、尊敬できるご立派な経営者なのでしょうか。カニやイクラなどロシア産の海産物が経済制裁で止まれば、ふるさと納税も楽天市場も、一気に壊滅すると思うので、一石三鳥です。 総力戦という日本語訳は誤りであり、トータルウォーとはそもそも、戦わずして勝つ、孫子的メタな軍事戦略の視点をも含む、ずっと総合的な競争戦略のことです。鍋や釜を溶かして戦車にすることではありません。本質的な意味で、日本はそのトータルウォーに少なくともここのところ40年くらい、ずっと負けっぱなしです。歴史を知らない、バカですね。 プーチンの時代が、何らかの野蛮さで終わって、ロシアは世界の表舞台から完全に姿を消すだろうなと思います。ロッキーから、ハウス・オブ・カードまで、ずーっとロシアはアメリカにとっての重要な敵キャラでしたけど、米ソ共倒れになってくれたらかなり嬉しいなって、思います。 スラブ民族に負けずと劣らず、遅い、疎い、頭のおかしな日本は、歴史の上でもっとも成功した社会主義国民国家、つまりネクストロシアだと思います。 ドストエフスキーの小説に出てくる帝政ロシア時代のサーベルを腰にさげた、ウスラバカ小役人みたいな、政財官学マスメディアの民間小役人どもが、これからどんどん即身仏となり、自滅していくと思います。ロシアの愚かさを笑っていられるお立場ではありません。 足柄市のアサヒビール工場が、来年の1月でなくなります。足柄市のふるさと納税人気返礼品は、ぶっちぎりでアサヒスーパードライです。空爆によってウクライナのビルが吹き飛んでなくなるのも、足柄市のアサヒビール工場が丸っと姿を消すのも、総力戦という意味では同じことです。そのへんのことがわからないと、日本はどんどん負けが混んでしまうでしょうね。なーむー。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-02-28 21:00:01

非合法と不道徳の皮膜

徒手空拳日記 2022年2月27日日曜日 日本の建て売り住宅の防寒性能は適当で、行政による性能の監督もゆるく、断熱材をいくらでも抜いて、確かめようのないところで建築業者がカネ儲けできる余地が至るところに残されています。お目溢しですね。北海道みたいなところは断熱性能に施主がうるさいので、住宅がかなりあたたかいのですが、群馬や茨城などのヒートショック死亡率は統計的に有意に高く、寒い割には断熱材が抜かれている結果なのではないかと思います。 ど田舎に来ると、アスファルトの舗装がボッコボコです。雨が降ると水溜りで水陸両用車みたいになります。田舎の土建屋がサヤを抜きまくって、道はほったらかしにされ、ボッコボコになるんでしょうね。 ブルシットジョブつまり、まったく意味のない、必要のないクソみたいなお仕事はまだマシなほうで、ふるさと納税みたいに、ブルシットフルネスに詐欺の要素が、サブプライムローンのリスクみたいに分散ビルトインされている軽犯罪的なブルシットジョブは、いたるところにあります。その地域の家具職人が丁寧に組み立てた家具です、と書いてあるので寄付してみたら、足の部分は中国製で、しかもまったく組み立てられていなかった、みたいな返礼品がTwitterでバズってましたけど、これはふるさと納税そのものが、詐欺を寄せ集める制度設計になっているからです。まともな人なら、メルカリで高く売れるような返礼品しか頼まなくなります。 つまり、これは詐欺的なのではなく、ズバリ詐欺なのです。先日も母親のケータイをモバイルナンバーポータビリティ制度でキャリア変更したのですが、支払いにauのクレジットカードをつくらされていることが判明して、暗い気持ちになりました。 多分、auの販売店には、自社クレカの新規獲得ノルマがあり、なんにもわからない高齢者を食い物にして、このクレカつくらないと、携帯料金支払えませんみたいな、悪徳トークをしているのだろうと思います。 非道徳と非合法の境界線を狙って、ありとあらゆるブルシットジョブが、現金化のクロージングを、おらおらと急かしてきます。あなたのためとうそぶいて、客にとって不利な制度変更だらけです。楽天ポイントも、猫の目の制度変更が繰り返されて、ポイ活そのもののうまみがほとんどなくなっています。 株主総会における、三木谷さんの発言によれば、通年で70〜80億円のポイントのうまみが、制度変更によって消えるとのことで、これからも楽天サイドに一方的なキャリブレーションは、じゃんじゃんなされるはずです。制度をどう変えれば、いくら利益が出るかをシミュレーションする仕事は、単なるブルシットフルネスというよりは、仕事としての後ろめたさが半端ないです。楽天経済圏って、単なるチェリーピッキングネットワークであって、条件が悪くなれば、どんどん客はいなくなります。残るのはリテラシーの低い貧乏客ばかり、トホホ。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-02-27 21:00:46

コロナ禍も3年目

徒手空拳日記 2022年2月26日土曜日 西村賢太が長くかよった、鶯谷にある居酒屋と立ち食いそば屋のいいとこ取りのような、信濃路の本店は蒲田にあるのですが、コロナ禍で和民のようなチェーン店や、地元密着系、やりてのデカ箱が、バッタバッタと倒れるなかで、零細事業者はしたたかに残っており、蒲田の信濃路もびくともしていません。これは、恐竜の絶滅と、哺乳類の生存という淘汰のメカニズムと丸で同じだと思います。この鉄則は、飲食店に限ることではなく、無意味に大きくなったクソみたいな会社が、これからバッタバッタと倒れるだろうなと思います。 コロナ禍も3年目、新しいことをやるには全然手遅れだし、なんにもやらないでじっとしていても、お腹はすきます。食物連鎖が乏しくなって、共食いという名の、M&Aも増えそうです。 恐竜はどんなに頑張ってもネズミにはなれず、巨大な隕石が地球に落ちてきたら、恐竜丸っと絶滅を待つしかなかったように、コロナ禍の第1形態はかろうじて持ちこたえた大企業も、第2形態、第3形態となるにつれ、絶滅を免れなくなるだろうなと思います。 紳士服量販店が、コロナ禍のあと、お店のなかをコワーキングスペースにしていましたけど、紳士服の需要はコロナ前にはおそらく丸で戻らないと思いますので、そこに隕石が落ちてきたら、ひとたまりもないだろうなと思います。その紳士服量販店も、ご多分に漏れず、希望退職者を募集したら、想定を越える退職希望が来てしまい、本業の維持や拡大がますますできなくなる悪循環に陥っています。 最近ではその紳士服量販店の駐車場を、付近の人に貸し出すサービスなんかもやってますが、こういうのを焼け石に水、恐竜にビッグマックというのかもしれません。私としては、スーツと呼ばれるものはもう全然要らないので、紳士服量販店に行くこともないのですが、結婚式にスーツを着る需要もほとんどないし、就職活動もリモート面接が増えて、一着あれば足りそうだし、葬式もよほど仲の良い人以外には行かなくなりましたので、そりゃあスーツも売れないですよね。 なんか儀礼があると、農民、工員、学生、ニートまで、矢鱈とスーツ、ネクタイをつけなきゃなんないのも、おかしいよなあって思います。コロナ禍前の、組織に戻りたいっていう気持ちも、少しずつ薄れています。同窓会とか合コンとか街コンも、ぐんとやらなくなるはずです。全共闘の構成員が、いまさら同窓会をやりたがらないように、コロナ禍前のつながりも、自然消滅していくはずです。せいせいしますね。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-02-26 21:00:55

ブルシットフルネス

徒手空拳日記 2022年2月25日金曜日 この世は、息を吸えばなべてブルシットフルネスです。つまりなんの意味もない、なんの価値もない組織、仕事、人だらけです。再就職なんて死んでもしないのは、それがブルシットからブルシットへのただのはしごでしかないからです。働けば、自由になれるとは、アウシュビッツ強制収容所に張り出されていた、ナチスの有名なスローガンですが、インターネット以後の、現代の私たちはもうすでに、働いても自由にはなれないことを嫌というほど、知り抜いています。 4月からは週休4日です。残りの3日も好きなことしかやりません。意味のないブルシットジョブは、とことんやりません。これからは、人生半世紀時代です。働かないだけではなく、精神的なブルシットフルネス、たとえば、マインドフルネスのセミナーとか、死んでも参加しません。資格を取ったり、スキルアップしたり、しません。本も、やる気に頼らずすぐやる人になる37のコツ、みたいな自己啓発本は、手に触れることさえもしたくありません。 こんな本は、先延ばしせず、すぐやれという、資本家による命令でしかありません。先延ばししながら、結果的にやらなくて良くなることもたくさんあって、すべてをすぐやってしまったら、ブルシットフルネスです。この本も、ブルシットジョブを無限に生み出す、くだらない命令です。 情報とは、誰かの命令である、このことを肝に銘じています。ニュースとは、政財官学マスメディアによる命令です。報道ステーションとは、朝日新聞系列からの、命令ステーションです。Twitterも閉じてからかなりスッキリしました。先日、Amazonであるものを買ったのですが、なぜかそれが定期購入になっていて、また発送されたので、自宅ではなく、ヤマト運輸で受け取りに変更しました。こうやって留めおきにして、期日まで受け取らなければ、返品と同じになります。ど田舎はヤマトなのでこんなキャンセルもできますが、都市部のデリバリープロバイダーは、置き配ブルシットジョバーなので、田舎でよかったです。 Amazonで、親にSIMフリーのスマホを買ったのですが、それが説明のどこにも書いてないのに、楽天モバイル版でしたので、返品しました。楽天グループを蛇蝎のごとく忌み嫌う私にとって、自分で使うわけでもない親のスマホでさえ、楽天のおさがりなんて、絶対に許せません。楽天経済圏なんて、私には丸で必要ありません。ありとあらゆるところに、詐欺が組み込まれています。 己の生活からブルシットジョブを完全になくしていくこと、そのためのど田舎書店です。政財官学マスメディアからの命令を感じるいかなる新刊書も置きません。一冊仕入れて、売れなければ、自分が買う。そういうお店を週休4日でやろうと思います。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-02-25 21:00:38

どさくさまぎれ

徒手空拳日記 2022年2月24日木曜日 オデッサといえば、私にはガンダムですが、オデッサという現実の都市は、ウクライナにあります。ウクライナといえばBack in the U.S.S.R、ウクライナの女の子がマジで俺をノックアウト、しか思い浮かびません。 NHKも民放も、正社員特派員はウクライナから完全に撤退完了して、既にキエフにはひとりもいません。モスクワから出突っ張りのNHKのロシア支局長とか、ブルシットジョブそのものです。 東京が今日のキエフみたいになったら、まちがいなく、みずほ銀行の完全なるシステムダウンが起きるだろうなと思います。いまのうちに全額引き出したいです。東証の取引を丸一日止めた元社長が忘れた頃に、JPXの取締役にゾンビ復活、まさにどさくさまぎれです。 冷戦2.0に、G7のテレビ会議も車座集会気分の抜けない満洲国2.0は、果てなく置いてけぼりですが、日本国内の原発再稼働の動きはちゃっかり加速すると思います。ウクライナも、チェルノブイリ事故起こした国なのに、いま現在も原発依存率めちゃくちゃ高いです。 コロナ禍の第2形態は、エネルギークライシスでしたが、第3形態はなんとウクライナクライシスが正解でした。一年前には丸で予想のつかない展開でしたね。まあでも、エネルギークライシスがあるからこそ、西側の経済制裁なんて屁みたいなもので、プーチンとしてはいまこそ攻めどき、時来たるだったのでしょうね。 これが、SNSが普及してからの最大の戦争になるかもしれませんが、すでにダウ先物も激落ちくんで、恐怖指数は急上昇、すぐにコロナ禍の第4形態としての、世界的経済危機がやってくるでしょう。 来年の今ごろなんて、ほとんど予想できません。オミクロンの変異株は、さらにやばいみたいなので、コロナ禍もいつ終わるか、全然わかりません。ど田舎や山奥に逃げろ、となりますが、ザ・ノンフィクションで日曜日にやってた山奥ニートは、ウクライナ並みに炎上しています。山奥ニートのカップルが、結婚して子どもを授かった話でしたが、視聴率餓鬼のフジテレビの手にかかると、ニートの母は、老人を食い物にするサークルクラッシャーのように編集され、視聴者というバカ向けのわかりやすい晒し者に仕立て上げられてしまいます。 いまさらテレビに出ても、デメリットしかありません。ガイ録に応じる新橋のおっさんとか、みんな劇団所属なんじゃないかと疑っています。 DeepLでニューヨーク・タイムズだろうとGuardianだろうと、どんな海外メディアサイトも読めるのに、マスゴミしか見えてないバカからすると、ウクライナ危機は、リーマンショックと同じ、日本には直接関係のない出来事のフリをして、大阪をしょぼいナチスにすっかり変えてしまうでしょう。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-02-24 21:42:05

ストーリーポルノ

徒手空拳日記 2022年2月23日水曜日 バカは、マスメディアにしかアクセスできないので、たとえば早期退職が増えているという情報も、中高年の偏差値エリートが挫折していてメシウマですね、という、マスメディアによる画一的なバカ向けのコンテクスト、私の造語でいうところの、ストーリーポルノしか受けいれられません。実際は、まともな人ほどとっとと硬直した会社組織を捨てているのですけど、バカにとっての不都合なファクトは、政財官学マスメディア丸々っと、見ざる、言わざる、聞かざるにされてしまいます。 仕事を、メンバーシップ型とジョブ型に分けて、これからは日本もジョブ型になるというアホな考え方も、マスメディアがバカな大衆向けにつくり出す、牽強付会なストーリーポルノのひとつです。じっさいのところは、むしろ、ジョブ型の高い専門性が求められるスキルのほうが、先にアウトソーシングされていて、会社が長期的に必要としているのは、アウトソーシングによるジョブをうまく組み合わせ、彼らを最適に駆使して、成果をあげられる人材です。つまり、少数精鋭によるメンバーシップ型の雇用です。マスメディアは、そういうファクトを、バカには伝えても仕方ないと考えているのか、伝える側が根っからのバカなのか、私は多分、後者だろうなと思っています。 いま起きていることは、政財官学マスメディアのありとあらゆるブルシットジョブからの大離脱です。これは日本だけではなく、世界的な潮流です。 デビッドグレーバーによれば、ブルシットジョブは5つの類型に分けられるとのことで、ひとつめは、誰かを偉そうに見せる取り巻き、ふたつめは、他人を脅したり欺いたりする脅し屋、みっつめは欠陥を取り繕うだけの尻ぬぐい、よっつめは、 架空業務の書類を穴埋めする人、いつつめは 他人に仕事を割り当てるだけのタスクマスター、この5つで、これってズバリ、政財官学マスメディアです。 ブルシットジョブからの大離脱がなぜ起きているかといえば、インターネット以前は、オレ、クソみたいな仕事やってんなあという自覚は、あくまで個人の漠然とした自覚でしかありませんでしたけど、SNSの浸透でブルシットジョブへの嫌悪が、一気に拡大したのだろうと思います。あと、マネーの価値が暴落したので、おカネのためにブルシットジョブを我慢する意味もなくなりました。そしてコロナ禍によって、人生、半世紀時代になって、ブルシットジョブなんてやってもいつ死ぬかわからないと感じる人が多かったのだと思います。 ワーケーションとか言って、田舎で政財官学マスメディアのブルシットジョブやっても意味ありません。必要なことは、通勤をやめるのではなく、ブルシットジョブをやめることです。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-02-23 21:00:48

検索しても出てこない

徒手空拳日記 2022年2月22日火曜日 メタバースやWEB3にむかって、いま世界で起きていることの最先端は、逆SEOだろうと思います。つまり、ググられてもぜんぜんひっかからない、このことがプライスレスの価値に反転しつつあります。例えば、この徒手空拳日記も、検索すれば出てきちゃうので、時代遅れです。徒手空拳日記をやめて、「日記」とか「想念」みたいな名前にしちゃう、そういうことだと思います。個人名も、できるだけユニークにならないように、変わっていくと思います。自分の名前なんて、うざいので要らないなって思います。私もできれば3ヶ月に一回くらい、アカウントの名前を変えるように、名前そのものを変えたいです。 逆SEOが進んでいるのは、たとえば詐欺の業界です。表向きはクリエーティブなオンラインサロンの顔をして、あるいは起業家集団のように、政治や宗教のにおいを完全に消して、ねずみ講やネットワーク詐欺を、もりもり組織化しています。やりがい搾取の次に見えてきたのは、向上心の搾取です。私が大学にはいった頃は、キャンパスに新興宗教系のあやしい勧誘がたくさんありましたけど、いまは自己研鑽とか、スキルアップとか、FIREとか、無色透明の自己啓発コミュニティに塗り替えられています。それはつまり、自己責任という価値観でつながるコミュニティという、ソロキャンプ同好会のような、存在の矛盾です。 最後の出口でノルマ化され、田舎者から金品を搾り取るネットワークという意味では、連合赤軍もそうでしたし、1970年代くらいからつづいている、大学のサークル活動におけるパーティー券のノルマなども、本質的にネットワークビジネスと紙一重ですが、ますますそういった境界線はなくなって、もっといえば友達とネットワークビジネスの境界線もぜんぜんみえません。いまでは友達といっても、ニックネームだけでしか繋がっておらず、そのニックネームも、花火とか、猫山、とか節分のように、ユニークネスがわざとまったくないネーミングに変わってきます。 検索して、うえのほうに出てくる情報そのものも、詐欺まがいになってます。水回りトラブルで、検索すると上位に来るのはだいたい詐欺まがいです。Googleは、SEMで詐欺と被害者をマッチングさせています。もはやまともな人は誰も、検索を信用していないです。Amazonの検索も、検索したら最後、バッタものがズラッと出てきて、詐欺まがいのものを掴まされます。すっかりねずみ講化するガーファを尻目に、私は少しずつ逆SEO対策、検索されないステルス活動に進みつつあります。検索されてしまうことが、イケてない時代になります。YouTuberのオワコン化です。特定されないこと、追跡されないこと、そういう状態が価値になります。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-02-22 21:00:29

履歴書に顔写真は要らない

徒手空拳日記 2022年2月21日月曜日 サラリーマン組織の元気印、みたいなものの考え方って、反吐が出るほど気持ち悪いですよね。元気で明るく、ちょっぴりエッチ、それなのにとことん謙虚、という朱子学カルトの役割を、当然のように若手に押し付ける組織って、いますぐ滅んでなくなったほうがいいです。盛り上げ役とか、モチベーションを高めるとか、そういうタレントって、本来は経営者や役職者がやるべき業務アサインメントのどまんなかであって、下っ端や中間管理職を起点とする元気印なんて、そんなものはないし、求めてはならないと思います。島耕作シンドロームです。 若くてきれいな女性を、顔で採用する組織風土も、似たりよったりの俗悪さです。トランプ元大統領のメラニア夫人なんかは、トロフィーワイフなんて揶揄されますが、日本のオワコン組織は、人事権を組織ぐるみで食い物にして、組織のトロフィーレディーを取り揃えようとしているわけで、ただれた醜悪も、ここにきわまれりです。リクルーター制度を悪用して、若くて顔のきれいな女性に近づいて、有利な採用をちらつかせつつ肉体関係を迫る人間のクズもこの世に、まだたくさんいます。 近鉄グループホールディングスの人事部採用担当の男性社員が、インターンシップに参加していた女子大学生を、エントリーシートの添削をしてやるといって呼び出し、会食強要の果てに、タクシーでホテルに連れていった事件、大林組に勤める27歳の男性社員が、パソコンを見ながら面接指導をするとうそぶいて、自宅マンションに誘いこみ、女子大学生にわいせつ行為をした疑いで逮捕された事件、就活中の女子大生に「僕との関係が持てない以上、会社にいれるわけにはいかない」などと脅迫した、トヨタ自動車系の部品メーカー、アイシン・エイ・ダブリュの元幹部で、トヨタグループ創業者一族のおっさんなどなど、組織権限にパラサイトして、トロフィー・ガールを己の食い物にするおぞましい事件は、枚挙に暇がありません。 これから就活を控えた皆様におかれましては、できれば顔写真や学歴を履歴書に添付しなくてもよい仕事をみつけることを、強くおすすめします。若者に未来を託すフリをして、若い人の肉体や精神を掠め取ろうとする組織を、完全ミュートしたほうがいいです。社員が会社のことを「ウチ」と呼んでいる会社も要注意です。組織に権限というエサを与えられ、己の力と勘違いさせることで、違法や脱法行為を社員に押し付ける組織もたくさんあります。西村博之が、新卒カードなる概念をとなえて、新卒採用は人生に1回しか使えないから、使ったほうがいい、みたいなことを言いますが、ちゃんちゃらおかしいです。 そんなもの単なるまわりみちでしかありません。ひろゆきの言説は2020年くらいですでにオワコン化しています。最近の、ひろゆきのブレイクなぞ、ブレイクとはバカに見つかることという典型例です。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-02-21 21:00:14

末端で責任を負わされる者たち

徒手空拳日記 あさりバターとか、あさりの酒蒸しそのものが、食卓から消えています。つまり殆どのあさりは、国産ではなかったということです。これから、あさりのむき身や佃煮、ボンゴレビアンコなど、中国産の余ったあさりが大量に加工食品になるでしょう。偽装によって、日本のあちこちに令和の貝塚が生まれます。 あさりの産地偽装は、熊本産と偽って中国産を売っていたかと思ったら、その中国産も偽装表示で、その実態は北朝鮮産だったりして、二重偽装になっているようですが、普通の市場だけではなく、ふるさと納税にも波及しているようで、熊本産のあさりをふるさと納税の返礼品にしていた自治体は、いまさらながらのカマトトで、事業者の実態調査をしますなんて言ってますけど、ふるさと納税制度そのものが、品質保証機能がほとんどないので、偽物や毒物が簡単に流通してしまうおそろしさをはらんでいます。 技能実習生制度とふるさと納税は、稀代のクソ制度ですけど、いざ問題が起きれば、その責任を取らされるのは、末端の地方自治体と零細事業者で、この国の無限無責任体制を象徴する、ひどい仕組みです。クソみたいなふるさと創生事業の先にあるのは、無益な不正と疲弊でしかありません。 岡山の建設会社で働いていたベトナム人の技能実習生が、2年間以上も職場で暴行を受けていたことがバレて、その事業者が先日、今後5年間の実習生の受け入れを停止する処分がくだされましたけど、これも制度設計した霞が関は、知らんぷりで、責任はすべて末端です。 ふるさと納税にしても、技能実習生制度にしても、こんな制度で息をしている事業者なんぞ、そもそも消えてなくなるべきなのに、ムダな税金が大量に投入されながら、残留してしまいます。アベノマスクとまるで同じ、損切りのできない国民的な宿痾だろうなと思います。 インバウンドがピークに達した頃の、大阪の黒門市場の屋台と、ふるさと納税に群がる事業者は、ほとんど構造がおんなじで、インバウンドやふるさと納税が消えてなくなれば、その市場そのものが完全に消滅してしまいます。 熊本産あさりショックとは、ふるさと納税の崩壊のはじまりです。消費者庁も頬被りです。これからふるさと納税そのものの、信用縮小が起きてきます。かしこい人は、SK-IIみたいな外部に品質保証機能のある工業製品に、いわば質への逃避をするし、まともなマーケティング能力のある事業者は、とっくに自前のECをちゃんとやってます。 気がつけば、悪貨が良貨を駆逐しまくりです。ふるさと納税で食いつないでいる地方自治体や事業者は、制度がなくなれば自滅します。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-02-20 23:20:03

ラジオからAudibleへ

徒手空拳日記 2022年2月19日土曜日 あさま山荘事件から今日で半世紀、あさま山荘事件ってようするに、米軍による赤狩りの成れの果てでした。あさま山荘事件は、NHKと民放を合わせた最高視聴率は89.7%でしたので、オリンピックや紅白なんて屁みたいなもんです。 あれから半世紀、コロナ禍で在宅率が上がったので、本来は好調といわれていたはずの民放、NHKのテレビやラジオの凋落が、ぜんぜんとまりません。テレビばかり観てると、洗脳されて、自宅で突然死しそうで、こわいです。もともとテレビって、要するに米ソ対立の果ての、核戦争の防災無線、つまりJアラートでしかありませんでした。あさま山荘事件も、反共作戦の実況中継でした。テレビがこれだけ死んでいるのですから、当然、ラジオは白骨化しています。 いまのTBSラジオの社長さんは、もともと広告会社からJ-WAVEにはいり、TBSラジオに来た人で、だから最近のTBSラジオは、どんどんJ-WAVEの劣化コピーになり、AMラジオの、あの古き良き地に足のついた感じがまるでしない、スッカスカの、バカな中産階級向けの通販ステーションになってしまった感じがします。もうすでに、社員も69人しかいません。 とくに、平日朝は帯ワイドといいながら、タレントの都合で月曜から木曜までしか同じ番組じゃないとか、この春からはその帯ワイドとやらも月曜から水曜までになっちゃったりして、リスナー度外視のクソ番組ばかりです。TBSラジオは、単なる紙と鉛筆によるアンケートだった聴取率を目標管理指標にするのをやめて、ラジコのデータを重視する経営とか、典型的な落とし穴にハマっていて笑えます。 では、J-WAVEが良いかといえば、そんなこともまるでなく、帰国子女が流行りのSDGズっぽいゲストと薄っぺらいトークしかしない感じが、TBSラジオと単なる線対称で、聴いてておもしろくもなんともありません。ラジコのアプリをデリートして、アメリカン・フォーセズ・ネットワークを聴いています。76年間も米軍の支配下にある俺たちのNHKは、AFN米軍放送です。 あるいは、いまひと月お試し無料で聴いているAudibleが、TBSラジオや、J-WAVEの替わりになるかもなと思っています。先月末から、AudibleはNetflixみたいに、聴き放題のサブスクになりましたので、しょうもないTBSラジオやJ-WAVEを聴くよりは、Audible聴いたほうが、全然マシな優良コンテンツです。 とくに最近は、クルマのなかでなにかを聴くことが多いので、JBLのスピーカーとスマホを有線でつなげて聴いています。Bluetoothでつなぐのは、AirPods以外とにかく不確かで、とてつもなく不便なので、クルマのオーディオも、ノートブックパソコンのマウスも全部有線に戻しました。スイッチオンで確実に繋がらないデバイスを、信用しないことにしています。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-02-19 21:00:37

ダーティーオールドマンスプレイニングも暴力

徒手空拳日記 2022年2月18日金曜日 香川県議会議員6名が、2017年にヨーロッパへ視察旅行と偽って、ほとんど税金を食い物にした、単なる私的なオノボリさん観光だったことがすべて録画され、全国に公開されてしまったことで、市民団体から訴えられ、視察ツアー代金のほとんどを支払えとの判決がこの前でましたけど、私が注目したのは、この政治屋さん6名に、現地でツアーガイドをしている女性2名が、とてもフェミニンな色香を醸し出していたことです。 つまり、日本にある1700を越える地方自治体の税金を食い物にする、政治屋さん向け観光ツアー市場というものがこの世にはあり、その現地コーディネーターは知性とお色気たっぷりの、素敵な日本人女性が担っている、しょうもないニッチな市場があるんですね。でもそんな市場も、コロナ禍で完全消滅、超絶メシウマでございます。 地方議員みたいな、いまだに、自分より年下だとわかると、ナメたクチをきく中高年って、どんな生活環境にそのうっすい脳みそをさらしているのでしょうか。古くて通用しない、おもしろくもなんともない経験談を、もったいぶって開陳されても、オールドマンスプレイニングは、右から左へ、だだ漏れでございます。酔っ払っているわけでもないのに、よくそんなクチきけるなって、思われています。ニコチンとエタノールをぶっこみすぎて、すっかりパンチドランカーになっているのかもしれません。 酔っ払い経営といえば、キリンホールディングスがミャンマーのビール事業を丸っと損切りしましたね。陸海空全部ダメ、でおなじみの三菱グループのエタノール麻薬部門は、ミャンマー以前も、ブラジルで数千億円規模の特別損失を出しており、日本人の胃袋が小さくなるからといって、才覚もないまま無鉄砲に海外進出して、大損をこく。もし私が株主だったら、速攻で全株売却したい、よっぱらい銘柄です。 ただ単に年長者というだけで、威勢の良い、しかし頭の悪いダーティー・オールドマンスプレイニングをカマしてきたら、若者は「はぁ?」って表情をしながら、タメ口で返すのがよいと思います。定年退職して、カルチャーセンターに通いだして、いまだに肩書を引きずったまま、やたらと偉そうなダーティーオールドマンがたまにいますけど、彼らには全部タメ口でいいと思います。 ハードでもソフトでも、ありとあらゆる暴力やマウンティングがNGになり、少しでも相手が不快と思えば、スマホなどでばっちり保存され、世界中にタレコミが可能です。バカか、暇人か、あるいはその両方の地方議員とか、地方政治屋とか、いまだにやっている中高年は、ありとあらゆる勘違いが記録され、晒し上げとなるでしょう。よかったですね。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-02-18 21:00:33

牛丼福祉か、おすそわけ経済圏か

徒手空拳日記 2022年2月17日木曜日 私の場合、回転寿司はスシローでも、かっぱ寿司でも、くら寿司でもなく、魚べい一択なんですけど、その魚べいにいくと、マグロとかサーモンとか、ど定番の2貫で、消費税別100円のものしか、食べませんね。ハズレもないし、看板商品ゆえにかずが出るので、原価率も高い、つまりお得感があります。ヘタするとマグロ3皿くらい平気で頼みますね。 季節のおすすめメニューは、一貫で結構なお値段がするので、そんなもんに手を出すくらいなら、普通の寿司屋にいきます。それにしても、最近の回転寿司も、一貫をタテに2等分したように、ネタもシャリも、どんどんちいさくなっています。シュリンクフレーション、恐ろしいです。あと、魚べいはガリまでリモコンでオンデマンド注文なんですが、頼むのがめんどくさいので、魚べい全体の、ガリの消費総量は減るだろうと思います。コロナ禍による過剰な潔癖化、ホワイト化にかこつけて、ガリの取られ損も取り返すなんて、涙ぐましい努力ですね。 牛丼福祉という考え方があって、日本は非正規雇用だらけになり、給料がどんどん安くなっても、ワンコイン以下で、安くておいしい牛丼が食べられるんだから、デフレ政策は、小さな政府の大きな福祉だ、みたいな牽強付会な考えですが、牛丼も500円を越えるのは、時間の問題だろうなと思います。牛丼が食べられなくなれば、焼きそばUFO食べりゃあいい、焼きそばUFOと山崎の食パン食べてりゃ、糖尿病一直線です。 そのうち生活習慣病は、国民皆保険制度の対象外になって、治すのに矢鱈とおカネのかかる病気になると思います。追突されたら即死する軽自動車とか、冬は寒くてヒートショックで死にまくるローコスト住宅とか、シュリンクフレーションは、回転寿司にとどまらず、日本人の生活のもっと根っこの、ファンダメンタルズに及びつつあります。 東京のコロナ禍は、丸でピークアウトではなく、体調が悪くてもまともに検査できないまんま、文字通り泣き寝入りしており、このまんまいくと卒業式を越えても、ゴールデンウィークくらいまで、よくわからないマンボウが続いているかもしれません。 人生100年時代どころか、人生半世紀時代、還暦過ぎてもしょうもないブルシットの賃金奴隷を続けるよりは、時間も守らず、大した仕事もせず、他人の言うこともまともに聞かず、好き勝手に生きたほうが、よほど楽しいんじゃないかと思います。春に向けて、お鍋のカセットガスボンべで動くホンダの耕運機、ピアンタを買おうかなと思っています。ご近所の家庭菜園も耕しまくって仲良くなって、野菜のおすそわけ経済圏をつくろう、なんてことを考えています。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-02-17 21:00:17

賃金奴隷制の時間認識

徒手空拳日記 2022年2月16日水曜日 人類にとって、時間認識の歴史は3段階で、産業革命より前のやたらと長〜い第1段階は、時間はそれぞれの共同体のなかにある超ローカルなものでした。日が昇れば朝、暗くなれば夜、寒くなれば冬、という非常にざっくりしたものでした。 産業革命からは、時間は社会のものになって、労働者の時間管理は、国民国家や、軍隊や、学校や、資本家がやるようになりました。日曜日以外の、朝から晩まで労働者が働くということは、工場で大きな機械を、無駄なく動かすために、労働者が機械に従うためにできた制度です。マルクスが労働者階級を賃金奴隷と呼んだのは、なるほど正しいなと思います。 いまも品川駅港南口を、朝と夜往来する賃金奴隷階級は、いまだに第2段階の時間認識にいるどころか、昭和元禄のお気楽なサラリーマンはいくらでもサボって、ごまかし可能だったスタンドアローンの手帳を取り上げられ、Google やマイクロソフトのソーシャル・カレンダーによって隙間なく、完全に透明化され、支配され、奴隷制度としてはすでにかなりデジタル・トランスフォーメーションが完成しています。 コロナ禍以後の、サラリーマンの在宅勤務が、素晴らしいわけもなく、がんじがらめにソーシャルカレンダーで監視され、空いている時間に、容赦なく仕事がぶち込まれます。プライベートであるはずの自宅に、気持ちの悪い上司や、バカな同僚が土足で踏み込んでくるわけです。こんな状態を、進歩とか未来だと考えているやつはバカか、奴隷か、あるいはその両方のどちらかだろうと思います。 人類の時間認識の第3段階とは、時間が個人のなかに内包される段階です。お正月という第1段階の共同体イベントを、明治維新後の殖産興業時間に無理やりあわせた日本の間抜けなお正月とか、お金儲け以外に、なんの意味も、価値もありません。 本来、手帳が必要なのは、賃金奴隷ではなく、時間管理をみずから行う自由のある人間だけです。賃金奴隷のくせに、ほぼ日手帳使って文字をたくさん書き込んでいる人を見ると、哀れというかこいつバカだなと思ってしまいます。 手帳の歴史は浅くて、まだ210年くらいしかなく、イギリスの商人が、日々の商品在庫や帳簿を書き留められるようなものが必要となり、生まれました。見開き1週間、左に月曜日から水曜日、右側に木曜日から土曜日、日曜の記入欄はありませんでした。つまり、休息日は手帳という世界の外にあった、ここが重要だろうと思います。もっと大事なのは、手帳とは資本家のものであって、賃金奴隷のものではないということです。私はサラリーマンを辞めてからは、手帳をできるだけ真っ白にするために、デジタルカレンダーを拒否して、スタンドアローンの紙の手帳を使っています。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-02-16 21:00:35

無欲は奴隷のトップギア

徒手空拳日記 2022年2月15日火曜日 品川駅港南口の通勤風景が象徴するのは、工業労働者の奴隷制です。時間を守ること、命令に従順なこと、反復作業を嫌がらないこと、この3つこそ工業労働者に求められる資質で、逆に言えば、時間を守らない、他人に命令されない、飽きたらすぐやめる、この3つがなんのエクスキューズもなくいつでもどこでもだれにでもできることこそ、脱工業化の条件です。相手が時間を守らないと激おこする人は、おのれが工業社会の奴隷であることを自白しているだけなので、恥ずかしいです。政財官学マスメディアとは、工業労働者を下部構造に持つ、偏差値65以上のエスタブリッシュメントクラブでしかありません。つまりは、奴隷ガシラです。 その工業労働者に与えられた洗脳装置の一つがテレビです。昔、テレビの絶頂期に、動物、赤ちゃん、お色気、つまりちょっぴりエッチこそが、視聴率を稼げる鉄板の3大コンテンツで、芸能人水泳大会や、ドリフ大爆笑、あるいは土曜ワイド劇場などでは普通に、おっぱいぽろりシーンがありましたし、オールナイトフジなどでは、アダルトビデオの一部が、堂々と流されていたことを覚えています。工業奴隷のパーパスとは、エロでした。 しかし時代が変わって、エロ系のコンテンツが完全に禁じ手となり、性欲がダメなら食欲しかない、とばかりに、それからあとはいわゆるフードポルノ一本槍となりました。奴隷のパーパスが性欲から食欲に、転換したのです。 そういった空気の変態を悪用して、加工食品やコンビニ食品にフォーカスして、そのこだわりやおいしさを競うしかけの番組が、やたらと粗製乱造されるようになりました。TBS系のジョブチューンという番組では、セブン、ファミマ、ローソンの人気商品を一流料理人がジャッジ!、といった企画が、次から次へとつくられ、コンビニの無限地獄みたいな、リニューアルという名のシュリンクフレーションに、カギカッコ付きのこだわりや、ストーリーを粉飾する、薄っぺらい言葉でいうところの、メディアと広告主の、ウィンウィン番組なのですが、視聴者、消費者だけが置いてけぼりという印象です。 奴隷のパーパスが性欲から食欲へと移り変わり、では一体これからは何かと言えば、無欲になると、私は思っています。ジェネレーションZとは、性欲や食欲をなんとも思わない、無欲の世代です。工業奴隷を無欲によってコントロール可能になってきました。とろんとした目つき、顔つきで、金欲も、性欲も、食欲もない、サラッとした世代が完成しつつあります。そういう人たちは、本も読まないし、酒も飲まないし、映画も観ません。 グローバル工業制の奴隷ガシラとして、無欲の世代とワン・オン・ワン面談するのがあまりにもだるくて、私は会社員をやめたクチです。管理職なんていう、ブルシットジョブは、もう二度とやりたくないですね。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-02-15 21:00:42

心を込めない、目をかけない、腹で背く

徒手空拳日記 2022年2月14日月曜日 私はこの徒手空拳日記で、仕事に心を込めない、部下に目をかけない、組織に腹で背く、という三原則をずっと書き続けてきましたが、会社をやめても、この三原則は、丸で変わりません。アホらしくてやってらんない仕事、ゾッとするほどのバカ、既得権益をむさぼりつくす、いやらしい組織は、会社をやめても日本のあちこちに、遍在しています。 ミライザカとか、鳥メロとは、新業態っていうよりは、和民の別名、呼び替えですが、これもひとつのロンダリングだろうと思います。こういうところで一生懸命働いても、なんの意味もないと思います。そういうところで、ゾットするほどのバカと働いても、ろくなことありませんし、なんで和民なんていう価値の乏しい組織を、安月給で維持しなきゃならないのか、全然意味がわかりません。客として、そういうところにでかけていくのも、身の毛がよだつチャレンジです。 自分で自分のことを、わくわくなんちゃら館とか、奇跡のなんちゃらジュースとか、コピーライティングして名乗るとき、そのわくわくとか、奇跡の、みたいな手垢のついた形容詞がついている、ありとあらゆるメッセージを、私は華麗にスルーすることにしています。ほぼほぼ嘘なので。ほとんど詐欺なので。 わくわくなんちゃら館とか名乗っているところほど、だいたいが税金の無駄使いの、コンクリートのかたまりでしかないですし、奇跡のほにゃららなんかは、だいたいバカか貧乏、あるいはその両方向けのインチキ通販です。 創価学会なんかも、わくわくとか奇跡の、的な惹句と大差のない、権力ボケのしょうもない新興宗教ですが、信者として囲い込んだ、敗戦後の恵まれないコーホートがほとんど後期高齢者になって、だんだん公明党の政治活動も、足腰が弱って、できなくなりつつあります。自分の老い先が見えてくると、利権政治なんてアホらしくて、やってられませんね。 新興宗教の最大の敵は、私からみればエタノールとSNSではないかと思いますが、若者はエタノールにも、新興宗教にも、ほとんど見向きもせず、新興宗教そのものが、ほぼほぼミュートされ、死に体となりつつあります。そりゃそうですよね。古臭いオカルトやカルトは、世界的にどんどん弱っていき、そのうち完全にミュートされる存在になると思います。 新潟のおせんべい工場でなくなったかたがたは、高齢者と若者で、まさに日本の困窮が二極化していることを表しています。しょうもない仕事をやらなきゃ生きていけないセグメントは、高齢者と若者ばかりです。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-02-14 21:00:52

エタノーレ! エタノーレ! エタノーレ!

徒手空拳日記 2022年2月13日日曜日 Google Mapに書き込まれる、この近所のど田舎にある飲食店への最近のコメントが荒れていて、ちょっとした不衛生や、コロナ感染対策ができてないことへのやたらと厳しい評価が、かなりみられます。田舎だからって見過ごされるっていうことがなくなりました。港区にも村役場のような醜い政治があちこちにありますし、田舎にもホワイト化は容赦なく押し寄せています。超絶スーパーフラット化です。 昔はそんなことを期待する客なんて丸でこなかったはずの、どいなかの、のどかな飲食店も、いまは少しでも汚いと、通りすがりのアホなイチゲンの観光客から最低の評価をバンバン食らっていて、本当に気の毒です。 You Tubeで、吉田類の酒場放浪記が一部みられるのですが、コロナ禍前の昔の放浪記をみると、当たり前ですが、みんなとっても楽しそうで、コロナ禍で日本から失われたものを、まざまざと見せつけられます。喪失感、半端ないです。 古き良き酒場放浪記では、狭いお店のなかで、ご常連が肩を寄せ合い、もちろん誰もマスクなどしておらず、直箸でおすそわけとか、酔って唾を飛ばしながら悦に入る談笑とか、肩組みながらはしご酒とか、そうした風景はもう、二度と日本には戻らないんだろうなと思います。 コロナ禍で、自由な酒場放浪が2年近くも失われて、もはやご近所で思う存分は、飲めなくなってしまったエタノール依存症の人々が、そのぶん増えた宅飲みで、エタノール依存症をひとりこじらせており、最近の泥酔犯罪者は、すこぶる破滅的になってきました。かなりやばいと思います。 先日も、記憶をなくすほど酔った男女が降りたタクシーともめていたところに、たまたまそこでつっかえた後続車がとばっちりをくらって、その二人に襲われた様子が、You Tubeに上がっていましたけど、この2年間のコロナ禍で、末端のエタノール中毒は、身も心も満タンになっているのだろうと思います。 イタリアの人生観を表すのによく使われる、マンジャーレ、カンターレ、アモーレ、 日本語にすると、食べて、歌って、愛してるうちに終わる一生ってのがありますが、アフターコロナ以後の日本の場合は、ひたすら、エタノーレ、エタノーレ、エタノーレ。安酒を飲んでいるうちに終わる人生、っていう感じでしょうか。テレ朝のお給料もその多くがサントリーやキリンのエタノーレ広告から出ています。 君子は危うきに近づかず、ゾンビ化したエタノーレ! のさまよう時間や場所に、外に出ないことが最大の防御ですし、そもそも私にとっては毎日が方丈記であり、放浪記なので、エタノールの薬用を借りる必要もありません。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-02-13 21:00:54

あんまり寄せつけない商売

徒手空拳日記 2022年2月12日土曜日 ザッカーバーグって、ヒアルロン酸注射でもしてるのでしょうか、顔が土左衛門みたいですよね。いまのデジタルネイティブの若者たちって、事実上、すでにメタバースを生きているようなものですけど、だいたい目が死んでいます。ジャニーズとかAKB48のように、選ばれているはずの若者も、ぽか~んとした、とろけた顔つきしてませんか? 私なんて、Facebookもインスタグラムも、アカウントさえ持っておらず、本当はマイクロソフトも、アップルも、アマゾンも使いたくなく、せいぜいGoogleを、無料部分だけほそぼそと使えたらそれでいいなと思っています。アマゾンなぞも、スマホだけだとサクラチェッカーをかましにくいので、最近はパソコンでしかポチらなくなり、すごい不便です。アマゾンってもはや、三越伊勢丹とAEONとトレジャーファクトリーをランダムミックスしたようなクソマーケットですが、なんか価値あるのでしょうか。 そもそも、ページビューなんていう、不特定多数へのリーチなんていらないし、仮に有名になって、行列ができても、なんにもいいこと、ありません。甘利明のような単なるフリーライド、いっちょかみに、なんの価値もない時代です。政財官学マスメディアとは、無価値どころかマイナス資産となりつつあります。サラリーマンやめて、ひとりでやれる仕事なんて、たかがしれてますので、もういまの時点で、これ以上はいくら注文をいただいても、お仕事できない、したくない状態です。 マーケティングとは広告をいらなくすることなのですが、ガーファにしてもテレビ朝日にしても、広告をマーケティングだと偽っている時点で怪しいです。マーケティングの4Pに、プロモーションをいれていたのはインターネットのない時代であって、いまとなってはマーケティングとプロモーションは、完全に反対語です。行列なんてできないほうがいいんです。貧乏人やバカに見つかると、これからはろくなことがありません。 ホールコレクションではなくセレクション、それは顧客についても言えることです。ガーファやマスゴミを通じてうようよとたかってくる、貧乏な客、バカな客、偉そうな客、全部切り捨てましょう。B級グルメに群がる肉袋なんぞ、相手にしてはいけません。テレビに取り上げられることは、これからますますマイナス効果でしかなくなります。需要期なんてないほうがいいんです。通年で、値引きもせずにコンスタントに売れるのが一番です。プロモーションをマーケティングと勘違いしているバカを寄せ付けない商売が、これからの基本になるだろうなと思います。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-02-12 21:00:44

こころ公正であれ

徒手空拳日記 2022年2月11日金曜日 こころ 公正であれ 大胆であれ 輝いてあれ これは、テレビ朝日の社是なんですけど、不公正の極みみたいな一連の連鎖的な信用崩落の背後には、どうしても菅義偉の暗躍を感じてしまいます。ステーション全体が、Abemaになってしまう、サイバーエージェントによる買収とかも、あってもおかしくないですね。 一方で、お隣のフジテレビの崩落は、8というチャンネルナンバーに、意味もなくこだわったからだと私は思っていますが、逆に、10を捨てて5を取ったことで伸びたのが、テレビ朝日です。 サラリーマンやっていたころ、平日の昼の午後、サボりでサウナに行くと、だいたいテレ朝の刑事ドラマが流れていて、うざいのでサウナにも耳栓をして入ってましたが、テレ朝とは、端的にはそういう、よぼよぼのシニア向けステーションだと思いますので、遅かれはやかれ滅びゆく運命だと思います。 この国で、ニュースと呼ばれているものは、官報です。つまり、官報ステーション、国民国家ぐるみのステルスマーケティングです。だから、ニュース速報も、何かと思えば日本人のメダル獲得情報なので、そんなものは急いで知りたくないよ、という人は、テレビ、ラジオ、新聞を捨てて、スマホアプリのプッシュ通知をやめれば、すべて解決します。 ライン・ニュースとか、ヤフー・ニュースと名乗ってますが、1次ソースは丸っと政財官学マスメディアなので、あんなものばかりをニュースだと思ってボーッと生きていると、自宅で容体が急変して、突然死してしまいます。 岡田斗司夫の言うように、コロナ禍は第三次世界大戦であり、少なくともこの災いは、のべ4年続くとすると、いまはまだその半分くらいです。世の中の空気としてはまさに、太平洋戦争のときの戦況の悪化と同じように、人間が死んでいくことに、無頓着になっています。人類は、コロナ禍に打ち勝つどころか、ワクチンを打てば打つほど、あるいは金融緩和すればするほど、想定外の悲惨な結果におちいっているのではないかと思います。 日本でサラリーマンという身分制度ができてから、ほぼ100年ですが、そろそろサラリーマン制度の時代が終わりつつあります。いまだに世界のトヨタなどと言われているのかは、よくわかりませんが、トヨタも囲い込んでいたはずの出世コースの人材から、歯抜けの脱落が起きています。トヨタやめてなにか出来るのかというと微妙ですが、中堅だけじゃなくトヨタにはいった東大卒の若手なんかも、超スピードでやめているようなので、これから順調に縮小均衡にはいるだろうと思います。良かったですね。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-02-11 21:00:57

ファクシミリという隘路

徒手空拳日記 2022年2月10日木曜日 マイクロソフトのウィンドウズ95を、いまも使っている人は、ほぼゼロだと思うのですが、ファクシミリや電話あるいは郵便は、政財官学マスメディアなどでは、なぜかいまも当たり前のように使われていて、本当におかしいなと思います。古い技術だから、詐欺に悪用されるのです。 コロナ禍はもう2年も経つのに、保健所はいまだにファクシミリでやっていて、それがボトルネックになって、医療崩壊が起きているとか、あまりにも頭が悪いので、こうしたおまぬーな政財官学マスメディアをのうのうと許している国民は、腐敗のすえの、発酵と分解を待つしかないと思います。 政財官学マスメディアお得意の、いやらしい前任者否定により、岸田政権の厚生労働大臣も、ワクチン担当大臣も、全部入れ替わったので、新しく座った大臣に、官僚が引き継ぎのレクチャーをするのに2ヶ月くらいかかって、そのあいだはすべての意思決定が止まるので、オミクロン対策の執行も、ほぼ完全に無策のまま、愚かな過ちをなんべんも、繰り返し犯して感染爆発、遅い、疎い、頭がおかしいなと思います。新大臣へのレクも、文書やリモートでは失礼というなぞの保身で、直接Face to Faceでやろうとするので、膨大な時間がかかります。 まあ、私に言わせれば、未だにこういった政財官学マスメディアの伝言ゲームに参加しているやつがバカ、というだけで、要するに、政財官学マスメディアで働いたら負け、ということでしかありません。アベノマスクも、捨てれば6000万円、リサイクルすれば10億円とか、国民国家として知能障害レベルです。オカミが決めてくれない、命令してくれない、評価してくれない、給料上げてくれないの、くれない族の末端に紐付いている人間は、死ぬまで治らない愚か者なので、彼らの存在をおのれの意識から消してしまっています。 私が小さかったころ、まだ生きていた祖父や祖母は、いまの世代のジージーやバーバーとちがって、ものすごく自分勝手だったり、残酷だった記憶があります。例えば、テレビに障がい者が映っていたりすると、舌打ちをしながらチャンネルを変えたり、彼らの話していることの多くが、身勝手な文句だったり、悪口だったりしました。祖父や祖母の世代と、私の世代で、その残酷さや、愚かさは、ほとんど変わらないと思うので、世間を気にしていい人を装っている現代人は、実はとてつもない抑圧のしたにいるのだろうなと思います。 いまだに電話やFAX、あるいは郵便などを使っているから、まんまと詐欺に引っかかるというわけでもなく、最近の情弱な若者たちも、検索連動のネット広告にじゃんじゃんひっかかり、法外な水道修理工事の詐欺に簡単にひっかかるようで、この国の老若男女は激しく劣化して、大量の情弱がうようよ湧いているようです。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-02-10 21:00:42

悲しみよさようなら

徒手空拳日記 2022年2月9日水曜日 高梨沙羅が、スーツの規定違反で失格となってからの、その悲壮感にあふれる言動をみるにつけ、この国のスポーツはどこかで道を完全に間違えたなと思います。悲壮感って、いつの間にか感動ストーリーではなく、見苦しい、見たくないものになりました。 野党は批判ばかり、という、たった7文字のプロパガンダは、きわめて破壊的であり、よく練られていると思います。この短いスローガンには、最近の岡田斗司夫が言うところの、ホワイト革命のエッセンスが、極めて端的に込められています。 現代は、批判の前提となる正義そのものが、まったく歓迎されない空気に満ちています。ドクターXなど鉄板の勧善懲悪ストーリーの視聴率も、激しく落ちまくりです。 批判と聞いて連想されるのは、なんといってもネガティヴです。相手を否定したり、否定的にものを考える姿勢そのものが、根こそぎ嫌われています。 批判とは同時に、多くの場合、悲観的でもあります。現状への不満や不安があるから、批判するんだなと思われ、さけられるわけです。 楽観的な課題設定と、悲観的な課題設定にわけると、成長していて派手に金儲けしているガーファなどには、いまも充分にハッピーな世界だけど、よりよくしたいという楽観主義を感じますが、例えば実は自動運転のまったくできないトヨタの課題設定は、いつトヨタがなくなっても不思議ではないとか、日の丸チームを孤軍奮闘でおのれが背負って玉砕はできないとか、現状認識が高梨沙羅と酷似して、極めて悲観的です。 新自由主義などと言いますが、それは単に、悲しそうな人には近寄りたくないという気持ちでしかなかったりします。悲しそうな人と一緒にいると、こっちまで悲しくなるから、目障りだ、ということです。悲しい目をした連中を、見えないところに囲い込め、というのが、米国の富裕層におけるホンネです。 批判にはさらに、攻撃的、暴力的なニュアンスも含みます。否定的で悲しみにくれる人は、いつブチギレてジョーカーになってもおかしくないという不気味さを醸しています。 批判ばかりというステイタスは、いつも対決的であるということで、要するに、面倒くさいやつだというフラグがついてしまいます。経済的な余裕のまだあった時代は、会社組織でも正義感が強くて、だから悲観的で、シニカルで、攻撃的な人がまだ存在していましたが、民間においてはもはや、批判ばかりの人は完全に消滅しています。 対決や反抗に、丸で人気がなくなりました。悪口や陰口も、蛇蝎のごとく嫌われます。四国放送の公式ツイートが、行き過ぎた与党批判を、自分のアカウントと誤って投稿したことから、公式アカウントを担当していた四国放送の社員が、懲戒解雇されてしまいました。これなんかも典型的に、批判ばかりしている不機嫌な人は、この世界から消えてしまえ、という空気だと思います。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-02-09 21:00:22

大ミュート時代

徒手空拳日記 2022年2月8日火曜日 ツイッターでミュート機能を使っている人は、調査などみると全体の7割くらいですが、ツイッターで当たり前化しつつあるミュート機能を、ありとあらゆる人間関係に拡げる動きが止まりません。 国政選挙や地方選挙の投票率が、だだ下がりなのは、国民が狭い意味での政治を華麗にスルーする気楽さを覚えたからで、スルーすると清々することに、気づいたからだと思います。 SNSのミュート機能の便利さが、多くの人に実感されて、ミュート機能がリアルの世界にも、逆流しているということだと思います。自由民主党にしろ立憲民主党にしろ、いわばフォロワーは大量にいるのですが、75%くらいのフォロワーは、実は彼らのことを人知れずミュートしている、そんな感じがいまの現実世界ではないかと思います。ブロックまでしちゃうと角が立つけど、ミュートならば相手にはわかりません。 政治に限らず、政財官学マスメディア丸っと、下々から根こそぎミュートされる、まさに大ミュート時代の到来です。狭い意味での政治だけが、ミュートされているのではありません。 ワクチンのデリバリーも、濃厚接触で自宅療養している人への食料デリバリーも、おためごかしのインフラづらをしてきたセブン−イレブンなどは、完全に頰かむりを決め込んでいますが、そのセブン−イレブンもまた少しずつ、消費者からそっとミュートされつつあります。 大学なども、開成や灘など偏差値の高いトップエリートにおいては、東大でさえそっとミュートされつつありますし、塩を振りかけられたナメクジのように小さくなる西武グループとか、3つに分けるか、2つ捨てちゃうか迷う東芝とか、マス広告そのものが消滅しつつある電通などは、消費者や得意先から、ミュートされている率が、8割位になっているイメージです。 いまさら朝日新聞とか、NHKをフォローして、おカネを支払って、喜んでコンテンツを楽しんでいる連中も、あと10年で85歳くらいになりますので、カネを払ってくれるアクティブなフォロワーが激減して、ミュート率が余裕で8割を超えてくるでしょう。 大ミュート時代とは、誰かに煙たがられると、バーチャルでもリアルでも、人間社会から秒でミュートされる、そういう時代です。ウエがシタをミュートするのではなく、シタがウエをミュートしています。お前はミュートされているんだよ、バーカという声は、民の心のなかでしか叫ばれません。 それなのにミュートされているご本人は、自分が切れ者、重要人物だと誤解したまんまで間抜けです。弱い人、若い人へのマンスプレイニング攻撃とか、マウントを取りに来る図々しさとか、そういういやらしい人は、すでにかなりの確率で、完全ミュートされていると思います。良かったですね。 これからは、その人が人間関係のメタなタイムラインでどれくらい非表示されずに、表示されているか? が重要な指標になります。ミュートされないためには、不快の圏外にいることです。毒にも薬にもならない、人畜無害の存在でいることが、大ミュート時代の基本動作になります。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-02-08 21:00:26

暴力保存の法則

徒手空拳日記 2022年2月7日月曜日 「暴力の人類史」という本を読むと、戦争、殺人、犯罪、レイプなどの暴力は、ずっと減り続けていると書かれていて、まあ、物理的な暴力は確かに、劇的に減っています。来年で関東大震災から100年ですが、100年前は、地震のあとの根も歯もないデマで、多くの朝鮮人が殺されたのですから、一見すると、日本人も暴力を卒業したのかもしれません。 でも私は、本当にそうかな? と思います。凶暴なホモ・サピエンスが、たかだか100年、200年で、平和的な動物にジャガーチェンジ、豹変したのでしょうか。 私は、人類の暴力の総量は、保存されている、と思っています。暴力を、ハードの暴力と、ソフトの暴力にわければ、暴力の全体の量は、丸で変わりません。物理的な暴力が、もっと陰湿な精神的な暴力へと潜っただけだと思います。 政財官学マスメディアでも、教育や指導の名目で、昔は、当たり前だった、物理的な暴力は、ダダ漏れ社会になり、鳴りをひそめています。そのかわりに、陰口や、仲間外れや、露骨な嫌がらせは、経済が成長しなくなり、あらゆる組織に余裕がなくなってからは、劇的に増えている気がします。殴る蹴るを封じられた、凶暴な日の丸ホモ・サピエンスは、悪知恵を働かせて、身体的な暴力よりも、もっとひどいダメージを、ターゲットに与える方法を、来る日も来る日も洗練させている、そう捉えるべきです。 米国の平均寿命は、最近短くなってきているのですが、これは、人を殺すのに刃物が要らなくなっているだけ、だと思います。ITやドラッグなどのメディアをフル活用することで、気にいらない人間の尊厳を奪う方法が、研ぎ澄まされています。狙ったスケープゴートから、住む家を合法的に奪ったり、エタノールやオピオイドを野放図にして、わざと依存症に追い込んで尊厳を奪ったり、日の丸人類は、殴る蹴る以外の陰湿な暴力で、弱い人々を、ひどい目にあわせています。 2019年の映画「ジョーカー」がえがいたのは、システムによる暴力への、スタンドアローンの、身体的な暴力による反抗ではないか、という気もします。世界のあちこちで大量にみつかる人骨を分析すると、鈍器でなぐられたり、拳で叩かれた形跡が多くみてとれるのですが、現代の暴力は、徹底的にソフト化されているので、数千年後の遺骨からは、ほとんど暴力が読み取れないでしょう。 人は、肉体的な暴力の心配が減ったぶん、精神的、システム的暴力の不安に怯えています。2万年前の怯えとは、質が異なるだけです。安心しなよ、これでリラックスして、といって権力者からおためごかしにあてがわれるTwitterやFacebookも、エタノールもオピオイドも、現代の暴力装置のエコシステムなのです。ホモ・サピエンスのとてつもない残虐さが、コロナ禍でますます明らかになっています。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-02-07 21:00:02

エタノールなしのスタンドアローン

徒手空拳日記 2022年2月6日日曜日 西村賢太は、父親が性犯罪でつかまって、家庭が崩壊して、母親や兄弟とも縁を切り、中学を出て無縁者となり、鶯谷の風呂なしアパートをふりだしに、あちこちで家賃を踏み倒しながら、日雇いで生き延びていました。 西村賢太とぱっとみが似ている中上健次は、実は新宮の親から、かなり仕送りをもらってたらしいので、西村賢太のほうが、圧倒的に無頼だったと思います。 彼の部屋には、テレビもなかったので、安い古本を娯楽としてむさぼり読み、それを通じて身につけた文学的素養を資本に、芥川賞作家になりました。 その彼が、先日赤羽からタクシーに乗車して気絶して、そのまま帰らぬ人となりました。54歳でした。いわゆる生活習慣病か、コロナか、あるいはそれ以外か、死因ははっきりとしませんが、今の時点でひとつ確かに言えることは、人生100年時代なんて、本当にしょうもないプロパガンダだな、ということです。100年生きるかもしれないのは、いま生まれつつある次の世代の人類であって、いまの中高年は、ほぼ、ほぼ、100年なんて生きられません。むしろ、西村賢太みたいに、いつあっけなく死ぬか、わかりません。 西村賢太が目指していたのは、世知辛い世の中から切り離された、スタンドアローンだったろうと思います。執筆はすべて手書きで、SNSの発信も丸でありませんでした。親兄弟との縁切りにしても、貫いた独身にしても、根っこにあるのは、親が犯罪者となって冷たくされた、徹底して冷たい、この世の中への見限りではないかと思います。 私も、西村賢太からエタノール、砂糖、油、塩の過剰摂取を除いた、余計な人を寄せ付けない彼のライフスタイルをマネできたらいいなと思っています。 政財官学マスメディアの朱子学カルトから切り離された「個体」として、スタンドアローンで生きると、とくに男の寿命はぐっと短くなります。北海道で完全な野良猫が冬を越せないのと同じです。曽根崎ジョーカーのように、社会からつまはじきされると、エタノールを飲みすぎたり、アモクに走ったりしがちです。逆に言えば、男性とは、社会関係資本を利用して、生き延びる動物と言えます。だからこそ、エタノールなしのスタンドアローンが、すべてを解決するのではないかと思います。エタノールなしの無頼、それこそ本当のハードボイルドではないでしょうか。 海水に落とされた一滴の雨水でありながら、かたいコーティングの皮膜で覆われたまま、海水とは結局最後まで交わることなく、蒸発してしまう生き方が最高だと思います。西村賢太もエタノールさえ破滅的に飲まなければ、あと10年は書いていられたのではないかと思いますが、彼の作品をほとんど文芸誌で読んできた私は、彼を偲んでまた作品を読み返そうと思います。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-02-06 21:00:35

政財官学マスメディアから切り離された「個体」として生きよう

徒手空拳日記 2022年2月5日土曜日 RADWIMPSの野田洋次郎は、2020年5月の雑誌、RollingStoneで次のように言ってます。引用します。 僕自身は、国というものを信用しなくなりました。 一切。 一応この国に 住むために税金は納めますが、 意識として、金輪際、「国」というものから切り離した個体で生きようと思っています。 中略 僕はもう期待 もしない。自分と、 自分の大切なものは自分で守る。今はそういう気持ちです。以上で、引用は終わりです。 政財官学マスメディアの、やたらとしょうもない朱子学カルトから、完全に切り離された、個体として生きよう、身軽に、気軽に、胃のなかも軽々と、空っぽで、それが私の願いです。精神的なスタンドアローン、オフグリッドです。政財官学マスメディアとのディスコネクテッド、浮世離れをどんどん進めます。私が唾を吐きたい相手を端的に具体化すると、オリンピックの開会式をわざとらしいトーンで実況する、NHKのアナウンサーになります。 コロナ政策も、なし崩し的に完全崩壊しましたね。おめでとうございます。気づけば死者の数も毎日イナバ物置、100人死んでもだいじょーぶ、奈良の偽装うな源の、うなぎのぼりです。コロナは実は、ただの風邪という風評を、国民国家が総出でつくりあげ、ステルスマーケティングしています。 みなし陽性が家庭内にジュクジュク浸透して、もはやなにもせずただピークアウトを待つだけ、ご臨終まで、匙を投げつつあります。火事にたとえると、消火活動もやめて、呆然と燃え尽きるのを待つ、そういった状況ですね。いくら愚かだといっても、アベノマスクで草木染めしてる場合ではありません。 私などは、もはや税金を払うこともほとんどなくなりました。サラリーマンやめるということは、赤字を垂れ流すということです。金の切れ目は縁の切れ目、国民国家システムからのさようなら、離脱です。令和とは、グッド・バイと読むのですね。ようやく気づきました。 団塊の世代が自然消滅するまで、臭い物に蓋をしておきます。政財官学マスメディアと民の関係は、人間と野良猫の関係と相似形です。愚かな民は、TNRで少しずつ滅んでいるのです。TNRとは、捕獲して、避妊して、リリースするプロセスの頭文字です。 アホな民を、スクリーン、スポーツ、セックス、サケで捕獲して、いかることも、逃げることもできない、会社、学校、軍隊、病院などの施設で徹底的に去勢したうえで、マイナンバーカードを持たせて野に放つ、政財官学マスメディアによる国民統治とは、さくら猫活動のようなものです。 動物としての野生を取り戻す再野生化が必要です。カネの必要な活動を、どんどんなくしていきます。政財官学マスメディアをひっぱたきたい、そんな人がうな源のぼりで、増えてます。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-02-05 21:00:23

TNRさくら猫

徒手空拳日記 2022年2月4日金曜日 繁殖期を前に、近所の野良猫を、捕獲器でとっ捕まえて、地域のさくら猫活動支援のお金で、次から次へと避妊手術しています。私は以前、猫を飼っていたこともあり、いまのど田舎における野良猫問題も、なんとかしなきゃな、という関心があるわけですが、野良猫の避妊を進めるということは、どう考えても人間側にとってのみ都合の良いことで、野良猫からしてみたら、フザケンナとなります。 このへんだと、毎日のようにクルマに轢かれて猫が死んでいます。カラスなどの天敵も多く、野良の子猫はなかなか生き残れません。生存確率も低いし、運良く大人になっても、寿命も短いです。野良猫を見るたびに、1円も持っていない彼らが、強くたくましく生きている姿に、心が動きます。 人権ならぬ猫権の視点からすると、避妊手術は、かわいそうです。捕獲器で捕まった猫は、人間をえらくおそれて、暴れたり、失禁したりします。人間のことを丸で信用していないので、捕まった恐ろしさは、想像するととてつもないストレスでしょう。アルカイダに捕まって、オレンジ色の囚人服を着せられて、牢屋にいれられているストレスに匹敵します。だからできるだけ暗くして、落ち着かせます。 人間が、システムとして生殖をコントロールするのは罪深いことです。Netflixのドキュメンタリー「ワタシが"私"を見つけるまで」は、中国がひとりっ子政策をしていた時代に、二人目以降の女の子が、多く海外に養子として出されたその後を追跡した内容で、共産党が人口抑制をするという、壮大な実験の成れの果てをえがいています。いまこういうドキュメンタリーをつくる政治的な意図が見え隠れします。 アメ人からしてみれば、アジア人そのものが恐怖の対象であり、第二次世界大戦から朝鮮戦争、ベトナム戦争の根っこにあったのは、アジアへの強い恐れだと思います。デカップリングがどんどん進んで、グローバルスタンダードがダブルスタンダードになっていきます。私は、パソコンでローマ字入力をする瞬間に、日本が属国であることを感じます。 日本人が、パソコンで日本語を入力しようとして、アルファベットを打ち込んでしまうロスを積み重ねると、どれくらいの無駄な時間が生まれているのか、もし日本が戦争に勝っていたら、ITのスタンダードも丸で違うものになっていたのかもしれません。タイピングから音声入力へと変わっても、結局はGoogle の技術です。 今日から北京で冬のオリンピックですが、西洋から東洋へ、世界史の重心が少しずつ移動し始めています。アングロサクソン嫌いの私には、喜ばしい時代です。アングロサクソンの飼い犬としての明治維新レジームの終わりも、ようやっと見えてきます。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-02-04 09:00:43

シミュラークル音痴としてのあさり偽装

徒手空拳日記 2022年2月3日木曜日 常識なんて、ぱっと変わるわけでして、昨日まで熊本産だったあさりが、ぱっと中国産に戻りましたね。超絶メシウマでございます。 熊本のあさり偽装は、熊本の漁師や、水産加工業者のせいというよりは、政財官学マスメディアぐるみの偽装であって、いまさらながら、けしからんなどとほざく農林水産省も、熊本県知事も、カマトトを通り超えた、貧しい草野球チームのように、ミットもない、共犯者だと思います。 当事者は、「食べていくために、しかたなかった」などとほざいてますが、偽装をしなければ、食べていけない仕事は、一刻も早く、この世界から消えてなくなったほうがいいです。クレプトマニア、万引き常習者が、捕まえてくれてありがとう、なんて言いますけど、熊本の当事者の皆さんも、捕まえてもらって、ありがとうと、さあ言うべきです。 中国から大量に仕入れたアサリを、トラックで有明の砂浜に運び込み、それを砂浜にばらまいて、数日したらそれをまた拾い集めて、熊本産として、パックして売る。このサプライチェーンのあちこちに、技能実習生という現代の奴隷制度が織り込まれています。偽装だけでなく奴隷制度まで取り込まないと、食べていけないビジネスなら、いますぐ、それこそ秒で、消滅するべきだと思います。 日清食品のUFOは、焼きそばと名乗っていますが、みんな焼きそばだとは思っておらず、焼きそばUFOが、ホンモノの焼きそばを偽装しても仕方ないように、中国産あさりやうなぎは、それそのものがオリジンのジャンルなのです。シミュラークルって概念は、有明の偽装バカにはわからないかもしれませんね。UFOはホンモノの焼きそばじゃないもんなー、とか気にしているのと、熊本のフェイクあさりは、丸でおんなじですね。 徒手空拳日記は日記ではありませんし、阿佐ヶ谷姉妹も姉妹ではありません。回転寿司も寿司ではないですけど、だれもそんなこと、気にしてませんよ。焼きそばUFOの日清食品は、日清製粉とはまったく別物です。なんとなく立派な会社に見えるから、日清食品と名付けただけです。それでもUFOは、超絶おいしい。屋台の焼きそばより、ある意味おいしいから、売れてるわけです。 地産他消とか、生産者との絆とか、そんなものちゃんちゃらおかしいなと思います。ホンモノ志向なんて、単なる低知能です。それよりは、焼きそばと堂々と名乗りながら、鉄板で焼いてない日清焼きそばUFOを、アホな人たちは見習うべきです。 あさりだって、国産じゃなくていいんです。そんな当たり前のことに気づかない、地方再生、地域おこしバカは、絶滅したほうがいいと思います。はまぐりとホンビノス貝みたいに、あさりではない名前を、つければいいんです。 過ちに引きずられ、傾いたまんま、熊本産あさりを売って食う飯はうまいですか? 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-02-03 21:00:23

ぶっちぎりのジョーカー先進国

徒手空拳日記 2022年2月2日水曜日 結婚して、子どもがいるおんなのことを、その子どもの名前にママをつけて自ら名乗ったり、ママ友からそう呼ばれたりする奇妙な習慣が、日本にはあります。石原慎太郎も、選挙演説では、裕次郎の兄って、自ら名乗ってました。なんちゃらくんのママ、裕次郎の兄、安倍晋三の弟、それらは要するに、ステルスな生き方です。石原慎太郎も、私に言わせれば、年老いても丸でチックの治らない、矢鱈と気の小さいステルス政治屋さんで、死ぬときも、相当こわがっただろうなと思います。 ステルスな生き方とは、朱子学カルトの政財官学マスメディアにおける、凡百の生き方そのものです。おのれを、透明な存在であると酒鬼薔薇聖斗が書いたのは、1997年ですから、どう考えても、日本はぶっちぎりのジョーカー先進国です。最近の、いわゆる無敵な人による、いわゆる拡大自殺は、この美しい国では当たり前過ぎて、ああまたか、で忘れ去られていきます。 例えば、昨年連続して起きた、小田急や京王線ジョーカーは、2018年6月の、新横浜を出て名古屋までノンストップの時空を狙い撃ちした、新幹線における無差別殺人の劣化コピーでしかありませんし、米国における2019年の映画、ジョーカーなんぞも、日本では1981年の深川通り魔殺人事件などにすでに、ジョーカーのリアルな生き様が、くっきりと見て取れます。 無敵の人、あるいは関係弱者を生み出すのは、似たりよったりの除け者がステルスにひしめき合う社会であって、膨らんだ憎悪が、脆い箇所からゆっくり破裂していきます。こうした暴発は、アモクと呼ばれ、関係弱者をいたぶることで、集落の安定をはかる農耕社会にひろく見られる現象です。アモクの語源をさかのぼると、決死隊の戦士を意味するマレー語から出ているといいます。このアモクの発作が起こると、はげしい興奮状態のもとで、破壊的な攻撃性を示し、刀で人に切りかかったりするが、ついには疲労困憊して倒れ、あとに記憶の欠損が残る、と言われます。 日本はその冷たさや陰湿さにおいて、昔から大して変わっておらず、冷戦のおかげで世界の富がたまたま日本に流れてきて、都合よく覆い隠されていただけで、富が日本から流れ出てしまって、また昔の、いやらしい現実が露呈しているだけです。 透明な存在のステルス関係弱者への富の分配が丸っとなくなり、それがアモクの引き金となっているだけで、秋葉原ジョーカーの加藤智大にしろ、新幹線ジョーカーの小島一朗にしろ、世が世なら今頃は、まだ透明な存在のまま、大人しく朱子学カルト社会で、ひっそり息をしているだけなのかもしれません。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-02-02 21:33:37

統計、あさり、うなぎ

徒手空拳日記 2022年2月1日火曜日 お店のイメージとやらを守りたいがために、中国産のうなぎを国産と偽って販売した奈良の、うな源という鰻屋さんは、食品に関する表示偽装などの情報を集めている、食品表示110番にタレコミが入り、店のイメージをかえって再起不能なレベルにまで悪くしてしまいました。これって日本の中央官庁がやってる間抜けな統計偽装と、構造は丸で同じで、わらわら笑えます。 このうなぎの件、実際はどうかわかりませんが、こういったチクリ、タレコミは、多くの場合、恨みによる内部告発です。ダダ漏れの止まらない真っ白なパノプティコンでも、バレなければなにをやっても構わないといまだに考えている愚か者たちは、中央でも周縁でも、まだまだ滅びる気配がありません。 中国産のあさりを、熊本の砂浜にばら撒いて、すぐに回収し、それを熊本産と偽って、全国に大量出荷している実態も、先日テレビで思いっきりアンプリファイされていましたね。こうした偽計、偽装、欺瞞は、奈良のうなぎ屋さんや、熊本の漁協だけではなく、日本全国どこにでも、当たり前のように、近親憎悪でチクられるのを待っています。私に言わせれば、国産なら買う、中国産なら買わないという、頭の悪い消費者を大量に作り出している、イーオングループとか、そういうところのせいだと思いますが、こうした嘘は、日本のあらゆるところに頭隠して尻隠さず、内部告発でいくらでも曝される寸前だと思います。 信頼関係の著しい破壊が不可逆的に進んでいるのが、政財官学マスメディア、朱子学カルトの美しい国、ニッポン社会です。実はそもそも信頼されていないので、奈良のうなぎ屋さんのように、一度バレてしまうと、売上が一気にゼロになってしまいます。よかったですね。 ふるさと納税なども、似たりよったりの嘘ばかりだと思いますので、これからはふるさと納税返礼品の、醜い嘘や、汚らしさ、人のいやらしさがどんどん暴かれて、総務省がふるさと納税をなし崩し的になくしていくだろうと思います。 実際に、高知県奈半利町では、地方公務員が返礼品業者などから賄賂を受け取ったり、国に虚偽の報告をしていたことがばれて、社会的に抹殺されていたり、宮崎県の都農町は、寄付額の3割以下とした基準を、大幅に超える返礼品を送っていたとして、ふるさと納税の対象自治体としての指定を取り消されています。日本人の醜さ、いやらしさは、港区にもど田舎にも遍在しており、少しでもトクをしたい愚かな民を、なんべんでも欺く構造になっています。ふるさと納税で、一見するとトクをしたと思わされていながら、別のところで増税されて、結果的にはとりかえされていることにも気づかない馬鹿者が、本当に哀れですが、そういったあさましくもさもしい国民国家にたどり着いた朱子学カルトは、ひとことで言えば、自業自得だと思います。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-02-01 21:00:37

日本もテレポリティクスからツイポリティクスへ

徒手空拳日記 2022年1月31日月曜日 日の丸バーニー・サンダースを狙っている菅直人に、ヒトラー呼ばわりされた維新や橋下徹が、矢鱈とイキってますけど、私に言わせれば、維新とは2009年の大阪大恐慌でうまれた、ただのしょぼいナチスなので、維新の政治屋さんどもをもしヒトラーと呼ぶのなら、しょぼいヒトラーと呼んだほうが、より適切だろうと思います。吉村洋文が毎日記者会見で着ている、ミズノの万博ロゴ入りコートみたいなユニフォームも、しょぼいヒューゴボスみたいで、かっこ悪いし、気持ち悪いです。 テレポリティクスからツイポリティクスへ、劣化の歯止めが丸で効かない日の丸政治屋さんですが、テレポリだろうとツイポリだろうと、どちらにせよこの問題の本質は、維新のプロパガンダだろうなと思います。ブレイクとは、バカに見つかることなので、維新のブレイクも、大阪の没落したバカに見つかることで、盛り上がっています。 これは、立憲民主党とはいまも結局、菅直人がのさばっている老害民主党なんですよ、という、維新によるネガキャンです。鳩山由紀夫、菅直人、蓮舫あたりは、定期的に吊るし上げれば、それなりに、バカな維新支持者の盛り上がりを期待できます。 オミクロンそっちのけの、こんなしょうもない政局の裏で、ガソリン価格の高どまりが続いています。売り惜しみは、春になって北半球の寒さが和らいでも、落ち着くわけもなく、ウクライナの情勢次第では、さらなる値上がりもぜんぜんありえます。ガソリンが上がると、更にいっそう消費をしなくなるので、ますますデフレが進むという、これはいわば、Do not go to キャンペーンです。 1941年に日本がアメリカと戦争を始めたのは、オイルが足りなくなったからで、敗戦後に石油への依存をなくすためにがんばった原子力も、世界史で最悪の原発事故を起こしてしまって使えなくなり、いまとなっては再生可能エネルギーにも、出遅れまくりで、日本はエネルギー政策においてすでに詰んでいる、と思うのは私だけでしょうか。犯罪者省庁の経済産業省が、ガソリンの価格を抑える追加政策をやるかも、なんて言ってますけど、そもそもエネルギー政策を犯罪者省庁がやってる時点で、終わってます。 私がやろうとしているのは、クソな日の丸グリッドからの自立で、政財官学マスメディアとのつながりをできる限り切断したいと思っています。明日はもう旧正月で、これから少しずつ春めいてきますので、自転車ライフにシフトします。やりたくない仕事はますますやらずに、経費で書籍をバンバン仕入れて、店番と称して好きな本を読みまくります。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-01-31 21:00:58

ブレイク狙いを排除

徒手空拳日記 2022年1月30日日曜日 ブレイクするっていうのはバカに見つかるってこと、と言ったのは有吉弘行ですが、ブレイクしてメジャーになることを目的にするから、バカに注目されなきゃならなくなり、いつの間にか、B級グルメとか、ゆるキャラとか、バカが喜びそうなものじゃなきゃダメという、本末転倒が起きてしまいます。 政財官学マスメディアがひたすら追い求めているのは、要するに、ブレイクすることなので、この国で、サラリーマンをやるということは、なんらかのかたちで、自分の勤める組織や仕事が、どんどんバカに見つかるようにがんばることだったりします。 とにかく経済をまわせ、絶対に経済成長だとみんながいうとき、その成長とは、ブレイクを狙う、ことそのものであって、ブレイクイコール立身出世、そんな短絡が起きています。たとえば、犯罪者省庁の経済産業省などは、国家公務員でありながら、仕事そのものがすべてブレイク狙いとなっています。地方再生をになうはずの地方公務員も、しょぼくてあさましくてさもしい、ブレイク狙いです。 ブレイク狙いのさもしさ、あさましさから遠ざかるためにも、ブレイクしない生活が何よりも大切です。ひなには稀な本屋で、やろうとしているのは、いわゆる文脈棚で、あいうえお順とか、ジャンル別に本を並べるのではなく、神の視点で、似ているDNAの刻まれている本を並べるイメージです。 私が目指している方針は、ブレイクを狙っていない本しか扱わないというもので、売らんかなの本とか、朱子学カルトのうわべばかりの精進に与するものは、最初から、死んでも置きません。つまり、幻冬舎とか、プレジデントとかは、門前払いです。自分自身や、自分の属する組織をブレイクさせるための読書なんて、中田敦彦のYou Tubeチャンネルでもみとけば、事足りると思います。 私が勤めていた会社では、チャリティー目的で、社員が読み終わった本を無料で寄付して、その本を一同に並べて、欲しい人は自分で値付けして買う、というなかなかいいイベントがあったのですが、集まる本の中身が、どんどん劣化していきました。つまり、ブレイク狙いの本ばかりになりましたので、会社の劣化とは、従業員の読む本の劣化でもあるなと気づきました。 ブレイク狙いではない書籍の市場は、実はあんまり変わっておらず、図書館では誰も借りないので自由に借りられるし、そういう本はリセールバリューもあるので買っておいて損もありません。ブレイク狙いとは真逆の良書だけを、経費で仕入れます。クルマを法人利用するよりも、本を法人利用すべき、アホなエタノール接待で経費使うより、ブレイク狙いではない本をじゃんじゃん買って、ど田舎に並べます。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-01-30 21:27:30

ゾーエとビオス

徒手空拳日記 2022年1月29日土曜日 昭和18年から19年くらいの、社会の停滞は、高見順の日記を読むとよくわかりますが、コロナ禍の最近2年も、その滞りっぷりでは、ほとんど敗戦前の2年間とおんなじあるいは、それ以上だろうなと思います。あの時も、飲み屋はしまってたし、政治屋さんはみーんな、底が抜けた無能でした。いまとおんなじですね。 民主制においては、地理的な一票の格差はちんたらと是正されますが、年齢的な一票の格差は、丸で是正されることなく、日本では投票率の高い、老い先の短い高齢者だけがトクをする仕組みになっています。 私の、19歳から20歳までの2年間は、気づけばすでに半世紀生き終わった、いまの2年と比べて、はるかに価値のある時間だったと思います。ゾーエとビオスという考え方があります。ゾーエとは動物としての生です。息をして、脈がある状態としてのライフです。人間には、ゾーエだけでなく、ビオスがあります。 ビオスとは、社会的な生です。食う寝るだけでなく、むしろ寝食を超えた、人と人の間にこそ、生きている喜びがあるわけです。でもいまは、コロナ対策の名のもとに、ゾーエばかりを重視して、とくに若者たちのビオスがないがしろにされています。飲食や遊びなど、ビオスの産業が潰れて、そのあおりを食らってうつ病になったり、失業して生活困窮者になってしまう問題に、見て見ぬ振りをしています。 私みたいに、極端にビオスのない人間には、ウィズコロナは無敵です。オミクロンで、さまざまな社会活動がなくなると、ひそかに心のなかでガッツポーズしています。水を得た魚のようです。休みの日は、テントの外に置いたスマホでYou Tubeを聞きながら、ひとりでテントサウナです。ロウリュで湿度を上げて、喉をいたわります。 気がつけば、この国の感染症対策は、ゾーエもビオスも、虻蜂取らずになってきて、もし仮にコロナにかかっても、容態急変のロシアンルーレットは誰も見てない自分の部屋で、ひとり引き金を引けということです。昭和20年に戦争が終わって、混乱はサンフランシスコ講和条約までとしても、7年は続きましたので、今回のコロナ禍も少なくとも2026年くらいまで、混乱が続くと思います。 その見通しと覚悟で、ライフスタイルを修正していく必要があります。政財官学マスメディアで朱子学カルトを続けていると、長い目でみた戦略構想ができません。ましてやエタノールなんて飲んでいると、機会は失われるばかりです。明日もまた、おうちのテントサウナで汗をかいて、ゾーエの拡充につとめたいと思います。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-01-29 21:00:08

不幸のチェーンメール

徒手空拳日記 2022年1月28日金曜日 アベノマスク、無料でもらえます! 明日締め切り というタイトルの、不幸のメールが、知り合いからまわってきました。戦慄しましたね。 厚生労働省のサイトで申し込めば、送料も無料ですって、いやいや、その送料はお前の納めた血税ですよ。ガーゼをほどいてつなげて、草木染めしてアップサイクルしてますとか、煮沸してコーヒーフィルターにしてますとか、そういうソリューションは、本当にどうでもいいです。ソリューションのコモディティ化そのものです。アベノマスクなんぞ、四の五の言わずに速攻で捨てたほうが、全体の利益になります。草木染めしたいひとは、ゴミ箱から勝手に持ってけよ、それだけのことです。 サンクコストの意味をまるで理解できず、アベ政権の失策を隠す目的で、ムダな保管コストにとどまらず、さらにムダな、マスク希望者への送料にまで税金を溶かしてしまう神経は、絶望的だと思いますので、その不気味なチェーンメールもそっと完全削除して、バカが伝染ると困りますので、その知り合いからのメールも、フィルタリングでゴミ箱直行便になるよう、設定しなおしました。おそらくは官僚にも、バカなふりしてアベノマスクの送料で、苦しい日本郵便の台所を救うみたいな、官官接待、いわば公助の精神もあるのでしょう。 私は、そうした偽計、偽装、欺瞞のデパートである政財官学マスメディアを、いっさい信用しておらず、病院におけるエクモと人工呼吸器の稼働数しか、コロナ禍の指標として信用していないので、いま起きている感染拡大騒ぎは、別にどうでもいいなと思って、とくに気にもせず生きています。この2年、日本に大量に存在していたのは、検査さえしなければ陰性という、みなし陰性でしたので、いまは、検査しなければ陽性という、みなし陽性の反転がわらわら出てきてて、笑えます。まさに自助一択の棄民政策が完成されつつあります。 私はお酒を一滴も飲まず、飲食店もはなからほとんど行かないので、生活にも変化なしです。大島てるの事故物件マップみたいな、ジョーカー出没マップがあったとしたら、ジョーカーが集まるのは要するに、人が多くいる場所なので、都市部や繁華街に出かけない私からすれば、コロナ感染もジョーカーも、所詮は他人ごとでしかありません。 マスメディアやソーシャルメディアの自称ニュースって、多くの人が面白がる内容に自動変換されてしまうので、読むだけ時間の無駄ですね。アベノマスクのチェーンメールと、マスメディアのニュースに、なんの差もありません。NHKも、国民から毎年7000億円掠め取って、やってることはニュース女子で、笑えます。それでも見たい人はどうぞ、はいさようなら、そんな感じです。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-01-28 21:00:47

歩くことはレジスタンス

徒手空拳日記 2022年1月27日木曜日 レベッカ・ソルニットの「ウォークス 歩くことの精神史」という、人類にとって歩くことの意味を考えた本が好きで、なぜかというと歩くことが、思考と文化に深く結びつき、創造力の源泉であることを解き明かしてくれるからなのですが、この紙の本のカバーを外すと、表紙に刷られているのは、『東海道五十三次』の「庄野 白雨」です。 ソルニットはこの本の中で、東海道五十三次を、「道が歩く者のためにあり、映画が木版画であった時代のロード・ムービー」と書いています。庄野宿とはいまの三重県鈴鹿市で、いまではホンダの工場や、サーキット場のあるばりばりのモータウンですが、かつては歩行者天国だったのですね。白雨とは、夕立やにわか雨のことで、人々が突然の雨に打たれながらも移動するシーンは、本当に動画のようです。木版画を動画のように見せるアートの対極にあるのが、いまの日の丸Netflixの残念なコンテンツ群で、動いているはずなのに、すべてが静止しているように見えてしまいます。 散歩の話に戻すと、鉄道や自動車ばかりが、移動を席巻していた20世紀が終わり、歩くことだけの価値がじわじわと再発見されているのが、現代ではないかと思います。私もコロナ禍をきっかけに、歩くことがより重要な生活時間となり、AirPodsをつけながら、リモート会議さえできてしまうテクノロジーの進化とともに、ディスカバーマイセルフ、自己再発見としてのウォーキングが、毎日の楽しみになっています。 ソルニットは、誰もが歩くことについてアマチュアである。だからここで語られる歩行の歴史は、アマチュアによる歴史だ、と書いています。明治維新以後、ポッポ屋にしろ、トヨタにしろ、みんな資本家で、妙に偉そうで、大衆を小馬鹿にして、朱子学カルトの本丸として君臨してきましたけど、リニアモーターカーは頓挫しそうだし、トヨタのハイブリッドカーも完全にオワコン化して、テスラなどに塗り替えられつつあります。ソルニットは、人類にとって、歩くことはレジスタンスでもあった、と書いています。ひたすら歩くことで、ポッポ屋やトヨタを、己から遠ざけたいです。 最近よく言われる「悪い円安」という言葉、不気味ですよね。彼らがあるという「良い円安」とは、しょうもないクソ企業、トヨタを延命させるための円安誘導のことでしたけど、円安に誘導しすぎて半導体を買ってこられない、というお間抜けな事態を招いていますし、そもそも己の貨幣価値を低くすることは、例外なく悪いことであって、良い円安なんて最初からありません。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-01-27 21:00:23

不潔と危険はほぼほぼ同じ

徒手空拳日記 2022年1月26日水曜日 私は丸でノータッチのふるさと納税も、気づけばすっかり変わってしまったみたいで、いまでは、トイレットペーパーとか、アサヒスーパードライとか、あるいはSK-IIとか、ナショナルブランドの工業製品が人気のようです。つまりは、ふるさとを応援するという取ってつけたようなコンセプトはすっかりなりをひそめて、単なるファクトリーアウトレットです。 最新の状況は、ふるさと納税でがっぽり寄付を集めるために、ふるさと納税で人気の返礼品を製造する工場をおらが村に誘致するという、完全に気の狂った倒錯に向かっています。極東のソビエトも滅亡寸前です。 これまでの売れ筋だった、牛肉とかカニとかうなぎは、調達コストがどんどん値上がりして、ふるさと納税のルールではもはや返礼品にはできなくなりつつあるのと、ふるさと納税で送られてくる牛肉やカニは、クソまずいことがバレてきて、マズイかもしれない地方の生鮮食品を返礼品にするよりは、SK-IIならハズレがない、そういういわば、質への逃避が始まっています。 さらに言えば、ど田舎の、衛生管理もよくわからない工場で生産、加工されたものは、食べたくないという、ホワイト革命の兆しもありそうです。食品なら、HACCPでちゃんと管理している、名の通った大手のものにしたい、そういうリスク回避も、強まっているように思います。不潔と危険は、ほぼほぼイコールになったと言っているのは岡田斗司夫です。不潔も暴力も、丸っと危険なフラグとして回避されます。 誰の手が握ったのかわからないおにぎりは、コロナ禍が去っても、もう二度と誰も食べなくなるでしょうし、私としては、人の握ったにぎり寿司も、もはやあまり食いたくありません。高級な店の寿司も、そんなに遠くない未来に、オーディオテクニカのロボット寿司が握るようになると思います。 酒を飲まない私からすると、吉田類の酒場放浪記に出てくる居酒屋なども、もはやぎりぎりアウトです。おカネを触った手で、そのまんまお料理しているお店は、少しずつ不人気になると思います。ペットを飼ってる飲食店や、民宿などもだめですね。ふるさと納税で検索上位に上がってくる返礼品も、本当に人気なのかどうか、あやしいです。どうしてもふるさと納税をするならば、メルカリで高く売れる商品を選ぶだろうなと思います。 コロナ禍を通じて、不潔と危険はほぼ同じになりましたので、不潔かもしれないものは、徹底的に選ばれなくなります。キタナシュランとか、オモウマい店、あるいは民宿なども選ばれなくなりますね。私がテントサウナやるのも、不特定多数の風呂にはいるのがイヤだから、という要素が大きいです。不潔はもちろん、不潔かもしれないものが、とことんさけられる、きっとそうなります。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-01-26 21:00:10

みわたすかぎり頭をそろへて拝礼してるZ世代

徒手空拳日記 2022年1月25日火曜日 日本におけるZ世代とは、阪神淡路大震災頃から、東日本大震災頃までの、2つの大きな災いのあいだに生まれた人々のことを、意味します。 バブル直前の米国との経済戦争に、竹下登政権が完全に負けて、その負けっぷりがじわじわと目に見えてきた、地下鉄サリン事件の起きた年、ウィンドウズ95の発売くらいから、iPhoneの発売とSNSの普及くらいまで、要するに米国のデジタルプラットフォーマーが日本人の魂を占領して、金融とITで日本が完全に米国の属国となってから、この日本に生まれた人々のことを、Z世代と呼びます。 私からすると、コメツキバッタのように米軍にひれ伏す、政財官学マスメディアのことを、正しくて、かっこいいとインプリンティングされている、のっぺらぼうの人々、それがZ世代ではないかと思います。 一昨日の名護市長選挙の投票行動をみても、Z世代ほど自民党支持が有意に高く、これはつまり、支配体制に対して反抗的な人間よりも、米軍に飼いならされている人間を、頼もしく、好ましく感じる特徴があるようです。 物言えば唇寒しで、反抗や批判する人間を、危険であり、野蛮であるとして警戒したり、排除したりする傾向は、私に言わせれば、己の意思では鍵のかかっていない檻から決して出てこようとはしない、一種のセルフネグレクターでしかなく、一瞥の価値もないなと思っています。 AKB48とか、ジャニーズのように、よりすぐりと言われる若者たちでさえ、元気で明るくちょっぴりエッチ、それなのにとことん謙虚なそふりもうわべだけのようで、私からすると世界の若者と比べて決定的に表情がなく、目が死んでいます。 つまり、日本のZ世代って、ほぼほぼセルフネグレクターではないかと思います。国家と家と企業と軍隊と学校と病院によって、動物としてのバイタリティを完全にひっこ抜かれています。 私から見ると、彼らは非行少年ではなく、政財官学マスメディアによって考えることを封じられた、非考少年です。壮絶ないじめ地獄を生き抜くために、悪目立ちしないように、いたずらに自己肯定感を強くして、落胆しないように、大人を信頼して騙されないように、五感をとことんにぶらせて、怒りの感情を忘れ去り、世界と己の間に頑丈な、真っ白い壁をつくりあげています。 人間の動物らしさを毛嫌いし、自ら進んでロボットのように生きていく、アルファベットのZとは、最後の文字であり、つまり何らかのリニアの行き詰まりですけれど、Z世代の行く末など知ったことではないし、彼らと対話するくらいなら、もうこの世に生きていない、死んでしまった変人、たとえば金子光晴の書いたものを読んでいたほうが、私としては、全然いいなと思います。 金子光晴 の「おっとせい」を引用します。 だんだら縞のながい影を曳き、みわたすかぎり頭をそろへて、 拝礼してる奴らの群衆のなかで、 侮蔑しきったそぶりで、 ただひとり、 反対をむいてすましてるやつ。 おいら。 おっとせいのきらいなおっとせい。 だが、やっぱりおっとせいはおっとせいで ただ 「むこうむきになってる おっとせい。」 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-01-25 21:00:57

ホワイト革命がクレンジングするもの

徒手空拳日記 2022年1月24日月曜日 ゆるキャラ、B級グルメ、みちの駅などは、田舎を元気にすると見せかけて、結局のところは、単なるハコモノや、効果のよくわからないセリングに、補助金を溶かすだけの、愚策でしかありません。むしろヒト・モノ・カネを吸い取られ、田舎の衰えが加速してしまうという真逆の結果を招いています。 こんなもの、総務省や国交省による利権づくり、天下りさきづくりです。あるいは楽天や、ぐるなび、トラストバンクなどというハイエナプラットフォーマーが、公金をかすめ取るだけのスキームです。インバウンドがなくなって、それらのほとんどの愚策が一気に立ち行かなくなり、気がつけば醜い内輪もめがあちこちで起きています。 ふるさとを元気にとか、地域再生とか、最近ではデジタル田園都市構想なんていう、きれいごとの薄皮をぺろっとめくれば、有象無象の欲深い地元有力者や、癒着している中間事業者などの、しょうもない我欲が、変化とは真逆の焼け太りを貪りつくしています。改革と言いながら、実は何かを変える気なんてサラサラなく、ひとことで言えば、カネ、カネ、カネ、おカネがすべての野蛮人です。 最近、岡田斗司夫が、ホワイト革命なるコンセプトを明らかにしています。私なりに彼の唱えるホワイト革命をひとことでいえば、全世界のシンガポール化、だろうと思います。つまりは、プラットフォーマー権力による高度な監視、空気による同調圧力によって、野蛮な言動が徹底的にクレンジングされていく世界です。とにかく潔癖であることを、眠っている間さえも、システムによってしいられる、真っ白なパノプティコンと言えます。 ブルータリティとは、人間らしさの真逆にある獣性のことで、人間という動物が垣間見せる野蛮さ、汚さ、エゴイズムなどの醜さの、総体を意味するものです。身体的な身ぎれいさだけでなく、言葉遣い、行動、ありとあらゆる側面で、ブルータリティが排除される社会です。 このパノプティコンに都市も田舎もなく、田舎もあっという間に、ホワイト革命によって、クレンジングされていきます。古い世代の、醜い獣のような振る舞いが徹底的に忌み嫌われて、排除されていくと思います。ありとあらゆるブルータリティが許されなくなって、獣のような言動は記録され、どんな辺鄙な田舎でも許されず、あっという間に全国へと拡散します。例えば、地方自治体のクビ長が、内緒で新型コロナワクチンを我先に打っていた事実は、小さな人間の醜さ、いやらしさとして、軽蔑とともに日本全国に拡散しました。 都市と田舎のような区別がなくなり、汚いもの、野蛮なもの、いやらしいものはこれから徹底的にクレンジングされていくでしょう。日本のあちこちで、草の根のチクりや、つるし上げが起きてくるでしょう。良かったですね。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-01-24 21:00:40

民を盲にしておくための5S

徒手空拳日記 2022年1月23日日曜日 日活ロマンポルノが、なぜ衰退したかといえば、高度経済成長が終わってからというもの、昼間のサラリーマンが、おサボりで場末の劇場にひとりで来られなくなったからで、つまりテクノロジーの変化というよりも、サラリーマンのサボりが見逃されなくなったという、オカミ側の要因が大きかったようです。 新橋の飲み屋なんかも、コロナ禍というよりは、ロマンポルノを昼間に見られなくなったのに加えて、夜飲み歩く経済的な余裕もなくなり、サラリーマンがノミュニケーションそのものをあんまりしなくなるという、もっと大きな変化によって、これから日活ロマンポルノのように衰退していくのではないかと思います。 サラリーマンが出張先のご当地グルメやお酒を、帰りの新幹線で楽しむ、居酒屋新幹線というテレビ番組なども、あと10年もするとほぼほぼ、成立しなくなると思います。サラリーマンの出張というイベントそのものが無駄であるとされ、社会から滅んでいくからです。 いま現在は、もっと大きな変化、つまりはサラリーマンそのものが滅んでいく過程にあるわけで、政財官学マスメディアという支配構造の終わりが近づいています。丸山健二が喝破したように、お酒はサラリーマンの飲み物なので、お酒そのものも、これからなくなるでしょう。 スクリーン、セックス、スポーツ、サケ、朱子学カルトという、敗戦後日本の民を、文字通り白痴にしておくための5つのSも、その効き目がほとんどなくなってきました。NHKや民放でスポーツ中継がどんどんみられなくなり、ダゾーンも、2月から千円値上げでなんと月額3千円になるんだゾーン、そのうちオリンピックもダゾーンでしかみられなくなります。良かったですね。 スクリーンも、映画から地上波、地上波からNetflixへと移ろいで、最近だと、新聞記者という森友問題をフィクションのテイでなぞるドラマが話題ですが、フィクションとノンフィクションをつくり手が都合よく自由往来するクソなドラマに、なんの価値もありません。 松本清張は、決してフィクションのフォーマットでノンフィクションをやらなかったのですが、それこそが作家の良心だと私は思います。いまの自称クリエイターには、そういった最低限のディグニティすらないのだなあと思います。 繰り返しになりますが、いまのNetflixジャパンは、つまんないウンココンテンツを偉そうに粗製乱造している日本人プロデューサーどもを全員クビにして、しがらみのない才能にすべてを任せるべきだと思います。 まあ、私にしてみれば、世界のあらゆるコンテンツを追いかけることに精一杯で、全裸監督とか浅草キッドとか、ちまい過去の話などまるで見る気にもなれず、Netflixは海外の人気作品を見ておけばそれで満足で、日本人がつくった日本人向けのNetflixなんぞ、丸でどうでもいいな、と思っています。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-01-23 21:00:42

お菓子のホームラン王、完全子会社化

徒手空拳日記 2022年1月22日土曜日 ナボナはお菓子のホームラン王です、でおなじみの、亀屋万年堂の会長が自殺したのは2011年4月ですが、だいたいそれから10年経った昨年1月に、亀屋万年堂は、お菓子のユニクロとでも言うべきシャトレーゼに買収されてしまいました。 完全子会社化といえば聞こえはいいですが、要するに札束で頬をひっぱたかれる、ということです。気がつけば当然ながら、亀屋万年堂の社長は、シャトレーゼ出身者に、いつの間にか変わってしまいましたし、かつてお菓子のホームラン王と呼ばれた、ナボナのリニューアルなども、シャトレーゼの指図通りにへいこらと行われ、自由が丘を中心にあちこちの東急線駅前にある亀屋万年堂は、事実上の駅前シャトレーゼに変わってしまいました。 自殺した会長は、創業者の息子でしたけど、成長、成長、また成長で事業を転がして、結局はどこかに買い取られてしまうくらいなら、はなからもっと小さな規模で、身内や従業員のために経営しておけばよかったんじゃないかと思います。コロナ禍もあって、零細なパン屋やお菓子屋もバンバン潰れていますので、小さくやれば大丈夫というわけにもいかないようですが。 CMタレントに、絶頂期の王貞治をキャスティングして、電通にべらぼうなコミッションをむしり取られながら、ナボナで有名になっても、それって要は、政財官学マスメディアによる単なるステマでしかありません。電通に頼み込んで、ようやっとテレビCMを打てるようになると、その会社も一流だなどと、経営者が考える時代もありましたが、いまでは冗談のような都市伝説ですね。令和4年のいま、テレビCM打ってるような企業は、堕ちたエスタブリッシュメントでしかなく、広告というセリングに依存しなければ成り立たない、買ってはいけないリストになっています。 政財官学マスメディアという、なんちゃってエスタブリッシュメントの一員に数えられるための、みかじめ料、それが電通や博報堂に支払う広告費の実態だったのではないかと、いまさらながらに気づきます。マス広告が単なるステマであることが、いまとなっては中学生にもバレてしまい、CMだと気づかれた瞬間に、スキップされてしまう、健全な社会に近づきつつあります。 シャトレーゼそのものは、街の小さなお菓子屋さんをぶっつぷしながら、業績は絶好調のようですし、コンビニスイーツがオワコン化して、ステマ値上げを繰り返すうちに、すっかり信用されなくなっているのに比べて、シャトレーゼはヤツドキという微妙なネーミングの高級ブランドを出すなどして、イケイケですが、買われた亀屋万年堂そのものは、ほぼほぼ終わってしまいました。いまどき、ナボナなんてうすら野暮ったいもの、誰も食いたくないですもんね。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-01-22 21:00:37

米軍のパピーミルとしての清和会

徒手空拳日記 2022年1月21日金曜日 いわゆるパピーミルと呼ばれる、市場で人気の子犬ばかりを、人の道にあらざるやりかたで、大量に飼育して売りさばき、売れ残れば遺棄してしまう悪徳業者が、あとを絶ちませんが、安倍晋三とか、その弟の岸信夫をみていると、朱子学カルトのしょうもない政治屋ミルから生まれてきた、気力も体力も、そしてなによりも知力の足りない欠陥動物、という気がします。病気がちで、とてつもなく頭が悪そうなのに、やたらときゃんきゃん吠える貧相な老犬です。 最近、安倍晋三が、劣化パピーの遠吠えのように、日経ビジネスでポジショントークの連載をはじめましたが、日経ビジネス読んで、ビジネスまわらず、いまどき日経ビジネスなんて読んでいると、肝心のビジネスがぜんぜんうまく行かなそうな気がするのは、私だけでしょうか。想定読者が経産省キャリア課長クラス前後、といった印象で、政財官学マスメディアによるオールドマンスプレイニング官報という意味では、プレジデントとの見分けが、もはや丸でつきません。 そうこうしているうちに、東京など一都三県にまたまた、まん延防止等重点措置という、しょうもないコピーライティングのやってる感満載の警報がでちゃいましたけど、世の中にはだんだんと、日の丸オピオイドとしてのエタノール依存症ミルから、量産ザクのように巷にあふれるヤバいエタノール中毒者が、こんこんと湧き出てきています。 最近の日の丸オピオイド中毒の染み出しケースとして気持ち悪かったのは、フリーランスの美容師をマッチングさせる事業のやり手役員が、エタノールに酔って若い女性に痴漢行為を働き、お縄になっていた事件で、昨年の人流抑制という、科学的には特になんの意味もない政策のあいだに、家飲みでエタノール注入が止まらなくなってしまった人々が、そのお立場やご身分を惜しみなく断舎離、暴力事件や、性犯罪事件を元気よく引き起こす事例が増えてきています。犬も歩けば棒に当たる方式で、街をふらつけば、日の丸オピオイドジャンキーに当たる、それが昨今の繁華街あるあるかもしれません。 劣化した政治屋や、エタノールジャンキーを大量に粗製乱造しているのは、敗戦後にたまたま朝鮮戦争とベトナム戦争のおかげで首の皮一枚繋がっただけの、明治維新スキームであって、今年はコロナ禍からの経済回復が見込まれるなんてまっかなウソで、明治維新レジームの崩落が半端ない加速度で進む、そんな2022年ではないかと私は睨んでいます。脱清和会の動きが加速して、今年の年末には安倍晋三が小菅プリズンに住まう事態も、なくはないかなと期待しています。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-01-21 21:00:58

2/3ファスティングのメリット

徒手空拳日記 2022年1月20日木曜日 睡眠時間8時間と、その前後それぞれ4時間の、合計16時間を断食する習慣を、ここのところ続けていますが、かなりいい感じです。食事は毎日3回、食べなければならないとか、自動車の運転は自由になることだとか、こうした思い込みは、政財官学マスメディアによる壮大な洗脳だろうなと最近は思うようになりました。 人類は火を発見するまでは、獲物の捕獲と、それをナマのまま咀嚼する時間と、内蔵に取り混んだ咀嚼物を消化することに、ほとんどの起床時間を割いてきましたが、19世紀くらいから、食事というものがやたらと重要視され、マーケティングの対象商品となってしまいました。 毎日16時間のファスティングは、何がいいのか、3つメリットを整理したいと思います。ひとつは、食べることについやす時間が、劇的に減ります。ものを食べてもよい時間が、そもそも8時間しかないので、食べられる回数が減ります。慣れてくると、とくに空腹感も覚えなくなり、それが当たり前になります。胃袋も小さくなります。食べることに使う時間が減るので、節約にもなります。どうせ食べないので、余計なものは買わなくなります。スーパーにいく回数も減りますので、エンゲル係数もぐぐっと下がります。 ふたつ目のメリットは、ますますお酒を飲みたくなくなることです。せっかく消化器官を休ませているのに、エタノールを分解させてしまうのは、論外という感覚が強くなります。塩や油も、絶対量が減るのだろうと思います。口からものをいれないということは、栄養と同時に、毒薬もいれないということになります。体調が良くなり、身軽に、気軽に、そして胃が軽くなります。 最後のメリットは、いい加減な食事をしなくなりますので、食事が貴重になります。おいしいもの、身体にいいものを、よりすぐって食べるようになります。ファストフードやジャンクフードをさけるようになります。 できるだけいい素材を、できるだけそのまま食べたいと思うようになります。カナダから大量のマックフライドポテトが届かなくて、Sサイズしか注文できないとか、そういうサプライチェーンも飢餓感の演出も、クレージーです。16時間ものを食べないということは、人類の食に関する市場が、大幅に縮減することを意味しますので、小麦や肉類などを地球規模で削減できることになります。 世界の大規模な食品メーカーがやっているひどいことは、Netflixなどのドキュメンタリーをみれば詳しく暴かれています。この200年で意味もなく拡張された胃袋を、ひとりひとりが意識して縮めていくことができれば、グローバル資本以外のみんなが、超絶ハッピーになります。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-01-20 21:00:58

仕切る、仕掛ける、仕込む、というステマ根性

徒手空拳日記 2022年1月19日水曜日 俺様こそが、世界の中心にいて、仕切る、仕掛ける、仕込むんだ、なんでもござれ、それが俺様の仕事だと勘違いしている、敗戦後の政財官学マスメディア、それこそが遅い、疎い、頭のおかしい朱子学カルトですが、彼らがひたすら敗戦後にやってきた、仕切る、仕掛ける、仕込む活動とは、要するにステマでしかありません。 彼らは、ステマのことを、プロデュースだと勘違いしています。プロジェクトXとか、ガイアの夜明けとか、カンブリア宮殿は、ステマを開陳して自慢しているだけで、反吐が出ます。政財官学マスメディアによる、仕切りたい、仕掛けたい、仕込みたいという偉そうなエリート意識のことを、ステマ根性と名付けています。 やっているのは、単なるいっちょかみでしかなく、業務委託ヒエラルキーの最上部に、発注者として偉そうに君臨しています。科学ではなくネポティズムによって駆動される彼らは、あたかも時代の仕掛け人みたいなツラをしていますが、彼らによる虚飾のガバナンスも、丸で効き目がなくなってきました。 日本のNetflixは、広告代理店やキー局から横滑りしてくる、ステマ根性120%のステマ屋さんにばかりコンテンツをつくらせているので、コンテンツに価値がなく、世界に通用しません。日本の視聴者は特殊なんだ、俺様にしか彼らを喜ばせることはできないんだというステマ屋さんのご高説を、サンノゼがスルーしはじめるのも、時間の問題です。Netflixにいまパラサイトしている日本人のステマ屋さんは、完全解雇して、総入れ替えが必要です。 昨年、東京オリンピックの記録映画を担当した河瀨直美を、NHKBSが追いかけたドキュメントの、不適切なテロップが問題になりましたけど、あれって私に言わせれば、自称映像作家のステマ屋さんを、人頭税で放蕩コンテンツをつくりまくるティアゼロのステマ屋さんが、取材しているという意味で、ステマ屋さんの自乗、ということになります。 五輪反対のデモに参加していた男性へのインタビューシーンに「じつはお金をもらって動員されている」という根拠不明のテロップが加えられましたが、政財官学マスメディアのステマ屋さんご自身もまた「じつはお金をもらって動員されている」という意味では、ステマのマトリョーシカのような構造になっています。 官僚における、ステマ根性のウンコ省庁といえば、経済産業省ですし、政治屋さんなどは与野党問わず、その仕事ごっこすべてが、ステマ稼業です。ステマ屋さんのステマ根性でメシを食ってきたすべてのエリートが、これから冷や飯を食うことになると思いますが、大切なのはステマ屋さんに簡単に踊らされる人々と縁を切り、徹底的に間遠にする環境設計だと思っています。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-01-19 21:00:33

人頭税としてのNHK受信料

徒手空拳日記 2022年1月18日火曜日 イギリスのBBCが、いわゆる受信料制度、中身は単なる人頭税を廃止して、Netflixのような市場調達に変えることを検討し始めたとのことで、合理的に、まともに考えればそうなるわけで、これはNHKの今後にも大きな影響を与えそうであり、超絶メシウマです。 外様の田舎侍による明治政府は、南北戦争で忙しい米国を尻目に、イギリスから巨額の資金提供を受けて、無血クーデターを成功させたこともあり、昔も今も、とにかくイギリス大好き、アングロサクソンの言うことならなんでも聞いちゃう、死ねと言われれば死にます、といった、アホさ炸裂なわけで、アングロサクソンによる世界支配スキームを、国際連合とコピーライティングして、76年間も奴隷状態をすすんでのぞみ、謳歌しています。おい、BBC受信料やめるってよ、と言われれば、国会議員あたりからNHKも追いかけろ、という世論が出まくりでしょう。 NHK問題とは、一心同体でつながる、民間放送システムの問題であり、国民国家のプロパガンダさえも、愚民から広く浅くかすめ取る受信料と広告費の合算で賄おうと画策するドケチ政策、つまり電通の問題でもあります。みなさまの受信料が、いまどこにたくさん支払われているかといえば、オリンピックやワールドカップといった、スポーツ・コンテンツの放映権を取り扱う電通であって、NHKの解体とは、電通の解体でもあります。 暮らしてみて、実感します。朝日新聞の届かない朝、NHK連続テレビ小説の映らない朝は、最高です。朝日新聞やNHKをいまでもありがたがっている、しょうもない団塊世代が消滅すると、日本のウルトラA級戦犯であるマスメディアも、着実に崩壊するだろうなと思います。 生類憐れみの令を越える天下の愚策である、頭のおかしなふるさと納税も、この制度をねじ込んだ高橋洋一が紐づく、清和会離れを少しずつ起こしつつあります。1万円の寄付をした人に、3000円までというきまりを無視して、6000円から8500円の牛肉を送り、およそ1億8000万円の寄付を集めていた、宮城県の都農町が先日、対象自治体としての指定を総務省から取り消されました。これから、目先の自主財源とやらに目のくらんだ守銭奴の自治体が、ふるさと納税廃止への機運を醸し出す見世物として、槍玉に挙げられていくだろうと思います。 NHKの受信料にしても、ふるさと納税にしても、その根っこにあるのは、明治維新レジームによるせこい重税政策であり、ある日突然、堪忍袋の緒が切れた大衆による袋叩きにあうということです。政財官学マスメディア丸々っと、敗戦後やたらとカチカチに凍っていた腐敗物がとけてきて、鼻がもげそうな臭いを、はなち始めています。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-01-18 21:00:47

神奈川県のオールナイト・ピンポン

徒手空拳日記 2022年1月17日月曜日 1995年の深刻なコメ不足は、1991年、フィリピンのピナトゥボ山噴火が原因でしたし、1789年のフランス革命の引き金となった深刻な食糧難を招いたのは、1783年の浅間山大噴火と言われています。 今回のトンガ海底噴火は、その規模においてピナトゥボや浅間山を越えるようで、数年後に起きるであろう深刻な事態を、我々は覚悟しなければなりません。2011年東日本大震災の17日前には、ニュージーランドで大きな地震がありましたし、阪神淡路大震災とピナトゥボ山の因果関係もないとは言い切れません。 おとといのトンガ津波で、神奈川県の緊急速報メールが、夜通しピンポン、ピンポン鳴りまくった問題、神奈川県の間抜けさは、トンガ噴火に負けずメガトン級で、しゃれになりませんね。まさしく、ダメな奴は、何をやってもダメ、の典型です。こういった初歩的な失態も、地方の小役人からすれば、業務委託した下請けがミスったので、下請けが悪いっていう言い訳になりますけど、小役人が仕様を確認していない、リテラシーの底抜けの低さこそが問題なのであって、公務員のびっくりするような劣化がこれでもかっ、と表に出てきます。しかしながら、政財官学マスメディアといえば、なべて自分はなんにもしないで、下請けにメクラ発注しかしていない超絶無能集団なので、やばいのは、別に地方公務員に限ったことではありません。 まあ、日本の緊急速報メールなんて、Jアラートが本丸の、単なるショック・ドクトリンの広告ツールでしかないので、普通の人は設定を切って、常に受け取らなきゃいいんですが、大量のスマホ設定弱者は、その止め方すらもわからず、毛布にくるんで遠くに置いていたり、対処のしかたも薄ら間抜けな人が多かったようです。そもそも、いまのスマホって、ハードもソフトも米国のおしきせなので、普通に電話するだけでも、超絶使いにくいですし、日本人はAppleをやたらと喜んで使っていますけど、iPhoneなんていまだに本当に使いにくい、クソ端末だと思います。 最近の危機対応は、なにもかも、リーダーの大胆な決断で、市民を危機から救うためのものでなく、バカか暇人か、あるいはその両方でしかない政治屋さんが、失点しないための保身警報です。オオカミ少年になりまくり、本当の危機が来たときには、信用しない人々が大量の犠牲者となります。政治屋さんと民が、丸で信頼関係では結ばれておらず、自分の身は自分で守らなければ、ひどい目に遭う、そんな時代です。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-01-17 21:00:16

セリングをマーケティングだと勘違いしている人々

徒手空拳日記 2022年1月16日日曜日 平成時代に、この国の人々がマーケティングだと思っていたことは、単なるセリングでした。セリングとは、コストのかかる販売促進活動のことです。 ドラッカーが言うように、本来のマーケティングとは、セリングをなくすことであって、最も原始的なセリングとは、安売りであり、値引きです。例えば楽天経済圏とは、つまりポイント制度という、値引きの状態化であって、シャブ中毒のようなセリングの沼でしかなく、経済圏というコピーライティングは、実態を偽る単なる虚飾です。 地方自治体の、ゆるキャラなども、典型的なセリングです。公務員がきぐるみを着て、人頭のランニングコストがかかります。なんの価値もありません。ふるさと納税という不公正装置も、セリングそのものです。この先、ふるさと納税制度がなくなれば、ほとんどの人がピタッと、地方の名産品なんて、買わなくなります。いまは、配送料がかからないうえに、2000円でもらえるからやってるだけです。 B級グルメも、セリングそのものです。肉のかわりにハートチップルを使った常総焼きそばなどは、典型的なデフレ貧困メニューです。国全体が貧しくなっていった平成時代に、マーケティングだと思われていたことのほとんどは、セリングでした。そのことにいまだに丸で無頓着な現在の50代、つまりバブル世代が日本の衰退を加速しています。 マーケティングとは、その結果としてセリングがなくなる活動です。セリングにお金を使うことは、マイナスのマーケティングコストです。しょうもないステルス広告に、税金を使っている立憲民主党とかは、万死に値します。電通も博報堂も、しょうもないセリングの企業です。トヨタイムズという、トヨタが言いたいことを一方的に怒鳴り散らしている広告活動も、それそのものがセリングであることに無自覚という意味で、絶望的です。 セリングとは、意訳すれば「売らんかな」です。いまの時代、どんなに美辞麗句を並べて、大人気のタレントをキャスティングしても、売らんかなの企業活動はスルーどころか、マイナスになります。楽天経済圏という単なるセリングのポイント制度も、消費税にはポイントをつけないとか、どんどん薄味になっていきますし、ふるさと納税の返礼品も、コストプッシュでスッカスカになっています。 私は、マーケティングという意味を根っこから間違えている愚か者とは仕事をしませんし、客にもなりません。サントリーの成人の日の、伊集院静の広告コピーを読んで、いい気持ちになっている人とかも、ご一緒できません。セリングをマーケティングだと誤認しているすべての活動が、これから無価値化して、この世から消えてなくなることを希望します。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-01-16 21:00:51

八百万のジョーカーまつり

徒手空拳日記 2022年1月15日土曜日 遅い、疎い、頭のおかしい政財官学マスメディアの朱子学カルトが、ヤオヨロズのジョーカーを生み出していて、なんともシャレになりませんね。 もとは有能な板金工だった曽根崎ジョーカーは、2009年の大阪大恐慌で人生を踏み外し、犯罪者となり、エタノールに溺れ、ソーシャル・キャピタルも、お金も、住む場所もなくなり、維新のしょぼいナチズム的な水際作戦によって、ナマポの申請も冷たく断られて、この世への恨みつらみから、最後は大量殺人鬼となりました。 最近になって表に出てきた、彼がスマホに残していた、執念深い作戦、計画のメモをみるにつけて、ホモ・サピエンスは知能レベルが高いので、いざジョーカーになってしまえば、ありとあらゆるインテリジェンスを、大量殺人のために使い倒しますので、武器やガソリンの販売に規制をかけても、防ぎようがないなあと思います。やろうと思えば、百円ライターひとつでも、大きなこといくらでも、できちゃいますね。 リーマンショックなどという、ナメたネーミングで、あれは対岸の火事でしたと言い張っていた大阪も、大阪大恐慌の目に見えるダメージが、曽根崎ジョーカーにしろ、日立物流ジョーカーにしろ、じわじわと隠せなくなってきています。 日立物流の倉庫を丸ごと燃やしてしまった19歳の派遣社員による、巨額の大損害とか、これもひとつの上級へ向けたテロルではないかと思います。日立物流といえば、角松敏生のロジスティードが有名ですが、今日のあなたの運勢こそ、最悪ですね。 そしてついに今朝方、東京大学ジョーカーが爆誕しました。政財官学マスメディアの頂点、日米合同委員会の日本代表予備軍としての東大受験者が狙われたという意味で、これが日の丸アタックの、変節点となるかもしれません。嘘つきジョコビッチの強制送還もそうですが、ヒエラルキーの上級が調子こいていると、下からこぞって引きずり降ろされるという、これからますます、上があぐらも安心してかけなくなる、恐ろしい世の中になるでしょう。 とてつもないスタグフレーションと、ヤオヨロズのジョーカーによるエブリデイ下剋上、これはもう、戦国時代かよって思いますが、乱世の自覚が丸でない、政財官学マスメディアは受難の時代を迎えます。これからの数十年は、おそらく応仁の乱以来の大きな変革期となり、残り火のような封建制が根こそぎ消えてなくなり、天皇制や日米合同委員会などの統治システムも、ご破算となるのだろうと思います。 こういった時代に生きていることは、単なる偶然てすが、人間の商売とはただ単に、死ぬまで生きていることなので、これもまた運命として受け入れるしかありません。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-01-15 21:00:17

2次情報以下のマスメディア

徒手空拳日記 2022年1月14日金曜日 先日、イトーヨーカドーが経産省とともに、フードロスを減らす実証実験を始めたニュースを見聞きしたのですが、フードロスを減らすことに、超絶無能官庁どころか単なる犯罪組織である経産省が、いっちょかみしていることや、単なる業務委託でしかない、しょうもない実証実験を、なんの評価もせずにそのまんま垂れ流すウンコマスメディアは、完全に終わっているなと思います。 イトーヨーカドーなんて、GMSという亡霊のような業態の、取り返しのつかない負け組であって、こんな会社に未来はありません。フードロスの前に、自分たちの事業そのもののロスを心配したほうがいい存在です。経産省も、なんの価値もない仕事ごっこを、もっともらしく演出したいのなら、同じ資本の傘下にあって、フードロスしまくりのセブン-イレブンとやるべきです。 食品の賞味期限によるダイナミックプライシングは、スーパーで成功者と呼ばれているオーケーストアでは、とうの昔から行われており、実証実験の段階など、はるか昔に過ぎています。そういった知見をわざと無視して、犯罪者官庁のお墨付きでないと社会からオーソライズされない、この国の、しょうもないオカミ根性を感じる絶望的にしょぼいニュースです。 これこのように、政財官学からの1次情報をそのまんま垂れ流すだけの、ニュースと自称している、じっさいは単なるステルスマーケティングのマスメディアは、元から断つしかないと思います。カギカッコ付きのニュースが、おのれの視聴覚にはいってこなくなる環境デザインです。もし1次情報が知りたいのなら、たとえば、さっきのマスメディアによるイトーヨーカドーのフードロス実験情報の垂れ流しは無視して、経産省のWebサイトと、経産省がこの業務を丸っと委託している1次請け負い業者である日本総合研究所の発表資料を読んだほうが、時間の無駄になりません。 IT革命とやらで、情報量が指数関数的に増えているといっても、じっさいに増えているのは、2次情報以下のしょうもない伝言ゲーム、無限コピペ情報ばかりです。マスメディアの情報の殆どが、どこかの1次情報垂れ流しです。1次情報以外は、原則として無価値です。 書籍でも、自分はタモリやイチローでもなんでもないのに、タモリやイチローの成功の秘訣を書いた本などは、120%時間のムダです。当事者しか知り得ない情報の比率を上げていき、2次情報以下を門前払いするスキル、つまり情報リテラシーを教育する必要がありますが、わいせつ教師を何遍でも教壇に送り込む文科省は、根っこから終わっているので、天声人語を切り貼りして、しょうもない感想を書かせるみたいな、意味のない教育ごっこばかり続けています。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-01-14 21:00:50

人の行く裏に文化資本を投下

徒手空拳日記 2022年1月13日木曜日 アバター作成サービスのVカツが、6月末でサービスを閉じるとなって、アバターが使えなくなるって、ビットの世界の世界消滅は、アトムの世界とくらべて、かなりあっけないものです。NetflixのDon't Look Upは、巨大彗星が地球に衝突して、世界が滅びるまでのコメディで、おすすめですが、メタバースの絶滅は、これからドラマにもならないくらい、日常茶飯事になるだろうなと思います。 これからますます、おカネの価値が下がるっぽいので、おカネを他の資産にせっせと変えなきゃなと思っているのですが、資産というのは、自分にとって価値があればいいので、例えば私にとっては、面白い言葉も資産だし、太陽光でお湯をつくる装置も、資産です。それらの資産をおカネで買って、経費で処理すれば、節税にもなります。 まずは面白い言葉を経費で買うために、田舎で小さな本屋をやろうと思っています。本屋さんは、都市部ではもうかなり絶滅寸前ですが、ど田舎でやってみるのはどうかなと思っています。なんといっても、固定費がかかりませんし、仕入れた本はもし売れなくても、自分で買ってしまいます。何しろ、自分が欲しい本しか仕入れませんので、自分のためにやる本屋です。日本にはまだ再販制度があるので、一応返品もできます。新刊書も古書も、やれるように古物商の申請も出そうと思います。 私が参考にしているのは、つげ義春の漫画で、河原で拾った石を売っていた男の話、「無能の人」で、その石の代わりに本を売ろうと思っています。いまの田舎にないものって、要するに社会文化資本なので、神保町の東京堂書店のレジ前にある、軍艦と呼ばれている平積みの新刊書棚を、ど田舎にガチに出現させようと思います。 文化資本があれば、それ目当てに文化資本目当ての人が集まってくるので、呼び水としての本屋は使えそうです。テントサウナやモルックなども、やれるといいですね。 リモートでおカネを稼ぎ、東京からインターネット経由で大企業の資本を吸い上げて、それを元手に田舎にガチでハイレベルな本屋をつくる資本に投下してみたいと思っています。文脈で棚をつくって、旅人のセレンディピティを誘う作戦です。写真が発明されても絵画が残ったように、Amazonが発明されても本屋は残ると思います。検索しても出会えない本がこの世界にはまだたくさんあるし、旅に出てそこで偶然に、人と出会うのは、コロナ禍ではかなり難しいけど、本と出会うことはそんなに難しくありません。 最近は、大手の取次とか通さなくても、いくらでも新刊書を仕入れられるので、いい時代になりました。ワーケーションが進めば、文化資本も分散型になりそうです。書籍の持つチカラをうまく活かしながら、無能の人になりたいと思います。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-01-13 21:00:00

コロナ禍はまだ折り返し地点

徒手空拳日記 2022年1月12日水曜日 岡田斗司夫によれば、コロナ禍は第三次世界大戦であり、4年は続く、いまはまだ折り返し地点かもしれません。アメリカの政治学者、イアン・ブレマーの率いる調査会社であるユーラシア・グループは、世界が直面する2022年の10大リスクを発表し、わずかな感染拡大も許さない中国のゼロコロナ政策を1位としています。実際、中国のワクチンは、オミクロン株には効かないらしく、ゼロコロナ政策が決壊すれば、再び世界のサプライチェーンが止まりそうです。 空砲のバズーカ黒田も認めていますが、コストプッシュ型のインフレが、誰の目にもくっきりはっきりと、見えて来ましたけど、大体のものは、そんなに値段が高くなるのなら、無理に買わなきゃいいだけなのにな、と思います。 パンが高いなら、ケーキを食べればいいんじゃね、はマリアントワネットですが、ケーキではなく、カロリー単価の安いおコメを食べればいいわけですし、ガソリンが高いなら、なるべく出かけないようにして、Netflixや読書時間を増やしますし、出歩くにしても極力、歩きや自転車を増やします。 税金も、新聞購読料も、NHKの受信料もできるだけ支払わず、エタノールも飲まなければ、インフレの影響もかなり限定的になります。 ものをあんまり買わない、つまり消費離れをしてしまえば、スタグフレーションも、所詮ひとごとです。ゴートゥーなんちゃらや、未来応援クーポンに群がることもなく、貨幣経済の圏外に出てしまえば、いいのではないかと思います。 ヤフー・ジャパンが、社員であっても日本全国どこにでも、住んでよくなるみたいですけど、ど田舎に住んで、おカネは都市部から吸い上げるのも、悪くないなと思います。ど田舎でお金稼ぐのは大変ですが、パソコンがあればできちゃう仕事なら、ぜんぜん問題ありません。 ただ、私のようにいったん田舎で暮らしてしまうと、もはやおカネなんぞそんなに血まなこになって稼いでも仕方ないな、とわかるようになります。GDPとは、田舎者が都市に出ることで高まる指標であって、最近の若者はジモティーでもぜんぜんOK、東京に住んだってわびしいだけだとわかっています。GDPなんていう昭和のインデックスに、いつまでこだわっているのかなと思います。 ヤフー・ジャパンのサラリーマンをアドレスフリーにするよりも、むしろ、生活保護受給者をアドレスフリーにして、日本全国どこに住んでもよくすれば、彼らのなかには可処分所得を上げるために、田舎に散る人も出てくると思います。それこそが本当の山奥ニートです。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-01-12 20:58:54

サラリーマンとは仕事したくない

徒手空拳日記 2022年1月11日火曜日 今朝、伊集院光が、朝のラジオ番組のパーソナリティを辞めることを、正式に発表しましたけど、私は大沢悠里も矢鱈と偉そうで、反吐が出るほど嫌いだったのと、伊集院光の朝ワイドとか言いながら、金曜日はまるっきりの別番組だったので、リスナーよりもタレント優先の、名ばかりの帯ワイド番組なんぞ、丸で興味もありませんでした。金曜だけ別モノなんて、仕事しながら聴いているリスナーを、小馬鹿にしてますよね。 伊集院光が、なんで番組降りるのかは、よくわかりませんが、まあ、TBSラジオなんて、単なるウンコサラリーマンの集合体なわけで、私はもう金輪際、のっぺらぼうの政財官学マスメディア、朱子学カルトのサラリーマンどもと、仕事そのものをやりたくないです。保身のために生きているしょうもないサラリーマンとの仕事は、ことごとくキャンセルされる流れが、これからますます顕著になると思います。 ましてや、音声コンテンツなんてもはや、放送のラジオである必要もぜんぜんありません。保身とか出世に汲々とした、しょうもないサラリーマンなんて丸で必要なくて、面白いしゃべりのスキルと、優れた放送作家がいれば、かなり破壊力のあるコンテンツがつくれちゃいます。この徒手空拳日記ポッドキャストなんて、ほとんどアプリ全自動で、ラジオ番組みたいなコンテンツが、できちゃいます。 ラジコっていう、超絶使いにくいクソアプリも、そのうち廃れていくことでしょう。ラジオ広告に忖度して、30秒の早送りができない機能制限とか、なかの人々のくだらない保身そのものです。ラジコのテレビ版みたいな、ティーバーというアプリも、矢鱈とクソなCMを、最後までスキップできないまんま、強制視聴させられるのも、殺意を覚えますので、速攻でアプリそのものを消去しました。 アベマテレビも、中身が極端なアホ向けに最適化されているうえに、無料だと非同期視聴できないので、まったく見たくありません。そのせいか、まともな広告主もついておらず、CMは番宣オンリーで、ウマ娘で儲けたカネを、こんなしょうもない番組コンテンツに溶かしていて、超絶間抜けです。 新聞の発行部数が、昨年も200万部くらい減っていて、新聞はもう完全に消滅のステージに入っていますが、ラジオもテレビも、ご臨終のカウントダウンはとっくに始まっています。金曜日だけ歯欠けのラジオワイドとか、単なる保身サラリーマンどもが惰性でやってるラジオの帯番組なぞ、とっととやめて正解だと思います。臆病な猫でしかない、朱子学カルトのサラリーマンとはもう仕事をしない、キャンセルの動きが、ますます顕著になっていく、それが2022年だと思います。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-01-11 21:00:00

衰退国の新成人のみなさんへ

徒手空拳日記 2022年1月10日月曜日 今年はますます、朱子学カルトのみなさんのお役に立つ仕事ごっこは、みじんもやらず、しのぎそっちのけで、読書やNetflix鑑賞に忙しいです。Netflixが公表している、国別の視聴回数ランキングを参考にしながら、いまはコブラ会というドラマを観ていますけど、これは1980年代に人気だったハリウッドのカラテ映画、ベスト・キッドのいまをえがいたものです。 カラテがテーマなので、センセイ、ボンサイ、サシミなどの日本語があちこちに出てきますが、もとのベスト・キッドが生まれた頃はまさに、ジャパン・アズ・ナンバーワンの時代で、アメ人がなんでもかんでも日本のカルチャーをリスペクトしていたのですが、2010年のリメイク版のベスト・キッドでは、なんと舞台は北京に移り、中国人から中国武術を学ぶ、節操のないストーリーに変わっています。 日経新聞によると、20代以下の日本人のうち、親の世代よりも自分の世代が不幸せだと感じる割合は35%で、全世代のうち最も高いとのことです。60代以上のその割合は、10%前後なのと比べると、いまの若者は、インターネットによるホワイトアウトの責め苦で、PTSD気味に生きているんだろうなあと思います。 政財官学マスメディアのステルスマーケティングによって、いまの人たちは、親ガチャにハズれたから、自分は不幸なんだと思い込まされていますけど、本当の原因は、親ガチャよりも、国ガチャのハズレです。米軍がウーバーイーツというプラットフォーマーだとすると、敗戦後の日本は、政財官学マスメディア丸っと、米軍から業務委託されているだけの、なんの庇護もない単なる配達員であって、日本の運営や管理には、ノータッチです。 古臭くて、誤った情報を、身動きできない家畜のように腹いっぱい詰め込まれ、日の丸オピオイドのエタノールで、活力や、思考能力を根こそぎ奪われ、国ではなく親が悪いと信じ込まされ、目の死んだ、声の小さい新成人のみなさん、ご成人あんまりおめでたくなさそうです。 元電通社員、伊集院静さんによる、新成人向けサントリー恒例の新聞広告は、時間が止まっているどころか、逆回転していて、わらわら、笑えます。エタノールによると思われる、かなり重たいくも膜下出血で病に伏した彼の「酒は百薬の長だ」というコピーライティングは、自虐的なギャグかなにかなのだろうと思いますが、こうしたフェイクの域にまできているオールドマンスプレイニングによって、永遠に頭を押さえつけられて、目の死んでる若者は、ちょっとお気の毒で、あんまり近寄りたくないです。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-01-10 21:00:32

凡庸な悪としてのステルスマーケティング

徒手空拳日記 2022年1月9日日曜日 立憲民主党の代表、泉なんちゃらという人、目つきが前原誠司みたいで、やたら面相の感じが悪いです。 菅義偉のつらがまえを、特別高等警察の顔、つまり特高顔と喝破したのは、辺見庸でしたが、泉なんちゃらにしろ、小川淳也にしろ、前原誠司の走狗なので、いまの立憲民主党とは要するに、前原誠司による希望の党のっとり再チャレンジ政党でしかありません。立憲民主党という同じ名前でありながら、少なくとも2つの政党が千歳飴のように練り込まれているという、詐欺まがいの建付けで、だれからも相手にされなくなりつつあります。 その立憲民主党が、博報堂や制作会社経由で支払った1500万円くらいのカネで、You Tube番組をダマテンでつくっていたChoose Life Projectのステルスマーケティングが、内輪もめからのチクリでバレて、大きな問題になっていますが、ガチのリベラルである私は、こんなつまんないチャンネルがあること自体、全く知りませんでした。もともとテレビの報道番組をつくってたプロダクションのひとがはじめた、公共ジャーナリズムとやらで、つくる人も出る人も見る人も、今の日本に溢れかえる、生真面目なだけのバカなんだろうなと思います。 最近は有象無象のテレビ屋さんが、You Tube動画制作に、裏方として矢鱈と参入してきますが、冒頭に、そのコンテンツのダイジェストがあって、コンテンツが終わったあとに、それ以外のオススメ動画の紹介がある組み立てそのものが、必要のないもので、テレビ脳のまんま、しょうもない動画垂れ流してて、誰も見ておらず、笑えます。冒頭にダイジェスト、おしまいにオススメ作品って、平成時代のVHS完パケのアダルトビデオみたいで、間抜けです。 クラウドファンディングは、ほとんどのものが、実はただの通販でしかなく、そんな仕組みをつかって、公共ジャーナリズムをつくろうという発想が、根っこから無理だと思います。ただ、それよりも根本的に間違っているのは、テレビ番組制作の常識を捨てきれずに、カネのかかる形式ばかりを追い求める思考停止だと思います。かれらのチャンネルも、iPhone1台から始めるべきでした。 今年は、立憲民主党が、かつてのみんなの党みたいに、内紛や不人気で急激に解体されていく一年になると思います。そりゃ当然ですね。前原誠司の再チャレンジなど、世の中的にも、有権者的にも完全スルーだと思います。平成バブル崩壊以後、日本ではありとあらゆるマーケティングが、単なるステルスマーケティングになりましたけど、このChoose Life Projectという、アイヒマン的な凡庸ステルスマーケティングこそ、ステルスマーケティングの完成形であり、平成のVHS完パケアダルトビデオみたいなChoose Life Projectとは、立憲民主党や博報堂とともに、まさに凡庸な悪そのもので、大変恐ろしい間抜けさです。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-01-09 21:00:08

言葉の檻

徒手空拳日記 2022年1月8日土曜日 万歩計とは登録商標で、ウォークマンとか、セロテープとか、キャタピラーと同じく、歩数計全般を示す普通名詞のように誤解されています。万歩計というネーミングによって、多くの人にとって、1万歩が毎日の目標になってしまいますが、最近の研究では、1万歩と健康には、関連がないとのことです。私もそれを知ってからは、7000くらいでいいや、と思うようになりました。 自分が健康なのは、1万歩も歩いているからで、そんな努力もせずに、病気になる人は、努力していないからだ、そうした公正世界仮説の考え方が、貧富の格差だけではなく、健康格差についても、いまだに通用するのが、現代のオカルトな、あるいはカルトな世界人類です。とくに米国や米軍組織の私財でしかない日本では、不健康は自己責任だとして、いともあっけなく切り捨てられます。自宅が街の死亡ステーションになって、千人弱の国民が、まともな治療もされずに、自宅でコロナで死んでしまったのは、彼らのソーシャル・キャピタルが足りなかったからで、それは自己責任であるとして、だれからも救われないのが、この国の根底にある冷たさです。 人生百年時代なんて、まったくのうそっぱちですよね。努力している人は百年生きる、んなわけねえだろ。 日本人の健康寿命は男性ならば72歳くらいですし、生きてて楽しいな、しあわせだなって思える、いわば幸福寿命は、50歳前後かもしれません。万歩計とか人生百年とか、あるいは酒は百薬の長などの、強い命令が込められているコピーライティングやネーミングは、徹底的にうたがってかかるべきです。 アサヒやサントリーが、おためごかしに騒いでいる、スマートドリンキングなるお言葉も、大変不気味です。エタノールという薬物とスマートとは、いっさい関係ありません。発がん性物質を体内に取り込む行為は、単なる自傷行為であり、セルフネグレクト、つまりはスマートの対極にあるものです。 雑誌やスポーツ新聞などのネットニュースは、記事タイトルの付け方が、なべて小狡いクリックベイトでしかなく、ヤフー・ニュースからのコンテンツ料金を1円でも多く稼いで、生き残るために、とにかくクリックされること、しょうもないヤフコメがたくさんついて祭りになることを、最優先しています。あざといコピーライティングは権力者による単なる犬笛となり、政財官学マスメディア、朱子学カルトの世界認識を、どこまでも、とことん歪めていきます。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-01-08 22:12:35

You Tube大学とツナマヨおにぎり

徒手空拳日記 2022年1月7日金曜日 中田敦彦が昨年、彼のYou Tube動画で、ソバー・キュリアスを取り上げて、もう一生お酒を飲まない、とイキり気味に言い切っていたのに、最近の動画でとくになんのコメントもなく、ワインをグラス一杯だけ飲みながら、ゆっくり読書していますと発言したり、シンガポールのスシローで、ハイボール飲みながら寿司食ってたりして、ああこの人、スリップしたなと、思いました。 エタノールをやめるのに、べつに何回スリップしても、いいんです。エタノールの薬害は、どんな有名人にも、お金持ちにも等しく及びます。私が気になるのは、このお方の、再生回数によるドーパミン依存症です。 この人は、目がらんらんとしててこわいです。いつまでもこんなラットレースやってたら、こころが壊れるんじゃないかという気もしますが、どうなんでしょうか。再生回数は、つまりカネですから、おカネになる読書ばかりしたり、動画制作チームを管理したり、Googleの奴隷、お疲れ様です、という印象しかありませんね。エタノールを飲まざるを得ないつらみを、想像してしまいます。 マスメディアもソーシャルメディアも、リーチとフリークエンシーの掛け算という意味では、ゲームのルールはまるでなんにも変わっておらず、You Tubeで動画をつくり続けるGoogleの奴隷労働は、吉本興業よりもえげつないと思います。アメ人のプラットフォーマーからできるだけ遠く自由にならないと、なにかとつらいのではないでしょうか。 イタリア料理の有名なシェフが、ファミリーマートのツナマヨおにぎりを酷評したことでネットが炎上、そのボロクソに言われたツナマヨおにぎりが、かえって店頭で売れまくっている、というニュースを見て、ファミマの努力もまた、中田敦彦と同じタイプの、社会病理だなと思います。ファミリーマートの利益のために、ひたすら微妙な改良とステルス値上げを繰り返しているだけのファミリーマートのサラリーマンと、動画の制作に追われまくる中田敦彦は、プラットフォーマーの奴隷としては、大差ないですよね。 結局は、毀誉褒貶なんでもいいから、リーチとフリークエンシーを最大化させて、マネタイズするというアプローチは、中田敦彦のYou Tube大学も、ファミリーマートのツナマヨおにぎりも、おんなじで、どちらも無間地獄ということです。はなから持続可能ではありません。無理が祟って、エタノールに頼ったり、人気が途絶えたり、内輪もめで空中分解しやすくなるものです。 大切なのは、グローバルだろうとローカルだろうと、アナログだろうとデジタルだろうと、いかなるプラットフォーマーの、みじんも役に立たない人間でいることです。かすめ取られていること、消耗させられていることに、自覚的でないと、気づけば大きなシステムの、間抜けな一部となって、いくらでも買い叩かれてしまいます。本当に恐ろしい世の中ですね。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-01-07 21:00:49

新しい南北戦争

徒手空拳日記 2022年1月6日木曜日 NTTが年賀状を廃止とか、あらゆるB2Bで、年賀状が消えつつありますが、年賀状の届かない朝は、朝日新聞の届かない朝、NHKの連ドラが映らない朝と同じで、じわじわとすがすがしいものです。日本郵便、朝日新聞、NHKなどのたわごとが、とにかく己の視聴覚に飛び込んでこない環境設計が、大切です。それらの官報が、24時間365日、届かないことで、世界認識が変わってきますし、彼らといっさい付き合わないことで、彼らの生命線や、ビジネスリソースを断ち切ることに加担できます。 レイシズムやセクシズム、あるいはルッキズムが、ポリコレでどんどん完全アウトになっていくありさまは、メタバースへの前段階なのだろうと思います。ユニバースにおけるアトムの属性と、メタバースにおけるビットの属性の、完全な分離です。ユニバースでは単なるおっさんだけど、メタバースでは美少女という、いわゆるバ美肉おじさんなども、ユニバースでどうであろうと、メタバースで萌えられれば、それでいいんじゃない? ということでユニとメタで、多重人格があってもいい、そういう時代です。 肉袋がものを言う、ユニバースの世界が、あまりにもつらくてアホらしくなり、人々がどんどんメタバースにフライトしてくると思いますし、それにともなって資本も、どんどんメタバースのプラットフォーマーへと、流れ込んでいくでしょう。エタノールなど薬物で幻覚を楽しむ、フィジカルな体験が時代遅れになり、コンピューティングによるドーパミン分泌を、合法あるいは脱法的に促す体験やサービスが、さらに生まれてくるだろうと思います。 政財官学マスメディアは、ユニバースにおける学力テストの偏差値65以上の集合体ですが、やがて彼らの既得権はしぼんでいき、メタバースにおける、彼らの基準で偏差値65以上の集合体に、敗北するでしょう。そうなると、政治屋さんなども、いまのタレント議員よりもさらにアイコン化されて、世襲政治屋さんが全滅するかもしれません。 メタバースに飲み込まれるな! とかたわけたことを言ってる人もまだいますが、メタバースの中庭に、メタバースに整合した人工的ユニバースが格納されているだけの、従属物へとユニバースは変わりつつあります。50代以上の、ユニバースの体験で生きてきた人々が、これから必死こいてその既得権益を守ろうとすると思いますが、日本のプラットフォーマーは既にガーファなので、地滑り的にシルバー・ユニバースが無効化して、壊れていくのではないかと、私は予想しています。南北戦争のようなものが、ユニとメタで起きるかもしれません。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-01-06 21:00:57

エタノールも、エタノール・モドキも飲みたくない

徒手空拳日記 2022年1月5日水曜日 ノンアルコールの飲み物というと、ビールにせよ、ワインにせよ、結局のところは、それらに味を近づけた、ニセのお酒モドキを飲まなくてはならない、という固定観念がありますが、飲茶のように、お茶を楽しみながら、料理を食べたり、ハンバーガーやフレンチフライにはやはり、コーラがぴったりだったり、エタノールや、お酒モドキではないペアリングができる食文化が、これからは増えてくると思います。 インフルエンサーが、これまで物販のビジネスをやるとなると、ファッション関連や、コスメティックがほとんどでしたが、これからのトレンドは、飲み物かもしれません。誰かと食事をともにするときに、アルコールは必ずしも必要ではなくなってきています。お酒を頼まない客を、客単価の低い客だとして冷たくあしらうお店も、日本にはまだ残っていますが、世の中を見通すチカラのあるかしこいお店は、エタノールでもなく、偽物のお酒モドキでもなく、自慢の料理とペアリングできる、まったく新しい飲み物を開発しようとしています。 誰かと食事をする際に、烏龍茶をひたすら飲まざるを得なかったり、まるで美味しくない、ノンアルコールビールを飲まされたりするのは、勘弁してほしいな、それだったら最初から、そんな場所に行きたくもないな、そのように考えている人が増えています。 酒の味に似せた、フェイクブーズではなく、オリジナルのノンアルコールドリンクが、これから増えてくるといいなと思います。ワインのペアリングと同じ料金で、ノンアルコールペアリングをしているお店も、一部にあるようですし、最初の一杯だけはアルコールで、そのあとはノンアルコールにする、といった、いわばいいとこ取りのペアリングも、受けているようです。 エタノールを飲まない人は、ウーロン茶とかペリエくらいしか、メニューにないのは、明らかに機会損失であり、これからますます選択的なシラフは増えていくと思います。コロナ禍によって、アルコールの売り上げに依存していた利益構造が見直されて、エタノールなしでも稼げるお店になろうとする動きが見られます。 そういったノンアルコール・ペアリングは、料理の皿の外にあるソース、という考え方で丁寧につくられた飲みものになっていくでしょうし、そういった思想で練られた飲み物は、客単価の向上や、ロイヤルティーの強化に繋がっていくでしょう。 タバコをやめた人が、ニコチンなしのタバコを吸わないように、エタノールをやめた人も、エタノールなしの、やみくもにお酒に似せた飲みものなぞ、ぜんぜん飲みたくありません。ビールの味が好き、ワインの味が好き、という嗜好そのものが、長い洗脳の果てにある誤解でしかないので、ノンアルコール日本酒とか、ノンアルコールジンなども、その需要は人類の巨大なノンエタノールシフトにおける、極めて過渡期的なものだと思います。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-01-05 21:00:45

親はなくても子は育つ

徒手空拳日記 2022年1月4日火曜日 かつて、お父さんとお母さんが子どもから尊敬されたのは、仕事そのものを教えてくれる人だったからです。親は、子どもにとって価値のある、スキルを持っていました。農民にせよ、職人にせよ、生き抜くためのスキルは、主に血縁によって、伝えられました。生きるためのスキルを、その両親からほとんど奪いさったのが国民国家で、生き抜くためのスキルも、そのスキルをおカネに変えるプラットフォームも、国民国家のものになりました。いまでは農業でさえ、自民党という売国奴とモンサントに、なにもかも奪われてしまいました。 会社の上司が尊敬されたのは、上司が国民国家における、まさに親代わりとなったからです。つまり、政財官学マスメディアにおいて生き抜くための、スキルを教える人になったからです。家族や親類で酒を酌み交わすしきたりが、会社組織にも応用されたのが、サラリーマンのエタノール支配です。酒の席を通じて、上も下も互いに生き残れる関係をつくるという、目には見えないが、しかしかなり強いメリットが、エタノールにはありました。 いま、この国が直面しているのは、国民国家が独占していた、メシの種となるプラットフォームとそのスキルが、Googleなどの外部に奪われた結果、ほとんど無意味になっている事態です。日本会議は父親の復権を、経団連は上司の復権を目指していますが、ダメおやじ、ダメ社長の分際で、ちゃんちゃらおかしいなって思います。親を親とも思わない、上司を上司とも思わない本当の理由は、彼らが価値あるプラットフォーマーではなくなっているからです。 それどころか、許可なく誰かを教え諭すことは、ハラスメントまがいのオールドマンスプレイニングでしかなくなり、少しでも、なんだこいつと下から思われたら最後、徹底的なサボタージュや、さらに根っこからのサボタージュとしての大量離職に結びつきます。平成バブルの崩壊は、家や会社からカネが離れていく破綻でしたが、リーマンショック以降の恐慌は、ひとが離れていく破綻が進んでいます。 リーマンショックで企業を見切って離れた人々は、サムソンやハイアールに、彼らのスキルを売りはらって、それまでの家族みたいな絆を換金して、すっかりチャラにしてしまいました。日本のエレクトロニクス産業は、ほぼ消滅しましたが、企業が人を切ったのではなく、エンジニアが企業を切ったわけです。そう考えないと日本のエレクトロニクス産業の衰退は説明できません。 グレート・リジグネーション、大離職が、日本の企業に大きなダメージを与えています。今年もその勢いは止まりません。これは、子どもによる、親殺しです。親はなくても子は育つ、家族も会社ももはや全然、要りません。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-01-04 21:00:08

49歳以下の政財官学マスメディア離れ

徒手空拳日記 2022年1月3日月曜日 かつて、日本歌謡大賞という、TBS以外のキー局持ち回り制作の、歌謡曲番組がありましたが、1993年で終わっており、歌謡曲とは、あのあたりで終わったのだなと思います。国民的なポピュラー音楽はなくなり、果てしない分裂が始まりました。 調べてみると日本歌謡大賞は、1988年だけ、中止となっていて、なんでなのかなと思ったら、昭和天皇の病気による自粛でした。いまとなっては、意味がよくわからない中止ですね。歌謡大賞とは、空気そのものだったのでしょう。 歌謡曲の本質は、ネットのない時代のSNSだと私は思うので、紅白歌合戦は、ネットがスマホで使えるようになって、SNSが広まってからは、新しい歌謡曲がまったくなくなり、ネット以前の歌謡曲と、ネットで話題の楽曲オンリーになりました。前者は老人、後者は若者に、マーケットはざっくりわかれます。ネットで話題の楽曲を、わざわざテレビで見る必要もないわけで、老人も若者もテレビをスルーして、どんどん世帯視聴率が落ちています。 今年の紅白歌合戦は、NHKが世帯視聴率を棄てて、ネットで話題の楽曲の比率をぐいぐいと上げて、49歳以下の個人視聴率である、いわゆるコア視聴率に目標を変えたということだと思いますので、世帯視聴率が下がるのは、当たり前でしょう。っていうか、世帯視聴率という亡霊の指標そのものを、日本のテレビ屋さんはいい加減になくすべきです。 コア視聴率だろうと、世帯視聴率だろうと、地上波放送は、エイジズムから抜け出せないことで、衰退を続けています。テレビメディアそのものがオワコンなのではなく、政財官学マスメディアがグルになりすぎて、やばいことができなくなったことが原因です。 1990年代くらいまでは、センセーショナルなことができる民放はかっこよくて、NHKはダサかったのですが、その格差もなくなり、マスメディア丸ごと、かっこ悪くなりましたし、政財官学マスメディア丸っと、目くそ鼻くそのしょぼいカルト組織になってしまいました。 今年は地上波テレビを誰も観なくなる、テレビ離れがぐぐっと進むと思います。ギャラの高いタレントがキャスティングできなくなり、カネのかかる企画はことごとく潰されて、世帯視聴率はもちろん、コア視聴率も落ちていくと思います。You Tube視聴者の平均年齢は、既に43歳くらいですので、テレビがYou Tubeにまったく太刀打ちできなくなっています。 政治、宗教、テレビ、エタノール、ギャンブル、SNSなどのオールドドラッグ離れが果てしなく進む、2022年となりそうです。超絶メシのうますぎる一年になるといいな、と期待しています。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-01-03 20:59:15

SDGsピンバッジというキ印

徒手空拳日記 2022年1月2日日曜日 満洲国の国旗は、青は東、赤は南、白は西、黒は北、そして背景の黄色は、中央を表し、中央行政で東西南北を統御すると公式に意味づけされ、敗戦後、米国への服従と引き換えに、国内でのみ再度、中央集権的な国家の運営ごっこを業務委託された、日の丸政財官学マスメディアは今もまだ、滅んだはずの満洲国の思想で動いています。だからこそ、ガチなデジタルトランスフォーメーションは、体制の崩壊を意味するわけです。デジタル庁とは、デジタルの名を借りた、中央集権国家の強化を目指しています。 トヨタが裾野市に、繊維産業由来のもっともらしい、ウーブンシティという名の都市建設をうそぶいてますけど、これもクルマの製造ラインをもう、国内では維持できなくなって壊した跡地を、よくわからないコピーライティングでごまかし、豊田章男の息子に経営させるという、北朝鮮のような場所で反吐が出ます。 SDGsピンバッジって、Amazonで1000円くらいですけど、こんなものに1000円払う個人も法人も、頭がおかしいと思います。私はこれを、朱子学カルトの、最新の目印だと思っており、このバッジを喜んでつけてる肉袋が、ひとり残らず表舞台から消え去らないと、いつまでもお間抜けな、満洲国2.0が続くだろうなと思います。最近は、社章を廃止するところも多いのですが、その寂しくなった襟元に、空気を読んでか、国連のピンバッジをつけてしまう朱子学カルトの心の病、この国の金日成バッジです。 国連公認のピンバッジを、政財官学マスメディア、朱子学カルトのお立場ご身分の自己表現として胸につけはじめた、日本のしょぼいエリートの排斥運動が必要です。恥を恥とも思わない、彼らを表舞台から、引きずり降ろしましょう。 そのためには、デモも、投票も、いっさいいりません。徹底的なサボタージュさえ、すればよいのです。サボタージュとは、労働者が、製造機械に自分の木靴をぶっ込んで、事故のフリをして生産を止める、無能を装う匿名のテロ活動です。 政財官学マスメディアにとって、身分の低い人々がそれをやらなくなると困ることを、無能のフリをして、徹底的にやらないことが、日本で有意義なサボタージュです。GDPの半分を占める個人消費をなくしていきましょう。エタノールを飲まない、外食をしない、旅行しない、ギャンブルしない、クルマを買わない、生命保険にはいらない、都市に住まないなんていうことも、個人消費をしないという、立派なサボタージュです。 無能なふりをして、中央集権のオペレーションに重大な目詰まりをつくります。古臭い満洲国2.0の中央集権システムをサボタージュすればいいので、かなり簡単です。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-01-02 21:00:24

寂しいことで見えてくるもの

徒手空拳日記 2022年1月1日土曜日 サラリーマン時代にもらった、最後のカレンダーを捨てる時期になり、せいせいします。酒を一滴も飲まない私にとって、こころのカレンダーをそっとかけかえるだけのこの時期はなんとも、世の中が、ごちゃごちゃうるさいなあ、って思います。 今はまだまだ冬のまっただなかであり、西暦の切り替わりと、もともとは冬を無事生き抜いたことを祝う、アジアの正月文化を無理くりくっつけた、間抜けな明治レジームの狂気しか、日本の正月には感じません。 ファシズムの本質とは、大衆が権力によって、沈黙を強いられることではありません。ファシズムとは、逆に、大衆が権力によって、お喋りハイにされることです。キリンビールの一番搾りのCMみたいに、日の丸オピオイドであるエタノールを、ぐいぐい飲まされて、あーしあわせ、などとほざくことこそ、この極東に確立された、エタノールを活用した統治の技法そのものです。キリンビールとは、国民国家による薬物統治を担う、三菱の政治組織です。 つまり日本では、エタノールは権力から恵まれる命の水です。組織の飲み会に出ないとは、その恩恵を拒むことです。つまり御恩と奉公の関係を切ることです。現代では、体質としてお酒が飲めない人を、下戸と呼びますが、もともとは、酒も配られないくらい貧しい身分の民のことです。つまりまだまだ日本では、エタノールを飲めない、と、飲まないを社会が区別できず、どちらも賤しい民、権力に守られない除け者であると短絡する魯鈍さが、残っています。 政財官学マスメディアから、おためごかしにあてがわれる酒なんて、一滴も飲まない、いわゆるムテキの人で今年もやっていきましょう。さあ、Dry January のはじまりです。大げさではなく、もはやエタノールなしで生きたほうが、全然持続可能です。エタノールを飲んで、ドーパミンでランランとするよりも、エタノールを飲まないことによる自愛の心地よさによって出てくる、セロトニンの快楽でまったりしたほうが、QOLは高まります。 コロナ禍対策一辺倒のウラで、エタノール中毒の裾野も、深みも、どんどん悪くなっています。今年のキチガイ、今年のうちに、で年末に死んでしまった、曽根崎ジョーカーも、アルコール依存症だったようです。エタノールの泥沼から這い上がる方法はいくらでもありますが、町田康は、酒を飲んでも飲まなくても、人生は寂しい、と書いてます。 戦争で酷い目にあった敗戦国民は、敗戦後も一貫して政財官学マスメディアを心底で憎んでおり、今も昔もずっと信用してませんが、カネとエタノールだけは、信じてきました。敗戦による喪失を紛らわしてくれたのが、カネとエタノールでしたけど、それらがあってもなくても、寂しいことに変わりはない、そのことに気づく人が、増えてきたのではないかと思います。 ものの本質が、時間の経過とともに表に現れることを、しかびと言い、それが転じて、寂びになったとウィキペディアにはありますが、寂しいとは、時間の経過とともに現れる、己の本質です。寂しさを、自愛と捉えることで、エタノールはやめられます。寂しさを、カネや薬物で散らすのではなく、寂しさを大切なものとして愛でることによって、エタノールは意外に簡単に、手放すことができると思います。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2022-01-01 21:50:23

モバイル・トランスフォーメーション

徒手空拳日記 2021年12月31日金曜日 日々の生活にクルマが必需品となって、スーパーのカゴみたいなプラスティックのバスケットをダイソーで買い、そのなかに図書館で借りてる本や、読みかけの本をブッ込んで、移動書斎にしています。運転中はKindleの音声読み上げで耳読書、運転しない時間は紙の本の読書や、ラピッドロギングです。 神保町の東京堂書店の、買った本をカゴにいれるスタイルを、参考にしました。いわばモバイル積ん読です。Kindle Fire HDとか、クリップボード付書類ボックスとペンも、入れています。寝るときはベッドの横に置いています。偉人のルーティンを分析すると、朝起きて飯も食わずに、午前中にはアウトプットをすべて終え、午後は散歩と読書など、インプットに費やす、カントのようなルーティンのパタンが多いとか。 モバイル積ん読バスケットで、寝る前だけでなく、移動時間やスキマ時間が、読書時間になります。これだと、出かける時に持っていく本をチョイスする手間が省けます。レベルファイブの自動運転が現実となれば、クルマの中で移動しながら本を読むこともできるようになるでしょう。 おそらく10年以内には、我々のクルマ選びは劇的に変わると思います。なぜならクルマ生活そのものが変わるからです。クルマで目的地についても、駐車場に停めるのではなく、クルマがそこらへんを、自動運転でぐるぐるまわっているようになるかもしれません。オーナーがオフィスで働いているあいだに、マイカーは自動運転タクシーでダブルワーク、なんて時代も来るかもしれません。 運転とは究極のシングルタスクであり、その人の命を人質にすべての注意力を奪い取る、非人間的な奴隷労働でしかありません。運転が自由につながる、というGMがでっち上げた20世紀最大のウソが、ようやっと無意味になります。 バスは一日一度来る、という俺ら東京さ行ぐだの歌詞みたいな、田舎の鉄道や路線バスが、採算が取れずにどんどんなくなっていくなかで、自動運転技術によって、自分は年老いて運転できなくなっても、日本のどこにでも住める時代に、やがてなると思います。限界集落の消滅です。もうすでに、自動運転のほうが、人の運転よりも事故の確率は低くなっており、アメリカや中国ではすでに、バンバン現実化しています。 中国のいまを知らない日本人は、中国のデジタル産業革命をわざと伝えない日の丸政財官学マスメディアによって、盲にされています。明治維新の頃、逆転された中国人は早稲田大学にたくさんの留学生を送り出しました。 井の中の蛙大海を知らず、ふるさと納税とか、燃料電池自動車とか、年末にまたネット振込できないみずほ銀行とか、オワコンの満洲国2.0の来年は、かなり厳しいものになるだろうなと、私は予想しています。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-12-31 21:00:11

今年はボイラーが2度も壊れました

徒手空拳日記 2021年12月30日木曜日 灯油ボイラーがおとといいきなり壊れて、風呂にもはいれず、まあ、風呂なんて冬は毎日じゃなくていいですけど、壊れたとわかって、頭のなかをよぎったのは、最近言われている給湯器の不足で、春先までお湯がでなかったらどうしよう? でした。コロナ禍の第2形態はエネルギークライシスですが、第3形態は半導体クライシスなのかも知れません。中国の電力不足で尿素スイが不足して、ディーゼル車が動かないとかも、思いもよらないボトルネックですけど、これからも次々と、意表を突く困窮がやってくるでしょう。 いま借りている家の給湯器は、2009年製、部品によっては修理できず、買い替えとなれば、これはやばいなとなります。ノーリツのコールセンターに電話すると、最寄りのサービス拠点から速攻で連絡が来ました。 お湯が出ないと言えば、村上龍の「半島を出よ」という小説で、福岡に攻め入った北朝鮮コマンドが、福岡ドームの水道から、お湯が大量に出るのを見て衝撃を受けるシーンを思い出しました。さすがにいまでは平壌でも、お湯が出るとは思いますが、家に風呂もボイラーもなく、銭湯に行かない日は、冷たい水とストーブのお湯を割って顔を洗ったり、体を拭いていたのを、私も思い出します。 エネルギーにおけるオフグリッドだけでなく、半導体フリーも大切です。やたらと半導体の埋め込まれた製品に、日々の生活を依存しているのも、自分には主導権のない大きなシステムに依存しているわけで、先々はややこしい半導体チップのついてない太陽熱温水器や、薪ストーブに大型ボイラーのついたものに変えていきたいです。 いきなり壊れたうちのボイラーは、点火装置の故障でしたが、その原因は灯油タンクの老朽化でした。タンク内部の結露などによって、少しずつ灯油タンクのなかに水がたまり、灯油より重たい水は、灯油タンクの下に溜まっていきます。 ある日、水の量が給油管の高さを越えたとき、灯油と水の混合液が流れ出し、点火装置を壊す、ということです。本当はタンク底のバルブをひらいて、水抜きを定期的にしなければならなかったのですが、こうしたトラブルそのものを知らないという、無知の知と、半世紀生きてきて、いまさら遭遇してしまいました。検索してみると、灯油タンクの水抜きも、You Tubeにバッチリ動画がありますが、知らないものは、検索できませんね。 今年は東京の、オール電化のヒートポンプもぶっ壊れましたので、お湯の出ないトラブルに2回も見舞われました。働かなくてもいいなら、お湯が出なくても、水風呂でも構わないって、山奥ニートの葉梨はじめさんは、言ってましたけど、私は第三の道、ほとんど働かなくても、半導体依存度を下げて、そこそこ不便だけど、お湯は安定的に、しかも自律分散的に手にはいる生活を、来年は考えたいです。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-12-30 22:24:59

国力の衰えを大衆が認諾した2021年

徒手空拳日記 2021年12月29日水曜日 今年は日本の大衆が、己のさもしさと貧しさを、ようやっと、しぶしぶ自覚し始めた年でした。おせーよ、もう取り返しつかないかも知れません。火事にたとえれば、逃げ遅れです。 いま、トルコリラが絶賛大暴落中なのですけど、まわりの国から爆買いに来る人だらけらしく、あれ、エルドアンのトルコって、コロナ禍寸前までの日本だよねって、いまさら気づいている日本人さん、遅すぎです。 世界の人が日本のすばらしさに気づいてくれたのではなく、単なる物価安で、寄ってたかられていただけでした。リーマンショックという名の大阪大恐慌のあと、大阪ミナミの黒門市場は、外国人観光客向けに、詐欺のような屋台が出まくりましたけど、いま思えばあれも、たかりにたかるゴミ商売でしかありませんでしたね。 日本は、実はもう全然すごくないじゃん、国レベルの貧しさに気づいて、無駄な税金を使うな! という怒りに火がつき始めたのですが、それで怒っているのは、ほとんどがたいして納税していない生産性の低い人たちではないかと思います。 森友学園問題を闇にほうむった、財務省の認諾にはなにも文句を言わない一般人が、秋篠宮家には税金の無駄遣いだと、匿名で執拗に面罵する異常性も、今年の朱子学カルトの底知れぬ薄気味悪さとして印象に残りました。 NHKのプロジェクトX、挑戦者たちっていう、政財官学マスメディア凄い、のプロパガンダ活動は、2000年から2005年でしたが、あの頃はまだ多くの人が疑いもなく、日本は中国、韓国、台湾など三国人とは比べ物にならない、素晴らしい国民だと信じ切っていましたので、そのメッキが完全に剥がれたのが今年、という意味では、2021年はイメージにおける敗戦の年だったのかもしれません。 アベノマスクは捨てます、ただし捨てる前に、欲しい人には送料を税金から出して、配ります、というのは、サンクコストという意味が丸でわかっていない愚か者のセリフです。もったいないおばけ、ダメ。ゼッタイ! のような、電通発の愚かなスローガンをいまだに盲信する、亡霊のような朱子学カルトの未来は、少なくとも団塊世代が完全に死滅するまで、あと15年は続くでしょう。 ロスジェネ向けの、国家公務員採用試験の申込者数は今年は5302人で、実質的な倍率は約26倍だったとのことですが、採用はたったの203人って、応募するほうも、採用するほうも、やってる感だけの壮大な無駄でしかありません。そもそも、公務員など安泰でもなんでもなく、ロスジェネ採用されても、超絶面倒な火中の栗を拾う役回りや、不正や改ざんの出し子をやらされるだけで、まったくやりがいなどないだろうなと思います。 政財官学マスメディア丸っと泥ブネなので、そろそろ逃げないと、来年はたぶん、海の底に沈んでいきます。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-12-29 21:00:45

味気なさにおいてみな同じ

徒手空拳日記 2021年12月28日火曜日 寿司屋で寿司を食べ始めるときは、ひとつひとつのネタは、かなり個性的な別物として認識されていると思います。ひとつひとつの、魚貝類が全部違うものとしてあるからこそ、なにから食べようかと思いをめぐらす楽しみもあります。 しかしそのうちそれらの寿司を食べ進めますと、貝、甲殻類、さかなというように、だんだんと味覚のジャンルが大きくなってきます。 そしてやがて、寿司は結局、すべて魚貝類じゃん、というところまで行きますし、そこからは、もう寿司は食べたくないとか、肉料理が食べたいとか、ポテトフライがいいなとか、欲望は寿司の範疇を軽々と超えはじめます。回転寿司という業態は、入り口はたしかに寿司ですが、唐揚げでもラーメンでも、肉袋が欲しがるものはなんでもかんでも食わせます。そこが彼らの強いところです。商売とは、邪道も立派な道、なのです。 日本における朱子学カルトも、敗戦後の朝鮮戦争やベトナム戦争による経済成長時代には、政財官学マスメディアがおのおのピッチピチで、ひとつひとつが、まるで別物に思えました。政治家は官僚に強く、官僚は財界に強く、財界は政治家に強い、というある種のじゃんけんのような三つ巴の構造は、政財官学マスメディアがそれぞれまるっきり別物という大前提が必要です。 ところが、この30年間の取り返しのつかない失政のせいで、政財官学マスメディアは丸っと同じ、味の違いもない、すべて大味の、似たようなものになりました。政財官学マスメディアのどこにいようとも、元気で明るくちょっぴりエッチ、それなのにとことん謙虚な朱子学カルトという点では、もはや丸で見分けがつきません。ドストエフスキーの小説に出てくる小利口なだけの、小役人みたいな肉袋ロボットが、金太郎飴のように遍在しています。 ということは、ほとんど大差のない政財官学マスメディアにいるよりも、そこから逃げまくり、異世界に転生すれば、この地球はまだまだ面白いということです。政財官学マスメディアとそれ以外の被膜は、はっきりと、どこかにあるものではなく、逃げようという意思によってはじめて、はっきりくっきり見えてきます。政財官学マスメディアと断絶する魂の結界をいかにしてはるか、そのことがとても大切だと思います。 読売新聞が、大阪府と包括提携するとは、要するに役人とマスメディアが地続きということで、読売としては、電通のように公共財源を狙って、カギカッコ付きの事業を拡大しようという魂胆です。つまり、たいも、いかも、たこも、ほたても全部腐っている、もう煮ても焼いても、丸で食えませんが、朱子学カルトの醜い共食いだけは凶暴に、いつまでも続いていきます。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-12-28 21:00:21

エタノールなしの寂び

徒手空拳日記 2021年12月27日月曜日 最近は、個人的なコロナ禍から完璧に抜け出すために、睡眠時間の8時間と、その前後それぞれ4時間、合計16時間のプチ断食を毎日続けています。そうすると、ますますものを食べることに費やす時間が少なくなっていき、時間が有効に使えるのと、小さな飢餓状態を毎日作り出して、内臓の働きすぎを防ぎ、結果として健康になるといいなと思ってます。 プチ断食をテストしてみて、自分に合っているようなら、ずっと続けたいと思います。特に朝ごはんの時間が丸っと浮くので、便利です。野良猫にエサをあげると、だいたい彼らは、飢餓状態なので、16時間の飢餓は、彼らの気持ちがほんの少しわかるような気がします。 このプチ断食習慣を始めてみると、夜に進んでエタノールを体内にいれることは、全く合理的でないと、改めて思います。眠っている間は、内臓の動きも活発ではないのに、アセトアルデヒドが体内に長く居座ってしまいます。つまり細胞が排泄までの長いあいだ、発がん性物質に浸されます。 サントリーが、いろんな日本映画の、飲食店でのシーンばかりを、ニューシネマパラダイスのようにつなぎ、いかにもサントリーは、彼らを応援してますよという、コマーシャルメッセージを流してましたが、これをみて心が動くのは、誰なんだろうと思いました。 あざとい広告って、みているだけで吐き気を催します。これにグッとくるのは、肉体的、精神的、あるいは経済的なエタノール依存者ですよね。特攻前にみんなが覚醒剤をキメていたシーンを誰もつなごうと思わないように、そのうちこうした薬物礼賛の作為は、世界からなくなっていくと思います。 膨大な映画作品から、エタノールを飲んでるシーンをつまみあげて、それをつなげる地道な作業は、下請けなのか、孫請けなのかわかりませんが、エタノールを美化するプロパガンダは、過去のシーンを紡ぐことによってしかなし得ないものへと、変わりつつあると思います。 モノを食べられなくて、口さみしいとか、エタノールなしで、酔わずに人生を生きていく物足りなさとか、これぞ侘び寂びの、寂びだと思います。不足や、貧しさや、孤独のなかに、研ぎ澄まされた感覚を見出し、寂しい世界を肯定的に見直すことこそ、エタノールを飲まない人生の喜びの核だと思います。芭蕉の軽みの見地です。身軽、気軽、そして胃袋の軽みが何よりです。 もっぱら、足し算や掛け算で生きる喜びを見出す世界観がどん詰まりになり、引き算や割り算で、この世界を割り引いて生きていくことが求められていると思います。エネルギーの糖尿病ではなく、オフグリッド電力で賄えるくらいの寂びに価値を見出すことが、これからのスタンダードかもしれません。日本一ドケチの財務省が1億円支払ってでも、赤木事件を終わらせたいのは、いろんな背景があるとは思いますが、なんと言っても、マネー1億円の価値が、とてつもなく下がったのだと思います。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-12-27 21:25:54

重農主義への逆コース

徒手空拳日記 2021年12月26日日曜日 政治や宗教はうそばかりで、くだらない、だから定規とコンパスで、つまりテクノロジーで世界をつくりなおそう、それがフリーメイソンのはじまりとのことですが、いまでも日本がデジタル音痴なのは、政治や宗教しかこの世に存在していない、中世のままだからだろうなと思います。南北戦争と冷戦という2つの偶然によって、たまたま米国の対日政策が、手薄になってしまい、そのことで日本の中世は、いまもゾンビのように生き残っています。 例えば、ヤフコメなどを見ていても、日本の電気自動車が致命的に出遅れている現実を丸でわからずに、日本は水素でがんばれ、中国の電気自動車は、爆発するぞ、などというコメントばかりで、これはカルトやオカルトに丸っと染められています。トヨタのミライという燃料電池車は、今年世界全体でたった5600台しか売れておらず、もはやこんなものに全く未来はありません。 トヨタは電気自動車も、ハイブリッド車も、燃料電池車も、全方位ですべてやるとか、頭がおかしいと思います。すでに少なくとも5年前には、ハイブリッドカーは世界では相手にされておらず、政治と宗教によって、電気自動車の時代を認められない、定規とコンパスの関係ないところで、戦略が丸でない、典型的な日本の病気が露呈しています。 半導体も、台湾が日本から真水でお金をもらってこれから日本の工場でつくるのは、いわゆる枯れた技術の半導体でしかなく、このことと経済安全保障を結びつけるロジックもお花畑、遅い、疎い、頭のおかしな政治と宗教、つまり朱子学カルトによる、グレート勘違い、パラノイアでしかありません。 日本の場合、世界のミライを語る前に、福島第一原子力発電所をどうするのか、いい加減にはっきりさせないと、これからも一歩も前に進めないと思います。原発三兄弟としての、東芝、東電、電通がどんどん小さくなり、現在のダイエーのように、あるのかないのかわからない存在になっていき、アベノマスクを捨てる宣言をしたように、そのうち誰かが人気取りのために、チェルノブイリと似たような、フクイチを石棺にします宣言をするのだと思いますが、それがはっきりした頃には、日本の没落は取り返しのつかないところまで行くだろうと思います。 電気自動車の基幹技術であるバッテリーなんかは、もうとっくに中国製のほうが優秀ですし、ルンバよりも中華ロボット掃除機のほうが、すぐれています。路線バスや宅配便などのB2Bから先に、日本の中国化は進んでいますけど、ゲームやアニメなどのソフト産業も、来年以降はくっきりと日本の衰えが見えてくるだろうと思います。 定規とコンパスを使って、まずはフクイチをどうにかしないと、日本は江戸時代の重農主義へと戻っていくでしょう。まあ、その前に百姓一揆が起きますね。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-12-26 21:42:12

業柱抱き

徒手空拳日記 2021年12月25日土曜日 私の好きな車谷長吉の根っこには、人間は苦しむべき存在である、という思想のようなものがあり、苦しむというのは、業柱を抱くということだろうなと思います。ポリティカル・コレクトネスとは正反対の、業のなかにいてこそ人間、そういうことだと思います。政治的に正しくあらねばならない、と思っているうちは、まだ人間ではない、それは朱子学カルトの段階です。 私としては、今年はそんなに悪くない一年でした。ポリティカル・コレクトネスを強いられる、会社員というお立場、ご身分をやめて、せいせいしました。 会社員やめてしまったら、他人に評価なんて、全然されなくていいことにはっきりと気づきました。車谷長吉は、ズボンのチャックを絶対に閉めなかったし、運転免許制度を憎んでいましたけど、サラリーマンとか警察とは、関わる価値のないくだらないものだと、私も考えるようになりました。 今年の漢字は、糞だと私は思います。なんでもかんでも、接頭語として糞をつければ言い当てられる糞な一年でした。糞という字は、畑にばらまくさまと、両手を意味する文字で、肥料という意味もあり、長い目で見ればクソもまわりまわって、未来の新たな糧となるでしょう。 クソな大阪府と、クソなゴミ売り新聞が包括提携って、ワシントンDCとワシントン・ポストが包括提携とか、トヨタが豊田市と包括提携みたいなものに近い、発狂の発表で、これは面白すぎますね。東京オリンピックのスポンサーになったゴミ売りが、しょぼいファシズム大阪維新と包括提携しても、全然おかしくないなって思います。読売はそのうち、創価学会とか、日本会議とか、電事連などとも包括提携しそうです。 読売新聞って、敗戦前は、いまの夕刊フジみたいなただのローカル木っ端新聞でしたけど、正力松太郎と、営業の神様、務臺光雄によって、2001年のピークには1028万部までの巨大新聞になりました。あの頃からずっと、彼らは顔も形も中身も、丸でジャーナリズムなぞではなく、吉本興業と同じの太鼓持ちです。最近はビジネスホテルやガストで新聞をタダで配ったりしてますが、読売新聞のなかの世界で生きている人々を丸っと、くだらないなと、私は思います。 来年も、反社会人として、ポリコレの真逆でやっていきます。人の行く裏にある道は、コレクトネスの及ばぬ世界、読売新聞とはいっさい関係のない世界です。ぱいぱいでか美が、ポリコレ対応のために、でか美ちゃんに改名しましたけど、あんまり関心できない改名です。ぱいぱいでか美という名前には、男の生き物としての苦しみが刻まれているのに、それをクレンジングしてしまったら、30代の地方局の巨乳アナと変わらなくなってしまいます。はい、苦しみを生きぬいてこそ、人間です。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-12-25 21:35:28

エタノールを飲まないという政治運動

徒手空拳日記 2021年12月24日金曜日 コロナ禍で、ありとあらゆる社会的な飲み会ができなくなり、個人の家飲みに変化したエタノール無限地獄で身を滅ぼす人が、どんどん増えてきているように思います。 曽根崎ジョーカーも、リーマンショックという名の大阪大恐慌で行き場を喪った無敵のおっさんが、いよいよコロナ禍で完全に詰んでしまい、もともと優秀な工員だった能力を発揮して、強制的な集団自殺を図った、ということだろうなと思います。 朱子学カルト企業のそこそこのお立場ご身分の管理職のおっさんが、コロナ禍で出社できない間に、ひとりもくもくと宅飲みを重ねてエタノール依存症が、すっかり出来上がっており、ひさびさのリアル忘年会でまわりがどん引きするような醜態を晒す、みたいなカミングアウト現象です。 あるいは、酒の飲み方をまだよく知らない若者が、このコロナ禍で自己流でエタノールへの依存が進んでしまい、その結果としての酒酔い運転で、重大事故を起こして同乗者を死なせてしまう、といった悲惨な結末です。 日の丸オピオイドとしてのエタノールは、政財官学マスメディアによる責め苦の鎮痛薬として、コンビニやドラッグストアでとめどなく供給され続けて、もはや誰の責任かもはっきりしないまんま、社会という平面に、浮き彫りにされていきます。 やらなければ食えない仕事は、不正やハラスメントばかりになり、精神的にとてつもなく辛いものになり、その割には給料はまるで上がらず、むしろ下がる一方で、飲めるエタノールもビールなどは、贅沢品となり、ざらざらと酸っぱい発泡酒や、果糖ぶどう糖液糖を炭酸で割ったウォッカしか飲めなくなり、コミュニケーション目的というよりは、責め苦を紛らわす鎮痛剤へと変わり、エタノールはもはや社会の潤滑油などでは丸でなく、孤独な個人がドハマリする単なる鎮痛薬と成り果てました。 デモや投票などよりも、効果てきめん、この国の上位6%の政財官学マスメディアが心底嫌がるのは、普通の人がエタノールを飲まなくなることです。全共闘や糸井重里のような、なにかをすることによる政治運動ではなく、アホな世襲の政治屋さんに未来を預けるしょうもない民主制でもなく、エタノールを飲まないとか、安月給で不正やハラスメントの仕事をしない、などという、しないことによる政治運動が、これからは大切です。なにかをすることは、どれだけ頑張っても、点の積み重ねでしかありませんが、なにかをしない政治運動は、24時間365日、敵にダメージを与え続けられます。 コロナ禍を奇貨として、なにかをすることからなにもしないことへのジャガーチェンジ、豹変することが大切です。エタノールはすばらしいものだから、そのエタノールをやめるのは至難の業という二重洗脳から自由になることが、この世界を生き延びる大切な鍵となりつつあります。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-12-24 15:06:38

竹で武器をつくる

徒手空拳日記 2021年12月23日木曜日 今年買ってよかったもの、いくつかありますが、こころに最も印象に残っているのは、ダイソーのクリップボード付書類ケース、200円です。逆張りのアナログトランスフォーメーションで、ラピッド・ロギングを音声入力のデジタルではなく、手書きにして、A4サイズのコピー用紙にじゃんじゃん書きまくる方法に変えました。 それをスキャンして、Googleにストックしておけば、デジタル検索もできちゃうので、入力方法を手書きにしても、デメリットはほぼないです。むしろ、手で掻くことによって、脳に記憶が引っ掻かるので、そのぶん、メリットのほうが大きいと思います。 コクヨのナンバリングスタンプも買って、A4サイズのコピー用紙に通し番号をつけはじめましたので、これをユニークなインデックスにして、死ぬまでひたすら考え事と物思いを、ストックしていこうと思います。紙による保存と、テキストデータによるクラウド保存くらいしか、結局は長持ちするストック方法はなくて、エバーノートにせよ、Googleにせよ、10年後にはどうなっているか、丸でわからないと思います。 この10年ではっきりしたのは、ありとあらゆるプラットフォーマーは信用できないということで、Facebookなどは世界中の人々から見放されつつありますし、もしかすると既にプラットフォーマーの時代は終わっているのかもしれません。 日本の2千年の歴史のなかで、唯一最大の転換点はどこだったかといえば、だいたいの人は、明治維新ではなく応仁の乱をあげると思います。つまり15世紀末の変革から先はずっと、日本の封建的でカルトなレジームは、根っこは丸で変わりません。 敗戦後の経済成長など、ポスト応仁の乱という長い視座から見れば、またたき程度であり、グローバル経済のまやかしが消え失せて、我々は鎌倉時代の終わりから江戸時代手前くらいまでの末法を、ふたたび生きることを余儀なくされる、私はそう予想しています。 刺股を買おうとすると、1万円以上するので、家の周りに大量にあって、無料で手に入る素材である竹を使って、防御の道具を作っています。竹槍などと言うと、敗戦国では矢鱈とバカにされる武器ですが、1対1の白兵戦ではそれなりの価値があります。さらに、竹でボウガンをつくり、ディフェンスだけではなくオフェンスの力も高めたいです。 来年は、いま住んでいる拠点を、シラフで生きていく人々のベースキャンプにしていこうと考えています。応仁の乱以降、庶民はなぜ残り滓一滴残らないほど、搾り取られたのかと言えば、権力者によってエタノールをあてがわれたことが、その要因として大きいわけで、乱世を生き抜くためにも、エタノールから自由になる人々を、手助けしていくことが、とても重要だと思います。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-12-23 21:00:17

意識も常識も10年遅れ

徒手空拳日記 2021年12月22日水曜日 芸能人の自殺は、とにかく矢鱈とページビューが稼げますので、左巻きの広告乞食のマスメディアとしては、希死念慮をいま感じている人々に配慮して、自粛するなんていう、人間としての最低限の常識もなく、彼らが最近になって編み出した、おこられないためのテンプレは、読み手の希死念慮をさんざんざわつかせるコンテンツのあとに、死にたい悩みのご相談はこちらへ、という連絡先を取ってつける丸投げで、このクソな抜け道フォーマットにこそ、満洲国2.0の底抜けの不気味が現れていると思います。 しかもそのテンプレのイントロすらも、おのれの言葉ではなく、厚生労働省によるとご相談窓口はこちらです、みたいな、そこでさえ、役所のお墨付きを姑息に使っているところなども、激しい嫌悪をもよおします。さらに言えば、こういうときだけ、しょうもない記事文中に頻繁に使われる、愛娘という言葉、こいつら書いてて恥ずかしくないのかな、まあ、ロボトミー手術されて、根こそぎ羞恥心のない人だからこそ、ページビューをなりふり構わずかき集めるような、この世でも最も賤しい仕事ごっこをしているのでしょう。 生き恥をさらすようなイエロー・ジャーナリズムも、他の政財官学マスメディアと構造は丸で同じで、どんな手を使ってでも、とにかく、ページビューを稼げるクリックベイトをとことんやり切れる人非人しか、仕事が来ない状態だろうと思います。 東京オリンピックのタイミングで、いきなりグローバルの最高位スポンサーに手を挙げたら、いきなりコロナ禍で酷い目にあったブリジストンですが、防振ゴム事業を丸々っと中国の会社に身売りして、8000人を転籍にするとのことですが、来年はこういった事業丸っと、断舎離する動きがさらに顕在化するはずです。 今日も東急ハンズが、カインズホームに丸投げ売りされていましたが、東急ハンズという業態は、私の認識では2005年頃にはすでに死んでおり、1990年代の渋谷店の輝きは、もはやYou Tubeにすべて吸い取られてしまいましたね。いまさらこんなとこ買う意味が丸でよくわかりませんが、なんなんでしょうか。東急が東急ハンズを身売りするのですから、東急ハンズという名前も、この世から消えてなくなりそうです。 芸能人の自殺ネタに群がる朱子学カルトの国民意識は、軽く見積もっても世界から10年遅れくらいなので、さまざまな致命傷から逃げ遅れた人たちが、これからもたくさん身売りされちゃうと思います。正常化バイアスを自力で解除して、己の方向感覚と、嗅覚を持っていないと、いつ転げ落ちてもおかしくない、政財官学マスメディアの大掛かりなバトル・ロワイアル、10年遅れのイカゲームが、始まっています。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-12-22 21:00:50

こども家庭庁より、キモくて金のないおっさん庁が先

徒手空拳日記 2021年12月21日火曜日 大阪のうめきた地区という、うめきごえみたいな名前の再開発エリアは、大阪最後の一等地などとネーミングされているのですが、三菱グループがこの一帯を、グランフロントなどの高層ビルや商業地に塗り替えようとしています。いまでこそ、梅の田と書きますが、もともとは淀川沿いの低湿地帯を埋めたてて、田畑に変えた干拓地であり、ここは昔は、埋めた田んぼと書く「埋田」でした。 そのうめきたエリアで昨年、江戸末期から明治初期までの1500体以上の遺骨がみつかって、その不気味さ、異様さにもかかわらず、その土地を高く売りたい、政財官学マスメディアによって、頬被り、だんまりを決め込むスルー扱いとなりましたが、元いた場所を追われて、大阪という大都市に集まらざるを得なかった、当時の弱き者たちが、ひとつの穴に何人も着の身着のまま埋められており、おそらくは幕末に、このあたりで流行した疫病で、大量に死体を埋葬する必要があったのではないかとみられています。コロナ禍でも、人口比で世界でも屈指の死者数を数えた大阪は、その冷たさ、酷薄さで世界ぶっちぎりのフロンティアであることは、昔も今もぜんぜん変わっていないなあ、と思います。 その梅田で、大量殺戮を計画して実行した、曽根崎ジョーカーの実像が、少しずつ明るみになっています。彼の自宅からは、「消火栓をどうすべきか」とか「隙間を何とかしなければ」とか「大量殺人」といった、確実に、そのフロアにいる人々を丸っと殺すための計画と思われるメモが見つかっていたり、京アニ事件のスクラップ記事が見つかっているようで、曽根崎ジョーカーの強烈な意思、つまり社会への強い怨念を感じます。 漏れ伝わる情報から、被疑者はアルコール依存症であった可能性が高く、私に言わせれば、エタノールという日の丸オピオイドである薬物を、野放図に市中に蔓延させ、国策としてアルコール依存症を大量に生み出したまま放置しているクソ国家、満洲国2.0の構造的なリスクが、コロナ禍でむくむくと顕在化しているのだと思います。ひとりひとりが、エタノールや都市と、かなり間遠になることくらいしか、エタノールによる広義の薬害をさけることはできません。銃を持ちにくい社会なので、刺股のようなものを、備えておく施設も増えるだろうなと思います。 先日、北海道の発寒にあるイオンで、商品の瓶ビールを床に叩き壊して、お店をめちゃくちゃにした男も59歳でした。寂しい中高年の男が、誰からも相手にされなくなってブチギレまくる間抜けな時代になって来ました。敗戦による低みへの到達、本当によかったですね。 満洲国2.0の、超絶しょぼい幹部のみなさまは、子ども家庭庁なんかよりも、KKO庁、つまりきもくてカネのないおっさん庁をまずつくるべきです。たくさんのやりがいのあるお仕事の発生、心から、おめでとうございます。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-12-21 21:00:10

牛丼産業の終わり

徒手空拳日記 2021年12月20日月曜日 かつてワンオペで世間からぶったたかれた、牛丼のすき家ですが、いまもお店には、監督すべきお立場、ご身分の正社員もろくすっぽいないようで、ゼンショーホールディングスは、複数名のアルバイトをカタチだけお店に配置しておけば、問題ないと考えているようです。 ゼンショーホールディングスの展開する、外食ブランドとやらをみると、デフレの吐き気を催すような、お店ばかりで、こうしたお店ではゆめゆめ、メシを食ったり、働いたりしてはならないと思うのですが、世の中は情弱だらけなので、仕方ありませんね。すき家では、店のなかを走って接客する研修があるとのことで、頭のおかしな朱子学カルトのお手本のような会社です。 もはやゼンショーが、コロワイドが、どうこうという次元ではなく、デフレの継続を前提としたこうした飲食、旅行などのサービス産業全てが、いっせいに蒸発する寸前だと思いますので、すき家なぞもレッセフェール、神のワンオペに丸投げしておけば、5年後には跡形もなく消滅しているのではないかと思います。米国の牛肉を円で買う、バーゲニングパワーが激落ちくんなので、牛丼いっぱい500円を越える日も時間の問題でやってきます。牛丼食えなけりゃ、海鮮丼食ってりゃいいんじゃね。 2018年7月に、すき家でアルバイト中に滑って転倒し、スープジャーが置かれた台に接触、高温のみそ汁をかぶって大やけどをした東京都内の女性が、店内の安全確保が不十分だったとして、1000万円の損害賠償を求め、東京地裁に提訴したとのニュースを読みました。この女性は、やけどしても、同僚から放置され、自ら救急車を呼び、病院に搬送されたということですが、11月に開かれた口頭弁論では、すき家側は安全配慮義務違反はないとして、請求棄却を求めたようです。 こうしたデフレの飲食店で、気軽にアルバイトする行為そのものが、これからは急速にありえないことになっていくと思います。外人も、日本にはもう来ません。時給をいくら上げても募集が埋まらない、そういった事態になっています。 空飛ぶすき家とでも言うべき全日空も、コロナ禍をいいことに従業員のクビを切りまくったら、想定を越えて辞められてしまい、感染者の急な減少で人が足りなくなり、5年以内なら辞めた社員を正社員として復帰させる、まるで地面に落ちても3秒以内なら拾い食いOKの、3秒ルールのようなクソ制度を立ち上げました。 これからは、会社が従業員のクビを切ることによってではなく、従業員がとめどなく辞めてしまうことによって、遅い、疎い、頭のおかしな日本企業の淘汰が進むという、未曾有の時代を迎えます。まさにスタグフレーションさまさま、安さ勝負の削り合いしか能のないすべての日の丸産業が、これから絶滅します。全勝が全敗に転じる、超絶メシウマの殲滅がこれからますます顕著になっていくと思います。よかったですね。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-12-20 21:00:00

「ありのままの自分になる」という責め苦

徒手空拳日記 2021年12月19日日曜日 半世紀を生きたあたりで、きっぱりと社会人から身を引きました。政財官学マスメディアの下請けはしないことにしています。元気で明るくちょっぴりエッチ、それなのにとことん謙虚な、頑張り屋さんのみなさんとの、絶縁です。いま幸せを感じるのは、毎晩お風呂で股間を洗ってきれいにする瞬間です。夕飯そのものをまともに食べなくなり、さらに言えば夜8時から正午まではものを食べなくなりました。 政財官学マスメディアに利用されることなく、経済的に自立して生きる、今風に言えば、ファイヤームーブメントですね。仕事やめたら、サラリーマン時代の仕事はもうなくなるなと思ってたのですが、ほそぼそとまだお仕事をいただいておりまして、完全なリタイアはもう少し先かなと思っています。 大阪の雑居ビル放火事件で、村上龍のオールド・テロリストという作品を思い出しました。まだほとんど誰も指摘していませんが、還暦過ぎたオールドマンが、ガソリン放火という自爆テロを決行したという意味で、日本の枯野にも、消えない火がついてしまいました。村上龍の作品では、ガソリンで派手に燃えたのは、たしかNHKの受け付けでしたけど、NHKのような強きもの、大きなものではなく、街の心療内科という弱きもの、小さなものを巻き添えにするという意味で、テロの傾向も、イスラム教のような宗教テロに近づいて来ました。 コロナ禍でこの国に間違いなく増えたものは、希死念慮だと思います。つまり死にたいという気持ちです。人生百年時代などという浅はかなまやかしがバレてしまいました。コンビニでいつでもどこでも好きなだけ買えてしまうエタノールが、希死念慮に拍車をかけています。人は、怒ることで、逃げるか戦うかのどちらかへと進みますが、ダウナー系の薬物で、怒ることを封じられてしまうと、残された道は、己が消えていなくなることになってしまいます。 神田沙也加の死が示すものは、この国に満ちている希死念慮という負のエネルギーだと思います。元気で明るく、ちょっぴりエッチ、それなのにとことん謙虚を強いられる人々が、生真面目なものから順番に次々とへこたれていきます。アナ雪のヒットは2014年ですが、あのあたりから希死念慮の総量は、ぐんぐん増えている気がします。ありのままの自分になるの、という歌詞は、ありのままの自分になる、という強烈な矛盾、論理の破綻を含んでいるフレーズですが、いまのありのままではだめなんだという責め苦がますます強まって、ありのままではない己のすがたがくっきり、はっきりと見えてきました。とにかくエタノールをやめること、朱子学カルトから逃げること、そこから始めてほしいと思います。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-12-19 21:00:34

地獄の評価経済

徒手空拳日記 2021年12月18日土曜日 西梅田ジョーカーが、心療内科をガソリンで燃やしてしまい、またまた大量虐殺となりました。京アニ放火殺人と同じで、評価を矢鱈と重んじるしょうもない経済システムの成れの果てです。職場復帰のワークショップに集まっていた人が犠牲になったとのことで、社会になんとか戻ろうとして、こういった狂気の犠牲者となるのは、なんとも言葉になりませんね。私からすれば、社会人という意味不明の評価ステータスに戻ることそのものが、必要のないことなんじゃないかなと思ってしまいます。 現代は、他人から評価されることに矢鱈と重きを置きすぎです。You TubeもTwitterも、評価地獄です。ふるさと納税も、無理矢理、田舎への評価をかき集めようとするから、返礼品のダンピングに走ろうとします。肉とか米を、ありえないダンピング価格で送って、その結果なん十億円も寄附金が集まりましたとか言っている地方自治体とか、頭が悪過ぎなんです。評価ですらないものを、評価だと勘違いしています。 それは評価されてるのではなく、よってたかって、たかられているだけです。そのことに気づかない愚かな地方自治体のなかでも、茨城県境町という町は、特に愚かだと思います。ここは、いまだにレイシズム企業DHCのつくった地ビールを、返礼品にいれていますし、現代の無印建築家、その作品すべてが単なる産業廃棄物でしかない、隈研吾のデザインでほしいも工場をつくったりしています。税金のひどい使い方も、ここまで来ると犯罪ではないかと思います。 こんなレイシズム地方自治体にふるさと納税するさもしい国民に、なんの意味があるのかなって思います。高橋洋一が制度設計したクソ制度は、結局は現代の光倶楽部である、楽天の赤字を埋める原資になっています。楽天は地方自治体にまで、検索連動型広告を売りつけて、愚かな自治体は税金で広告を打ちまくり、検索上位におらが地方のコメや肉が、表示されるようにしています。 こんな間抜けな令和の消耗戦に参加したところで、地方が自立して豊かになるわけもなく、逆に単なるダシに使われているだけです。国交省の統計偽装とか、総務省のふるさと納税とか、極東の末期ソビエトのクソみたいな政策ごっこは、筋が悪いどころではない、珍奇で無意味なスキームばかりで、ひたすら不気味です。 いいねが欲しい、評価されたいという間抜けな気持ちそのものが、はなから意味がないのではないかと思います。いまを生きるすべての人間は、無価値であって、みなさんがなすべきことは、評価を得ることではなく、飯を食って、屁をこいて、そのうち死んで、土に帰ることです。立派な社会人になろうとするから、キチガイに丸焼きにされたり、日の丸オピオイドとしてのエタノールに依存してしまうのです。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-12-18 21:00:22

しんがり戦は喪失そのもの

徒手空拳日記 2021年12月17日金曜日 ニューイヤー駅伝の伝統ある優勝旗をなくしちゃって、執行役員が謝罪会見した富士通ですが、ヤフコメにはせっかくがんばった優勝選手たちがお気の毒、的なしょうもないコメントが数多く書かれています。でも、優勝旗の管理責任は、選手たちですよ。スポーツ社員を特別扱いする意識そのものが、大量のコロナ死を横目に、オリンピックを楽しんじゃうスポーツ至上主義の日本駄民らしく、間抜けです。ましてや富士通なんて、もはやスポーツという余技に、時間とお金を費やせる状況では、丸でありませんね。 昨年10月には、東京証券取引所でシステム障害が発生、全銘柄の取引が終日停止となる前代未聞の重大事故を起こしたのは、富士通です。みずほの勘定系システムのベンダーにも参画していますね。だめな組織はなにをやってもだめ、大きなものを統べる能力の劣化は、クライアント向けにだけ、劣化しているのではなく、本来はなくしてはならないものを、うっかりなくす、あらゆる喪失を引き起こしていると思います。 富士通の、ヒト・モノ・カネ、なにもかもを散逸していく、つまりは信用の流出は、最後の最後まで止まらないと思います。よかったですね。貧すれば鈍する、富士通はコロナ禍に乗じて、汐留にありとあらゆるオフィス機能を集約させているみたいですけど、その集約には物理的な引っ越しがともないます。ダメ人間しか残っていないダメ組織の引っ越し、となりますとゼロから百まで全部ダメ、固定費をケチって多くを失う失態を幾重にも繰り返していると思います。 コロナ禍にかこつけて、目を三角にして、急いで固定費を減らそうと、オフィスをいっきに収縮させて、重要なヒト・モノ・カネもなくしてしまう、この間抜けな有り様は、なにも富士通に限ったことではなく、満洲国2.0の朱子学カルト、ありとあらゆる政財官学マスメディアで同時多発しているものと思われます。しんがり戦とは、はなから喪失そのものです。全滅をさけるだけで、ほとんどの重要資産を失います。その取り返しのつかない喪失に気づくのは、かなりあとになってだと思いますが、これは戦争などで片足を失った人が、もうないはずの足が痛む症状に似ています。 満洲国2.0のあちこちで、このようなお間抜け極まりないしんがり撤退戦が、静かな混沌のなかで行われています。冷戦ではなく、静かな戦い、とでも言うべき破壊です。富士通破れてサンガリア、富士通のない世界は特に誰も困らず、普通に美しい、最初からいらなかったな、あんなクソ企業、それだけのことだと思います。富士通、全日空、資生堂、日テレ、電通の集まる汐留エリアは、しんがり撤退戦の、墓場となるでしょう。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-12-17 21:00:05

肉袋の痛みを鎮めるエタノール

徒手空拳日記 2021年12月16日木曜日 忘年会、お歳暮、紅白、年賀状、初詣、おせち料理などなど、年末年始のしょうもないオワコン習慣が完全に、ごっそりとなくなり、嬉しいですね。 とくに社会全体で、飲みたくもないお酒を、無理に飲まされることがなくなりつつあります。コロナ禍さまさま、時間のコマが8倍速で早送りされました。ありがとうございます。 エタノールの有害は、人間社会の有害によってもたらされるものです。エタノールに、考える時間と能力を奪われた結果として、政財官学マスメディアの組織にがんじがらめになるのです。経団連をつくったのは安倍晋三のおじいちゃんである岸信介ですが、満洲国では頓挫した、商工業生産に、自国民を完全隷属させる統制経済を、改めて敗戦後に内地でやってみたのが、クソみたいな満洲国2.0です。 満洲国2.0での、エタノールの本質的な機能は、オピオイドとおなじ、鎮痛でした。経団連の歯車となって、経済を回すことには、耐え難い心身の痛みがあって、それをエタノールで鎮める必要があったのです。ビートたけしの歌に、「ハードワークの毎日、乱れるままに乱れたい」という歌詞がありますが、まさにあれですね。 「男はつらいよ」の1984年作品、「夜霧にむせぶ寅次郎」には、冴えない男が、茨城の牛久沼なんていう限界マイホームを買ったら、生活が苦しくなり、妻がレジ打ちのパートに出たら、男ができて、北海道に駆け落ちされてしまった、なんていうエピソードがえがかれていますけど、マイホームやマイカーのために奴隷金融を組まされ、一生涯、経団連の奴隷を強いられた人々にとって、エタノールとは激安の鎮痛剤、日の丸オピオイドだったわけです。 コンビニエンスストアなどというおためごかしな小売チャネルも、要するにエタノールのドラッグストアが実態であり、経団連としては、炭素でできた肉袋を散々働かせたあと、終電を過ぎてもエタノールを供給するチャネルが必要だった、それだけのことです。経団連が滅びるまでデジタル化できないのは、ロボットより肉袋を動員する、やたらと古い組織だからです。 キリンビールは、三菱財閥のドラッグ部門として、ヒロポンの禁じられた敗戦後社会でひたすら、日の丸オピオイドとしてのエタノールを肉袋に注入する事業をしてきましたが、国内の肉袋が減ってきたので、ミャンマーに進出してみたら、人殺しに資本を入れてしまい、とてつもない損失をこうむってしまいました。アベノマスクもほとんどが、メイド・イン・ミャンマーでしたね。 それもこれも、国内肉袋専門のドラッグサプライヤーだからこそ、ブラジルやミャンマーにのこのこ出ていき、まんまと失敗するわけです。 建設需要をサバ読みして、アベノミクスの経済成長を捏造するなんてお手のもの、満洲国2.0そのものが最初から、なにもない、単なるフェイク国家なのです。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-12-16 21:00:16

かすめ取られない人生

徒手空拳日記 2021年12月15日水曜日 いっときは、このひとらは、日本のケネディ家かよって思われていた気もするカンバック・サーモン、石原ファミリーの凋落をみるにつけ、この国で没落しない名家になるには、とてつもない努力と才能と悪だくみが必要なのだなと思います。岸信介から続くファミリーだって、安倍晋三が小菅にぶっこまれれば、今後の栄華も見込めません。 最初から、受け継ぐべき金目の、丸でない私からすれば、金目のない最後もまたたのし、あの世には、おカネもお立場、ご身分もなんにも持ってはいけませんね。エタノールの要らない人生は、人間関係もやたらと軽い人生であり、この軽みからお立場ご身分に汲々とする人をみると、哀れだなと思ってしまいます。 もらえるものは、もらっとけ、とばかりに、政治屋さんらに、ここだけの、マル秘のお得情報を拡散する人でもいるのでしょうか、次から次へと政治屋さんの公金不適切受給が止まりませんが、自己申請主義とは要するに、公告とか公示を、誰もみていない、丸でつまらないものにしておき、カタチばかりオープンにして、手を挙げた内輪にだけ、いい思いをさせる制度です。 人とは、鍵のかかっていない檻に閉じこもっていることに、だいたい無自覚な奴隷なのですが、官僚制における申告主義とは、鍵のかかっていない小箱に情報を開示して、かたちばかりのオープンな告示や公示をしましたよ、というアリバイづくりです。こっそりと教えられた人だけが、小箱のなかに手をツッコミ、抜け駆けし、自分だけいい思いをする、そういう仕組みです。 HISの子会社が、ゴートゥートラベルに乗じて架空宿泊をでっち上げて、補助金をだまくらかしたことが明るみになってたり、国土交通省が、景気判断の重要な統計情報である建設需要を水増しで改ざんしていたり、政財官学マスメディア丸々っと、バレなければなにをやっても構わない、悪いことやって逃げ切ったものだけが勝ちの、しょうもない国となっています。 会社やめてなにが良かったかといえば、納める税金が矢鱈と少なくなったことですが、私としては政財官学マスメディアに支払うカネは、すべて税金だと思っているので、NHKが土台映らないテレビにしたり、クルマも輸入車、ネット通販はAmazon、モニターもパソコンもできるだけ海外ブランドを選びますし、とことん、ドロブネの日の丸商品やサービスを避けることです。 お金を稼がなければ、朱子学カルトから抜かれない、都市にいなければ、政財官学マスメディアにかすめ取られない、それだけのことです。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-12-15 21:00:01

だるまさんが転んで二度と起きあがれない

徒手空拳日記 2021年12月14日火曜日 リーマンショックから10年間、政財官学マスメディアが挙って何をやってきたかと言うと、絶頂期のビジネススケールの幻想を、カタチだけでも維持するためなら、いくらでも不正しちゃうぞという悪足掻きだったと思います。例えば、実体として100万円の価値のあるお仕事を、なんだかんだで1000万円の仕事にカサを大きくみせて、自分たちだけは利益確定して、スタコラサッサと逃げ切る。その繰り返しだったのではないかと思います。 子どもの砂遊びで、お砂の山をつくり、その山頂に棒を挿し立てて、砂山を両手で交互に削り取り、棒を倒したら負けという、山たおしという名前の原始的な遊びがありますが、政財官学マスメディアの仕事ごっことはまさに、あれです。 政財官学マスメディアのティアワン企業が、最初のきれいな砂山を、政治屋さんや官僚といっしょにつくります。その砂山のほとんどは税金です。ティアワン企業はその山を、棒が倒れないようにがっぽり削り取ります。2次請け、3次請けも、がっぽり削られた砂山を、棒が倒れない程度にギリギリで削り取っていきます。やがて10次請けくらいになると、棒が倒れます。リーマンショックで、最初の砂山そのものが小ぶりになりましたので、ティアワン企業が最初に削り取る割合がどんどん大きくなりました。 こんな仁義なき、つまりヤクザ以下の山たおしゲームを繰り返していたら、末端が壊死するのは当たり前で、満洲国2.0を人体に例えれば、もはや両手足の指どころか、手首、くるぶしの付け根ぐらいまで、末端がなくなってしまっている状態です。やがてダルマさんになって、意識も朦朧としたまんま、炭素でできた肉袋もはらわたまで腐っていくでしょう。 私は、この山たおしゲームそのものに、はなから加わらないことにしています。つまり、政財官学マスメディアの下請けにならないということです。そうすると、最近は意外と、チョクで取引してくれる業者も結構あることに気づきました。 彼らとしても、山たおしごっこなんていつまでもやっていられないわけで、砂山の砂そのものがどんどん分散しています。リーマンショック以後の、政財官学マスメディア生き残りスキームが、ようやっと壊れて、見えてきたのは砂山そのものの消滅です。米国ではコロナ禍前から会社勤めの人がどんどん減ってきており、日本も10年遅れで、その傾向が強まっています。 大企業の名刺1枚でいっちょ噛み、中抜きをしてきた人々が、噛んだり、抜いたりするあんこの中身そのものが、なくなりつつあります。賃金奴隷から人が、仕事が逃げ出して、プラットフォーマーが囲い込めない別次元に溶け出していく流れは加速するでしょう。いっちょ噛み、中抜き業者が袋叩きに合う時代が、もうすぐそこまで来ています。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-12-14 21:00:49

東京は昔も今も、大阪と名古屋のミラーサイト

徒手空拳日記 2021年12月13日月曜日 凋落の止まらない大阪とは、単なる敗者復活国である満洲国2.0の凋落を指し示すだけの、予言的な先行指標です。絵にかいたような二分の一倍ゲームである縮小均衡と、考える力を奪われた愚かな民をだまくらかすミヤネ屋ポリティクス、言うならば、維新とは超絶しょぼいナチスだろうなと思います。その維新と新選組が日曜討論で舌戦とか、この国は大衆プロパガンダにいまだに近代封建時代の借り物ブランディングがされることも、愚鈍な民らしくてとっても素敵ですね。 リーマンショックで壊れてしまった大阪とは、その後10年にわたる、破壊と荒廃の、ぶっちぎりのトップランナーです。衰退した社会民主主義の成れの果てを観察したければ、大阪へ行け、そういうことだと思います。BOROという創価学会員による、「大阪で生まれた女」は1979年のヒット曲です。岸政彦は大阪についてこんなことを書いています。引用します。 級友が全員、 医学部や東大や早稲田や慶應に行くような高校だったのだが、それに背中を向けて、自分ひとりで大阪に来た。ありきたりのコースを歩くのが嫌だったし、それにバブル当時の大阪は、みんな我儘で、カネを持っていて、かっこいい街だった。女の子たちも派手で、ノリがよく、とにかくたくさんの酒を飲んだ。そしてその大阪、 自由 で、反抗的で、自分勝手で、無駄遣いが好きで、見栄っ張りな大阪は、この三十年で完全に没落してしまった。完全に没落、という言い方は大げさかもしれないが、とにかく私にとっては三十年前の大阪はもう、その面影すらない。それは実際に大阪の社会的・ 政治的・経済的地位が下がったせいもあるだろうし、私自身が歳をとった、というせいでもあるだろう。 以上で、引用は終わりです。大阪の落ちぶれかたは、観察者が歳をとったせいよりは、明らかに、都市の貧困化が原因だろうと思います。パナソニックや、サンヨーや、シャープが大阪からごっそりなくなって、宮本輝の泥の河時代に、ゆっくりと引き戻されています。大阪はまさに、オレ、カネねんだわ、そのものです。 分け前が減ると、排除やいじめが幅を利かせます。吉本興業なんて、いじめそのものをカネ儲けにする組織集団ですし、日本維新の会がやっているキャンペーンは、魯鈍な大衆がスッキリするスケープゴートを見つけ出して、指さして、痛めつけることの劇場化でしかありません。 トヨタがこれから連続だるま落としで凋落して、豊田市から浜松市まで、東海地区が丸々っと、急速に寂れていくと思います。東京とは昔も今も、大阪と、名古屋のただのミラーサイトでしかないので、これからどんどん、東京はスッカスカになっていきます。よかったですね。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-12-13 21:00:09

クリックベイトとヤフコメベイト

徒手空拳日記 2021年12月12日日曜日 私は最近、暇っつぷしで、ヤフコメをよくみています。ヤフコメの99%以上は、単なる感想以下の、しょうもないルサンチマンや、中高年と思われる、やたらと上から目線の偉そうなコメントばかりですが、時として、インサイダー情報と読めるものや、当事者しか知り得ない一次情報のようなもの、あるいはコメントそのものが、画期的でクリエイティブなものが、砂金のようにごく稀に見つかります。 そういった、特異なヤフコメの書き手を見つけると、その人が他にどんなコメントを、どんなニュースに対してつけているのか、気になります。コメ主さんの他のコメントも果たして読んでみると、だいたいそういう人は、他の多くのヤフコメ民とは真逆の、見巧者です。見巧者とは、芝居などの見方がじょうずな人のことですが、彼らは世界の見巧者、つまり視点そのものが素晴らしいと感じることが多いです。この世界をどのようにみているのかは、まさにその人のクリエイティブな価値そのものです。 ヤフコメは、あるニュースについたヤフコメには、一回の返信で終わりです。つまり、言いっぱなしの構造です。Twitterとか2ちゃんねるのような、n対nの無限バトルはヤフーニュース上ではできません。だからこそ、見巧者は下手に絡まれることもなく、貴重なコメントを投函できるのではないかと思います。Twitterにはためらうようなコメントも、ヤフコメには投じられるのです。 日本のマスメディアで第一線の自称ジャーナリストたちは、その仕事の多くを、官邸や警察あるいは大企業など、政財官学からの情報にほぼ100%依存していますので、ヤフコメなんてほとんど読んでないと思います。統制経済と言論統制で、賃金奴隷の目くらまししかできないマスメディアですが、それでいいんです。 マスメディアからしてみたら、とにかくしょうもないヤフコメが大量につく記事をできるだけたくさんアップすることが、彼らのお仕事になっています。ヤフコメがやたらとつくことを、意図的に狙った記事のことを、私はヤフコメベイトと名付けています。ベイトとは英語で釣りのエサのことです。 最近だと、小室圭関連の記事などはすべてヤフコメベイトでしたし、日曜日だとネトウヨをターゲットにしたTBSのサンデーモーニング関連の、青木理発言のこたつ記事などが、典型的なヤフコメベイトですね。女性自身とか女性セブンとか、デイリースポーツなどはとにかく、クリックベイト、ヤフコメベイトでページビューを稼ぐことしか能がないのですが、編集もライターも虚しくてみっともない、賤しい仕事としての、賤業で、超絶ブルシットジョブです。恥を恥と思わぬこれらのお仕事も、やがてグーグルによって締め出されちゃうと思います。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-12-12 21:00:33

大東亜女衒共栄圏の崩壊

徒手空拳日記 2021年12月11日土曜日 AKB48が、海外姉妹グループのエースたちと、自称「世界選抜」なる特別グループを結成し、「恋するフォーチュンクッキー」を歌ったのは、彼女たちの最後の紅白歌合戦出場となった、2019年年末でしたが、海外とは言ってもアジアでしかなく、日本の製造業が絶頂期だった頃、日本人の駐在員向けに雨後の筍のようにつくられた、カラオケバーと丸でおんなじ、なんとも昭和な香りのする、AKB48の海外版は、これまでに9の地域につくられたのですけど、ベトナムのSGO48は、解散を発表、インドはすでに休眠状態、インドネシアも大規模な人員削減と、セクシズムとレイシズムとルッキズムの三乗である唾棄すべき、クソみたいな差別のユニットが、急速に消滅しつつあり、こんなにうまい飯もなかなかないなと思います。 電通のアジア駐在員が、日本の現地に駐在するクライアント向け接待のように、彼らを活用した、プロモーションを企画していたのですが、なにを恥ずべきかもわかっていない極めて恥ずかしいシステムが、根っこから壊れていて笑えます。 日本人駐在員向けの夜の街にあるカラオケバー性売春の延長線上にある、こんなくされ男根主義は、現代の従軍慰安婦としてもっと糾弾されるべきだと私は思うのですが、NHKの紅白歌合戦そのものが、セクシズムを前提とした賞味期限切れ番組なので、まともな判断を政財官学マスメディアができるわけもなく、まあ一方的に地上波を受信できなくしてしまった私の大正解、ということだと思います。 ピロヤンという、半世紀生きたもう働きたくないでおなじみの、いっさい働かない中高年ユーチューバーは、NMB48の握手会も軒並み中止なので、NMB48のYou Tubeを見ながら毎日自炊して生きていますが、私に言わせれば、秋元康のガラパゴス芸能の餌食になっているファンという名の差別主義者が、すべての元凶だと思います。こんなみっともない奴らは、はやく死んでしまえばいいのになって思います。 こうした差別的な芸のない芸能活動が、ポリコレでどんどんできなくなって、セクシズムとレイシズムとルッキズムでうまい飯を食ってきた女衒の利益機会がどんどん先細りで、なくなっていく社会になっていきます。 私からすると、いまのなんちゃらフォーティーエイト系の女の子は、柔らかいものしか食べてないためでしょうか、アゴのないゴミ箱の菊人形みたいな奴らばっかで、なんの魅力も感じません。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-12-11 21:00:19

する時代からしない時代へ

徒手空拳日記 2021年12月10日金曜日 Great Depression、いわゆる大恐慌になぞらえて、いまは大辞職 、Great Resignationの時代なんて呼ばれていますが、いわゆる先進国で、クビになるのではなく、労働者が自ら会社を見限って、自分から辞めてしまう傾向が、コロナ禍でますます顕著になっています。 多少時給が高くても、しょうもないブルシットジョブなんてもうやらない、人生をムダにしながら、いきなりウイルスガチャで死んだら、元も子もない、ということで、人々がどんどん会社を辞めています。 なんといっても、コロナ禍で、人生百年時代なんてものは、真っ赤なウソだとバレました。むしろ、本当は人生なんていつ終わるかわからないのです。縄文時代からその原則は変わらないのです。 資本家に搾取される賃金奴隷は、もう辞めてしまおうよと人々は気づき始めました。お酒を飲まない、Sober Curiousのムーブメントも、エタノールなどという薬物の奴隷でいたら、いつまでも賃金奴隷を辞められないな、というロジックだと思います。酒はサラリーマンの飲み物です。賃金奴隷にとっての、現実逃避をする命の水です。 共同体そのものへの牧歌的な信頼が木っ端微塵に打ち砕かれました。江戸時代の末期になると特に北関東では、村ごと農地を捨てて、消え失せてしまう逃散があちこちでみられましたけど、いま世界規模で起きていることも、逃散と同じで、なにかをするのではなく、反対になんにもしないことによる、破壊的なサボタージュです。 政財官学マスメディアから、人々がじゃんじゃん逃げています。ちょっと前だったら、逃げた奴らを組織ぐるみで執拗に追いかけて、嫌がらせをしたり、経済圏から完全に抹殺したりしましたが、いまとなってはもはやそんな気力も体力も、彼らには丸で残っていません。 私も昨年一杯で、賃金奴隷を辞めて、ブルシットジョブをなくす仕事をやっていますが、特に困りませんでした。政財官学マスメディアどうしの結束が弱っているので、政財官学マスメディアも、個人のスキルを自由に調達しようとしています。あと5年ぐらいすると、会社が従業員のクビを切るのではなく、従業員が会社の息の根を止める、真逆のリストラが主流になっていると思います。超絶メシウマですね。 単なる米軍の走狗でしかない政財官学マスメディアのウソ、デタラメ、ハラスメントがバレバレになり、逃散の規模とスピードが拡大していきます。連合赤軍も糸井重里も、なにかをすることの政治運動でしたけど、これからはなにもしないことの政治運動が、主流になると、私は予想しています。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-12-10 21:00:14

さもしい顔をした内閣参与

徒手空拳日記 2021年12月9日木曜日 晴れた日は外をぶらぶら、雨の日は家のなかでNetflixをみながら踏み台昇降で、毎日1万歩はウォーキングしていますけど、東京から離れていると、東京にいた頃やたらと歩いた場所が、懐かしく思われることがあります。 岸政彦という社会学者あるいは小説家は、大阪を本拠地にしている人ですけど、彼いわく一番好きな東京は、浜松町だと言います。東京の文明的な情緒のようなものがあんまりなくて、浜松町にあるのは、デフレ時代に増えまくった安売りの、画一的なファストフードのチェーン店ばかりで、そこがいいのだと言っていました。 私も東京に住んでいた頃は、浜松町をよくぶらぶらしましたので、町のスッカスカな感じはよくわかります。竹芝あたりにできた再開発エリアも、こんなとこで働きたくはないなあと、心の底から思います。 でもなんで浜松町には文化的な臭いがほとんどしないのかといえば、江戸末期から明治にかけてあの辺りは、東京でもガチのスラム街だったからだと思います。 浜松町から歩いて10分くらいの JR のガード下に、つい最近まで、掘っ立て小屋のようなあばら家があって、こんなところにイエがあったら、ひっきりなしに電車が通るたびにうるさくてしょうがないと思うのですが、最近まで確かにそこで、息を詰めて生活していた人がいました。 今は完全にその小さな住居は撤去されて、地面もコンクリで塗り固められてしまい、そこに人が住んでいた面影はもうありませんが、浜松町界隈とは、貧しいものが元の居場所を追われ、逃げたどり着く最果ての地だったわけで、浜松町に残る虚無はおそらくは、過去の怨念が醸すものだろうなと思います。 弱いものが、さらに弱いものを蔑み、排除して、蹴落とす。それこそが朱子学カルトのクオリティであり、江戸が当時世界にもまれな巨大都市だったのは、この国の残酷さの結果であって、別に日本人が文明的だったからではありません。 比例代表制そのものが特権階級のセーフティーネットですが、それでも引っかからなかった者に、更に手厚く用意されている、内閣参与に収まったばかりの石原伸晃が、雇用調整助成金と、緊急雇用安定助成金をあわせて約60万円、受給していた問題がじわじわ広がりつつあって、「さもしい顔をして、もらえるものはもらおうとか、弱者のフリをして、少しでもトクをしようと、そんな国民ばかりいたら日本が滅びる」と言っていた高市早苗、自民党政調会長の発言が、ノビテルの眉間に党内ブーメランで根元まで刺さってしまいましたが、日本のシステムは、基本自己申請制なので、自力で申請できない魯鈍な民は、浜松町とか、上野あたりにあったスラム街にたどり着いて、誰からの施しもされぬまんま死んでいく、そのことは江戸時代も、現在もほとんどかわりありません。石原伸晃がナマポ呼ばわりした生活保護だって、いまも徹頭徹尾、自己申請主義です。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-12-09 21:00:25

新しくない封建主義

徒手空拳日記 2021年12月8日水曜日 今日で、トラ、トラ、トラから満80年、いまだに敗戦国のまんまの超絶美しい国、ニッポン。遅い、疎い、頭のおかしい朱子学カルト、政財官学マスメディアのかがけている、新しい資本主義とは名ばかりで、彼らが追い求めているのは、そもそも資本主義なぞではなく、単なる封建主義です。岸田文雄のスピーチって、チンケな引用が多くて、退屈です。スピーチライターがクソ過ぎますよ。 みずほフィナンシャルグループの勘定系システム、みのりなんかも、封建制度の温存でしかない超絶ムダなデジタルトランスフォーメーションでしかなく、いわば徳川御三家の帳簿をつなごうとしたら、黒船が来ちゃってますみたいな感じです。最後はご破産、おじゃん、おしまいになること間違いなしですね。 子どもに商品券とか、クーポンを配るという、創価学会とJTBによる、創価のためのクソ政策も、みのりのように気持ちの悪い名前がついています。名付けて未来応援給付とか、完全に頭が狂ってますが、その未来応援も、ほぼ破綻となってしまいましたね。ポテチン。いまから制度設計をしはじめて、支給されるのは早くて来年3月とか、魯鈍にもほどがあります。 創価学会とか聖教新聞の広告って、言葉も音も映像も、なにもかも薄ら気持ち悪いのですけど、似非仏教カルトの創価学会、公明党、JTBにギガトン級の仏罰を、心から祈らずにはいられません。 日本の朱子学カルト末端よりも、サダム・フセインとか、金正恩の奴隷のほうがはるかに幸せです。なぜなら彼らには、はっきりと奴隷の自覚がありますが、日本の朱子学カルト奴隷どもは、自分のことを、自由な平民だと信じています。 米国の奴隷階級には、キリスト教的なボランティアによるセーフティーネットがそれなりにありますが、日本には、弱いものが弱いものを、自業自得だとしてばっさり切り捨てる、公正世界仮説がガッチリと残っていますので、そのぶん悲惨な地獄です。 頑張り屋さん以外は、いますぐ野垂れ死ねという公正世界仮説は、日本の封建制度の根幹をなしています。頑張らない下層民は完全に目の敵とされ、駆除、排除されます。ややこしいのは、末端朱子学カルトの頑張りには、いじめに耐えるとか、権力者に媚びへつらうとか、文句も言わず不利益を甘んじて受ける、などという我慢も努力のうち、とされることです。 分相応を受け容れてじっと耐えることも努力なので、それをしない人々は、地獄へ堕ちろとぶっ叩かれまくります。 会社辞めても、今年はわずかながら増収増益となりました。ざまあみさらせたくあんポリポリではありますが、来年はもっともっと朱子学カルトから遠く離れて、独自の裏道を見つけていきたいです。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-12-08 21:00:23

世界は物の怪のチカラで動いている

徒手空拳日記 2021年12月7日火曜日 とことん議論するなんて、本当は、丸で要らないと思います。人の話を聴く、いわゆる傾聴なんていうのも、気持ち悪いです。岸田文雄の車座集会や、岸田ノートをみれば、議論も傾聴も単なるフェイクで、オワコン化しており、政治屋の見え透いたパフォーマンス以外には、もはやなんの価値もありません。集合知なんて、やたらと聞こえはいいですが、私は、他人の思考回路を自分の頭の中に、できるだけいれずに、スタンドアローンで生きていたいのです。 ハイパーテキストを読むよりは、もう死んでしまった過去の人間のモノクロなテキストを読んでいたいです。エバーノートやGoogleキープは、記録はできても、結局うまく引き出せないので、役に立ちません。 日本には、コトとモノという概念があります。モノ消費からコト消費へ、などと使う薄っぺらい意味ではありません。コトとは、言葉のコト、や仕事のコト、つまり社会的な概念です。それに対してモノとは、物心や物の怪のモノ、つまりスタンドアローンの個人的な概念です。 この世界は、コトでは丸で動いておらず、実はモノでしか動いていません。だから議論を尽くしても意味がありません。ヤフコメのコメントとは、ment、つまり「考えること」を語源としますが、じっさいにヤフコメに書かれていることの多くは、思考ではなく、情緒的な反射です。ヤフコメは、鳴き声です。反射です。それでいいんです。ほとんどのヤフコメ民は、記事なんてまともに読んでいないのに、コメントを書いていると思います。反射の積み重ねで、動物は動いています。人間もそうです。 オードリー・タンいわく、「4年か2年おきにたった数ビットの情報を送受信するデータ速度の遅い通信」である選挙よりも、ヤフコメのほうが、頻度もビット数もずっとリッチだし、読み手の心を捉えるモノには、何千、何万といういいねが瞬時に付きます。選挙なんかよりずっとリアルな政治です。 ヤフーニュース公式のオーサーみたいな人が、もっともらしいご高説、したり顔の解説を、コメントの冒頭に書き込みますけど、超絶うざいですね。あれはモノではなくコトであって、なんの価値もありません。 SNS社会とは、オーサーのご高説や解説ではなく、匿名のヤフコメ民によって駆動されています。10万円の給付のうち5万円をクーポンで支払うことについて、ヤフコメでやたらとdisりが付きましたけど、その結果として、各地方自治体は、現金でもOKという謎の裁定がくだされました。私は、コトを駆逐する物の怪パワーで生きていきたい、徒手空拳日記を文字ではなく音にしたのも、コトではなくモノとして垂れ流したいからです。お陰様で最近は、ブログ時代と同じくらい、毎日再生をいただいています。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-12-07 21:00:16

国ガチャ、時代ガチャを隠すための「親ガチャ・プロパガンダ」

徒手空拳日記 2021年12月6日月曜日 今年の実質的な流行語大賞である、親ガチャなんかよりも、実は統計的に圧倒的に意味があるのは、その人が、この日本に一体いつ生まれたか、つまりは、時代ガチャ、です。 私ぐらいの年齢ですと、仮にしょうもないFラン大学卒業でも、時代効果のおかげで、ギリギリでいい会社にはいっている人が、結構いたりしますので、そんなの親ガチャよりよほど不公正だし、不平等です。いまの若者たちなんて、結構いい国立大学を出ていても、ミスチルの歌詞みたいに内省バカで、自己評価がめちゃくちゃ低くて、ちょっとしたPTSDなのかなって思ってしまいます。 この日本に、いつ生まれたかによって、その人の豊かさが大きく左右されてしまう、それは要するに、政財官学マスメディアが、なるようにしかならない、おのれの役割を投げ出して、目上の偉そうな人間の言うことだけを、へいこら聞いているからです。 満洲国2.0の、超絶しょぼいエリートの皆さんによる、この30年間の、もう取り返しのつかない失政を、一人一人の親のせいにすり替える意味で、親ガチャは強力なプロパガンダです。社会を恨むな、エリートはなんにも悪くない、お前らの親が、ひたすら悪いんだ、そういうメッセージですよね。封建制への逆戻りです。 さらに言えば、我々の本当の不幸とは、実は国ガチャだったりします。戦争に負けた愚かな国、歴史のせいで戦争に負け切れず、76年間もゼロスタートのできないカルトとゾンビの国、連合国から敵国として常に監視を受けつづけている国、そういう国に生まれた国ガチャのほうが、親ガチャよりも深刻に影響していると思います。 国ガチャや時代ガチャではなく、お前らの家が悪いんだよという、プロパガンダとしての、親ガチャなんです。親がクソでも、私のように、たまたま景気拡大期に生まれたという、時代ガチャが味方をすれば、なんとでもなります。 政治屋は世襲ばかりだから、パーマ屋さんに生まれた自分こそ、立派な政治屋さんになろうとか倒錯してしまう小川淳也とか、愚かな親ガチャの犠牲者で、妻子の人生時間をないがしろにしながら、朱子学カルトの政治屋さんを続けている彼を見ていると、彼の出身官庁である総務省への嘲笑を禁じえません。 ほんとにマジで、イマドキ政治屋さんになりたがるのは、バカか、暇人か、あるいはその両方のどれかです。私の場合は、最悪の親ガチャでしたけど、最も悪い影響を受けたのは、親そのものというよりも、政財官学マスメディアによってロボトミー手術されちゃっている一般大衆のみなさんでした。 会社辞めてアーリーリタイアしたのも、政財官学マスメディアの思うがまんまの一般大衆が、反吐が出るほどとことん嫌いだからです。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-12-06 21:00:39

賃金奴隷と薬物奴隷

徒手空拳日記 2021年12月5日日曜日 飛ぶクスリとしてのストロング系エタノール拡散企業、サントリーが、天下5麺一年分プレゼントと称して、うどん、そば、ラーメン、焼きそば、パスタの5つの麺類、どれかご希望の一年分、ドドーンと10キロをプレゼントしてたのは、2010年のことで、それって要するに、リーマンショックのあとでしたけど、あの感じの、つらい世相がまたやってきている気がします。金、銀、パールよりも、炭水化物が欲しい、そういうきっつい時代です。エタノールを飲んで、炭水化物を当てよう、だなんて頭がおかしいのではないかと思いますが、おそらく歴史は繰り返す、あれがまたやってきます。 You Tubeで、バブル時代のAMラジオを聴いていると、ラジオCMがやたらとリッチで、驚きます。あの頃は、カネかける余裕がありまくりだったんですね、最近のラジオは、本当にしょぼくて、夜の枠から昼の枠に引っ越してきた荻上チキのニュース番組とか、無理矢理ラジオ通販をやらされていて、気の毒です。ラジオのパーソナリティに共感して、ものを買ってくれる団塊世代も、もう少しでこの世界から、いなくなりますね。 マルクスは、賃金、サラリーによって、強制的に資本家につなぎとめられていた労働者のことを、賃金奴隷と呼びましたけれど、サントリーのような資本家によって、エタノール依存にさせられたり、ラジオ通販で要らないものを買って、余計な幸せを感じたりする人々も、薬物の奴隷、あるいはドーパミンの奴隷です。ドーパミンのために、資本家の賃金奴隷となる構造から逃れるためには、賃金がなくてもなんとかなるように、ドーパミンと手を切ることが大切です。 学校、会社、病院、軍隊、それらの奴隷要素を純粋培養したのが、政財官学マスメディアの朱子学カルトです。学校でいじめを蔓延させ、会社で人を欺くことを正当化させ、病院でせっせと病人をつくりだして、最後には、肝臓や肺が壊れたり、希死念慮が生まれて、国民国家の為に命を失う、この一連の奴隷チェーンから逃げ出さないと、最後には心身の健康と命を損ないます。 マルクスの賃金奴隷のなかには、自営業は入っていませんでした。だから私は、資本家から賃金をもらうお立場ご身分を、やめることにしました。資本家に怯えなくて良くなりましたので、辞めて良かったなと思います。政財官学マスメディアとは、要するに賃金奴隷の最上階にいるクラス、ということですけど、忘れてはならないのは、上にいたとしても、彼らは賃金奴隷であることからは逃れられず、上に行ってもまだ己が資本家ではないことを、コンプレックスに感じながら、生きている人々なのです。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-12-05 21:00:13

満鉄映画協会2.0

徒手空拳日記 2021年12月4日土曜日 吉本興業やジャニーズ事務所、あるいは秋元康のような、ガラパゴスの芸能界に、なんともおさえきれない気持ち悪さ、吐き気を感じてしまうので、地上デジタルのテレビをうつらなくしてしまいました。ラジオも米軍向けしか聞かなくなりましたね。 TBSラジオ朝8時の時報で流れるCMが、日立物流という会社で、角松敏生が、ロジスティードという、日立物流のサービスブランドのサウンドCIをつくっているんですけど、そのCMのナレーションが、あなたの今日の運勢は? 8時ですって、言いっぱなしなんです。ウェブとかSNSとか、どこを探しても、私の今日の運勢はわかりません。気が狂ってますよ、日立物流。 Amazonプライムも、トップ画面に松本人志がやたらと出ているので、本当に目障りです。吉本興業なんて、カネ払って観るものではありません。 政財官学マスメディアの太鼓持ち、満洲国2.0のサーカス要員、芸のない河原乞食の寄せ集め、いろんな呼び方ができますけど、ありとあらゆる日本国内のメディアは、彼らのしょぼいコンテンツとともに、衰退していくのだろうなと思います。 NHK電波の受信感度を弱める装置を持っているだけで、受信料を支払わなきゃならないという、最高裁の判決が出ましたけど、それってもはや完全に人頭税だよねって思います。人頭税を最高裁が認めちゃってる超絶キチガイ国家、満洲国2.0、NHKの映らない環境に住んでいると、彼らの放送コンテンツの不気味さが、より一層際立ちます。朝鮮中央放送のほうが、無料なぶんだけまだマシです。 NHKと民放を抱き合わせにして、ごくごく限られたメディアのゲートウェイから、国民の考える自由を奪う、牽強付会なプロパガンダ手法が、プレーヤーもメディアも変わらないまんま、敗戦前からずっと続いているのって、おかしいですよね。ナンシー関ではないですが、テレビ消灯時間を通り超えて、テレビ不所持人生へとシフト・チェンジしてしまいましたが、最高です。 私の場合は、嵐のイントロが聴こえてきただけで、悪寒が走るくらい、ジャニーズ・アレルギーなのですけど、物心つくかつかないかの若い男の子を軟禁して、歌や踊りを叩き込むだけでももはや反社会的なのに、権力者が性的な関係を強いていたのですから、それは封建時代の「若衆道」あるいは「衆道」と同じですよね。 AKB48なんかも、丸で芸のない子女の自由を奪い、とてつもなく陰湿な、恋愛禁止などのルールで拉致監禁しているのは、反社会的な芸能活動というよりは、ほとんどイカゲームだろうと思います。放送や歌謡曲や広告などの民間大衆芸能は、満鉄映画協会のまんま、レイシズム、ルッキズム、セクシズム、エイジズムの差別と偏見がしぶとく残る腐れパワハラ業界なので、コロナ禍を奇貨として、すべてきれいに解体されてほしいです。 存在そのものが、腐れ外道ですよ。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-12-04 21:00:26

エイリアンが内閣参与で復活

徒手空拳日記 2021年12月3日金曜日 小選挙区で撃沈、比例区でも復活できずに、政治屋さんとしては完全に荼毘に付されたはずなのに、あらら、ゾンビのごとく裏口から内閣参与として生き返る石原伸晃とか、やはりこの世の最後は、金目鯛なんですね、満蒙に誇る、でお馴染みの大連はキクヤ百貨店の孫、岸田文雄のネポティズム炸裂は、満洲国2.0の宿痾なのでいいんですけど、観光立国担当って、なんなんだよ。もしもノビテルに内閣参与やらせるなら、胃瘻患者というエイリアンを征伐する征夷大将軍だろって、思います。 政財官学マスメディアとは、要するに薩長の腐敗システムなわけでして、もはや煮ても焼いても食えない、ただの産業廃棄物なんですが、それにしてもあまりにもひどい、敗戦後に米軍に書き換えられた憲法に書いてある民主制など、丸で機能しておらず、単なるお飾りでしかありません。 満蒙に誇るキクヤ百貨店は、最盛期には三越を越える利益をあげていたみたいですが、いまとなっては百貨店そのものが、団塊世代の消滅とともに、この世界からなくなりそうです。よかったですね。 観光立国のほうも、団塊世代の足腰が弱ってきて、熱海のホテルニューアカオとか、勝浦とか鴨川の、ゆったりたっぷりの~んびり、ホテル三日月がどっかに譲渡とか、団塊世代とともに消えてなくなる観光立国ですが、ノビテル参与におかれましては、鬼怒川とか伊香保とか、日本のあちこちで廃墟になったまんま放置されている幽霊ホテルの爆破解体とか、負の遺産の手仕舞い、店じまいをやってほしいです。 政治屋さんをイマドキやってる人たちなんて、バカか暇人か、あるいはその両方なわけですが、政治屋さんにさえなれなくなった世襲の高齢者を、血税で再雇用、救済する岸田文雄って、頭おかしいんだろうなと思います。 これから先、かなりのタービュランスが見込まれますが、テレビが映らないのでいま、政財官学マスメディアで何が起きてるのかぜんぜんわかりません。彼らは自分たちのことを、上澄みだと思っているのかもしれませんが、私からすればあれは単なる澱です。 軽石が千葉の館山でもみつかりましたけど、あれは地球の浄化の壮大なる営みであって、人間がなんとかできるものでもありません。赤潮でイクラがとれないのも、仕方ありません。イクラなんて食わなくても死ぬわけでもなし、そもそも正月にイクラ食べる意味がわかりません。百貨店の高級おせち食べている団塊世代が死滅するまで、日本は変わらないと思いますので、あと10年くらいは長ーいトンネルの中だろうと思います。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-12-03 21:00:32

エタノールと炭水化物で命をつなぐ

徒手空拳日記 2021年12月2日木曜日 2000年代に日本で絶頂を迎えた、カギカッコ付きのカッコいい政財官学マスメディア、朱子学カルトのお仕事といえば、ひとつは日テレ、つまり日本テレビの編成と、もうひとつはセブン-イレブンのバイヤーだったと思います。 あの頃の彼らは、エクセルで読める初歩的なデータを独り占めにして、偉そうに、もっともらしく使い倒して、まさしく虎の威を借る狐として、ぶいぶいやりたい放題でしたが、あれから20年経って、ようやっと凋落が隠せません。凋落とは、袋叩きの合図です。よかったですね。 セブン-イレブンが、お店で使えるWi-Fiスポットをやめることを、この前発表しましたが、コンビニが、もっともらしく社会のインフラづらをしていたのは、阪神淡路大震災から東日本大震災後くらいまでで、それは要するに彼らに搾取による余裕があっただけで、いまとなってはもはや、社会のインフラづらをする余裕さえありません。 そもそもセブンのWi-Fiは、勝手にiPhoneがWi-Fiを捕まえに行って、ログインするまで接続し続ける仕様が、セブン来店者からも超絶嫌われており、セブンのWi-Fiのせいで、QRコード決済ができないというお間抜けな不便をもたらしていました。要するに、基本的なサービス設計もできない本部が、アホなだけです。 新型コロナの検査やワクチン接種なんかも、彼らはみてみぬふりの頬被りを決め込んでいましたが、要するに余裕がないので、儲からないことはもう一切しません! ということです。そのうち、公共料金の支払は、手数料をいただきますとか、いまセブンでやっているありとあらゆるエセの公共サービスが、どんどんと受益者負担になったり、消滅したりします。 私に言わせれば、セブンなんて単なる日の丸オピオイドとしてのエタノールを、水道水のように供給する薬物アウトレットでしかなく、こんなものはやくこの世界から消滅してほしいと思います。 日テレの編成も、一番みられているバラエティが、中京テレビ制作のオモウマい店、とか凋落もいいところです。田舎のデカ盛りが大人気というのは、マーケティングとは真逆の、ディマーケティングであって、炭水化物と脂肪を大量に安く売る店とは、単なるプアファット、そんなものを全国に知らせても、なんの価値もありません。 セブンや日テレの凋落を、これ以上うまいメシもなかなかないなと思っている私ですが、いきなりステーキが、値上げスタート開始日にいきなり値上げ、とかある種の断末魔で、こちらは凋落と言うよりは、消滅寸前です。サイゼリヤとか日高屋のような、デフレを推進してきた悪魔の事業者が、どんどん窮地に追い詰められていき、スタグフレーションさまさまの世相となってきました。本当にありがとうございます。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-12-02 21:00:37

キングギドラがいっせいにクビチョンパ

徒手空拳日記 2021年12月1日水曜日 ヤフコメを見ていて思うのは、結局のところ、小室圭への異様な風当たりを和らげたのは、オミクロン変異株でした。小室圭ネタそのものが、コロナ禍についての、庶民の不満のガス抜きでしたので、人々の関心がまたコロナ禍に戻っただけ、ということかもしれません。 オミクロン株にすっかり注目を奪われた立憲民主党の代表選挙も、気づけば終わっていましたね。いつまで経ってもお前ら誰なんだよ? 状態。元気で明るく、ちょっぴりエッチ、そのくせにとことん謙虚、実態は単なる連合のコマンドキーです。 そもそも、国民に丸で知られてない、存在そのものが亡霊のような政党です。ポスターいち枚さえ、自力では貼れない、オワコン政党です。党の代表に誰がなろうとも、たちあがれ日本とか、みんなの党とか、太陽の党のような、すでに過去のものとも区別のつかないオワコン政党なのは、間違いありません。 私のまわりではいまだに、三方良しという謎の言葉をよく耳にするのですが、三方良しとか言っているやつほど、自分のことだけの一方良しで、超絶腹黒いという大原則は、ぜんぜん変わりません。もともと小泉純一郎が、当時の医療制度改革を、三方一両損とか言ってましたが、あれも結局、日本医師会と清和会だけがトクをしたことは、歴史が証明済です。コロナ禍で自宅が町の死亡ステーションになったのも、あのなんちゃって改革の成れの果て、最悪の結果ですよね。 近い言葉にシナジーというのがありますが、あれはおもに2つの相乗効果をうそぶく言葉でしたね。最近はシナジーよりも三方良しがトレンドにノリノリ、調子に乗っています。 いまのGoogleとか、Facebookに相当していたのが、80年代ころまでの、日本の政財官学マスメディアで、彼らのかっこよさが完全に消滅したいま、政財官学マスメディアのなかの三方良しなど、はなからあるわけがなく、みずほのベンダーが結局共倒れしているのが、なによりの証明ですね。 みずほの三方あし、とでも言うべき勘定系システムは、末端までいくと1000社くらいの寄せ集めの開発で、その名前は、みのりっていうのですが、ネーミングセンスが超絶カッコ悪いです。みずほっていう名前がクソなのに、そこにちなんでしまっているところが痛すぎます。 権力者に媚びを売るネーミングやコピーライティングは、実は単なる作為的なウソだと瞬時に見抜かれる典型です。取り返しのつかないみのりの失敗で、みずほグループのキングギドラがいっせいに、クビチョンパとなりましたが、これで収まるわけもなく、リーマンショック並みに株価が暴落したら、みずほも、みのりも、なくなっちゃいますね。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-12-01 21:48:10

コブクロ、大阪万博、紅白歌合戦

徒手空拳日記 2021年11月30日火曜日 北京オリンピックは、完璧なバブルで実施されるのかも知れませんが、そのウラで大阪万博のテーマソングを歌うアーティストが、コブクロに決まりそうだときいて、イマドキ、テーマソングのあるイベントって、それだけで超絶カッコ悪いなと思います。 バックドアで、必死こいてコブクロを大阪万博のテーマソングにしようとしているおっさんども、どす黒い金儲けのカッコ悪さなんて知らんがな、だろうと思いますが、維新の維新による維新のための大阪万博って、どんなしょぼい感じになるのか、いまから楽しみです。 吉村知事がいつもなぜか、大阪万博のロゴがはいったオリジナルコスチュームで、日本で最悪の死者数を出しながら、己に泥酔した記者会見してるのも、この世のものとは思えないカッコ悪さです。維新という言葉もやばいなと思います。政治屋さんそのものがカッコ悪さ全開で、国民もドン引きです。維新の政治屋さんというだけで、歩く恥部という印象ですが、立憲民主党の代表選も、世の中から完全スルー、おめでとうございます。 大阪万博のつぎは、当然のことながら、札幌オリンピックの実現です。よかったですね。オミクロン以降の未来が、またくすんで、いきなりお先が真っ暗に、見えなくなってきました。コロナ禍が長引きながら、エネルギークライシス、経済クライシスがクロスオーバーして、世の中、いきなり混沌としてきたなと思います。 明日から12月ですが、今年の第72回NHK紅白歌合戦は、耳を揃えて受信料を支払っている視聴者をNHKホールに呼び込んで、観客ありでやる気まんまんのようですけど、肝心のおうたがぱっとしません。オミクロンが来て、審査員に尾身会長とか、シャレにもなりませんが、アメリカのファウチはもうすでに、オミクロン変異株が世界中に広がるのは間違いない、とのことで、もう年越しに歌なんて聞いてられるか、フザケンナという声なき声が聞こえてきます。 声なき声、どこにいくとよく聞こえるかといえば、断然ヤフコメです。老若男女、日本全国津々浦々までみ~んな無料でヤフーニュースを見てますので、そのお礼替わりに声なき声がヤフコメとして大量に書き込まれています。ヤフコメは、タダでニュース読めるお礼なんだと思います。 焼津の漁協が、水揚げした魚を何十年間も中抜きしていたことがバレましたけど、ヤフコメには内部告発すれすれの、焼津は氷山の一角だとするコメントがあふれています。これまでは、まかり通っていた悪事が、どんどん通用しなくなっていきます。ヤフコメって、誤字だらけだし、丸でコメントにユーモアがありません。日本人のいまを鏡のように写しています。よかったですね。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-11-30 21:05:36

サバイバーはサバイバルが好き

徒手空拳日記 2021年11月29日月曜日 冬はつとめて。クルマのフロントガラスもカピカピに凍る季節になりました。カーナビや音楽を、丸々っとAndroid Autoに移し替えまして、カーナビはもう全然、Googleマップが優秀ですし、音楽はYou Tubeをbraveで聴いとけば問題ありません。 アレクサアプリで本の音声読み上げを聞きながら、耳読書でドライブするのも、いいですね。アレクサの音声読み上げは、まだまだおかしいですけど、頭のなかで修正しながら聞いてます。中国の清朝をきよし、きよしって読んでくれます。それにしても、パソコンも完全にクロームブックだし、Google比率かなり高めです。TwitterとかFacebook、マイクロソフトは丸っきり使いませんね。 この辺も、鉄くずとか金属をカネに変えるどろぼうさんとか、車上荒らしとか、こそ泥さんが時々出没するらしいので、2台の防犯カメラを動かしてます。ひとつ3000円もしないで設置できるし、スマホにプッシュ通知してくれるし、センサーが動きを感じたときだけ、マイクロSDカードに録画してくれるので、やらないよりは、やったほうがいいと思います。 ご近所も警察署も遠いので、自分の安全は、自分で守るしかなく、ちょっとしたアメ人の気分です。仮にセコムとかアルソックに加入しても、警備会社が駆けつけるまで、たっぷり時間がかかりますので、ムダなんです。枕元に防衛用のライターを置いて寝てる女性もいます。よる眠るときは、部屋に内鍵をかけますし、スマホとクルマのカギも身近において、ちょっとした武器も持ってます。合法ならば、拳銃も持ちたいです。 年末になると、世田谷一家殺害事件が必ずリマインドされますけど、都市で京王線ジョーカーに刺される確率と、田舎で皆殺しにされる確率は、どっちもどっちで、年末ジャンボに当たる確率よりもさらに低いですが、私の場合は、自衛やサバイバルそのものを、楽しいと感じるタイプです。 あと、素手の両手がいっさい灯油臭くならないように、とことん頭を使って完璧に給油するのも好きです。子どもの頃、家の石油ストーブの給油係をやっていました。あの頃は手動のポンプでしたけど、いまは電動ポンプでオートストップもついてます。これで手が灯油臭くなるのは、人類の劣化です。灯油は20リットルのポリタンク2個を、ローリングストックしています。 テントサウナも、リスクと隣合わせだからこそ、楽しい。自分の頭で安全と健康と生き残りを考えて、対決も解決もばっちこい、毎日課題解決しながらたくましく生きていく、そういう生活が性に合っています。やはり、サラリーマンはとことん向いていなかったなと思います。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-11-29 21:00:36

ヤンエグのCXがリストラ

徒手空拳日記 2021年11月28日日曜日 オミクロン株、まだ世界のどこでも流行もしてないのに、はや世界がこれだけ騒いでいるということは、新型コロナウイルスは、2022年まで続くことが、ほぼ確定なのかなって思います。アジェンダセッティング完了で、ファイザーさんウハウハですね。コロナは、だんだん結核のようになり、生活に織り込まれて、貧しい人だけが死ぬ病気になっていくのかな、と思います。 バイデン大統領とか、下手すると4年持たなそうで、その要因となるのが、コロナ禍の第2形態としてのエネルギークライシス、第3形態としての経済クライシスだと思います。リーマンショック以降の経済を、ひとつの回転する独楽とすれば、そろそろ回転軸がふらついてきて、重心がブレブレです。 ドーパミンで目がらんらんとしている人々を尻目に、休みの日はサウナ三昧、サウナ終わって風呂入って、鍋食って、Netflix観て、眠くなったら眠る、それだけの日々です。フジテレビが早期退職者を募集ってありましたけど、私が20代から30代のころは、フジテレビこそ最難関の就職先で、1990年の絶頂期には、「それ、世の中、動かしてますか」なんてキャッチコピーをほざいてました。 フジテレビが世の中動かしてた時代があったことすら、みんな忘れています。フジテレビのことを、普通のど素人まで、シーエックスって呼んでた時代がありました。テレビそのものが、やたらと不格好になりました。40代、50代のフジテレビ社員をクビにしたら、若い世代は、丸ではいってこなそうですね。 政財官学マスメディア丸っと、カッコ悪い存在になってしまいましたね。「それ、世の中、動かしてますか」って言ってたころのシーエックスは、カッコよかったです。シーエックスだけでなく、政治屋も、会社員も、官僚も、学者もみんなカッコよかったです。 いまのガーファとか、ITソリューションに相当していたのが、政財官学マスメディアでしたね。あの頃ヤンエグ、ヤング・エグゼクティブと呼ばれていた人々が、いまフジテレビをクビになりそうな50代です。そう考えると、泣けてきます。 いまカッコいい職業って、日本にはほとんどありませんね。ジャーナリストなんて、単なるプロパガンダの手先ですし、デカ、ドクター、弁護士をやたらと持ち上げていたテレビドラマも、超絶つまらないです。立憲民主党の代表選とかみてると、あまりのカッコ悪さに、卒倒しそうになります。 働かないのがカッコいい、ドーパミンを追い求めない生き方がカッコいい、そんな時代になってきました。プリンセスが、日本から出ていってしまう時代ですから、日本には己に誇れるもの、ディグニティが、ほとんどないのだろうと思います。さみしいですね。くっすん。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-11-28 22:10:30

ロジックを疑うチカラ

徒手空拳日記 2021年11月27日土曜日 ガーファやTwitter、マイクロソフトなどアメ人のプラットフォーム全般に言えることですが、英語圏外の彼らのサービスが、本当に野放図になっており、何でもあり、ほとんど無法地帯化しています。 Amazonのブラックフライデー・セールなども、サクラチェッカーなしには丸で買い物もできず、セール対象品のかなりの割合が、人を欺く商品なわけで、Amazonにとっては、日本市場なんて、適当にやっとけ感が漂いまくりです。 ガーファの非英語圏は、なにが支配しているかといえば、彼らのぶち込んでいる人工知能です。だから、その人工知能にバンされない対策が次から次へと編み出され、結果として、人を人と思わない、無法地帯になりつつあります。 これらの頭の悪い人工知能による自動運転モードに対抗するには、彼らのサービス利用を極力控えることです。もう少しはっきり言えば、受動的な使い方をしないことです。You Tubeをつけっぱなしにすると、人工知能のリコメンで世界認識がおかしくなります。 日本では、政財官学マスメディアによる天然知能が、しょうもないエコーチェンバーをつくりだしています。これも受動的に、政財官学マスメディアの思うがまんまにうけいれていると、天然知能の無限リコメンで、世界認識がおかしくなります。 You TubeもTwitterも、こちらが能動的に、つまり知りたいことがあるときだけ、ピンポイントの検索でインベスティゲーションする、そういう付き合いをするしかありません。 読書は、ソーシャルメディアに比べてどうしてマシかというと、結局のところ、テキストは能動的にしか読めないからです。Twitterは私はすっかりやめてしまいましたが、もしやるのなら、右上のキラキラマークをクリックして、TwitterのAI優先の表示ではなく、みなさんがフォローしているアカウントのタイムラインを表示するようにしたほうがいいです。 考えるチカラとは、天然知能にせよ、人工知能にせよ、かたっぱしから疑ってかかるチカラです。政財官学マスメディアという天然知能、ガーファによる人工知能、どっちも極めて有害だと思います。 批判するチカラあっての人間です。批判のチカラというと、言葉や態度ではっきりと反対意見を言うことだと思われていますが、全然違います。 批判とは、情報と情報のつながりを、天然知能や人工知能にゆだねないことです。いかにも従順なフリをして、自分のチカラでロジックをつくればいいんです。私によると、世界はこうである、という独自認識を持つことが、批判精神なんです。 ガーファやマスメディアの言っていることを素直に聞いてるフリして、こころでは徹底的に疑っている、それこそがクリティカルシンキング、ラショナルシンキングです。洗脳されないとは、因果を受動的に取り入れないというスキルです。その情報は本当かな? じゃないんです。情報と情報のロジックに、嘘や悪意が執拗にこめられているのです。 本日は以上です。ありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-11-27 20:58:07

日本売りが加速する世界

徒手空拳日記 2021年11月26日金曜日 毎日徒手空拳日記に、日付と曜日をいれるわけですが、これは毎日、今日って、何月何日何曜日だっけかな、とは全く考えておらず。Googleで、きょうと入力すれば、日付も曜日も変換候補として自動で出てきます。ラクですね。 その今日は日経平均が700円以上も下げて、したり顔の株屋さんたちは、その要因を、南アフリカで新しいタイプの新型コロナウイルス変異株が出た、などと言ってますが、そんなわけねーだろって思います。日本売りの加速は、勤労感謝の日くらいから見えてまして、その後はその勢いがぐいぐい増しており、暴落のまともな理由は、新しいウイルスではなく、この30年間の長い失政による、日本売りではないかと思います。 はやくもレームダック化したバイデン大統領に同調して、備蓄している国内原油の放出を、あたかも先進国並みのいっぱしの戦略であるかのように日本も同調したのですが、120日しかないストックのうちのわずか二三日、英語でa few daysの放出なんて、産油国から見れば、クレイジージャップのオイル貧乏は80年前となーんにも変わっていないなとバレバレです。 デジ女が仕切る、デジタル道の、デジタル庁が、メディア向けのメール連絡で、本来ならbccで送るべきリストを、まちがえてccで送ってしまったという事象が発覚して、このようなポカは、今どき電通の新入社員でもやらない事故ですが、20年前に花王とかが事故ってた記憶があるのですが、20年の周回遅れをまざまざと見せつけるデジタル庁は、さすがデジタル道のみち半ば、侮れないと思います。 石油、足りなーい。あ、メアドccで送っちゃいました、こういった薄らバカが武者震いしながら、満洲国の亡霊を追いかけ続けているのが、笹川財団という民間組織が、なぜかダイナミックボートレース、競艇という公営ギャンブルを取り仕切っている不可思議の国、満洲国2.0なんですけど、流石にその物語性も虚飾が剥がれてきて、年末のキラーコンテンツであったはずの紅白歌合戦が、急加速して崩壊しつつあります。そもそもジェンダーで競い合うというコンセプトそのものがオワコンですが、本質的には紅白歌合戦で届く視聴者に、歌を知ってもらっても、なんの稼ぎにもならない、という事実がはっきりとしてきたというのが原因だと思います。 You Tube視聴者の平均年齢って、日本ではもはや45歳くらいなんです。ま、日本の平均年齢がほぼ50歳なのでしかたありません。今どきNHKみて喜んでいるセグメントは、墓穴に片足突っ込んでいる、商業的にはほとんど価値のない有象無象であることが、日本売りの果てにもっとクリアになっていくだろうと思っています。よかったですね。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-11-26 21:00:40

いじめのない徒手空拳の人生

徒手空拳日記 2021年11月25日木曜日 朱子学カルト社会の役に立たないものは意味がないので、とことんなくしたほうがいい、日本で三十年、カギカッコ付きの新自由主義を広めてきた結果が、秋篠宮家という分家は有害だし、無駄なので、もう日本には、いらないという、集団リンチの悪意だろうと思います。米軍による、皇室無力化の戦略が、実を結んできました。日本語をローマ字で入力するのと同じです。 大阪で維新がやっているのも、ちまい穀潰しを見つけて集団リンチにかける、底意地の悪いしょぼいファシズムで、なんでこんな地域ファシズムが大阪で偉そうにしているのかといえば、リーマンショックという名の、巨大な地盤沈下です。リーマンショックという名前は、日本だけのネーミングですが、その狙いはあくまで日本の外で起きたインシデントであり、日本には大きな影響なんてない、という印象操作の一環です。 税金の無駄遣いとやらに、短気のいかりをぶつける多くの国民は、実はたいして納税していない、そのひとたちそのものが、超絶無駄な人々だったりしますけど、無駄な人間はいなくていい、という声に宿る強力なすっきり感は、応仁の乱以後の日本人にとって最大の生存メンタリティだと思います。 無駄な人間を排除しているうちは、己自身は無駄な人間にならない、という根拠のない安心感があるのだろうと思います。いじめているうちは、いじめられない、日本人を貫く一丁目一番地のスピリッツは、これですね。ヤフコメで、匿名で容赦なく小室圭をぶったたくヤフコメ民は、そうやって誰かを排斥していなければ、己の生存が脅かされるような、漠然とした不安を抱えているのだと思います。 朱子学カルトにおける最大の権力闘争とは、いじめです。保育園から老人ホームまで、日々一刻と、いじめという政治闘争のなかを生きています。吉本興業と大阪維新の会と竹中平蔵は、いじめという権力闘争の日本最大トライアングルと言えます。 バームクーヘン状に、いじめがどこでも、どこまでも続いています。いじめ倒せば、ドーパミンが出ます。アルコールは、共通の敵と味方をあぶり出して、闘争に勝つための社会的な麻薬です。 アフターコロナは、大規模な飲み会はなくなるかもしれませんが、ドーパミンがドバドバ出る決起集会である、小さな飲み会は、これからもなくならないどころか、永遠に続いて行くと思います。ドーパミンを正義とするような人生から、セロトニンの正気を求める人生に、抜けた者から自由になります。 アドレナリンのいじめワールドから、セロトニンの徒手空拳人生へ。このお引越しができたら、それこそが、あなたの心のラブ・ミー農場となるでしょう。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-11-25 21:00:03

「温泉で金儲け」のさもしさ

徒手空拳日記 2021年11月24日水曜日 温泉むすめのもめごととかみてると、ますますこの世は、正義と悪の対立から、正気と不気味の対立へと、移り変わりつつあるなと思います。 私からすると、温泉むすめの見た目も不気味ですし、こうした企画に観光庁が後援していたり、キヤノンや、富士フイルムや、読売新聞などが協賛してたりすることは、かなり頭がおかしいな、朱子学カルトは不気味だなと思います。 もうさ、萌え系のキャラは、オタのゲーテッド・コミュニティのなかだけで、萌え萌えキュンキュンしてろよって思います。私の視界にはいってこなければ、誰がどこで、どんだけ萌えキュンでも、どーでもいいですよ。 子どもという日本語を英訳すると、ヤングケアラーなんですけど、そのケアの仕事には、大人の男の性欲処理も当然のことながら含んでいた訳で、応仁の乱以後も特に上のほうの階層で続いてきた、日本の幼児性愛習慣は、土人の恥さらし、急速に完全アウトなので、パブリックからは、秒で、消えてほしいです。 ゆるキャラの次は、温泉むすめとか、地方創生事業は丸々っと、さもしいなと思います。田舎が過疎って、インバウンドも来なくなり、地方が窒息しつつあります。地方は、どうやっても成長しない訳で、脱成長のライフスタイルをつくった人から、自由になっていきます。 技能実習生なしでは、やっていけない事業者など、いますぐ滅びるべきだし、温泉むすめなしでやっていけない温泉も、温泉丸っと閉じてしまえばいいと思います。 ゆるキャラもB級グルメもふるさと納税も、完全オワコン化、もはやありとあらゆる萌えキュンキャラは、脳内かアニオタのエコチェンにしかいられなくなります。 深沢七郎に「秘戯」っていう、不気味な小説がありますが、温泉むすめとか、萌えキュンキャラは、現代の「秘戯」だなと思います。とことん正気ととことん不気味の分断、対立はこれからもますます、くぱあっと股裂きです。 なんていうか、温泉というものでこれからもお金もうけしよう、そのためには幼児性愛でもなんでもいいやっていう魂胆があさましく、さもしいです。いかりに任せて、深沢七郎の言葉を最後に引用しておきます。 また、「自分が安っぽい人間に思えて毎日がいやになる」なんてとんでもない考えかたです。安っぽい人間ならこんな有難いことはありません。安っぽいからあなたは負担の軽いその日その日を送っていられるのです。安っぽい人間になりたくてたまらないのに人間は錯覚で偉くなりたがるのです。心配なく現在のままでのんびりといて下さい。いちばんおすすめすることは行商などやって放浪すること、お勤めなどしないこと、食べるぶんだけ働いていればのんびりといられます。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-11-24 21:16:36

セロトニンを求める社会へ

徒手空拳日記 2021年11月23日火曜日 テントサウナの薪ストーブのうえにメスティンをのっけて、飯も炊いてしまいます。芋も焼きます。お湯も沸かすし、ペカリンという、俗に言うカラフトシシャモもさっと焼いて食べます。サウナのあとは、塩気のきついものを食べたくなりますね。 一方で、電気を熱に変えるのは、実はものすごくエネルギーの変換効率が悪いです。オール電化とか日本でみんながこぞってやると、脱炭素の真逆になります。日本の発電は、原子力利用がほとんど禁じられているので、化石燃料で発電しています。それなら最初から、化石燃料で部屋を温めたほうがまだマシなのではないでしょうか。灯油の値段が上がりまくってますが、エアコンや電気ストーブよりはマシだと思います。ま、原油価格も、来年の今ごろは水よりも安く、暴落しているかもしれません。 日本生命の調査で、ノミュニケーションなんて要らないと回答する人が、6割を超えたらしいんですけど、ノミュニケーションはなんで要らなくなったかといえば、政財官学マスメディアの持続可能性がなくなったからです。食べる前に飲む、でお馴染みの漢方薬のCMも、もはや効果ないのでやらないかもしれません。 部下に酒を飲ませるとか、得意先に飲ます、食わす、抱かすことが、朱子学カルトの立身出世にとって確率の高い、大切な努力だったのですが、サラリーマンやってれば、損して得取れ、そのうち偉くなって回収できる、と考えることそのものが、完全に終わってしまいましたね。 そうなると、わざわざ部下や得意先に、矢鱈とご馳走する意味もなくなり、飲み会の動機そのものが、蒸発しつつあります。最近では、リモート飲み会なども、すっかりなくなりました。リモート飲み会用に、オードブルを宅配するビジネスとか、しばらく話題でしたけど、おそらくいまは、閑古鳥だと思います。 飲み会がいらなくなれば、当然ながらリモート飲み会もいらないわけで、みんなすっかりサバサバして、ノミュニケーションそのものを、断舎離することとなりました。朱子学カルト社会、人間関係のドラッグだったアルコールが、普通のドラッグになって、家飲みが止まらなくなっている人がたくさんいると思います。 ひたすらドーパミンを求める社会が、これまでの近現代の資本主義でしたけど、これからはたぶん、セロトニンを求める社会です。セロトニンは、心と身体のリラックスで、もたらされる脳内物質と言われています。サウナで得られる心地よさは、セロトニンだと思います。 人々が求める脳内物質が変わってきたので、ドーパミンの奴隷である朱子学カルトはこれからどんどん、メンバーが少なくなっていくと思います。マーケティングも、ドーパミンの市場よりも、セロトニンの市場を狙うべきです。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-11-23 21:00:36

朱子学カルト時間の外へ

徒手空拳日記 2021年11月22日月曜日 ダイソーでカレンダーがいくつも売ってて、私の感覚だとカレンダーなんて、どこかからタダでもらうものだと思うのですが、これは要は、カレンダーをもらえる社会の外にいる人が、増えてきたのだと思うんですが、実際はどうなのでしょうか。 それまで無料で手に入っていたカレンダーに、自腹でカネを支払うということは、社会関係資本が小さくなったところを、キャッシュで補っていると言えます。 それにとどまらず、共通する社会的な時間感覚からの、排除です。いま私の住んでいるここらへんだと、外国人の技能実習生はカレンダーをあんまりもらえませんね。暦を貰えないっていうのは、疎外の初歩なのかもしれません。 会社どうしのカレンダーのおくりあいも、すっかりなくなりました。平成の昔みたいに、カレンダーを矢鱈と配るカルチャーが、コロナですっかりなくなってきましたね。会社でも年末に、豪華なオリジナルのカレンダーを持って、あいさつ回りする習慣とか、ほぼほぼ完全になくなりました。 会社オリジナルの手帳なども、壊滅しています。ゴルフ手帳も最近は見かけませんね。MicrosoftのTeamsが、手帳のかわりになっちゃいました。こういったスマホのスケジュールアプリって、とてつもなく息苦しいです。会社員だと、リモートワークになってから、リモートが解除されたとしても、空いてれば容赦なく予定が強制的にいれられてしまうし、ひまな時間もすべてオープンになってしまい、それもまた息苦しいです。 サラリーマンのリモートワークって、みんなありがたがってますけど、私に言わせれば、自宅に朱子学カルトが侵略してくる時代です。そんなもの、丸で割に合わないと思います。 私は、すっかり紙の手帳に戻してしまいました。だからといって、糸井重里のほぼ日手帳は死んでも使いませんけどね。まあでもサラリーマンやめたから、紙の手帳に戻すこともできるわけで、イマドキ会社員をやるということは、平日の9時から5時までをガッチガチに、自宅もろとも社会に預けることになってしまいました。これまではプライベートだった自宅に、朱子学カルトが「欽どこ」のゲストみたいにひっきりなしにやってきます。 いまも私のまわりには、仕事でかかわるサラリーマンがぽつぽつといますけど、あまりにも彼らのやってることは、ブルシットなことばかりで、彼らの世界にはもう戻りたくないですね。政財官学マスメディアは、要するに広い意味での官僚です。社会人として、とか組織人としてとか、もはやアホらしくてやってられません。しょうもない満洲国2.0の時間感覚の外へ出られて、とりあえずよかったです。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-11-22 21:00:20

安売りはマーケティングではなくディマーケティング

徒手空拳日記 2021年11月21日日曜日 ビッグマックの値段で見れば、中国や韓国よりも貧しい国、さらに言えば、タイやブラジルよりも貧しい、それが朱子学カルトの成れの果て、満洲国2.0なんですが、頭の弱い高額所得層を狙う、バルミューダ・フォンのような、目もあてられない勘違いにも反吐が出ますが、やはり私がこの国の不気味なデフレを感じるのは、「オモウマい店」のような、炭水化物や脂肪をやたらと安くして売りさばく、B級グルメについてです。 炭水化物や脂肪のデカ盛りを、人情味とともにコンテンツにするのは、民放夕方のカギカッコつきの報道番組の、キラーコンテンツなのですけれど、そのエッセンスを煎じ詰めたのが、オモウマい店というテレビ番組です。 とにかく大盛り料理を安く出す、人情店を集めたこの番組ですが、このようなデフレ個人店が最初に肯定されたのは、2007年の「ご飯を大盛りにするオバチャンの店は必ず繁盛する 絶対に失敗しないビジネス経営哲学」からだろうと思います。ちょうどあの頃から、糖質と脂質のダンピングが、矢鱈ともてはやされるようになりました。 B級グルメで、特に印象に残っているのは、肉を使わずに、代わりにハートチップルという、スナック菓子を使う焼きそばで、これはもはやB級グルメというよりは、グルメではないよな、と思います。 この30年、とことん安くすることが、マーケティングだと誤解されてきました。稲盛和夫とか、発泡酒とか、軽自動車、サイゼリヤなど、安さしか追及しないという、マーケティングとは真逆の努力をひたすら続けてきました。その成れの果てが、ハートチップルの焼きそばだろうなと思います。 砂糖と脂とエタノールを安くするには、ひとつは日高屋のようなチェーン店のスケールメリットを活かすやり方ですが、もうひとつは家賃のかからない持ち家のお店で、従業員をできるだけ雇わずに、ワンオペでやるやり方があります。いずれにせよ、値段を下げていくことを前提とするので、ひたすら消耗戦になります。 マーケティングって、基本的には、高くても売れるようにすることです。安くなきゃ売れない商売に、マーケティングは要りません。オモウマい店という番組は、制作費も安そうです。ゴールデンタイムにこの番組が人気であることそのものが、日本の衰退、中間層の貧困化だと思います。 地方創生事業も、ゆるキャラとかB級グルメ、あるいはふるさと納税などに頼っていると、ますます、なんの意味もないコスパ地獄にはまっていきます。高くてもじゃんじゃん売れる、今治タオルのようなマーケティングをやらないと、地方はどんどん沈んでいきます。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-11-21 21:00:38

情弱家電の行く末

徒手空拳日記 2021年11月20日土曜日 バルミューダって、私のイメージでは、高級なアイリスオーヤマで、ある種の朱子学カルト御用達、日経新聞とかカンブリア宮殿にほだされる情弱が、カネをドブに捨てるかわりに、買っているブランドです。 みんなが名前を知ってるハイブランドは、ほんとうのお金持ちは丸で見向きもせず、ハイブランドを買うのはほぼほぼ、上昇志向の強い中間層です。 そのバルミューダが、アンドロイドスマホを、マンを持して投入してしまったら、下げの嵐で、ネット上では、こんなの買うのはYouTuberの吉田製作所くらいじゃないか? とか書かれており、コンセプト、デザイン、スペック、どれをとってもいいとこなし、発売前から前評判がマイナス資産となっています。 電卓とか、時計のアプリをわざわざバルミューダの内製にしたらしいんですが、そんなの全然いりませんよね。バルミューダからスマホが出るということに絡んで、インサイダー取引の疑惑も出てきたりして、彼ら的には世の中に出せば超絶話題になって、株価も爆上げだと思っていたのかと思うと、なんとも残念な結果になりました。 Android を買うのなら、私に言わせれば既に Google の Pixel 一択です。スマートフォンを買うのではなく、スマートフォンで出来ることを、買うわけですから、標準のOSをつくっているところのスマートフォンを買うのが、何かと便利なわけです。 バルミューダフォンを買いそうな人は、例えば、地方の町会議員とか、帝京大学医学部を出た開業医、くらいしかイメージできません。クルマだと、日産のリーフを買っちゃうような情弱のコガネ持ちです。親から受け継いでいる不動産で生きてる50代の独身のおっさんが、クラブやラウンジに飲みに行くとき、持っていそうです。 スマホもいつの間にか、サードパーティーが排除されつつあり、この流れは電気自動車ではますますそうなるだろうなって思います。自動運転のOSをつくれるところが、半導体からパワーユニットまで、なにからなにまで自前でつくるようになります。つまり、もうこの時点で、日本の自動車会社は、かなりの確率で負けることが確定しています。 トヨタと日本製鐵が中国で揉めてますけど、どっちもどっち、あと10年もすれば、いまのOEMは、テスラやアップルの下請け会社になっていると思います。二度あることは三度ある、同じ過ちで何度もしくじる政財官学マスメディアが、勘違いの果てに欲しがるブランドこそ、バルミューダなのです。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-11-20 21:04:08

ハイブリッドカーと大艦巨砲主義

徒手空拳日記 2021年11月19日金曜日 クモの巣を見るたんびに、ガソリンスタンドと同じだなと思います。クモは、虫が飛んでくる場所にクモの巣を作ります。特に夜になると明かりがつく場所は、クモの巣のホットスポットになります。こちらに来てよくあるのは、クモの巣におでこが引っかかることで、もうだいぶ慣れました。 ガソリンスタンドは、田舎になると、過疎ってるエリアではどんどん廃業していたり、何とかして営業している小さなガソリンスタンドも、土日は休みだったりします。こういう現実を見るにつけ、ガソリンで走る車は、田舎であればあるほどガソリンスタンドのインフラが持たないので、電気自動車に塗り変わっていくと思います。 政財官学マスメディア丸々っと、豊田章男になにひとつものが言えないので、この国の自動車産業はトヨタにとってだけ都合のよい政策になりつつあります。組合も、立民から自民党に鞍替えして、政財官学マスメディア一体となって、トヨタによる泥船の乗組員になってしまいました。 政財官学マスメディア、ありとあらゆる広い意味での官僚たちは、豊田章男に汲々と気を遣って、トヨタグループにとにかく怒られないようにしていますけど、トヨタグループを見捨てるのは、政財官学マスメディアよりも、消費者だろうと思います。 日本以外のグローバル市場では、もはやハイブリッドカーを有難がって乗っている人なんていませんし、化石燃料で走るメカニズムにこだわっているだけで、化石賞を食らってしまうのであって、自動車産業の広い裾野の労働者を守るみたいなことは、はあ? そんなの知らんがな、となりますよね。 そもそも人類が19世紀に最初に作りたかった車は、電気自動車です。当時は技術的に難しかったので、内燃機関の自動車が普及することになりました。もともとやりたかったものが電気自動車なので、ハイブリッドとか燃料電池とか、そっち側は夢がないんです。 そういう技術の歴史を丸っとスルーして、世界のEVシフトに抗うのは、敗戦前の日本が、日清戦争や日露戦争の勝因となった、戦艦を中心とする、大艦巨砲主義という戦略に、いつまでもこだわったのと、まるで同じじゃないかなと思います。 さらに言えば、クルマを完全に電気自動車にするのは、ありとあらゆる自動車のコントロールを、デジタル化したいからで、この欲望も、あとには戻れないものです。正直なところトヨタは自動運転の技術も持ってないのですけど、そのことと、いつまでも内燃機関に固執していることは、つながっていると思います。全部電気自動車にならないと、つまり自動運転も実現しないわけで、EV化というのは、デバイスの問題というよりは、自動車というプラットフォームの問題なわけです。 ま、そのうち戦艦大和みたいに撃沈される日が来ると思いますね。10年後には人々は、テスラかアップルかで、車を選ぶようになっていると思います。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-11-19 21:00:29

コロナ禍で失われる「解像度」

徒手空拳日記 2021年11月18日木曜日 たまーに夕方の民放でやってるカギカッコ付きのニュースに被ばくしてしまうと、20秒くらいで身の危険を感じます。NHKも30秒ぐらいしかもちません。だめですね。 コロナ禍のしょうもないグルメネタとか、よくもまあ2年近くも、ほとんど似たようなものを飽きもせず、つくり続けられるなって思います。 コロナ禍で社会はこう変わった、みたいなことを、いまさらながらにものすごく偉そうに言う、広告代理店の人たちって、生きてて恥ずかしくないのかなって思います。博報堂生活総合研究所っていうところが、こんなことをほざいていましたので、引用します。 4リットル入りのウイスキーを買った、44才の男性、東京都の話です。 元々、コロナ前は、お酒は自宅では飲まず、会社の飲み会程度しか飲まなかったのですが、コロナ禍に入り、外で飲む機会が完全にゼロになってしまったことを機に、自宅でハイボールを作って飲むようになりました。最初は、700mlのビンを買っていたのですが想定外に早く無くなってしまうことに気づいて、ついに4リットルボトルを買ってしまいました……。(以上、引用終わります) これを、自分や周囲への「解像度」の高まりの事例として、筆頭に紹介しているのですが、いやいやこれは、アルコール依存症です。いますぐ、心療内科に相談するべきではないかと思います。 こんな事象を捉えて、生活者のインサイト、つまりは洞察だなんて、この人たち、頭、大丈夫かなって思います。まあ、彼らのクライアントは、キリンやら、サントリーやら、アサヒビールやら、エタノールをしこたま飲ませることを、なによりも重んじる、広い意味での徴税官僚ばっかりですけど、だからといって、コロナ禍でエタノール中毒になっている生活者を、解像度が高まっているって言いのける神経は、なんなんでしょうか。 コロナ禍で、酒に溺れた人たちは、当然のことながら解像度なんて、ダダ下がりです。エタノールを口にして解像度が上がる人がいたら、会ってみたいものです。こういうのは、エタノールを売りまくっているクライアントへの、おべんちゃらのつもりなんでしょうか。ひどい、ひどすぎるのひとことです。 コロナ禍で、酒気帯び運転で検挙される人たちの、酒量が増えているっていう調査がありましたけど、そこがエタノールの怖いところです。新型コロナウイルスの感染拡大で飲酒運転の件数は減ったらしいのですが、ドライバーの飲酒量は増えていたという、兵庫県警が分析したデータです。4 リットル のウイスキーボトルを買ってしまうのも、エタノールで麻痺したからだで、車を運転してしまうのも、解像度の問題ではなく、ただ単に中毒の問題です。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-11-18 21:00:32

ガネーシャとサンクチュアリ

徒手空拳日記 2021年11月17日水曜日 私は、ガチのリベラルなので、立憲民主党の小川淳也に、頭のてっぺんから足の指先まで、虫酸が走ります。こいつが総理大臣やるくらいなら、平井卓也のほうがまだマシですね。元気で明るく、ちょっぴりエッチ、それなのにとことん謙虚、こいつは、ニセモノ、フェイクです。 こいつが、政治屋さんになろうとした時に、たまたま民主党に風が吹いてたから、民主党にいっただけで、簡単に言うと、運とセンスのない人です。こういう人に大きなことをやらせると、その組織は傾きます。あ、CDPはもうかなり、水平まで傾いてますよね。 なぜ君は総理大臣になれないのか? っていう映画は、フジテレビでザ・ノンフィクションを担当していたテレビ屋さんが撮った映画ですけど、タイトルの付け方がテレビマンです。つまりは本質をかすりもしない、ひょうきんなだけのタイトルです。 そもそもこの国で総理大臣というのは、ほぼほぼ、単なるお飾りです。神輿は軽いほうがいいなんて言いますが、まさにその通りなんです。 Wikipedia で、伊藤博文から岸田文雄まで、日本の総理大臣の説明を、全部読んでみればわかります。総理大臣に祭り上げられて、喜んでいるような人間に、過酷な権力闘争なんてできません。 小川淳也は、もともと前原グループにいたくせに、立憲民主党では、サンクチュアリという超絶気持ち悪い名前の党内派閥に、パラサイトしているのですが、サンクチュアリの顔色を伺って、ビジョンもミッションもバリューも、なにひとつまともに口外できず、こんなやつが ご立派なstatesman になれるわきゃないと思うのですが、国民の目が濁りまくって、右も左もクソばかりとなっています。 マルクスの言うとおり、政治の下部構造が、経済なので、経済がもっと悪くならないと、政治という屋根裏部分は、変わりません。コロナ禍の第2形態はエネルギークライシスですが、多分その次に来る第3形態が、経済クライシスです。政治的なクライシスは、そのあとでしょうね。今の日本は、だるま落としも、もっさりまったりしています。 だって、立民の党首選とか、本当にクソなメンツしかいません。政治はまだまだしょうもないモラトリアムが続くでしょう。地方のクソみたいな不動産がまだ動いてますが、その動きが鈍くなって来ていますので、そろそろみんなシートベルトの位置を確かめはじめる、そんなタイミングだろうと思います。 まあ、家庭菜園と、米と、寝床の確保が大切です。バブルが弾けたら、損切り資産を買いまくろうかなとワクワクしています。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-11-17 21:00:47

日の丸レッドネックと日の丸ケンブリッジ・アナリティカ

徒手空拳日記 2021年11月16日火曜日 田舎だと分家の悪口を徹底的に言って、分家そのものを地縁から追い払ってしまう、みたいなことが、よくあったのだろうと思います。あいつらは顔つきがおかしい、目つきが尋常ではない、親が親なら、子も子だ、いったいどんな教育をしてるんだ、そうやってけっちょんけっちょんに、ボロクソに言って、お嫁さんなんかをPTSDにしてしまう、そういったメンタリティーと完全に地続きなのが、小室圭、眞子様バッシングだろうって思います。 つまりあれは、皇室問題ではなく、朱子学カルトの問題です。分家が追放されて、食い扶持からも干されて、彼らがどこへ逃げたかといえば、江戸のスラムだったんです。いまでも頭のおかしなNHKなどは、江戸、東京のメガロポリスを、あたかも日本人の優位性という文脈で騙り、事実を歪曲しますけど、小室眞子様は、こんな分家にいたら精神が持たないと言って、現代における江戸、つまりはニューヨークへ行きたいか? って、トメ福留ばりに、何回も小室圭に尋ねたんだろうなと思います。 いまの東京は、れいわ新選組が街宣する新宿などは、貧民の街になりつつあります。キャバ嬢もホストも、オカマもみんな、貧民です。上野あたりも、やばいと思います。いなかで切られた人たちが、しかたなく都市へと出てきますが、まともな仕事もあるわけなくて、街が荒んでいきます。 愛子さまの成人式で身につけるティアラを、新しくはつくらずに、おばのサーヤのお下がりにするとなって、これまた日の丸レッドネックによる分家たたきが再燃してしまいました。穀潰しの分家が、皇室を滅ぼす気だ、あいつらをつまみ出せ、そんな声がヤフコメには溢れ出しています。 もし日本にもケンブリッジ・アナリティカがあったなら、TwitterやFacebookなんて眼中になく、ヤフコメを操作することにリソースを割くだろうと思います。Twitterにせよ、Facebookにせよ、日本支社にはなんの権限もありません。それならば、ヤフコメの操作を考えますよね。 Yahoo!はヤフコメをなぜやめないのかといえば、日の丸ケンブリッジ・アナリティカにボロい値段で使わせられるからだと思います。ヤフコメのイデオロギー・アカウントを深掘りしていくと、おそらくダッピ問題よりももっと組織的な、大衆操作が図られているだろうなと思います。 大衆を、皇室の分家ヘイトに誘導することによって、コロナ禍の怨念をガス抜きすることに成功して、自公政権は負けずに済んだ、そういうことだと思います。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-11-16 21:00:13

プリンセスもアセットもインサイド・アウト

徒手空拳日記 2021年11月15日月曜日 すっかり日の入りがはやくなりました。もう今年も、残りひと月半ですが、私もよく考えてみれば、東芝のように、仕事を3つくらいに分けて、リスクの分散と、身の丈の脱成長を目指すようになりました。どの仕事も、一日数時間しかやりません。他人を管理する仕事がゼロになったので、超楽です。日が暮れたら、もう仕事はおしまいなんです。徒手空拳日記を書いて、Netflixでも観て、寝ちゃいますね。政財官学マスメディア、つまり広い意味での官僚たちは、日が暮れてからが組織の意思決定タイムという、狂った時間感覚を未だに持っているのでしょうか。アホらしくてやってられませんね。 昨日は羽田とJFKを結ぶ、マスメディアの異常な報道がおぞましかったようですけど、地上波の映らない私の家では、あんまりその熱気は感じませんでした。それでも、ヤフコメのコメント数ランキングがトップ5すべて、小室関連となるなど、この過熱ぶりはなにかに似ているなと思っていたら、やっとわかりました。 今回の小室報道は、1984年のロス疑惑報道に似ています。太平洋を股にかけた胡散臭いモテ男を追い回すメディアという意味で構造が同じです。ただし、ロス疑惑の頃は、いわゆるジャパン・アズ・ナンバーワン、日本がこれから米国を越えていく勢いがありましたので、怪しいモテ男は、アウトサイド・イン、米国から怪しい男がやってくる、ストーリーでした。 小室圭報道はその真逆といえます。斜陽の国、日本からプリンセスを連れ出す怪しい男、つまりインサイド・アウトのお話です。モテ男だけでなく、日本のあらゆる資本が、インサイドアウト、それこそがこれからの満洲国2.0の潮流となります。残念ですね。 ヤフコメ民のルサンチマンは、公金を怪しい私人に使うな、というセンテンスに要約できますが、小室夫妻の乗った全日空機を、飛行追跡アプリでやたらと追いかける人々を見るにつけ、これぞ現代のパパラッチ、バイクやクルマで追いかける20世紀のパパラッチではなく、これからは、GPSとアプリで追いかける、しかもスマホを持つ人なら誰でも、罪悪感もなくパパラッチになれる、そういう時代です。 小室圭よりもよほど怪しい日本人男性が、国内から海外へ、アセットを持ち出そうとする流れが加速するでしょう。東芝を3つに小分けして、GE日本支社をなくしてしまった車谷さんのほうが、小室圭より何万倍も怪しいと思うのですが、ヤフコメ民が反応できるのは、ニューヨークの家賃が80万円とか、慰謝料が400万円とか、いわばしょうもない、はしたがねの事象にとどまります。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-11-15 21:00:44

価値のないものが売れるのはバブル

徒手空拳日記 2021年11月14日日曜日 東芝が、ひかる東芝と、まわる東芝と、はしる東芝の3つに割れるって、それ、事実上の解散ですよね。車谷さんがぶっ壊してしまいました。それでもなお、一流企業ヅラしなきゃならないのも、辛いよなと思います。 倒産ではないと言い張りながら、ゼネラル・エレクトロニクスの日本支社が、そっと、この世界からなくなります。液化天然ガスの会社も、一昨年にあわててフランスの会社に売っていなければ、いまごろはかなり儲かっていたはずなのに、だめな会社は、なにをやってもダメ、の典型です。 さてさて、近くのショッピングモールに、子ども向けのロボット教室なる学校があって、なつかしのペッパーくんが、スイッチオフのまんま、こちらをみていました。子どもに、ロボットとプログラミングを教える教室とのことで、いまはこんな習いごとまであるんだなあと思いました。 科学、技術、工学、数学の得意なSTEM人材を育てるっていうと、こういう教室が生まれるのだなあと思いましたけど、その教室の近くにあるゲームコーナーは、太鼓の達人とか、プリクラとか、マリオカートとか、20年くらい時間が止まっています。ゲーセンがこれだけ死んでるってことは、もっと上流のSTEMも当然、死んでいますよね。 政財官学マスメディアという、広い意味での官僚システムが、価値を丸で生み出せなくなって、20年くらい心肺停止なのが、いまの日本だと思います。そのロボット教室も、月謝が1万円くらいで、そんなものに通わせるくらいなら、いいパソコン買ってやったほうがいいと思います。 パソコンといえば、いま私が住んでいる田舎にも、パソコン有償譲渡会のチラシが投げ込まれていて、戦慄しました。これは、譲渡なんていうおためごかしなネーミングでありながら、パソコンのことが丸でわからない情弱に、クソ高い中古パソコンを売りつけるあやしいビジネスです。 子どもをロボット教室に通わせてしまう親も、パソコン有償譲渡会で中古パソコンを買ってしまう中高年も、日の丸レッドネックなのかなって思います。情報の非対称性をまんまと悪用されて、とんだばったものをつかまされるのは、パソコンだけではなく、株とか不動産も丸で同じです。 先日も、とある中小企業の経営者と話してたら、大手證券会社の営業にいいように株を買わされていて、この会社は長くないなと思いましたけど、みなさんいまがバブルの最終局面にいることの自覚があんまりないようです。田舎の土地とか、実体価値の2倍、3倍の値札がついています。いま大切なのは、とにかく、よくわからない高い買い物はしないことです。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-11-14 21:00:06

気づけば、Podcast配信から一年

徒手空拳日記 2021年11月13日土曜日 気がつけば、徒手空拳日記を Podcast で配信し始めてから、この11月で1年が過ぎていました。1日につき3分程度のコンテンツですが、塵も積もれば山となる、10日で30分、ひと月で90分、一年ではなんと18時間にもなります。作業時間としては毎日30分として、年間ではなんと180時間にもなりますね。7時間労働に換算すれば、ひと月ぶんくらいの労役です。わらわら、笑えます。 おかげさまで、徒手空拳日記のPodcastを聞いてくださる方も、ほんの少しずつ増えていますが、何しろ音だけの、かすかなシグナルなので、検索にもあんまり引っかかりません。これぐらいの超絶マイナーコンテンツが、私にはぴったりです。音声読み上げ、最高です。 先月でたGoogleのPixel6は、Google が独自に開発したチップを搭載しているので、処理がめちゃくちゃ速くて、音声入力のインフルエンサーである勝間和代さんも、Pixel6のGoogle 音声入力の進歩に舌を巻いています。いま私が使っているスマホは、Pixel4aなんですけど、次買い換えるなら、またPixelだろうなと思います。iPhoneは、高いばかりで、私にはほとんど無価値です。 最近は、この日記の Podcast を書くところからアップするまで、30分以内でできるようになりました。私の地声で録音してPodcastにするときの最大のボトルネックは、録音の工程です。その点、この機械音声はどこでも、スマホで完パケできます。機械音声でいいやと妥協して、黙々と積み上げています。 書くことで、気持ちが封じられていきます。書くことは、己を整理するための行為です。これは書きながらの、政財官学マスメディアのデトックスなのです。これから先も、朱子学カルトのおかしなところを、あげつらって参ります。 文字を音にして、世界中に配信できるなんて、夢みたいな時代です。私が中学生の頃は、世界からの情報を聞こうとすれば、短波放送で聞くしかありませんでした。 でもその放送内容は、すべて冷戦期の国民国家によるプロパガンダだけで、丸で面白くもなんともありませんでした。いまのNHKって、中学生の頃のモスクワ放送とか、北朝鮮の朝鮮中央放送に、とても似ています。宣伝放送です。ひとりひとりの勝手な発信は、SNSによって始めて実現できてるわけで、Pixel6なら、徒手空拳日記を英語に自動翻訳して、それを読み上げてPodcastにすることもできちゃいそうです。 まあ、こういう時代にNHKとか朝日新聞しか当てにしてない人は、やばいと思います。そういう人たちが、日の丸レッドネックとしてのヤフコメ民になっています。みっともないですね。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-11-13 21:00:08

少しずつスラム化する東京

徒手空拳日記 2021年11月12日金曜日 田村で金、谷で金、ママになっても金、ではないですが、都市暮らしでも手ぶら、田舎暮らしでも手ぶら、です。 最近はガソリンがやたらと高くて、昼間はできるだけ歩くことにしているので、田舎でも、なおさら手ぶらが重要です。ここらへんも、すでにかなり現金なしでもなんとかなるので、お財布は持ち歩いていません。都市と田舎の一番大きな違いは、サードプレイスとしてのクルマという空間があるところで、その意味では、より一層手ぶらはラクに実現できます。 東急の運賃が値上げされるとか、JRのグリーン車料金が値上げとか、都市部の移動手段もどんどん値上がりしていますね。値上げで解決するなら経営者なんて要らないと思います。 会社を辞めると、都市部に住む理由がほとんどなくなります。都市が豊かさの象徴だった時代は終わっており、かつての江戸のように、田舎では生きていかれないものたちの吹き溜まりとなりつつあります。れいわの山本太郎が、東京で街宣するのはほとんど新宿ですが、それはもはや新宿が、貧しい人の吹き溜まりになっているからです。 昔は映画とか音楽とか、渋谷に行かないと体験できないものも、結構ありましたけど、もはやクリエイティブなものも、だいたいNetflixやネットで、どこに住んでいても手にはいります。 そもそも映画とか、アルバムとか、インターネットのない時代のコンテンツパッケージでしかなく、それっていまさらなんか価値あるの? って感じで、ひとびとは映画の尺ではすっかりもの足りなくなっています。 都市であろうと田舎であろうと、もはやエタノールをみんなでビシッとキメて、集団や組織で盛り上がる、ドラッグを活用した政治儀礼がすっかり効力を失っており、コロナが落ち着いても飲食店の需要がぜんぜん戻っていないのも、広い意味での政治が、大きく変わってしまった証拠のひとつだろうと思います。 国政選挙の投票率が下がるのと、飲み会がなくなることは、実は繋がっています。人々の政治活動はどんどんソーシャルメディアの世界へと移行しているのです。飲み会で悪口を言ったり、政治屋に食い込んでえこひいきしてもらったり、その見返りに選挙運動したりするよりは、ヤフコメでギリギリアウトなコメントを書いて、それにいいねがたくさんつくほうが、ぜんぜんコスパのいい政治活動です。 そんな時代に、岸田文雄の車座集会とか、人々の声を書き留めた岸田ノートとか、ちゃんちゃらおかしいなって思います。車座になって、役人が集めた人畜無害の人民の意見を聞いたって、完全に時間の無駄、偉い人が目下の言うことをメモするなんて、ただ単に、不気味なだけです。北朝鮮みたいに、金正恩の言ってることをメモしてないと銃殺刑、それこそが狂しい朱子学カルトのあるべき姿です。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-11-12 21:00:18

Facebookよりもたちの悪い日本のマスメディア

徒手空拳日記 2021年11月11日木曜日 むかし石川遼がはげしく推していた、英会話があっという間に上達するフレコミのスピードラーニングは、いつの間にかこの世界から、なくなっていましたけど、その石川遼が、決められたコロナ隔離義務を怠って、飲み会に出ていたことから、最近の石川遼の遊び人風、昭和の定型的な表現でいえばバーテンダー風の、とっぽいロン毛姿が拡散しましたけれど、ヤフコメには、最近の石川遼の見た目をdisりまくるものが溢れ、「ここ数年、顔つきがまともではない、やさぐれていると感じていた」などと書かれており、ボロくそで、わらわら、笑えます。 特定の人物の、顔つきや目つきの不気味さをネットに書きつけることが、民衆におけるこれからのガス抜きトレンドになるのでは、と思います。ヤフコメ民の民という漢字はもともと、権力者によって片目を潰されたものたち、という意味です。ものごとの本質を見る目がない、だからこそ、タミなんです。 悪そのものではなく、悪いことしそうな不気味さが、ヤフコメではぶっ叩かれます。京王線ジョーカーの例を出すまでもなく、皆が心の底から恐れているのは、悪い人ではなく、気持ちの悪い人です。悪よりも不気味が、恐れられつつあります。 そういえば、ザッカーバーグの顔つきって、どんどんおかしくなってきており、やたらと気持ち悪いなと思います。やさぐれていると感じます。Facebookもインスタグラムも、アカウントさえ持ってない私ですが、彼らがこれから滅亡へと向かっていくありさまを、高みの見物をしています。メタバースがはやる前に、Facebookはミクシィみたいになるかもしれません。楽しみです。 Facebookって、人間関係を勝手に広告媒体にしたという意味で犯罪的、暴力的でしたけど、人間の社会関係資本を広告媒体とするだけでは飽き足らず、プロパガンダだの、ステマだの、分断だの、若者の精神破壊だの、これはほとんど、不気味の百貨店だと思います。 正義と悪が対立するイデオロギーの時代は終わり、正気と不気味が紙一重に実在する、奇天烈な時代に変わりつつあります。私の理解では、Facebookよりも日の丸プラットフォーマーのほうが、はるかに阿漕です。日本の場合、アメリカのFacebookみたいな作為を、マスメディア全体が徒党を組んでやってますし、日の丸ポイ活プラットフォーマーは、Facebookよりも遥かにエグいデータどろぼうをやっている、と思っています。 日本語というエコーチェンバーで、憎悪、分断、洗脳、プロパガンダなんでもござれ、それが政財官学マスメディア、朱子学カルトの満洲国2.0です。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-11-11 21:00:50

はした金も金目でしょ?

徒手空拳日記 2021年11月10日水曜日 子どもという日本語は、直訳すればまさしく、ヤングケアラーなんですけど、ヤングケアラーをもう一回逆に和訳しなおせば、若いおとも、つまり小さな奴隷、子どもです。男の子どもなら、家庭内労働力ですし、女の子なら、貨幣として、そのまんまキャッシュアウトしてしまうなど、日本人の子どもへの扱いは昔から非道いんです。 岸田文雄や安倍晋三による、茨城6区の衆院選応援演説へのサクラに、もれなく5000円支給の次は、なんと子どもに現金を、今年中に5万円、クーポンを今年度中に5万円とか、文字通りヤングケアラーにタバコを買いにいかせるお駄賃にもならない、超絶しょぼい手当で、こんなクソみたいな衰退国で、子どもつくらなくて、心底よかったなあって思います。ほんと、こんなクソな国に、子孫残しても、子孫に恨まれますね。 私などは、自分が生まれたこともぜんぜんありがたいと思ってないので、子どもをつくることもまるでありがたくもなんともなく、単なる負の連鎖だと思っています。 この前落選した石原伸晃が、むかし自民が野党の頃、子ども手当なんて、かつてポル・ポトのやってた政策だとdisっていましたけど、彼もほとんど政界引退となり、石原慎太郎の時代が完全に終わったなと思います。失った議員のお立場ご身分も、最後はカネメでしょ、とはいきませんでしたね。 政財官学マスメディア丸々っと、戦争に負けた当事者が、76年経ってもそのまんま満洲国2.0を牛耳っているわけですが、戦犯の世代の子ども世代、つまり団塊の世代が死滅するまでは、この国の劣化はとまらないと思います。さすがに団塊ジュニア世代にまでなると、継承されるものもほとんどなくなります。若い人たちに偉そうなこと言って、なんの役にも立たない団塊の世代がこれからますます、社会的には抹殺されていくと思います。 さてさて、もしいま10万円給付されたら、そのカネをなにに使うか考えますと、太陽熱温水器の足しにしますね。ソーラー発電よりも、エネルギー効率が良くて、製品の劣化もしにくく、投資としてすぐれています。できたお湯は風呂に使うのもいいですが、さらにもう一台買って、床暖房にしてもいいかなって思います。 まあでも現実的には、子どもに支給された10万円相当で、追い込まれた親がなにを買うかと言えば、制服とかランドセルとか、頭のおかしな朱子学カルトの儀礼グッズでしかない無駄なものばかりで、そこが絶望的です。ランドセルなんていう不気味なものに、びた一文、お金を使いたくないので、やはり私は子どもはぜんぜん要りません。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-11-10 21:21:55

二子玉川イカゲームとしての楽天

徒手空拳日記 2021年11月9日火曜日 最近の日本の小説って、作家さんがNetflixをノベライズしてるなあと思います。クリエイティブの逆ですね。映像を文字に落として、つまりビット数を下げて、作家気取りとか、ちゃんちゃらおかしいなって思います。 サラリーマンって要するに、おカネの流れと、時間の流れを、すべて政財官学マスメディアによって監視される、ということで、経団連がリモートワークの常態化に難癖をつけはじめたのは、リモートワークだと社員の時間の流れを完全には、監視しきれないからです。 下々の時間と空間とおカネ、これらのすべてを牛耳ることで、あたかも成長しているかのようなイリュージョンを生み出してきた満洲国2.0ですが、衰退が色濃くなればなるほど、従業員の、おカネと時間と空間を、嫉妬深く、徹底監視しようとするのでしょう。アホらしいですね。 ひたすら監視されてきた朱子学カルトの下々は、リーマンショックでいきなりアイデンティティを失って、ルサンチマンの損得勘定計算機となり、大阪維新の会がイデオロギーとなり、公務員の給料をもっと下げろ、小室圭と眞子に、びた一文税金なんて使うな、消費税は貧乏人に課税できるから大賛成、といったこころの劣化まっしぐら、コロナで死んだやつが悪い、自助努力で勝手に野垂れ死ね、などなどと心の荒んだ人々が、中国や韓国よりも、国内にやっつけられる敵を見つけつつあります。ウルトラスーパーよかったですね。 現代の光クラブである楽天は、リモートワークをやめて週4日は会社へ来い、と言い始めました。月曜日の朝は、8時から毎週総決起集会をやっている朱子学カルトなので、さもありなんと思います。 こんなクソな会社にはいって、人生時間を奪われる情弱は、二子玉でイカゲームに参加しているようなものですし、楽天経済圏そのものが、しょうもないアプレゲールであり、そのなかで1円でも消費者をむしり取ろうと必死こくのは、ある種のイカれたクソゲーです。 私は、ほとんど潔癖症と言われるほどに、楽天経済圏には一切、足を踏みいれないようにしています。それだけでなく、楽天カードとか、楽天モバイルの絶叫コマーシャルが一切、目と耳からはいってこないように、あらゆる広告媒体を排除しています。 楽天カードでポイ活して、楽天トラベルで旅をする人なんかは日本維新の会を支持するのと大差のない情弱なので、そもそも旅なんてしても、意味ないのではと思ってしまいます。あと何年、こんなクソなアプレゲール組織が残るのかわかりませんが、私は私なりにこれからも、ありとあらゆる手段を使って、楽天ブロックをつくりあげていきます。二子玉川は風水的には最悪の地ですよ。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-11-09 21:00:55

組織ごっこの無価値化

徒手空拳日記 2021年11月8日月曜日 ガソリンが高いのは、コロナ禍の収束で需要が高まっているからではなく、単に産油国が談合して、高値にしているだけで、こういうものを、取り締まることができないところに、ポモサピエンスの恐ろしさがあります。 値上げでもう、気軽に牛丼が食べられないのなら、ウインナー弁当を食べればいいじゃない。ローソンの100円ショップで売っている、ウインナーだけのお弁当が、貧しい民に大人気とのことで、調子づいたローソンが、第2弾を売り始めたのですが、それはミートボール弁当でした。 これだと、ひき肉料理という意味では大差がなく、ウインナー弁当の売上が減ってしまいそうです。第一弾が肉なら第二弾は魚とか、ご飯ではなく麺類でいくとか、もうちょい考えてほしかったと思います。 日本ほど、マーケティングの本当の意味をわかってない国はなくて、多くの人がマーケティングだと思っていることは、単なる安売りであったり、単なる販促キャンペーンであったりします。 そもそもマーケティングとは、付加価値を高めていく活動であって、ミートボール弁当のように、デフレを進めていくような活動は、マーケティングとは逆の活動だと思います。こういうミートボール弁当みたいなことをやっていると、そのうちに、それならペヤングのほうが安いしうまいじゃん、となりますよね。 20世紀の消費とは、自分を消費活動によって表現する活動で、21世紀初頭の消費とは、消費によってつくられた自分を、ソーシャルメディアで表現する活動で、土台のところは実は繋がっていて、ひとりでも多くの人にリーチしたものが勝ちというルールは、丸で同じでした。 これからやってくるのは、そもそも消費しないとか、そもそも自己表現しない流れだろうなと思います。そこそこチャンネル登録数のあるYouTuberが、パタッと更新をやめてしまうのは、自己表現そのものが、しんどいからです。You Tubeから広告費をもらったとしても、そのかったるさは割に合わないものです。 政治屋さんもYouTuberさんも、これからはますます続けるのがつらくなる、やれどもやれどもつらくなり、やがては割に合わなくなるだろうと思います。自分は、こういう人間ですとか、こんなポリシーでやってます、みたいなアピールを、人はしなくなっていくと思います。 投票率が下がり続けているのは、そもそも人間集団の無意味化があります。大組織の儀礼的な飲み会とか、絶滅寸前です。あらゆる中間集団が無効化していきます。だるま落としです。最後は手足のない、だるまさんの頭しか残りません。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-11-08 21:00:21

「日本ではの神」としてのヤフコメ民

徒手空拳日記 2021年11月7日日曜日 新宿高島屋タイムズスクエア、渋谷チェルシーホテル、そして京王線ジョーカーなどなど、私達は、敗戦国としていまも、米国の劣化コピーの日常、を生きています。劇団四季のブロードウェイミュージカルなども、高島屋タイムズスクエアなどと同じ根っこのものだと私は思っています。 5ちゃんねるの日別の書き込み件数が、先日200万件を下回り、徐々に過疎ってきているわけですが、ユーザーが高齢化して、オワコン化が進む5ちゃんにかわって、Twitterを、その後釜とする意見も巷には多いのですが、やはり私は、ヤフコメこそが正統な2ちゃんねるの後継者だろうと思っています。 なんといっても、ヤフコメは、5ちゃんにくらべて、運営がしっかりしています。5ちゃんのような有象無象によるボランティアの運営ではなく、ヤフコメは、ヤフーのページビューを荒稼ぎするという、まさに一部上場企業の、広告収入を支える屋台骨なわけです。だからこそ最近は、よろしくないコメントを人工知能でおのずと察して、その記事についたコメントをまるごとなかったことにするなんていう、封殺のおもんぱかりまで、できるようになっています。 さてさて、今日印象に残ったヤフコメは、ヤフコメの主要な燃料源である週刊女性PRIMEが、11/7(日) 7:01に配信した、「京王線刺傷事件の犯人も…「人を殺して死刑になりたい」息子の“殺意”に怯える母親たち」という記事へのコメントです。引用します。 この国は何故だか母親だけに責任がある、家庭環境に問題がある、犯人も母親も自己肯定感が低いなどとする風潮がある。 大間違いだよ。 何故、こんな事件にも、母親だけがクローズアップされるのか? だれかに責任を押し付けたら、それで落ち着くのだろうね。 母親が殺意に怯える? ジェンダー差別が家庭内にはっきりと現れている事に気付くべき。昨今は、自己肯定感など、便利な用語として使われているが、これは他者からの視点が抜けている。自分のモチベーションなり、ポジティブなどとしたものではない。おかしく使われている。 そんなんじゃ、正しい構造が見えてきませんよ。 以上で、引用終わりです。 映画のジョーカーは、ジョーカーがなぜ、社会から転げ落ちて、ピエロとなってやがて人を殺め、ついには悪のインフルエンサーにまでなっていったのか、そのいきさつを主にえがいていますが、かなりの時間を、母親との過去との関係に割いています。さっき引用したコメントでは、何故、この国では、こんな事件にも、母親だけがクローズアップされるのか? との呪詛が書かれていますが、京王線ジョーカーがあこがれて真似をした、映画のジョーカーでも、母親だけがクローズアップされているのです。 かつて日本が、アメリカを追い越したとさえ言われた頃は、日本人は外を向いて、アメリカではこうだ、ああだという、「アメリカではの神」が跳梁跋扈しましたけど、今のヤフコメ民を支配している、基本的な精神とは、「日本ではの神」だろうと思います。ものすごく狭まった内向きな視野で日本社会を捉え、匿名のヤフコメ民として絶対に許せないスケープゴートを、日本の外へと排除しようとするルサンチマンに溢れています。10月のヤフコメをほとんど独占していた、小室圭問題などは、典型的な「日本ではの神」が、狂おしく発動した現象です。この奇妙な「日本ではの神現象」を深く洞察することを、私のライフワークにしていきたいと思います。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-11-07 21:00:04

低頻度・低速・低ビット通信としての民主制

徒手空拳日記 2021年11月6日土曜日 Evernoteのなかにある、過去の私についての情報のほとんどは、私がサラリーマン時代のものなので、フリーになってからはぜんぜん役に立たないし、Evernoteのサービスそのものも、どんどん使いにくさが目立つようになって、もはや風前の灯、そろそろデータそのものを引き上げる潮時かなと思います。 ついでに、Microsoft Officeも、徹底的に使わないようにしています。Microsoft Officeを中途半端に使うのではなく、Googleしか使わない、そのなかで仕事する環境に最適化すべきです。iPhone12も、仕事用としてサブで持ってますけど、マスクしてると使いにくいのは、iPhone13になっても変わりません。 スケジュール管理も、今年から紙の手帳です。来年も紙です。サラリーマンだけでなく、いろんなお立場、ご身分の人と仕事するようになったので、スケジュール管理を統合するのも、紙のほうが、楽だし、確かになりました。 あと何年生きるかわかりませんが、クラウドに自分の情報を溜め込んでも、そのうちプラットフォームそのものが変わってしまうと、結局は使えません。Facebookとか、冗談抜きで、10年後にまだあるかどうかわかりませんよね。その点、カミというメディアならいつまでも安心です。 台湾のオードリー・タンが、紙と鉛筆による投票の選挙について、4年か2年おきに、たった数ビットの情報を送受信する、データ速度の遅い通信、と言ってましたけど、送受信したところでほとんどなんにも変わらないわけで、そんなものよりはヤフコメになんか書いて、いくつもいいねがつくほうが、よほど充実感のある政治活動だと思います。 若い世代に限らずすでに多くの国民にとっては、毎日のソーシャルメディア活動こそが、ヒリヒリする、あるいはドキドキするような政治活動なわけで、その醍醐味とは、すぐに反応があることであり、その反応が、不特定多数のダイナミズムにつながる、自律分散性だと思います。 ソーシャルメディアこそが、政治闘争の一丁目一番地になっているのに、政財官学マスメディアは、そこからはるか遠く閉ざされたちまい場所で、しょうもないムラ社会ごっこをしているわけで、この国の危うさとは、人々が政財官学マスメディアのことをネグレクトし始めているところではないかと思います。 ヤフコメを読んでいると、いままさに朱子学カルトゆえのルサンチマンが満ち満ちており、紙と鉛筆の民主制をスルーする一方で、もっとメタなレベルの、権力闘争は着実にボルテージが上がってきています。 岸田文雄にせよ枝野幸男にせよ、彼らがぱっとしないのは、浮かれた特権階級として、人々のルサンチマンのなかに身をおいてないからで、経団連や連合も、政治屋と同じ満洲国2.0のフィルターバブルのなかにいます。この分断は、解決不能なレベルまでどこまでもひろがっていくでしょう。よかったですね。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-11-06 21:00:09

俺今月金ねンだわ

徒手空拳日記 2021年11月5日金曜日 Netflixのイカゲームをみていると、ホリエモンに似ている俳優や、星野源に似ている俳優が出てるし、あ、この人はちょっと上戸彩がはいっているよね、などと思います。つまり人種的には日本人も、韓国人も、丸で見分けが付きません。日本人がドイツ系とフランス系のアメリカ人を丸で見分けられないのと同じで、アメ人も、東アジア人の微妙な差なんてわかりません。 Netflixで、イカゲームみたいな、日本から世界に向けたビッグヒット作品が丸で出ないのは、朱子学カルトのメディア・コンテンツ産業からトンヅラした、ズルくて古い日本人が、Netflixに鞍替えしてコンテンツをつくっているからで、もし私がNetflixのグローバルマネジャーだったら、いまのNetflixの日本人社員は全員クビにして、韓国を始めとした優秀なプロデューサーに、日本発のコンテンツをつくらせます。とにかく、全員クビです。 日本ではこうしないとだめなんだ、しか言わないしたり顔の人たちを、上から下まで全部クビにしたほうがいいと思います。そうしないと、ドクターXとか、渡る世間は鬼ばかりのような、牛の涎のようなマンネリドラマを永遠に粗製乱造する、負の連鎖を断ち切れないと思います。日本の地上波コンテンツは、ゆっくりと動画付きのラジコへと劣化しています。なぜなら彼らの特徴はただ一つ、カネねンだわ、だからです。 今年の流行語大賞のノミネートが、この前ありましたけど、今年のナンバーワンであるはずの、カネねンだわ、が入っておらず、ドン引きいたしました。政財官学マスメディア丸々っと、オレ、カネねンだわ、に貫かれているのが、2021年の冬枯れ満州国2.0なわけで、カネねンだわゆえに、マーケティングそっちのけで、長いものに巻かれるクソドラマしかつくれずに、結果が出ないので予算がさらに小さくなって、ますますひどいオレ、カネねンだわ、に沈んでいく、そういうことです。 動画コンテンツだけではなく、最後の一本足と言われている自動車産業も、ハイブリッド・ガラパゴスの成れの果て、あと5年もすると、トヨタグループもこぞって、オレ、カネねンだわ、を連発するようになると思います。 私の記憶が正しければ、ハイブリッドカーはもう、2017年ころには世界では、かなりのオワコンになっていたわけで、いまだにハイブリッドカーにこだわるトヨタは、この先、パナソニックみたいな、オレ、カネねンだわ、にならないかしらんと、とても心配しています。 トヨタって、自動運転の技術もじつはまともに持っていないし、これまでのかんばん方式で蓄えた唸るようなキャッシュを、どうやって持ち腐れしているのか、本当に謎です。ま、オレはトヨタなんて買うカネなんて、びた一文ねンだわ、としか思っておりませんので、知ったことではないですけどね。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-11-05 21:00:57

命を削る水

徒手空拳日記 2021年11月4日木曜日 未婚男性の死亡年齢の中央値は67歳、結婚している男性のそれは、82歳らしいんですけど、これからますますこの差は開いていくだろうなと思います。砂糖と酒によるドーピングの歯止めが利かないセグメントは、これからも増え続けます。 飲まない人生が、本来の自由な人生であることに気づく人と、気づかない人の差も、もっと開いていくと思います。エタノールなしでなにがいいかと言えば、思い立った時にどこへでもクルマで移動できます。本が読めます。集中してネットフリックスも観られます。 コロナ感染がおさまってきたというのに、夜遅くまで飲む人はなかなか増えないと聞きます。一度習慣がたたれると、ふと我に返り、麻薬から足を洗う人がかなりいるのではないかと思います。 それは多分、エタノールを体内に取り入れないことによる、本当の快楽を取り戻したことに本人が気づいたのだと思います。エタノールが脳にまわり、組織共通の敵の悪口を言い合う飲み会なんて、単なるカルト組織の儀礼です。薬物が欲しい、敵の悪口を言い合って安心したい、そういった哀れな快楽のムダさに、かなり多くの人が気づいたのだと思います。 ひとりの人間が、いい加減にこのコロナ社会を終わりにするとき、コロナ前のようなエタノール依存には戻らないで、選択的にシラフでいる時間を、アフターコロナの個人の幸せの拠り所としようとする人は、意外と多いのかもしれません。 夜までお酒が飲めるありがたさよりも、エタノールなしで自律することの心地よさをとる、そういった余地が生まれたことは、怪我の功名というか、災い転じて福となす、なのかもしれません。 エタノールは、大きな組織集団の成長を疑うことを知らない、奴隷たちの飲み物です。つまりサラリーマンの飲み物です。エジプトのピラミッド建設に駆り出された奴隷達も、報酬として得られたビールのエタノールによって、働くことが動機づけられていました。王様のお墓をつくるために、エタノール漬けにされました。それと丸でおんなじです。 虚しい時間を、大量のエタノールで埋め殺す中高年はこれからも増えていくと思います。二十歳から酒を飲んで、40代で大量飲酒となり、50代で命を落とす、独身男性の寿命がやたらと短いのは、シラフでひとりでいるのが、さびしいからだと思います。かと言って、エタノールをぶっ込んで、誰かの悪口を言い合っても、心の根は腐って枯れていきます。エタノールによるゆっくりとした自殺のプロセスは、人生ではなく、炭素でできた肉袋が少しずつすり衰えていくだけの、痛みのない自傷行為です。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-11-04 21:00:00

群衆を避けて生きる

徒手空拳日記 2021年11月3日水曜日 自由な生活をするようになって、やたら多い日本の祝祭日がかえって、邪魔になりました。サラリーマンやってる頃は、生活リズムの狂う盆暮れが、やたらと鬱陶しかったのですが。 祝祭日に気づかずに、平日なのにやけに混んでるなー、えっ今日って、群衆は働いてないの? あっ今日は、もしや祝祭日じゃん、という感じです。 いまの私にとって、平日の昼間は、まさしく人の行く裏に道あり花の山、お勤め朱子学カルトのみなさんが、お仕事ごっことカルト組織ごっこに束縛されている時間なので、そのすきをみて、レジャーしたり、おいしいものを食べたり、コストコで買い物したりするのですが、鬼の居ぬ間の、ささやかな洗濯を妨害された感じで、残念な気持ちになります。 朱子学カルトのみなさんは、昼飯時と夕飯時は、かなりの確率で文字通り飯を食っているので、休みの日にスーパー銭湯にいくなら、正午や19時台に行ったほうがいいし、飯を食うなら11:30とか、17:30に行くのが正解です。つまりは、ピークオフですね。 お茶の間をピークオフする意味で、地上波が観られないいまの環境は、最強です。私は、爆笑問題の太田光とか池上彰とか橋下徹が、死ぬほど好きではないので、彼らの出まくるたちの悪い民放の選挙特番とか、観られなくて、本当によかったなあと思います。 そもそも、55%の投票率なのに、地上波が100%開票速報番組なのは、完全に思考停止です。じゃあ投票してない45%の人に、テレビを楽しんでもらおう、と考えられない民放の編成って、役人かなにかと勘違いしてますよね。 東京オリンピックの開会式の視聴率が56%で、今回の投票率もそれくらい、ということは、いまどきの国民国家プロパガンダになびく朱子学カルト市民はせいぜいがそれくらいしかいなくて、残りはほとんどが、日の丸ジョーカーなんだろうなと思います。 私としては、オウンゴールを高らかに招き寄せた枝野幸男が、代表を辞めちゃう事態がこんなに早く来るとは思いませんでしたが、結果オーライ、よっしゃよっしゃという感じです。枝野とか福山とか、コンプレックスで政治屋やってるから、普段の受け答えが矢鱈と不遜で、本当にみっともないやつらだなと思います。 京王線ジョーカーから最初に猛ダッシュで逃げたのは男たちで、女や老人はそのあとだった、というコメントに、たしかにそのとおり、それが朱子学カルトのクオリティ、だと思いました。 地震や洪水になるとセブン-イレブンが店頭で募金活動をやりますけど、ひとつの店の募金総額が、一人の客単価以下、みたいなことが頻発しているわけで、応仁の乱以降の日本人の底なしの冷血ぶりがよく現れているなと思います。太田光の言葉を借りれば、御愁傷様、へっへっへ、という印象です。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-11-03 21:00:40

京王線ジョーカーというパワーワード

徒手空拳日記 2021年11月2日火曜日 かねふくのスティック明太子、明太子のバラコつまりプチプチのつぶだけがスティック状になっていて、冷凍保存できます。目からウロコでおすすめです。 コストコで30グラム入りのスティック、20本で1498円です。スティックにバラコが入っているので、パスタによし、おにぎりによし、玉子焼きによしです。 ファミリー層にとっては、マヨネーズとかツナ缶のお友達のような存在として、つまり調味料のひとつとして人気になりそうだし、一人暮らしの人には、明太子を買って切るのはめんどくさいけど、これなら常備したいという、明太子そのものとして、冷凍庫のど定番になりそうです。 炊きたての新米に、チューブから絞った明太子をのせて、のりでもまぶせば、私なんかは、それで一回のお食事としてもう、充分だなと思います。 コロナ禍で、外食の需要が打撃を受けていて、米は安いし、あとはピリッとかねふく明太子があれば、元気もりもりです。 高島屋タイムズスクエア、渋谷チェルシーホテル、そして京王線ジョーカー。なにもかも、米国の劣化コピー、それが満洲国2.0ですね。京王線で昨日起きた無差別テロの犯人は、九州で挫折して、失意の果てに東京に出てきて、八王子のホテルに泊まっていたようですけど、ハロウィンの夜に、バットマンのキャラクターであるジョーカーの姿で、ナイフを振り回して人を刺したうえに、4リットルのライター用の油をまいて火をつけたわけで、いまの日本は、レーガン政権の頃のニューヨークに、少し近いかもなって思いました。 自尊心がない、仕事がない、生きていても仕方ない、つまりないないづくしで救いのまるでない己の姿を、ジョーカーに重ね合わせた犯人の年齢は24歳と報じられていますが、投票ではなくテロで課題を解決しようとする心理を推し測ると、この国の弱い者たちも、来るところまで来てるなと思います。 私としては、このテロ事件そのものもさることながら、何回も繰り返し流された事件後の車内映像で、逃げまどう人々のために、電車のドアが開いてなかったところに、衝撃を受けました。ああ、こんな緊急の状況になっても、非常ドアさえ開かないんだなというところが、いまの日本社会を象徴しています。 朱子学カルトシステムが、若くしてPTSDの日の丸ジョーカーをどんどん生み出しており、さらには、そのテロ現場で避難用のドアを開けないのも、ドアを開けたらあとで上司に怒られるかもしれないという、朱子学カルトのことなかれシステムです。 発狂したジョーカーと同じ空間に閉じ込められている社会、それが日の丸ゴッサムシティ、政財官学マスメディアのネオ新京なのだと思います。家で明太子ごはん食べていたほうが、安全です。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-11-02 21:00:21

ネット世論調査が統計的に正しくなった

徒手空拳日記 2021年11月1日月曜日 昨日の選挙結果を見て、朝日新聞の情勢調査がかなり正確だったことに私は、衝撃を受けました。朝日新聞、ごめんなさいって感じです。 朝日新聞の調査設計は、読売などの、電話を使うやり方とは違って、主にネットでサンプリングするもののようで、そちらの結果のほうが正しいということは、もはやネット調査のほうが、正しい標本を得られる時代、裏を返せばやたらかねのかかる、伝統的な世論調査が不要になったのだと思います。 朝日新聞の調査設計や分析の担当には、政治的な、あるいは文学的な予断を許さない、統計や数学の専門家もかなりコミットしているようで、空気から分析の数字を、都合よく作り上げてしまう危うさを排除していることもわかりました。 私なりに昨日の結果を要約すれば、偉そうなくせに丸で役に立たないダーティーオールドマンと、エリート労組が蛇蝎のごとく嫌われた、選挙だったと言うことだと思います。 島耕作が入社してからすぐの時代をえがいた、ヤング・島耕作というシリーズに、労組と経営の癒着が描かれていますが、労組の犬である立憲民主党や国民民主党が支持を失ったのは、朱子学カルトの企業組織が壊れているからだろうなと思います。 今回の選挙から、トヨタの労組が立憲民主党を棄てて、政権側に鞍替えしたことが象徴ですが、それは要するに、島耕作に象徴される朱子学カルト時代がなにもかも消滅したことを意味するのだと思います。 大阪のテレビ電波が届く範囲でのみ、維新の会のミヤネ屋ポリティクスが席巻しており、不気味です。私に言わせれば、維新とは、リーマンショックの苦しみが生み出したしょぼいファシズムであって、負の遺産でしかありません。 私は、選挙速報は NHK がネットで無料で見れるので、映像はそちらを映しておいて、音声はネットの番組をはしごして見ていましたが、ほとんどの政治関連YouTuberは、右も左もともに、きついフィルターバブルのなかにいるんだなと思いました。 コロナに感染するやつが悪い、消費税は貧しい人が自動で納税するから大歓迎、価値観なんかで飯は食えないから、とにかくお立場ご身分が守られるほうについたほうがトク、そういった日本人の醜い心が、色濃く表れている現実が見えています。 牛丼が500円を突破して、毎日の生活がもっと困り果ててこないと、豚が肉屋を支持する構造はこれからも続くと思います。岸田文雄は超ラッキーガイ、運も実力のうちと認めなければいけないと思います。他方で、枝野幸男とか山口二郎とか、影響力が果てしなく下がると思います。よかったですね。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-11-01 21:00:54

選挙カーの来ない町です

徒手空拳日記 2021年10月31日日曜日 まきストーブの着火に、選挙公報の紙を、くちゃくちゃに丸めて使いました。よく燃えます。乾いた竹に焚き付けて、薪へと燃え広がるのはあっという間です。 曇り時々、小雨のなか、今日は80℃から90℃くらいのはばで、長くなかにいることを楽しみました。 サウナのあとの外気浴は、最高です。やっぱりサウナ党とか、あったら党員になりたいなと思います。 思い返せば、ここらへんは選挙カーすら来ませんでしたね。街頭演説は、面白いものはガンガンネットで見られるので、もはや情報格差は全然なくて、みんなが神の視点を持って生きている感じです。 選挙期間中の、ざれごとだらけの政治屋のお言葉、聴いてるだけで唾をはきたくなりました。岸田文雄とか、最後のほうはほとんど分配をdisっていて、笑えます。勝つためなら、前言を撤回して翻す。私が辞めたクソ会社も、こういう岸田文雄みたいな執行役員ばっかでしたね。 政治屋は公の犬でしかなく、給料の割には時間ばかり食って、まったくアホらしくてやってられないなと思うのですが、世の中には、矢鱈と政治屋になりたがるバカと暇人が、こんなに大量にいることに、舌を巻きます。 成長と分配? はあ〜? 何いってんの〜? これからは脱・成長と、再分配の時代であって欲しいです。成長って、薩長の目標でしかありません。明治維新政権の成長が、国から企業、企業から家族、家族から個人へと示達されていくのが、明治政府の亡霊というものです。 米軍に書き換えられた憲法のもとで、だるまさんが転んだみたいな敗戦後の満洲国をつくりあげた、そのことを成長と呼んでいるだけで、満洲国のまぼろしは、ようやっと消えかかってきているのではないかなと、思います。 野党の政治屋のみなさんは、日本は四半世紀も成長できてない、とか鬼の首を取ったように言いますが、本来訴えるべきは、成長の地獄から降りようという主張であるべきです。あるいは、酒と砂糖をバカみたいに取るのはやめようとか、そういうまともなことを言う人、ぜんぜんいませんね。 自民党単独過半数割れ、自公でも、絶対安定多数の261議席を割るかもしれない情勢ですが、岸田文雄も枝野幸男も、来年の参院選までには首がすげ替えられちゃうだろうなって思います。どっちも、我々と同じ時間と空間を生きている政治家とはおもえませんからね。 ひとつ確実に言えることは、インテグリティのない、偉そうな有名高齢議員が、蛇蝎のごとく嫌われていることです。 マンスプレイニングのことを、とある政治アイドルが、マンスプって略していて、ある種の衝撃を受けましたが、このトレンドはとまらないだろうなと思います。つまり、今の政治屋は野党だろうと与党だろうと、かっこ悪くて見たくもない存在、時代に取り残されています。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-10-31 21:06:34

米軍座間ポリティクスとミヤネ屋ポリティクス

徒手空拳日記 2021年10月30日土曜日 甘利あきらって、西麻布あたりの韓国系サウナに、平日の昼間からいそうですよね。サウナから出たあと、汗も流さずに、水風呂に平気で入りそうなおっさん、というイメージです。その彼は、自民党幹事長でありながら、己自身が選挙区で危うい情勢とのことで、党の要職そっちのけで、遅まきながら、米軍キャンプのある座間で、慌てて辻説法をしているみたいです。 その演説の内容がYouTubeにあがっていて、ちょっと聞いてみたのですが、これは典型的な「あれ俺」おじさん、「あれもこれもみんな俺がやった」をひたすら偉そうに吹聴する、悲しい、昭和のおじさんです。 甘利あきらの地元選挙区の座間で、9人の女性が不気味な殺され方をしたのが明るみに出たのが、2017年10月ですけど、あの事件を、事件の割にはあんまり大騒ぎさせなかったのも、彼からマスメディアへの、不当な圧力だったんじゃないかと、私は疑っています。だって、何もかもこのおっさんが日本を動かしている、本人がそうおっしゃっている以上、疑わざるをえませんね。 この前の衆院選は、まさにその座間9人殺人事件の頃に行われたわけで、国難突破解散などと安倍晋三が言ってましたね。あの頃はまだ、マンガみたいなクソな日本がのうのうと続いていました。安倍晋三の言う国難とは、北朝鮮と少子化だったのですが、そのどっちも突破できてないどころか、ますますリアルな国難に追い込まれています。 あの頃は甘利がなにもかもたくらんで、何とかして、Jアラートの訓練サイレンが意味もなく、なりまくってましたね。子どもたちは、Jアラートの避難訓練とかやらされていました。 あの頃の日本と、現在の日本は、決定的に、全然違う国になっているのではないかと思います。マスメディアの影響力が、感覚的には半分くらいに落ちている気がします。甘利あきらがビビるわけです。 2017年の、私まわりのできごとを思い浮かべてみると、勤めていた会社を、見限りはじめた年でした。その前の年からアルコールを飲むのをやめてましたし、アホらしくて社会人なんてやってられないなって思い始めていました。 つまり、2017年以降のどこかで、少なくとも私の近くでは、共同幻想とか、洗脳がほとんど完全に解けてしまった、つきものがとれた状態になっているのではないかと思います。 アフターコロナよりも先に、アフター共同幻想の時代が来ています。共同幻想とは、イデオロギーのことです。アフター共同幻想の時代とは、イデオロギーの丸で機能しない、正気と不気味の世界です。 日本でまだしょうもない共同幻想が残っているのは、ポンコツ吸引マシン、日本維新の会に勢いのある大阪くらいでしょうか。私からすると、あれは単なるテレポリティクス、よしもと的な弱い者いじめの生贄政治でしかありませんけどね。ひとことで言えば、ミヤネ屋ポリティクスです。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-10-30 21:49:28

自己欺瞞を認めない政財官学マスメディアの朱子学カルト

徒手空拳日記 2021年10月29日金曜日 アメリカではガソリンが高くなりすぎて、クルマを満タンにできずに、20ドル分だけしかいれない人が増えているみたいです。アメ人は、不安定な人ほど、いわゆるペイチェック・トゥー・ペイチェック、お給料もだいたい、週払いなので、ガソリンも、とにかく使う分だけ、小刻みに入れようとします。 リーマンショック以降、米国でクルマのなかで生活している人にとっては、やたらと厳しい冬になりそうですが、彼らには教会という中間集団がまだ残っていて、人道的なセーフティーネットになっているようです。 日本でアメリカの教会にあたる存在は、昭和から平成までは、会社でしたけど、政財官学マスメディアの朱子学カルトは下からぶっ壊れて、腐り、やがてなくなりつつあります。中間集団がすかすかになり、共助や公助の手は差し伸べられず、むき出しの貧困があちこちに転がり捨てられています。 シュリンクフレーションって、要するに、価格の値上げはされないんだけど、内容量が少なくなっていく現象で、朱子学カルトの従業員は、おにぎりとかチョコレートの中身を少なくしていく時に、大真面目でその理由をたくみにすり替えます。 例えば消費者調査によれば、ダイエット志向が根強いので、量を減らすことによるカロリーダウンは、顧客ニーズを満たすのだとか、コンビニではカップ麺とおにぎりのように、複数の品物を組み合わせて買われ、食べられるのだから、ひとつひとつの量が少なくなっても、それは不満にはならず、むしろ客単価の向上につながるのだ、などというまことしやかな、合理化がなされるものです。 今回の衆院選についての朝日新聞の情勢分析が、かなり読み間違えているのも、このシュリンクフレーションと同じだと思います。 情勢調査はカネがかかるので、安くやる方法を考えているのに、世の中はインターネットが当たり前なのだから、対面調査はなくしていこうとか、世の中の変化を、都合よくドケチの合理化に使っているだけのことです。 まさに、貧すれば鈍する、朝日新聞に喜んで購読料を支払っている人は、小さくなったおにぎりを、同じく小さくなったカップヌードルと食べて、お腹いっぱいになっている人たちと変わりません。 政財官学マスメディアの仕事ごっこ、組織ごっこはシュリンクフレーションを正当化する無茶な言い訳を信じ合うための、滅びゆくコミュニティーです。若い人からすれば、過ちに引きずられて傾いたまんま、おにぎりを小さくすることを、必死こいて仕事にしている大人を、丸で尊敬できないだろうなと思います。 ひとことで言えば、政財官学マスメディアは、もはや金太郎飴のようにどこを切ってもインテグリティがないので、崩壊や腐敗がバレバレになってきている、そういうことだと思います。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-10-29 21:00:21

ファミリーヒストリーなんて要らない

徒手空拳日記 2021年10月28日木曜日 ツイッターとかラジオ番組の投稿で、みんな投票に行きましょう的な、啓蒙主義みたいなことを言う一般人、なんなんですかね。うすっぺらな正義を振りかざしているだけです。 私は、投票に行かないのも、ぜんぜんありだと思います。政治はもはやコスパが悪過ぎますし、民主制なんてこの国では丸で機能してないし、有名人が投票に行こうとか偉そうに言うのも、おかしいなって思います。 シールズっていう、若者によるかっこ悪いデモ活動が、5年くらい前までありましたけど、完全にあとかたもなく消えたのは、彼らが世間から干されたからだと思います。あれだけ干しておいて、またぞろ投票にいこうよじゃねえよって思います。眞子さまの結婚反対デモなんかも、あの時、シールズの学生を徹底して干した動きと、地続きだろうなと思います。 片山さつきが、ラジオで選択的夫婦別姓について、こんなことを言ってました。引用します。 「私は選択的夫婦別姓を認めると『ファミリーヒストリー』みたいな番組が作れなくなってつまらない国になるなと私は思う」以上で引用は終わりです。 私は、NHKのファミリーヒストリーのこと、反吐が出るくらい好きではありません。私は、自分の先祖の物語なんて、どうでもいいし、知りたくもないです。さらに言えば、有名人の祖先にコンテンツとして意味があるという視点そのものが、間違っていると思います。 有名人の家系ヒストリーをドラマタイズするならば、技能実習生のファミリーヒストリーもやるべきですし、死刑囚のファミリーヒストリーとか、ホームレスのファミリーヒストリーも、公共放送として、ぜひぜひ追いかけてください。 それはさておき、片山さつきの、姓が違うと、ファミリーヒストリーの企画が成立しなくなるというロジックが、かなり意味不明です。目が点になる、感じですね。思考回路そのものが、よくわからない、同じ時間と空間を生きているとは思えないです。 麻生太郎も、北海道の米がおいしくなったのは、温暖化のおかげだと言ってて、これも気候危機を政治家が否定している動機がよく分からず、意味がわかりません。 人生百年時代も、もとはといえば小泉進次郎が広めた発狂のトンデモプロパガンダで、彼の後ろにいた広告屋、日の丸ゲッペルスが糸を引いていたわけで、人生が百年になんてなるわけなかったことは、コロナのおかげではっきりしました。百年生きたいなら、カネを払え、それだけのことです。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-10-28 21:04:48

朱子学カルト、不気味の国

徒手空拳日記 2021年10月27日水曜日 コロナが落ち着いているせいで、どこへ行っても人だらけなので、週末は、家でテントサウナをして、ほとんどどこへも出かけなくなりました。買い物や外食は、平日だけしています。土日は動かずに、ガソリン代を節約、ガソリン高騰は単なる売り惜しみ、あと10年もたてば、ガソリンがいまのくじらの油みたいになる時代になると思います。 時々東京に戻ると、人が矢鱈と多いし、赤の他人がめちゃくちゃ近いって思います。昨日の眞子さまの発言から引用します。 「今、心を守りながら生きることに困難を感じ、傷ついている方がたくさんいらっしゃると思います。周囲の人のあたたかい助けや支えによって、より多くの人が心を大切に守りながら生きていける社会となることを、心から願っております。」 以上、引用終わりです。 心を大切に守りながら、まともに生きていかれないクソな社会、それがいまの日本だなと思います。つまり、イデオロギー的な正義と悪の対立ではなく、個人の心身の正気さと、不気味の対立であり、甘利あきらに象徴されるような気持ち悪さが、いま日本を席巻しています。 皇室を離脱した途端に、眞子さまを眞子さんと呼び変える政財官学マスメディアとか、私からすると気持ち悪さの極地で、お立場ご身分の肩書きで態度を変える朱子学カルトの典型的な醜さだなと思います。 超絶胸糞悪く、ひとりひとりがうすらキモい、まさに美しくない国、ニッポンとなってまいりましたね。 自民党ほそ田派のドン、細田博之は小選挙区で国民民主党に負けると、比例復活がないのでかなりカド番です。細田博之を衆議院議長にして、ほそ田派を安倍派に塗り替えたい安倍晋三からすれば、細田博之が議長でも、引退でも、派閥の領袖というポストが空けばどっちでもいいんだろうなと思います。 細田博之の小選挙区には、対立するかめい亜紀子と同姓同名の、亀井彰子という泡沫候補者が立っていて、これも正義と悪の対決というよりは、不気味との対決という言葉がぴったりです。 私の見立てでは、日本は工業化社会よりも以前の封建制へと少しずつ戻りつつあるわけで、封建制の根幹にあるのは、目的のためなら手段を選ばない、ネポティズムと脅しやいじめによる陰湿な支配構造でしかありません。 敗戦後米軍に書き換えられた憲法と、選挙制度だけがびっかびかの民主制で、馬子にも衣装、宝の持ち腐れではありますが、そのうち米軍による借り物の民主制も、無力化されていくだろうなと思います。 インターネットという面白いもののせいで、米軍にあてがわれた、世界人類史においても画期的な民主制がどう転ぶのか、この数年の日本の政治は、ちょっと面白いかもなあと思っています。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-10-27 21:00:57

「選択肢を示す」は詐欺の定石

徒手空拳日記 2021年10月26日火曜日 日本の皇室って、なんでちゃんとDNA鑑定しないのかなって思います。話はすべて、それからでは? って思います。秋篠宮がもし異父兄弟なら、こんなに大騒ぎしても仕方ないし、そもそも皇室という仕組みそのものが、もはや米軍によって76年近く破壊され、ほぼ修復不能なのであって、WILLとかHanadaとか、読んでる人たちの妄想なんて、dappiアカウントとともに急停止、やがて千代に八千代に去りぬるを、だろうなと思います。ネトウヨとか、アメ公の福音派と同じくらい、頭がおかしいですよね。 地方に住んで、何がいいかといえば、東京だと図書館で、なかなか借りられないような新刊の本も、あんまり待たずに、借りられることです。新聞も読み放題、といっても面白くもなんともないので、ほとんど読みませんけどね。 で、今日図書館で、読売新聞の社会面を見ていたら、「夜まで酒、 ありがたい」という見だしになっていて、社会全体がアルコール依存症になっているのかな、ちょっと面白いな、と思いました。 スクリーン、セックス、スポーツ、砂糖、酒。コロナ後の大衆は五つの S にドハマリです。お酒が飲めることが自由というのは、根っこから自由というものを履き違えているのですが、夜まで酒が飲めて、良かったですね。 本当の自由とは、何の言い訳もなく、パーティーを断る自由です。やりたくない仕事はやらない、お酒は飲みたくない相手とお酒を飲まない、政治屋さんや、役人さんや、社長さんと、交わらない、学者と距離を保つ、NHKや朝日新聞を、スルーする、そうしたことを何の制限もなく勝手にできる状態のことを、自由と呼ぶのだと思います。 ビールにするか、ハイボールにするか、それとも熱燗にするか、そういった選択肢は偽物の自由です。総合商社に行くか、都市銀行に行くか、それとも製造業にするか、こうした選択肢も、ビールか熱燗かの選択肢でしかありません。 日本テレビを見るか、フジテレビにするか、あるいは NHK か。朝日新聞にするか、日経新聞にするか、こうした選択肢はただの不自由です。頭が悪いので、何かを選んだ気になってしまい、自分は自由だと勘違いしてしまいます。 どの酒にしようか、という選択肢は、安倍晋三か、麻生太郎か、それとも甘利あきらか、どれにしようかな~というのとほとんど同じにしか思えません。酒なんて要らないし、代議士なんて要らないのです。 誰かに、もっともらしい選択肢を提示されることそのものが、奴隷の一丁目一番地なのです。政財官学マスメディアから示される、おためごかしな選択肢を、全て無視しましょう。彼らの示すチョイスこそ、不自由さの根源です。詐欺師による平凡なトリックに、いい加減、気づきましょうね。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-10-26 21:00:09

凡庸な悪としての政治屋さん

徒手空拳日記 2021年10月25日月曜日 この世には、明確な悪はなくなり、なんとなく気持ちの悪いものが増えました。正義と悪の対立ではなく、正気と気持ち悪いものの対立です。私に言わせれば、政治屋さんをすすんでやっている連中をみると、薄ら気持ち悪さを感じます。 きのう投開票だった静岡参院補欠選挙は、御殿場市長をわざわざ辞めて、国政選挙に立った候補が落選しましたけど、このお方、今年の1月の選挙で市長に4回目の再選をしたばかりで、偉くなりたい、立身出世したい気持ちが強すぎて、私からすると、ドン引き、気持ち悪いです。 いまどき政治屋やるなんて、バカか暇人か、あるいはその両方かだと思いますが、この人みたいに、矢鱈と上昇志向の強い政治屋さんは、私には、ただただ気持ち悪い存在でしかありません。 日本で、いまさら政治屋さんになろうとしている時点で、ポンコツ確定です。ポンコツはだいたい、日本維新の会から出ますよね。彼らの悪は、アーレントの凡庸な悪の仲間だろうなと思います。元気で明るく、ちょっぴりエッチ、そのくせにとことん謙虚なのが、朱子学カルトクオリティ、バカなので、自分が気持ち悪い存在であることに気づくことができません。 安倍晋三とか、岸田文雄のような家業としての政治屋も気持ち悪いですが、この若林洋平のような、必死こいて凡庸な気持ち悪さ溢れる野心の塊みたいな政治屋も、超絶気持ち悪いです。 この世界から、気持ちの悪い政治屋を一掃するためには、間接民主制をなくすしかありません。選挙に選ばれたい人たちの、気持ちの悪い口八丁手八丁ではなく、その人の24時間365日がスコアリングされる、株価のような仕組みに変えるべきですし、代議士なんていらないんじゃないかと思います。 日本中のあらゆる政治屋をいらなくして、ネットによる直接民主制をやってみたら、意外となんにも困らないと思います。安倍晋三の街頭演説とか、ジャパネットたかたの通販MCとおんなじで、単なるキモい声を張り上げる発声器でしかなく、ドン引きです。 演説で成り上がったヒトラーのような悪を、これから二度と出さないためにも、演説や選挙というキャンペーンではなく、政治団体や代議士の、日々の行動や実績を、24時間365日自動的に評価する仕組みを、つくるべきです。 選挙なんていうキャンペーンは要らない、政治屋も要らない、それがまともな正気であり、ビジョンではないかと思います。 そう考えると、いまこの瞬間も声を枯らして選挙という古くさいキャンペーンを必死にしている人たちのことを、どうしてもさげすんでしまいます。政治屋を立派なご身分と考えることそのものが、ちゃんちゃらおかしいなって思います。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-10-25 21:00:20

テントサウナで110℃越え

徒手空拳日記 2021年10月24日日曜日 秋晴れの空の下での、テントサウナ、最高です。今日は110度くらいまで行きましたね。まきストーブの揺れるほのおをみながら、ストーブのなかで薪がはぜる音を聞きながら、なんにも考えず、ぼーっとしているだけの日曜日でした。まあ、毎日が、日曜日みたいなものですけど。 テントを立てて、ストーブの火を自分でおこして、自分のためだけにサウナを楽しむ、やがて薪がすべて灰になって、灼熱のストーブがまた冷えていき、テントをたたんで、どこへも出かけることなく、日が暮れる。今日は、そんな一日でした。 私くらいの年齢で、政財官学マスメディアのお立場、ご身分にあるみなさんは、なんだかんだで日曜日も、ご多用かと思いますが、政財官学マスメディアなんてのは、バカか暇人か、あるいはその両方の、つまらない頑張り屋さんがやるものです。 政治屋さんのなかには、明治維新の頃から続く、家業としての政治屋さんとして、すごい人だと6代目の衆議院議員がいますけど、政治屋に限らず官僚もサラリーマンも、学者もマスメディアも、世襲だらけです。家業だから、継がないわけにはいかない、とらやとか成田屋とおんなじです。 岸田文雄さんも、三代目、満洲国で百貨店などやってた実業家の家系です。彼を評価するということは、政調会長としての番頭時代を評価することですから、結局は、安倍晋三への評価をすることになりますね。昨年の歳の瀬には、来年の今頃には、安倍晋三が小菅プリズンにいたら面白いなあと思っていましたが、そうは、いかんざき、創価学会と日本会議と統一教会のマルチコンボである安倍晋三は、日本の国体となっています。 要するに、1945年に国連との戦争に負けた当事者がそのまんま、政財官学マスメディアの各領域で、いまもまだ偉そうにしていることが、腐敗を招き、その腐敗が、この国の牛の涎のような30年の後退をもたらしているわけです。 いい学校にはいって、いい大学に合格して、大企業の正社員になるというコースは、要するに政財官学マスメディアのメンバーシップを手にいれるということですが、そのエスタブリッシュメントは、単なる満洲国2.0ということです。 静岡の参院選補選は、投票率がかなり高く、無党派層の7割が立憲民主党にいれている、この2つの事実から、おそらく自民党が負けますので、大衆の怒りは、思っているよりも強そうです。日本会議と創価学会で過半数割れとなっても、ポンコツ吸引マシンである日本維新の会がしゃしゃり出てくるので、政権交代は起きませんけど、岸田文雄が速攻で辞職するという、令和の宇野宗佑になる可能性は少しまだ残っています。よかったですね。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-10-24 21:00:38

政権交代なき国力後退

徒手空拳日記 2021年10月23日土曜日 灯油ストーブのあたたかさが骨身にしみる季節になりました。今年はもう7割のサラリーマンが、忘年会を見送るようで、コロナ禍前のサラリーマン生活には、丸で戻らなそうです。シンガポールではワクチンを打ちまくっているのに、感染者も死者数も過去最高まで増えており、日本でもウイルスの弱毒化は、まだまだ先とみるのが妥当です。 東京オリンピックの赤字を負担するのが嫌で、サラリーマンも都民もやめて、税金をできるだけ抜き取られないための身分トランスフォーメーションを終えましたので、移転先の衆院選選挙区は、よくわからない自民党候補と、よくわからない立憲民主党のガチンコ対決小選挙区なんですが、私は、当然よくわからない立憲民主党に入れますね。物心ついてから、一度も自民創価党に投票したことありません。 比例代表も、もしまだ東京都民ならば、れいわと書くつもりでしたが、引っ越してしまったので、共産党にいれるつもりです。共産党、いいじゃないですか。 党費を払いたくないので、私は党員にはなりませんけど、彼らこそ今回の小選挙区で野党の一本化がこれだけ進んだ功労者ですし、マルクスによる共産主義のコンセプトは、これから形を変えて、ハイブロウな人々によって、新しい力を持つようになると思います。 そしてなんといっても、選択的夫婦別姓制度の法的な鉄壁となっている、最高裁判所裁判官どもに、国民として、くっきりとした、大きなバツ印を書かなくちゃなりません。 具体的には、最高裁判所裁判官の次の4名は、思いっきりバツを書きますね。 深山卓也、はやし道晴、岡村和美、長嶺安政は、バツです。このような最高裁判所裁判官がいるということは、日本は民主制でもないし、法の下の平等もありません。単なる封建制の砦となっている彼らに、鉄槌を下す必要があります。 それにしても、小選挙区比例代表併用制って、あまりにもクソですね。二大政党制がすばらしいという思い込みもクソ過ぎますし、この選挙制度だと、その二大政党制にすらなりません。政財官学マスメディアの敗戦封建制を守るためだけの、クソシステムです。 私は、自民創価党と、ポンコツ吸引マシンとしての、日本維新の会による、朱子学カルト封建制度がイヤなので、彼らを選ばない投票行動となります。 とはいえ、仮に自民創価党が過半数割れになっても、ポンコツ吸引マシンの日本維新の会が、結局はキャスティングボードを握りますので、よほどの大負けをしない限り、政権交代なんて起きません。来年もこの国で起きるのは、国力の後退だけです。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-10-23 21:00:24

朱子学カルトはなぜ消費税に反対しないのか

徒手空拳日記 2021年10月22日金曜日 選挙の争点として、なんで消費税の減税や廃止が盛り上がらないのか、不思議がっている人も多いのですが、私からすれば、盛り上がらないのは当たり前だと思います。 朝日新聞の最近の調査では、消費税は今のまま、10%で良いとする人が、全体で57%とのことで、ある意味で財務省のなすがまんまの大衆世論となっています。 朱子学カルトの腐敗は、自民党などの政治屋さんにばかり向けられていますけど、本当に腐りきっているのは、山県有朋の生み出した官僚制と、財閥を中心とする古い資本家だろうなと思います。 で、なんで日本人は、消費税を10%のまんまでいいかと言えば、貧しい人も税金を払うべきだって思っているからだと思います。自分たちは頑張っているのに、頑張っていない貧乏人が税金払わないのは、絶対に許せないと思っているのです。 つまりは、消費税の逆進性をこそ、人々は支持しているのです。そういう国民的な心根の卑しさを、見て見ないふりをしている日本人がおお過ぎます。弱い人がラクするなんて、許せない。だから消費税を支持しているのです。 日本の腐りきった財務省は、そういう深い洞察をしながら、大衆の嫉妬心や猜疑心をだしに、消費税をぐいぐい押し込んできているのです。 消費税をやめたら、弱い人が、働かずにラクをするんでしょう、そんなの許せない、そんなことになるくらいなら、10%くらいとられてもいいや、彼らが苦しむのならば。という醜い取り引きをしているんです。 政財官学マスメディアにはとことん媚びへつらって、目をつけられないようにする一方で、自分たちよりも貧しい者、弱いものは蔑みながら、彼らがラクになるような政策は絶対に許さない、そういった心の狭さが朱子学カルトの本質です。 消費税という名前も、間違えています。これは取り引き税とでも呼ぶべきです。おカネ、言葉、女が、人類の3大貨幣なわけですが、貨幣としてのおカネに税金をかける、それが消費税という名の取り引き税なのです。 そうなると、おカネという貨幣を頼らないで生きることが、とても大切なわけで、アマゾンで買う前に、メルカリで新品が安く売ってないか、とか、そもそもおカネという貨幣に依存しないライフスタイルをつくることが大切です。 こちらがやらないと敵がとてつもなく困る、こちらがやらないことを、徹底してやらない。そのなかでもおカネをできるだけ使わない、という運動は、政財官学マスメディアがとても嫌がります。カレンシーの非マネー化です。 私が会社をあっさりやめたのも、マネーの価値が、劇的に下がっているからです。つまりは、マネーのできるだけ介在しない取り引きの拡大を、私は目指しています。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-10-22 21:09:24

スクリーン、セックス、スポーツ、砂糖、酒(5S)

徒手空拳日記 2021年10月21日木曜日 カネのないつらさは、味わったものにしか、わかりません。カネのないつらさは、子どもを直撃します。丸でカネがない親のもとに生まれた私も、子どもの頃を思い出すと、カネがない記憶しかありません。あの頃のカネのなさに比べたら、いまは大成功です。これ以上の生活水準は、もう要りません。 給料が安いつらみの、さらに先には、明日のめしを買うカネもない、家賃すら払えない、借金の取り立てがじゃんじゃん来て、郵便受けを見る勇気がない、そんな追い詰められた状況になってみないと、わからないものです。やがて、餓え死にするか、どろぼうするか、という究極の選択になります。 最近はスマホで少額の借金ができるので、現金がなくなるとスマホで食べ物を買うようになって、そのうちスマホの通話料金も滞って、ライフラインのスマホが使えなくなります。 スマホが使えなくなると、短期のアルバイトなんかも申し込めなくなります。コンビニの前まで来て、買うカネもないのに、Wi-Fiでラインするしかない、そういった悲しさは、言葉にはできません。 貧しさへの想像力がないと、マリ・アントワネットの、パンが食べられないのなら、ケーキを食べればいいじゃない、となります。実際に、現代の貧困層は、パンのかわりに、安い工業製品としての糖質で、飢えることなく命を縮めます。 冷戦が終わりはじめた1980年代に、貧しい人々は、スクリーンつまりテレビと、セックスと、スポーツと、工業的な砂糖、そして酒漬けにされ、切り捨てられました。5つのSです。ものを考える反抗的人間でいられなくなりました。 砂糖と酒は、とにかく安いうえに、矢鱈とドーパミンが出るので、貧しい人々の怒りの感情を抑えられます。長い目で見れば、砂糖と酒をぶち込まれすぎて、貧しい人は長生きできません。貧しい層が、とっとと早死するように、はかられています。 コロナ禍で、貧困の裾野がぐぐっと広がって、5年後には深刻な糖尿病や、深刻なアルコール依存症が、社会にいっきに見えてくると思います。もっとはっきり言えば、団塊ジュニア世代が50代になったあたりで、はやくして死んでしまう人が増えると思います。 人生百年時代なぞ、単なるフィクションでしかなく、その半分の人生たった50年で、砂糖と酒で死んでしまうセグメントが、これからはっきりと見えてきます。今回の衆院選では、団塊ジュニア世代が、自民党を落選させる投票行動に出ると、予想を大きく上回る自民大敗になるかもしれません。よかったですね。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-10-21 21:00:39

共同幻想の強制終了

徒手空拳日記 2021年10月20日水曜日 練炭、スペース、自殺でGoogleのニュース検索をすると、牛のよだれみたいに、似たような集団自殺の記事が、だらだら、しかしいくつもとめどなく出てきます。若い人たちが、レンタカーに乗り合って、土地勘のない場所で、集団自殺するという、薄らキモイ事件です。 私が不気味に思うのは、こうした、多様にして一様な、似たような、練炭による集団自殺がだいたい3ヶ月に一度くらいのペースで、この国では起きているのですが、その追跡記事が、ほぼまったくないのです。 彼らは若くしてなぜ死ぬのか、どうやって出会い、自決の場所へ来たのか、死んだ人の周りにいまも生きている彼らの親類縁者は、何を思うのか、そういったことが黙殺されています。つまり、慣れっこです。ああまたか、以上終了なんですね。 若者が、SNSで群れて、バンバン死んで行く国で、SDGズを語るとか、おかしいなと思います。議員バッジを外して、SDGズバッジつけて演説している立候補者とか、虫唾が走りますね。 沈黙がデフォルトの世の中で、みんなが矢鱈と関心を持つのは、元アイドルのはじめたラーメン屋のゴタゴタとか、皇室関連のゴタゴタとか、ひとことで要約すれば、しょうもない、どうでもいい揉めごとばかりです。 気がつけば今年も残りあと2か月ちょい、今年は流行語とか、はやり歌とか、重大ニュースが、ぜんぜん思い浮かびません。テレビのない生活だから? いやいやこれは、朱子学カルトという共同幻想が終わりつつあるのです。 流行語だと、親ガチャくらいしか思い浮かびません。政財官学マスメディアによる国民国家の、一体感つまり吉本隆明の言う、共同幻想があとかたもなくなったのが、2021年だったのでは、と思います。 コロナ禍の先に見えてきたのは、日本の共同幻想が、単なるカルトだったのでは? という遅まきながらの自覚です。電通による洗脳ビームを浴びて、30年間もズルズルと、ゆでガエルを続けてきてしまったその根っこにある原因は、日本人の朱子学カルト共同幻想です。 令和の石油ショックや、牛丼が500円を超えてくるスタグフレーションによって、日本に生まれてよかった、とか、私は絶対に日本を大事にするんだと決めました、みたいな寝言、ざれごとは、カルト思想にバッキバキに洗脳されてない限りはもう言えないセリフであることが、少しずつ明らかになっていくと思います。 衆院選の投開票が先か、人々の朱子学カルト脱洗脳が先か、追いかけっこです。共産党や創価学会のような木っ端カルトを凌駕する、この国の朱子学カルトからの脱洗脳が、毒まんじゅうの薄皮をめくるように、ゆっくりとはじまりつつあります。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-10-20 21:00:18

リニアモーターカーを止められない病

徒手空拳日記 2021年10月18日月曜日 あと10年したら、田舎から先に自動運転も普及しはじめて、ますます都心部に住む意味がなくなるだろうなと思います。限界集落のようなものがなくなって、どこに住んでもなんとかなる、自律分散型社会です。自分が老人になる頃には、田舎のデメリットがどんどんなくなっているだろうなと思います。 高速道路に乗るたびに思うのは、なんでいまだにETCゲートを通らなきゃならないのかなってことで、もはやクルマがいつ、どこの高速道路を通ったかは、ETCゲートなしで、全部わかりますよね。 渋滞の原因でしかない、しょうもない関所を、いつまで残しておくのでしょうか。古い装置に、もれなく利権がくっついているから、新しいことはいつも芽を摘まれてしまいます。 リニアモーターカーの都内でのトンネル工事が始まってますけど、どう考えてもリニアモーターカーがペイするとは思えませんね。都心の反対は、田舎ではありません。サイバー空間です。やめられないとまらない、地下に穴開けて、地盤沈下、トンネルの通るエリアは、とてつもない資産価値の低下リスクがあります。 政治というカテゴリーも、いまだに古くさいものが、しつこく残っています。新聞の政治面に書いてあることが政治、という認識でいるから、世界からおいていかれています。 国政選挙なんぞ、昔ながらの政治でしかないから、投票率が上がらないのです。投票率を上げたければ、オンラインで投票できるようにすればいいだけだし、もっと言えば、もはや間接民主制じゃなく、全然直接民主制だってできちゃいます。 ポリティクスとは、ポリスつまり都市国家から出てきた言葉だと思うので、サイバー空間に出現したオンラインの都市を抜きにして、いつまでも紙と鉛筆の民主制をしていることが、時代遅れです。 ペイペイが手数料を取り始めたので、ペイペイをやめちゃうお店もちらほらありますけど、現金のお釣りを用意したり、現金を定期的に数えたり、釣り銭を間違えて損をしたり、どさくさ紛れに、身内にかすめ取られたりするコストは、5%くらいあると言われてます。 まあ、ラーメンの一蘭なんかはいまも現金オンリーですし、人気店であればあるほど、売り手が強いので、現金オンリーになりがちです。現金には、足がつかないという、プライスレスの価値があります。収入を曖昧にするなら、いつもニコニコ現金商売は最強です。 地方でも現金じゃないとだめなお店は、もはやあんまりありません。ただ、都内とは違って、クルマで移動するので、手ぶらはウォーキングのときくらいで、あとはクルマに現金の入った財布とカバンを持っています。手ぶら生活も、地方に来ると変わりますね。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-10-18 21:00:33

アキタフーズのニワトリみたいな朱子学カルト

徒手空拳日記 2021年10月17日日曜日 ニワトリは3歩あるくと忘れてしまうと言いますが、つい最近まで、自宅が街の死亡ステーションになっていたことも、朱子学カルトの最末端である日本人のみなさんはすっかり忘れてしまっており、皆さんは、アキタフーズの養鶏場で身動き取れないまんま飼われている、ニワトリさんなのかなって思います。アメリカのレッドネックとか、アルコール依存症のスラブ人とかも、度肝を抜かれるほどの愚か者ですが、このタイミングで衆議院選挙とかやらされている日本人も、鶏未満の劣化民族だなって思います。 19日の公示を越えると、マスメディアのみなさんは、独りでだるまさん転んだをやり始めますが、物言えば唇寒し、NHKとか朝日新聞とか、彼らが悪いというよりも、彼らに喜んでお金を支払って、見たり聴いたりしているオーディエンスが、底抜けに愚かなのだと思います。 朝日新聞の15日朝刊に、宮台真司の長いインタビューがのっていて、私は図書館で読みましたけど、記者はなにも物申さず、学者に言わせるだけのトリテキクソ専門新聞など、びた一文お金を払う理由なんてないなって思います。政財官学マスメディア丸々っと、カネを支払うべきではありません。 この現代において、政治屋さんはじめ、政財官学マスメディアになりたい人なんて、バカか暇人か、もしくはその両方かであって、私からすれば、健常者の顔をした白痴です。 これからやってくる、コロナ禍の第2、第3形態は、ガソリン高騰によるエネルギー危機とか、スタグフレーションなわけですが、例えばトヨタのハイブリッド車に乗っているような愚か者が、実はトヨタハイブリッドシステムの燃費が、たいしてよくないことに気づく、真実の瞬間です。 車検もまともにやらないレクサスのハイブリッドに喜んで乗っている、健常者の顔をした白痴が、その愚かさ故に損をしはじめる、そんなことが起きてくるのではないかと思います。5年後のトヨタなんて、多分いまのパナソニックみたいなお間抜け巨大組織になると思います。 牛丼が500円を越えてくるのも時間の問題です。ガソリン高騰の生の声を、世田谷区のガソリンスタンドで取材しているマスメディアも、とにかくシャクが埋まればなんでもいい、味噌もクソも怒られなければなんでも混ぜてしまう、しもじものプロダクションもまた、出来損ないの人面編集ロボットです。 このブルシット満洲国2.0が、コロナ禍の第2形態、第3形態で、一気に窮地に陥っていく様子を、私は部外者として、高みの見物しようと思います。俺、こんなクソ日本人、関係ないもんね。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-10-17 21:00:30

岸田も枝野もはやく消え失せてほしい

徒手空拳日記 2021年10月16日土曜日 ポカリスエットなんていう、ポカリという無意味語と、汗水という、頭のおかしな名前の清涼飲料水の、やけに若者に媚びたCMなどみてますと、この国の自己評価のめちゃくちゃ低い若者たちは、朱子学カルトによる、狂気の犠牲者だなって思います。みんな、太陽がこわいんだね。 同じ服を着せられて、くだらない砂糖水のCMのために、チンケなマスゲームを踊らされて、自己評価をとことん下げさせられ、君たちは単なるサバイバーです。朱子学カルトの義務教育という名の、暴力によってPTSDになっています。 昨年度、自殺した児童や生徒はなんと415人、つまり毎日1人以上死んでます。これはつまり、日の丸イカゲームです。他方で、小中学生の不登校は19万人以上とのことで、サボタージュしまくり、死ぬよりは不登校、子どもには、これしか生き残りのすべはありません。 日本語の子どもという単語は、その意味がそもそもヤングケアラーでしかなく、この国の児童虐待は、国民国家ぐるみのものです。 子供の頃から徹底的に無力感を植え付けておけば、消費税も取りたい放題、インボイス制度なんかもやりたい放題です。努力の足りないあなたが悪い、という強烈な洗脳のはてに、最近の若者、だいたい目が死んでる気がします。 岸田も枝野もともに、顔つきも、言葉も、おかしいなって思います。こいつらのパブリックスピーチなんかに、まともに感じ入る人、どっかにいるんでしょうか。朱子学カルトの組織で、ひたすらほおカムリしているだけの、小物の戯言でしかありません。 私の予想では、岸田とか枝野とか、B級党首がいなくなる来年の参院選で、大きな動きが起きるでしょう。岸田とか枝野とか、こういったしょうもない政治屋モドキが一掃されるまで、まだまだ大きな地殻変動は起きません。 今回超絶メシウマなのは、ファーストの会という、名前からして頭のおかしな政党が、時間切れで候補者擁立を断念したことで、これで完全に、この国には希望がないでおなじみの、希望の党や、小池百合子の時代が完全に、あっけなく終わった、ということです。 二階俊博とともに、小池百合子も静かに、政治の表舞台から姿を消すことになりました。マスメディアも、これからは小池百合子を追いかけることも、持ち上げることもなくなり、ファーストの会も、来年の今頃には跡形もなくなるだろうと思います。 しかし、この「ファーストの会」ってすごい名前ですよね。民主主義ではなく、主義みたいなものです。政財官学マスメディアによる思想洗脳サバイバーである日本の若者が、この世界を変えていけるとは到底思えず、若者もまた、岸田や枝野と大差のない、下草でしかないんだなって思います。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-10-16 22:06:53

常なけどうれしかりけり

徒手空拳日記 2021年10月15日金曜日 近所で、広葉樹の薪を100キロ買いました。サウナストーブのテスト着火に向けて、温度計や一酸化炭素警報機、木の椅子など、周辺アイテムも少しづつ買い足しています。 いい感じで、外の気温も下がってきましたし、いよいよ薪ストーブサウナの季節です。昨年の今頃は、まだこうした生活もあんまりイメージできていませんでしたので、かなり動いたなという印象です。 薪は燃えたらスミになり、二度と薪には戻らないし、ましてはナマの木には戻りません。 ウイルスとはある日突然流行して、ある時にパタッとなくなるものですが、パタッとなくなるのが、もうすぐなのか、来年の今頃なのかは、結局のところ、人間にはわかりません。ただし少なくとも言えるのは、この世界がコロナ以前の元通りにはならないということです。 エントロピーは、不可逆的に増え続けます。腐った魚は元のお魚には戻りません。四国新聞も、もう二度とジャーナリズムには戻らないでしょう。自由民主党も立憲民主党も、元には戻りません。政治そのものが、インターネット以前のものには戻らないと思います。 日本人のつくるNetflixのコンテンツは、日本人でも面白いと思えないクソコンテンツが多いのですが、韓国のイカゲームは世界中でブレイクしています。Netflixの日本向けコンテンツは、滅びゆくテレビ文化の燃えカスでしかありません。 ロシアのサウナストーブも、Google翻訳で取説が読めてしまうわけで、言語のバリアは、もはやなにもなく、この世界に広がっているのは、面白いものには世界中からアクセスが集中する、という環境のみです。 インテグリティの乏しいものに、人は集まらなくなります。日本のテレビ文化にはインテグリティがないので、ずる賢い彼らがNetflixに鞍替えしても、その邪悪さが隠せません。フェイスブックが急速に力を失いつつあるのは、フェイスブックにインテグリティがないことがバレてきたからです。 政財官学マスメディア丸々っと、インテグリティのかけらもない既得権益層も、燃え尽きる薪のようなもので、これから先はもうケムリしか出ないと思います。満洲国2.0の燃え尽きへと向かっています。 岸田文雄のおじいさんも国会議員でしたが、彼は大連に百貨店を建てた実業家です。その百貨店のキャッチコピーは、「満蒙に誇る」でした。つまり、岸田文雄もまた、満洲国の燃えカスでしかありませんね。 まあ、どうしてこうも満蒙の亡霊どもに支配され続けているのか、戦争に負けた大日本帝国の76年に及ぶ命乞いが、そろそろ終わろうとしています。 滅びゆく人々の阿鼻叫喚は、山河の近くで高みの見物、これぞおしまいの時間を生きている人間だけに与えられたたのしみです。世の中よ、あはれなりけり。常なけどうれしかりけり。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-10-15 21:00:04

カルトとは頑張り屋さんの組織

徒手空拳日記 2021年10月14日木曜日 もう半世紀以上生きた、私と同い年くらいで、税理士とか社労士とか、やたら難しい資格を、いまさら取ろうとしている人とか、なんなのかなって、思います。 昨日も書きましたけど、3つのフィールドでそれぞれ1/100の人材になれば、百万分の1の希少な人材になれるよ、みたいな藤原和博氏の考え方は、昔に比べると、労働者が虫けらのように扱われる現代の、底知れぬ恐怖を表しているんだろうなと思います。 そんなしょうもない掛け算をして、百万分の1にならなくても、私たちはすでに、78億分の1の存在です。 1/100になるために、1万時間を費やすとすると、百万分の1の人材になるには、3万時間必要です。3万時間とは、平日稼働日に7時間やるとすると、17年かかります。 私なりに簡単に言えば、こうした考え方は、朱子学カルトです。頑張り屋さんは、報われるという、古臭い公正世界仮説でしかありませんね。 ライフシフトという、人生百年時代なる考え方も、これに近くて、長生きするぶん、スキルアップをいつまでも続けなさい、という命令なのです。 しょうもない経営ゴロによる、45歳定年制も、これらのカルト思想と根っこはおんなじです。会社に頼るな、自助でやれ、できないのなら野垂れ死にだ、です。 ふるさと納税も、ワン・アンド・オンリーになれば、自主財源となる寄付額が集まるよ、かってにやれ、さもなくば死ね、というコンセプトで、自助の思想です。 私に言わせれば、人が死ぬまでスキルに追いかけられるとかは、単なる思想による恐喝です。そんなことより、45歳で酒を飲むのをやめましょう。サラリーマンやって身につくスキルは、単なるいっちょかみ、保身のスキルだけです。 会社がある日突然なくなって、手もとに残るのは、アルコールへの依存といっちょかみのおしゃべり、ひら目とキョロ目の、保身術だけです。 可哀想なのは、なまじ65歳くらいまで、プロテスタントでもないのに、まるで疑うことも知らずに、予定説に支配されて生きていることで、ある日突然、世界が補正されたときには、もうよぼよぼという、取り返しのつかない老後を迎えます。 朱子学カルトとは、組織としてワンアンドオンリーになることへの中毒です。新卒一括採用という気持ちの悪い制度も、その組織そのものが、必然の運命で最初から集まった人々による、ワンアンドオンリーの集団を目指すからです。そのことを、朱子学カルトは、絆と呼んでいます。 dappi担当部長の河野太郎が、モデルナを職域という絆の集団に打ちまくったら、若い人に副反応でまくり、若くして職域でモデルナを打ったかなりの人が、親ガチャに恵まれたサラリーマン3世、4世だとすれば、超絶メシウマ、チョモランマ、因果応報です。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-10-14 21:00:59

成長を盲信する狂気

徒手空拳日記 2021年10月13日水曜日 最近は、政財官学マスメディアに触れるのは、スーパー銭湯のサウナのなかでみんなが観ているテレビだけなのですが、メガネを外すとまったく観えないので、聴こえてくるテレビ音声だけですが、音声だけでも、かなり被ばくしてしまいます。 まず、CMがしょぼすぎて、その落ち目ぶりに舌を巻きます。聞いたこともないような美容整形クリニックとか、二十年前なら地方に出張した時にみかけるような、安っぽいCMばかりばんばん流れていて、あまりにもチンケです。 番組も、びっくりするくらい低予算のうえに、youtubeを余裕で下回るつまらなさ、ああこりゃだめだなと、独りそっとさじを投げます。 地上波だけでなく、政治も経済も、官僚もアカデミズムも、そしてマスメディアも、丸々っと末期ソビエトのようで、近寄るだけで、かなりしんどいなと思います。 彼らに通底するのは、成長への執着です。成長と言えば聞こえはいいですが、彼らにとっての成長とは、要するに立身出世、です。立身出世とは、お立場、ご身分が安定していることで、そのためには徹底的に保身を貫くということです。 楽天とかソフトバンクの、社長によるプレゼンのほとんどが、右肩上がりのグラフで、うん兆円とか、うん十兆円とか、とにかくとてつもない成長を力説する、というものなのですが、なんでそんなに成長しなければならないのか、よくわからないです。 ぶ厚い中間層を増やすなどと、与野党すべての政治屋さんが選挙目当てに言い始めていますけど、中間層とは、成長がなければぶ厚くはなりません。単なるトートロジーです。 国全体がパナソニックのように、まともな飯の種もないくせに、中途半端な給料を持っていく、元気で明るい無能社員しか残っていない、悲惨な状態です。 答えは簡単、成長なんて、しなければいいんです。成長をあきらめましょう。あきらめの成長です。規模の経済をやめるのです。たくさん売るのではなく、高く売る、末永く売る、知名度を上げるのではなく、推奨される確率を上げるのです。 人口が減ったっていいんです。成長を求めなければ。人生百年時代とかも、その人が長く成長するための脅し文句でしかなく、半世紀も生きてから、キャリアを身につけるとか、前提にあるのは成長です。狂ってます。 藤原和博という、元リクルートの人が、1/100の人材になることを、違う領域で3回やれば、百万分の1の希少な人材になれるとかほざいてましたけど、これもひとつの、成長キチガイだろうと思います。 成長、成長、また成長という狂気の犠牲者を小馬鹿にしながら、成長しないというテロをゆったり、たっぷり、の〜んびりやっていけば、いいんです。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-10-13 22:09:11

デモンストレーションよりサボタージュ

徒手空拳日記 2021年10月12日火曜日 岸田派なのに、デジタル改革担当大臣を、秒でクビになった元電通社員の平井卓也が、次の大臣のことを、デジジョ呼ばわりしたことが、ちょっとした問題になりましたけど、デジジョのモトは、リケジョだろうなと思います。 女子アナ、女優なども、死語になるでしょうね。これから先も許されるセクシズムのぎりぎりは、おんな酒場放浪記くらいだろうなと思います。 レイシズム、セクシズムの全滅のあとは、エイジズム、ルッキズムなども丸々っと、NGになるだろうなと思います。これからは、あらゆるポリコレが、デフォルトです。 うんこマスメディアが、政局をうれしそうにニュース扱いして、訳知り顔でプロパガンダ映像にしますが、その時の典型的な演出が、政府高官とか、自民党幹部とか、彼らのお友達の匿名の発言を、野太い男性の声で、再現するものです。 政財官学マスメディアの偉そうな人々が、もれなく高齢の男性であり、その匿名の権力者の低くて太い、偉そうな声を、あたかも天の声のように再現して拡散する、そうしたクソみたいな機能を担っているのが、ニュースという名の、単なる官報です。 政財官学マスメディアの偉そうな中高年男性を、強力なサボタージュによって引きずり下ろす、ポリコレは、この国の静かな革命のよりどころになると思います。 ポリコレのコレクトネスの語源は、まっすぐという意味のラテン語です。コレクトネスとは、日本語にすると、曲がったことがきらい、ということです。曲がったことをしない、曲がっていることを許さない、曲がっている人を認めない、ということです。 過ちに引きずられ、傾いたまま生きている、政財官学マスメディアの、低くて太い声の中高年男性を、引きずり下ろすことができる、それが米軍によって書き換えられ、いまもビルトインされている敗戦後の民主制です。 衆議院と参議院がねじれやすくなるデザインが、はじめからされています。日本の総理大臣の任期がだいたい短いのは、米軍によってわざと短くなるように設計されているのです。 我々しもじもがやらないと、政財官学マスメディアが困ることを、我々が徹底的にやらない、これだけで、日本のレジームは簡単に壊れます。マハトマ・ガンジーの言葉を引用します。 あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである。(以上、引用終わり) これを応用すれば、日本のサイレントなサボタージュとは、次のようなレジスタンスです。 あなたがわざとしないことのほとんどは無意味であるが、それでもしないことをやめてはならない。そうしたことをしないのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである。ということです。 デモンストレーションよりもサボタージュのほうが、政財官学マスメディアのダメージは複利で蓄積します。デモンストレーションはとっ捕まえることができますが、サボタージュはなかなか捕まえられません。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-10-12 21:00:50

スイカ問題

徒手空拳日記 2021年10月11日月曜日 サラリーマンをやめたからこそ、朝の立ちデスクを習慣化して、なにかと、はかどりまくりです。裸足でフットペダルを踏み踏み、音声入力しています。 通勤もねえ、オフィスもねえ、コワーキングスペースは何者だ? です。自宅警備員ではなく、これは、自宅事務員です。しかも田舎の事務員です。 午後は、好きなことや、長い目で大切なことに、時間をたっぷり使えます。クルマ社会だからといって、歩かなくなるのは、健康だけではなく、発想力を下げるので、害悪です。 毎日1万歩、歩きながら、あーでもない、こーでもないと考えています。女性蔑視がこの5年で徹底的に社会化されたことを考えれば、エイジズムもあと5年くらいすると、ほとんどなくなると思います。 最近一番思うのは、スイカ問題、と私が呼んでいるものです。これは恩田陸という作家が、スティーブン・キングの引用として書いていたことです。ちょっと長いですが、引用します。 私はスティーヴン・キングの「小説家にとってのテーマ =スイカ説」というのを気に入っていて、しばしば引用さ せてもらっている。作家が運転する車の後部座席に座って、運転席の作家の 後頭部を見ながら一緒に旅をする。いい車に乗ってるなあ、 とか、内装がダサいね、とか、運転荒っぽいね、とか、 スピード出しすぎ、あるいは慎重すぎ、ずいぶん悪い道 走ってるなあ、未開の道路だね、あっ、今イノシシがい た、いったいどこに行くのとか文句をつけながら走っている。どういうことかというと、小説家というのは、小説を書くというドライブそのものが楽しいのであって、別にスイカを運ぶために車を運転しているわけではない。だが、車 のトラックには空きがあるので、スイカも積める。小説家 にとってのテーマは、このスイカのようなものだ、というのだ。 以上で、引用は終わりです。 小説だけじゃなく、生きることも似ていると思います。私達は、別にスイカを運ぶために、日々を生きているわけではありません。しかしながら、世の中は、スイカ、スイカとうるさいのです。新自由主義の、都合のいいところだけ切り貼りする、この国の朱子学カルトも、スイカをみんなで運ぶことが自己目的化している、バカの典型ではないかと思います。 小説を読むとき、やたらとテーマを読み取ろうとすること、感想文を書く時に、スイカのことしか頭にないこと、読書とはスイカを手に入れることだと勘違いしていること、どれもこれも、間違っています。 最後まで一気に読めることが、宣伝文句になるエンタメの本とか、流行りのビジネス書の要点だけをサブスクでゲットするフライヤーというサービスとか、速読術とか、まさに読書におけるスイカ至上主義です。 スイカを運ぶことに、丸で頓着しない人生、たまたまそこにスイカがあって、それを運んであげることや、たまにはスイカを運ぶことで、誰かの役に立つことはいいけれど、なんでもかんでもスイカという目的に頓着するのは、完全に間違っているなあと思います。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-10-11 21:00:00

ディセントラリゼーション

徒手空拳日記 2021年10月10日日曜日 ばったもんのテントサウナとストーブが、はやくも届きました。どちらも新品ですし、いい感じです。 テントは中国製です。欲しかったEX PROキューブとほとんど構造も大きさも同じで、簡単にポップアップします。 ロシアから来たサウナストーブは、なんとなくロシアのニオイがします。いままで嗅いだことのないニオイです。 説明書がロシア語でしたが、Googleレンズで変換したら、だいたいわかりました。いい時代ですね。 テントは、普通の防寒テントとしても、使えます。ペグとロープで固定しますが、ペグもロープもついてなかったので、セリアで安物を揃えました。 石を乗っけなくてもロウリュができる仕様になっています。アロマオイルはそこそこいいやつにしようと思います。 この辺は、薪も安くて良いものが手軽に手にはいりますので、これからどんどん寒くなるので、ひたすら外気浴で放心します。 サウナのあとは、予熱でカレーを仕上げて食べようと思います。あるいは、だるいときは緑のたぬきです。 カレーは、御徒町はサカエヤのものを、これまでに通いすぎてもう舌が、味を覚えているので、できるだけあの味に寄せたものです。 仕事は、平日に3時間くらいしかやってませんね。睡眠は7時間くらい、ファーウェイのスマートウォッチの睡眠スコアは、70点台後半です。 昨日買ってきた、鯛まるごと一匹を、刺し身、鯛めし、アラ汁、かぶとの煮付けと、ひと通り食べつくしました。全部美味しかったのですが、新米で炊いた鯛めしは、特によかったですね。 地震や変電所火災で、列車の運行が止まりまくるJR東日本のニュースを、 家で鯛づくしを食べながら、ぼーっと見てました。みずほもぽっぽ屋も、セントラリゼーションの大きなシステムをまわす基本的な能力が衰えているんだなって思いますけど、そもそもこんなに大きなシステムに、乗っかる必要あるのかなって思います。 ディセントラリゼーションとしての、テントサウナです。鉄道もメガバンクも、百年前のセントラリゼーションでしかないわけで、おいしい鯛も、築地というセントラリゼーションを避けて、売りたい人と買いたい人が、もっと分散して直接売り買いできるようになればいいなって思います。 あとは、Netflixですね。いま話題の、イカゲームを観ています。借金で首がまわらなくなった人々が、文字通り理不尽なサバイバルゲームをする、そういうストーリーですが、貧しい人々によるデスゲームという構造は、フィクションの世界にとどまっていません。 Netflixでは日本のドラマやアニメはあんまり面白くないので、日本以外のものしか見なくなりました。Netflixの日本人向けコンテンツをつくっているのは、もともと政財官学マスメディアにいた人ばかりなので、面白くもなんともないものしかつくれないのだと思います。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-10-10 21:00:55

ネオリベではなく朱子学カルト

徒手空拳日記 2021年10月9日土曜日 薪火野というパン職人のパンがようやっとヤマトで届きました。ほとんど一年待ちでした。食べてみたら、本当においしいなあと思います。また注文したいのですが、売り切れのようです。こんな美味しいパンが焼けたら、幸せだろうなって思います。高いし、遅い。デフレのファストフード社会とは、真逆です。 日本のビッグマックって、世界でも激安の水準です。日本の外食産業は、マクドナルドに完敗です。昼時になると、マクドナルドには長蛇の列ができてますし、ウーバーイーツもマクドナルドが一番人気です。日本人は、マクドナルドに胃袋を握られています。 デフレの生活にうんざりです。もう、デフレの旅行は、したくないんです。食事がバイキング形式のホテルとか、なんでわざわざおカネを払って、そんなとこ行かなきゃなんないのかなって、悲しくなるのです。 むしろ、つげ義春の貧困旅行記のような、ぼろい素泊まり宿のほうが、うれしいです。旅行に行ったら、豪華なものを食べなければならない、という思い込みそのものが、昭和だと思います。 コスパを追求するデフレのお宿は、なにからなにまで、ローコスト・オペレーションで貫かれています。昔やたらと出入り口にいたペッパーくんも、とんと見かけなくなりました。食べ放題のカニは、ロシア産の冷凍紅ズワイガニで、カニカマを食べたほうがカニの味がしっかりしています。 当然のことながら、そこで働いている人の給料も、めちゃくちゃ安いです。ものすごい安い賃金なので、ホスピタリティを期待してはいけない、そう思うと旅の高揚感もなくなります。 この国を、デフレのまんま放置してきた政財官学マスメディアの、自壊が始まっています。新しい資本主義? ちゃんちゃらおかしいなって思います。 ゴートゥートラベルの焼き直しが、JTBと公明党によってはじまりますが、ばらまきの撒き餌に群がる人々のさもしさ、むなしさは、ウイルスと同じで、伝染るんです。 デフレが人々の骨の髄まで染み込んで、当たり前になり、矢鱈とコスパを求めるばかりで、そのことが観光産業全体の、共倒れを招いています。旅行もプアファット、脂と砂糖とアルコールを貪るだけの旅行モドキに陥ります。 日本の年収中央値は、いまだいたい全国で370万円らしいんですけど、平均的な日本人をターゲットにしていたら、焼きそばに肉ではなくハートチップルを混ぜる、茨城県のB級グルメみたいなものばかりになります。マクドナルドが嫌なら、ハートチップルいりの焼きそばを食べるしかない、それがデフレ末期の日本です。日本にあるのは新自由主義なぞではなく、単なる新しい不自由主義、ネオリベではなく、ネオ封建主義、つまりは朱子学カルトです。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-10-09 21:00:23

テントサウナで社会の外へ

徒手空拳日記 2021年10月8日金曜日 さっそく裏ワザで、テントサウナをゲットしました。普通に正規エージェントから買えば結構するんですが、テントもストーブも、バッタモンを入手しました。ロウリュもできるよ。一酸化炭素中毒で死なないように、アラームは持っています。 田舎だと、いいサウナのついてるスーパー銭湯も、やたらと遠いんです。風呂の料金は安くても、往復で20キロ走れば、ガソリン1リットル以上のおカネが、余計にかかります。 私の場合、水風呂が嫌いで、外気浴しか受け付けないタイプのサウナ好きには、寒くなってくるこれからが、サウナのトップシーズンです。 テントサウナのなかは、背もたれつきの木の椅子を置いて、屋外には外気浴といえば定番の、白いプラスティック製の椅子を起きます。ど田舎の庭でやるので、Tシャツ、短パンで入ります。 よく知らないおっさんどもと、サウナで隣り合わせになることがつらいので、これからは完全にパーソナルサウナを、毎週末楽しみたいと思います。 地方再生と言うとすぐに、テントサウナを使って町おこし、クラウドファンディングをはじめます! みたいなしょうもないことを言い始める人が多いのですが、自分で買ったサウナを、誰かに使わせるなんていうことは、私は絶対にいたしません。楽しみは内緒に、ひっそりと味わうものです。 サウナといえば、整うという言葉にも虫唾が走ります。散文は社会の言葉、詩歌は個人の言葉などといいますが、整うという言葉は本来は個人の言葉だったのに、お金目当ての社会の言葉にすり替わってしまいました。 それでも無頓着に、個人の言葉のつもりで、整いました、などとほざく連中に、殺意を覚えます。 ちまたでは、Dappiという、Twitterのステマ アカウントの情報開示請求がおりたことが今更話題になってますけど、こんなのひとつき以上前に分かっていたことです。 これは私の想像ですが、政権にとって、かなりの打撃となるような、法人ルートがみえてきたことによって、これは総選挙のネタになりそうだから、このタイミングでブーストされているのかなと思います。 菅義偉が内閣の機密費を使って、野党やリベラルを誹謗するステマを行っていたとしたら、選挙の結果に大きく影響する事態となる可能性もあります。これは面白くなってきました。 マスゴミによるあらゆる社会の言葉がすっかりちからを失い、個人はとことん失語症になっていますので、私はあらゆるメディアをシャットアウト、独り押し黙って、カラマツの荒野で黙々と、プライベートサウナで、沈黙の汗を流したいと思っています。世の中よ、いとあはれなり。常なけどうれしかりけり。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-10-08 21:00:08

コロナ禍の第2形態は、エネルギー危機

徒手空拳日記 2021年10月7日木曜日 コロナ禍は、大きな禍の初期状態でしかなく、これからどのように禍のありさまが移り変わっていくか、よくよく見ておく必要があります。 コロナ禍が終わったら、需要の急拡大が来るぞ、などといいますが、増えていく需要に見合う供給をつくるためには、エネルギーが必要です。そのエネルギーが売り惜しみ、カネ儲けの餌食となっています。 コロナ禍のあとやってくるのは、エネルギー危機のようです。要するに強いインフレ圧力ですね。あらゆる物価の土台には、エネルギーの価格が乗っています。 中国やヨーロッパでは、すでに深刻な電力不足になりつつあります。再生可能エネルギーへの移行過程で、需要と供給のバランスが壊れて、そのギャップに、強欲なカネ儲けが絡んできます。日本でも、エネルギーの高騰が続くでしょう。私も、短距離の移動を、自転車に切り替えようと思っています。 いま住んでいるところは、キッチンだけはプロパンガス、給湯システムは灯油、冬のストーブも灯油です。つまり、炭素出しまくりです。自宅のエネルギー自給率を高めるために、太陽熱温水器と、太陽光パネルを急ぎ、導入します。あと、テントサウナもいれます。 エネルギーの危機を通じて、原発をしれっと新しくつくる動きが起きるでしょう。岸田内閣とは、うんざりするほど無能集団である、経産省復権内閣です。 人類は、丸っとまとまればストレートな愚か者です。ガソリンエンジンのクルマの淘汰が進むでしょう。日本の自動車産業がいっきに衰退します。 2008年の金融危機をリーマン・ショックと呼んでいるのは日本だけです。対岸の火事だったという印象操作が、政財官学マスメディアによって行われました。つまりリーマンショックというネーミングは広告です。コロナ禍のあとやってくるインフレや金融危機で、ソ連が滅んだあとのように、日本はふただび大きな損失をこうむることになると思います。 エネルギーが高騰すると、節約のために室内空間が狭くなり、ソーシャルディスタンスが保てなくなりますので、第六波が来るとまたぞろコロナが大流行になる恐れがあります。 そう考えると、本当はみんな、小さくて狭い家に一人暮らししたほうが、よくなります。一人暮らしでもネットとクロネコヤマトがあれば、孤立化を防げる時代になりました。 ソ連の崩壊後には、ダーチャという家庭菜園付きの別荘が、インフレにあえぐ人々の防波堤となりました。私も、ダーチャの脱炭素化と、自給自足を進めたいと思います。現金を持っていても利息は付きません。太陽光パネルや、太陽熱温水器で、エネルギーコストを下げたいと思います。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-10-07 21:00:35

3Aという破滅のパワーワード

徒手空拳日記 2021年10月6日水曜日 あらら、日本の株価は岸田ショック、ウイルスと社会が、カタストロフィーの追いかけっこをはじめましたね。 破局とは、いわゆるバタフライフライ式に、なべて連鎖するものですが、ナノミクロンの世界から、マクロな社会経済までのあらゆる森羅万象の有機体が、実はつながっているのだとわかり、改めて、恐ろしくなります。これってスペイン風邪のときと、おんなじですよね。 岸田内閣の支持率が、思ったよりも全然低くて、世の中をペロペロなめてた自民党のみなさん、お顔が真っ青です。 私に言わせれば、今回の総裁選とは、いったいなんだったかと言えば、スリーAというあまりにもアホな構図が国民に浸透してしまった、マイナス効果のイベント祭りだったということです。 日本三大なんちゃらのような、スリーなんちゃらは、誰もがわかった気になるという、ものすごい力があります。 あべ、あそう、あまりという、3大ブルシットが、政治のことなんてなんにもわからなかったような人にまで知れ渡ってしまいました。超絶メシウマです。 日本人は、一度イカリに火がついたら、いつまでもメラメラとクスボリます。このうらみ、はらさでおくべきか〜です。 うらみの感情と、あざけりの感情が混ざると、日本人は手に負えなくなります。清和会自公レジームは、遅くとも来年の参院選には、ぶっ壊れるでしょう。自民党をぶっ壊す、小泉純一郎の伏線がようやっと回収されます。 マスクをずっとつけ続けているうらみ、居酒屋で酒が飲めないうらみ、コンビニのプラスティックの袋でカネを掠め取られるうらみ、給料が減り続けるうらみ、こんこんと湧き出るとめどないうらみは、平安貴族のような世襲政治屋さんに向かいます。 朱子学カルトのクソ社会が、破局へと向かいつつあります。よかったですね。まともな精神構造の人間なら、いつまでも清和会の売国走狗どもに、好きなようにさせるわけもなく、いまはある種の分水れいです。 スリーAって、本当に強いパワーワードです。ガーファなんてフェイスブック以外は全部、Aで始まります。アマゾン、アップル、アルファベットのスリーAです。あ、からはじまる言葉には、口頭動物としての人間にとって、強い魔力があるのです。 そういう意味では、あべ、あそう、あまりという、長老3人がたまたま、あからはじまる名字だった、ということが、政界再編を加速する、という、これはあまりにもくだらない現象で笑えます。 バブル時代のダブル浅野とか、ダブル村上とかに匹敵する、超絶間抜けな現象で、わらわら、笑えます。もとはといえば、トリテキしか能のないクソ政治記者が、何かをわかった気になってふと口にしただけの、スリーAという言葉が、自民党をぶっ壊します。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-10-06 21:00:02

菅義偉失脚へのシャーデンフロイデ

徒手空拳日記 2021年10月5日火曜日 私が好きなのは、かつてシャープが潰れそうになった時、シャープという会社はそれまで下請けやサプライヤーに、ものすごくつらく厳しくあたっていたので、シャープの危機を助ける会社や人が、まるでいなかった、という話で、彼らは結局台湾の鴻海に買収されてしまったのですが、因果応報、絶頂を極めていたサイコパスが、総スカンを食らって蹴落とされていく有様は、応仁の乱以降の日本人にとっての、キラーコンテンツだと思います。 その意味で、 菅義偉の失脚と、彼がこれまでつらくあたってきた人や組織による逆襲劇は、日本人の心をわしづかみにすることでしょう。 これはいわゆる、シャーデンフロイデです。日本語に訳せば超絶メシウマといったところでしょうか。 シャーデンフロイデとは、害、と、喜び、を組み合わせたドイツ語で、他人の不幸を見聞きして、生じる喜びのことです。 個人的には、これでふるさと納税がにっちもさっちも立ち行かなくなることを、とても期待しています。しょうもない中間事業者が、情弱な消費者と地方自治体から税金をかすめ取るクソスキームは、技能実習生制度と同じで、運用ではなく制度そのものが間違っているのです。 菅義偉の失脚によって、ふるさと納税が蒸発することを、切に期待しています。 私は、 楽天でポイ活している人を、心の底からさげすんでいて、 収入が低くてたいして寄付もできない中間層が、ただひたすら訳ありとかコスパとかで、しょぼいふるさと納税の返礼品を漁っている有様を見ると、嫌悪感を通り超して、殺意を覚えます。 菅義偉とともに、高橋洋一やふるさと納税がこの世界から消え失せることを切に期待しています。 政財官学マスメディアは、バカか、暇人か、あるいはその両方の人間が、やるものです。昨日の岸田文雄の記者会見を見ていると、マスメディアに死を、と願わずにはいられません。トリテキしかできないので、質問する力がありません。 NHK や朝日新聞が愚かなのではなく、彼らに喜んでお金を払っている愚民どもの頭のほうが、おかしいのです。 衆院選がだいぶ早まって、今月中に投開票となりましたが、せいてはことを仕損じる、まさに愚かさの典型となる予感がいたします。 投票日が先か、日経平均の暴落が先か、 レジームとカタストロフィーとのかけっこがはじまりました。新型コロナウイルスのカタストロフィーと、ウィルスのビークルにすぎない人類のカタストロフィーは、不思議なことに、常に連動します。ウイルスが崩壊すると、 なぜか分かりませんがそれまでの社会も崩壊するのです。 今だけ、カネだけ、自分だけ、人類のこのエゴイズムが、組織や社会のカタストロフィーを呼び起こします。 2009年から2010年くらいまでの停滞よりも、遥かにひどい落ち込みを、我々は体験することになるでしょう。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-10-05 21:00:55

意識の低い読書しかしたくない

徒手空拳日記 2021年10月4日月曜日 日本の電子書籍は、気づけば市場がすっかり縮んできました。 書物が衰えて、国は滅びます。 最近の新刊書は、大手の人気書籍ではない、マイナーな出版社によるマイナーな本だと、かなりの確率で、電子書籍は永遠につくられず、紙の本だけが売られます。 もはや、紙と電子書籍の両方をつくる余裕が、業界そのものになくなっているのだと思います。 そもそも本は読まない人がほとんどになりました。政治や経済あるいは哲学まで、動画で勉強しようとする風潮が日増しに強くなっています。 電子書籍は、少なくとも日本では、漫画を読むためのプラットフォームになりつつあります。 だから、Amazonのキンドルよりも、ラインのほうが電子書籍のユーザー数は多くなっています。 キンドルでマンガ読むよりも、ライン経済圏のスマホで読んだほうがオトク、という読者囲い込みがあるみたいです。 つまり、マンガも音楽みたいに、読者がひとつひとつコンテンツを買って読むという、紙の本のビジネスモデルではなくなると思います。音楽のサブスクのようになる、いやもうすっかりなっていますよね。 サブスクが嫌なら、広告を観るかわりに無料で読むみたいな、ビジネスモデルの転換が、マンガには起きつつあります。マンガ喫茶のクラウド化ですね。 マンガだろうと活字の書籍だろうと、電子書籍を買っても、それをメルカリなどで再販できないので、それなら紙で買っておいて、読み終わったあとの流動性を確保しようとします。 私も最近はすっかり、紙の本しか買いません。なぜかというと、読みたい本が多くの場合、デジタル化されていないからです。あと、意外と大事なのは、紙の本という現物が目の前にないと、やがてその電子書籍を買ったことすら、忘れてしまいます。 電子書籍は資産としての流動性が低い上に、サイバー空間に放置されてしまうとサルベージされにくく、読み返されることもないという、とてつもないデメリットがあります。 電子書籍ではなく、借りられる本は図書館で読む、新刊は紙で買って、よほど気に入らなければ、メルカリで速攻で売る、結局はこの組み合わせが最強だと思うようになりました。 みんなに読まれているものを読もう、とことん早く読もう、実になるものを読もう、こういった態度は基本的に、新自由主義的で、私のような意識の低い者には、なんの意味もない読書です。 むしろ、電子化なんて逆立ちしてもされないマイナーな本を、ゆっくり読んで、ただ文字が心の中を通り過ぎていくことを楽しむ、私の読書には、テーマも課題解決も要らないのです。それだけのただの読書だけをしたいと思います。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-10-04 21:00:11

ステルスマーケティング集大成としてのデジタル庁

徒手空拳日記 2021年10月3日日曜日 昭和から平成のカギカッコ付きのマーケティングは、ほとんどが、政財官学マスメディアがグルになった、ステルスマーケティングでした。 情報は、送り手の政財官学マスメディアにしかないって、心から信じていました。 だから消費者のニーズなんて、知ったことではなく、市場調査も、単なるお飾り、我田引水のツールでしかなかったのです。 特に新自由主義が加速した1980年代以降は、マスメディアが調子に乗って、情報を果てしなく捏造して、それを大量に一気呵成にばらまくと言う、マスメディアやタレントをフルに活用した、ステルスマーケティング一辺倒になりました。 ナインイレブン以降にアメリカで進んだ、データを傍聴するマーケティングとは、もとはテロリストを特定して、殺す技術です。 デジタルマーケティングとは、個人を特定して、居場所を定め、彼らにステルスマーケティングをする技術に他なりません。 フェイスブックにしろ、ツイッターにしろ、彼らはターゲットに、爆弾を落とすのではなく、もっともらしい嘘を、好きな時に好きなだけ、投下するのです。 火薬ではなく洗脳コンテンツをぶちまけたほうが、簡単にお金儲けできることに気づきました。 しかし日本は、データを傍聴する、ステルスマーケティングに、遅れを取りました。 なぜならば、マスメディアによるステルスマーケティングの仕組みが、21世紀になってもますます、バリバリにうまくいっていたからです。 日本市場には、アルカイダのようなマイノリティーを特定する必要が、丸でなかったのです。 遅れたからこそ、米国の思うがまんまに、侵略されました。いま日本に存在するほとんどのプラットフォーマーは、米国のものです。 彼らが開発したブラックボックスに、国民の情報や知恵、社会関係資本が全て吸い上げられていきます。 米国のプラットフォームを活かして、個人情報を手に入れたい企業の情報も、その活動を通じて、米国に全て吸い上げられる仕組みが完成しています。 例えば、ふるさと納税という名ばかりの寄付をすると、あなたの名前や住所や電話番号は、 寄付をした地方自治体に全て筒抜けになっています。 ネット通販はさっぱり分からない、めんどくさいことはやりたくない、でもふるさと納税に力を入れなければいけない、という無能な地方自治体に、その面倒くさいこと、全部引き受けますよと言って、くい込んでる中間業者に、全ての個人情報は筒抜けになっています。 そしてふるさと納税のプラットフォームをうしろでまわしている米国に、全て筒抜けになっています。 つまり、住民税が少し安くなるからといって、喜んで個人データを世界にもらしている行為に他なりません。 デジタル庁とは、民間や地方自治体がこれまで集めてきた情報を、中央の行政システムが、ごっそり巻き上げるための、屋根の上に屋根をつくる活動です。 タダより怖いものはない、改めて考えなければならない、言葉です。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-10-03 21:00:46

キーワード資本主義のすすめ

徒手空拳日記 2021年10月2日金曜日 アウトプットの環境をかなり進化させて、両手をポケットに突っ込んだままこのブログも書いています。 これだけアウトプットがストレスフリーになってくると、あとはいかにしてインプットを効果的に増やすかが課題になります。 皆さんにもオススメしたいのは、ゼロ秒思考のメソッドで、とにかく大量にメモをして、 毎日の全てのメモを見返して、これはキーワードだなと思ったことを片っ端から、 Google アラートに登録していきます。そうすることで自分だけのインプットの巨大なトロールあみが出来上がります。 自分だけのキーワードリストをうなぎのタレのように日々継ぎ足していきます。私の経験では自分の関心事もイメージよりもどんどん移り変わっていきます。このキーワードはもういらないなと思ったら、捨てていけばいいのです。 逆にインプットのキーワード設定を、マスメディアに頼ると、政財官学マスメディア、朱子学カルトにとって都合のよい情報だけが、鬼のように降り注ぐことになります。 特におすすめなのは、 Google アラートに人名を登録することです。普段お付き合いのある人や企業のキーマンの名前をそのまんま Google アラートに入れておきます。それによって、人名から知識や知恵がネットワークされていきます。 Google アラートにおいても意外と役に立つのは、普通名詞よりも固有名詞だったりします。 Google アラートに自分の関心事を、キーワードのかたちで日々ストックしていくと、思わぬ副産物として、自分が普段感じていること考えていることのパースペクティブがそのリストで見えるようになります。 考え事や物思いのチェックリストになるのです。更に言えばそれらの単語を異物衝突させて、全く新しい発想が生まれたりします。 そこで最近、試しにやってみているのが、今 Google アラートに登録している全ての単語を、常にポストイットに書いて、壁に張り出し見えるようにしておくことです。 Google アラートを開かなければ、関心事が俯瞰できないなんてもったいないなと思っています。 自分だけのキーワードの海を、毎日思いっきり泳げるようになるには、関心事の単語リストを常に見えるところに置いていくことが大切だと思っています。 インプットとアウトプットの環境整備を進めれば進めるほど、 自宅以外のどこかへ出かけて仕事をすることは基本的には、 効率が落ちることになります。 自宅以外で何かをする場合は、目的を決めてその目的だけに集中するとか、散歩しながら音声入力で思いつきを録音するとか、自宅でのデスクワークと完全にコンセプトを変えてやることが重要だと思っています。 とまあ、こんなおしゃべりを15分ぐらい音声入力でグーグルドキュメントにいれていたら、今日の原稿も出来上がってしまいました。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-10-02 21:00:18

昭和のステマ文体ブログ

徒手空拳日記 2021年10月1日金曜日 昭和の、なんちゃら評論家って要するに、全部ステルスマーケティングでしたよね。後ろでカネをもらって、偉そうに、こむづかしい品定めをして、指南するフリをする、超絶簡単でラクなお仕事でした。自動車評論家とか典型でしたけど、彼らの全盛期には、自動車メーカーの広報部が、アゴアシ代をすべて支払って、評論という名ばかりのステマ活動を丸抱えで、後押ししていました。自作自演としての、カー・オブ・ザ・イヤーとか、すべてステルスマーケティングのたまもので、本当にクソでした。 ラーメン評論家も、自動車評論家も、ステマのシステムは、ほとんど同じ構造です。バブル期の若者が、クルマを手に入れて仲間と出かける場所が、幹線道路にある深夜のラーメン屋でした。クルマもラーメンも、雑誌を元とするステルスマーケティングの情報商材でしかありませんでした。 ステルスマーケティングの対象は、クルマやラーメンだけではありません。政治評論家などもガチのステルスマーケティングですし、本当のことを言えば、朝日、毎日、読売、日経、産経丸々っと、ステルスマーケティングです。彼らの資本でやっている民放なぞも、すべてが、政財官学マスメディアによるステルスマーケティングです。 今回、元AKB48の人がやっているラーメン屋と、有名なラーメン評論家が揉めて、そのラーメン評論家が反論として書いたブログが、あまりにも昭和のアングラなステマ文体で、世間から逆に、その古さを褒めちぎられていましたけれど、いま起きているのは、ステルスマーケティングそのものの無力化です。あるいはインフルエンサーの化けの皮が剥がれつつあります。 ステルスマーケティングの洗脳基本ツールとしての、ツイッターやユーチューブが、これから急速にチカラを失っていくだろうなと思います。ツイッターにしろユーチューブにしろ、ステマコンテンツだらけのクソメディアになっています。その割にアメリカ本社の品質管理や統治は丸で及ばず、ツイッターもユーチューブも、カタカナのツイッター、ユーチューブになりつつあります。 バカ、または暇人、もしくはその両方を相手にするステルスマーケティング活動そのものが、見破られ、飽きられてきています。今回の総裁選なども、途中から明らかに普通の人はドッチラケ、盛り上がっていたのは、平河町のステマ部隊と、そこからステマ活動を業務委託されている港区東新橋、あるいはテレビ電波村界隈だけで、一般大衆はかなりドン引きでしたし、今年中にやってくるかもしれないフィナンシャルクライシス次第では、政界再編なんてことも全然ありえます。 満洲国2.0は、あらゆるマスメディアやソーシャルメディアによるステルスマーケティングの草刈場となって、私などは紙と鉛筆に戻るしかないかな、などというクローズドな未来を考え始めています。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-10-01 21:00:16

必然としてのFIREムーブメント

徒手空拳日記 2021年9月30日木曜日 いまや大ブームとなっているFIREムーブメントは、来るべくして来たトレンドだと思っています。実際、世界の人々はだんだん働かなくなってきており、先進国の若い世代は、特に、仕事をしていない比率が高い気がします。先進国には農業や工業がないわけで、サービス産業についても、エッセンシャルワーカーなんて、富裕層の若者は、そもそもやろうとしませんので、ということは、これまでのステレオタイプ的な仕事そのものがありません。 ホワイトカラーの仕事は、さらに、コンピューターによって不要となりつつあります。大きな会社の仕事ごっこ、組織ごっこは、もはや害悪でしかなく、例えば数年前まで情弱ホイホイだった人気企業のJTBなぞは、コロナ禍でその存在そのものが蒸発しつつあります。もともと手配やマッチングはコンピューターが、人間よりも得意なうえに、JTBの企画する旅行に、なんの付加価値も感じなくなりました。富裕層向けのトラベルデザイナーとか、本当の豊かさを知らないメガネ出っ歯の中間層サラリーマンには、土台無理なんですね。一泊5千円で百人泊めるより、一泊1人50万円の企画がバンバンできないと、意味ないんです。 結局は、JTBなんて修学旅行とか、創価学会とか、もはやなんの価値もない組織集団のアゴアシエージェントに成り下がり、塩を撒かれたナメクジのように悶絶しながら小さくなっていきます。 パナソニックとかも、いまさらエコードットがとっくに実現できているスマートホーム機能のディスプレイを、テレビにしようとしていて、彼らのような薄らバカは千人のリストラと言わず、すべての社員を整理したほうがよいのではないかと思います。まあ、パナソニックというよりも、もはや日本には島耕作的な朱子学カルト仕事そのものが、ほぼほぼありません。 だから、FIREなんです。私のFIREは、エタノールフリーが基本です。ぶっといWi-Fiをど田舎に引いて、Amazonがクロネコヤマトで届くルーラルエリアに住んでいます。洗濯や掃除はロボットにやらしており、外食はエタノールの言い訳儀礼でしかないので、ほとんどしなくなりました。エタノールやムダな外食がなくなりますので、生活費がぐっと下がります。都市部の家賃の3分の1くらいになります。 仕事がない世界で、仕事をしようとすることに、そもそも無理があります。努力したものだけが幸せを手にいれられるという、公正世界仮説を根っこから疑うことをおすすめします。グッチやシャネルを必要としているのは、没落しつつある情弱の中間層であって、カネを使う理由そのものが世界からなくなりつつあります。 面白いことは、本やNetflixに溢れていますし、徒手空拳日記のような駄文を書いてることだって、良質な暇つぶしです。毎日千文字書くだけですが、けっこう楽しいですよ。音声読み上げ技術も精度が上がって、ブログとラジオの境目も曖昧になります。FIREムーブメントは、いわば必然だと思います。働かざるものだって、ぜんぜん食うことができる。それだけのことです。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-09-30 21:00:14

分断から分裂へ

徒手空拳日記 2021年9月29日水曜日 岸信介にしろ、河野一郎にしろ、彼らが敗戦後のどさくさまぎれに、アメコウやロスケにどれだけちんころしてきたのか、ロボトミー手術で過去のことを知る気力をなくしている、底抜けの愚民には、理解しようとする意欲も能力もないのでしょうね。ブロック太郎が国民的人気とか、ウソでした。つくられたムードは、もはや丸で通用しません。 安倍晋三らによる朱子学カルトのオルト・ライト、日本会議支配とか、歴史を知るものからすれば、ある種の気違い沙汰だと思います。まあ、織田信長も世襲ですので、叩き上げよりも血中濃度の無駄に高い世襲政治屋のほうが信頼できる、そんな農奴たち、ジャパニーズピーザントの思い込みが、この国には根強くあるように思います。 徹底した洗脳によって、1980年代以後の、2度目の敗戦が牛の涎のように続いています。この永続的な負け戦に終止符を打てるのは、衆愚ひとりひとりの意思ではなく、ただただハイパーインフレだろうと思います。すき家が最近、豚丼に力を入れ始めているのは、米国の牛肉価格が高騰しすぎているからで、今後コロナが仮に収束した場合は、日本はインフレ反転のリスクがあるかもなって思います。 宏池会は既に死んでおり、えーっと、しか言わない岸田文雄は私に言わせれば、まさに漁夫の利、令和の宇野宗佑だと思いますが、岸田内閣誕生とはつまり、菅義偉と小泉進次郎親子の失脚、河野と石破のオワコンバンドリングですので、クソみたいなふるさと納税が終わる方向に、1ミクロンくらいは動いたなと思っています。石破含めて、ない袖をふるふるさと創生事業の終わりです。よかったですね。 ネットでNHKの総裁選を観ていたら、各候補の政治屋としてのこれまでのヒストリーをガッチガチにつくりこんでいて、プロパガンダ放送まっしぐら、NHKは本当に必要のない腐敗ステーションだなと思います。 政財官学マスメディア丸々っと、歯止めの効かぬまんま、ズルズルと破滅に向かっていきますが、清和会レジームの長い終わりのはじまりです。野田聖子が担ぎ上げられた9月16日の時点で、私はもくもくの雑談コミュニティに、次のように書きました。引用します。 これで、河野太郎総理大臣がかなり遠のいた。誰がなっても令和の宇野宗佑なので、誰がなっても変わらないのだが、河野太郎がなれないということは、自民党の若手にチカラがないということなので、自民党の長老支配が滅亡まで続くということ。 引用、おわり。本当に自民党は、アンドロポフやチェルネンコ時代のソ連とおんなじです。チェルノブイリを越える原発事故で既に国は滅びており、政財官学マスメディアには丸で自浄作用はなく、フィナンシャルクライシスとインフレが来たら、自動的に自民党という老いたハリボテは、あっけなく滅びるだろうなと思いますよ。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-09-29 21:00:20

権利意識を持つから奪われている

徒手空拳日記 2021年9月28日火曜日 単なる高利貸しのくせに、育英会などという名前をつけることを、広告と言います。広告とはなべて、ウソ、大げさ、紛らわしいのです。悪魔が、己を神様だと平気で名乗ることなのです。だから、ありとあらゆる広告が、この世界から追放されつつあります。 エタノールを幸福のエネルギーだと、うそぶくことは広告です。デジタルトランスフォーメーションによって国が前に進むと、力説することも広告です。広告は、育英会のように一見すると五感や記憶に、良いイメージをもたらします。英知を育てる会などという会がまさか、サラ金ビジネスをやっているわけがない、多くの人はそう疑いません。 ふるさと納税という広告も、極めてゲスなものだと思います。貧しくなりゆく中間層が、しょうもない権利意識をむき出しにして、1円でも安いお米やお肉やカニを手にいれる、醜い通信販売です。ふるさとも納税も、実際は、ウソです。丸で聞いたこともない、コスパ最強の地方自治体に、寄付することを、ふるさと納税と名付けた総務省のクソ官吏どもは、万死に値します。 地上波のニュースなども、CMだけではなく番組すべてが、広告です。自民党総裁選を伝えるフリをして、自民党の広告になっています。広告を喜んでいる愚かな人々は、生かさず殺さず、雑巾のように搾り取られます。おカネがなければ時間を、時間もなければ労役を、労役がなければ、存在そのものを、惜しみなく奪われます。 広告とは、相手の権利意識をくすぐるコンテンツです。私ならホニャララされて当たり前だ、私にはホニャララされる権利がある、そういった権利意識です。頑張って働いて、汗水たらしているのだから、仕事のあとビールを飲むのは当然の権利だ、そう考えている人に向けて、エタノールの広告はつくられています。ひとよりも努力して稼いでいるカネを、税金に持っていかれるなら、ふるさと納税したほうが賢い、という論理もまた、努力は報われて当然だという権利意識を悪用されています。 欧米人が気の毒なのは、権利意識の奴隷だからです。人権とか所有権とか著作権とか、なんちゃら権を当たり前だと考えるので、当たり前ですが、幸福感が下がります。権利意識とは他力なので、私に言わせれば、ストレートにくれない族になります。権利があるのに、ホニャララしてくれないという不満のお化けになるのです。よかったですね。 この世界には、天賦の権利などありません。いつ死ぬかもわからない、理不尽に支配されています。権利などない、という世界に最初から住んでいれば、朱子学カルトに利用されることもないですし、政財官学マスメディアの手駒になることもありません。当然履行されるべき権利が、不当に満たされないと思っているから、エタノールを飲んで、ストレスを発散しようと考えるのです。バカですね。そういう愚かさに気づくためにこそ、考える力が必要なんです。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-09-28 21:00:18

DXという、しょぼい日の丸文化大革命

徒手空拳日記 2021年9月27日月曜日 デジタルトランスフォーメーションという名のもとに、ガーファやセールスフォースの勝手に決めた形式に、すべての情報を合わせていくことは、私に言わせれば売国行為でしかないですし、フジテレビのドラマをつくっていた人が、ドロブネから我先にと逃げ出して、アマゾンプライムやネットフリックスで日本向けのしょぼいドラマをつくることは、パナソニックの技術者がサムソンやハイアールに引き抜かれて、ノウハウを吸収されたあと使い捨てられるのと、まるで同じ、おろかなしんがり戦だと思います。 日本語という参入障壁がぶっこわれて、私なぞは、ローマ字入力すらかったるいので、音声入力ばかりになりましたが、そのGoogleの音声入力を使っている時点で、彼らの軍門に下っています。手書きに戻るしか支配から逃れるすべはなさそうです。 ツイッターでなにか宣伝しようとしても、政権の胸先三寸で、不都合なネタは問答無用にて、アカウントが凍結されます。フェイスブックも、一部のインフルエンサーだけに特権を与えています。インフルエンサー・マーケティングとは要するにステルス・マーケティングを、かっこよく言い換えただけのことです。ソーシャルメディアなんぞ、もともと不正をするためのブラックボックスでしかなく、こんなものにほいほい時間とプライバシーを売り渡している愚民は底なしに愚かだと思いますが、最近は政財官学マスメディアのエリート層も、日本のなんちゃってプラットフォーマーというドロブネから逃げ出して、欧米や中国の下部構造に喜んで成り下がる反社会的勢力が、偉そうにしているこの国は、もはやかなり頭がおかしいのだろうなと思います。 デジタル庁とは、日本の個人情報を米国のプラットフォーマーに紐づける営みでしかなく、売国の最終過程であろうと思います。最近、JRの監視カメラが前科者の顔認証を勝手に検知して通知するシステムをまわしていることがバレて、取り下げましたけど、後ろではもっとひどい監視技術が、既に運用されていると考えておくべきです。ワクチンパスポートなんて気休めでしかなく、ワクチンをすでに2回打っている人の名簿は、じゃんじゃん後ろで使われるでしょう。ワクチンを打っている人だけに、飲食や旅行の広告を露出するなんて、朝飯前です。まさかそんなこと、裏で勝手にやってないだろう、という仮定はことごとく裏切られるでしょう。顔や指紋などの生体情報と行動履歴が完全に紐付けられて、あらゆる行動監視が徹底される社会に既になっています。 個人情報は、クラウドにアップしないに越したことはありません。デジタル文化大革命は、中国や香港の問題だけなのではなく、日本の問題でもあることに、ほとんどの人は気づいていません。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-09-27 21:00:34

毒物をステルスマーケティングで売る反社会的勢力

徒手空拳日記 2021年9月26日日曜日 少年ジャンプのアホな公正世界仮説に染まりきった、中高年ジャップは、いまや単なるエタノールジャンキーですが、なんだか、微アルコールというカテゴリーがわらわら出てきましたが、必要のない仕事を無理くりつくりだして、仕事ごっこ、組織ごっこをしているだけの、キリンや、アサヒや、サントリーという名前の毒物企業は、はやくこの世からなくなってほしいです。こいつらは、社会的価値がマイナスです。 ビールという飲みものがおいしいという思い込みを持ち続けている人にとっては、こうした後ろ髪を引かれるジャンルは魅力的に思えるのかもしれませんが、エタノールの入ったお飲み物を、飲みたいとか、おいしいと思っている時点で、敵の思うつぼです。 エタノールのある生活を、少しでもポジティブにえがくものは、すべてステルスマーケティングだと私は思っています。デジタルトランスフォーメーションとかも、政財官学マスメディアがグルになった、詐欺的なステルスマーケティングです。薬物があるほうが人生が豊かだ、などという詭弁は、もう世界でも日本でも、全然通用しません。 実際、その証拠に、youtubeでも微アルコール関連のコンテンツは、丸で見られていません。世の中から総スルーです。つまりこんなもん、需要がありません。なぜならば、エタノールが目的なのに、エタノールのほとんどはいってないエタノールモドキは、断酒入門層という超狭い人々にしか飲まれません。エタノールのいらない人には、エタノールっぽい飲み物はいらないのです。逆に、ビールやハイボールを、微ウォーターと呼んでも、エタノールのいらない人にはなんの価値もない、なぜならばそれは結局水ではないからです。それと同じですよね。 かつてタバコも、ニコチンが1ミリグラムのウルトラライトのタバコがつくられて、一時期もてはやされましたけど、結局タバコそのものが人々から嫌われて、なくなっていきました。微アルジャンルなるものも、おそらく、衰退へと向かう過渡期的な動きだろうなと思います。エタノールもあと数年で、ニコチンのような、穢れ薬物になると思います。 エタノールを脳にいれれば人生最高、みたいな洗脳が解けて来ました。エタノールを必要としている精神状態は、健全ではありません。人生百年時代なんてものは、それで得する奴らのプロパガンダです。中間層の人生、たったの50年時代、が実態です。取るに足らない、なんの役にも立たない中間層以下の下々の人生を合法的に50年で切り捨てる、そのための静かな絞首刑がエタノールなのです。 だから、微アルコールが新ジャンルな訳がありません。ビールもどきが必要なひとは、ビールを必要としています。スマートなのではなく、愚かな選択肢です。エタノールは人類の敵というコンセンサスが出来上がりつつあります。45歳定年制よりも、サントリーをパブリックエネミー認定すべきなんです。新浪剛史なんていう経産省の御用エセ経営者が、いなくなる社会実現のためにも、お酒を飲まないことは、これからの文明人としての前提となる大切な素養です。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-09-26 20:04:30

DHCに死を

徒手空拳日記 2021年9月25日土曜日 レイシスト集団、DHCが韓国から撤退、というニュースをみて、あれだけ狂しく嫌っておきながら、ビジネスだけはやってたその無神経さに驚きましたけど、DHCのあらゆるステークホルダーは、弁解の余地なくすべてレイシストだと、私は思っています。 DHCのサプライチェーン、バリューチェーンに関わるすべての組織、団体、個人、はい、レイシストですね。MXテレビもレイシストですし、DHCテレビなどというレイシズム動画をバンしないGoogleも、レイシストです。サムネイルを見ただけで、不快な気持ちになります。 DHCの社員などは、レイシズムのまさに中核にいる人間のクズで、醜い差別によって飯を食っているわけなので、比喩ではなく、いますぐ死ねよって思います。DHC社員の家族なども、もっと明らかにされて、社会的制裁を受けるべきだと思います。私がなぜコンビニを使わないかと言えば、存在そのものが、反社会的存在だからですが、彼らは同時に、いまだにDHCのバイヤーでもあります。 DHCのレイシズムにだんまりを決め込むマスメディアも、レイシズムの一部です。マスメディアが頬被りしているから、愚民がレイシズムのことを恥だと感じなくなっています。 技能実習制度もまたレイシズムそのものです。調査によれば、技能実習制度における7割の事業者が、イリーガルな運用をしています。運用が問題なのではなく、経団連がレイシズムなのです。DHCや技能実習制度はいますぐ、なくなるべきものであって、なんら弁解の余地などはありません。 技能実習制度を活用しなければ立ち行かない国内の事業者など、いますぐ滅びるべきです。彼らを活かすためにレイシズムを残して良いと考えることそのものがレイシズムです。地方に住むと、技能実習制度が見えてきます。ふるさと創生事業などというクソみたいな絵空事にはなんの明るい未来もありません。 DHCや技能実習制度に紐づくあらゆる産業でめしを食っている人間どもは、いますぐ死ぬべきです。つまりは、政財官学マスメディアもレイシストの一部です。岸田ボックスにこうした意見を投函しても、なんの反応もないだろうなと思います。 いまさら目安箱や国民の話を聞いてノートを取るとか、そんなことで総裁になれると思っている時点で、岸田は底抜けに魯鈍です。満洲国2.0の衰退を決定づけた竹下登が消費税と引き換えに総理大臣から身を引いたあとの、宇野宗佑みたいな自民党総裁選を、喜んでお祭り騒ぎしている人々が、これからもますます衰退していくことを祈るだけですが、DHCビールをふるさと納税の返礼品にしていた地方自治体も、例外なく滅びてほしいと思います。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-09-25 21:00:39

コメがうまければFIREできる

徒手空拳日記 2021年9月24日金曜日 クソみたいな港区の朱子学カルト村から、地方の脱地上波テレビ村、酒から脱け出すダッシュ村に移ってだいたい半年、ほぼフリーレントでやってる2拠点の暮らしを、どうやってもっと快適にするか、あれこれ考えるのもまた楽しいです。 なにしろ家賃がかからないので、ある程度の投資をしながら楽しめます。大規模なリフォームをせずに、DIYで断熱することや、寒さを凌ぐ飛び道具として、冬場に向けて、テントサウナを取り入れようと考えています。近所のスーパー銭湯のサウナもいいのですけど、10キロ近く離れています。まあでも、湯船に熱いお湯を張って、窓を全開にすれば、真冬ならサウナ並みの外気浴ができそうです。 寒い朝、運動がてらに毎朝サウナのテントをポップアップして、午前中はだらだらマキビでサウナと外気浴をしながら、考えごとをしたいです。テントサウナは、日本のエージェントがロシア製のものを取り扱っていて、EX-PRO CUBEっていうテントサウナが、100度超えしそうで良さそうです。ロウリュもできるみたいだし、一酸化炭素アラームも入れて、完全なるパーソナルサウナをはじめようと思います。 あとこちらに来てびっくりするのは、新米のおいしさです。農家はおいしいお米を食べてます。日本人たるもの、米さえうまければ、幸福度がぐっと上がりますね。マスメディアの届かない場所で、ほとんど働かず、通勤もせず、ひたすらうまい米を食う、アーリーリタイアの基礎となるのは、うまい米です。生活費がぐっと下がれば、あとは投資と年金で、まわります。 身の回りのことに比べれば、総裁選とか本当にどうでもいいです。あんなものは、安倍、麻生、スガの小競り合いでしかありません。とりあえず、河野太郎になっちゃうとスガの勢いが消えないので、ふるさと納税をなくしてほしい私としては、総裁選から衆院選までで、菅義偉が完全に失脚してほしいのですけど、そこまでドラスティックには壊れなさそうで、興ざめです。 ちまたで最近話題のファイアー、フィナンシャル・インデペンデント・リタイア・アーリーって、日本では要するに、脱朱子学カルトがその動機ではないかと思います。孫正義とか三木谷浩史みたいなカギカッコ付きのアントレプレナーも、単なる朱子学カルトでしかなく、楽天とかソフトバンクに入社しても、ろくなことなさそうです。そんな無駄な時間と労力を消費するくらいなら、固定費のかからない生活をしながら、低空飛行したほうが、朱子学カルトのレーダーにも引っかからず、安心してのびのびできます。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-09-24 21:00:10

おうちエタノールで滅ぶ中間層

徒手空拳日記 2021年9月23日木曜日 おうち時間、おうちごはん、おうち居酒屋などなど、おうちなんちゃらという気持ちの悪い言葉が世間にあふれていますけれど、おうち地獄とでも言うべき環境に生きている人々のことは、ばっさりと切り捨てていて、本当に視野が狭いと思います。おうちにいたら殴られる、おうちにいたらなじられる、おうちにいたら息ができない、などなどの人たちは、逃げ場所を失っています。 おうち居酒屋なんて言って、進んでいるのはエタノール依存です。ちまたのバーや居酒屋が潰れそうなぶん、ふるさと納税でエタノールが飛ぶようにさばかれていきます。ふるさと納税できるくらいの中産階級をエタノールが狙い撃ち、あと5年もすると大量のエタノールジャンキーが社会に見える化します。 おうち死亡も深刻です。国民皆保険制度のハリボテがあっけなく壊れて、お金やコネのない人は、コロナになってもカップ焼きそばしか届きません。親ガチャがハズレだと、コロナであっけなく命を落とす、しかも自宅で、それが現代日本、満洲国2.0の成れの果てです。 コロナにならずに生き残っても、エタノールでゆっくりと死んでいく人々がこれから増えることは間違いなく、45歳定年制度よりも、45歳でエタノールをやめることのほうがよほど大切なみそぎとなります。おうち死亡にならないためにも、エタノールによる市民殺戮の事実を知って、離れて、時が経つのを待つ、これが大切です。断つ、捨てる、離れるの断捨離ならぬ、いわば「知る、離れる、待つ」です。 電車が1時間に1本すらも来ない駅から歩いて30分、バスも平日だけ、朝と夕方のみ、隣の家まで200メートルのど田舎に私が住めるのは、エタノールと薬物依存の人間関係を、丸で必要としていないからです。酒場放浪が生きる喜びになっている人だと、田舎暮らしは難しいなと思います。 敗戦後、米軍にちんころしてつくられた満洲国2.0は、団塊の世代を敗戦後の満蒙開拓青少年義勇軍として洗脳の上、工業の組み立て現場に総動員して、70年代くらいまではなんとかハリボテ国家の偽装ができましたけれど、そこから先は単なる米軍の草刈場となり、敗戦日本の歴代総理大臣はすべて、アフガニスタンの傀儡政権、カルザイとかガニー大統領と完全に同じです。 いまさら地上波のニュースという名の官報を見て、お飾りの総裁選という茶番劇に注目している、年老いた敗戦後の満蒙開拓青少年義勇軍2.0は、コロナとエタノールで間もなく殲滅されますし、彼らが支えた満洲国2.0も、そのうち世界を襲う、次のフィナンシャル・クライシスで、土台からぶっ壊れるだろうなと思います。本当に、よかったですね。 まあ、とにかくおうちご飯とか、おうち時間、とか言っている唾棄すべき奴らといかに関わらないでいるか、そのためにも地上波コードカッティングはとても有意義です。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-09-23 21:00:20

脱酒道 Sober Curious Way

徒手空拳日記 2021年9月22日水曜日 いまを生きる人々が何を願うかといえば、漢字一文字で言うと、脱出の脱だと思います。マスクを脱ぎたい、コロナ禍を脱出したい、朱子学カルトから脱洗脳されたい、つまりは脱なんちゃらこそが、人々の祈りではないかなと思うのです。ルンバを買って掃除時間から解放されたのに、エタノールに脳が侵されて、掃除時間の何十倍も時間を失っている人も、自分は正気だ、まともなんだと思いたいのでしょう。でも、エタノールに時間もお金も奪われていると、それ以外にいかに生活を工夫しても、劇的な改善にはなりません。まさに焼け石に日本酒です。 人生を前向きにする最良の道とは、何よりもまず、酒から脱け出す道、脱酒道です。ソウバー・キュリアス・ウェイを通らずして、本当の未来はやってこないと私は考えています。コロナで死ななくても、エタノールの飲み過ぎで死んでいく人は、己れがコロナよりも高い確率で、死亡への道をいま歩いているのだという自覚がありません。それはとても恐ろしいことです。マスクをしているくせに、エタノールは大好き、みたいな生き方そのものが、合理的ではないのです。 エタノールは薬物であり、エタノールで脳内を麻痺させても、その快楽は虚しいものであること、そのことを知ることから全ては始まります。エタノールを飲むことでお金を稼いでいる、数少ない有名人である吉田類を久しぶりにYou Tubeで見かけたら、死相が出ていました。言葉でいかに言いくるめようとも、エタノールはれっきとした薬物です。芸術や文化とエタノールは、いっさい関係がありません。薬物で気持ちよくなっても、意味ないじゃん、そのことを知ることが第一ステップです。 薬物で楽しくなっても虚しいだけだと腹落ちしたら、次はエタノールやエタノールでつながっている組織や人から、できるだけ離れてください。1週間くらいコンビニも酒屋さんもない場所にひきこもって、エタノールに手が届かない環境をつくることです。ライザップなどという、刑務所よりもひどい食環境に追い込んで50万円近くかすめ取るビジネスと比べれば、2週間ぐらいサウナ付きのドーミーインホテルなどに引きこもるなんて、安いものです。 最後のステップは、脳が麻薬を求めなくなるまで、ひたすら待つことです。薬物なんて要らないと、頭でわかっても、身体がわかるまでは少しタイムラグがあります。知性によって麻薬を遠ざけたあと、薄のろな身体がのろのろとついてきます。身体が知性に追いつくまで、待ちましょう。こればっかりは、ショートカットできません。知って、離れて、待つ。この3つを愚直に実行すれば、だいたい誰でもエタノールなんてやめられます。エタノールをやめることはとても難しいだなんて、それそのものが、エタノールに毒された者たちによる捏造です。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-09-22 21:00:22

痛勤のない世界

徒手空拳日記 2021年9月21日火曜日 サラリーマンを辞めた最後の年は、コロナでほとんど会社に行きませんでしたけど、通勤って、もはや未来永劫、必要ないなと思います。オフィスだと音声入力できません。直接会うことでできることと、一人で勝手にできることの、成果の質も量も、完全に逆転してしまったと思います。 私は、音声入力の先進的な使い方については、勝間和代さんをトレースしており、フットスイッチもいれてますし、先日彼女のブログで紹介されていた、口元に肉薄するマイクも、買おうかなと思っています。 知的活動とは結局のところ、文字を頭にいれることと、頭から出すことなので、この入出力が技術の力によってストレスフリーになればなるほど、知的活動は充実すると思います。 最近では読書も、大型モニターにキンドルを投影しながら、ECHO ドットでキンドルの音声を耳から倍速で聞くやりかたです。つまり視覚と聴覚のダブルで読書をします。これだと頭への入り方が1.5倍ぐらいになる気がします。 私に言わせれば、どんなにこじゃれた、働きやすいオフィスになったとしても、自宅で文字のインプットとアウトプットのストレスフリーが実現されてしまえば、オフィスにいる時間そのものが、生産的ではない時間になってしまいます。 コワーキングスペースで、タイピングしながら仕事をするくらいならば、車の中で音声入力できたほうが、全然便利です。そもそも いまだにPowerPoint や Word を使って仕事をしている人を見ると、もっさりしているなと思えてしまいます。マイクロソフトのオフィスは、もはやエクセルくらいしか、まともに使いません。 中国発のリーマンショック2.0がやって来れば、未だに雁首そろえて物理オフィスにでばっている、朱子学カルトが、会社組織もろとも失業するかもしれませんので、リモートワークが、正しいはたらきかたの代替手段のように、低く扱われる日々も、そう長くはないかもしれません。 インプットもアウトプットもしていない人々が、なんで給料をもらえるのか、これまでもミステリーでしたが、これからは生産量と生産質で、収入が自動的に決まるようになると思います。そうなれば、みんなもっと文字の入力と出力に、一生懸命になると思います。 音声入力だけじゃなくて、手書きの文字のデジタル識字力もめちゃくちゃ上がってきているので、紙のノートに書いたことを、グーグルレンズで読んでテキストにして保存する、なんてことも実用レベルです。五感をフルに活用しながら、いつコロナで死ぬかもわからないクソみたいな世界を生き抜いて行きたいです。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-09-21 21:00:47

アナログ&上から目線

徒手空拳日記 2021年9月20日月曜日 自民党のポスターは、なぜか河野太郎が人気らしく、河野太郎とのツーショットで木っ端議員が写ってますけど、これは自民党のスローガンなんでしょうか、でかでかと、「デジタル&現場感覚」とあって、思わず嘲笑してしまいました。この徒手空拳日記では機会あるごとに、デジタルとはなにか、縷縷説明してきました。デジタルとは、要するに、スッカスカにすることです。果物のりんごはアナログで、その果物としてのりんごをデジタル化した「りんご」という言葉は、スッカスカです。 公文書も、人々のアナログな営みを、デジタル化したものです。デジタルかどうかと、電子的かどうかはまるで関係ありません。法律も、デジタルです。司法とはアナログなもめごとや罪を、デジタルに変換する営みです。都合の悪い公文書を棄ててしまったり、黒塗りにしてしまう内閣府は、デジタルのことを根本的にわかってないだろうなと思います。 デジタルと&で結ばれている現場感覚、というのもよくわかりません。現場の反対とは、上層部みたいなことだと思います。デジタルを現場感覚でやるから、ココアのようなクソアプリが量産されてしまいます。デジタルと現場感覚は、とても相性の悪いものです。 これはおそらく、デジタルという言葉で連想される、冷たさや紋切り型イメージを打ち消すために、現場感覚という言葉を当てているのだろうなと思います。自民党はデジタル化も進めるが、現場感覚を忘れませんよとか、自民党には、現場感覚があるからこそ、真のデジタル化ができるのであって、評論家づらした外巻きに、国難を任せるなんてできないよね、といったことを言いたいのかもしれませんが、全然違います。 感染症対策や、ワクチン政策は、根っこがデジタルでないと効果が出ません。国民を一人残らず、感染者と非感染者にきっぱり分けることや、国民ひとりひとりに、ワクチン接種の優先順位番号をつけることこそ、効果の出る対策ですが、朱子学カルトの感染症対策は中世ペスト対策並みにアナログなので、デジタルのことをまるでわかっていません。 オーストリアのウィーンに、ペスト塔という建造物があります。これは、ペストがおさまったことを記念して17世紀に建てられた塔なんですけど、東京オリンピックパラリンピックのことを、人類がコロナに打ち克った証として開催するって言ってたのは、まさに、オリパラをペスト塔のように使おうとしたわけです。 こうした中世並みの非合理的な愚策ばかりを積み上げて、デジタル&現場感覚の自民党でございますとは、ちゃんちゃらおかしいとおもうのですが、もはや誰も突っ込むことさえしなくなりつつあります。自民党という満洲国2.0の自主廃業も、そんなに遠くはないと思いますが、笹川良一いわく、戸締まり用心火の用心、一日一善、私にはそれくらいしかやることありません。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-09-20 21:00:30

石油も伊集院光も降板スレスレ

徒手空拳日記 2021年9月19日日曜日 太陽光発電とか太陽熱温水器って、敵が嫌がることをやらないことにとても近くて、初期投資のなん十万円かを、東京電力との手切れ金だと思えば、あとはずっとオフグリッド、あるいはマイクログリッドになります。ソーラー発電への移り変わりは、止まりません。だから石油の価値はどんどん下がると思いますが、いまは人類史最後の石油バブル、となればいいのですけれど、ガソリンのリッター単価と、鉄道の初乗り運賃がいまや、だいたいおんなじというよりも、今は少し電車の初乗りのほうが安いです。価値と値段が見合いません。 ホンダのスーパーカブの原付をうまく運転すれば、ガソリン1リットルで、90キロも走ります。90キロって、フルマラソン2回ぶん以上ですよね。鳥人間コンテストかよって思います。まあでも、バイクは、冬はえらく寒いです。寒いと、出かけなくなるので、バイクは結局、使えません。シートまで暖房で暖かくなるヨーロッパのクルマは一度乗ると戻れませんね。バイクだけで田舎に住むのは、嫌ですね。交通事故の確率も、バイクだと都市部の5倍くらいはあると思います。 石油依存もバイク生活も、アホらしくて、やってられません。そもそも、通勤しなくてもいいから、田舎に住んでいるのであって、通勤が義務ならば田舎になんて、住みませんね。眠くなるまで起きていて、目がさめたら活動する、ピロヤンと同じライフスタイル、それだけのことです。 社会課題とか、社会的活動とか、なんの意味もないと思っています。私がやるのは、徹頭徹尾、個人の課題解決であって、個人的な活動です。世の中を良くするためには、まず私自身を良くするしかありません。社会の役に立ちたいなんて、まったく思いません。社会が、私個人の役に立ったことなんて、いままでもこれからも、ありませんので。 本当に社会課題に向き合っている人とか、素晴らしいなって思いますけど、私には無理なんですね。社会課題っていうと、エスディージーズのバッヂでしょう? 要するに片山さつきです。あんなものつけて喜んでいる人たちって、単なる愚か者だなと思います。 伊集院光のラジオ番組がパワハラで燃えてますけど、私に言わせれば単なる時計代わりでしかない朝のラジオ番組が、月曜日から木曜日までと金曜日が全然内容が違うとか、その時点でリスナーはそっちのけ、そんな番組を喜んで聞いているリスナーが悪いと思います。政財官学マスメディアは、大衆が相手にしなければ、秒殺できるものなのに、愚民であればあるほど捨てきれませんね。金曜日だけ違う内容の番組をしれっとやっている TBS ラジオなんて、Podcast で聞きたい部分だけ聴いてりゃいいじゃん、それだけのことです。石油にしろTBSラジオにしろ、頭が悪くて惰性のまま捨てられない人がいるから続いているだけのことです。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-09-19 21:00:52

歴史に学ばないものはなんべんも滅ぶ

徒手空拳日記 2021年9月18日土曜日 友情、努力、勝利の3つは、集英社の少年ジャンプで鍵となる概念などと言われました。このような強烈なプロパガンダを浴びてきた私のようなへそ曲がりからすると、これは単なる体育会系の正義であって、このような洗脳を疑うことなくシニアになってしまった愚か者にとっては、現代は極めて生きにくいのではないか、ざまあみろって思います。 意気、媚態、諦観の3つは、粋の構造などと言われて、日本人の美徳となる概念とか言われましたけど、私がこの徒手空拳日記でリフレインする朱子学カルトの枕詞、元気で明るく、ちょっぴりエッチ、それなのにとことん謙虚というフレーズは、この、粋の構造を徹底的に小馬鹿にしたものです。 友情、努力、勝利にしても、意気、媚態、諦観にしても、馬鹿な大衆を動員するための、プロパガンダに過ぎません。インターネット以前の日本ではこれらの洗脳が、あたかも日本人らしい素晴らしさとして信じられていましたが、インターネット以後は、これらのクソな洗脳から多くの人々が解放されました。よかったですね。 友情、努力、勝利に与しない人生を生きるほうが、自然の摂理にかなっていますし、意気、媚態、諦観を良いものだと考えない人間は、他人に利用されません。自民党の総裁選などは典型的な、これらの洗脳概念を疑いもなく信じる愚か者のための集まりでしかなく、人々の政治離れとは要するに、友情、努力、勝利、意気、媚態、諦観イデオロギーばなれだろうなと思います。 ソビエト共産党の末期は、アンドロポフとかチェルネンコのような、腐敗と惰性による長老支配となり、チェルノブイリのような、自己破滅へとつながるシステミックリスクを増大させましたけど、いまの自民党は、この末期ソビエト共産党とそっくりです。「俺たちは、まさに共産党とかけ離れたところにいる」と信じて疑わない自民党の者たちこそが、実は最もソビエト共産党と酷似している、これこそが歴史に学ぶことのない愚か者の成れの果てです。 友情、努力、勝利に一切反応しない、意気、媚態、諦観を全然素晴らしいと考えないニュータイプの人間には、エタノールもテレビも政治も、丸で必要ありません。自民党ができたのは1955年ですが、私に言わせればこんなものは、明治維新の腐乱したゾンビ、満洲国2.0でしかありません。満洲国建国百年の2032年までには、このしょうもない満洲国2.0が滅んでいるといいのですが、歴史に何も学ばない若い政治屋さんからすれば、自民党は、トヨタやパナソニックと似た、単なるブランドなのでしょう。トヨタもパナソニックも自民党も、実は既に死んでいますけどね。何重にも愚かな者たちによる、暗い絶望の時代が、あと10年は続きそうです。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-09-18 21:00:13

ビジョンは元気で明るくなければならない、という思い込み

徒手空拳日記 2021年9月17日金曜日 テスラって、イーロン・マスク率いる、ゆめゆめしい企業だと思っている人も多いと思いますが、私に言わせれば、テスラはとても悲観的なビジョンを持っている企業です。地球がいつか温暖化でにっちもさっちもいかなくなるから、電気自動車をつくる、とか、そのうち人類が滅亡するかもしれないから、脱出のためにロケットなどをつくっています。つまりこの300年間くらい続いてきた、科学万能の楽観主義を彼らはほとんど信用していません。テスラという悲劇的な科学者の名前を会社名にしていることからも、わかります。 企業たるもの、ビジョン、ミッション、バリューを持ってなければならん、ということで、多くの企業は妙に楽観的で、躁状態のビジョンをもっともらしく表明しますが、そんなの嘘だなってみんなに感づかれています。 田舎のビジョンも、絶対に明るく、楽観的でなければならない、という前提が、そもそもおかしいのではないかと思います。生産性の劇的な低下、人口の減少、インフラの老朽化など、極めて悲観的なビジョンに基づかなければ、たいていの地方創生なる事業もどきは、単なるプロパガンダに過ぎません。原発施設を誘致しておきながら、ふるさと納税や、みちの駅整備などで、雀の涙のような内需アップに汲々としている地方自治体など、なんの存在価値もありません。 私達はこの数百年で、国家や企業などという、やたらと主語の大きな者たちによる、底抜けに明るいビジョンを、丸で信用しなくなりました。エタノールで脳神経を麻痺させて、薬物によってやたらと明るくなる、組織の飲み会なども、ビジョンは明るくなければならないという強烈な思い込みによる、カルト宗教の儀礼でしかありません。 米国の銃社会とは、人間の闘争はろくでもない、人間が最も信頼できない敵であるという、超絶悲観的なビジョンが支配的であった人類の名残なのです。押し広げて考えれば、民主制というものも、銃と同じ、人間社会への悲観的なビジョンのソリューションだったはずで、そのことをすっかり忘れて、脳天気なオプティミズムが、民主制だと勘違いしている人だらけで、反吐が出ます。 いまの日本における最新のビジョンとは、貧乏人の人生が、ざっくり50年に短縮される時代です。コロナになったら自宅で死ぬ、とか、生かさず殺さず権力者からお金と時間を奪われるとか、世界でももっとも陰湿な、差別と抑圧と冷血に満ち満ちた社会であるとか、原発を安全に運用できないくらい組織が腐っているとか、政治屋は総務省の出身か、歌舞伎のように世襲しかいない、バカと暇人の集まりでしかない、とか、日本のITの目的は、すべて無責任のデジタル化であるとか、そうした悲観的なビジョンに基づいて、個人の戦略をつくっていかないとだめですね。元気で明るくちょっぴりエッチ、そのくせとことん謙虚という、朱子学カルトのマインドセットは身を滅ぼします。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-09-17 21:00:16

仁義なき戦いとは、要するに拝金主義

徒手空拳日記 2021年9月16日木曜日 来年のとある花火大会での、金儲けについて話している人が、近くにいましたけど、コロナ禍がいまの第5波で終わるわけがありませんよね。花火師さんだって、来年の火薬をどれだけ発注するか、決められません。花火って、一度つくったら翌年の夏に繰り越せないんです。 そもそも花火大会なんて、これを機に廃止したほうがいいと思います。地方自治体が、花火のよく見える特等席を、有料にしてお金儲けしようなんて、あさましくもさもしいなと思います。スーガーのなきあとは、それは、お前らの仕事じゃ、ありません。 グランピングなんていうものも、結局のところ、かけ算に見せかけた、ていのいいわり算でしかなく、そのうちゼロに限りなく近づくことでしょう。道の駅なんていうものも、まともな売りものがないのに、店やっても、長続きしません。最後は、みちの駅みたいな外見の、地元のしょぼいスーパーに成り下がります。 人が、ある一つのイベントに集まり、みんなで同じひとときを楽しむ、そのことそのものが衰退していきます。サッカーの視聴率がだだ下がりなのは、同期的な狂気としての、ユナイテッド・バイ・エモーションそのものが、すっかり汚いものになっている、そのことに気づかない人がおお過ぎます。 いまさら、コロナはあと少しで収束するはずという前提の人々って、存在そのものがバイアスだと思います。平成初期のバブル崩壊のときも、とっとと損切りした人はなんとかなりましたが、下手に情けや仁義にこだわったり、公正世界仮説にどっぷりとはまったりした人は、ひどい目にあいました。 仁義なき戦いとは、要するに拝金主義ってことです。映画の仁義なき戦いって、つまりはヤクザなんて、義理とか人情じゃなく、抜け目なさ、狡猾さをもってしか生き残れないという、寒いお話しであって、いかに逃げ足が速いかとか、言質をとられないかとか、自分は手をくださないか、といった狡さの大切さを問うています。 正義とは武器のようなものである、と言ったのは芥川龍之介でしたっけ、だから正義なんてカネで買えるって、芥川は言ってました。現代社会では、SNSが武器のようなものかもしれません。米軍のアフガニスタン撤退は、別に正義によって、ではなく、SNSによって行われました。仁義より、人気です。人気には、カネよりもカネのニオイがします。 武器を捨てよ、SNSを捨てよ、正義を捨てよ、エタノールを捨てよ、です。これらのために死ぬなんて、アホらしくてやってられません。つまりは、正気で生きよ、です。私としては、9月いっぱいで今年ぶんの労働を終わりにしたいです。つまりは、仕事納めですね。あと一年は、この厄介なコロナ禍が続くという前提で、ものの見方を積み上げなければなりません。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-09-16 21:00:42

遠くて不便、セブンイレブン

徒手空拳日記 2021年9月15日水曜日 コロナが落ち着いたらランチに行こうね。コロナが収束したら、飲みに行きましょう。そんな社交辞令も、するだけ虚しくなって、みな口をつぐむようになりました。政治が悪いのは、自分らが悪いということなので、犯人探しも、虚しくなってしまいました。なるようにしかならない、という意味では朱子学カルトの成れの果ては、ペストの猛威に怯える中世時代の民とまるで同じです。 実家の近くを放浪しているYou Tubeをぼーっと眺めていたら、私が中学生の頃、はじめて家の近くにできたセブンイレブンが、イーオンのまいばすけっとに変わっていました。なんとも感慨深いっていうか、超絶メシウマです。 まいばすけっとは、ビールが安いので、エタノール貧民にはピッタリですね。セブンイレブンって、顧客とともに貧しくなっていきます。とあるセブンイレブンの8月の豪雨災害の募金総額が、なんと860円とか、人助けする余裕なんてない人々が、華麗にセブンイレブンをスルーしはじめています。あと5年したら、半分くらいに店舗数が減ってそうで、遠くて不便なセブンイレブンのますますの衰退が、とっても楽しみです。 セブンイレブンではおカネをおろすのと、家にプリンターがないので時々プリントアウトするのと、メルカリ便を発送するとき以外は丸で使いませんね。からあげ棒が、コロナ禍の影響でつくっているタイのサプライチェーンが壊れたせいで、首都圏一都三県の限定商品になってしまいましたけど、ななチキとか高くて買えない人が、からあげ棒買ってたわけで、からあげ棒がなくなったら、セブンイレブンの揚げ物はガクッと売り上げが落ちると思います。 土地代の高い都心部で、リモートワークしまくりで人が減り、セブンイレブンが機能しなくなり、田舎では人が貧乏になり、唐揚げとかはスーパーで買うようになると、セブンイレブンって単なるトイレとか公共料金とかATMのステーションになりますね。 地方に住むと、ああ、ここはむかしセブンイレブンだったんだな、という廃墟があちこちにあります。えげつない商売をしてきたツケが一気に回ってくるでしょう。イトーヨーカドーも死んでるし、西武とかそごうも死んでいますので、セブンイレブンもそのうちなくなるだろうなと思います。セブンイレブンを使わない、というのも、立派なテロです。こちらがやらないと、敵が嫌がることを徹底的にやらない、 この、しないだけというテロには、オンとオフがありません。ひたすらオフであり続けることでダメージを与え続けることができます。街のエタノール水道、遠くて不便なセブンイレブンが、目の前から消えてなくなるのも時間の問題です。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-09-15 21:00:39

「令和の宇野宗佑」を選ぶ総裁選

徒手空拳日記 2021年9月14日火曜日 安倍晋三は別に、キングメーカーを気取っているわけではなく、いわゆる、モリ、カケ、サクラで自分や妻が、小菅プリズンに行かないように、必死になっている、それだけのことです。朱子学カルトの成れの果てに、逮捕されたらお母さんに怒られちゃう、という感情は、権力欲とはかなり質の違う、怯えとか、不安のたぐいだと思いますよ。 政治屋も3代目、4代目ともなれば、己の使える権力が、あたかも自分の能力による自分由来のものであると勘違いして、たいしたリスク評価もせず、危ない橋もポンポン渡っちゃいますし、ネポティズムむき出しの汚職も、己の能力と勘違いして、アホのようにタガが緩みます。周りがお膳立てを全部やってくれると勘違いして、あちこちにいい顔をしていたら、モリ、カケ、サクラゲートになってしまった、というのが実態だろうなと思います。お膳立てが十分じゃなかったのは、周りのせいだ、と本心から信じて疑っていないのです。 テーブルのしたで、安倍晋三の膝小僧を警察権力と蹴り続け、安倍晋三のエスタブリッシュメントを揺すりたかってきたスーガーもまた、己の不都合を覆い隠そうと、河野太郎総理大臣の官房長官に収まろうと必死ですが、私に言わせれば、ポストアベスカ政権とは、コロナで2回失敗した責任を、敗戦後3度目の民主制起動によって、取らされるかもしれないという意味では、宇野宗佑政権みたいなものになるのではなかろうか、と思っています。遅くても来年の参議院選挙で、いまの清和会レジームは、壊れると思います。 自民党の当選3回以下の若手を束ねているのは、福田赳夫の孫ですが、安倍と同じほそだ派の有力な世継ぎでしかなく、安倍家と福田家の小競り合いでしかありませんので、一度怨念に火がつくと粘着質な国民感情からしてみれば、森喜朗から続いてきたしょうもない清和会支配の終わりだろうなと思います。 今年の紅白歌合戦の頃には、安倍晋三と安倍昭恵が、小菅プリズンに収監されていると、うれしいなと思いますが、私にできることは、政財官学マスメディアにとって、下々がやらないと困ることを、徹頭徹尾やらないという、サボタージュだと思います。 税金をできるだけ払わない簡単な方法は、サラリーマンを辞めることです。あるいはエタノールを飲まなければ、酒税も0円、長生きすればするほど、多くの年金をゲットできます。絆を紡ぐことをやらない、というのもラクな割に効果的な反逆です。地上波を観ない、新聞を購読しない、東京電力に頼らない、通勤しない、なども地味ではありますが、ラクな割に敵が嫌がります。 資本主義や民主制と一線を画し、政財官学マスメディアによるしょうもない消費や時間の浪費をしなくなれば、ますます内需が回らなくなり、国の生産性が下がります。日本の生産性が低いのは、粘着質な国民による静かなテロリズムです。少子化もコロナ禍で、ターボがかかり、絆もGDPも逆噴射で急減速、まさに羽田沖に墜落した日航機のようです。よかったですね。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-09-14 21:00:45

45歳で会社よりもまずエタノールから定年すべき

徒手空拳日記 2021年9月13日月曜日 バツ3のモテモテ上級国民、新浪剛史は、陸海空丸々っと全部ダメでおなじみの、元は三菱の人ですが、ローソンも永遠のコンビニもどき、いまはサントリーの傀儡経営者として、政府の御用経営者になってます。その彼が、経済同友会の夏季セミナーで「45歳定年制にして、個人は会社に頼らない仕組みが必要だ」と発言したことが、炎上しています。 まあ私に言わせれば、お先真っ暗の政財官学マスメディアになんて、はなから、はいらないほうがいいし、百歩譲って新卒一括採用という、狂ったシステムで朱子学カルトの組織にはいっても、3年くらいで辞めちゃいなよって、それだけのことです。 政財官学マスメディアに、45歳までいられる時代もそんなには長く続かないと思いますし、40代に一番カネがかかるという、意味不明なライフスタイルをやめればいつでも会社なんて、やめられます。結婚したり、子どもを生んだり、マイホームを買ったりしなければ、別にいつでも会社なんて辞められますよ。敵がやらないと嫌がることを徹底的にやらない、とはそういうことで、昭和型の線形ライフスタイルなんて、続ける意味ないわけです。 私が言いたいことは、45歳で会社辞めるよりもまずは、45歳でエタノールを飲むのをやめよう、です。理想的には最初から一生飲まないほうがいいのですが、遅くとも45歳までには、足を洗うべきは、会社よりもまずエタノールです。エタノールをやめられたら、会社を辞める必要なくなるくらい、人生変わります。 かつてのサントリーには、面白い発想が横溢しており、親しくしてもらった役員もいた。子会社を株式公開し、ホールディング会社を作り、代表に新自由主義の人間を引っ張ってきた頃から、ただの時価総額最大化を目ざす巨大で凡庸な会社になっていった。 これは、平川克美のツイートの引用ですが、ストロングゼロなんていう脱法ドラッグをしこたま売って、必死こいて飯を食っている、しょぼい反社会的勢力によるエタノールこそ、45歳できっぱりやめるべきなんです。45歳でお酒を定年制にして、個人はエタノールに頼らない仕組みが必要、そういうことです。繰り返しになりますが、サントリーの要らない人生が、自由なのであって、サントリーのお酒を、好きなだけ飲めることは、自由の真逆、奴隷です。そんなことすらわからない、愚かな民だから、河野太郎が人気になっちゃうんです。 酒を飲まないと敵が困ります。だから飲まない、ノンアルコールテロです。40代になると矢鱈とカネがかかる人生をやめるためにも、酒を飲まずに貯金しましょう。一滴も酒を飲まない、無滴の人ならば、そもそも会社員になる必要もありませんけどね。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-09-13 21:00:37

疫病は災禍の起点に過ぎない

徒手空拳日記 2021年9月12日日曜日 極東アジアの島国なのに、政財官学マスメディアの無為無策や不作為によって、コロナ禍が牛の涎のように続いて、はや一年半ですが、なんでも停滞や様子見と結び付けられがちな世の中とは裏腹に、私の生き方は劇的に変わりました。住む場所を変えて、付き合う人を変えて、時間配分を変えてみました。住む場所が変わると、例えばコンビニが目の前から消えて、食生活がガラッと変わりますし、移動方法が変わるので、本の読み方が変わります。 付き合う人が変わると、得られる情報が変わります。政財官学マスメディアの外へと完全に抜け出てみると、全然違う世界があって、私にはそっちの世界のほうがあっているなと思います。 住む場所と付き合う人が変わると、時間配分は自動的に変わります。タイム・イーターであるエタノールの、ますます要らない生活になりました。コロナ禍を停滞や様子見の言い訳にしていると、ろくなことがありません。コロナ禍は一過性のものだから、そのうち収まるよ、コロナ禍以前のような暮らしぶりや、政治経済に戻るよ、という現状維持バイアスになれきっていると、陰謀論やエタノール依存症にはまります。 スペイン風邪が収まったかと思ったら、関東大震災に襲われ、世界恐慌へ呑み込まれて、しまいにはファシズム国家になってしまったように、疫病は大きな変化の初期状態でしかなく、疫病が次になにを巻き起こすのかを注意深く洞察する必要があります。 平時ではない有事には、身の危険を察知するセンスとでも呼ぶべきサバイバル能力が、研ぎ澄まされていないとまずいのですが、政財官学マスメディアの教師などみているとそのセンスのかけらもない、滅亡すべき群れであることが、よくわかります。 コロナに専任するとうそぶいて、突然独りで燃え尽きたスーガーが、9月10日に、都内の小学校を訪れて、新型コロナ対策にと、オンラインの学習指導や、タブレットを活用した授業の様子などを視察した、とニュースにあるのですが、生徒たちは教室で雁首を揃えて先生の話を聞いており、全然オンライン授業になっていません。 こんなものをオンライン授業と位置づけている時点で、身の危険を察知するセンスゼロ、遅い、疎い、頭のおかしな朱子学カルトの成れの果てです。コロナ禍が通り過ぎれば、学校教育は元に戻るなんてこと、死んでもありませんよ。子どもたちは、おとながアホなことを察知して、これからどんどんエスタブリッシュメントをハックしていきます。中高年の利己的な世離れ感覚は、幕末の水戸藩のように、そのうちとてつもない仕打ちとなって、中高年の守旧派に牙を剥くと思います。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-09-12 21:00:15

新型コロナウイルス、砂糖、エタノール

徒手空拳日記 2021年9月11日土曜日 岸田ゼン政調会長「バナナはおやつに含まれない」総裁選へ真面目な人柄と、聞く力をアピール。これは、テレビ新広島のれっきとしたニュースです。お魚は頭から腐ると言いますが、もはや内蔵も筋肉も、腐ってますね。政財官学マスメディアの明治維新システムはもはや、煮ても焼いても食えません。 バナナのコスパはもはや、すこぶる悪く、貧乏人にとってバナナは高級品となりました。スタバのバナナは一本100円くらいですけど、100カロリー足らずのそんなものに100円払うなら、457カロリーのヤマザキのナイススティックを買ったほうが効率的です。 パンがないのなら、ケーキを食べればいいじゃない、はマリ・アントワネットのことばですけど、現代の貧困層は、このマリ・アントワネットのトンチンカンなことばを、そのまんまグローバルに実践しています。世界から、飢餓はなくなって、そのかわりに貧しい階層は、むしろ肥満によって、ゆっくりと健康を蝕まれるのが、飢餓なきあとの現代です。 この世界はもはや、火薬よりもエタノールや果糖ブドウ糖液糖が、多くの人々をぶっ殺しています。エタノールや果糖ブドウ糖液糖は、平時の新型コロナウイルスです。エタノールや果糖ブドウ糖液糖で、計画的に不健康を創り出していたシステムが、コロナ禍でうまくいかなくなりました。 ライフ・シフト、人生百年時代なんていう戯言も、コロナ禍でメッキが剥がれましたね。未来に百年の長寿なぞはなく、自宅や職場が死亡ステーションであることが、コロナ禍ではっきりしたわけで、むしろ、システムによって、ガチャのようにランダムに殺されることが運命づけられている、虫けらのような人生を、私達はどう生きるべきか、というテーマを考えなくてはなりません。 政財官学マスメディアによるビジョンなど、すべて怪しい、と思います。ふるさと創生事業というビジョンのもとに実際になにが行われているかといえば、パンの代わりにB級グルメを売りさばくだけの、コモディティ商売だったりします。あるいはクラフトビールや地酒など、エタノールの販路拡大、地元の農産物に大量の砂糖を混ぜたお菓子づくりだったりします。どれもこれも、ゆっくりと人を殺す産業でしかありません。 つまり、パンを食べられなくなった田舎者が、お菓子を食べることが、ふるさと創生事業と呼ばれているだけのことで、新自由主義の成れの果て、知性の貧しさこそ、貧困の呼び水です。考える力を奪われたものたちは、なんべんも騙され、なけなしのカネをかすめ取られ、パンのかわりに砂糖とエタノールで腹いっぱいになり、自宅で死んでいく。スーガーに乗っ取られた総務省による、おらが町の死亡ステーションが、日本の隅々に行き渡っています。本当によかったですね。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-09-11 21:00:23

ゆるキャラ、B級グルメの終わり

徒手空拳日記 2021年9月10日金曜日 総務省のふるさと創生事業とか、本当に気持ち悪いですね。総務官僚って独特の不遜さがあります。スーガーに牛耳られるくらいなので、基本的には無能だと思いますが、矢鱈と田舎を小馬鹿にする田舎者、チャンスがあれば政治屋になりたがっているような、バカと暇人の集まりです。 田舎のことを地域って呼ぶのも、気持ち悪いですね。ふるさとも偽善的です。都市部の反対ですから、田舎で良くないですか? 田舎を田舎と呼んでは失礼みたいな忖度のうしろには、都市が上にある、都市こそ素晴らしいというステレオタイプがありますが、都市こそ素晴らしいという前提が壊れているのだから、田舎のことを地域とか、ふるさととか言いかえることそのものが、差別的ではないかと思います。 伊勢志摩のほうに、おっさんハウスという、山奥ニート的なシェアハウスがはじまって、そこはおっさんが家賃無料、月々2万円くらいの生活費で暮らせることを目指しているようなのですが、私が注目するのはこういった、都市と田舎をフラットにしていく、ビジネスではない取り組みです。 ゆるキャラとか、B級グルメは、SNSでいいねがたくさん集まって、話題になるとか、地方紙や地方放送局に取り上げられて、そのうちキー局の夕方のクソニュースで取り上げられるとか、発想の前提が、貧しくてさもしいものです。B級グルメが結果として田舎にもたらしたものとは、要するにプアファット、安くてカロリーの高いものを、ひたすら大量に売りさばくという、デフレスパイラルでしかありません。 小銭をかき集めて、大量の油と炭水化物のごみ食品を売りさばくだけの、なんの希望もない、新自由主義の成れの果てです。そんなコモディティのレイバーワークのことを、ふるさと創生事業と呼び替えている欺瞞に、吐き気がします。 まったくカネのかからない田舎暮らしとか、カネではない価値交換とか、田舎ではいっさい稼がずに、田舎に住んでいながら、都市からカネを吸い上げるみたいなことを、私は目指します。 つまり、マスをターゲットにした、中抜き大魔王、タケ平蔵や、スーガー的な新自由主義コモディティビジネスを、私はいっさいやらない、ということです。 ほぼ40年続いた、都市と記号の新自由主義時代はこれから必ず終わると思うので、これからやるべきは、マスメディアが喜ばないようなアジェンダです。政財官学マスメディアからするとまったく価値がわからないことこそ、競争優位となります。 優れた戦略には、バカな、と、なるほど、がセットになっています。なるほどしかわからない朱子学カルトが首を傾げればかしげるほど、面白いことである確率は高いのです。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-09-10 21:00:51

街もオフィスも死亡ステーション

徒手空拳日記 2021年9月9日木曜日 昨日散歩がてら、とある街なかを歩いていたら、大通りの道端でリュックサックを背負ったまんま、スマホをおっこどして、うつ伏せで倒れている人を見つけました。これはもしかするとコロナかなと思ったので、接近はせず距離をたもって観察して、声をかけても応答がないので、速攻で119番しました。 最近の119番は、こちらの位置情報が、あっちにすぐわかるんですね。居場所を伝えて5分くらいで救急車がやってきました。コロナ防御バッチリの隊員さんが、倒れている人に声掛けをして、ゆすったりしてみたらようやっと反応しました。 その行き倒れ男は、結果的には泥酔していたようです。夕方に外で泥酔して寝込んでしまう、それだけでハイ、一発アルコール依存症ですね。コロナで倒れているのか、酔って寝ているのか、区別がつきません。 いまやあらゆる行き倒れについて、コロナを疑わなければならない、改めて、この疑心暗鬼は深刻だなと思い知らされました。例えば、医者にしてみれば、怪我をした人とか、おなかが痛い人とか、病院に駆け込んでくるすべての人について、コロナを疑わなくちゃならない、そんな世の中です。 東京では、30代の男性が、職場で倒れているのを出勤してきた同僚が見つけて、救急搬送されて、その際の検査で感染していることが確認されましたが、その日のうちに死亡とか、40代の男性が、ビルの出入り口付近で倒れているのを通行人が見つけ、救急搬送されましたが、搬送先で死亡が確認されるなど、昨年武漢や香港で見られた現象が、いまさらながらあちこちで起きています。 埼玉や千葉でも、自宅に放置されたまま死んでいるのが見つかったりしてますが、もはや自宅だけでなくオフィスまでも、街の死亡ステーションとなってきました。こうなると、倒れている人を見たらもれなく119番となり、救急車が足りなくなるわけで、麻生太郎のコロナ収束宣言が、寝言であることは、ひとりひとりのコロナ死者の死に様をみれば、はっきりします。 こういった疑心暗鬼を裏付けるのが、死者数が過去の水準から予測される死者数をどれだけ上回っているかを示す「超過死亡」のデータで、厚労省によると、1月から5月について今年は、5076人から2万4300人の幅で多くなり、これは2017年以降最大の規模です。この数値はまだ今年の5月までしかないので、その後も含めてどうなのかはわかりませんが、弱っている人や、困ってる人を見たら、コロナを疑わなくちゃならない、という嫌な時代であることは間違いありません。そんな日本に誰がした? 政治が悪い? ハイそれは私たちが悪いわけで、自らの招いたディストピアです。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-09-09 21:00:07

地方創生バブルはもうすぐ終わる

徒手空拳日記 2021年9月8日水曜日 家の網戸にとまってるトンボが、シオカラトンボとか赤とんぼじゃなく、フルスペックのオニヤンマなのが、田舎クオリティです。ムカデもゲジゲジも、すっかりなれました。 いちばん嫌なのは、やはりモスキートで、夏はとてつもない数の藪蚊が出るんじゃないかと、おののいてましたけど、大したことなくて肩透かしを喰らいました。でも、マダニはすでに、このあたりにもいそうなので、外を歩くときは長袖、長ズボンが必須です。 ロシア製のモルジュというテントサウナを買おうかどうか、検討中です。薪ストーブと断熱テントで、18万円弱、本格的なサウナをつくるよりは全然安いですが、それならいっそのこと、自分でサウナ小屋つくったろうかとも思います。 地方に移住してみると、なんだかそれをビジネストレンドのように考えていて、地方創生事業みたいなことを考えているアホに時々出くわしますけど、そんなに金儲けしたいのなら、東京に行ったほうがいいよって思います。創生とか、共に創るで共創とか、人が財産だから人財とか、不気味な言葉遣いをしてくる人をシャットアウトしています。最近の言葉遣いでかなり不気味なのは、基礎疾患で、コロナで人が死ぬと、基礎疾患の有無を知りたがる人が多い、そのことが気持ち悪いですね。 地方創生と言いながら、やってることは、しょぼいクラウドファンディング、みたいなアホどもを尻目に、自分のやりたいことには、自分の時間とカネを使う、リスクも成果も独り占め、つまりオウンドファンディングで、やっていこうと思います。彼らが必死こいてやってるクラウドファンディングとは、変形した通信販売でしかなく、その割には寄付者が支援者面してくるので、なーんにもいいことありません。 地方創生と言いながら、これは単なる土地バブルです。じゃぶじゃぶの金融緩和が、地方に溶け出している、それだけのことであって、バブルがはじけたら一気に、地方銀行が潰れるし、その前に大量の貸し剥がしが起きるのではないかと思います。コロナ禍で弱った地方経済が、盛り返すことはないと思います。平成バブルのあとの、試される大地、北海道みたいな状況になります。 私の場合は、地方で事業をやるのではなく、逆にしょうもない事業なしで生きるために、地方に来ています。ゆめゆめ、ふるさと創生とか、スーパーシティ構想とか、これから10年単位で沈んでいく日本では、からまわりどころか単なる空手形になるでしょう。経済が悪くなれば、地方は真っ先に切り捨てられます。その切り捨てられた土地でのうのうと生きていく、そこに面白みがあるんです。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-09-08 21:00:04

果糖ブドウ糖液糖のような無料コンテンツ

徒手空拳日記 2021年9月7日火曜日 スーガーが退陣を表明する、9月3日のその日の朝には、退陣が近いなって、私もわかってましたので、Discordのもくもくの雑談コミュニティにも、3日の朝に、スーガーの退陣迫るワラワラワラって書き込みましたけど、もちろん私がチェックしているビークルは、ごくごく普通のものばかりです。有料のものは一切読みません。まあ、無料でもレイシストステーション、DHCテレビなんかも観ませんけどね。 おちょこのなかの、すでにゆであがってるゆでガエルどうしの争いでしかない、政局なんぞはことごとくスルー、これあるのみかなと思います。とにかく、下々がやらないと、敵が嫌がることを、徹底的にやらない、これが大切です。政局に注目しないと、政財官学マスメディアはすごく嫌がりますので、効果てきめんです。 サッカーのワールドカップが、いよいよ放映権料が高くなり過ぎて、日本の産業廃棄物でしかない地上波テレビ局が、ついにアウェイの日本戦を放映できなくなったようで、放映権料が高くなったというよりは、日本が貧しくなったということで、これからどんどんと、ダゾーンでしか見られなくなるスポーツコンテンツが増えるだろうなと思います。 国威発揚を誘うスポーツコンテンツを観ないというのも、手間のかからないサボタージュです。経済戦争を誘うビジネスコンテンツも、観ないだけで簡単サボタージュです。カンブリア宮殿とかガイアの夜明けなんかは、単なるパブリシティでしかないし、観るだけ時間の無駄です。概ね、一見するとためになるようなコンテンツが有害です。どうせ無料の地上波見るんだから、勉強になるものを観ようと思ってしまう時点で、敵の術中にはまっています。 この秋は、政局バカをスルーして、Netflixとかアマプラの、シーズンやエピソードのなるべく多い、しかも最後まで面白く見られるコンテンツをちんたらと見ていくのがおすすめですね。Netflixならブレイキング・バッド、ホームランドあたりは、脚本が鉄板です。アマプラなら、ディス・イズ・アスがおすすめです。映画という表現は、Netflixのない時代につくられたパッケージ、フォーマットでしかないので、これからはアマプラやネトフリの超面白い連ドラが、エンタテインメントのメインゾーンになるでしょう。 エタノールやソーシャルメディアに時間を盗まれるくらいなら、サブスクの連ドラでも観てたほうが健康にいいと思います。地上波の政局報道とか、You Tubeにも溶け出してくるので、みつけたらひとつひとつ、興味なしを押して、消しています。政財官学マスメディア関連コンテンツを丸々っと、コードカッティングしてしまいましょう。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-09-07 21:02:33

おんな安倍晋三という朱子学カルト屋さん

徒手空拳日記 2021年9月6日月曜日 テレビメディアそのものが、ほぼほぼ産業廃棄物なのに、MXテレビとか、BSTBSとか、どうやって生き延びているのかよくわかりません。吉田類の酒場放浪記と、おんな酒場放浪記がツイの関係だとすれば、経産省の下部組織としての清和会イチオシの総裁候補、たかいち早苗は、要するにおんな安倍晋三ですけど、そのおんな安倍晋三、たかいち早苗ミクスが主催する、絆を紡ぐ会という日本会議婦人部は、家族の絆を守るとか言ってて、ちゃんちゃらおかしいなと思います。 家畜が逃げたり、誰かに横取りされないように、家に繋ぎ止めておく紐のことを、絆って呼ぶのですが、絆を紡ぐっていうことは、ある種の人身売買です。技能実習生の家族はバラバラにしておいて、日本人の絆だけを過大評価する発想そのものが、頭のおかしなカルトでしかありません。 東日本大震災のあと、大量に名づけられたキズナちゃんも、はやいもんでそろそろ小学校6年生になりますが、コロナでほとんど2年近くまともな学校生活が送れてないわけで、彼女らが国語辞典や漢和辞典で、キズナの意味を調べたとき、キズナとは動物などを繋ぎ止めておく綱と知ったときの衝撃は、どんなもんなのだろうと思います。 経産省の下部組織としての清和会が、さらに5年、10年と失いかけた権力を取り戻そうとして、できることは何でもやる、みたいなことの出口戦略が、森喜朗の橋本聖子、安倍晋三の高市早苗だとすると、自民党もその支持層も、頭に虫が湧いているんだろうなと思います。 ヤフーニュースとか、ラインニュースの、タガの外れた頭の悪さを動画にしたのが、アベマニュースだと思いますけど、おんな森喜朗のあとは、おんな安倍晋三のメディアジャックとか、なんなのかなって思います。まあ、たった一年でスーガーよりもさらに評価を下げたのは、なんだかんだ言っても小泉進次郎だと思います。科学的な環境負荷からみて、文字通りさざなみでしかない買い物袋を鬼の首を取ったように有料化したことと、引きずり降ろされたスーガーを、いきなりオヤジと呼んで、涙を流しながら人情味をアッピールしたことは、ドン引きのバカ丸出し、関東学院大学卒業、英語も話せないジャパンハンドラーのコマンドキーだろうなと思います。 芸術家や小説家など、家がつく職業はふつう才覚でやる仕事なので1代限りの仕事ですが、鰻屋や蕎麦屋など、屋のつく仕事は家業として代々続いていく仕事なのだとしたら、世襲だらけの政治家は、もはや政治屋という呼び方に変更しなくてはならないと思いますが、政治屋だけでなく、サラリー屋さん、役人屋さん、学者屋さん、ブン屋さん、どいつもこいつも丸々っと、政財官学マスメディアは、朱子学カルト屋さんです。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-09-06 21:00:47

家風呂で温泉の日曜日

徒手空拳日記 2021年9月5日日曜日 男女の垣根がなくなるように、障害者とそれ以外の垣根もなくなるわけで、オリンピックに統一して、3週間くらいで丸っと、アテネかパリに固定してやれよって思います。 日本のオリパラとか、ふるさと納税って、クローニー封建主義朱子学カルトの、血の矢鱈と濃ゆいお友達が、中抜きするためのおためごかしな目くらまし、単なるスポーツウォッシング、あるいはネット通販ウォッシングではないかと思います。 人からいただく感動や、オトクな訳ありによる、ねこだましに過ぎないと思います。そのオリパラが今日でようやっと終わるとのことで、閉会を待てずに政権を投げ出すぐらいなら、最初からやるなよって思いますし、首都高のロードプライシングとか、発狂の人流規制も終わります。 終わったことは水に流すのが、日本流と言われていますけど、今回のオリパラは、終わる前から跡形もなく流されている、そんな気もします。盛り上がっているのは政財官学マスメディアの、うちわだけでした。 お子さまのおまるのような産業廃棄物でしかない、国立競技場も、早くもお役御免、レガシーとは遺産のことです。私としては、今日の日は単なる日曜日、家の風呂に温泉の湯をためて、長風呂に浸かります。 いまの家は井戸水を生活用水として使っていますが、アマゾンで買い求めた井戸水検査キットで水質をチェックしました。生活排水の混入や、有機汚染物質は認められず、生活用水に使っても問題なさそうです。飲み水は、コストコで買ってます。井戸水は無料なので水道は引いていません。飲用水はローリングストック、備蓄しながら買い足しています。 エタノールは手と指の消毒にしか使わずに、飲んだりしません。コストコに行くと、飲むエタノールはよりどりみどりしかも売り場は広いです。 水と炭酸を月に一回、バクガイするついでに、玉ねぎ5キロで798円は安いな、なんてウィンドウならぬコストコ倉庫ショッピングしています。 ロシアの薪ストーブ式のテントサウナでも買って、庭でサウナして、カレー食って生きていきたいなんて思います。私の場合、水風呂が要らないので、外気浴さえできればテントサウナで全然いいなと思います。サウナの唯一の欠点は、知らない人と接近することなので、土日は家のテントサウナで丸っと独りサウナ、終わったら自分で仕込んだカレーを食って寝る、これが最高ではないかと思う次第です。 飴色玉ねぎを、部分的にでも太陽熱調理でつくれないかなとか、薪ストーブサウナの予熱で、カレーをつくれたらいいなとか、とりとめのないことばかり考えています。間違っても、それをビジネスにしようなんて考えずに、おのれがやりたいことだけを、独りでちんたらとやっていくつもりです。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-09-06 20:25:54

残滓による茶番劇をスルー

徒手空拳日記 2021年9月4日土曜日 河野太郎のワクチン政策って、最悪ですよね。ファイザーの言われるがまんま、都合の悪いことは内緒にして、自民党の支持基盤であるところの、老人と地方自治体のクビ長を優先させ、さらに職域接種という、政財官学マスメディアへのショットを優先させるという、ワクチンの差配を権力維持、選挙買収に利用したという意味で、本当に最悪だったと思います。ナチスもびっくりです。まあ、私はあんなものをありがたがって打つ気は、まるでありませんが。 満洲国2.0の、しょぼいシンガリ戦でしかないのに、なにが政局だよ、って思いますね。残滓、カスしか残っていません。みな顔つきの卑しい、煮詰まったネポティズムの、単なる小競り合いです。ジャパンハンドラーの手駒でしかない、英語バカ、手当り次第にSNSをブロックするしか能のない河野太郎が自民党総裁候補とか、なんの猿芝居だよって思います。 日本人は、南アフリカのアパルトヘイトにおける、名誉白人でしたけど、高市早苗や野田聖子は、朱子学カルトにおける、名誉男性です。多様性の意味がわかっていません。私なんぞは、マスメディアを電波ごとぶった切っているので、政局情報も、丸で入ってこなくて快適です。オリンピックも政局も、テレビがないとぜんぜん入ってきません。 オリンピックの開催期間中に棄てられたお弁当は、13万食とのことですけど、そんなわけねーだろって思います。もともと8万人くらいいたボランティアですけど、無能な事務方の発注は、おそらく国内観客ありきの前提でかけてるわけで、ボランティアが辞退で減ったとしても5万人に2食、18日間とすると、180万食くらいは発注されてるわけで、13万食棄てたなんて数字は、ぜんぜん少なすぎると思います。 頭のおかしな政財官学マスメディアによる、大量の食品廃棄が行われている一方で、地方の無人販売所では、防犯カメラなんてお構いなしで、窃盗が出まくりです。少し前までは防犯カメラが抑止力になっていたのが、もはやなっておらず、無敵の人が明日生きるメシのために、矢鱈としょぼい軽犯罪をするような国になってきました。 政治屋も終わり、サラリーマンも終わり、役人も終わり、学者も終わり、マスメディアも終わりです。はい、朱子学カルトの終わりです。明かりが見えてきたと言ったばかりのスーガーが、政権を投げ捨てるような終わりの始まりです。アフガニスタンの関係者まるごと置き去りについて、今回のオペレーションの最大の目標は日本人の保護だ。その意味では良かったと思っていると言ってのけた秋田のプーチン、失語のサイコパスは、総理大臣から引きずり降ろされますが、下々の私には、戸締まり用心、火の用心くらいしか、できることはありませんね。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-09-04 21:00:08

自宅は街の死亡ステーション

徒手空拳日記 2021年9月3日金曜日 敗戦後最長政権でも、アメリカの大統領任期8年は続けられない、それが米軍の一部となっている敗戦後の日本であって、アヘスカ政権の終わりとは、ある種のレジームチェンジとなるかもしれません。私からすれば何はさておきとりあえず、しょうもない中抜きクソ通販、ふるさと納税は終わってほしいなと思っています。このクソ通販、スキルのない地方公務員が通販やって、貧しくなった中間層が、たいして価値のないネット通販で、租税回避をするという、どこからみても卑しさとさもしさしかない、クソ通販です。 一見、中間層はふるさと納税やるとトクしているかのように錯覚させていますが、住民税をとりっぱぐれた都市部の自治体は、結局のところ別口で増税するだけであって、結局は、しょぼい地方産品をつかまされて、踊らされている納税者が、回り回って割りを食っています。 リーマンショックから10年で、ものすごく貧しくなった日本の中間層は、これからもどんどん貧しくなると思いますが、そろそろ己の心の貧しさに、気づく頃かなと思います。ふるさと納税でビールやおコメをゲット! とか喜んでいたら、コロナになって自宅に捨て置かれたまんま死ぼんぬ、これが没落中間層の現実です。 コンビニおにぎりがどんどん小さくなっていく、とか、給料がどんどん減らされていく、とか、そういった緩慢な破綻を見えないようにするトリックとしての、ふるさと納税です。ナチスもびっくり、超絶レイシズム企業DHCがつくるエセの地ビールを、ふるさと納税の返礼品にしていた地方自治体とか、しれっと引っ込めてますけど、そいつらもDHCと同類です。 ふるさと納税で中抜きしまくっている楽天なぞも、ナインイレブンからはじまった、個人の位置情報データを手に入れたいその一心で、携帯電話事業に参入しましたけど、楽天のサーバーに個人情報を一切残さないことが、誰にも簡単にできるプライバシーの基本のき、だったりします。まあ、楽天が思いえがくようなデジタルマーケティングはもうすでに周回遅れなので、これから10年後には、この会社もこの世に存在してないかもしれません。 リーマンショックから20年後の2031年には、敗戦日本で当り前だったブランドが、あるのかないのかわからなくなると思います。電通なんかも、ダイエーみたいになると思います。潰れるのではなく粉々に分解されて、浮世の澱に沈みます。日本郵便なんかも、丸の内のキッテとか、いまはかたちをたもっていますが、2031年には日本人のプロパティではなくなっているかもしれません。 私がみなさんに強くすすめているのは、政財官学マスメディアからのトンズラです。国から無視される、捨てられる低い身分になりましょう。政財官学マスメディアのために、いくら元気に明るく頑張ったって、自宅で息ができないまんま、見殺しです。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-09-03 21:00:57

政財官学マスメディアを排除した生活

徒手空拳日記 2021年9月2日木曜日 会社を辞めて朱子学カルトから、自由の身になってから、逆にわざと9時から12時までは机に向かって何らかのアウトプットをするようにしたところ、いろんなことがはかどるようになりました。とにかく机に向かうとは言いながら、椅子に座ることはしません。スタンディングデスクです。 入力手段も、8割は音声入力でやっています。フットペダルでGoogle ドキュメントの音声入力をオンにしたり、句読点を入力できて超便利です。メールの文章作成はほとんどキーボードを使わなくなりました。オフィスソフトも、Microsoft から Googleにどんどん移し替えています。特にGoogleスライドを、よく使うようになりました。 東京とはもっぱら、リモート会議で繋がります。取り立ててなんの不自由も感じません。関東一円に緊急事態宣言が広がっているので、好きなサウナも行かれませんが、もともと夏の暑い時期はサウナに行かず、外の気温が下がってきてから水風呂ではなく、外気浴で体温を下げるサウナが好きなので、外が寒くなる頃には緊急事態宣言などが解除されてほしいなと思っています。 地方に住むと物価が安くて、地元密着のおいしいお弁当屋さんなども、都心部の値段の7掛けぐらいでしょうか。サービスでご飯が超大盛りになったりするので、ごはんは半分食べて残りは冷凍します。クルマのなかにサランラップやジップロックを置くようになりました。 元々周りからはしきりに、そんなライフスタイルで生きてて楽しい? って聴かれるくらいの世捨て人ライフスタイルなので、地方に来ても全然ストレスを感じません。 むしろサラリーマンの頃、会いたくもない人間と会ったり、食べたくもないものを食べたり、したくもない仕事をしたりする時間がほぼ完全になくなったので、ストレスフリーになりました。エタノールもメディアも要らない生活は、控えめに言ってもやさしい生活です。 移住してからまったく食べなくなった食べ物は、なんと言ってもコンビニおにぎりや、ファミチキのような揚げ物ですね。マクドナルドやスターバックスも、近所にないので行かなくなりました。つまりチェーン店に、ほとんど行かなくなりました。 外食も、やってるかやってないかも分からないし、かったるいのでほとんど行かなくなって、自宅で鶏がらスープベースの飴色玉ねぎカレーを内製するようになりました。 仕事も生活も、朱子学カルトのいっちょかみを少なくしてみるとスッキリ爽快、困ることも何もなく、これからも政財官学マスメディアが間に入ってこないよう、厳しく徹底的に排除していきたいなと思います。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-09-02 21:00:30

911からもうすぐ20年

徒手空拳日記 2021年9月1日水曜日 ナインイレブンからもうすぐ丸々っと20年ですが、テロとの戦いという正義によって、あらゆる通信が傍受されて、どこにいるかもバレてしまう時代になりました。港区で硫酸をかけて逃げても、沖縄まで完全に追跡できちゃうわけで、こういった技術をコロナ禍の感染拡大防止に使うこともできますし、マーケティングに使うこともできます。なんとかとハサミは使いよう、日本人は20年たってもデジタルをうまく使いこなせません。 世界史に、もし2001年のナインイレブンがなかったら、インターネットの使われ方は違っていたかもしれないなどと思ったりします。私はできるだけディスコネクテッドになり、追跡されたくないと思っていますが、それよりも大切なのは、追跡される価値のない人間になることだなと思っています。 価値がなければ追跡されない、政治や経済から遠く離れて、権力者からも、資本家からも目をつけられないことが何よりも大切だろうと思います。有名になりたいと思わなければ、ソーシャルメディアなんてやってもしかたないし、酒を飲む理由もありません。 フランシス・フクヤマは、アメリカの覇権の最盛期は、1989年のベルリンの壁崩壊から、金融危機あたりまでの20年ジャクだった、と言ってますが、米軍も、その私財である日本も、これからますます、壮絶なシンガリ戦を迎えることとなります。古今東西、最も危険な戦いがシンガリ戦です。 まあ、日本の場合は、シンガリ戦なんてまともにできないで、政財官学マスメディアの偉い人から我先にトンズラするだけの、血も涙もない冷血が、朱子学カルトのスタンダードです。日本国アフガニスタン大使の岡田隆は、カブール陥落の3日前には部下を残して国外トンズラ完了していたわけで、その部下たちも現地で働いていた民間人を、丸っと置き去りにしてしまいました。 ナインイレヴンによって始まった、世界中のトランザクションを全部監視して、追跡して、殺したり、マネタイズしたりすることが、いわゆるデジタルだと思いますけど、今日発足したデジタル庁って、なんなんですか? 遅い、疎い、頭のおかしい朱子学カルトがデジタルトランスフォーメーションするって、なんなのかなって思います。 エタノールをやめて、マスメディアをやめて、ソーシャルメディアをやめて、あとは国民をやめれば完成かなと思います。国民をやめるとは要するに、納税をやめることで、納税をやめるためには、お金を稼がないことです。お金を稼がなければ、追跡されない。しょうもないシンガリ戦に巻き込まれることもなくなります。良かったですね。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-09-01 21:00:58

満洲国でもアフガンでも東京でも置き去り

徒手空拳日記 2021年8月31日火曜日 本末転倒で頚椎を損傷して、全身が麻痺しているのに、意識だけははっきりしているような、8月が終わってしまいます。日本でも、アフガニスタンでも、政財官学マスメディアという朱子学カルトの高官以外は、置き去りの満洲国2.0です。 今月もまた、単なる永遠のマスク着用月間の引き伸ばし、緊急事態宣言の続く、なんの楽しいこともない、自粛というお願いベースにいるだけの、惰性のようなひと月でした。 では、明日から始まる9月は良くなるかというと、そんなこともなく、果てしなく、色のない日々が続きそうです。日本全国で、うつ病やアルコール依存症が増えるのも無理なきかな、と思います。大人から子供まで、下々であればあるほど、自己責任、置き去りの毎日です。 アフガニスタンからは日本人の高官だけがイギリスに頼み込んでとっとと逃げてしまい、現地の大使館関連の民間人は、置き去りって、さすが満洲国2.0だなと思います。岸信介なんて、1944年には満洲からトンズラを完了していましたからね。安倍晋三の逃げ足の速さは、おじいちゃん譲りです。ロジスティクスは完全無能、高官の逃げ足だけは速い、それが満洲国クオリティーです。日本のマスメディアなんて、アフガニスタン情勢を、バンコクとかヨーロッパの安全地帯から偉そうに中継していて、政財官学マスメディア丸っと、転進という名のトンズラを完了しています。 日本国内にはいまも米軍基地が130箇所もあって、そのうち81箇所は米軍専用つまり治外法権であって、米軍大好きっ子の日本には永遠に駐在する気まんまんですけど、それは敗戦後の日本人が、「三十代になった時、シャネルのスーツが似合う雰囲気を、もった女性になりたい」って思っているからで、これは田中康夫の「なんとなく、クリスタル」からの引用ですけど、いったい誰がシャネルのスーツが似合う雰囲気を、もった女性になりたいと思っているかと言えば、政財官学マスメディアのおっさんどもです。 政財官学マスメディアのおっさんども以外は、もはやシャネルのスーツなんて要らん! と思ってますが、古臭くてアホなエスタブリッシュメントは、いまだに、シャネルのスーツが似合う雰囲気を、もった女性になりたい、と潜在的には思っています。 米軍というマッチョな父の庇護のもとで、シャネルのスーツが似合う雰囲気を、もった女性になりたいというビジョンこそ、敗戦国としての満洲国2.0の核となるビジョンであり、朱子学カルトはなぜ、オリンピックなぞに異常なエモーションを感じるかといえば、シャネルのスーツが似合う雰囲気を、もった女性になりたい、チンコを切られた宦官のような男が多いからです。 いま起きつつある国内の分断とは、シャネルのスーツが似合う雰囲気を、もった女性になりたいおっさんどもと、それ以外の分断だろうなと、私は思っています。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-08-31 21:00:27

人も言葉も死んでいく

徒手空拳日記 2021年8月30日月曜日 千葉で60代夫婦の夫が外で倒れて意識不明のまんま入院、その後コロナ感染で死亡、妻も自宅で三日後に死んでいるのを発見、って、ここは一年半前の武漢かよって思いますが、そんななかでも、感動押し売りのパラリンピック学校連携観戦という、朱子学カルトの日本語、どこまでも気持ち悪いですね。尊皇攘夷の成れの果て、米軍のラストサムライ走狗たちって、言語能力も不気味です。いまどき、連携なんていう単語って、政財官学マスメディアの遅い、疎い、頭のおかしな人しか使わない死語だと思います。連携って、単なる動員の言い換えです。撤退ではなく転進、全滅ではなく玉砕、敗戦ではなく終戦、連合国ではなく、国連。 ニュースステーションが始まったばかりの頃、ステーション・トゥー・ステーションという、系列地方局の報道部を生中継でつないでいくコーナーがあって、はじめは丸でうまくリレーできず、ボロボロになっていたのを覚えていますが、要するに連携とは、地方局のような、下部組織を動員することだと思います。学校もステーション、酸素ステーションもステーションです。 次から次へと、気持ちの悪いボキャブラリーを生み出していく、政財官学マスメディアのみなさんは、コロナでもんどり打って死ぬか、ワクチンの副反応で死ぬかは、君たち次第、どっちでもいいぞーって思います。ワクチンを打つか打たないかの2択ではなく、ワクチンを打たずに、政財官学マスメディア社会から田舎に逃げる、がいまの段階での正解ではないかと私は思っています。 一匹いたら百匹いるぞなどと言われるのはゴキブリですが、東京のコロナ感染者もいまそんな感じではないかと思います。今日は何人、先週と比べて増えた減った、昨日は何人とか、まるで意味なし、視界にたまたま入ってくるゴキブリを、カウントしているだけのことではないでしょうか。ゴキブリホイホイすら置いてない、ある種のゴキブリ天国だと思います。 学校連携観戦も、安全安心なしよ、となって、結局は変異株ウイルスがどんどん連携して、集団感染しちゃって、あちこちの学校連携がパタパタと取りやめになっていますけど、東京ニーマルニーマルのスローガンは、みんなの輝き、つなげていこう、でした。意味不明です。みんなの輝きも、つながりも、気持ち悪いですね。うんことゲロを混ぜたようなスローガンで、これぞまさしくステーションとステーションが連携しているんだな、というものです。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-08-30 21:00:07

子供の意味はヤングケアラー

徒手空拳日記 2021年8月29日日曜日 8月の終わりが近づくと子供の自殺が話題になる朱子学カルト、 今年の子供の自殺のペースは、既にコロナ禍だった去年の今頃をさらに上回る勢いのようで、 弱いものにだけ真っ先にしわ寄せがいく、朱子学カルト哲学を如実に表しています。 最近、ヤングケアラーという言葉が使われ始めていますが、日本語の子供って、そのまんま意味がヤングケアラーです。動物以下の大人達が子供を無秩序に作り、その子供に身の回りの世話をさせる。子供とは、子のお供、つまりヤングケアラーそのものです。 思考能力の完全に止まっている、子供を使い倒すような日本人に限って、日本に生まれて良かったなどという寝言をいまだに言いますが、 戦争に負けた国に生まれることはそもそもアンラッキーです。さらに無学でカネもなく、頭も悪い、毎日お酒ばかり飲んでいるようなダメ人間の子供に生まれた時点で、不幸が確定します。 不幸な環境で生まれても逆境をバネにして、成功している人もたくさんいるなんて言いますが、逆に言えば逆境によってほとほと生きる気力を失っている子供がたくさんいます。 私がオリンピックのことが嫌いなのは、ごく一部の成功者の成功ストーリーに、まるで価値を感じないからです。 SNS などもそのコンテンツのほとんどが、ごく一部の成功者からの一方的な情報です。 子供達は視野が狭いから死んでしまうのではないと思います。むしろ、己の人生を先々まで考えて、絶望して死ぬんだと思います。朱子学カルトなんて、あほらしくてやってられないわけです。 この世界は、環境に恵まれたごく一部の継承者と、それ以外の何も持たない人々から成立しています。 それ以外の炭素でできたただの肉袋なのに、あたかも高い確率のワンチャンがあると誤解させて、なけなしの金をさらに巻き上げさせる。そういった吸い上げシステムのことを、夢と呼びます。インターネットがない時代は、夢という宝くじのハズレがどれくらい膨大なものなのか誰もわかりませんでしたが、インターネットが空気のようになって、はずれくじを引いて、はいあんたはもう終了、 っていう事実がはっきりと見えるようになりました。10代の前半 くらいで既に、自分がはずれくじなのかどうかなんて、インターネットを普通に使っていれば、分かってしまいます。 徒手空拳日記で私は常に申し上げているのは、そもそもくじ引きなんてするな、です。 親が無力で無能でお金もないと分かったら、逃げてしまえばいいのです。絆というのは、 家畜をつなぎとめておくための紐のことです。 立身出世を目指して逃げるのではなく、ただ単に、親による搾取から逃れるために逃げるのです。そこら辺の犬や猫のように、ただ生きているだけで、いいんです。朱子学カルトの学校も、軍隊も、病院も、実はぜんぜん要りません。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-08-29 21:00:41

面着会議を忠誠心アピールに使う朱子学カルトモンスター

徒手空拳日記 2021年8月28日土曜日 部屋の55インチモニターに Chromebook をキャストして、音声入力で徒手空拳日記を書いています。 Chromebook のよいところは、 Chromecast とのスムーズな接続です。 YouTube も広告なしで大画面にキャストできます。 Microsoft の Word や Excel も Chromebook でほとんど使うことができますし、少し前なら Chromebook でできなかったことが、徐々になくなりつつあります。キーボードとマウスが一体化された Bluetooth 接続の入力デバイスを膝の上に乗せるだけで、くつろぎながら Chromebookが使えます。ルンバが毎日床をきれいにしてくれますし、様々なテクノロジーのおかげで、時間をぐっと有効に使えるようになりました。 こういったテクノロジーの進化によって、東京にいなければならない理由がほとんどなくなって、高速のインターネットさえ繋がれば、どこにいたって都市部に住んでいるのとほとんど変わらないライフスタイルが簡単に実現できます。可処分所得に対して、物価が安ければ、生活は楽になります。東京に住んでいると、可処分所得に対する家賃の比率がどうしても高くなるので、生活が苦しくなるのは当たり前です。 変異株の空気感染が進む東京に、いまもいなければならない合理的な理由はないのですが、それでもなお、東京にいるほうが朱子学カルト組織への忠誠心を示すことができます。 リモートで済むこともわざわざ face to face でやったほうが、その人の朱子学カルト社会への恭順さのアピールにつながります。 幕末の敵対する志士のように、face to faceの打ち合わせはいまや、命がけです。無駄な会議でも命がけであると忠誠心がアピールできる、ただそれだけのための face to face 、やってる感目的120%のミーティングがほとんどです。 スーガーは、リモートワークとテレビ会議の違いが結局全然わかっておらず、まずスーガー自身の、部下への忠誠心監視を解除しなければ、下々はひたすら空気感染のリスクを覚悟しながら、無駄な face to face の会議に付き合わなければならなくなります。偉い人が自宅から、リモート参加すべきです。みずほ銀行のシステムトラブルによる謝罪会見なども、謝るほうがリモートで謝ればいいのです。 face to faceじゃないと誠意がないとか、アホらしくてやってられないわけです。そうすれば記者も、リモートで参加できるし、リモートで浮いた移動時間を、質疑応答にあてることもできます。 まあ、朱子学カルトにとって、face to faceの打ち合わせは、命より大切な宗教儀礼行為なので、なくすわけにはいきません。そもそも業務効率化の一丁目一番地は、リモートであること、ではありません。非同期化です。みんなが一斉に同じことをやらなければいけない状態をなくすこと、コロナ禍が一年半も続いているのに、そんな当たり前の初歩すらわかっていない朱子学カルトが多すぎます。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-08-28 21:00:43

スイッチングコストよりステイングコスト

徒手空拳日記 2021年8月27日金曜日 半世紀も生きてると、ポツポツと同世代の知り合いの知り合いが、早死にしました、みたいな話が聞こえてきますが、それはまだ、あくまで、知り合いの知り合いぐらいの遠さなんですけど、コロナに罹った人については、知り合いのレベルになんにんか出てきました。さすがに死んでしまう人はまわりにはいないのですが、コロナになって10キロ痩せたとか、中等症にはならなかったけど、軽症とはとても言えないダメージ、などと話を聞きます。 東京では、知り合いレベルくらいにまで、コロナ禍は迫りくるというのが現状なのでしょう。私は疎開しちゃってますので、コロナになった噂はオンラインではいってきます。ワクチンに懐疑的だった比較的若い人たちが、空気が変わって付和雷同して、ワクチン打ちたいのに打てない、とかやたらとぶーたれ始めてますが、私に言わせれば、こういった激変期に一番割りを食うのは、現状維持バイアスから最後まで抜け出せない人で、そういった人たちは、ある日突然現状維持から逃げようとして、パニックに陥り、将棋倒しで死んでしまいます。 私の場合は、コロナ禍は立派な世界戦争なので、都市部にいるとろくなことがない、という認識と、ワクチンで解決できることより、都市部を捨てたほうが成果ははるかにでかい、という認識を早い段階から決めており、その認識に沿って、いまも疎開暮らしをしています。これまでの生活を、これからも変わらずに続けたいという現状維持バイアスは、ウイルスよりもおそろしい思い込みです。 戦争のどさくさ紛れにそれまでの人生を変えちゃうほうが楽しくないですか? 現状維持してぶーたれていると、アルコール依存症になります。平時には突飛に見える豹変も、いまならまあ、そんな人もいるよねで見過ごされます。そんなチャンスはいまだけで、そのうち元通りになるさ、というバイアスは、つまんないうえにリスキーです。 守旧派はほっとけばいいんです。彼らと対立する必要なんて、ありません。乱世はだいたい、内部が分断して、内乱によるつぶしあいが起きますが、分断したらどこかよそへ行けばいい、それだけです。スイッチングコストよりも、ステイングコストが上回る、それが有事の特徴です。 第二次世界大戦では、都市部の朱子学カルト社会にいつまでもいつづけることにこだわり、まだまだ大丈夫、大したことないって現状を維持していたら、米軍のとてつもない空爆にあいましたし、治安が悪くなったり、食糧難にもなりました。コロナ禍は第三次世界大戦なので、都市朱子学カルトの内乱に居続けていると、一方的に割を食います。変わりたくない人の群れにいると、ある日突然、とんでもない割を喰います。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-08-27 21:00:21

させていただくの帝国

徒手空拳日記 2021年8月26日木曜日 デジタル庁のトップを、ジョーから老女に切り替えました。日本のウルトラスーパーデジタルトランスフォーメーションまで、あと僅かです。世界が一変したにも関わらず、古臭い世界に、恋々としがみついている典型が、国会議員ではないかと思います。小選挙区制になってからは、公認をもらえないと、政治屋さんにもなれないので、政治屋も血筋がよほど良くなければ、ヒラメくんじゃないとえらくなれなくなりました。だから、自民党の当選回数の若い国会議員とかは、元気で明るく、ちょびっと元気ハツラツ、その癖とことん謙虚の朱子学カルト、コメツキバッタじゃないとだめなんです。オヤジ殺しではなく、完全にその逆、身も心もオヤジに殺されている人しか、政治屋さんにはなれません。 スーガーじゃあ俺たち、選挙負けるよなあと思っても、いまさらものなんて言えません。 このごに及んで反旗を翻すなんて選択肢は、コメツキバッタちゃんにはないんです。偉い人に、政治屋にさせていただいている訳なので、偉い人に楯突くこころがそもそもありません。彼らはただのロボトミー、単なるカルトです。政財官学マスメディア丸々っと、させお、させ子しか政財官学マスメディアにはいません。こいつらは毎日、何万回も、「させていただく」という、不気味な朱子学カルト日本語を話しています。 私も、今日は、ここからはすべて、させおとさせこの、させ語で話させていただきます。私は働かないことを肝に銘じさせていただいています。人生百年時代なんて、ナチスの、働けば自由になれると丸でおんなじ、単なるプロパガンダだと常々申し上げさせていただいております。 私がいつも、ゲボゲボと吐き気を感じさせていただいておりますのは、長いものに巻かれているだけなのに、妙に偉そうな若手のみなさんです。自民党に限らず、立憲民主党の小川淳也とか、絵にかいたような朱子学カルトで反吐が出させていただいております。総務省官僚やるより政治屋になったほうがおいしいから、政治屋になったのかもしれませんが、話している中身が薄っぺらいのに長すぎて、最初の5秒くらいしか聞き取れなくさせていただいています。 立憲民主党の政治屋さんはある意味で、自由民主党の政治屋さんよりも、醜いなと常々感じさせていただいております。投票は控えさせていただいて、政治からも経済からも、百歩我が身を引かせていただいております。スーガーでは選挙に勝てないのではなく、お前が選挙に勝てないんだよって、言わせていただきます。 朱子学カルトの政財官学マスメディアで最も醜いキャリアパスが、政治屋さんへの道だと、改めて気付かさせていただいております。吉本芸人になりたいとか、政治屋さんになりたいとか、しょうもないワナビーだと思い知らさせていただいています。最近はNetflixばかり見させていただいており、NHKとかGoogleは見ないようにさせていただいております。させお、させこのしょぼい満洲国2.0の崩壊を祈念しながら、今日の日記を終わらせていただきます。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-08-26 21:00:32

貧乏人はウインナー弁当を食え!

徒手空拳日記 2021年8月25日水曜日 ローソンが思いつきではじめた百均ローソンという業態は、当たり前ですが儲からなくて失敗しているみたいで、どんどん周りから消えてなくなっていますけど、ナチュラルローソンもクソみたいな品揃えだし、三菱って、本当にしょぼいなって思います。陸海空にとどまらず小売も何もかもまるでだめ、存在価値なしです。 その100円ローソンが、マンをじして投入したウインナーだけの弁当が人気とのことで、販売エリアを全国拡大とかニュースになってましたけど、こんなもの典型的なディマーケティングであって、これがいくら売れても、意味なし、仕方ないと思います。売るほうも買うほうも、単なる時間つぶし、なんの価値もありません。 ダイソーなんて、もはや百均じゃなく、売れるものなら百円縛りじゃなくても売るように変えてきています。マーケティングって、客単価を高めていく活動なので、216円のウインナー弁当を開発するのは、マーケティングと言えません。これが売れるぶん、他が売れなくなる。特に同じ価格帯の儲かる商品が売れなくなります。 安けりゃ売れるからどんどん安くしていく。材料をケチっただけでは安くならず、サイズをどんどん小さくしていきます。シュリンクフレーションは悪魔の引き算、勝者のない泥沼へとはまってしまいます。 サイゼリヤもどこがおいしいのかさっぱりわかりません。周りが泥酔客なうえに、何を食べても機内食の味なので、私にはなんの価値もありません。安くすれば客は来ますが、そうした客は安くなくなればいなくなります。 ウインナー弁当は、コンビニ弁当やファストフードと比べれば、安いかもしれませんが、自炊でつくれる216円のものと比べれば、うまくもなければ安くもありません。最近はコンビニおにぎりも高くて売れないので、ウインナー弁当は、一種の2個セット格安おにぎりとして売れているんだろうなと思います。私なんぞはコンビニも、外食も移住してからはほとんど利用しないので、毎月の食費はかなり安くなりました。 ウインナー弁当には、韓国の唐揚げビジネスを上回る哀しさがてんこ盛りです。まさしく1960年代の貧乏なお弁当に世の中が戻ってきました。泥の河に逆戻りです。最近の学校給食の貧しさも、度肝を抜かれます。金メダルをかじって総スカン、河村たかしの治める名古屋市にスペース、給食で、名古屋市の給食画像を検索してみてください。 ウインナー弁当は、実はもはや給食のスタンダードなのだと気づきます。段ボールベッド、ドップラー効果だけの救急車、馬用のエクモ、そういったハリボテの国としては、ウインナー弁当とは、まさしく国民弁当なんです。本当に、良かったですね。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-08-25 21:00:10

「やらないと敵が嫌がる」ことを徹底的にやらない

徒手空拳日記 2021年8月24日火曜日 コロナ禍への牛の涎のような見殺しが一年半も続いて、炭素でできた、塩水の肉袋が、息もできないまんま、自宅でもんどり打って死んでいきます。最近では、たらい回しの、そのたらいに乗ることもできないで、苦しみながら突然息を引き取るとか、犬猫よりもひどい死に様ですが、それ、米軍に書き換えられた日本国憲法違反だよねって思います。 静かに、しかし確かに、政財官学マスメディアの朱子学カルトへの下々の怨念は、募っていきます。それは暴動やデモではなく、匿名のサボタージュによって高まっていき、気がつけばとてつもないダメージを与えます。政財官学マスメディアの屋台骨を腐らしていく、サボタージュです。私の見立てでは、日本が三十年近く成長しないのは、人々の執拗なサボタージュによる、意図した結果です。 私がやっているサボタージュとは、サントリー、ストロングゼロのような悪魔のエタノールを全然飲まない、という、超絶地味なサボタージュです。エタノールからの自由とは、朱子学カルト社会への反社会的な活動です。飲まないことだけで、敵に嫌がられます。敵が嫌がることをやる、それ以上のウワテとは、敵が嫌がる「やらないこと」を徹底的にやらない、というものです。やることにはオン・オフがありますが、やらないことにはオフがないのです。つまりは、ガンディーやマーチン・ルーサー・キングの戦略ですね。 あるいは、新聞やテレビをいっさいスルーするという、ネグレクトもオンオフのない、敵の嫌がるサボタージュです。今年の24時間テレビも、気づけば終わってました。視聴率がどんどん下がっているみたいですが、そんなの当たり前です。政財官学マスメディアというバカ殿からの示達は無視する、無視するだけでクオリティー・オブ・ライフがぐんぐん上がる、ラクな割に果実が多い、それだけのことです。 働かない、というのもサボタージュとしては、かなり有効です。頑張って働くから、国税に徴税されるのです。頑張らなければ、いいんです。おもしろくない仕事続けるくらいなら、家族なんて捨てたほうがいい、それだけのことです。私が会社辞めるとき、羨ましい、私は家族があるから辞められないって、さんざん言われました。 この世の中は、どこへ行ってもカルト洗脳だらけ、システムにいいように奪われ、死んでいきます。家族を人質にとられて、一生奴隷として生きるなんて、江戸時代と丸で同じじゃないですか。価値のないものにしがみついて、動物以下の人生を送る必要なんて、全然ありません。頑張ったって、コロナで見殺し、この事実から世界観を改めて構築し直す必要があります。やらないと敵が嫌がることを、徹底してやらない。イエ制度をやらない、これもかなり効果的なサボタージュです。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-08-24 21:00:14

Googleさえ斜陽産業

徒手空拳日記 2021年8月23日月曜日 我が家のテレビは厳密に言うとテレビではなく、大型のモニターで、地上波もBSも受信できません。つまりNHKの受信料を合法的にびた一文も支払っていません。NHKが映り込まない日常は、思いのほか快適です。NHKのアナウンサーって、絵にかいたような朱子学カルトなので、目の前から消え失せてくれて、最高です。NHKスペシャルも、事なかれ主義がいきつくところまでいってしまい、もはや単なる7000億円という受信料をがっちり使い切るための放蕩企画でしかありません。 自宅のモニターには3つの入力系統があり、AmazonのFire TVと、Appleの有線ケーブルによるiPhoneモニター出力と、Chromecastがつながっています。Fire TVでYou Tubeを観ると、クソみたいな広告を強制的に見せられるので、Fire TVをネットフリックス以外、ほとんど使わなくなりました。You Tubeは、Chromecast経由で、広告をブロックするブラウザで観ています。You Tubeの広告は、最近どんどん5秒のものに変わっていて、地上波の15秒から3分の1の価値になってしまいました。もはやほとんどの人は、広告だと気づいた時点で、そのメッセージを拒絶しています。 You Tubeの5秒CMだけじゃなくて、楽天の検索連動型広告なども、広告で上位に来ているものには、PRのマークが入っているので、まともなITリテラシーのある人は、RPP広告で上位に表示されているものは、無視します。もっと言えば、Googleなどの検索によって誘導される情報そのものが、すべて鉤括弧付きの広告なので、人は少しずつ、検索そのものをしなくなっています。検索して、表示されたものを信じて買う、ということがなくなりました。Amazonなんかも、上位に表示されるものほど、巧妙かつ作為的なものである確率が増して、信用されなくなりました。 いま起きていることは、ありとあらゆる形式の広告スルーです。この10年は世界最大の広告会社はGoogleでしたけど、広告の寿命そのものがもう残りわずかなのです。 広告とは要するに、1対nの情報です。広告主やプラットフォーマーという、1から不特定多数の人々に発信するコンテンツそのものが、まったく信用されなくなりました。良かったですね。その人が信用している人からのおすすめにしか意味がなくなりました。You Tubeの5秒CMに出稿しても、無駄なんです。クリックされたら広告料を支払うモデルの広告も、そういった作為に反応してしまう人の質が高くないので、結局は完全に無駄な出費です。広い意味で、広告産業はすでに終わっています。残されているものは、過去の残像でしかありません、 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-08-23 21:00:43

ふるさと納税、終わりの始まり

徒手空拳日記 2021年8月22日日曜日 おこのぎ八郎56歳、世襲政治屋三代目、好きな食べ物はカレーパンとちくわフライ、一般的に三代目は国を滅ぼすなんて言いますが、こりゃまたなんと、国よりも先に自らを滅ぼす、自滅の選挙となりました。この人、国家公安委員会委員長を辞めて、わざわざ横浜市長に手を挙げたのに、なんとも意味不明なバンザイ、なしよ、ポテチンとなりました。 なりました、と断定口調で書いていますが、この原稿をおしゃべりしている時刻は、現在13時30分です。横浜市長選挙の投票率が、そこそこ高いということから、小此木さんの落選がほぼ確実だなと思って、勝手に断定している次第です。いまも横浜駅チカのタワマンから官邸まで、毎日かよっているスーガーの、今日は終わりの五合目くらいかなと思っています。 徒手空拳日記のポッドキャストは、だいたいいつも22時に自動でアップロードにしていますが、今夜のその頃には、菅義偉の思惑の完全崩壊が、確定しているといいなと思っています。さすがに一年半も、政財官学マスメディアによる不作為による、だらしのない感染の拡大が続いており、島国でこんな状態になっている政治責任は、完全に官邸の結果責任です。 国内のラムダ株の猛威が秋から冬だとすると、このまんまアベスカ自民党に任しておくと、来年の今頃もまだコロナ禍は終わっていないかもしれません。それはいい加減にして欲しいな、となると米軍が76年前に書き換えた、日本国憲法というネイションビルディングが、起動し始めます。 戦争とは、敵国の憲法を書き換えることなので、米軍によってすっかり書き換えられちゃってる日本国憲法が、いよいよむっくりと起き上がり、動き始めます。冷戦後の1993年、リーマンショック後の2009年、そしてこれから衆院選が行われる2021年は、敗戦後3度目の民主制の発動になるかもなと思います。 ガネーシャの会という、菅義偉派の腰巾着、坂井学官房副長官のクビも吹き飛んで、スーガーの総理大臣就任祝いにみんなでプレゼントした真っ青なスーツも、最近着ている様子が見られませんね。繰り返しになって恐縮ですが、まずは、ふるさと納税がなくなることを私は期待しています。 佐賀県の武雄市が、昨年末のふるさと納税の返礼品をほとんどいまだに届けられてなくて、15キロのさがびよりという米を、三千円では調達できないと泣きごとを言い始めており、ふるさと納税は、草の根からすでにぶっ壊れています。ガネーシャとはインドの商売の神様ですが、腹黒い中抜き商売が終わる、ふるさと納税のサドンデスは、清和会の終わりの始まりだと私は思っています。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-08-22 22:02:01

ネーミングによる猛毒

徒手空拳日記 2021年8月21日土曜日 たくさんの本が並べられた背景を、You Tuberが使うのは、自分が読書家だと思わせたいのだと思いますけど、優生思想のYouTuber、メンタリストDaigoという、私からすると全然読書家とは呼べない人のホームレスヘイト発言について、世の中の思考停止人間は異口同音に、最近の若者は、なぜこういったものの考え方をするようになったのか、などと訳知り顔で言いますけれど、私に言わせれば、このメンタリストDaigoの優生思想は、老若男女の朱子学カルト全体のかなり普遍的な思想だと思います。ネット社会とか世代の問題ではありません。 がんばり屋さんでない人は、死んだって仕方ない、そういったものの考え方は、生存バイアスと呼ばれます。いま生き残っている事実は、がんばり屋さんだった私のおかげ、という誤解です。生存バイアスとは、生存者が結果的に獲得しているバイアスなので、自分で自分を褒めてやりたいという心理を越えられる人はなかなかいないものです。 ホームレスになるのは、努力していないからだという強い思い込みを解除するのが、読書のチカラなのですが、メンタリストDaigoの読書は、巨人の肩に乗ることのできない、単なる朱子学カルトのエコーチェンバーなんだろうなと思います。 コロナで死んだ人に、既往症があったかどうかを、報道するマスメディアも、生存バイアスに囚われています。病気の人だから、コロナで死んでも仕方ない、というロジックを、無意識のうちに強化しており、これも立派な凡庸な悪です。コロナによる死者を既往症のありなしで区別することは、メンタリストDaigoの、努力してないホームレスには生きている価値がない、という考え方と通じるものがあります。 街のほっとステーション、ミュージックステーション、ニュースステーション、報道ステーション、酸素ステーション。ステーションという外来語が使われるものには、要注意です。あたかもなんか素敵な新しいものという印象ですが、政財官学マスメディアにおけるステーションとは、虚数のようなもので、実態のないものにつけられる記号です。政財官学マスメディアがステーションという言葉を使った何かを宣伝し始めたら、怪しいと思って間違いありません。 酸素ステーションというネーミングをいまさら広めようとしていますが、呼吸困難で息のできない人が、自力で探して、努力して行く場所のことです。 本当の機能は、単なる応急処置所ですよね。政財官学マスメディアが使おうとしているネーミングは、はなから疑ってかかる必要があります。今日になって、都内初の酸素ステーション、運用開始みたいな示達情報がマスメディアに溢れていますけど、政財官学マスメディアの言葉遣いそのものをおかしいなと考えられないと、命を落とすことになりかねません。この前も、大雨とコロナというふたつの災害に見舞われている日本、という言い方を、TBSのアナウンサーがしてましたが、その世界認識をしている時点で、この国のマスメディアは、有害であると思いますね。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-08-21 21:00:31

取り付け騒ぎに限りなく近い不安

徒手空拳日記 2021年8月20日金曜日 残りわずかの夏が、また戻ってきた20日、今日はいわゆる5の倍数、ごとう日の金曜日、給料日前ですが、またまたみずほ銀行の窓口送金が、パタッととまっているとのこと、メガバンクという呼び方も、そう呼んでほしい側の意図120%の名前で不気味ですが、みずほって、そろそろ業務停止命令出したほうがいいのでは? って思います。 まあ私などは、みずほフィナンシャルグループとはいっさいの関係を持っておりませんので、どうでもいいのですけど、みずほ、野村證券、楽天、トヨタ、東芝、アイリスオーヤマ、サントリーなどなど、私個人としては完全に出入り禁止にしている日の丸ブランドが多すぎて、嫌になってしまいます。コストコに行くと、クソな日の丸ブランドが中心にいなくて、そのことだけでぐぐっと好感度がアップしてしまいます。 みずほの偉い人たちは、いつシステムがまた止まるかビクビクしながら、24時間365日、ずっと黒ひげ危機一発をやっているようなものですが、がんクビ揃えて記者会見でひたすら、事故ではなく事象と言い続け、ベンダーさんと協力しながらを連呼しており、お給料いくらもらえるのか知りませんけど、こんな役回りアホらしくてやってられないなあ、と思います。 利用者のなかでも、特に中小事業者などにしてみれば、ごくごく普通の取引が、ある日突然止まって、気づいたら不履行になっている銀行なんて、怖くて使えないわけで、まあ、まともなアカウントから先に、どんどん減って行くのはさけられないよなと思います。デジタルトランスフォーメーションとか空念仏唱えてないで、1960年代くらいのそろばんと紙と鉛筆に戻したら? って思いますし、みずほって東日本大震災のあとには116万件の振込ができなかったわけで、これからもし有事の際には、みずほのアカウントから1円も引き出せない不安、それは端的には信用不安、ほとんど取り付け騒ぎみたいなものですけど、そういったものはある種の宿痾、死に至る病だと思ってしまいます。 私がそもそも思うのは、もはやみずほフィナンシャルグループなんて、社会にぜんぜん必要ないですよっていうことで、むしろこういった死病にかかった政財官学マスメディアが、ゾンビのごとく社会をさまよっていることが、この国の不幸だと思います。政財官学マスメディア、朱子学カルトの断末魔がこれからじわじわと、追い詰められていく、東京都では119番に助けを求めたコロナ患者の6割が病院に搬送されず、自宅に捨て置かれたまんまです。 自分のお金も動かせない、伝染病も治せない、原爆の日の追悼原稿もまともに読めないなどなど、満洲国2.0の劣化極まれりで、このあと5年の衰えの加速度は、想像を超えるものになると思いますけど、江戸時代の末期ってたぶんこんな激しいポンコツ化だったんだろうなと思います。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-08-20 21:00:51

思考停止の結果としての棄民6万人

徒手空拳日記 2021年8月19日木曜日 このところ、Netflixで、ホームランドという、9.11以後のアメリカのCIAを舞台にしたドラマを、ぼーっと見てるのですが、ドラマでえがかれるアフガニスタンの混乱と、いま起きている現実がかなり重なっていて、なんとも微妙な気持ちになります。 トランプにしろバイデンにしろ、アメリカが、世界の警察をやめるのは、武力よりもまず財力的に、もはや世界を支配できていないからで、お金に余裕がなければ第三国の再建なんて、アホらしくてやってられないわけです。米軍がまず撤退すべきは、76年も侵略しているこの日本であって、逆に言えばいつまでも米軍に飼いならされて、内弁慶に偉そうなツラをしている、政財官学マスメディアをそろそろ倒さないと、コロナにかかっても病院にも入れずに自宅でもんどり打って死ぬことになるわけです。 ドルに紐づいていた円も、気づけばもはや1970年くらいの力しかありません。これからどこかで、無尽蔵な金融緩和が止まったところで、ドルも円も、未曾有の奈落へと落ちていきます。 儲からないなら撤退する、という極めて単純な動機という意味では、日本の医者も米軍も完全に同じです。開業医とは、学歴エリートが医療点数という言わば言い値で、好きなだけ金儲けできるスキームでしかなく、コロナ患者に来られたら、その他の患者でお金儲けできない、だからコロナ感染者はお断り、それだけのことです。健康診断なんぞ、人々を健康にするというきれいごとで、常に病人を発見して、無限にカネを巻き上げるための、サプライチェーンであることは明らかですし、生活習慣病の人からは、自業自得なので、自己責任として自腹を切らせようとしてますし、早期発見というおためごかしの怪しいグレーゾーンの病状ほど、お金も儲かる上に、あたかも医療のお陰で治ったように見せられるので、患者にもありがたがられますが、果たして本当のところは、それは病気だったのかは、よくわからなかったりするものです。 一都三県で自宅放置されて、保健所からは食糧という名のカップ焼きそばが送られてくるコロナ患者は、すでに6万人を越えているみたいですが、こんな棄民政策のために重税を支払ってきた人々は、途方に暮れていることでしょう。6万人の棄民のうち、20%が重症化すると12000人が、医者もいないところで息ができない恐怖を味わい、仮に6万人の1%が自宅で死んでしまうとすると、600人が野垂れ死にすることになり、警察、医者、政治屋、官僚、マスメディアなどをおかみおかみとやたらと持ち上げ、やりたいようにやらせてきたツケが、突然、まわってきているんだろうなと思います。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-08-19 21:00:19

イデオロギーというウイルス

徒手空拳日記 2021年8月18日水曜日 人類は地球のがん細胞みたいなものですから、ウイルスというのは、がん細胞を攻撃する地球にとっての抗がん剤みたいなものかもなって思います。 さらに言えばイデオロギーというものも、一種のウイルスであって、人と人が殺し合うウイルスが、イデオロギーだと思います。猛威をふるったかと思えば、ある日を境に、パタッと消えたりして、過ぎ去ってみれば、あれはいったいなんだったのかすら、わからなくなります。スペイン風邪も、100年前ということもあって、過ぎ去ってからは科学的にもどんなウイルスだったのかすら、どうもはっきりしていないようです。 イデオロギーもまた、共産主義とかファシズムが、なぜに当時の人々を魅了して、あれほどまでにみなが取り憑かれたのか、いまとなっては丸でよくわからなかったりします。共産主義とかファシズムだけではなく、新自由主義なんかも、中曽根康弘の頃からいままでずっと、日本社会の中枢を感染させてきた厄介なイデオロギーですけど、私に言わせれば、新自由主義も連合赤軍も、しょうもないイデオロギー闘争という意味では、完全に同じだよなって思います。 私のような中高年は、物心ついた頃に、ちょうど家の近くにセブン-イレブンができたり、丸井のDCブランドブームがあったり、フジテレビの絶頂期があったりと、まさしく新自由主義の洗礼を浴び続けてきた世代です。いまとなってみれば、この半世紀近く私を支配してきたイデオロギーに、なんか意味があったかといえば、答えはパーフェクト・ナッシングです。 若い頃のあこがれは、何もかもが新自由主義という熱病による思い込みでしかなく、いまとなってはその無価値さにおののいてしまいます。懐かしむなんていう感情よりも、イデオロギーの持つその底なしの愚かさのほうが、どうしても先立ってしまいます。大学なんて単なるサラリーマン予備校でしたし、サラリーマンは単なる上九一色村のサティアンでした。 2013年からのアベスカ政治もまた、しょぼい日の丸新自由主義というイデオロギーの成れの果てでしかなく、終わるべくして終わるんだろうなと思います。これからやってくる終わりは、菅義偉という第99代内閣総理大臣のおしまいではなく、もう少しメタなものが倒れる予兆だろうなと思います。 個人的には、ブルガリの時計泥棒、高橋洋一のはじめたふるさと納税という、楽天とかヤフーが中抜するだけの、ファッキング通販の息の根が、とりあえず止まって欲しいです。こんなもん喜んでやってる中の上、お間抜けな中産階級は、トクしたつもりでじゃんじゃん増税されてしまえよって思います。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-08-18 21:02:15

そうした指摘はあたらない

徒手空拳日記 2021年8月17日火曜日 7月30日には、「今回の宣言が最後となるような覚悟で」などと、苦し紛れなのかバカなのか、偉そうに原稿を読んでそう言い放ちながら、ずるずるとただ事態を悪くしているだけではなく、そのことを記者という名の身内にちょっと詰られるだけですぐに逆上して、それはさきほど言いましたように、こうしたデルタ株のせいであって、そうした世界中みんなそうだとすれば、とにかくこうしたワクチン、そうした決め手これっきゃないとか、色をなしてオラツキながら抗弁してくる、スーガーもなんだか最近痩せこけた、たこ入道みたいになって、ますます正視に耐えないのですが、ついに私が疎開しているエリアにも、緊急事態宣言が拡げられることとなり、やたらと寒いお盆休みのあとは、コロナ禍であちこち閑古鳥、同心円状にスーガー政権への憤りが、日に日に増幅されていきます。良かったですね。 最近になって中抜きが増えているのではなく、朱子学カルトのつくった政財官学マスメディアという中央集権システムは、最初から中抜きするための装置です。武士が庄屋を使って年貢を吸い上げる構造が、農業にとどまることなく、工業や商業、スポーツやデジタルトランスフォーメーションなどなど、あらゆる執行に及んでいるだけのことです。 およそ10年前にスマホが広がりはじめて、それまでエリートがしれっとだんまりを決め込んできた中抜きが、隠蔽できなくなった、それだけのことです。勉強して、努力して、政財官学マスメディアのエリートになったのだから、国ぐるみの中抜きの構造でトクをする側の人間になって当然だ、という生存バイアスが、SNSの浸透によって完全に無効化されてしまいました。ざまあみさらせ、たくあんポリポリです。 ところで、大森やす子って誰ですか? 私にはさっぱりわかりませんけど、その人が立場の弱い人に向かって激昂している録音データが拡散されてしまって、みんなの知るところとなり、その人のブランドが傷付きながら、追い詰められています。 障子に目あり、クロード・チアリ、地球の至るところにはネットワーク化されたカメラやレコーダーが張り巡らされています。スーガーのように言質を取られないためにフガフガしか言わなくなるか、お立場ご身分を棄てるか、SNSから降りるか、あるいはその全部か、戦略や対策のない人はどこかで痛い目に遭います。 キチガイはキチガイであることがバレ、無能は無能であることがバレ、中抜きはそのえげつなさがバレ、ありとあらゆることが隠せない、そういったディストピアになりました。 こういった世知辛いいまだからこそ、有名になるとか、お金持ちになるなどという、しょうもない政財官学マスメディアの朱子学カルトゲームから降りることが、なによりも大切なのです。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-08-17 21:00:54

勝った勝ったと勘違い

徒手空拳日記 2021年8月16日月曜日 同志社大学が、ミスコンをやめたらしいですけど、まだやってたのかよって私は思います。文化祭もろとも、コロナ禍をきっかけに全部やめちゃいなよって思いますし、ルッキズムがダメってことは、偏差値エリートしか入学できない入試のシステムもおかしいよねって思います。ミスコンがだめなら、東大だって、入りたい人はみんな入れてやらないとだめですよね。 アングロサクソンや華僑の、徹底的な金儲け至上主義とはぜんぜん違って、日の丸政財官学マスメディア独特の、鉤括弧付きの新自由主義は、とにかく権力者に目をつけられたくない、怒られたくない、いじめられたくない、仲間はずれになりたくないという怯えが、お金よりもはるかに重視される、いわば同調の至上主義とでも呼ぶべき、くだらないことばかり目指すしょうもないものですけど、なんでそれがしょうもないかといえば、もはや仲間はずれになっても、べつに餓死したりしないし、むしろ朱子学カルトという傘の下にいると、とばっちりをくらう不利益のほうが、大きくなってしまっていると、私は思うからです。 朱子学カルトの思考法としてとことんキモいのは、大きな朱子学カルトグループの一員であれば、自分は特になんのスキルがなくても、口利きやフリーライドで、安穏と生きていけるという、ほとんど根拠のない楽観主義についてです。スキルを磨く努力と、長いものに巻かれる努力が、結果オーライのおんなじ努力として、カウントされてしまいます。 上からの理不尽な命令に耐えたとか、失敗の責任を取らされてどん底に落とされたみたいなことまで、努力にカウントされ、きれいごとだけではない世界を生き延びてきた人の世界観こそ正しいという、生存バイアスが徹底的に強化されていきます。 京都大学を出て三菱UFJ銀行に入社したから、そこをやめれば30代でも市長になれる、といった感覚が、典型的な朱子学カルト魂です。いやいや行政職員も、議員やったこともない人にいきなり市長なんてできませんよ、というまっとうな意見を封殺するのは、京大を出て三菱UFJ銀行に入ってる俺からすれば、市長なんてちょろいっすよ、という生存バイアスです。 政財官学マスメディアの内輪にはいれば、その内側にいるためのお追従や媚びへつらいだけで、権力ポイントがたまっていくような錯覚、お追従の屈辱を努力のようなものに美化して、俺は勝ち抜いたぜという虚しい幻覚だけを頼りに生きている朱子学カルトは、いまもまだたくさんいます。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-08-16 21:00:44

いきいき自主自律のために必要なこと

徒手空拳日記 2021年8月15日日曜日 制御不能な朱子学カルトのみなさん、こんにちは。政財官学マスメディアという一蓮托生でしかない、このクソな社会を良くするとか、劣化して腐った組織を良くすることからの完全撤退、新自由主義を徹底的に忌み嫌って、政財官学マスメディアデトックスを、ハイテク化されたど田舎の方丈ではじめています。私は、つながるとか、きずななどという言葉が反吐が出るほど好きではないので、つながらない、きずならない人生をめざしています。社会をよくするとか、組織をよくするのではなく、身の周りをよくする、そのためだけにテックの力を借りる。そういうライフスタイルです。 そのためにも、できるだけおカネの介在しない関係、ネットワークにしか興味がありません。朝日新聞の届かない朝、NHKと映らないお茶の間、電通のプロパガンダを完全スルーできるサイバー空間、そういったもので、身の回りを再構築しています。 動画メディアも、結局のところは、地上波だろうとYou Tubeだろうと、出力のインフラ部分をプラットフォーマーに握られてしまっている訳で、大前提としては、日の丸プラットフォーマー、あるいはGoogleとかTwitterみたいに、日本国内で合同会社化され、凡庸な悪としての政財官学マスメディアと共犯関係になっているようなプラットフォーマーは、もはや持続可能な装置ではありません。 今日の読み上げは、試しに使っている技術を、音読さんという有料のものにしていますが、Googleだろうと音読さんだろうと、いざ国内法人に、目をつけられれば利用停止とかになってしまうわけで、結局のところは知る人ぞ知る、限られた場所でひそひそと、おカネの、介在しないところでやるのが一番だなと思っています。 徒手空拳日記をポッドキャストに移したのも、ポッドキャストならば、プラットフォーマーそのものが、まだ政財官学マスメディアと距離があることと、テキストでGoogle検索されにくいこと、そして音声読み上げ技術ならば、私というデモグラフィックな属性や、キャラクターとは関係なく、テキストメディアに近い感覚で、届けられるかなと、考えているからです。 ハローユーチューブ、とか言って、炎上狙いの、優生思想まがいの公正世界仮説の奴隷となる、メンタリストDaigoとか、ホリエモンとか、ひろゆきとか、2010年代の再生回数乞食オールドスクールのようにはなりたくない、そう考えると、こういった音声読み上げによるポッドキャスト発信は、みんなももっと取り入れてもいいのではないかと思っています。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-08-15 21:00:45

夏の終りの市中まん延

徒手空拳日記 2021年8月14日土曜日 徒手空拳日記もひとつの、おしゃべり原稿ですけど、Googleの音声読み上げ技術はすばらしくて、絶対に読み飛ばしなんていう凡ミスをしません。ただし、私が原稿を誤って一部削除してしまったり、誤字や脱字があれば、Googleは絶対にアドリブで修正してくれません。そういう意味ではスーガーとは、Google音声読み上げ技術程度のものなんだなと思います。 スーガーは、原稿丸っと読み飛ばしの顛末を、ヘンな糊づけをした、官邸官僚のせいにしているところが、凡庸な悪としてのクソ内閣、少し早めの秋の気配とともに、いよいよ、ファイナル・カウントダウンが聞こえてきましたね。上に立つもの、昔だったら責任は俺が取る、ってやせ我慢するのがフツーでしたけど、手柄は全部俺様のもの、失敗したら事務方のせい、そんなクズしか政治屋さんにはいなくなりました。 スーガーいわく「己の政治責任を自己評価することは僭越」らしいので、みんなもっと、この無能なサイコパスのこと、はっきりと評価してやったらどうなの? と思います。サイコパスの前提には、知能の高さや、有能さがあるとすると、実はスーガーはサイコパスではない、となるのかなと思ったりしています。はれもの扱いパワハラおじいちゃん、単なる暴走老人で、むしろペラペラとよくしゃべる典型的なサイコパスは、森喜朗だよなと最近では思っています。 調べてみると東京都内に、エクモは200台くらいあって、いまはその半数ちょっとが稼働しているんですけど、救急車には乗れても、運ばれる病院をたらい回しにされるので、急患によっては5時間も救急車のなかにいたりするようで、そうなると救急車が足りないという事態となり、自宅で放置される人が増えるという、悪魔の悪循環に陥りつつあります。 都知事選や都議選で、小池百合子や都民ファーストの会を支持した都民が、感染しても自宅放棄されているのかと思うと、これは自業自得かなぁなどと思ってしまいます。小池百合子は、最近のデルタ株を、災害呼ばわりしていますが、いやいやこれは、1000%、政財官学マスメディアの不作為による、人災ですよね。「自分の身は自分で守れ」とか「帰省するな」とか言い始めている東京都は、万死に値する凡庸な悪です。 まあ私は、早々と見限って都民をやめてしまい、アフターコロナには、増税が必至の東京都民に戻る気も、サラサラないのですが、木下グループのやってる、無症状の人向けの自費検査では、7月上旬まで1.3%程度だった陽性率が、7月末には3%程度に跳ね上がったとのことで、東京に行くだけで感染しそうな感じですが、このままでは政権が持たないというよりも、巣ごもり需要以外の産業が持ちませんね。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-08-14 21:00:42

「なければつくる」の精神

徒手空拳日記 2021年8月13日金曜日 アマゾンでサイフォンを買いました。コーヒーは、パナソニックの豆をひくところから、抽出するまでが、全自動のコーヒーメーカーを使っていて、それがすこぶるラクなうえに、そこそこおいしいので、満足しています。ではなんで、サイフォンを買ったかといえば、サイフォンでおいしいスープを手軽につくるためです。かつお、こんぶ、しいたけ以外にも、鶏ガラなど動物系のだしをうまくサイフォンでつくれれば、気楽にスープカレーをつくれるかなと思っています。この辺は、出汁の原材料の宝庫でもあるので、スパイスと出汁のマリアージュを研究しようと思います。 東京を脱出して、特になにも困っていないのですが、しいて言えば、好きなカレー屋に行けないことが、不満といえば不満で、お店に行かれないのなら、家でつくってしまおうということです。毎日カレーでも、ぜんぜんOKの私にしてみれば、家でおいしいカレーが内製できれば、ますます東京にいなければならない理由がなくなります。シャープのホットクックは、飴色たまねぎをほぼ全自動で大量につくれたり、鶏ガラスープも、75度の低温調理でつくれたりするので、それらの下ごしらえアウトプットと、スパイスと、サイフォン出汁をミックスすれば、本格カレーが無限内部調達できるようになるはずです。 この前、なぜ、ニューヨークに別れを告げるのは難しいのか? というタイトルの、コロナ禍でニューヨークを離れた人の、ホームシックに関するニューヨーク・タイムズの記事を、DEEP Lの自動翻訳で読みました。ニューヨークからマイアミに移住しようとして、マイアミを検索したニューヨーカーの65%が、マイアミの都会の中心地であるブリッケルを第一候補に挙げている、とのことで、私に言わせれば、そういった都市生活を捨てきれない発想そのものが、移住失敗の元凶ではないかと思います。都市生活というこの数百年の生活習慣そのものをやめてしまい、新しいスタイルをつくることこそが、これからの新しい暇つぶしになると、私は思っています。 会社員になるとか、都市生活者になるとか、SNSで人気者になるとか、そういった既成概念の逆張りを私は目指しており、かといって田舎暮らしとか、古民家カフェとか、アンチが自己目的化して時間とお金を奪われることも嫌だなと思っています。そもそも、田舎の土地や物件が売れている現象は、世界的な規制緩和によるバブル現象の、単なる余波でしかなく、どんなに安くても、ど田舎の土地は買うつもりなんて、ありません。有名になったり、金持ちになったりせずに、持続可能に生きるために、なにができるか、それが私の最重要課題です。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-08-13 21:00:35

地方自治とSNSはバカと暇人のもの

徒手空拳日記 2021年8月12日木曜日 マスクを配ったら一気に支持率回復間違いなしですよとか、東京オリンピックがはじまれば、金メダルラッシュでニッポンチャチャチャ、これで内閣支持率爆上げですよ、とか、1回でもワクチン打っている人が4割を越えると、感染の拡大が止まりますよとか、権力者の周辺にいる官僚や、自称コンサルタントは、権力者にとって耳障りのいい、とんでもロジックを盲滅法で吹聴しまくり、つかの間の浮遊感を味わいたい、エタノールのような気持ちで、スーガーも、そういったとんでも説を信じてしまうところが、政治の恐ろしさですけど、トンデモ言説なんて、単なるポジショントークでしかないので、時間の経過とともにより深刻な泥沼にはまってしまいます。 You Tubeって時々ですけど、大当たりの動画をリコメンしてくれますよね。広島県安芸高田市の新しい市長と、議会の小競り合いを追いかけたドキュメンタリーです。【居眠り論争、恫喝疑惑...】新人市長の武器は「ツイッター」で検索すると出てきます。 河井克行の配った賄賂を受け取って辞職した市長の後釜に据わったまだ30代の新しい市長が、居眠りしまくりのおっさん議員をTwitterでdisりまくったことから、議会と市長が対立、不協和音が響きまくりです。 安芸高田市のごたごたについて2つ思うのは、老若男女、政治屋さんになりたがる人は、バカか暇人のどちらかで、このどさくさ紛れで新しい市長になった石丸伸二という人は、バカなんだろうな、ということです。SNSを正義と信じ切っている時点で、頭が悪過ぎます。正義の反対は、もうひとつの正義でしかありません。SNSが正義と信じている人は、SNSなんてものがなんぼのもんだよ、という人々と最後まで和解できません。正義の戦いを抜け出す方法はただひとつ、正気を取り戻すことです。 もうひとつは、トーンポリシングについてで、市長のようなリーダーが、Twitterでなにか発言するときは、もっと言い方に気をつけるべきという、モノの言い方についての警察です。まあ、私に言わせれば、どんな言い方であろうと、大差はなく、これからの時代はSNSそのものをいっさいやらないことが、ブランディングされていくと思います。 地方自治体で、私が最近もうひとつ注目しているのが、佐賀県のみやき町です。ここも今年の春に、長期政権がひっくり返り、まさかの政変が起きたことから、新旧相互に、逮捕したり、情報開示請求したりと、まさに小さな町を真っ二つにする分断が起きています。 政治という領域の最大派閥は、かれこれ半世紀くらいは、経済であって、地方自治なんていう狭い世界のごたごたなんて、地方新聞の社会面でしか見られなくなっています。つまり、当事者以外は知ったことではありません。狭い政治に命懸けになることそのものが、底なしの頭の悪さを証明してしまいます。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-08-12 21:00:07

救命機器の数しかわからない国

徒手空拳日記 2021年8月11日水曜日 政財官学マスメディアという、お立場ご身分最優先の事なかれ主義、事大主義の凡庸な悪による、悪夢のような感染拡大が毎日、続いています。私が唯一のまともな指標として観測しているエクモネットでは、東京都のエクモを含む人工呼吸装着数が、昨日の段階で97になっており、これまでで最悪だった、今年1月27日の106に、日々近づいています。 事態の把握には、新規感染者数の移動平均を追いかけても全然意味はなく、エクモを含む人工呼吸器の装着数をみるべきです。もはや瀕死の人につけられている医療機器を数えるしか、酷さの実態がはっきりわからないところにこそ、この国の凡庸なクソさが現れています。でもこの、エクモを含む人工呼吸の装着数は、時間差をもって反映される遅行性が強いので、現在のモーメンタムを測るものさしにはなりません。 繰り返しになりますが、この国では、救命道具のつけられている数しか、わかりません。それは、どんな人につながれているのか、つながれた人たちはこれまでどんな人生を生きてきたのか、呼吸ができなくなるほど重篤化しているいま、なにを思うのか。家族や友人はどうしているのか、そういった情報は、なにも聞こえません。つまり、この国では、人間の情報ではなく、機械の情報しか真実ではないわけです。 パンチカードによって管理されていたアウシュビッツのユダヤ人と、あんまり違いはありませんね。世論調査などというインチキにコミットするのは、老人と朱子学カルトなので、ワクチンの接種順位もわざと、老人と政財官学マスメディアを先にしたのですけど、最新の内閣支持率はオリンピック直後なのに下がりまくっていて、笑えます。 自宅療養という言葉も不気味です。自宅療養という名の放置感染者数は都内で少なくとも2万人くらいいますけど、彼らを母数として、これから5%くらいのひとが重症化するとなると、都内の人工呼吸器やエクモのキャパシティは、昨日時点で215なので、全然足りなくなる計算になります。 小学生でも簡単にできる計算の結果に目をつむって、生身の人間の声に耳をふさぎ、居酒屋ではお酒飲まないでえーとか、お盆休みも家にいてえーとかしか言えない凡庸な悪としての政治屋さんに、そろそろ鉄槌を下す季節となってきたのかもしれません。あと2週間で、東京都の医療崩壊が、もっと見えてきます。 バカボンのおまわりさんの目ン玉のように、夏の波と冬の波が繋がってしまい、世界的な感染拡大のなかでワクチンの供給が不足するという、最悪の事態を迎えようとしていますが、繰り返しになりますが、政財官学マスメディアは、凡庸な悪としてあり続けるので、これからも変異株のなすがママ、きゅうりがパパとなるでしょう。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-08-11 21:00:55

人生いろいろ、カルトもいろいろ

徒手空拳日記 2021年8月10日火曜日 蟻塚の子供たちという名前のカルト、オウム真理教カルト、朱子学カルトなど、人生いろいろ、カルトもいろいろありますが、彼らの素行は、一見すると多様にして、実のところは、一様です。結局、カルトが目指しているものは、ただひとつ、破滅へとつづく、愚の骨頂という、しょうもないいただきなのです。 なんとしてでも、東京オリンピックをやりきるとか、テレ朝のオリンピック担当チームが、閉会後の打ち上げで飲み過ぎて、店の2階から転落して骨折とか、そのメディア系列の世論調査に回答した6割が、このオリンピックやってよかったと評価しているなんていう結果をみるにつけ、この国は、あいも変わらずしょうもない朱子学カルトの頂上へと向かう8合目にいます。 世の中には、脱洗脳サロンのようなものがありますが、脱洗脳もまたひとつのカルトでしかなく、結局は、みんなそれぞれまばらになって、それぞれの信念に基づいて、正義ではなく正気で生きていくしかない、それが現実です。蟻塚の子供たちの教祖も、ひたすら禁酒禁煙のデトックスを訴えていたわけで、教祖にすがることそのものが、カルトということです。 今回の東京オリンピックは、チューナーなしの田舎で過ごしたことで、狙い通りナショナリズムやプロパガンダをほとんど浴びることなく、気づいたら終わっていました。これはIOCが、いわゆるアンブッシュと呼ばれる便乗商法を厳しく取り締まっているために、きっちり放映権を払っているマスメディアしか、映像を使えないから、チューナーがなければ逆立ちしてもオリンピックの動画は観られないという特性があるということで、分断の世界を生きているアメ人にとっては、NBCなんてもはや、いっさい関係のないステーションになってきているんだろうなと思います。 放送文化圏というフィルターバブルの外へ、外へと人がどんどん出てしまっていて、放送バブルの外と中では、見えている世界が全然違う、という世界なんだろうなと思います。私も、放送のフィルターバブルから足を洗ってだいぶ経ちますけど、時々NHKの定時ニュース観たりすると、これモスクワ放送かよって思ってしまいます。 私の記憶では、このフィルターバブルが一番きつかったのは、1980年代で、SNSの代わりとして機能していたのが、報ステとかのテレビのニュースだったんだろうなあと思います。これから私がつくるつもりのハイテク方丈記には、ネットもテレビアンテナも要らないかもしれません。実際、2000年代半ばに、ネットもテレビもないワンルームで暮らしてましたけど、快適でしたね。ネットが必要なときは近所のネカフェまで行ってました。いまならコンビニ前に車を停めて、必要な情報だけとればいい、そんなもんです。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-08-10 21:00:16

棄民主義からのオフグリッド

徒手空拳日記 2021年8月9日月曜日 なんか清々しいなと思ったら、棄民の首都東京オリンピックが終わってたんですね。オリンピックもそのうち、フォーミュラワン、つまりはF1みたく、ダゾーンでしか観られなくなるんダゾーン、と思います。F1って昔は、古舘伊知郎の実況でフジテレビで無料で見られたコンテンツでしたけど、いまやマイナーなだけのオワコンですよね。オリンピックも、そのうちああなります。F1もIOCも、ヨーロッパ貴族の知財ビジネスなわけで、貴族のコンテンツに大衆が反旗を翻して、そのうちマスで金儲けできるコンテンツではなくなります。時間の問題です。 オワコン五輪が終わってみたら、こりゃ感染拡大しまくりの、安全・安心とは真逆の、悲惨なコロナ禍二度目のお盆休みとなりましたが、がんばり屋さんのこの私だけは、感染しないのであるという、根拠のない思い込みも、拡大しまくりなわけで、パンデミックとは、インフォデミックであると同時に、自分だけは感染しないはずだという思い込みつまり、公正世界仮説デミックでもあります。 候補者が立ち過ぎて選挙が無効になりそうな、横浜市長選挙みてると、民主制もご臨終コンテンツ、つまりはオワコンですね。選挙速報もダゾーンでしか見られなくなるんダゾーン。 昨年で潔くサラリーマンを辞めて、家賃はタダ、クルマ代もある程度タダで、疎開暮らししてますけど、そんなことどうしたらできるんだよって思うかもしれませんが、できるんです。太陽エネルギーや井戸水、雨みずを活かしながら、生活排水も最小化して、プラスティックもできるだけ消費しないようなライフスタイルに、3年くらいでトランスフォームしようと思っています。いわばハイテクな方丈記です。 己の頭のなかに暮らし、他者とのネットワークをできるだけまばらにする、そのうえで、飯を食うこと、排泄すること、眠ることなどをテックを使ってできるだけオフグリッドにしていく、そんなビジョンです。他者とのネットワークを、まばらにするために、エタノールフリー、ソーシャルメディアフリー、マスメディアフリーを実現します。 太陽エネルギーの利活用効率や、熱効率技術、あるいはインターネット技術は、これからもどんどん良くなっていくと思うので、生きるためのエネルギー基礎代謝は、まだまだ下がると思います。起きて一畳、寝て半畳、エタノールに毒されない頭と身体で、毎日をラクに楽しく暮らす、そういったビジョンでやっています。 他人を支配するとか、他人に勝つとか、金持ちになるのではなく、オフグリッドで勝手に生きられる、自律した生活を目指すほうが、たぶん人生も面白いはずです。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-08-09 21:00:25

土俵の消える土俵際

徒手空拳日記 2021年8月8日日曜日 むかし、ドリフ大爆笑かなんかのコントで、志村けんと加藤茶が平安貴族に扮して、歌会をしているのですが、まろにおじゃります、などと言いながら、和歌を読もうとして、なんべんも絶句してしまい、最後に志村けんがついに「字が読めないの」で笑いを取る、というものがありましたが、菅義偉も、字が読めないのでした。文盲のサイコパスであることを、広島で露呈してしまいましたね。 なんか最近まわりでは、コロナが落ち着いたら飲みましょう、みたいな社交辞令をほとんど聞かなくなりましたね。そういった寝ぼけた時代が終わること、超絶メシウマなのでございます。個人的には金輪際、飲み会なんてしたくありません。 最近の10代、20代、30代の若い人たちって、ソーシャルメディアによる害悪を、もろに受けている世代という気がします。スマホによって世界が俯瞰できてしまう気がして、とてつもない無気力に襲われている、そんな印象しかありません。 世の中には、エタノールが自由に飲めないことへの不平不満があふれていますが、エタノール飲めないことなんて、屁でもない私からすれば、エタノールフリーの社会は、心地よい次のスタンダードです。エタノールフリーということは、社会人フリー、朱子学カルトフリーということです。エタノールを介したカギカッコつきの「絆」から自由になることができて、千切れんばかり舌を出して、アッカンベーを心のなかでしています。 今日の日はさようなら、悪夢の東京オリンピックが終わります。土俵の消える土俵際、これからの日本社会は、ある種のタガの外れた不穏な空気に支配されることになるでしょう。そんな不安や不満を紛らわそうと、自宅でエタノールを注入し過ぎて、心神喪失に陥る人が増えそうです。 中等症は自宅にいろ、とか言い始めたことを、人々は棄民政策だなんて避難しましたけど、エタノールを野放図に放置していることのほうがよほど、棄民政策だったわけで、外食産業は規制されてもエタノールそのものは買いたい放題なので、日本社会のエタノール漬けは、どんどん深刻な、日の丸オピオイド中毒へと悪化しています。 なにせ、コロナ禍に断続的に一年半もさらされている国は他になかなかなく、家のなかでエタノールやっちゃっている人々は、その病を水面下に持ち込んでしまっています。 月曜日に、朝いちのリモート会議を寝飛ばしちゃう依存症の会社員とか、激しく増えてそうです。コロナ禍によるエタノール中毒は、5年くらいかけてじわじわと、人の目にはっきり見えてくると思います。その時にはもう、手遅れです。 1945年目指してまっしぐらの後退国の人々を蝕むのは、エタノールだろうなと思います。タバコと同じく、多くの人がエタノールをやめていくことになるでしょう。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-08-08 21:00:34

集中力を盗まれる人々

徒手空拳日記 2021年8月7日土曜日 いま私が生きている現代における、最も希少性の高いものとは、なんでしょうか。いろんな答えがあると思いますが、私はやはり、集中力だと思います。お金や時間よりも、集中力が希少資源なのです。朱子学カルトによって脳が洗われた、政財官学マスメディアは、人々からこぞって集中力をこそ盗むシステムになっています。 集中力を奪い取る方法、例えば、ソリューションしか、ありがたく感じない教育です。答えあわせの教育です。システムが、絶対的な答えを用意して、その解答に早く正確にたどり着ける能力だけを、競わせることで、考える力がなくなります。 ソリューションに最適化した脳とは、集中力とは丸で違います。それは単なる演算能力です。演算能力を、集中力と勘違いしているバカが、多いと思います。演算能力にしか価値がないと信じ込ませる学歴社会と、オリンピックが大好きな国民根性は地続きです。頭脳か筋肉の違いはあれど、偏差値もスポーツも、単なるソリューション能力です。 1980年代くらいからひたすら、経団連や電痛が植え付けてきた価値観も、彼らが与える答えにはやく正確にたどり着く演算能力を高める努力をしたものだけが報われる、という公正世界仮説でしかなく、今回の東京オリパラは、そういった新自由主義の皮を被った朱子学カルトの最後っ屁となるのではないかなと思います。 例えば、フライヤーという、自己啓発書やビジネス書の要約をサブスクで読めるサービスがあるのですが、こういったものが象徴的に、社会人から集中力を盗み取るサービスの典型だと思います。もともと集中力を奪うものでしかないビジネス書を、読まなくても良い免罪符で金儲けをする、これは商売の邪悪さとしてはかなりトップクラスなのではないかと思います。 経団連や、電通による正解がひどく間抜けなものに思えるようになり、新しい正解は、ガーファから与えられることとなりましたけれど、SNSの人気コンテンツをつくる能力もまた、次の時代の演算能力でしかなく、プラットフォーマーのコンテンツづくりをしょぼい報酬で競わされている時点で、朱子学カルトと同じです。 言わずもがな、集中力を持続的に、根こそぎに奪うのは、エタノールです。集中力の奪われた状態を、酔っ払うと呼びます。本質的な格差とは、集中力の格差です。経団連や電通による集中力の収奪のあと、私たちが、いまさらされているのは、人類最後のソーシャルドラッグとしてのSNSであり、人類最初のソーシャルドラッグとしてのエタノールなのです。 集中力のない人は、根こそぎ奪われる、そのことに気づかない人がおお過ぎます。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-08-07 21:00:18

政治屋の見分け方

徒手空拳日記 2021年8月6日金曜日 河村たかしという、時代遅れの新自由主義に毒された、正視できないほど面相の悪いお間抜けな政治屋さんについては、他人の獲った金メダルを勝手に食べたりする、寒い悪ふざけもさることながら、彼が本質的に政治屋失格なのは、己が人気取りの為にずっと掲げていた国会議員の年金廃止を翻し、自分はちゃっかり満額受け取っていることや、愛知県知事リコール不正への関与が、いろんな状況証拠からギリギリアウトなんですけど、彼こそまさに根っからの厚顔無恥な政治屋をいただく、民度の低い名古屋市民の、歩く恥晒しだと私は思っています。 政治屋さんのクソ度を判定するのはとても簡単で、そいつのSNSアカウントを見て、そいつがフォローしている数をみれば秒速で、政治屋のクソ度がわかります。政治屋やっているくせに、フォローされている人を絞り込んでいる奴らは120%クソです。 河村たかしをフォローしている人は15万人以上ですが、河村たかしは23人しかフォローしていません。吉村洋文なんかも、41人しかフォローしていませんね。松井一郎も、菅義偉も、安倍晋三も似たようなものです。 自分がなんか、特権階級かなんかだと勘違いしているのではないでしょうか。こういったクソ政治屋を支持する大衆は、お里が知れます。 そして名古屋といえば、トヨタですけど、港区のレクサス高輪店で平然と、長きに渡って行われていた不正車検などみても、私はトヨタという企業を、はなから丸で信用しておらず、まさに朱子学カルトの中心にうんこトヨタアリ、これからはじまるトヨタの凋落を、超絶メシウマの気持ちで心待ちにしております。 日本の政財官学マスメディアのガン細胞、トヨタこそがこの国の腐敗のまさに原因菌だと私は踏んでおり、トヨタ資本のクルマは死んでも買わない私ですが、それはなぜかと言えば、トヨタ的なものへの生理的嫌悪を抑えきれないからで、楽天経済圏もクソですが、トヨタ経済圏はもっと、病害悪であると思っており、いっさい関わらないようにしているためです。 ハイブリッドカーにありがたがって乗っている寝ぼけた情弱が涙目となりそうな、世界の自動車産業の急なEV化が、ぐぐっと加速します。OEMのなかでもハイブリッドカーで稼いだ企業ほど凋落するでしょう。ノキアやエリクソンのようになると思います。ハイブリッドは、環境に良いクルマではなくなって、これから世界的なトヨタ外しが始まります。名古屋市という満州国2.0の中心地に、秋の風が吹き込んで、日本の滅亡が見えてくるとき、河村たかしはウハウハの国会議員年金生活です。あらあら、良かったですね。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-08-06 22:24:07

ぎょうざの満洲国2.0

徒手空拳日記 2021年8月5日木曜日 スマホの着信履歴をみると、朱子学カルトの中高年ほど、ゼロキューゼロの次は、1から3ではじまるヤングナンバーなので、着信にそういったやけに若い番号が残っていると、どこの寝ぼけたシニアから電話があったのかな、と思うようになりました。なんでもかんでも、すぐに電話してくる朱子学カルトに、殺意を覚えます。 お盆目前の最悪なタイミングで、人の移動に急ブレーキがかかっていて、あちこちの旅館やホテルがまた、キャンセル電話でパンクしているとか、ある種の敗戦感が漂いつつあります。これじゃあもはや、オリンピック有終の美、どころではありませんね。 「晴れる日が多く、かつ温暖であるため、アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候である」はずの東京のこの夏は、デルタ株が最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候となってしまいました。今月にはいってまだ4日しか経ってませんが、自宅放置のコロナ感染者がすでに8人も都内で死んでいるようで、棄民政策も垂直立ち上がり、安全安心であるはずの東京オリパラが、エクスポネンシャルなデルタ株拡大で、根底から揺らいでいます。政財官学マスメディアによる感染爆発は、さながらメルトダウンした福島第一原発のように、制御不能に陥ってしまいました。 つくば市に建設するはずだった、笹川財団による大規模なコロナ専用病棟も、周辺からの執拗な妨害にめげて、結局立ち消えになりましたし、くさいものに蓋をするとか、都合の悪い合理を憎むとか、まさにコロナによる第二の敗戦を迎えつつあります。アスリートに人気の日の丸コンビニ! とか、日の丸B級グルメにアスリート大絶賛! とか、おそらくは無能なメディアが予定稿として企画していたものが、漏れ出しているのだと思いますが、アスリートに焼き餃子が人気、のようなクソ記事を見かけるとこれぞまさに、ぎょうざの満洲国2.0、ネオ新京のデフレフーズは安いけど量も少なく、貧乏くさいなと思ってしまいます。 これから先、日本人がいまも全然理解できない、指数関数的な猛威に唖然とする日々が続くと思いますが、今度のポツダム宣言は、明確な敵国がいないポツダム宣言ゆえに、受け入れるにもより長い時間が必要となるでしょう。連合国軍の支配下におけるなんちゃって満洲国という戯言がようやっと終わります。首相や閣僚経験者が、夜道を気楽に歩けなくなる不穏な時代のさあ、始まりです。ゴーイチゴー事件やニーニーロク事件は、果たして過去の狂気なのでしょうか。ホモ・サピエンスの恐ろしさは、そんなヤワなはずがありませんよね。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-08-05 21:00:47

朱子学カルトの面相

徒手空拳日記 2021年8月4日水曜日 朱子学カルトって、見た目が気持ち悪いですよね。菅義偉って目つきとか話し方が、とても気持ち悪いです。表に出てはいけない人間です。こんな人間が表舞台にしゃあしゃあと出てきていることに、戦慄します。見てはいけないものを見せられている不快マックスオリックス、小池百合子も、相当不気味です。 新自由主義の政治屋って、目つきも面相も、悪いです。人は歳取ると、面相のごまかしが効きません。断末魔の政財官学マスメディアの朱子学カルトは、例外なく見た目が気持ち悪いです。政治屋の周りでドタバタして、しょうもない走狗仕事をしている元気で明るく、ちょっぴりエッチ、それなのにとことん謙虚な木っ端役人とかも、気持ち悪過ぎて正視に耐えません。 現場はみんな頑張っている? そんなことありません。政財官学マスメディアは、丸々っと不気味です。丸川珠代が、自ら規制線を張った交通管制に自分でひっかかり、閣議に遅れた時の、髪を振り乱して走る様子も醜いですが、その周りを一緒になって走っている木っ端役人は、さらに百倍は醜いです。 朱子学カルトとは、新幹線の車内アナウンスのようなもので、とにかく東京駅から新横浜くらいまでは、ひたすら、怒られないためにと、ありとあらゆる言い訳や御託を口頭で読み上げます。そのくせ、奴らは肝心のことはごっそりと隠したり、おためごかしに言い換えたりするものです。 経費で移動する出張族は、ニューデイズというポッポ屋独占の駅構内コンビニで、日本のコカ・コーラが背に腹は変えられなくなって売り始めた、レモンサワーの500ミリリットル缶をひとり飲みながら、高くてまずいJR独占弁当を食べています。これが平成の、カギカッコ付きの「安定」でした。要するに米軍支配下のオイコラ全体主義、満洲国のコミュニズムです。 そういった朱子学カルトの気の狂った日常が、重心を失ってフラフラになったコマのようにゆらぎ始めて、このまんまいくと、数年で完全に立ち行かなくなるのではないかと思います。スペイン風邪から世界はおかしくなり、日本も破滅の坂道を転げ落ちましたが、またあの繰り返しです。 「誰もが症状に応じて必要な医療を受けることができるよう、方針を転換した」という、実態と真逆の言葉を唱えながら、棄民政策を推し進めるスーガーの断末魔に、破滅の予感が漂います。もはや、安全安心のオリンピックではなくなりましたね。開会式のゲーム音楽の使い方のように、矢鱈と解像度の低い世界認識は、満洲国2.0の滅亡へとストレートに続いています。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-08-04 21:00:17

コロナ禍は来年まで続く

徒手空拳日記 2021年8月3日火曜日 日本人がコロナにひとり負けした証としての、東京コロリンピックの盛り上がりが、中盤から顔面崩壊、ご臨終していますね。超絶メシメシウマウマでございます。 私が信じているただひとつのコロナの指標としてウォッチしている、エクモネットをみてますと、東京の人工呼吸器やエクモの装着者がぐんぐん増えてきて、あきらかに今年3度目の山をつくりつつあります。若い人は重症化しにくいと言われますが、感染者の母数が増えれば、医療機器は有限ですので、若くして命を落とす人が出てきても、なんの不思議もありません。 東京都の検査数が全然上がらないので、すっかりまん延しているとなれば、まともに大規模検査したら毎日万単位の新規感染者がいるだろうなと思います。水際の検疫、防疫がザルなので、日本のコロナ禍は、このまんま来年いっぱいは、続くだろうなと私は予測しています。都内で固定費のかかる飲食ビジネスやっている人は、さすがにいま引かないと、チン毛まで抜かれますよ。 衆院選直前の感染拡大は、なにが不幸かといえば、自民党の圧力団体である日本医師会に、丸で逆らえない自民党のクソ政治が、感染した人を見捨てる動きが盛んになることで、重症者以外は、みんな家にいろ、病院へ来るなという、悪魔のささやきが響き始めました。日本のコロナ禍は、バカな大衆がゆでガエルになったところで、最悪の事態を迎えつつあります。 日本医師会というご立派なお名前ですが、実態は、開業医団体、つまり日本開業医師会です。開業医とは、公正世界仮説の亡者として、とりあえず医者になった人たちの出口戦略であり、儲けどころの開業医にわらわらとコロナ患者がやって来れば、他のドル箱患者が来れませんので、開業医が儲からなくなります。だからこその、医療崩壊であり、死なないコロナ患者は病院に来るな、です。 田中角栄が推し進めた国民皆保険も、単なる絵に描いた餅、日本はこのまんま1950年代へと後ずさりしていきます。国策トリアージによる、棄民政策ですね。東京オリンピックなんぞという運動会の横で進む、斬り捨て御免、いまの20代、30代の世代は、最悪のタイミングでこのクソな日本に生まれてしまいました。残念でしたね。私は、なんだかんだで子どもを作らなくて、本当によかったなあと思っています。 くどいようですが、棄民政策を甘んじて受け入れている国民が愚かなので、仕方ありません。茹で上がりガエルは、ゼラチン質が溶け切って、煮こごりになっています。こんな国に誰がした、はい、私達です。これから先、自分で自分の健康を維持するしかありません。そのためには、エタノールやニコチンを、スパッとやめることです。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-08-03 21:00:51

反メリトクラシー

徒手空拳日記 2021年8月2日月曜日 今日も元気だコーヒーがうまいな、と思って生きていますが、水出しコーヒーのうまさを、私はまだ知りません。水出しコーヒーのバッグを、さっき水の中に落とし入れました。これから12時間で、なんの努力もせずにおいしいコーヒーが出来上がります。ドリップコーヒーが運転なら、水出しコーヒーは夜行バスです。 安岡章太郎がとことん嫌っていたのは、学校、軍隊、病院ですが、これらはすべて、人身売買というか、人の心身とか、命をカネに変えるための、近代システムです。サラリーマンを辞めたいまの私が、果たしてなにに大きな喜びを感じているかといえば、金輪際、学校、軍隊、会社に行かなくてよいのだという、逃げ切り感だなと思います。 日本においてスポーツとは、暴力を禁じられた軍隊なので、オリンピックとか、そもそも苦手です。体育会系が矢鱈と持ち上げられる時代に青春時代を過ごしましたが、なんだったんだろうといまでは思います。 50過ぎて会社を辞めてからも、大学院に行ったり、会計士の資格取ろうとしたりする人をみると、ようやるわ、俺には死んでも無理と思ってしまいます。努力すれば報われる、という観念そのものが、私には意味がないのです。むしろ、半世紀生きても、公正世界仮説のことしか見えてない人々のことを、心のなかでそっと、忌み嫌ってしまいます。 ここまで生き延びたのだからこそ、もはやいつ死ぬかもわからないので、この先は、軍隊、学校、病院、朱子学カルトとほとんど無縁の場所で、のうのうと生きていきたいと思います。警察や、自衛隊をヒーローのように取り扱うマスメディアには、反吐が出ますね。ブルーインパルスなんぞ120%、それがどうしたんだよって、思います。教師や医者も、実体よりもかなり嵩上げされています。日本でなぜPCR検査が不作為で十分に行われないかといえば、コロナ禍は開業医の商売の邪魔だからです。 頑張ったって仕方ない。それはいい年こいていまさら頑張ったって仕方ないのではなく、最初から、努力そのものが仕方ないのです。努力という観念の生み出すメリトクラシーこそ、ろくでもないのかもしれません。日本人が、びっくりするほど他者に冷酷なのは、努力を美徳だと信じ切っているからです。会社辞めても、メリトクラシーから降りられない人、周りにたくさんいます。お気の毒です。 昨日まで家の近くにいた親子猫が、こつ然と姿を消しました。悪い予感がします。この辺だと、野良猫は天敵だらけです。カエルやカニは、なんのためらいもなくクルマの往来する県道を勇敢に渡っていきます。人間だけが、ずる賢く臆病になっていきました。私はカニやカエルと大差なく生きていきたい、と思っています。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-08-02 21:00:37

より遅く、より低く、より弱く、みんなバラバラに

徒手空拳日記 2021年8月1日日曜日 Faster, Higher, Stronger - Together'と、取ってつけたように、ルー大柴のトゥギャザーしようぜを加えた、オリンピックのモットー改訂版なんですが、私からすれば、最初の3つだけでも時代に合わない、意味不明なのに、またもう一個、不明な意味が加わったなという印象しかありません。そもそも、ジェンダーフリーになれば、どうやってFaster, Higher, Stronger の、公正なエントリー条件をつくれるのか、人間を身体能力で競わせる見世物に、未来なんてあるのかなって思います。Togetherって言うのなら、国民国家別のメダル表彰や国旗、国歌の掲揚もやめるべきです。 ナショナリズムそのものが、コンテンツとしてもはやオワコンです。米国のオリンピック視聴者数が、前回リオデジャネイロから42%も減っており、NBCが広告主と補償交渉に入ったとのことですが、そりゃそうだろうなと思います。 世界に広がったコロナ禍によって、なにが変わったかといえば、同じタイミングに、多くの人が一斉になにかをすることの陳腐化です。特に、身体儀礼の陳腐化だと思います。身体儀礼によって、人ははじめて団結できるのですけど、身体儀礼に力がなくなることで、国民国家の団結は、弱まっていくと思います。国民国家だけでなく、宗教やイデオロギーの結束力もなくなりつつあります。 仲間が集まって、酒を飲むことも、もちろん身体儀礼の1つです。ワインのテイスティングとか、飲み会の乾杯の音頭とかは、すべて儀礼です。みんなが集まって、決まったことをいっせいにやる、そのことのチカラが、今回のコロナ禍をきっかけにどんどんなくなっていきます。 会社や工場でいっせいに働くことも、ひとつの身体儀礼です。文化祭や運動会も、身体儀礼です。働いたカネを消費することも、儀礼です。世界的に、若い人ほど働くことをやめつつあります。中高年の精勤自慢には、若者の殺意が集まります。いわば不労革命が起きつつあります。ルールに則った、集団行動が恨まれつつあります。 身体儀礼とはなにかというと、要するに広告なんです。ユナイテッドバイエモーションとは、広告です。アフターコロナとはつまり、広告の終わりです。スポーツマーケティングの虚像で生き延びてきた電痛のブランド価値が、一気になくなりました。良かったですね。 なにかの終わりは、なにかの始まりです。身体儀礼が終わると、なにが始まるのでしょうか。私は、Slower, Lower,Weaker, Individualの時代が始まると思っています。遅いほうがいい、低いほうがいい、弱いほうがいい。国民国家が廃れて、個人の再生が始まります。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-08-01 21:10:40

もうすでに気持ちはサウダージ

徒手空拳日記 2021年7月31日土曜日 東京を離れてみると、日が暮れてからは、ほとんど冷房が要らないのに驚きます。涼しい風が家の中を通り抜けて、あんまり熱帯夜にはならないんですね。寝苦しくて眠れない、なんてこともあんまりありません。夏は、モスキートがすごいのかなと警戒してましたが、いまのとこそんなでもありません。ただ、外を歩くときは、どんなに暑くても必ず長袖になりました。スズメバチも時々飛んでいます。まあ彼らは、攻撃しなければ襲いかかってきません。東京で着ていた半袖や短パンは、室内オンリーです。 クルマででかければコストコがあって、クロワッサンをまとめ買いして、冷凍保存してたべています。コストコって、日本のブランドが全然主役じゃなくて、そこも好きです。ビールやワインなどの酒も、これでもカッと、倉庫いっぱいにたくさん売ってますが、外で飲めないからといって、家飲み依存症となって、コストコで大量の酒に群がる人々を、黙って通り過ぎる喜びを、ひそかに噛み締めています。 いまの住処は実質、家賃ゼロ円で田舎暮らしをしているのですが、この近くに土地をみつけて、2年半以内にオフグリッドの小屋を建てようと思います。高断熱素材の小屋で、太陽熱温水器と、ソーラー発電と、コンボストイレをくっつけて、東京電力と無縁の暮らしを作りたいと、いろいろと勉強しています。やろうと思えばなんでもできるし、ノウハウはほとんどタダで手に入ります。固定費が劇的に下がれば、働かなくて済む、エタノールに依存しなければ、働かなくて済む、政財官学マスメディアと関わらなければ、洗脳されなくて済む、洗脳されなければ、時間もお金も盗み取られません。 封建的な土人社会炸裂の政財官学マスメディアの、政財官学マスメディアによる、政財官学マスメディアのための、アンフェアでヘイトフルな悪夢のオリンピックも、あっという間にもう、半分が終わってしまいました。既に祭りのあとの寂しい気持ち、サウダージを感じるのは私だけでしょうか。辺境地帯で、マスメディアもソーシャルメディアも、完全にスルーしてるからかもしれません。AmazonのFire TVだとYou Tubeのクソ広告がうざいので、GoogleのChromecastを経由して、BraveでYou Tubeをみることにしました。東京オリンピックという土俵際が終わってしまったら、もうその先に待っているのは、単なる後退国の、目を覆いたくなる惨めな末路でしかなく、満洲国2.0の崩壊過程の見える化でしかありません。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-07-31 21:00:03

朱子学カルトの褌で相撲を取らない

なんか最近、ウィキペディアをみようとすると、300円でいいから寄付しろみたいな脅し文句が出てくるんですけど、そんならウィキペディアなんて要らねえよって、思ってしまいます。ウィキペディアがなくなればもっといいものができる、ただそれだけのことです。ついでに言うと、ヤフーも楽天も、NHKも朝日新聞も、私には丸で要りません。 源泉掛け流しの、黒湯のいいサウナを近くに見つけました。最近はすっかり、サウナで水風呂に、はいらなくなりました。ワンコイン、つまり500円で入れるので、サウナのある銭湯よりも安いですね。地方自治体って、カネのあるところはあるもので、ご立派な温泉、サウナが、まちのなかにひっそりとあったりします。 午前中の3時間くらいは、パソコンに向かって働いて、午後はなんにもやることがなければ、仕事はなんにもしません。東京の感染者数が激増していますね。全国でも1万人を超えています。サラリーマンをやめて、田舎にとんづらしたことは、改めてよかったなあと思います。朱子学カルトの中心部にいると、ろくなことありません。そもそも、コンサルタントとか、エージェントみたいな仕事は、アホらしくてやる気になりませんね。他人のお膳立てするくらいなら、100%自分のために仕事をしたいです。 若い人はもうみんな、他人の褌で相撲を取ることを、そっとやめています。ワクチンを打たない若者が悪い、飲み屋が悪い、変異株が悪いと、遅い、疎い、頭のおかしな政財官学マスメディアは、あいも変わらずひとのせいにして、ごちゃごちゃ言ってますが、うるせーバカ、朱子学カルト、お前らの人災です。 しかも氷河期世代には、アストラゼネカの血栓ワクチンを打ち込むとか、どこまでも政権の延命しか考えていない魂胆がバレバレなので、若い世代はワクチンをスルーする割合が高くなること請け合いです。 満洲国2.0の、単なる腹黒い内務官僚であるスーガーの記者会見も、文字通り正視に耐えないのですが、私の家にはテレビがないので観れません。オリンピック盛り上がっていますか? 日本とフランスのサッカーの視聴率見ると、全然大したことないですよね。コロナ禍で既にズタズタに分断されている国民国家に、ガンバレニッポン、感動をありがとうの空気は、全然ないと思います。 王、長嶋、松井の聖火リレーも、外国人からすれば、こいつら誰? でしかありません。二階俊博の王貞治、森喜朗の松井秀喜、なんとも正視に耐えないネポティズムのキャスティングで、げんなりです。こんなアンフェアな大会コンディションで、メダルとっても普通うれしくないよね。もういいから、さっさと予想気温33℃の、酷暑の札幌でマラソンやって、終われよいい加減しか思えません。

2021-07-30 21:04:19

不自由を自由と勘違い

サラリーマンをやめて半年経って、もっとはやくやめておけばよかったなと思っています。未来にはもう存在しないライフスタイル、それがサラリーマンかもしれません。クレジットカードの審査が通らないとか、高額のローンが組めないとか、マネーのコモディティ化が進むいまでは、大した問題ではありません。 そんな借金の不自由より、時間を盗まれない自由のほうが、はるかに大切です。週に3日はリモートで働ける自由よりも、そもそも働かなくてもいい自由のほうが、レベルは格段に上です。いつでも酒が飲める自由よりも、脳がエタノールを必要としない自由のほうが、本質的です。 働けば自由になる、これはナチスがホロコーストに掲げたスローガンですけど、働くとは最も不自由なことです。価値が反転、倒錯していますね。労働を自由に結びつける思想そのものが、イデオロギーです。 SNSでつながることは自由であるという、インターネット時代の考え方も、イデオロギーに過ぎないと思います。エタノールの自由と大差はなく、稼げるはずのYouTuberが、そっと動画を上げるのをやめたりしています。ウーバーイーツで働くことは、自由でしょうか? プラットフォーマーの都合で、急に手取りが減らされたりする労働は、極めて隷属的です。 日本人の場合、彼らが最も依存している自由とは、自分の頭でなんにも考えなくてもよい自由、だと思います。ゆでガエルの自由です。これは、エタノールとの相性がばっちりです。日本の社会人とは、思考ゼロの人間になることです。合理性を憎み、考えるチカラを排除しようとします。世界から、オリンピアンがやってきましたが、彼らはじかに東京に来るのではなく、日本のあちこちで合宿してから東京に来ているわけで、選手が地方に行けば各国のメディアや関係者もついていくわけで、世界のコロナ禍を日本全国に撒き散らしているわけですが、合理性を心底にくんでいるので、喜怒哀楽を反応できません。 日本のコロナ禍は、なんにも考えていないがゆえの、非科学的で楽観的な想定をゆうゆうと超えていきます。中国や欧米と比べて、感染が牛の涎のようにずっと続いているので、人々の心をボディーブローのように挫いていきます。日本のコロナ禍は、これからが地獄の本番だろうなと思います。東京で感染すると、一人暮らしなら、自動的に在宅観察になります。国民皆保険制度の終わりです。死ななくても、後遺症に苦しむ若者が増えるかもしれません。考えることをやめたつけが、これから襲いかかります。

2021-07-29 21:00:26

人の道に非ざる者たちの静寂

去年の今頃の私に、来年のオリンピックは、東京都の感染者数がいちにちで3000人を超えてるのに、行われてるよって言ったら、とても驚くだろうなと思います。 東京都や厚生労働省が、重要な指標の定義を、わざと途中で変えてしまうので、わたしたちはさながらメーターのぶっ壊れた車に乗っているようです。走っているのか、止まっているのか、曲がっているのか、それさえわからなくなります。 こういうのをホワイトアウト現象といいます。集団心理として頭が真っ白、視界が真っしろけな状態です。山に激突したら一巻の終わりのような障害物も見えませんし、どちらが上でどちらが下なのかも、よくわかりません。 私の場合は、ありとあらゆるマスメディアを完全に遮断しているので、今日も明日もあさっても、暮らし良好です。エタノールもいっさいお断りしながら、Netflixと読書三昧です。アメリカのコードカッティングされたドラマは、未成年向けの規制がゆるいので、いわゆるFワードがこれでもカッと、出てきます。 それに乗じて申し上げれば、政財官学マスメディアこそ、丸っとファックオフです。天皇のひとことで無観客となり、このままいくと、おためごかしな言い訳を並べて、パラリンピックは中止になりそうです。自分たちで決めた、障害者雇用枠を、てめえらの官庁では勝手に減らして、ごまかしてきた官僚どもに、パラリンピックなんてやる資格など、さらさらないと思います。 政財官学マスメディアは既に頭がまっしろ、ボランティア向けのお弁当の発注をつい減らし忘れて、大量の残飯が、捨てられています。ぶれぶれのちぐはぐな振る舞いは、もはやまともな社会人の仕事とは思えませんね。これから先も、もっとやばい問題が次々と出てくるだろうなと思いますが、もはやなんともなりません。 これはつまり、国体、レジームの終わりだと思います。敗戦後にこの国にぼやっとできた砂上の楼閣、満洲国2.0、政財官学マスメディア、薩長朝廷というクソなレジームのおしまいがようやっと迫っています。茹で上がってるカエルの湯気も出なくなって、溶けだしたゼラチン質が煮こごりになっています。 障がい者の雇用を妨げたり、外国人労働力の非人道的な搾取を国ぐるみでおこなったり、新疆ウイグル問題もびっくりの、明治維新朝廷の滅亡が近いと私は思っています。ホロコーストのArbeit macht frei、「働けば自由になる」と、技能実習生制度を貫く精神は、完全に同じです。こんなものを許しておいて、東京オリンピックに感動している愚か者どもも、明日は我が身、安いオピオイドとしてのエタノールで体を壊せば、ここぞとばかり尊厳を奪われます。

2021-07-28 21:00:22

会社は倒れずに解かれていく

なんでもかんでも、クラウドファンディングで資金集めすることに、思いっきり抵抗感があります。何と言ってももはや、マネーに大した価値がなく、不特定多数から例えば1万円の寄付をもらったとして、その見返りは1万円よりもずっと高くつきます。 コストの中で、最も割に合わないのは、お前に恩を売ってやったぞと思われるという、無形のコストです。こう言ってはなんですが、たかだか1万、2万円のはした金で支援者ヅラをされることは、なんとも割に合わないなと思ってしまいます。クラウドファンディングを始める人は、よほどメンタルが強いか、あんまり物事を深く考えない人のどちらかです。 そんなにやりたいのなら、私ならばその事業のために、自腹を切ります。ファンドレイジングなんて、アホらしくてやってられません。形を変えた、ただの借金です。コモディティ化するマネーで弱みを握られるなんて、はした金であればあるほど、実は損しています。さらにばかばかしいことに、キャンプファイヤーなどというプラットフォーマーに、手数料も掠め取られます。 そもそも開店資金をつくれないぐらいならば、最初から何かを始めるべきではないのです。なので、キャンプファイヤーとかの資金集めについての文章を読んでいるとムカムカしてきます。もっと言えば、私からすれば、イニシャルコストを投入しなければならない仕事そのものに、げんなりとイヤ気が差しています。何か始めようとして、いきなりオフィスのような固定費のかかる出費に走る人とか、私からすれば存在そのものが、筋悪です。 先日コロナ禍のどさくさに紛れて、日本の銀行法が改正されて、平たくいえば銀行が、どんな事業をやってもOKになりました。つまり、借金で首が回らなくなった融資先を、銀行がのっとって、バラバラにして、売り飛ばしてもよくなりました。ゴールドマン・サックスも日本で銀行業ができるようになりましたので、これから日本の産業界は、国内外の銀行によって、資金繰りに困り果てた会社からどんどん食い散らされていきます。 事業は、自分の資産で、運用しないと、命取りになります。コロナ禍で図らずも借金の膨らんだ企業を、これから資本家がこぞって食い物にしていくことになるでしょう。この世界から倒産や破産はなくなりますが、分解や売却は増えていきます。表向きは対等な協業と見せかけて、テーブルの下では完全に支配してしまう、なんてことが当たり前に起きるでしょう。っていうか、もうすでにそんなのばかりです。 看板だけはそのままに、カバンも地盤も、すっかり骨抜きにされて、気づいたときにはあるのかないのかすらわからなくなる、ダイエーやカネボウのような終わり方が、これからますます増えることになるでしょう。カネを借りたら一巻の終わり、クラウドファンディングも、単なる借金です。

2021-07-27 21:00:31

仲間意識という恐怖

近現代の国民国家においては、仲間意識というものは、とてもすばらしいものとして過剰に美化されます。オリンピックもそのリソースに過ぎません。英語で、ワンチームなんて小洒落ても、それは要するに、仲間意識という、政治でしかありません。シュミットによれば、政治とは、要約すれば、「あいつは敵だ、殺せ」です。外の敵だけではなく、なかの敵に心底怯えてきた、それが人類の歴史です。仲間意識とは、自分がその集団において有能でないと、排除されたり、殺されたりする恐ろしい緊張状態の美化です。外も怖いが、なかはもっと怖い。生存のためには、無償の愛などありませんでした。だから、穀潰しにならないように、みな必死に状況を把握しようとします。SNSなどはその心理をたくみにゆすって、カネに変えているのです。 己は仲間から無能だと思われていないか、そのことこそが人にとっては昔も今も、最大の関心事なのです。SNSは、自分が仲間から弾かれていないかを確認するための、ツールです。SNSとは、承認欲求ではなく生存欲求なのです。産業革命以後のエタノールは、自分が仲間外れにならないための、ソーシャルメディアでした。最近の若者が、あまり酒を飲まなくなったのは、SNSがあれば、生存リスクのありなしをシラフでも確認できるようになったからです。 アメリカでは白人の中産階級で、絶望死が問題になっています。絶望死とは、「死ぬまで酒を飲み続けたり、薬物を過剰摂取したり、銃で自分の頭を打ち抜いたり、首を吊ったりしている」ことです。日本も、絶望死の確率ではアメリカと大差ありません。特に日本では、コロナ禍で女性の絶望死が増えています。食うに困るほどではない中間層が、オピオイドやアルコール依存症になって、やがて希死念慮につながります。人は、仲間から評価されていないと、生存本能が脅かされるようにプログラムされています。 でもエタノールをやめると、まず身体から、独立自尊に変わります。仲間意識の政治に怯えることがなくなるのです。なあんだ、仲間なんていなくても、もうぜんぜん生きていけるじゃんか、そのことに気づきます。とにかく自分をいたわることで、生きていけるようになります。己の身体が健康になると、生きる希望が生まれます。会社をやめるより、酒をやめることのほうが、実はリベラルアーツなのです。多くの宗教がエタノールを禁じるのは、酒を飲まないだけで、生きるのがラクになるからだと思います。 仲間意識を大切にするという名のもとに、エタノールやオピオイドに溺れてしまう、それが結局は身を滅ぼすことに、なかなか気づきません。仲間意識を疑うことで、自愛に気づくことができます。心のなかに自愛が生まれたら、こっちのものなんです。エタノールをやめて、絶望死から遠ざかる、それだけできれば、あとはまったり生きていけばいいんです。資格もライフシフトも、ぜんぜん要りません。

2021-07-26 21:00:49

『泥の河』のピティエについて

こちらはすっかりのほほんと、オリンピック・フリーで生きています。開催期間中は、マスメディアにぜったい触れてはならないのは、誰それが金メダル獲得、みたいな示達情報が、「臨時ニュース」扱いで、バンバン入ってくるからです。私は、臨時ニュースこそ、メディアによる支配の本質だと思っています。 アメリカ人が、リビングの中心にテレビを置いたのは、ソ連からの大陸間弾道弾が、飛んでくるのをいち早く知りたくて、だと思います。SNSも、要するに、臨時ニュースを速く知りたいというだけのことです。マスメディアとソーシャルメディアは、その意味では、まるで同じです。 ですので私は運転中のカーラジオは、メダル獲得情報という気持ちの悪い臨時ニュースが丸で届かない、米軍放送固定です。日本人は米軍の私財なのだから、810キロヘルツのAFNこそが、国営放送だと、私は思っています。 最近は、Netflixのいろんな作品を、AIのおすすめのとおりに観ていて、この連休は、宮本輝原作の『泥の河』を観ました。私が移住先を決めたときは、宮本輝の『灯台からの響き』という小説の影響を受けましたし、『ここに地終わり海始まる』もそうでしたけど、海の近くって、どんな人間も、ちっぽけに見えます。そこがいいんです。 映画の『泥の河』は、1981年の作品ですが、舞台となっている時代は昭和31年、1956年のお話です。大阪湾の海と川のあいだでうどん屋を営む一家の息子と、その近くに漂着した、船上生活者の子どもとの出会いから別れまで、のお話です。船上生活の家族は、今で言うシングルマザーで、母親ははっとするような美人ですが、肉体労働の男たちには、くるわぶね、と呼ばれているのでした。 2021年にこの作品を観ると、私たちの倫理観がいつの間にか後退していることに、軽い衝撃を受けます。あの頃は、いまよりずっと、ピティエ、つまり人が人を憐れむ気持ちが、あったのだと思います。エスディージーズとか、インクルージョンとか、いまでは英語になってしまっているものは、私たちが新自由主義に洗脳されていくなかで、置き去りにしてしまったもの、かもしれません。 『泥の河』は、『ALWAYS 三丁目の夕日』のような、歴史改ざんのない、まっとうな敗戦後の人々がえがかれていて、好感が持てます。コロナ後の日本は、結核とまだ隣り合わせだった、1950年代くらいまで国力が落ちていきますので、心の持ち方も、『泥の河』の時代へ戻らなければならない、という気もしますが、その世界観をもう一度取り戻すためには、上級国民が邪魔です。 もう一度、政財官学マスメディアからの絶叫の臨時ニュースが一切入ってこない、狭く遅い世界で、哀れみを持って生きていく、そんなビジョンがチカラを持ち始めるはずです。オリンピックの祭りのあとやってくる、精神の荒廃になびかないためにも、Netflixで『泥の河』を観てみてください。おすすめいたします。

2021-07-25 21:00:45

公共広告機構化する日本

東京オリンピックの開会式、2008年北京や、2012年ロンドンの演出と比べて、圧倒的に劣っていたと思いますが、開会式だけが別に劣っているわけではなく、もはやありとあらゆる日の丸アウトプットは、クソなのです。昨日の開会式は、そのことが、大衆にもはっきりわかる、きっかけとなりました。良かったですね。 ダイジェストをYouTubeで観た私は、なんとなく既視感を覚えました。私にとって昨日の開会式の読後感は、何に近いかといえば、エイシージャパンつまり、公共広告機構のCMを見たあとの、いやーな気持ちに、とても近いものでした。 まず第一に、エイシーの広告というのは、本来流すはずだったコンテンツを、自粛で止めたときに流れるもの、という、存在そのものが埋め草、という特性があります。今回の開会式の内容もまさに、本来やりたかったことが何らかの事情でできなくなって、しぶしぶ埋めている、というところがクリソツです。各コーナーの終わりに、エイシージャパンのサウンドロゴが入っていたら、もっと良かったと思います。 第二には、エイシージャパンの訴える内容が極めて偽善的なことと、今回の開会式は似ています。米国国務省に人身売買であると認定されている、技能実習生制度を厚顔無恥に続けながら、レインボーやイマジンなどという、歯の浮くようなインクルージョン、ダイバーシティがペラッペラのうわっつらだけな点が、公共広告機構とおんなじです。ひとことで言えば、おまゆう。お前が言うなです。 ラーメンズのホロコーストネタは、SNSでは、Let's play the Holocaustと訳されて拡散しているのに、インクルージョンも、ダイバーシティも、うるせえバカ、お前が言うなで、はい、論破です。取ってつけたような医療従事者への感謝なども、私にはエイシージャパンの戯言、としか思えませんでした。 エイシージャパンと相通じる3つ目のポイントは、二流、三流の人間がしぶしぶやらされている感です。そして誰もいなくなったあと、そこにいる人たちは、己にオリジナルな世界観などないので、とにかく無難に、怒られないように、そして透明人間となって、永遠に目ン玉の入らないドラゴンの絵を書きまくります。 エイシージャパンの広告が鬼のように流れたのは、東日本大震災のあとでしたけど、昨日の開会式は、あのとき以来のエイシージャパンまつりだったのでは? と思います。 そもそも日本に公共広告機構をつくったのは、いまやエタノールに砂糖をまぶしただけの、反社会的なドラッグであるストロングゼロで荒稼ぎする、サントリーです。大阪万博のときに、日本人を啓蒙するためにアメリカをパクったものですが、エタノールという日の丸オピオイドでしこたまおカネを儲けている政商が、愚民を啓蒙するというスタンスは、昨日の開会式でも貫かれていたのではないかと思います。滅びゆく朱子学カルトのマスメディア広告枠において、エイシージャパンはいまや、最大の広告主です。ポテチン。

2021-07-24 21:00:02

ドーパミン経済の行き詰まり

老荘思想において、水こそが、人が生きる模範ならば、朱子学カルトにおいては、エタノールこそが、生きることのすべてです。エタノールは、コロナと同じで、どんな金持ちもインテリも、差別することなく骨抜きにしていきます。 夏野剛という、iモードや、ニコ動を撃沈させた東京ガス出身のおじさんも、単なる高機能アルコール依存症なのだと私は思いますが、接待と経費で高いワインを飲みすぎて、いよいよ頭が壊れてきましたね。KADOKAWAは、東京オリパラのステイクホルダーですが、顧客をクソ呼ばわりするほど経営者の脳を破壊するとは、安いアヘンとしてのエタノールは、相変わらずいい仕事をしています。 私が若い頃は、インターネットがなくて、消費者のことも、座談会をやらないとわからないとされていました。例えば週2回以上、缶チューハイを自宅で飲む50代男性、のような条件に該当する消費者5、6人に集まってもらい、司会者が缶チューハイに関するインタビューをする、というものです。 マジックミラーの暗室で、関係者がインタビューをウラで除き見ているのですが、1つのグループでいろんな準備を含めて3時間はかかり、それを4グループとかやって、議論して、仮説を検証したり、消費者インサイトを得たりするとか、いまとなっては、アホらしくて、やってられませんね。 いまなら、Googleで検索すれば、消費者の暗黙知が瞬時に出てきます。昔なら専門のホワイトカラーが何百時間かけていたことが、あっと言うまです。消費者洞察で負けたことが、日本の経済敗戦の、本当の理由です。例えば、Googleに、お酒、と入力して画像検索すれば、いまもなお、きれいにライティングされた、素敵なお飲み物として扱われていることがわかります。これが日本人にとっての酒の真実です。 このお酒同様に、覚醒剤が、キラキラしたライティングで、エナジェティックなイメージだった時代が、ありました。というか、そもそも1893年に世界ではじめて、メタンフェタミンの合成に成功したのは、日本人です。疲労がポンととれるから、ヒロポンです。麻薬と言えば、いまの電痛をつくりあげたのは、里見甫という政商です。彼はアヘンで丸儲けした咎で、A級戦犯となりましたが、無罪放免となりました。彼もスーガーと同じ、秋田の人です。 電痛という世界最大のプロパガンダ企業を貫くものとは、ドーパミンです。電痛の歴史とは、脳内麻薬をいかに出すかの歴史です。戦争、麻薬、テレビ、スポーツなど、ドーパミンの出るものをひたすら追いかけてきた企業と言えます。 スポーツを観て、ドーパミンの出る人間になってはならないと思いますね。スポーツで人生が壊れている人たち、たっくさんいます。ドーパミンに支配されている人生が、自由だなんて、ちゃんちゃらおかしいわけで、そんなものは、いつどんな酒を飲んでもいい自由と同じです。

2021-07-23 21:00:01

電痛によるPMIの失敗

コーネリアスとか、ラーメンズとか、はっきり言って、昔の名前で出ています、なのは、世界の電痛からまともな日本のアーティストがみんなとんずらしたあとに、受けざるを得ない弱い人たちなんだろうなと思いますが、まさかこんなかたちで、過去の失言がサルベージされて、ギリギリアウトで引き摺り降ろされるとまでは、想定していなかったでしょう。これは、SNSによる戦争です。 カウントダウンの1、つまり前日に開会式が白紙になるって、すごく面白いですね。さすがだと思います。心の底から、超絶メシウマでございます。技能実習生制度が国家ぐるみで行われるこのクソな満洲国2.0の日本に、そもそもオリパラをやる資格なんてないのですけど、そのことが腹落ちしてないので、こうなってしまいます。 コロナ禍だからといって、来日するパラリンピアンの帯同者は、絶対1名に限るとか、そもそも頭がおかしいので、極東の朱子学カルトによる東京オリパラは、コロナがなくても岡っ引き魂炸裂の、オイコラオリパラなのですけど、そのバチが当たったんだろうなと思います。2021年の東京は、1936年のベルリンを超えるNotorious、悪名の高さで歴史に名を残すでしょう。 己の政治権力延命のために、ニッポンチャチャチャで、有権者にカンドーを与えるとか、スーガーのクソ政権は、政治をなめきってますね。この際行けるところまで行って欲しいな、と思います。この政権は、世界史の大きな流れを理解できていません。資本主義、共産主義、全体主義の三つどもえが、日本を含む全体主義の完敗で終わったのが1945年で、そこから先は、あらゆるナチズムのネタ化はNGです。IOCとは、戦後ヨーロッパのポリコレそのものであって、そこに触れてしまう時点で、終わっています。この開会式を統括している電痛は、赤字で潰れそうなイギリスのイージスグループを買収したのですけど、ポスト・マージャー・インテグレーションが丸でできていないことがバレてしまい、本当に間抜けです。脳死してますね。 日本のマスメディアの記者会見は、ジャーナリズムの標準から言えばまるで記者会見ではありませんが、その中でも特におかしいのが、質問の前に社名を名乗るというクソルールです。これは現代の家制度である会社という組織を使って、サラリーマンを萎縮させるテクニックですね。同一人物でありながら、発言の度にいちいち社名と名前を名乗るという発狂のルールを守れと言っているのは、桜を見る会で反社会的勢力と記念写真を撮っていた、菅義偉という懐の浅い、小物過ぎて哀れな満鉄調査部員の息子さま、哀れになります。

2021-07-22 21:00:32

政財官学マスメディアとは猫のようなもの

徒手空拳日記 2021年7月21日水曜日 誰が言ったかは、よくわかりませんが、絶対的に腐りきった権力組織の官僚とは、キャット、猫のようなもので、彼らは正しいか、間違っているかではぜんぜんなく、快不快でしか行動しません。これは別に、武藤敏郎のようなキャリア官僚だけではなく、政財官学マスメディア丸っと、己にとって快適なもの以外は、見ざる、言わざる、聞かざるです。彼らはとにかく、己にとって不快なことだけを徹底的にしりぞけて、ぬくぬくとした、快いことしかもたらさない使い走りで、身の周りを固めるのです。 ダンボールでできた、みるからにみすぼらしいベッド、テレビも冷蔵庫もなし、シャワーは複数人に激セマのユニットバスひとつ、コロナ禍で来日したアスリートが、極東の新自由主義による醜い中抜きの成れの果てに、まじで戦慄しています。 ここは、冷戦末期の東ヨーロッパの共産主義国家よりもひどいだろうなと思います。米国の女子体操選手は、晴海の選手村を出て、自腹でホテルに泊まることに決めたようです。 2013年の招致プレゼンにおける、滝川クリステルによる、お・も・て・な・し、がダンボールベッドに着地する、その異常さを政財官学マスメディアは、丸で自覚できていないわけですが、それはなぜかといえば、ダンボール製のベッドについて、正面から異議申し立てをするような不快な人間を、すでに完全に排除しているからです。ただし、外人はいっさい忖度しませんので、いまになって政財官学マスメディアの頭のおかしさが一気に世界にだだ漏れ、わらわらわら、超絶メシウマでございます。 緊急事態宣言のなかであるだけでなく、命にかかわる危険な暑さに加えて、ファシズムならではの弱者蹂躙や、無神経な外人冷遇も重なって、2021年東京オリパラは、異例なのではなく、不気味で異様なことが、だいぶ世界の皆さんにしれてきました。良かったですね。 単なる極東のカルト国家の、面妖なロスト・イン・トランスレーション2021、といったところでしょうか。遅い、疎い、頭のおかしな人間に、お前、頭おかしいぜって言えるのは、よそ者、若者、そしてバカものだけです。 小山田圭吾が五輪開会式の音楽担当者から身を引いたら、彼が他にやっていた仕事もいっせいに不採用を表明するなどという狂った現象も、政財官学マスメディアが猫だから、ということに尽きます。このままいくと、コーネリアスの由来となった映画、「猿の惑星」の放送まで、自粛されそうです。 私はもはや、彼らの快不快など知ったことか、という場所にいます。どこに行ってもこの国では、玉ねぎやらっきょうのように、剥いても剥いても朱子学カルトのバームクーヘンでしかないですけれど、政財官学マスメディアの快不快ネットワークを外れてみれば、この世界はワンダフル、自然は豊かだし、めしはうまい、最高です。それでいいんです。 以上、本日も最後までありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-07-21 21:00:02

取るに足らない存在としての異議申し立て

どうやら、政財官学マスメディアが、今回の東京オリパラのことを、「呪われた五輪」とか言っているようですが、逆に、政財官学マスメディアこそが、国民を呪っているのではないかと思うのですが、いかがでしょうか? 開会式の視聴率が、欽ちゃんの仮装大賞を下回るぐらい低調であれば最高なのですが、そうもいかないでしょうね。 東京五輪、テレビで見ちゃ、ダメ、絶対! を掲げています。最近は、あらゆることについて、私には、特に意見はないのです。あるのは、異議の申し立てだけです。英語で書くと、オピニオンではなく、オブジェクションです。辞書には、異議とは、ちがった議論・意見。特に、ある意見に対し、それを不服とする反対意見、とあります。異議をぶつけて、有名になりたいとは思いません。意見とはそもそも建設的なものですが、満洲国2.0にはいかなる建設もありません。朱子学カルトの満洲国2.0は、解体あるのみ、解体ありきの異議あるのみなのです。 無名でいることには、圧倒的な強さがあります。有名になることと引き換えに、お金が入ってきたとしても、お金の価値ががくっと減っているので、割に合いません。国際的な円の価値は1970年代くらいのレベルに後ずさりしてしまいました。 「取るに足らない存在でいることには、計り知れない利点がある」 これはソール・ライターの言葉ですけど、取るに足らない存在ならば、誰も私のことを、尊重しようとはしないので、時間に余裕が生まれます。周りから引き立てられたり、注目されたりすると、直接会わないと失礼などと余計な忖度をされて、とにかく時間がなくなります。私の場合、誰かに気を遣われるのがとことん駄目で、全日空に乗るのを避けて、外国のエアラインにしてしまいます。 毎日食べるのは、大体同じものがいいです。「今日はどこで、どんなお昼を食べよう」と考えることが、だるい。そういう食の欲求が、もはやあんまりないのです。コロナ禍の影響もありますが、新しい場所へ引っ越して来ても、美味しいお店を開拓しようとは、ぜんぜん思いません。庭になった夏野菜ばかり食べています。 これからは食事は一日一回にできたらいいなと思います。お酒をやめたときも、ある時ふと「お酒を飲みたいな」って思う時間は数秒しかなくて、その短時間さえ耐えていれば、うまくいく、食欲もあれとおんなじです。むしろ空腹でいるほうが、体調も良い気がします。エジソンがトースターを売るために朝食という習慣がつくられたのだし、9時から5時まで働けとか、朝、昼、晩の3食食べろというのも、資本主義社会が、勝手に決めたことです。

2021-07-20 21:05:25

謝罪文は広告コピーと同じです

命に関わるような危険な暑さのなかで、この40年間続いた新自由主義の成れの果て、完全にとち狂った東京オリパラが、もういくつか寝ると始まりますが、私はもう東京にいませんし、ここには丸で、マスメディアも届きませんので、知ったことではないし、つまりは、やってないのと同じです。 Google動画、つまりYouTubeもTwitterも、秋の虫が鳴く頃までは、見ることもしませんね。好きな本とNetflixがあれば、他の暇つぶしは、金輪際もう、要らないかなと思います。新自由主義デトックスです。ネットそのものが、もはや政財官学マスメディアになってますので、下手にヤフー・ニュースとか、Abemaとか見てしまうと、被曝してしまいます。 NetflixのAIがおすすめするまんまに、色んな作品を観ていると、最近ではなんだか、映画の尺では物足りなくなってきました。1時間半から2時間という時間の尺は、映画館という、コンテンツを空間的にディスクローズする環境で生まれた時間の長さですが、ブロードバンドとサブスクによって、物語の長さに制限がなくなりました。 「クイーンズ・ギャンビット」くらいの長さがあると、やはり深くて面白いなあと思います。Netflixやアマプラによって減るのは、マスメディアを観る時間でしょうけれど、長編小説なども、かなり影響を受けると思います。 ただ、私にとってのNetflixやアマプラ最大のメリットは、妙に姑息なコマーシャルメッセージに触れなくて済むことです。マスメディア全盛の頃には、15秒が標準だったコマーシャルは、最近のGoogle動画では5秒になってしまいました。つまり、価値が3分の1になったということです。 これはつまり、自慢や自己アピールの価値がなくなった、ということで、ポジショントークへの静かな憎しみの感情です。マスメディアに垂れ流される、矢鱈とお金のかかった自己アピール動画を、偉そうにつくる人のことを、クリエイターと呼ぶ常識が破壊されていきます。 個人的にはもはや、ポスターや新聞広告の、よく練られた商業文章なども、丸で受け付けません。娯楽小説なんかも、ダメですね。作家やその取り巻きが、怒られないようにと、とことん推敲したテクストとか、面白くもなんともないお仕着せでしかないんでは? と思ってしまいます。なんべんも読み返され、推敲されまくった美しい文章なんて、小山田圭吾の謝罪文と、なんら大差のないものです。破綻のない、前向きで、元気に、とことん謙虚な練られまくったクソ文章に、なんか価値なんて、ありますでしょうか。

2021-07-19 21:00:15

ユナイテッド・バイ・人権蹂躙

昔俺は、ワルだったんだぜえ、ワイルドだろ~、小山田圭吾52歳、あーそんなJポッパーもいたなあ、いじめという名の人権蹂躙者の奏でる音楽で、ユナイテッドバイエモーション、技能実習生制度を堂々とやっている人身売買国民国家にぴったりすぎる演出ですので、私から5万いいね差し上げます。 コーネリアスの全盛期と電通の全盛期は、重なります。インターネット前夜のことです。電通はゲッベルスの足元にも及ばない、戦略のなさで、ぜんぜん優秀ではありません。彼らはカネと権力に向けて花咲く真っ黒いひまわりです。 自称クリエイターの、日の丸アイヒマンといったところでしょうね。シェイム・オン・ユー。そうやって、末期的な生き恥を晒しています。まあでもオリパラなんて、観るバカがいるから成り立っているんですよ。普段大して観もしない、陸上とか水泳とかバレーボール観て、ニッポンチャチャチャ、感動するとか頭わる過ぎで、本当にコロナで死んだほうがいいと思います。 ガンジーやマーティン・ルーサー・キングの戦略は、現代を生きる虐げられた大衆にとっても、極めて有効です。オリパラなんて、テレビで観なければいいんです。スイッチオフは、追跡されません。テレビ視聴ボイコット、メディアスルーは、視聴率が低いという数値に必ず現れます。ロス五輪で発明された、新自由主義のオリンピックの息の根を止めるには、視聴率を低くすればいい。それだけのこと、刃物や武器は要りませんし、デモもしなくてOKです。 技能実習生という現代の奴隷制を、いまも国家ぐるみで続けている恥ずべき国民国家が、人類の叡智とか、調和とか、平和を語ること自体、ちゃんちゃらおかしいわけで、こんなクソみたいな国民国家は滅亡あるのみなんですよ。 東日本大震災の復興も名ばかりで、要するに阪神淡路大震災と同じ、単なるショック・ドクトリンが貫かれただけのことです。米軍の奴隷であるこの国には、権力も、権威もありません。皇室の血統は、計画的に、米軍によって、0.5の自乗で薄められていることに、頭の悪い人はぜんぜん気づきません。 ロス五輪で新自由主義と結婚したオリンピックは、1996年のアトランタには破綻しており、そこから先は、後進の土人どもに、五輪という知財ビジネスをする、という新自由主義にシフトしました。それから四半世紀も経っているのに、新自由主義のオリパラを、満洲国2.0のプロパガンダに使おうという発想そのものが、底抜けで愚かだと思います。 外人も来ない、ドメスティックも無観客という、中止よりも醜いクソみたいなオリパラの総仕上げは、いまこそ、テレビを捨てることによって実現すると思います。日本はもう、ナンシー関のテレビ消灯時間をとうに越えて、いまこそ、テレビ廃品回収時間なのです。

2021-07-18 21:00:29

エタノール民酒主義人民共和国

私達は、遺伝子ののりものに過ぎない、という世界観がありますが、政財官学マスメディアの朱子学カルトとは、単なるエタノールの水道に過ぎないのではないかと、私は思います。日本とは、エタノールあっての国民国家、エタノール民酒主義人民共和国です。 2015年時点で、飲酒運転で捕まる人が、まだ年間3万人くらいいます。いま飲酒運転で捕まる人の多くは、前の日に深酒をして、大丈夫だろうと思い、次の日に捕まるぎりぎりアウトの人だろうなと思います。 それもご立派な、エタノール依存です。エタノールという、政財官学マスメディアの示達薬物を、社会を滑らかにする素晴らしい嗜好品と勘違いしたまんま、ずるずると飲む量が増え、飲まずにはいられなくなり、飲む量を抑えられなくなり、その国家ぐるみの薬物依存は、結果としてごく一部、飲酒運転の検挙で露呈します。 まあ、飲酒運転で検挙される確率は実際の1%を大きく下回るでしょうから、潜在的な薬物依存の裾野は、アマゾン川のように広大です。最近は、安い液体オピオイドである、ビールさえも買えない人がわらわら出てきて、ストロング系という悪魔のようなエタノールのパッケージが売れています。エタノール1グラムあたり、ビールが11円に対して、ストロングなエタノールはたった4円と、コスパ最高、激安の薬物です。 ストロングなエタノールは、砂糖や香料で味がごまかされているうえに、缶を開ければあとは飲むだけという、レディーメイドがよくありません。薬物を安く手軽に取り入れられるようにする、こんなものを商いだとしている反社会的な企業が、日本では、紳士のツラをしていつまでも偉そうにしています。底なしの悪徳です。新自由主義とは、カネと権力のためなら、何をやってもよい、というモラルハザードです。 先日千葉県八街市で起きた飲酒運転によるトラック事故は、コンビニで酒を買って、車のなかでそれを飲んだようで、いまこのコロナ禍で起きていることは、エタノールと食文化の完全な切り離しです。社会の潤滑油とか、居酒屋は文化だなどという、これまでの言い訳がごっそりとはげおちて、背に腹は代えられないとばかり、エタノールを薬物としてダイレクトに体内にいれる人々が増えています。 新しい千葉県知事も、ドコモ出身という、わかりやすい周回遅れの新自由主義者で、八街市の事故を受けて千葉県が何をやったかといえば、どこでも飲酒運転をとっ捕まえられる、デバイスを買う予算のアップです。新自由主義の成れの果て、日の丸オピオイドとしてのエタノール薬禍は、これからが悲惨を極める本番です。エタノール地獄から抜け出すためには、この薬物こそ、社会支配の根源であると気づき、己の意識を変えることしか方法がありません。底なしに酷薄な統治の技法としての、国家ぐるみによるエタノールによる禍なのです。

2021-07-17 21:00:36

これは、居酒屋革命

今日、関東は梅雨が明けて、井上陽水の『海へ来なさい』を3回聴きました。 こんな灼熱のなか、安全安心のオリパラをやるとか、政財官学マスメディアの朱子学カルトは、頭がおかしいですよね。暑くて死にそう、じゃなくて、本当に死にます。 私のまわりで、同世代の知り合いがこの数ヶ月で二人も急死していて、不穏です。コロナ禍って、いつかは終わるとみんな漠然と思っていますけど、いまのところ、収束の科学的見通しはありません。人類がグレートリセットされる、大きな災いなのかもしれません。オリパラが終わって、感染がワクチンで収まる訳がありません。 東京の飲食店は、8月22日まで、お休みのところが多いですね。おそらくは、パラリンピックはしれっと中止になります。プラハの春、ならぬ、エタノールの夏、これは、居酒屋革命が起きるかもしれません。 国から金融機関へ、金融機関からエタノール卸売へ、無言の圧力をかけるとか、食べログみたいな便所の落書きサイトに、飲食店が政財官学マスメディアからのお願いをちゃんと守っているか、監視の書き込みをさせるとか、これ完全に、東ドイツの秘密警察、シュタージとおんなじです。 こういう卑しい脅し方は、コロナ禍前の、安倍政権による、韓国企業への自称「経済制裁」とも、アタマの悪い思考パターンが完全に同じです。あのときは、韓国を懲らしめようとして、半導体の製造工程に必要な液体フッ化水素の供給を止めたのですが、結果として、韓国の半導体はノーダメージなうえに、そのサプライチェーンで儲けていた商売を失ってしまいました。 私がくだらないサラリーマンやってた頃も、バカな上が、バカであればあるほどよく言っていたのが、「知恵を出せ」というセリフで、特にリーマンショック以降の知恵を出せ、とは、違法でも、長続きしなくてもいいから、とにかく何でもやれ、という意味です。 エタノール小売封鎖という、筋の悪い政策もおそらく、知恵を出せと言われた国賊としての官僚が、己の裁量でできることを、なんでもやろうとした結果だろうなと思います。こんなエタノール封鎖、太平洋戦争末期の1945年でもやってなかった訳で、エタノール産業しか残っていないこの国では、もはや最後のセーフティーネットを寸断しているわけで、エタノール革命へのファイナルカウントダウンが始まっています。 ワクチンなんて、死んでも打たない私ではありますが、エタノール飲まないだけで、免疫力はアップします。

2021-07-16 21:11:59

国策デフレ産業の衰退

サイゼリヤの社長さんが、今回の一連の、エタノール産業の最末端だけをスケープゴートとして狙い撃ちする政策について、「怒るよりも選挙に行こう」と従業員に呼びかけた、とあるのですが、サイゼリヤなどという新自由主義の成れの果てに、持続可能性はなく、コロナ禍があってもなくても、こういった事業は、今後も続くとは、私には、到底思えません。サイゼリヤのようなものに価値を感じる精神そのものが、私に言わせれば、ネジが取れています。 最低賃金が上がれば、サイゼリヤの利益が自動的に激減するわけで、サイゼリヤもまた、ふるさと納税と同じ、周回遅れの新自由主義の成れの果てです。ダイソーで売っているのが、小綺麗に着色された、プラスティックのゴミならば、サイゼリヤで売っられているのは、精製されたゴミ、エタノールと塩、糖質と脂質のコンボではないかと思います。 更に迷惑なのは、サイゼリヤ飲みなどという反社会的なエタノールダンピングが持て囃されて、エタノール依存症が酒盛りしたりして、まともな一般人はもう、サイゼリヤなんて、不快で行かれません。ワイン飲みすぎて、トイレで吐いている人とかいます。 サイゼリヤの従業員が、新自由主義の洗脳から自由になり、まともな政治行動に出れば、サイゼリヤで働くことそもののをやめてしまうわけで、肉屋の号令が、豚に聞き取れるかどうかも、かなり微妙ではないかと思います。 日本にはもはやまともな何も残っておらず、やっすいオピオイド、あるいは液体大麻としての、エタノール産業くらいしか、経済を回すフリさえできない、悲惨な実情です。いくらや蟹が値上がりしています。これは別に、世界的に値上がりしているのではなく、日本にバーゲニングパワーがなくなっているだけです。 自動車やコンピュータ向けの半導体が品薄になっていますが、これも足りないというよりは高い値段で買えないのです。それをあたかも、世界のせいにしている、そういう意味では、リーマンショックと同じです。原価を削らざるを得なくなり、商品の競争力がなくなり、世界の人々からそっぽを向かれ始めます。 かつてはオリンピック前ともなればパナソニックの CM がテレビでじゃんじゃん流れて、オリンピックを見るためにテレビを買い換えましょうなどという、今となっては考えられないような惹句が跋扈していたのですが、もはやパナソニックそのものが存続できないぐらいの事態に陥っています。ほとぼりが冷めた頃に、パナソニックはそっとオリンピックのゴールドスポンサーから手を引くことでしょう。 アイリスオーヤマなどという、存在そのものがバグのような企業が、サイゼリヤと同じようにこれからどんどん居場所を失っていくと思います。

2021-07-15 21:00:19

周回遅れの新自由主義者達

百万歩譲って、統計アスペルガーの、ブルガリ時計泥棒、高橋洋一の言うように、日本のコロナ禍が仮に、欧米に比べてさざ波だとしても、そのさざ波が1年以上続くことによる、侵食の威力はすさまじく、そのダメージは、点滴岩を穿つ、と言えるだろうなと思います。 コロナ禍の前から、じつは日本経済は、リーマンショックという名の内部破綻で、完全に終わっているので、これからやってくる、長い侵食の結果としての明治維新という岩盤の腐蝕で、粉飾としてのアベノミクスが、完全に吹き飛ぶだろうなと思います。そのヤバさを、ガンダムで喩えると、果たして、どんな感じでしょうか。 日本のコロナ禍は、日の丸オピオイド薬禍としてのエタノール薬禍に、問題のすり替えが、これでもカッと、行われていますが、これは要するに、財務省が、財源としてのエタノールを見限った、ということだと私は思っています。 どっちみち、タバコとエタノールは、なくなる運命にあります。 エタノール産業を、スケープゴートにして、政財官学マスメディアの無能、無策、不作為を、目立たないようにしているのではないか、そう思えてなりませんね。 エタノールゼロ、 スポーツ観戦ゼロ、精勤ゼロという3つのゼロを、私は目指しています。この40年間のくだらない、クソみたいな新自由主義とおさらばです。西村康稔って、 給付金でマッチポンプの詐欺を働いている三流官庁、経産省の出身ですけれど、経産省そのものが、新自由主義の権化みたいな組織です。政財官学マスメディア丸っと、時代遅れの新自由主義に未だにどっぷりと浸かっている、遅い、疎い、頭のおかしい集団です。 地方に来てみてかなり驚くのは、今さら、ふるさと納税に力を入れている間抜けな地方自治体がたくさんあることで、彼らをカモにして、樂天なんかが、血税を中抜きしまくっています。ふるさと納税などという詐欺まがいのスキームは、菅義偉の失脚で、速攻なくなるのではないかと思います。 統計アスペルガーの、ブルガリ時計泥棒、高橋洋一が生み出した、搾取と中抜きのクソスキーム、ふるさと納税の、旗振り役になっているど田舎の木っ端クビ長とか、まさに新自由主義の周回遅れ最終ランナーとして、生き恥を晒しています。そもそもふるさと納税でまともな返礼品なんて、どこにありますか。虚飾と強欲まみれのクソスキーム、そのうちからし蓮根食中毒事件のような、悲惨な末路をたどることでしょう。 樂天などの中抜きの果てに、地方の名産品とは名ばかりの、粗悪品をつかまされ、それでも納税するよりはマシという浅ましくもさもしい人々が、時間と血税を無駄に使っています。 底なしの愚かさです。

2021-07-14 21:00:52

もう密には戻らない

最近は、車の中が書斎になっています。音声入力でアウトプットするには、車の中にぴったりです。ハンドルにパソコンをくっつけられる装置があるので、とても便利です。 Amazon の Kindle Fire HD に、 Amazon プライムや Netflix の動画コンテンツをダウンロードしておいて、暇な時には車のなかで楽しみます。地方に来てみると、車ありきの社会なので、そのぶんプライベート空間が保証されています。東京では、音声入力をしたり、寝たり、ご飯を食べたりするプライベート空間がなかなかないのですが、車社会万歳という感じです。 徒手空拳日記も、車の中で、音声入力で収録しています。今一番欲しいのは、ドアの窓に備え付ける網戸です。それがあればエンジンを切っても、夕方過ぎれば、車の中で過ごせそうです。東京は、 また緊急事態宣言ですが、こちらへ来て、私はのうのうと生きています。もっと早く、自由を選べばよかった。それしかありません。 こちらの生活もだいぶ慣れたので、3年以内には、オフグリッドのスモールハウスを建てようと思います。下水道がなくても、浄化槽で水洗化はできてしまうのですが、私が目指しているのは、おがくずを使ったコンポストイレです。ソーラー充電で、できるだけ何もかもまかなって、地方と東京の2拠点で、好きなように暮らせるようにしたいと思います。 ルー大柴のトゥギャザーしようぜ、は、1992年頃の流行語ですが、これからは、ますます人は トゥギャザーしなくなると思います。 人が物理的に密集することそのものが、汚い、あるいは怖いものとみなされつつあります。無観客による東京オリパラが、そのことを決定づけました。コロナが流行する前から、みんなが集まる場所では、例えば映画館などではスマホが見れなくなったり、大学の授業でも、講義を聞きながら 、他の事が出来なかったり、人が一箇所に集まると、ルール違反のできないことがあって、そのことがストレスなのですが、リモートが当たり前になると、映画を見ながらスマホを見たりしても怒られないし、先生の話を聞きながら、 LINE の返信を書いても怒られないし、 リモートはいいことだらけだと思うようになりました。 何万人もの人々と、同じ空間を共にすること、その価値が激減しています。人類史の中で都市というものの役割が、今劇的に変わろうとしています。 会社に毎朝出社することも、もはや義務ではなく、オルタナティブの一つになってしまいました。その代わり、サイバー空間に出社するとか、パソコンを開いて何か作業をしていないと仕事をしているとみなされないとか、新しい監視の技術が、プライベート空間に進出してきています。そうなると、いくらリモートで仕事ができるからと言って、サラリーマンを続けることも意味がどんどん少なくなっていきます。定年まで会社を辞められないのは、20年前ぐらいの、お金にまだ価値があった頃の話で、あの頃に比べれば、定年まで我慢するほどお金の価値は残っていないように思います。実際こちらに来てみると、お金なんてほとんど使えません。意外にクレカも QR コードも使えます。逆に全く使わなくなったのか、Suicaです。今度東京に戻った時、Suicaを解約しようと思っています。

2021-07-13 21:00:09

そしてインテリがいなくなった

銀行や証券会社から、どんどんまともなインテリがいなくなって、そこにいるのは、朱子学カルトと、海外産のAIだけ、みたいになってきました。まともなインテリは、コモディティ化する金融業界そのものを見限って、そっといなくなっています。広告とか、NHKとかにも、丸っとインテリがいなくなりましたね。なべて、あさましくもさもしい衰退産業です。 ロビンフッドのような、ドーパミンと直結する投資アプリが出てきてますます、個人の投資も、なんのインテリジェンスも要らないわけで、マネーゲームそのものが、猪瀬直樹も大好きでおなじみの、エックスビデオと大差のない、動物の産業へと変わってきました。 スポーツも、どんどん知性が介在する余地がなくなり、ドーパミンによる依存から目覚めた人々が、スポーツをインテリジェンスの対象とはみなさなくなりつつあります。少し前までは、雑誌のNumberみたいに、スポーツをインテリジェンスの視点からえがくことに、一定の意味がありましたが、それももう殆ど残っていません。スポーツに残されているのは、松岡修造のようなプロパガンダの絶叫だけです。 無観客開催という、中止よりもひどい、ミゾユウのオリンピックとなりましたが、オリンピックからも、ごっそりとインテリジェンスがなくなりました。殆ど、バカと暇人のための、無意味なイベントに成り下がっています。前回のブラジルリオデジャネイロでも、その兆しはありましたが、オリンピックの息の根を止めたのは、朱子学カルトの政財官学マスメディアでした。お見事、ナイスジョブですね。 エタノール産業からも、インテリジェンスが完全に消えて、サントリーもミステリー作家や、クラシック音楽、アートなどの支援よりも、背に腹は代えられないとばかり、ストロングゼロの粗製乱造と販売に、振り切っています。村上龍のリュウズバーのような、お酒と知性の掛け算みたいなことが、完全になくなって、エタノール産業はこれからますます衰退すること間違いありません。 西村康稔という、何回聞いても下の名前を覚えられない、安倍晋三の走狗、パンチドランカーが、国税や銀行ルートで、酒を密売する業者に圧力をかけようとしたら、とてつもない反発が来て、秒殺されてしまいましたけど、こういったしょうもない愚策の背景にある真理とは、人類のエタノールばなれという、不可逆的な潮流です。エタノールを体内にいれることへの、生理的な嫌悪感が、権力に利用されています。 シンガポールに移住した中田敦彦が、エタノールをやめたことを動画にしていますけど、引っ越しや転職よりも人生を変えるインパクトがあるのが、エタノールをやめることです。もし、エタノールをやめたい人がいたら、無料で、1対1で、メールやラインでサポートします。エタノールをやめることは、難しいという思い込みそのものが、資本主義システムによるくだらない洗脳です。

2021-07-13 15:26:12

オリンピズムと技能実習生制度

ちょっとばかしまともな人間ならば、中国共産党の新疆・ウイグル問題に、我々がごちゃごちゃ言う前に、この国の技能実習生制度という、現代の奴隷制度にまず、真剣に、向き合うべきですよね。 米国国務省は、日本政府は、外国人技能実習生制度を、外国人労働者搾取のために悪用し続けている、として、先日発表されたばかりの「2021年版人身売買報告書」で、日本政府の対応が十分ではない、と厳しく批判しています。要するに、アベスカ政権が推し進めた技能実習生制度は、現代の人身売買システムですよと、言われちゃっています。 昨年の6月時点で国内の技能実習生は、40万人を越えていますけど、政財官学マスメディアには襟を正して改善しようとする気も丸でなく、会見開けたら加藤のご飯論法で、行けるところまで行く、ただそれだけです。なぜならば、日本は米国シビリアンの奴隷なのではなく、米軍という軍人の奴隷なので、国務省という文人にごちゃごちゃ言われても、はあ? 俺らの将軍様からは何も言われてねえですだ、で、基本スルーです。日米合同委員会で、米軍から、お前らいいかげんにしろと指摘されないと、財務省も外務省もテコでも動かない、本当に厚顔無恥なクズの支配層です。 先進国が、人権問題を理由にして、来年の北京オリンピックをボイコットするのならば、あともう少しで始まる間抜けな無観客の東京オリパラにも、参加すべきではありません。実際に、地方に移住してみると、技能実習生は、あちこちにいます。彼らは日本のルーラル、不便な土地に暮らす身でありながら、クルマやバイクを持っていないので、基本的にはママチャリか、歩きです。身分と移動手段が、密接に結びついています。彼らがお休みである日曜日のローカル線は、近郊の繁華街にウィンドウショッピングに繰り出す技能実習生だらけです。 スーガー記者会見で、手も挙げていない日テレの記者を一番最初にあててしまう、ヤラセ会見を取り仕切る、小野ひかりこという人は、外交官なんですけど、彼女は、かつて駐在していたインドネシアを、後進国呼ばわりするような、目の濁った人です。何周遅れで、生きているんですか。 技能実習生という現代の奴隷制度を温存させながら、人類の叡智を結集させたとやらの、東京オリンピック・パラリンピックを開催しようだなんて、笑止千万、こいつらはちゃんちゃら頭がおかしいと思いますが、何を言っても、会見開けたらカトウのご飯論法しか返ってこない、ヤラセ会見しか能のない朱子学カルトですので、私は黙って、テレビやネットでも、オリパラ完全スルー人間になろうと思っています。オリンピズムと技能実習生制度は、絶対に相容れません。

2021-07-12 21:00:36

記号化の果てに現れた虚無

昔、トヨタのカローラが国民車だった頃、カローラの派生車で、スプリンター・マリノっていう名前のクルマがありました。なんじゃそりゃって、いまでは思いますよね。藤井フミヤがCMに出てて、海へ、マリノ。というキャッチコピーで、これは、海へ出かけるクルマという、記号でした。 これが1992年の春ですから、バブルのかげりがまだはっきりとはしない、まさかこれからの日本が、30年間ひたすら衰退していくだなんて、予想もできない頃のクルマです。 私の人生は、物心がついた頃からずっと、新自由主義の空気に、首までどっぷりと浸かってきました。ありとあらゆる活動が、ネオリベラリズムというイデオロギーの影響を受けていました。1981年の『なんとなく、クリスタル』にもうすでに、ネオリベによって全てが記号へと還元されていく社会が、予告されていました。江藤淳は、 田中君は、東京の都市空間が崩壊し、単なる記号の集積と化したということを見て取り、その記号の一つ一つに丹念に注をつけるというかたちで、辛くもあの小説を社会化することに成功しているのではないか。(江藤淳、以上引用終わり) ネオリベというイデオロギーによって、この社会はとことん記号化され、1980年代には東京の港区周辺の現象に過ぎなかった記号の集積はもはや、日本のど田舎の、イオンモールまで完全に、到達しました。京都へ行こうとも、函館へ行こうとも、どこへ行こうとも、都市空間はなべてイオンモールと区別がつかなくなり、記号しかない虚無と化してしまいました。 1984年のロサンゼルス・オリンピックは、いまでこそレジェンドのように捉えられていますが、1970年代の冷戦激化によって、すっかり政治化したオリンピックに、世界がドン引きして、立候補する都市が丸でなくなるなかで、サマランチとピーター・ユベロスが、いわば近代オリンピックを、ネオリベというイデオロギーから、発明し直したものです。そしてあそこを起点にして、都市が記号化され崩壊したように、オリンピックもまた、今回の東京オリパラで、記号化が完了され、崩壊しました。 都市もオリパラも、生身の人がすっかり消えて、そこには記号しか残っていません。無観客開催によって、オリパラとeスポーツがほとんど同じ地平のものになりました。記号化とはつまり、デジタル化です。海へ、マリノ。という記号化が1992年頃はまだ、人の心を動かす力を持っていましたが、いまではもうすっかり、人は記号をスルーするようになってしまいました。 YouTubeに強制的に挿入される、オリパラスポンサーによる5秒のメッセージに、もはや記号以外にはなにもなく、観客もいない、選手もいない、スタジアムにはただ記号だけが放置されている、ネオリベとしてのオリンピック・パラリンピックの最終到達地点が、いよいよ見えてきました。悲しいほど虚無です。良かったですね。

2021-07-11 21:00:22

リスクオンとリスクオフの区別もつかないクソ政権

都民ファーストで当選した木下ふみこが、無免許運転で事故ったことで政党から除名処分となり、往生際悪く辞めもせず、クイックひとり会派を立ち上げたのですが、その名前が、エスディージーズ東京、という舐め腐った名前で、まさしく、エスディージーズは大衆のアヘンだということを、はっきりさせてしまいました。この人、元博報堂の社員らしいんですけど、政財官学マスメディアは、こんなクズばっかでイヤになります。 木下ふみこが、庶民感覚アピールなのか、原付バイクで選挙運動している様子が、彼女を熱心に応援する市民のTweetにたくさん残っていて、これぞ、無料のオープンソースにこそ、この世界の、真理が溶け出しています。これこそが、人類の叡智の結集であって、スーガーのゴリ押し五輪なんぞ、既にご臨終です。 スーガーの記者会見が、ようやっと、子どもに見せてはならないテレビ番組いりしましたね。おめでとうございます。ドリフとかひょうきん族とかロンブー1号2号とかと、ならびました。こんな失語のサイコパスの、赤ら顔のおっさん、もし近くにいたら、本当に気持ち悪いですね。秋田のプーチンにトリカブトを盛られないように、注意したいものです。 菅義偉は、都議選の前後から、あたかも前から変わらぬ信念のように、「無観客開催も辞さない」と、これまた壊れたカセットテープレコーダーのように繰り返していますが、こいつが無観客に言及したのは都議選の状況分析でやばくなってきた、たかだかこの一週間前くらいで、しかも、「ホニャララを辞さない」という言葉の使い方も、なんか間違っています。 何かを「辞さない」というのは、本質としては、リスクオンする、意味であって、無観客試合は、逆にリスクオフなんです。スーガーの棒読み原稿書いてる霞が関の連中が、バカなんですかね。言語中枢が、やられてますね。ロボトミー手術でもされているのでしょうか。 天皇まで反日認定されてしまったアベスカ政権の終わりが、いよいよ近づいて来たのかなと思います。バイデンの奥さんも、開会式には来ないみたいだし、そもそも金太郎飴のように、政財官学マスメディアのロジスティクスはクソなので、かなりのお立場ご身分の要人でも、まだ泊まるホテルも決まってない、そんな外人も多そうです。じゃあ行かねえよ、となります。 これからの8月終わりくらいまでの私は、テレビ、ラジオ、新聞など一切のマスメディア・デトックスを始めますし、オリパラ開催中は、TwitterやYouTubeも、完全にアクセスを停止します。ひたすら読書と、Netflixと、アマゾンプライムで、まったりしたいと思います。

2021-07-09 21:00:23

昭和の妖怪から令和の崩壊まで

東京都における現在のまん延防止等重点措置は、制度がつくられてから初めての、下りマンボウなどと最もらしくいわれてましたけど、東京都の新規感染者の7日間移動平均は、6月19日が底で、全然下りマンボウではなく、逆に、上りマンボウでした。 移動平均という算数もスルーする政財官学マスメディア、遅い、疎い、頭のおかしな満洲国2.0という、断末魔による、狂気の祭典としての、東京オリパラ、底抜けの頭の悪さがどこまでも止まりません。 緊急事態宣言とは、英語で、State of emergencyなんですけど、State of emergencyが出てる日本にやってこれるアスリートは、ぐぐっと限られます。スポーツより健康、そんな当たり前のことすら、極東の朱子学カルト、頭のおかしな政財官学マスメディアには、はなから、通用しません。不気味ですね。 Twitterの検索窓に、菅義偉と入れますと、死ね、無能、とサジェストされます。おい、元電通の平井卓也、お前のしょうもないデジタル・シュタージが、全然機能してませんよ。こいつら丸っと、頭がおかしいですね。 まず、岸信介の亡霊、令和のなんか妖怪、安倍晋三が、オリパラの延期を一年でいけると見誤ったところに、すべての愚かさの原点があります。あの時、安倍晋三は「ワクチンの開発はできる。日本の技術は落ちていない。大丈夫」と言い切りましたが、なんの根拠があって、あんな妄想をかましたのか、やはり頭がおかしいのでしょうが、佐々木宏のスーパーマリオ、ダメゼッタイ岸信介3.0は、頭がダメ、ゼッタイでしたね。 昭和の妖怪は岸信介ですが、平成の怪物は松坂大輔で、松坂は引退してしまいましたけど、不気味な目つきをした令和おじさんである菅義偉も、そろそろ引退を突きつけられそう、やきが回ってきましたね。こいつが自民党のあたまをやってからは、ありとあらゆる選挙はすべて負けてます。選挙落ちればただのバカである、世襲だらけのネポティズム政治屋さんからしてみれば、菅義偉に9月に解散されたら、これはかなりやばいわけで、衆院選の前に自民党の総裁選をやることが、ほぼほぼ、確定的になりました。事実上、菅義偉は詰んでしまいましたね。ポテチン。 都内は再び、エタノール、ダメ、ゼッタイ、国民の肝臓をエタノール漬けにしておく、民に酒と書く民酒主義、全てはエタノールが悪い、エタノールを出し続ける飲食店に、エタノールをおろし続ける問屋を監視するとか、経済再生担当大臣がいい始めていて、その愚かさに歯止めがかかりません。世界大恐慌から3年で満洲国建国、7年でニーニーロク事件、これから日本は、土台からごっそり崩壊すると思います。コロナが明治維新体制を、根こそぎぶっ壊しますよ。わーい、よかったですね。

2021-07-08 21:00:39

風の谷に気づかぬバブル世代

勝間和代さんがブログで紹介している、パソコンのフットステップを真似して、私も早速Amazonでポチりました。ラジオなので、簡単に音声でどういうものか、ご説明しますと、足で操作できるキーボードです。特定の操作が足でできます。 私も最近は、ますます、Googleドキュメントの音声入力で文章を書くようになってきましたので、Googleドキュメントの音声入力のオンオフを足のステップひとつでできるようにしました。キーボードだと、コントロールとシフトとSを同時に押すのですが、それを足でできるようにしました。3つのステップがついているので、残り2つは、句点と、読点にしました。 慣れてみるとかなりいいですね。ちょっとした改善ですが、フットステップで切り替えできると、音声入力への入り口がスムースになり、ますます音声入力を選択するようになります。また、徒手空拳日記の場合は、Googleの音声読み上げ技術で読み上げたときに、できるだけ聞きやすいようにしているので、息継ぎのところで、読点をかなり多めにいれるスタイルなのですが、それが円滑になります。Googleの音声入力でも、「くてん」とか「とうてん」で入れられるのですが、うまく入力できないことが多いです。 地方に住むようになっても、まったく田舎暮らしをしておらず、テックドリブンのライフスタイルを目指しています。これは、安宅和人さんの言う「風の谷」というライフスタイルです。引用しますと、 「風の谷を創る」が目指しているのは、単なる原生林でもなければ、田舎暮らしでもない。テクノロジーを最大限に活用して、自然と共存する人間らしく豊かな暮らしを実現することだ。(安宅和人インタビューより、引用終わり) 太いWi-Fi回線は当たり前です。NHKは選挙や有事の際にはネットでただで、見られます。NHK受信料とは、みっつの「お」、つまり、お笑い、踊り、お歌などの、どうでもよい余儀のため、芸能プロダクションの資金洗浄のために掠め取られている費用です。払うだけバカをみます。ルンバや全自動洗濯乾燥機など、時間を生み出すマルチタスク家電もどんどん入れています。そこらで野菜がたくさんできるし、なんと言っても魚介類がやたらと安いので、ホットクックであら汁をつくったりしています。 地方に来てみてリアルに思うのは、もうすでに、情報のスーパーフラット化は実現されているということです。ロスジェネ世代がいちはやく都心を離れて、のびのびとした地域で風の谷をつくっています。知らぬはバブルの中高年ばかり。インターネットによって、都市と地域の情報格差は完全になくなっており、むしろ、千代田区や港区にある、政財官学マスメディアのカルトとしての職域のほうが、超絶ど田舎であるということに気づきます。

2021-07-07 21:00:45

独りで正気をつらぬけ

既存の権力基盤にパラサイトしている現代の政財官学マスメディア、つまり上級国民からしてみれば、ワクチンを買って、配って、国民ひとりに2回打つという、一連のオペレーションなんぞ、そこらへんの下部構造、平たく言えば業者に丸投げして、やらせておけばいい、しかも、入口と出口だけその場にいれば、なかの過程なんぞは、知ったことではありませんし、うまく行けば自分の手柄、失敗すれば出来の悪い業者を締め上げて、金輪際の出禁にしてしまえばいいだけのことです。 最近は、下部構造に紐づく下々の事を、業者と呼ぶと、いかにも彼らを見下しているっぽいので、業者ではなく、事業者などと呼びますが、なめきった上級国民の、上から目線や態度は、どれほど言い繕ったとしても、意識や行動の端々に表れてしまいます。 だから私が、ここ、徒手空拳レイディオ・ステーションで提案しているのは、政財官学マスメディアの、ありとあらゆるおこぼれにあずかることなく、できるだけ独立自尊して生きていこうよ、ということです。明治維新体制とは無関係に、うまい飯を食う、それが一番大事です。 どういうことでしょうか。政財官学マスメディアの言っている、経済を回すという虚構に、できるだけ加担しないことです。この国では、経済を回す、イコール、飲み会をするという頭のおかしな気狂いサイロに、陥っています。会食が仕事、という虚構ですね。エタノールというとても依存性の強い薬物を、恣意的な不作為とゼロ規制によって国民の食道から脳みそや肝臓へ、オピオイドのように染み渡らせて、下々の意気地をくじき、考える力を根こそぎ奪っています。 この国では、ラショナル・シンキング、クリティカル・シンキングをすることが、普通ではないと洗脳されています。エタノールを打ち込まれたゆでガエルが、煮上がっています。彼らの支配を逃れるためには、ラショナル・シンキング、クリティカル・シンキングをすることにつきます。政財官学マスメディアから降りてくる示達を徹底的に疑い、このカルト社会で封印されている「なぜ?」 の疑問符をすべてに灯し、「So what?」 、オリジナルな解決を目指しましょう。朱子学カルトの封建社会に依存することなく、勝手きままに生きていくことです。 ラショナルとは合理的という意味です。政財官学マスメディアは、コロナ禍への態度を見れば、明らかに合理性を憎んでいます。だからこそ彼らの真逆を目指して、徹頭徹尾、合理性を愛しましょう。クリティカルとは、批判的ということです。やんちゃになりましょう。やんちゃの語源は、「嫌じゃ」です。合理からものを見て、非合理で不気味なものに、「嫌じゃ」、とはっきり言いましょう。それだけで世界は、かなり変わります。

2021-07-06 21:00:33

空気ばかり読んで、風を読む力がない

私の予想通り、東京都議会議員選挙の投票率が、半分を下回りましたが、投票率が低いのは有権者が悪いみたいな言い方は、いい加減、やめてほしいと思います。こんな制度設計を続けている上級が、底なしに馬鹿なだけです。今後投票率が上がることは、たぶんないと思いますし、もし投票率が爆上げされる時は、強烈な政権交代が起きる時だけです。 全共闘の時代の後、政治なんて知ったことではないという極めて政治的な態度がはっきりと見えてきました。何万人、何十万人にとっての代表者を選ぶなんていうスケールに、全く意味がないわけで、民主制なんて喜んでやっているのは、フランス人とアングロサクソン人ぐらいです。こんな普遍性のない制度で、いつまでやっているのか、米軍のプルートである、日本人は、本当に一億総ロボトミー脳だと思います。 昨日の都議選は、本当にやるだけ無意味ですが、かすかな意味があるとすれば、東京オリパラの無観客開催が決定づけられたことぐらいでしょうか。あと2週間で東京の感染者数が指数関数的に増え続ければ、開催そのものがなくなる可能性もあると思っています。良かったですね。 たかだか数万、数十万人の選挙区の代表を選ぶのですら超絶かったるいのに、日本国の代表としてのアスリートの活躍に興奮するなんて、そんなかったるいこと Z 世代の人々がやる気になるわけもなく、ニッポンチャチャチャ、というスーガーの発想そのものが脳死しています。 それにしても自民党の選挙対策は、かなり無能であることがはっきりしてきました。もともと自民党にとって東京という選挙区は、つかみどころのない、何のグリップも効かない、無為無策の土地ではありますけど、それ故に極めて重要な、風を読む力がありません。自民の選対委員長である、山口泰明、あまりに無能と思っていたらどうやらこの人、もう次の選挙には出ないようです。そんなやつが、選対委員長なんてやるなよ。無能すぎますね。 たかだか都議選なのに、ネットで NHK 総合の開票速報が見られてしまいましたので、ますますアンテナもチューナーもいらないなぁと再確認しました。それにしてもいつまで記名式の選挙をやるのでしょうか。あらかじめ届け出順に政党と名前が刷ってあるものに、丸をつけるようにするべきですし、そもそももはや投票所に行く必要なんてありません。 遅い、疎い、頭のおかしい朱子学カルトの時代は、いつまで続くのでしょうか。少なくとも満洲国建国百年となる、2032年までには、明治維新体制の完全な崩壊を、望まずにはいられません。岸信介の亡霊に、さようなら。

2021-07-05 21:00:29

「エタノールはおいしい」という示達

日経新聞はもともと、三井財閥の株式投資についての社内報でした。早死してしまった私の伯父は、日経新聞なんて嘘だらけ、あんなもの読んで世の中わかった気になっている馬鹿な人間にはなるな、と教えてくれました。 いま思えばこういう世界観を、私にちゃんと教えてくれたのは、あの伯父さんだけでした。彼は53歳で死んでしまいました。政財官学マスメディアのおっさんは、日経新聞をありがたがって購読してる、健常者の顔をした白痴ばかりですね。徒手空拳日記のスピリッツは、伯父から引き継いだものだと思っています。 日経新聞に書いてあることはすべて、報道でなく、単なる示達です。示達とは、官庁から国民に文書で知らせること、今風に言えば上級から底辺への、命令です。 ただし、なにも日経新聞だけが、示達なのではありません。例えば、キリンビールの一番搾りのテレビCMでひたすら叫ばれる、一番搾り、おいしい、というのも、徴税役人と、酒造で金儲けする資本家から下級への、示達そのものです。 役人による、蔓延防止等重点措置とか、職域接種みたいな、不気味な日本語だと、下級と底辺は意味がわからないので、電通のコピーライターが、官庁の示達を、バカでもわかるように、翻訳しているのです。 吉本興業なんかも、単なる示達の媒介者でしかありませんね。河野太郎が吉本興業の職域接種の現場に出向いて、政府のワクチン接種やってる感プロパガンダをしていましたが、政財官学マスメディアは、サプライチェーンのスキルがゼロどころかマイナスのために、老人の2回目も打ち終えられないまんま、吉本興業のような示達機関の関係者ばかりがワクチンを打てるという、ワクチン格差が生まれています。バカすぎますね。 とは言いながら、ワクチンが足りないの、という最近の示達そのものが、ワクチンを若者にも打たせる示達情報だったりします。現時点で350人くらい、ワクチンを打って死んじゃってますが、因果関係はいっさい認められていません。 熱海で発生した土石流で、いまも20人くらい行方不明みたいですが、土石流と行方不明の因果関係も、不明です。ワクチンで死んでも、洪水で死んでも、上級からすれば、因果関係不明、エタノールと依存症の因果関係も知ったことではありませんし、これからはなにもかも、ますます、ありとあらゆるものごとの因果関係が、不明になります。 上級と底辺の因果関係なども、そもそもありませんので、示達はすべてスイッチを切っています。朝日新聞の届かない朝、NHKの電波が映らない朝、毎日新聞の来ない毎日が、最高です。YouTubeも広告はすべてカットしてますので、政財官学マスメディアからのあらゆる示達が私には届きません。政財官学マスメディアの朱子学カルト国家において、エタノールとは、示達薬物です。こんなものをよろこんで飲んでいたら、早死しますよ。

2021-07-04 21:00:47

東京オリパラは現代の大名行列

東京オリンピックの開催中は、山手線は終電を延長して、一方で、昼間マイカーで首都高を通ると、通行料金がなんと1000円増しになるのですが、貧乏人は、牛馬のごとく鉄道で運び、五輪貴族はクルマですいすい動かす、これは、現代の大名行列、アスリートってそんなに立派なのか? こんな屈辱にもまったく痛さを感じないほど、洗脳されている東京都民は、脳幹を抜かれているロボトミー、明日の都議会議員選挙も、投票率はとてつもなく低いと思います。 来年の7月25日は、参議院議員選挙の投開票日ですが、そのころにはガラッと、空気が激しく変わっていると思います。大衆なんてのは、インフレにならなければ、酒のんで寝てるだけです。インフレはすぐそこまで来ています。アメリカ産の牛肉の値段が、べらぼうに高くなっています。吉野家の牛丼が、今みたいな値段で食べられるのも、そうは長くはないと思います。残念でしたね。 デフレでは政権交代なんて起きません。フランス革命は小麦のインフレが遠因でした。 そしてそもそもヨーロッパの小麦がなんで不作になったかといえば、1783年浅間山噴火の影響といわれています。天安門事件も、イデオロギーの手前に、急なインフレがありました。因果とは、風なのです。台風のようなものです。因果は巡り、時として吹き荒れます。コロナ禍で、世界規模の金融緩和が続いているうちは、革命なんて死んでも起きませんが、米国がそろそろ金融緩和をやめますので、来年の今頃は、革命になってるかもしれません。それまでは寝てましょう。 まるちゃんの赤いきつねが、コンビニで300円くらいになるまで、日本の庶民は投票に行きません。ロボトミーだからです。外食産業はコロナ禍よりも前に、衰退してましたけど、インバウンド需要が目くらましをしていただけです。 私と同い年の、失業している中高年YouTuberが、6月の食費を動画のなかで発表していましたが、削りに削って、5000円を切っていました。先月はお米買ってないと言っても、極限まで切り詰めていますね。 そのおっさんは、その食費と同じくらいの2ヶ月分のNHK受信料を巻き上げられていて、この世界の理不尽を感じます。私なんて、DMMのチューナーのないモニターしか持ってませんので、そもそも支払う義務がありません。 ちなみにその男のYouTuberとしての広告収入は、月一万円にも満たない金額でした。YouTubeバブルは、完全にはじけてますね。広告そのものの終わりが来ています。気持ち悪い広告メッセージのない世界は、もうすぐそこまで来ています。

2021-07-04 20:22:00

ものごとを逆に考える

ダイソーで売っているもので、まったく想定していなかった使いみちを見つけられたとき、アドレナリンが出ます。 なのでダイソーにいくと、ついつい長居していますが、それは、まったくの新しい使いみちを考えながら、欲しくもない商品を見ているからです。 両面テープで透明なものは売ってないのですが、ポスターを貼る両面粘着の透明シールはあります。ドライブレコーダー録画中のシールを車内側から外に貼りたくて、あれこれ考えていたら、この商品にたどり着きました。 車検とは、日本というしょぼい満洲国2.0に土着の、世界に通用しないクソ制度ですけど、窓の外に車検シールを貼ると、風化で剥がれてしまったりして、行政が車検飛ばしの車両をチェックできませんので、車の内側から貼る方法を見つけ出しました。 広く薄く国民から掠め取るための、テクノロジーです。デジタルではなくシール。笑えます。政財官学マスメディアによる支配とは、車検シールを車の内側から貼るような、せこい統治の積み重ねです。 誰一人として取りこぼすことなく、車検で利権を貪るためには、内側から貼るシールが、必要です。私はその技術を、ドラレコ警報シールに応用しました。 みんな普通は、猫の室内トイレに使っている、何も印刷されていない新聞紙を、私は決めたテーマのすべてを書くための、広大なメモ用紙として使います。大前研一がコンサルするときに、大きな方眼ノートを広げて、クライアントと話をするらしいのですが、考えるための広げる紙の大きさでは、大前研一に負けていません。 ブログのアクセス拡大を目指すことより、ブログそのものをGoogleの音声読み上げ技術によって、音声コンテンツにしてしまうほうが、発想としては面白いのではないかと思っています。毎回、声で録音すればいいのですが、それだと毎日続けるのがかったるい。 Googleの音声読み上げで、わかる内容の文章に、逆に合わせてしまえばいいのです。スマホで仕事できるようにしてしまうとか、Chromebookですべての仕事がまわるようにしてしまう、というアプローチも、これとまったく同じです。 環境の制約を逆手に取って、無駄を省いていく、これも逆転の発想だろうと思います。フィーによる報酬を全否定する方法を考え中です。私がコンサルできることなんて、そもそも価値なんてありません。無料にして、あるいは劇的に利益を下げて、稼ぎ方の方法を、根底から変えてしまいたい、そんなことばかり考えています。会社辞めてもとりあえず、なんとか、めしは食えています。会社員やめて食う飯は、うまいです。

2021-07-02 21:00:21

現代の『方丈記』

ちょっと前に、元ニートのphaさんが、もはやSNSで言いたいことがなくなった、みたいなことを言っていましたが、この10年の変化とは、どんなことを発信したとしても、どんどんと人は、道端の石ころのようなチンケなものでしかなくなりつつあるという変化ではないかと思います。仮にバズったとしても、瞬間的にまわりで反応があるだけで、すぐに元の木阿弥に戻ります。 あと、亡くなった立花隆は、知の巨人だったとか言われてますけど、ひとりの人間が、知の巨人とか、もはやそのような見立てに、丸でリアリティーがありません。国民国家とか、地域とか、職域のようなものでさえ、権威がなくなり、うさんくさくなって、まとまりがなくなって、もはや最大で150人ぐらいの人間関係でしか、何かを共感できなくなってきている気がします。つまり、SNS などと言う、何億人ものつながりは、必要ないよねということが分かってしまいました。 アメリカのこととか、霞ヶ関のなかのこととか、経団連の元会長が死んじゃったこととか、オリンピック開催期間中は山手線の終電が遅くなるとか、ありとあらゆることがスーパーフラットに、どうでもいいことになってきました。いいねをつけることすら、かったるい。自分とはあまり関係のないつながりに、下手につながっていると、ろくなことがない時代です。 日本人は、Facebook をどんどん使わなくなっているそうですが、これから SNS は、より一層、小さいつながりへと変わる気がします。私が大学生の頃はまだインターネットさえなくて、たまり場には紙のノートが連絡用にありましたけど、SNSはあれでいいんじゃないか、という気もします。 政財官学マスメディアと、わざわざつながっても、かったるい、仕方ないなと最近はますます思うようになりました。 地上波の貧乏ドラマのハッシュタグとか、都議選のこととか、そんなの知らねーよ、という気持ちでいっぱいです。インターネットによる政財官学マスメディア支配から、逃れようとする社会心理、これを何て呼べばいいのか分かりませんが、昔からある言葉で言えば、世離れです。 鴨長明の方丈記は、世離れの文学で、あれは現代で言えばソーシャルデトックス、携帯料金を止められてからのダンボールハウス生活みたいなものだと思います。2010年くらいから続いてきた、ソーシャルメディア万能史観の終わりが見えてきました。Twitterのフォロワーが多い学生を採用する企業とか、これからはなくなると思います。

2021-07-01 21:00:32

新型コロナウイルスに関係する内容の可能性がある記事です。

子供の頃、親の都合で何回か、転校したことがありますが、私の場合、転校してしまうとぷつりと、それまでの付き合いが0になってしまいました。そんなに遠くへ引っ越したわけでもないのですが、新しいところにすぐに定着します。とはいっても、行った先で仲良くなっているわけでもなく、過去との関係があっけなく途絶えるというだけのことです。 会社を辞めて半年経ちましたが、転校してもいつまでも元いたクラスに帰りたがる人は、転校に向いてないので、廃校になるまで、とことんその学校にいたらよかったのになあと心の中で思ってしまいます。 私の場合、ありとあらゆる同窓会に出ることそのものが苦痛なので、Facebook なども一切やっていません。連合赤軍のセクト同窓会が、とてつもなく気まずいように、この40年間のくだらない新自由主義に毒された、学校や会社の同窓会もまた、気まずいものでしかありません。 私のざっくりとした世界認識によれば、連合赤軍の時代のあとは丸々っと、マルキン、マルビの新自由主義というクソみたいな時代が最近までずっと続いてきたのであって、未だに新自由主義的な世界観でしかものを見ていない人間と、同窓会のような時間を共にしても、何一つためになることはないのではないかと思ってしまいます。 国鉄や電電公社が、サッチャリズムのパクリで民営化されて、最近また再び国有化されていく、その壮大な無駄としての40年間が、終わりつつあります。超絶メシウマですね。しょぼい満州国2.0が、オリンピックを最後の花火として、ゆっくりと滅んでいく過程にあります。1936年のベルリンオリンピックを超える、極めてカルト的な、プロパガンダいっぱいのクソ五輪、こんなものテレビを見て頑張れ日本、とか言ってる奴等は、燃え尽きている人たちだろうなと思います。 コロナ禍前の、ラグビーワールドカップとかの、アナウンサーたちの絶叫のトーンと、これから行われる東京オリンピックのアナウンサーたちの絶叫のそれは、後者の方が少し元気がないという意味で、笑えます。感動はさせたいが、己のタガは外せない、カエルが踏み潰されるような声です。 オリンピックが嫌ならば、テレビを見なければ、新聞を見なければ良いのです。ツイッターのアカウントを捨てればいいのです。このnoteも今日で最後です。しょうもないメディアごっこ、コンテンツごっこ、プラットフォーマーごっこ、検閲ごっこも、そのうち続けられなくなると思います。今日の徒手空拳日記も、新型コロナウイルスに関係する内容の可能性がある記事です。

2021-06-30 20:08:14

C2H5OHという支配の手段

また千葉県の八街市で、酒を飲んで運転していた男がトラックで、帰宅途中の子供達にツッコミ、二人の命が奪われてしまいました。このような事件があると、ほとんどの意見は、酒を飲んで事件を起こした張本人への罵詈雑言になりますが、日本では、社会としてエタノール問題についての解決手段を、完全に間違え続けているので、広い視点で見れば今回亡くなったり、大怪我をした子供たちだけでなく、トラックの運転手もまた、エタノールによる金儲けシステムの、被害者ということになります。 酒は悪くない、酒に謝れという和田アキ子のように頭の悪い、やや被せ気味の反論が、リアルに聞こえてきますが、エタノール産業とは、資本主義における凡庸な悪そのものであり、人の幸福を目減りさせる恐れのある依存性の高い薬物であって、徴税役人や、エタノールをつくって売っている、資本家一辺倒の社会を変えなければ、今回のような悲劇は、なんべんでも、繰り返し繰り返し、起こります。 今回、エタノールに酔ったまま運転してしまったトラックの運転手が、もっと早く己の薬物依存に気付き、治療を受けることができていれば、死ぬ必要のない命だった、ということです。エタノールの体内注入を、前提とする社会デザインそのものが、世界から消えていく運命にあります。コロナ禍はそれを加速させるでしょう。 人はなぜエタノールを飲むか、朱子学カルトの政財官学マスメディア、日本の場合は、社会がエタノールを、統治の技法、支配の手段として、必要としているからです。弱者をエタノール漬けにして、考える力を無くさせ、蓄財を防ぎ、反逆する意欲を失わせ、酒さえ飲めればあとは何でもいいという、アパシー、ゾンビ化を狙っています。 エタノールを注入されすぎて、早く死んでしまえば、医療負担も少なくて済む、さらに言えば、エタノールをだらしなく飲んでしまうやつが悪いのだという、自己責任の念を、政財官学マスメディアが挙ってプロパガンダすれば、エタノール産業はいつまでも栄えるし、社会は事件を起こすだらしない本人だけが120%悪いのだ、という懲罰感情で憂さ晴らし、エリート層にとっては一石二鳥の思うつぼです。 いつまでそんなエタノールの薬物プロパガンダを続けるつもりなのでしょうか。こんなの、オウム真理教のLSD統治と同じです。エタノールにしろオリンピックにしろ、一人一人が拒絶すれば世の中は2週間で、パッと良くなりますよ。政財官学マスメディアのエタノール・プロパガンダを盲目的に信用している人々の視野を広げることが、これ以上エタノールによる犠牲者を出さない、唯一の道ではないかと思います。

2021-06-29 20:14:31

noteはTwitterのスーパーフォロー機能で滅びるか

実際、半年以上使ってみて思うのは、この、noteって、とことんクソなので、今月いっぱいでもうやめて、7月からはポッドキャストの音声コンテンツだけにしようと思います。 noteみたいな、しょうもないドメスティックなサービスは、これからTwitterが日本でもスーパーフォローという課金システムをはじめると、即死だろうなと思います。 髙坂勝さんが時々 NHK ラジオ第1で、音声エッセイみたいなお喋りをしているのですが、あれがいいなと思います。文字のコンテンツは、プラットフォーマーによって検索されやすく、それは要するに検閲されやすいということでもあり、香港のリンゴ日報なんかもそうですが、文字のメディアは、どんどんやりにくくなっていくことでしょう。 それならば、音だけで情報発信したほうが良くないか? と最近は考えています。徒手空拳日記はどうやって毎日つくっているかと言うと、主に音声入力で、Google ドキュメントに1000文字ぐらい作文しています。その内容を Google 音声読み上げ技術で音声化して、音声ファイルにして、それをポッドキャスト配信しています。 文字の原稿は、要らないっちゃあ要らないわけで、noteというサービスが嫌いな私は、noteからは撤退することにしました。このnoteというサービスの、思想そのものが好きではありませんね。くだらないと思います。徒手空拳日記を始めた頃は、はてなをつかっていましたけど、はてなもすっかりクソサービスになり、noteもひどいなあ、日の丸テキストプラットフォームは、ほんと一刻も早くなくなって欲しいなあと思います。 工程上、テキスト原稿もできちゃうので、これからも Podcast にテキストデータは貼り付けるつもりですが、これからますます、SNSのコンテンツは、耳で聞いてわかるものしか残らなくなるのではないかなと思っています。 Twitterのスーパーフォロー機能は、おそらく月額で500円ぐらいのサブスクで、限定的な情報をフォローできる機能みたいですが、当然のことながら、私は絶対に利用しないだろうなと思います。もちろん徒手空拳日記を有料化する気もさらさらありません。毎月500円も支払って、誰かのクローズドな情報を手に入れたいなんて全く思いませんし、重要な情報は、図らずして自ずと、無料でオープンソースに上がってくるもので、500円を支払って有料コンテンツを買っている人間は、バカか狂人のどちらかでしかありません。

2021-06-28 19:41:04

ブレイキング・バッド、アモク、無敵の人

日が暮れると散歩ができなくなるところに住んでいるので、運動不足になりがち、そこで踏み台昇降のためのステッパーをAmazonで買いました。ダイソーでスマホを固定できるアームを買って、Netflixを観ながら踏み台昇降しています。暗くなってからそとを歩くと、クルマに轢かれそうなので、やばいです。 ブレイキング・バッドを全シリーズ見終わって、なんてすばらしいエンタメだったんだと痺れました。ブレイキング・バッドって、南部のスラングで、Urban Dictionaryによれば、 meaning to challenge conventions, to defy authority and to skirt the edges of the lawとあり、 要するに、「無敵の人になる」という意味だろうなと思います。若い頃、自分が加わったベンチャー企業で、アイデアだけ持っていかれて自分だけいい思いができず、うだつの上がらない化け学の高校教師を50歳まで続けてきた主人公が、肺がんであることを告げられて、家族に財産を残すためにと、覚醒剤を量産し始めます。 私がいまちょうど、主人公のウォルター・ホワイトとまさに同い年なので、感情移入してしまうのだろうと思います。彼がいざ法の枠の外へ出てしまったら、悪事に歯止めが効かなくなったのは、不遇だったこれまでの人生への恨みが原因だろうなと思います。私なぞは、人生既に大成功というていにして、法の外へは出ずに、政財官学マスメディアとは、できるだけ絶縁するような暮らしを目指しています。 アモクと呼ばれる暴力衝動がありますけど、ブレイキング・バッドの本質は、このアモクが近いのではないかと思います。ある日突然ブチギレて、くだらない社会人の社会から突然降りてしまう、そういった感情はコロナ禍でますます強くなっている気がします。 金曜日深夜の朝までナマテレビがYouTubeにアップされていたのでちらっと観てみたら、田原総一朗の老化がひどすぎで、フガフガ何言ってるのか全く聞き取れませんでした。片山さつきの声が聞こえたところで、速攻、再生停止となりました。 世界中のすべての人間を殺すことと、自殺することの効果は結局同じなので、ブレイキング・バッドとは、アモクか自殺のどちらかしかないとなります。ヒトラー、スターリン、毛沢東と自殺者は、目的は同じ、世界と俺様の間に二度と行き来できない壁をつくるという意味で、丸でおんなじだったりします。

2021-06-27 21:36:33

ベルリン1936を越える悪夢

まさに一面のみずほのなかを、毎日クルマで横切っています。ああ、みずほの国って、こういうことなんだなって、はじめてリアルに思います。お米がおカネだった国、めしを食うというと生計を立てる、という意味になります。めしの種を探して、住む場所を変えて、付き合う人を変えて、時間の使い方を変えてみたら、意外といい感じです。 みずほ銀行っていうネーミングのアイデアが出たとき、関係者はきっと、なんていい名前なんだ! って悶絶したんじゃないかと想像します。富士銀行の富士を越える名前が必要でしたからハードルは高かったはずで、そうだみずほだ! とひらめいた人は、本当に偉いと思います。でも結局は、みずほ銀行というものが、みずほのイメージを悪くしてしまっていて、こりゃとんだ噴飯ものだなと思います。 メガバンクなんて15年前に必要なくなっていて、実際はもうゾンビみたいなものなので、私にできることは極力、彼らと関わらないことになります。大きな企業はもう、倒産することはなくて、死んだカブトムシのように、アリさんによってバラバラにされるだけのことです。 株屋さんから、AIによってすっかりインテリ人間が、いなくなったように、銀行にもインテリなんて要らないと思いますし、経産省のキャリア官僚が、ペーパーカンパニーをつくって家賃支援給付金を騙し取ってましたけど、家賃支援給付金をやってる中小企業庁は経産省の外局であり、現在の長官は電通関係者と、サウス・バイ・サウスウエストという米国のイベントで、前田ハウスと言う名のパーティー、宿泊会場を設営していた経産省官僚の前田泰宏ですね。 経産省そのものが、組織ぐるみで血税を食い物にする、マッチポンプ集団だと言われても仕方のない、これはかなり致命的な事件だと思います。怒りを忘れたクソみたいな国民は、オリパラでユナイテッドバイエモーションなのかもしれませんが、ロボトミー手術で脳幹を抜かれているのかもしれません。 みずほとか、オリパラとか、経産省とか、20年後には日本にはもはやないのではないかと思いますが、日本国そのものが、ないかもしれません。日本とは、ほぼほぼ明治維新体制なので、明治維新体制がなくなれば、日本ではなくなる可能性だってあると思います。 東京オリパラに待ったをかけた天皇にしてみれば、みずほとか電通とか経産省とか、天皇と国民のあいだにいる没落貴族を取るか、国民を取るかの二択にあるわけで、そりゃもちろん政財官学マスメディアのねぼけた旧華族どもを棄てて、国民と寄り添う選択をするだろうなと思います。そんなの、当たり前のことです。だって今回のオリパラって、1936年ナチスのベルリン五輪よりひどいですよ。

2021-06-26 20:56:07

これはエタノールを穢れとみなす兆し

天皇がようやっと、東京オリパラのなし崩し的な開催に待ったをかけて、急速にワクチンの供給が細り、ウガンダの選手が変異株に感染していたことがバレ、既に日本に来ている選手の少なくとも6人がコロナ感染とバレ、あらあらやっぱだめじゃん、やめちゃいなよムードに変わりつつありますね。天皇と米軍が動いたら、日本は変わります。 いわゆる下りマンボウのなかにある東京、神奈川、千葉の飲食店への時短協力金が、最近のぶんがぜんぜん振り込まれておらず、いまだに半分くらいの店にしか、まともに支払われていないようです。埼玉県だけが支払い状況では、とっても優秀なんです。 小池、森田、黒岩のテレビタレント3首長、無能にも程がありますね。バッタバッタと都内の店が潰れていきます。飲食店だけが、狙い撃ちされるというこれだけクソな行政も、なかなかすごいなと思います。 東京の居酒屋やレストランは、集団訴訟で国や地方自治体を訴えるべきだと思いますが、私がどうしても拡大解釈してしまうのは、この異常すぎる国ぐるみの飲食禁止政策とは、実は、行政が無能なのではなく、世界レベルで起きている、エタノール排除、脱薬物の現れなんではないか、というものです。 これはきっとエタノールを、穢れの対象とする、エタノールからの無意識の卒業なのではないかと思います。人類が大規模なエタノール依存に陥ったのは、資本主義が大規模化してからのこの数百年のことであって、さすがにみんなもう、エタノールは百害あって一利なし、であることに気づいてしまいました。 エタノールとアスベスト、段々と似たような有害なものになってしまいました。いまとなっては、エタノールなんて、単なる有害薬物なので、そろそろこの辺で、コロナのどさくさ紛れで、人類はエタノールやめちゃおうかなという無意識を、権力者がうまく利用しているのではないかと思います。 グローバルなレベルで、エタノールが因果応報の穢れになりつつあり、コロナ禍でそれが一気に加速したと思います。コロナがおさまっても、エタノールの消費量は元には戻らないかもしれません。リモート飲み会なんかも、いつの間にか廃れました。会社のクソみたいな宴会も、あまりにアホらしくて元には戻らないと思います。 コロナが消えても、飲食店の店員が、マスクをつけているのが、これからのスタンダードになるのではないかと思います。知らない人の、唾液のかかった食事なんて気持ち悪い、という不可逆的な潔癖症に見舞われます。ウェイターの仕事は、中国のようにどんどんロボット化されるでしょう。ニューノーマルのままでいいじゃん、ということのひとつが、エタノールナシでいいじゃん、だろうなと思います。

2021-06-25 21:41:01

旗振り役としての朱子学カルト

あれ、結局はオリパラ会場でお酒、飲めなくなってしまいましたね。意志薄弱、なんなんだよお前らって思います。日本は空気ではなく、エタノールに支配されています。だからこそ、エタノールをストップすれば、社会は酔っぱらいとシラフに分断されます。エタノールはコロナ禍とは関係なく、この5年くらいで少しずつ嫌われて、コロナ禍で政治屋が不作為をエタノールのせいにして、大衆の酒嫌いが、完璧に決定づけられてしまいました。 日本のエタノール血中濃度は、ボラティリティが大き過ぎ、これからひと月後、オリパラは結局、開かれていないのでは、と思います。都議会議員選挙が明日告示されて、7月4日投開票となりますが、低投票率間違いなし、勝者のないスカタンの都議選になりそうです。 宮内庁長官が、天皇陛下はオリパラによる感染拡大に懸念と拝察と述べたのに対して、会見あけたらカトウのゴハン論法はまた、発言は「宮内庁長官自身の考え方だ」と言い切ってましたけど、日本では、だいたい天皇が動き始めると、いろんなことが動きます。政財官学マスメディアなんかよりも、米軍と天皇が動くそのときに、歴史は動きます。 スポーツ中毒、エタノール中毒の朱子学カルトからすれば、なんとしてでも開催の死守なのかもしれませんが、天皇が動いたらもうだめです。よく、天皇には権力がないと云われますが、権力がない権力こそ最強の権力な訳で、生まれたばかりの子どもは最も無力だからこそ、力を持つのと同じことだと思います。 この前Gセブンをやったイギリスのコーンウォールの、16日までの1週間の10万人当たりの感染者は131人と、イングランド全体の90人を大きく超えたとBBCが言ってましたけど、まあ普通、オリパラもこうなるわなと猿でも思う訳で、丸川珠代による厚顔の既成事実化が、チャラになったと思ったほうがいいと思います。 私のスタンスは、オリパラやってもやらなくても、テレビ見ないのでどうでもいいし、やってもやらなくても、パラリンピックの終わる9月5日は必ず、やってきます。プロパガンダが効かなくなって、リニアモーターカーも大阪万博も、空中分解するといいなと思います。オリパラ終わって、デルタ株が蔓延、日本死ねとなるよりも、リニアモーターカーみたいに中折れ、中止したほうがいいと思います、 朝日、読売、毎日、日経、産経は、オリパラ会場でまた、社旗とかうちわとか配るのでしょうか。新聞社の広告とか販売のセクションにはいってしまうと、イベント会場でひたすら旗とかうちわを手当り次第ばらまく仕事をやらされます。明治時代からなんにも変わってませんね。

2021-06-24 22:26:09

逃げよ、生きよ

76年前の今日は、沖縄戦の負けが決まった日で、組織抵抗が終わった日とされていますが、それはつまりこの作戦の責任者であった中間管理職の、牛島満が自殺した日です。正確には22日早朝に死んだと言われています。 牛島は1942年4月、国内中がまだまだ勝ち戦に酔いしれていた頃に、こんなことを言っています。 「戦局全般を冷静に判断したが、前途は極めて厳しい。特に米軍を中心とする連合国の豊富な物資と強大な兵力は、警戒を要するところである。日本軍の先制攻撃による戦果を過大に評価してはならん」以上、引用終わりです。 戦局がやばくなってからは、牛島のような、人望のある人間が、負けの色濃い戦地に飛ばされて、責任を負わされ、死んでいきましたね。朱子学カルトの不気味さの本性は、こういうところです。優しくて立派な人間が、自ら死んでいくように仕向けていく、奴らは彼らを人柱にして、敗戦後も生き残り、米軍の奴隷となりながら、76年も体制を維持してきました。 カルト組織によって己の死を選ばされる、優しくて、立派な人と言えば、森友学園問題で自殺した赤木さんのいわゆる赤木ファイルが、ようやっと開示されましたけど、安倍晋三は商店街に遊説にでかけたときに、商店街の経営者に頼まれた色紙に、なんて書くかと言えば、「真実一路」なんです。 まともな思考能力と、人間としての哀れみを持っていると、あれよあれよという間に、自分で自分を殺さなければならないところまで追い込まれますけど、ずる賢い人間は頬被りをひたすら続けて、ほとぼりが冷めた頃に浮かび上がって、安定の世に利権を貪ります。これは、日本人が、というよりもホモ・サピエンス全体の恐ろしさなのかなと最近は思います。 優しくて立派な牛島満は直属の部下とウイスキーを最後に飲んで、ハラキリで死んだと言われていますが、彼が死に際に残した遺書によって、6月23日以後も、日本兵は降参できず、切り込みという名の、ムダな戦闘が9月まで続いたと言われています。優しくて立派な人は、ずるくて醜い人に、結局は、捨て駒のように使われるだけです。 逃げよ、生きよ。周りを見回しても、優しくて、立派な人ばかりが苦しんでいます。彼らの窮地を無効なものとして、解き放つことはなかなかできません。人間というものをやめない限りは、Only the good die young.早死するのはいいひとだけがいつまでも続きます。フランス革命の次にこれから起きる革命は、きっと、優しくて立派な人による革命だろうと期待しながら、追い詰められて自ら息の根を止めた魂の鎮まりを、祈りたいなと思います。

2021-06-23 21:28:50

スポーツとエタノール

オリパラがなし崩し的に開催されます、良かったですね。さすが朱子学カルト、観客はお酒も飲んでOKとなりました。民衆をとことん酒浸りにするミン酒主義、一億総民酒党ですね。毎シーズンなんの意味もなく出てくるビールやストロング系のエタノール砂糖漬け新商品、スポーツにしろエタノールにしろ、それに依存してしまうと、遅かれ、早かれ、廃人になります。スポーツは素晴らしい、エタノールも素晴らしい、え? 本当ですか。スポーツもエタノールも、それで人生がぶっ壊れているサイレントマジョリティーだらけです。 毎日狂ったようにスポーツの練習するとか、毎日狂ったようにエタノールを体内にいれるとか、どちらも要するに、脳内麻薬の虜なんです。アスリートもアル中も、狂気の犠牲者です。スポーツやエタノールを国民国家の統治に悪用してきたファシズムに、いつまでも使い倒されていると、身体とココロがだめになります。 スポーツは観ない、やらない、感動しない、エタノールは、飲まない、酔わない、美化しない。そういった反社会人、反ファシズム、反朱子学カルトの心持ちがこれからはますます大切です。考えても見てください。スポーツで感動するとか、意味ありますか? エタノールで気持ちよくなるとか、意味ありますか? どちらもパッと見には、国民国家のいち員として心が盛り上がる気がしますけど、実際は個人の課題は何ひとつ解決しません。解決しないどころか、スポーツやエタノールの沼にのめり込み、人生が壊れてしまう人がかなりいます。スポーツに熱狂しながら、エタノールを体内にいれるとか、国民国家時代の、最もみっともない支配のされ方だと思います。 最近は、サッカーのテレビ視聴率がだだ下がりで、スポーツでラリることの底なしの虚しさが、Z世代には当たり前になりつつあるのかもしれません。日本がサッカーに勝つとか、エタノール飲んで日本経済をまわすとか、私に言わせれば頭おかしいのではないかと思います。がんばれニッポンとか、なんのことだ? って思います。日本のために頑張る必要もないし、人類とか日本とか、大きな主語にはなんの意味もありません。スポーツやエタノールで得られる共同体幻想なんぞ、心の底から軽蔑されるものです。 ニッポンが金メダルラッシュで酒が飲めるぞ、なんて、こころが卑しいと思います。直前にクソ暑い東京に来て、ロクにコンディションの調整もできず、極めてアンフェアな大会で、絶叫するスポーツアナウンサーとか、本当に恥ずべきプロパガンダの手先です。私はそうした蔑みをこころに秘めながら、スポーツもエタノールも一切お断り、完全スルーの夏となりそうです。スポーツもエタノールも、やがて無用となるでしょう。

2021-06-22 20:18:29

肉骨茶のようなもの

東京にあって、地方にはないものなぞ、ほとんど思い浮かびません。強いて言えば、イエ系ラーメンかなと思うのですが、ここらへんにも、じつはあるかもしれません。イエ系ラーメンと二郎インスパイアは、まるで違うラーメンですが、ここらへんまで来るとそれらの違いが曖昧になるような気がします。 YouTubeの広告が必ず2本連続になって、もはや広告に耐えて、見続けるのもしんどいですけれど、ブラウザを工夫して、できるだけ広告をスルーして、イエ系ラーメンばかりを追いかけている動画を見ています。イエ系ラーメンってなんで、朝ラーやってるところが、多いのでしょうか。 私がお気に入りだった都内のイエ系ラーメンも、店主が自分でつくるのをやめてから、一気にまずくなって、すっかり行かなくなりました。うまいラーメンも、店主が店にいなくなったら、だいたい終わりなんです。そこから学んで、私は誰かに仕事を押し付けて、その場所からいなくなる個人事業主には、絶対ならないつもりです。 イエ系ラーメンそのものが、洗練とは真逆の、超適当なジャンクラーメンなので、イエ系ラーメンが好きだなんて、決して威張れることじゃないよなと思います。 イエ系ラーメンに大量の業務用おろしにんにくと胡椒をかけて、バサバサの黄色がかっためしを食うなんて、どうなのかなあと思いますが、ラーメンなんてそれでOKだと思います。 そもそも、イエ系ラーメンが誕生したのは1974年とのこと、長距離トラックの運転手が、仕事の合間に趣味で密かに研究を重ねていた九州の豚骨ベースと、東京の醤油ベースを組み合わせたスープを開発したことに起源がある、とググると出てきます。 ラーメン二郎なんかも、元を辿れば台湾や東南アジアの、バクテーだろうなと思います。バクテーとは、ぶつ切りの皮付きの豚あばら肉や内臓肉を、漢方薬に用いる生薬と中国醤油で煮込んだ料理です。バクテーは中華系の港湾労働者、クーリーの料理で、それがまわりまわって、ラーメン二郎になったのだろうと思います。私に言わせれば、ラーメン二郎はラーメンというよりは、かたちを変えた豚料理です。 あんなもの、せいぜい480円くらいのジャンクフードなのに、やたらと高値で売られています。やんなっちゃいますね。イエ系も二郎系も、安い値段で塩分と油と炭水化物を摂るための料理ですが、それが日本ではラーメンと融合して独自の進化を遂げるのは、とても面白いです。

2021-06-21 22:10:40

政財官学マスメディア目線に立つ下々

日本のマスメディア情報は、そもそもニュースでは丸でなく、上級から下級への示達でしかありません。示達とは上から下への命令です。アジェンダセッティングはすべて上級のもの、下級は上級の恣意的なものの見方に、とことん飼いならされて、めしいになっています。東京オリンピックについて、上級からの示達は、いつの間にか、無観客か、観客いれるかどっちかな? になってますけど、まともな神経を持つ私のアジェンダセッティングは、うるせえ、中止に決まってるだろ、の一択です。 先日、27歳パチプロ男性が「経営者目線」で語る違和感という記事を読みましたけど、パチプロだけでなく、ネトウヨの中高年から小学生まで、下々もなぜか、政財官学マスメディア目線で物わかりのいいことを言う愚か者が目立ちます。彼らには長いものに巻かれろ、といった戦略性はほとんどなく、心の底からの奴隷根性が見え透いています。これは多分、応仁の乱以後ずっと続いている、この国の民の宿痾、不治の病だろうなと思います。 国際社会がやると言っているのだから、オリパラは、絶対やるべきとか、国際社会への責任があるので、もうやるしかないなどと、テメエは国際人でもなんでもない土人が、国際社会目線から奴隷のうやうやしさを見せようとするその奇天烈さ、不気味さはなんなのかなと思います。 米軍の犬の犬、そのまた犬の分際で経営者目線に立つとか、権力者の目線に立つとか、そういうものの見方そのものが、頭がおかしいですね。政財官学マスメディアに、すっかり洗脳されています。1964年の東京オリンピックも、サマランチイズムがオリンピックを商業主義で塗り替えた1980年代後半以降、長野オリンピックくらいから、日本人はオリンピックによって夢をかなえてきたという、電通による歴史の歪曲がすっかり行われてしまいました。1964年、当時の盛り上がりは、たいしたことなかったと、多くの文献が証明しています。 ワクチンが足りてない、打ててない、自衛隊を出そうといった、徹底的な飢餓感が演出され、メッセンジャーRNAワクチンの検証もなにもないまんまに、我先に、政財官学マスメディアの上の人の方から、職権を濫用してまでワクチンを打つ抜け駆け精神が見え透いてしまいました。 この醜い抜け駆けにさえも、下々からは、権力者の目線に立った、それの何が悪い、彼らは打って当然といった擁護論がわらわらと出ていましたので、政財官学マスメディア目線で、自分が明らかに損する論を吐く、いわゆる肉屋を支持する豚が量産されていますが、この精神構造は、別に新しいものではありません。さっさと肉屋に屠殺されてしまえばいいのに、とは言いませんけどね。

2021-06-20 21:20:52

国民国家の時間が解かれていく

東京を脱出して、サウナに行けるようになりました。こちらにもいいサウナは結構あって、しかも安いです。ひととおり虱潰しに出かけてみて、いいなと思うサウナは、少し寂れていて、人が少ないところです。東京では、新世代型のサウナ施設があちこちでできていますけれど、私は基本的にそういった小洒落たニューウェーブ系は、好きではありません。アホみたいに高いし、そういったサウナには、つるんでやってくるキモい男たちばかりなので、私のような単独行動主義者には、居心地が悪いんです。整う、という言葉にも、反吐が出ます。 こちらはクルマ社会なので、サウナを3セットくらい済ませて、さっさと引き上げて、クルマの中で仮眠します。マスクを外せるし、他人を気にする必要もないので、地方のサウナはそこが、利点だなと思います。相変わらず薄っぺらい手ぬぐい一本で、何もかも済ませますので、クルマの中に手ぬぐいを干しておけば、すぐに乾きます。水も2リットルのペットボトルを箱買いして積んでいます。クルマはオフィスでもあり、仮眠室でもあり、移動手段でもあり、都内では得られないライフスタイルを楽しんでいます。 クルマはオンライン会議にも使えます。音声入力も気兼ねなくできます。ハンドルにパソコンを載せる便利な道具もありますが、大抵のことはスマホでできます。都内にいるよりも、パブリックな空間にいる時間が圧倒的に少ないので、ストレスを感じる事がありません。 時々東京に戻ると、人の多さに辟易とします。数ヶ月前までここに暮らしていたことに、隔世の感があります。 他人にぶつからないように歩くことに苦労します。人混みを歩く感覚が鈍くなって、接触のニアミスが頻繁に起きるようになりました。 ダンバー数を上限とする村社会の中で共有されていた時間感覚が、産業革命で一気に国民国家のものになりました。9時から5時まで働くとか、盆暮れはみんな里帰りとか、夕方以降は会社の仲間同士でアルコールという麻薬をキメるとか、国民国家の時間に支配されています。しかし最近は、スマホの出現によって、個人に内在する時間の中で、 人は幸福を感じ始めています。働きたくないというよりは、国民国家の時間の中で管理されることが嫌なのではないかと思います。新聞やテレビなどのマスメディアがどう逆立ちしても、もうダメなのは、彼らの時間感覚が、国民国家の古いものだからです。 スローなライフスタイルとは、要するに時間感覚を個人に取り戻す運動です。アルコールを飲まないのも、時間を個人に取り戻すためには、とても有効です。オリンピックがアホらしいのは、国民国家による時間支配の極地だからだと思います。 これからスポーツはどんどんと個人に内在する時間の楽しみに切り替わっていくでしょう。

2021-06-19 19:54:06

民酒主義

ふとした時に、読売新聞の一面を見かけてびっくらたまげたのは、今日のトップ記事の見出しが、「酒、夜七時まで 条件付き」となっていたからで、これは、吉幾三の酒よ、みたいな唯酒論だなと思います。この世界には何よりもまず酒があり、酒あっての社会であり、組織なのです。わかるよなア、酒よ…です。ひとり酒、手酌酒、演歌を聴きながら。私はこういった、政財官学マスメディアによるアルコールドーパミン支配に、もうげんなりです。刀狩りでは飽き足らず、麻薬で大衆を骨抜きにして、コロナ対策もただひとつの政策が、酒というドラッグをじらすことという土人国家、あたおか120%ではないかと思います。唯一の希望は、アルコールで大衆を骨抜きにしている支配者もまた、アルコールの餌食になっているところです。 都内の居酒屋の苦境をくりかえししつこくえがく、というカギカッコつきの「ニュース」フォーマットにも心底げんなりです。先日都内をふらついてみたら、非常事態宣言中は、アルコールの提供そのものが禁止されているのですね。インド人って宗教的な理由もあって庶民はほとんどお酒飲まないのですが、感染爆発が起きています。そもそも、こんなにアルコールが野放しになっている日本が世界から見ればクレイジーなのであって、その観点から見ても、コロナ禍対策としての禁酒は、カルト国家によるほとんどオカルトでしかありません。 日本の「ニュース」はジャーナリズムでも、報道でもまるでなくて、上級国民からの示達でしかありません。上級の思い込み、上級の理想、上級の言い訳、上級のおためごかし、上級の見立て、いわゆる上級国民のものの見方が薄気味悪くパッケージ化されたものが、「ニュース」です。読売新聞の一面見出しも、お前ら7時までは酒飲めるってよ、よかったなという上級から下級への、おためごかしだと思います。 まあ私に言わせれば、政財官学マスメディアを支配している50代以上の男たちは、ほとんどがアルコール依存症ですので、上級も下級もあんまり関係なく、かれらは民主主義でも資本主義でもなくまず、酒中心主義ですので、国家の命運を握っているのはアルコール依存に陥った思考能力ゼロの、ジジイばかりです。 財務省を頂点とする会食独裁、酒精独裁ではないかと思います。馴れ合いと恫喝が、経済活動を支配しているので、ありとあらゆる産業が、世界でボロ負けしています。私の希望は彼らがこれからも、会食で、ご自宅で、ぐいぐいお酒を飲んで、正気を失ったままコロナ変異株に特攻して玉砕することで、このままいくとその願いだけは叶いそうです。よかったですね。

2021-06-18 19:36:02

なぜ君は高橋是清みたいに殺されたいのか

ダイソーの100円老眼鏡ではさすがにしんどくて、ZOFFの老眼鏡を買いました。あのー、シニアグラスはありますか?ってきいたら、リーディンググラスでございますね? と返されました。税込み4400円、ハズキルーペよりは安いけど、まぁまぁ高いです。 老眼鏡とはもう呼ばないことに、ある種の怒られたくない病、自主規制の発動を感じます。老いていくことはネガティブではありません。一方で、最近はCMタレントが、離婚したからといって主婦向けのCMを引きずり降ろされなくなりました。これは当たり前ですよね。 社会常識がどんどんフラットになり、不寛容になっていくことを、ざまあみろって思います。田舎とは呼ばずに、地域と呼ぶのは、老眼鏡をリーディンググラスと呼ぶのに近いと思います。田舎は田舎なので、地域なんて言い換えはよくありません。地域に対して職域のような言葉も、不気味です。 映画、なぜ君は総理大臣になれないのか、をNetflixで観ましたけど、日本の歴代総理大臣をよーく見てみれば、このポストは単なる補助椅子でしかないことに気づきませんか。小川淳也のような、地域の県立進学校、東大法学部、総務省官僚、国会議員というキャリアパスそのものがオワコンで、政治というものを明治維新のパラダイムでしか見てないから、IQをムダに使ってしまいます。 政財官学マスメディア丸々っと、目指しても仕方のないものです。みずほの頭取になっても、通帳やカードが機械に飲み込まれる重大トラブルを、ネットニュースで初めて知る、そのことにヒントがあります。明治維新システムにいまさらパラサイトしようとする発想そのものが、洗脳のフィルターバブルです。 いまどき政治家やってるのはバカか狂人のどちらかで、政治家をやるなら、信念とか政策とか、持っているだけ損です。世襲政治家は、信念とか政策なんて邪魔だから、一切持っていません。安倍晋三が選挙プロパガンダで商店街を訪問したときに、その店に色紙を贈っているんですけど、何て書いてあると思いますか? 真実一路ですよ。そんな奴らに人生時間を盗まれる生き方をしていることの虚しさしか私は感じませんでした。 明治維新以後であろうと、以前であろうと、この国で民主制がまともに機能したことなんて一度もありません。総理大臣を見ればわかります。この前、仕事のついでに赤坂の高橋是清翁記念公園に行ったらあじさいがきれいでした。高橋是清は、昭和恐慌と世界大恐慌で、軍事費を削減したら、青年将校にいまは高橋是清翁記念公園になっている自宅2階で胸を6発も撃たれて殺されました。 コロナ禍以後の乱世で、いまさら政財官学マスメディアの椅子取りゲームしか見えてない人間は、もはやなんの救いもないとは思うのですが、この国の内閣総理大臣なんて、命を賭けてまでやるものかといえば、丸でそんなこともないなと思ってしまいます。緊縮財政したら殺される、この歴史はまた繰り返すと思います。

2021-06-17 19:57:04

丸太の試し斬り

あれ、クロネコヤマト配達時間を過ぎても来ないなと思ってよく調べたら、私が日にちの指定を間違えていました。朝日新聞の届かない朝、NHK電波の届かない僻地で、キリンジのエイリアンズをYouTubeで聴いていると、なんだかとても最高です。この国でニュースという名で発信されている情報は、ソーシャルメディアの一部です。これは、承認欲求ではなく、生存欲求です。つまり「政治の本質とは、あいつは敵だ、殺せ」ですけど、ニュースとは要するに、あいつは敵だ、殺せ情報です。 スマホがドラッグなのは、それを手に取るたびに、あいつは敵だ、殺せ、ウォー! を感じるからです。お、あいつが殺されるのか! ザマアとか思ってしまい、ドーパミンが出ます。そうやって何百万年生きてきたDNAです。あいつが誰かに殺されているうちは、少なくとも俺は生きている、朝日新聞の届く朝や、NHK電波の届く朝とは、生存本能の確かな充実なのです。 だから田舎に逃げたって、政治からは逃げ切れません。内幸町のめちゃくちゃ風通しの悪いメガバンクでこの前起きたシステム障害について、頭取がその発生をマスコミのニュースではじめて知ったと証言していましたけど、田舎ではそんなことしょっちゅうありますし、あのメガバンクも構造は、都心にあるど田舎、ということだろうなと思います。 どこにいようと、ホモ・サピエンスは狂っており、おっかないわけで、アメリカ人が拳銃を持って武装することを権利だと主張するのも、ごもっともです。田舎だから人が善いとか、都市にいるから文明化されているとか、ぜんぜんそんなわけないんです。 すべては確率なんだろうと思います。田舎に来たら鍵もかけずに、網戸開けっ放しで寝てみたいです。ベッドのマットの下に、銃を隠しておきたい。せめて催涙ガスぐらいは隠し持っておきたい、アメリカ人がうらやましいです。刀狩りは1588年ですから、そこから先の日本人は、基本的には丸腰です。試し斬りされても泣き寝入り、スーガーにオリンピック開催という賭けに出られても、丸腰なので大人しくユナイテッドバイエモーション、感動をありがとう、コロナ禍に耐えてよく頑張った、感動したとなるのでしょう。 東京が、変異株培養の丸太置き場となって、国民の試し斬り、肩から袈裟のように真っ二つに切られた人々が、まっぷたつになったまんま、ゴールドメダルラッシュに感動しています。アレクサ、いつも感動を、ありがとう。ジェフ・ベゾスはほとんど税金納めてないってよ。

2021-06-16 22:35:10

中波の停波に思う

この春から北関東に来てみたら、TBSラジオの入りがよくありません。文化放送もニッポン放送も似たようなものです。それに比べてNHKはさすがの安定、カーラジオはまだほとんどワイドFMに対応してないのではないかなと思うのですが、ほとんどのAMラジオが、2028年を目処に、ワイドFMになってしまうとのこと、AMラジオは電波を出すのに大規模な設備が必要で、もはや維持費をまかなえないとのことらしいです。 育った家が激狭で、テレビは一家に一台しかなかったこともあり、物心ついてからずっとAMラジオを聴いてきました。スピーカーで聴くのではなく、イヤホンで、です。ヤクルトスワローズのスピーカーのない、小型ラジオを使ってました。乾電池が切れてもいいように、予備を用意していました。番組に、はがきを送って読まれたりしてました。まだギリギリでオールナイトニッポンとかが、パワーを持っていました。第一部だけじゃなく、第二部つまり朝5時まで聴いてしまって、その日の学校をサボるなんてこともザラでしたね。 AMラジオは急速に広告がしょぼくなって、過払い金を取り戻すとか、不自然なほど元気で明るいMCによるジャパネットたかたの通販番組とか、公共広告機構の埋草のようなメッセージばかりで、こりゃもうビジネスとして終わってるなと思います。コンテンツも、ギャラを削っているせいか、パーソナリティーが絞り込まれています。仮にワイドFMに移行しても、お金稼げない構造は全く変わりませんので、このまんま構造的なジリ貧が続くでしょう。 私は、こんな年なのにいまだにYouTubeでお気に入りのトークをイヤホンで聴きながら、眠りにつきます。昔の名残です。流石にNHKの深夜便とかだと面白くないです。YouTubeもCMが入らないようにしておけば、ラジオとしてかなり優良コンテンツです。AMラジオがAM止めるっていう記者会見の発表者がものすごい高齢者で、このメディアのオシマイを象徴しているなと思いました。 ラジオはなくなっても、音声のSNSはこれからますます豊かになると思います。人間は文字よりも音で、エンタテインメントにしろインテリジェンスにしろ、やり取りしてきたのですから、音声コンテンツが強いのは変わりません。この徒手空拳日記も、最近はポッドキャストがメインのつもりでやっています。 Amazonのエコーオートなどは、YouTubeの音声も、ポッドキャストも、ノンストレスでクルマの中で聴けますので、ラジオはますます生き残れなくなってきています。壊れかけのラジオですが、話術のスキルは普遍性があります。ラジオがなくなっても、語りのコンテンツは生き残るでしょう。それでいいと思います。

2021-06-15 20:31:07

YouTubeのドラッグポルノ

地方に移り住んでも、生活に全然困らないのは、基本的には、お酒を飲み歩かないからだと思います。スポーツに全く興味ないことと、お酒飲まなくてもなんとかなることは、似ていると思います。ユナイテッドバイエモーション、興奮を求めない、ステイホームというよりは、ステイカーム、ひたすら黙って、捨て置かれた古い家具のように生きています。 会社辞めたり、地方に移住したりするよりも、酒を辞めることのほうが、ドラスティックなのだと思いますよ。きっと。時々、お付き合いでビール飲んでも、もうおいしいって思えないんです。エタノールの味しかしません。薬物を飲んでも、おいしいわけないな、それで終わりです。 YouTubeって、あっという間にあらゆるタレントがなだれ込んできて、ピロヤンみたいななんの価値もないユーチューバーが淘汰されてしまいましたが、既にある程度のタレントユーチューバーでさえ、再生回数が苦戦していたりします。YouTubeプレミアムのテレビCMが流れているみたいですけど、YouTubeというプラットフォームそのものがもはや旬を過ぎたんだなと思います。 俳優の荒川良々が、飲み屋のお通しに絞り込んだチャンネルをやってるのですが、この番組では、ルールとして酒は、最初の一杯ワンオーダー止まり、お通しを味わったあと、もう一品頼んだら、お酒のおかわりはナシでお会計です。これ、お酒やめられない人が未練がましくやろうとする、節酒そのもので、観ていて寸止めが辛そうだな、お気の毒と思ってしまいます。 せんべろ女子ユーチューバー、れいランランさんのチャンネルも、このご時世で、飲み屋ロケのせんべろ飲みができずに、宅飲み企画の連打で苦労しているようです。ラムーという西日本激安スーパーで、ガッチリ千円分の酒とつまみを買って、家で飲む企画を見ていると、酒を飲むことの原的なしんどさを見せつけられてします。 酒場放浪記の吉田類さんも、よしだ類チャンネルをやってますが、彼もまたコロナ禍で外に飲みに行けない、企画の苦労を感じます。久しぶりにお顔を見たら、ドランカーフェイス、顔色がよろしくありません。 これこのように、YouTubeの酒を飲む番組も、競争過多、超絶赤ワインのレッドオーシャンになっています。フードポルノも、アルコールポルノも、どん詰まりです。Twitterから撤退して、いいことだらけでしたので、YouTubeもやめたらいいことだらけだろうなと思います。お酒を飲む自由という不自由に囚われていると、ろくなことありません。SNSもアルコールと同じ、あるいはそれ以上に有毒なドラッグです。

2021-06-14 22:32:21

報連相と沈言済

田舎に住むと、クルマで移動することが当たり前になるので、めっきり歩かなくなります。下手に野原を歩くと、虫に刺されます。まあ、酒を飲まないと、いつでもクルマで移動できるので、夜中に散歩したいなら、街までクルマで行けばいいんです。あるいは24時間やってるジムもあります。駐車場もどこでも無料ですから、なんとでもなります。基本的に、夕飯食べるのやめましたので、時間はあります。 田舎に住むと、Amazonの宅配も、デリバリープロバイダーという名の、よくわからない人ではなく、ヤマト運輸になります。ポストに入るものは、日本郵便です。ただし、注文した当日には届きません。よくわからないデリバリープロバイダーだと、玄関前に投げていくだけですから、当日だけどロークオリティの都心配送と、翌日のハイクオリティ配送、どちらがいいかといえば、私は後者です。 会社辞めてコンサルになるのも、東大出てマッキンゼーに行くのも、どっちにしろ、まともな神経ではありませんね。他人に知恵を出す前に、自分でなんかやればいいのに、自分でなんにもしてないのに、役に立つ知恵なんて、他人に出せますか? いまさらコンサルになろうと思っている時点で、目が曇っています。人気業種なんて過去の残像です。ボスコンとかサブスクのように、カタカナ4文字になった外来語は、だいたいクソです。 昔の漫画家とか、本当に作品が多いですけど、彼らは銀座で飲むか、仕事しているかのどっちかしかなくて、組織に使う時間がほとんどありませんでした。編集会議とか、企画の打ち合わせとか、組織の人間を仲間だと思ってないので、一切言うこと聞かなかったんだと思います。いまだとマッキンゼーに行くような奴が昔は大手の出版社に来てたわけで、彼らは自分が立派なんだと勘違いして、作家の活動にごちゃごちゃ言うようになりました。 大学出ただけの人間がごちゃごちゃ言うの、不愉快ですよね。何様なんだよって思います。朱子学カルトの登竜門は、大学入試と就活だなんて完全にオワコンです。会議の承認がないと前に進まない仕事なんて全部お断りです。お前らの組織のことなんて知ったことか、はやく潰れろとしか思えません。彼らは報連相だけじゃなくて、チンゲンサイって言う戒めもあります。沈黙して言わずに済ませる、の略だそう。報連相もチンゲンサイも、官僚制のしきたりでしかなく、いまさら報連相してる仕事ごっこやってる時点で終わってます。

2021-06-13 22:34:45

反社会人でいいんでは

ああ、嫌だなって思うのは、こんなこと言ってもわからないだろうなって思いながら資料つくることで、なんにも考えてない人に、私は、こう考えますっていうのを伝えることの無力感です。こっちは考えている、あっちは考えてない、伝わらないのは当たり前で、そのくせに、俺にわかるように言えとか、言われます。 それがアホらしくて、会社辞めました。それからはラクになりましたね。考えてない人が、視界からぱっといなくなりました。この人にわかるようにどう言おうか、そういうストレスから解かれました。金輪際、わかってもらおうとは思いません。 腹を割って話す、とかも意味のあることには思えません。言いたいことを言うと、ろくなことありません。めんどうで仕方ありません。あ、これってひきこもりです。ひきこもり、最高です。サラリーマンやめて思うのは、コミュニケーションなんてくだらない、ということです。 考えていることは自分だけで、やっちゃえばいいんです。説明してみろなんて、だれからも言われたくありません。黙々と実行してしまえばいい。クラウドファンディングとか、あんなものでカネ集めたら、怨念の後ろ髪を引かれて一歩も前に進めないと思います。ネットのおかげで、ひとりでできること、増えました。 明日から、この人と一緒だよ、はい、そうやって生きていけっていう社会は、もう終わって欲しいです。大学も会社も、必然の運命共同体っていう雰囲気が、もう駄目でした。自分の勤める会社のことを、ウチっていう人に虫酸が走るんです。こんなの、ウチじゃないって思ってしまいます。大学や会社の同期と、いまもこれからも全然会いたくありません。 人にアイデアを伝えることそのものが、めんどくさいです。組み立て家具も、説明書には必ず二人で組み立ててとか書いてあっても、一人で組み立てちゃいます。どんな買い物もひとりで行きますし、できることなら、食事もひとりで終わらせたいです。これからは、ひとりで稼ぎたいです。自分以外は全部客、そういう仕事がしたいと思います。 実は、コミュニケーション能力なんて要らないのではと思ってしまいます。絆という言葉は、家畜を繋いでおくための紐のことですけど、コミュニケーション能力って、絆の能力なのではないかと思うのです。

2021-06-12 23:33:33

馬車からクルマまでたった13年

私が子どもの頃は、都内地下鉄のホームでもタバコが吸えましたし、ほんのつい最近までは、JRのホームにも喫煙コーナーがありました。 JRというのは、国鉄時代の大量の赤字を、たばこ税とかに散らして、カタチだけの再生を果たしたので、ホームでタバコ吸えないようにすることが、タバコに失礼とのことで、なかなかできませんでした。 コロナ禍で、ホモ・サピエンスの群れの動き方が、ガラッと変わり、JRもまた、単なる国鉄2.0、再生不能の巨大赤字企業になってしまい、Suicaとかボロい手数料をかすめ取る下地も、いっきになくなってきましたね。鉄道そのものが、人口密度の高いエリアでは、長い目で見ると存続できなくなりそうです。 テスラがやろうとしているのは、例えば西麻布のスーパーにクルマで買い物に行くときに、いまだとスーパーの駐車場にクルマを停めて、買い物をしていますけど、それがそのうち、買い物をしている間は、無人の自動運転で、そこらへんをぐるぐるまわっているようになります。つまり駐車場があんまり要らなくなるのですね。 これを拡大していくと、テスラのオーナーは、家からオフィスまでマイカーのテスラで来たら、夕方までは自動運転タクシーとして走らせておいて、オフィスで仕事をしながら、タクシーで稼ぐなんてこともできます。そんな感じになると、山手線による大量輸送は、なくなるかもしれません。 社会の常識なんて、パッと変わります。1900年のニューヨーク五番街は、人と馬車ばかりでしたけど、1913年の同じ場所の写真では、自動車が渋滞していました。都市部の人流が、変わります。JRの収益構造は、過密した首都圏の大量輸送と、新幹線がドル箱でしたけど、その構造が壊れます。 新幹線も、カネがかかる割には、トラフィックがなくなります。サラリーマンの出張が劇的になくなりますし、金持ちはビジネスジェットをリースしたり、シェアしたりして、もっと自律分散型で動くようになるでしょう。若者を、新幹線に乗せようとマーケティングしていたシンデレラエクスプレスとか、いまとなっては意味不明ですよね。 私が学生だった頃はバブル全盛期で、都内から横浜アリーナのライブ見に行くのに、東京駅から新横浜まで、新幹線で行く若者とかいました。気が狂ってますね。NECを干せとリモート会議で発言したら、録音されてたIT担当大臣は、元電通社員ですけど、日本電気、とか電通とか、国鉄とか、電電公社とか、電気の電がつく国策会社こそが、干されてなくなるんじゃないかと思えます。良かったですね。テスラの自動運転による、とてつもないディスラプションに私は、期待しています。

2021-06-11 20:29:36

満洲日日新聞購読料の値上げについて

朝日新聞が、新聞購読料を値上げするらしいですが、ネットで流れてきたTBSテレビのニュースのテロップ見出しは、真逆に、値下げって、間違えて伝えていました。伝達すらまともにできないなんて、TBSはどこまで劣化しているのでしょうか。YouTubeのニュースって、地上波のニュースしか表示されなくなっていて、ここは末期のソ連かよって思います。 おとといアメリカのファストリーというコンテンツ配信サービスが止まって、日本のメディアも読売とか日経が閲覧不能になりましたけど、ニューヨークタイムズは、速攻でサブ回線に切り替わって復旧してました。何が言いたいかというと、新聞社は結局、紙で刷ってなんぼ、権力からいかなる弾圧も受けないためには、紙をやめたら言論ではなくなります。 日本の新聞は、紙だろうとテレビのニュースだろうと、ネットだろうと何で発信しても、戦前から続く政財官学マスメディア連合体でしかなく、単なる朱子学カルトのプロパガンダペーパーでしかありませんので、朝日新聞に毎月4400円も支払ってる人がいまも何百万人もいることが、この国の絶望そのものではないかと思います。 私がダントツでおすすめの日本の新聞は、アマゾンで買える、なんにも印刷されていないまっしろけ、白紙の新聞紙です。見開き全面を使って、鉛筆で何でも書いていけば、頭のなかは相当スッキリします。ペット飼育してる人も、インクが刷られてないので、安心安全です。安心安全という言葉は、こういうときに使うべきですよね。 4400円を毎月朱子学カルトのサブスクに使うことそのものが、もったいないおばけです。ニューヨークタイムズだって、もはや語学力なくても、だいたい読めます。村上龍が、日本のメディアは日本語という壁で守られている、と言ってたのはもう20年前で、エンタメ領域はNetflixやアマプラに完全に負け切ってますし、これからは、まともな言論、報道のコンテンツサービスもほとんどが、海外資本のものになると思います。 ググればなんでも自力でわかるこの社会で、いまだに明治維新プロパガンダ、単なる満洲日日新聞の恐怖新聞を読みたがっている人たちって、頭大丈夫かなって思いますよ。朝日新聞は、値上げの言い訳として、次のように言ってます。 ネット上にフェイクニュースが飛び交う今、新聞の役割は増していると考えています。引用終わり。 この「ネット上にフェイクニュースが飛び交う今」という現状認識が、ジャーナリズムとは思えない解像度の低さです。朝日新聞が調子悪いのは、満洲日日新聞だからです。アホらしくて一文字も読めません。こんなの読むくらいなら、もう死んでしまった人たちの、魂の叫びが刷られたものを、無料でいくらでも読んでいたほうがマシです。

2021-06-10 21:14:34

最初から、ないのと同じ

こんな奴らが公党の党首、どいつもこいつもクソみたいな人材ですね。政治って、時代の役割をもう終えているのではないかと思います。 国民が応仁の乱からなんにも変わっていないクズだと、政治屋もいいお顔してません。卑しい面相のオンパレードです。政財官学マスメディア丸々っと、真綿で首を絞められているみたいな引き攣り顔です。六本木で当て逃げ事件を起こした自民党の国会議員武井俊輔、本人も乗ってたのに当て逃げして、さらに車検も切れてて任意保険も入ってなかったとか、頭おかしいですね。私もブレーキランプが壊れているクルマとかには、近寄らないようにしています。 最近の、心底気持ち悪い朱子学カルトの組織は、人材ではなく、財産のザイを当てて、人財とか書きますが、ダジャレにもならない、単なる表記ミスです。こいつらは丸っと、罪と罰のザイの人罪ではないかと思います。枝野とか、松下政経塾ですよね。私に言わせれば、こんなやつ10年前の福島第一原発事故のときに終わってますよ。いまだに立憲民主党なんて支持してるの、日本労働組合総連合会、略して連合くらいですけど、この連合という組織も、爛れて腐っています。今どき春闘とか、頭イカれてます。 まあしかし、党首討論なんぞ、一瞥の価値もありませんね。スーガーの時間稼ぎで走馬灯のようにひとり回想される、東洋の魔女の回転レシーブの思い出なんて、誰ひとり見たくなんてありませんよ。東京五輪なんて、アポロ計画捏造説みたいなもので、東京オリパラも実は最初から無観客で、選手も観客もすべてCGなのかもしれません。だから、余裕で開催できるんです。 YouTubeで1984年のロス五輪の開会式映像をみると、東武ワールドスクウェアの小人まつりみたいで、本当にしょぼいです。あのオリンピック・マーチみたいなものも、いかにも適当につくられた、怪しい旋律です。日本人がロス五輪に食らいついたのは、ちょうどその年にロス疑惑報道があって、製造業で豊かになった日本人が、矢鱈とカリフォルニアとかサンフランシスコにあこがれていたからで、あともう一つはミスタージャイアンツ、長嶋茂雄がなぜか陸上競技を出ずっぱりで解説していたからだと思います。つまりは、テレビによるコントロールです。 オリパラなんて、テレビ見なけりゃ、それで終わりです。もともと正力松太郎と里見甫と笹川良一の、しょぼい満洲国その2のお祭りごっこでしかありません。ハリボテであることがバレて、もうすでにほとんどの人の心で、オリパラは終わっています。ものの見方が変わってしまったというか、洗脳が解けてしまいました。

2021-06-09 21:53:18

人の群れデトックス

2001年の今日、池田小で8人の子どもが殺されました。その7年後の今日は、秋葉原の無差別殺傷事件で、トラックに轢かれて7人が亡くなりました。私は人の群れにいないようにしています。またおかしな人が、この日を狙って、やらかすかもしれません。ソーシャルメディアのない時代にも、朱子学カルト国家はぶっちぎりの先進クレイジー、病んでいるめちゃくちゃな人はあの頃からたくさんいました。最近はソーシャルメディアをやめる、ソーシャル・デトックスなるものが矢鱈ともてはやされていますが、ソーシャルデトックスやるならば、政財官学マスメディアのすべてをデトックスしないと、片手落ちだろうなと思います。政財官学マスメディアもまたソーシャルメディアだからです。 ある人が、政財官学マスメディアは共依存の関係だと言ってましたけど、共依存ではなく、多重人格でもなく、彼らは、完全な同一人格だろうなと思います。財務省も経産省も官僚、官僚も政治家も朱子学カルトです。寿司は食べ始めは鯛とイカの差がありますが、食べているうちに丸っと魚類になります。政財官学マスメディアもまた、腹いっぱいになってからの寿司ネタみたいなものです。最近は政財官学マスメディアのなかでも、満洲国に近い人たちが、どんな手でも使うブラックな椅子取りゲームに、躍起になっています。マスメディアもソーシャルメディアも、椅子取りゲーム実況メディアでしかなく、そんなものを有難がっていると、ろくなことないと思います。 ソニーの4Kブラビアが、チューナーなしで発売されるみたいなんですけど、値段が高過ぎです。こんなん買う必要ありますか。DMMの4Kモニターで全然満足できますよ。くっそ高いソニーのテレビなんて、必然性が丸でありません。 どうしてもNHK観たいなら、ネットでNHKワールド観とけば充分です。劣化したBBCですが、国内向けの朱子学カルトプロパガンダの狂気が薄められています。 今日は6月8日でルンバの日です。ルンバのアマゾン限定仕様の961を使っていますが、かなり満足しています。部屋の構造を勝手に学んでくれるので、少しずつ掃除の時間が短くなります。ルンバとマキタの組み合わせが、おすすめです。 地方に移住してから、髪も家で切るようになりました。パナソニックのホームバリカンで、ど素人でもちゃんと散髪できます。必要十分です。家電は時間を節約する効果が高いです。同じくパナソニックのコーヒーメーカーは、挽き立ての豆で、全自動でコーヒー淹れてくれるので、便利です。 時間に追われて、忙しくならないようにしておかないと、SNSや政財官学マスメディアのフィルターバブルに洗脳されてしまいます。人の群れの密を避け、ひたすらダンバー数のなかで生きていくことができたなら、多少は正気のまま生きていけるのではないかと、祈っています。

2021-06-08 20:43:35

両極端を排除する構造

JOCの経理部長が電車に飛び込んで亡くなった都営浅草線の中延駅は、東急大井町線の中延駅との乗り換え客が多くて、私も会社員の頃は時々使っていました。都営浅草線って、冷戦期の頃の核シェルターだと思うのですが、大井町線から核シェルターのなかへ降りていくと、ひどく気持ちが淀んだことを思い出します。 オリンピックの経理部長がこのタイミングで死んでしまうとは、なんとも安定の開発独裁、満洲国2.0、日本の濃ゆい闇を感じます。新国立競技場の、マージン抜かれまくりスッカスカの、なんら芸術性のかけらもない、中抜きのアリバイとしてのしょぼいスタジアムを見ると、白蟻にボロボロに食われた日本の倒壊寸前そのものです。 A級戦犯でありながら、死刑を逃れた者たちの、者たちによる、者たちのための東京オリパラが、このまんま行われるのか、土壇場で開催不能になるのか、もはや変異株のこれから50日間の広がりかた次第、という気もしますが、満洲国2.0の視点に立てば、ここでこのイベントをやめると、満洲国2.0そのものが倒れてしまう、焦りがあるのだろうと思います。 戦争やスポーツそのものが、これからの時代には無価値化しつつあることがバレてきました。戦争のチカラもないし、スポーツのチカラもありません。世界最大のプロパガンダ企業である電通は、もともと日清戦争の様子を日本人に伝えると、やたらと儲かることに気づいた記者が、はじめた会社ですけど、その電通が、戦後はスポーツのプロパガンダによって金儲けをしたことは、必然だったと思うのですけど、わたしに言わせれば、戦争とスポーツは、地続きのものです。 大坂なおみの問題提起は、現代のスポーツそのものにある、時代遅れの衆愚統治自体への問題提起です。戦争がすばらしくないように、実はスポーツもすばらしくもなんともないという、本質まではなかなかたどり着かないですね。ハリウッド映画が、その国家プロパガンダ性を完全に取り除かれてしまったように、プロスポーツもその欺瞞性を完全に暴かれてしまうだろうなと思います。 戦争もスポーツもトヨタも電通も、国民国家が高揚する共同幻想のために、なんのためらいもなく個人の尊厳を蔑ろにする、根本的なアンチヒューマニズムという点では、似たりよったりです。トヨタのパワハラ自殺について、示談が成立したとのことですが、職域ムラで特別に役に立つ人間への過剰なすり寄りも、組織でスケープゴートにされ、「バカ、アホ」「こんな説明ができないなら死んだほうがいい」などという罵詈雑言は、実は根っこは同じ、両極端を排除する朱子学カルトの病理だろうと思います。 よかれ悪しかれ、権力から持ち上げられも、叩かれもしない、とにかく朱子学カルト組織から放置される権利が必要です。まずはテレビを家に置かないことから始めるといいですよ。

2021-06-07 21:10:03

足りないものを欲しがる人の心理

本日も私の自主的研究の成果を、ここに発表いたします。だいたい社会でだめな人って、なにか意見を求められると、あくまで私見ですがって、頭にやたらとつけたがりますよね。人が話す意見なんて、そもそも全部私見であって、わざわざ断るのは、朱子学カルトのお作法です。あくまで白いですけど、これは白線です、みたいなこと言っている人ばっかり、頭のおかしな組織は、凡庸な悪に脳神経がやられているせいか、ひとりひとりの言葉が死んでいます。 尾身茂なんて、ありとあらゆる科学的判断を率先して捻じ曲げてきた、しょうもないA級戦犯であって、こちらに科学的な知識なんてなくても、あの面構えさえ見ていれば、単なる権力の亡者、学者ゴロでしかありません。国会という、言質がバッチリ残るところで、私見ですが、オリパラやめとけって言いましたからねっていう責任逃れでしかありませんね。そりゃ港区白金台にご立派な家も買えちゃう訳です。 都市から田舎に移り住むと、虫との棲み分けがかなり大きな課題になります。スズメバチの巣がベランダにできていたのですが、それがスズメバチの巣であることは、Googleレンズで検索して、はじめてわかります。逆に言うとGoogleレンズは本当に神のようです。手書きだろうとテレビのテロップであろうと読み取って活字にしてくれます。 ムカデの侵入をどうしたら防げるかも、ソーシャルメディアですぐわかります。トマトのわき芽をそのまんま土に植えると、苗になって根付くというのも、ネットで始めて知りました。この数年でも、インテリジェンスへのアクセスは格段に良くなっています。 最近は、本を読んで気になったところは、すべてGoogleレンズでコピペです。書き抜き不要になりました。最高です。縦書きでも全然問題なく読み取ります。 たまにNHKのラジオニュースを聴くと、これはひとつの飢餓感マーケティングだなと思うのは、ワクチン接種がなかなか進まない、という報道は、そのまんまワクチンのとてつもない希少性をつくりだしているわけで、果たして、そんだけ貴いワクチンなら、職権を濫用して我先にワクチンを打とうとする卑しい首長がわらわら現れました。 私の自主的研究の成果としては、NHKの定時ニュースをいまだにありがたがっている人はオワコン、というものですが、メッセンジャーRNAワクチンの安全性は、どう贔屓目に見ても、まだまともに検証されていません。ファイザーやモデルナのワクチンこそが、実は新しいタイプのウイルス、というおそれもなくはないです。 私は、インフルエンザワクチンも一切打たないし、当然のことながら新型コロナウイルスワクチンも打つ気はさらさらありません。そんなリスクをおかすより、東京から離れることを選びました。これもひとつの個人的な研究の成果です。

2021-06-06 21:24:47

パノプティコンとシノプティコン

気がつけば東京オリパラまであと50日もないのですね。今日の47日前は、4月19日ですので、意味もなくその日の徒手空拳日記読むと、本当についこの前のことで、光陰矢の如し、あっという間です。 昔なら、こっそりと内緒にできたことが、すべてダダモレになっているので、本質的なことほど衆人の見えるように、サルベージされてしまいます。人間は、本質的な情報の嗅覚が犬のように鋭いです。防衛副大臣によるネタニヤフ支持のTweetも、あっという間に世界を駆け巡ります。中山防衛副大臣も、ネタニヤフとともに政界からいなくなるかもしれませんね。 私が辞めた会社も、予想通り、詳細なパソコンの使用履歴を把握するようになってきたようです。リモートワークの見える化、それはつまりパソコンのログを詳細に取ることで、パソコンが動いていない時間を、働いていない時間とみなすことに変わりつつあります。表立っては、リモートワークにおける働き過ぎを、防ぐなんて言いながら、働いていない人を炙り出す仕組みが、強化されつつあるようです。 そうなると、パソコンをとにかく動かしておくための仕事ごっこが発明されますね。会社というビッグブラザーにどこまで何を見られているかわからない怖さは、パノプティコンのようなものですが、仕事のないおっさんからすれば、仕事してないことが部下や同僚から見えてしまうわけで、これもまた責苦と言えましょう。 パノプティコンとは、パンがあまねく、オプティックが見る、ですから、あちらがいつこちらを見ているかわからないけど、見られていないとは言い切れない状態です。つまり見る側と見られる側の非対称的な関係です。インターネット社会になって、パノプティコンだけでなく、シノプティコンという現象も出てきたと言われているようです。 シノプティコンとは、シンクロのシン、つまり、同時に見られている現象のことで、多数者が少数者を同時に見ていることです。なんにもしていないことが、部下や同僚に同時多数に見られています。これはこれで地獄ですね。そうなると、とにかくやってる感が何よりも重要になります。私としては、もはやコネクテッドな明治維新システムは、パノプティコンとシノプティコンによって、詰んでいると思います。 明治維新システムが滅びるのは、リモートワークによってかもしれません。なにせリーマンショックから10年は、本当に実業がなくなって、あらゆる仕事が虚業になっている、そんな組織も数え切れません。世の中では、エッセンシャルワーカーが足りなくて困っているのに、明治維新制度の政財官学マスメディアという監獄には、ジョブレスのノンワーカーが何千万人も動けずに、相互不信と近親憎悪が深まっています。

2021-06-05 20:58:36

地域ムラ社会と職域ムラ社会

偉そうな組織には、たくさんの下部構造が紐付いています。だからこその偉そう、なのです。財務省には毛細血管のように税務署がありますし、警察も自衛隊も、顎で使い倒す組織があります。総務省には郵便局とか地方自治体とか放送局が、たくさんあります。お立場ご身分とは、下部構造の上にいることです。それが官僚制なのです。 言い換えれば、お立場ご身分とは指揮命令系統のことです。ワクチン接種も最初は厚労省の指揮命令系統でやらせてましたが、河野太郎は総務省に紐づく地方自治体に丸投げ、それらがうまくいかなくて、しびれを切らしたスーガーが、自衛隊の指揮命令系統でなんとかしようとしています。会社単位でワクチン接種することを、職域接種と呼んでいるのですが、職域という言葉はキモいです。地域というムラ、職域というムラ、どちらも結局は、相互監視のしょうもないムラ社会ではないかと思います。 地域と区別するための職域という、意味でしょうか。最近やたらと打ち手という言葉も目立ちますね。職域には産業医という打ち手がいるけど足りないみたいです。そもそも職場に病院機能がついていることが、私には不気味です。オウム真理教の林郁夫みたいじゃないですか。林郁夫は、結局地下鉄サリン事件の実行犯になりました。 会社辞めると損だよって言う人は、会社にとどまっていれば、病気になった時、露頭に迷わないよって言います。でも会社にいることそのものが、病を呼び寄せているかもしれません。シーズンごとに繰り返される無駄なリニューアルとか、毎年必ず行われるダイヤ改正とか、4年に一度のモデルチェンジとか、仕事のための仕事であって、それらはなんで繰り返されているかといえば、弱い人をはやく病気にして、気持ちを挫くためではないかと思います。 人間ドックも、働き過ぎ、お酒飲み過ぎの結果である病を、計画的に見える化するためのもっともらしい、おためごかしなあぶり出しのルーチンです。国民皆保険なんて、丸で機能してないことが、コロナではっきりしました。死ぬことはそもそも偶然であって、職域ムラ社会にいれば、健康になるわけでも、寿命が伸びるわけでもありません。 職域というムラにいれば、なんとなく安全安心なようにみせかけて、それは単なる早死に加速マシーンなのではないかと、私は疑っています。過労とストレスで心をだめにして、職域こそ人生と短絡させ、アルコール漬けにして、役に立たない廃鶏を量産しているのではありませんか。地域も職域も、近代の牢屋でしかありません。 政財官学マスメディアによるしょうもない絆という虚構の終わりです。社会人とは、緩やかなガス室ではないでしょうか。下部組織にふんぞり返って、偉そうにしている人も引いてみれば、ナチスのゾンダーコマンドでしかありません。

2021-06-04 21:22:50

プレーボールと同時にコールド負け

まあいいか、だからどうした、ひとそれぞれ。この3つをマントラにしておけば、大抵のことは大したことないなと思います。弘兼憲史がそう言ってました。オリパラもそんなにやりたいなら、まあいいか、コロナ禍だからどうした、ひとそれぞれです。観戦に子どもが動員されるとか、パブリックビューイングは中止とか、まあ俺子どもいないし、まあいいか、です。隈研吾による、劣化した無印良品みたいな新国立競技場が、みっともなさ過ぎて、哀しい、それだけのことです。 昨年生まれた新生児が、80万人を下回るみたいですけど、コロナは単なる引き金でしかなく、この国で子ども育てるのも、子どもとして生き抜くのも、中抜きやネポティズムが酷すぎてかったるいなと思います。親がバカだったり、貧乏だったら、生まれた時点で苦労が確定します。 奨学金という名前でありながら、借金でしかなく、つまり学費ローンです。汚染水ではなく処理水、学費ローンではなく奨学金、全滅ではなく玉砕、政財官学マスメディアによる言葉の小狡い言い換えを、鵜呑みにする人が、奨学金を返せないからと、まわりまわって保証人に督促が行くのですが、制度上は連帯保証人と半額ずつ払えばいいのに、全額支払っている保証人だらけです。 無理して支払っちゃう情弱には、実は半額でいいんですよなんて、日本学生支援機構は、絶対に教えてあげないんです。生真面目な情弱ばかりが、いつもカモにされます。こんな制度、どう逆立ちしても奨学金ではないし、国家ぐるみの過払い誘導、一種の詐欺ですので、私などからすれば、この国で子どもを設けないことこそが、ベストアンサーとなるわけです。 孤独死した老人の部屋に置いてあった家具や家電を、どこからか仕入れてきて、それらをカネのない若者や技能実習生に、売りつける仕事も、あちこちにあります。カネがないから、テレビも要らない、洗濯もコインランドリーでいいや、コンビニのおにぎりなんて、高くて手が出ない、そういう若者がたくさんいます。奨学金が返せないから、水商売をせざるを得ないとか、パパ活しないと学費ローン払えないとか、そういう社会なら子どもいないほうが気楽です。 親の年収と新卒採用の年の景気によって、その先の人生が読めてしまうクソ社会です。ワンチャンもほとんどありませんし、プレーボールの前に、コールド負け、そんな社会になんの意味もないのではないかと思ってしまいます。もう嫌だこんな世界は、俺の世代でもうたくさん、打ち止めです。 最近はそう考える人が、多いのではないかと思います。コロナが来たら、なおさらです。とてつもない不公正を前に、私などはなんにもやる気が出ませんね。せいぜい、もう死んでいる人の書いた本でも読んで、風呂に入って寝るだけです。

2021-06-04 21:19:16

承認欲求からステルス欲求へ

日本の主力産業はもはや、政財官学マスメディアという明治維新システムによる、ピンハネと中抜きくらいしかなくなってきましたね。クローニーキャピタリズム、あるいはネポティズム、自分で円を刷って、仲間内にがっぽり抜いてもらうという自称ビジネス・プロセス・アウトソーシングです。 パソナの決算が絶好調とか、そんなの当たり前で、竹中平蔵が内閣府の利権情報をいち早くゲットして、あるいは自分で利権をつくりだして、新しい血税の獣道に自分たちだけ先回りして、カネゴンのように貪り食らう、開発独裁のなれの果て、有り体に言えば、権力の腐敗ですね。権力は腐敗する、絶対的権力は絶対的に腐敗する、竹中平蔵も菅義偉も菅原一秀も、当然のことながら腐敗の結果です。 腐敗って何かといえば、微生物による分解です。日本という有機体の分解を進めている微生物は、なんなのでしょう。はいそれは、インターネットでつながっている名もなきひとりひとりです。腐敗って、悪いことではありません。うんこだって分解が進めば、肥やしになります。 腐っても鯛なんて、昔は言われましたけど、鯛そのものの価値が激落ちくんな訳で、政財官学マスメディアのお立場ご身分の暴落が半端ないと思います。鯛のプライドなんていつまでも持っていると、暗闇で頭をバットでかち割られますよ。腐った鯛なんて、頭割られてコンポストイレに棄てられて、糞まみれで微生物に分解されるだけのことです。 スペイン風邪のあとの途轍もない不況で、民主制も資本主義も壊れてしまい、日本では青年将校が権力者をぶち殺すところまで行きました。さすがにテロリズムまではエスカレートしないとしても、森喜朗のひきづりおろしかたのような新しいタイプの謀反がこれからは、どんどん発明されるだろうと思います。 ボケーっとお立場ご身分に恋々としているから、ひきづりおろされるのであって、そんな無価値なものは、とっとと捨ててしまえばいい、それだけのことです。持ってない人から奪い取ることはできない、失うものがなにもない人のことを、無敵の人なんて言いますけど、これからは無敵になった人のほうが、権力から狙われなくて、結果のほほんとしていられるかもしれません。 半世紀生きた、もう働きたくないでおなじみのピロヤンが、いよいよおカネがなくなってきたと言ってます。その割にはお酒の量が増えてます。彼もえらてんに唆されて、YouTuber などというものにならなければ、もっと幸せな生き方が見つかっていたかもしれません。有名になってチヤホヤされたい、自分を差別化したい、そういったつまらない欲望が、つまらない人を腐敗の養分にしていきます。

2021-06-03 21:07:43

戦略の略はデジタル

コンビニに行かざるを得ないことが、己にとってはマイクロな敗けとなっています。コンビニを丸で必要としないライフスタイルになってこその、戦略です。 戦略というと、中華人民共和国の国家戦略とか東京電力の戦略PRとか、マッキンゼーが教えてくれることとか、そういった大げさなものばかりが思い浮かびますが、コンビニの要らない毎日を目指して、どんな行動が必要かを紙に書くことができなければ、その戦略は名ばかりの、実は大して中身のない戯れ言に過ぎないと思います。 なので、この国から戦略という言葉をなくしたほうがいいと思います。そうしないと、肩書にだけ戦略がついている、磯野戦略推進課長とか、野比カスタマー戦略統括センター長などの、頭のおかしな人がわらわら湧き出てしまいます。 ダイソーとかは、買った商品に、ペタペタとシールを貼ったりしないのですが、ほとんどの小売は、買ったおしるしとしてのシールを貼ろうとしてきます。磯野戦略推進課長とか、野比カスタマー戦略統括センター長がバカだと、そういう悪しきエセ業務が増産されてしまいます。本当に、客や下々が迷惑しているので、やめて欲しいです。 そういえば私がサクッと辞めた会社の、底抜けに仕方のない上司が、気がついたら都心の僻地に、スコーンと飛ばされていました。良かったですね。実は、東京都港区あたりが、情報の鮮度がほとんど腐っている、昭和の価値観で偉そうにしている、矢鱈と狭い人間関係のいがみあいがひどい、本当のど田舎なのではないかと思います。 なんちゃら経営戦略タスクチームフォースとか、それが港区の高いところにある時点でもうやばいです。私のイメージでは、SDGsバッジを自信たっぷりにつけている、50代の役員手前くらいのおっさんが、一番やばいと思います。磯野戦略推進課長とか、野比カスタマー戦略統括センター長に、戦略って、なんですか? と、聞いてみるといいと思います。戦略の略に、デジタルの意味が入っています。コンピュータがなくても、デジタルはできます。コンピュータは、簡略をはやくするだけのことです。コンピュータなんて、最近の政治家の好きな、スピード感、加速化のツールでしかありません。 戦いを略したものが、磯野や野比の頭の中になければ、コンピュータは富岳であっても演算できず、たたひたすらに、居酒屋でつばがどれくらい飛ぶかを計算するくらいしか、使い道がありません。社会や組織に、味わい深い複雑なものが、そもそもないので、面白い戦略にならないのです。略すものがないスッカスカの組織は、熟議してもムダです。オープンにしても、なんの価値もないどころか、立派な犯罪でしかないことを、矢鱈と内緒にしたがります。

2021-06-01 21:31:01

熟議という現代の呪いについて

東京都議選なんて、本当にどうでもいいなと思う今日このごろ、よく考えたら私には選挙権が、ありませんでした。都民ファーストの会から、はや4年も経って、ネーミングが思いっきりファシズムの、日本ファーストの会なんていう頭のおかしな結党もありました。いまとなれば、都民ファーストの会自体が、気づいてみると、五輪ファーストの会になってて、彼らの政治的成果って、外食禁煙法くらいで、下手すると今度の選挙で消滅するかもしれません。良かったですね。 5月も終わりということは、今日は世界禁煙デーで、徒手空拳日記の毎年恒例である、喫煙をdisっておきたいと思うのですが、ここのところは人口密度のやたら低いところで生活しているせいか、タバコの煙をほとんど吸う機会がなく、喫煙をdisる気力が、ほとんど湧いてきません。酒もタバコもはるか昔のことなりけり、思えば遠くへ来たもんだ。 この数日で、最も印象に残っているのは、ご存知のかたはあんまりいないかもしれませんが、とあるコピーライターが、ネットの誹謗中傷を止める社会運動を率いていると思ったら、その人が過去のTweetで、特定人物を誹謗中傷していたという、壮大なブーメランが明らかになってしまった事件で、世の中的にはこのコピーライターを血祭りにあげている訳ですが、私の意見は少しだけ違います。彼の謝罪文のようなもののなかにあるテキストを引用します。 今後の活動につきましては、 猛省を深め、「SNSでの誹謗中傷を減らす」 という理念のもと、方向性の見直しを含めて、関係各所との熟議を重ねて参ります。今回の事案に関しまして、重ねてお詫び申し上げます。(以上、引用終わり) ここに出てくる熟議という言葉に、このコピーライターだけではない、この社会が囚われているところの病があるなと思います。疑いもなしに、熟議を素晴らしいものだと考えているから、ソーシャルメディア中毒になり、他者を誹謗中傷してしまうのであって、近現代人はむしろ、熟議なんてものをやめようよ、って私は思います。 これまでの人生で、私、誰かと熟議をして、良かったことなんて、ひとつもありません。コミュニティとか、学びとか、気づきとか、熟議を素晴らしいものだと疑わない人のざれごとではないかなと思います。熟議が正しいと思い込んでいる人で、優れた人を見たことがありません。 体力の限界までテニスをやって、試合に負けたプレーヤーに、試合後必ず、メディアとの会見という熟議を義務付けているのも、近現代の変形した暴力だろうなと思います。選手の人権という意味で、大坂なおみの今回の謀反は、東京オリパラにおけるアスリートの謀反へと、確実につながっていくと思います。東京オリパラを止められるのはアスリートだけです。

2021-05-31 22:39:25

ナチスの「マイナンバーとデジタル庁」

Netflixでスピルバーグ総監督の「最後の日々 生存者が語るホロコースト」が観られます。これはヒトラー政権とホロコーストの恐怖を生き延びた5人のハンガリー系ユダヤ人の悲痛な体験を伝えるドキュメンタリーですけど、DHCの会長がいたずらに煽っているレイシズムのなんたるか、そのおぞましい狂気を知るには、本当に貴重なリールだと思います。 あともう一つ観ていて気づくのは、ナチスによる最終的解決と呼ばれるユダヤ人殲滅活動は、彼らの身体にマイナンバー、つまりユニークナンバーをタトゥーで彫り込んでいたことで、これ、デジタル庁じゃん、ということです。実際に、ナチスはどうやって、大量のユダヤ人をあの時代に管理していたかというと、IBMにつくらせたパンチカードというシステムによるものです。 パンチカードというのはWikipediaをコピペすれば、厚手の紙に穴を開けて、その位置や有無から情報を記録する記録媒体のことで、要するにパソコンのない時代の、デジタルメディアです。ナチスはパンチカードで、極めて正確にホロコーストのユダヤ人を管理していました。 透明でオープンなデジタル庁、などというのは、表向きのお飾りでしかなく、彼らがウラでやろうとしているのは、国民ひとりひとりにユニークナンバーを刻印して、現代のパンチカード・システムで徹底して監視したいという、構造的にはナチスと同じことです。日の丸IBMの富士通はポンコツで、東京証券取引所を丸一日完全ストップさせてしまうような会社ですけど、凡庸な悪のレベルは、朱子学カルト最高峰だろうなと思います。 さらにまずいのは、デジタル庁がこれから進めるデジタルトランスフォーメーションは、その情報がすべてセールスフォース・ドットコムにだだ漏れという間抜けぶりですよ。オリンピックをプロパガンダのために使い倒したのもナチスですけど、よく考えてみれば、明治維新から続く支配層は、昔も今もナチス先輩を私淑しているのだなあ、ということで、どうやらどさくさ紛れに旭日旗もオリンピックスタジアムに持ち込みOKですし、セクシズムもレイシズムも、いまだに根強い朱子学カルト、政財官学マスメディアは本質的にはファシズムなのだということで、アウシュヴィッツに高々と掲げられていた、「働けば自由になれる」とは、日本の会社員システムにも貫かれている思想だろうなと思いますね。 日本のサラリーマンをいまも支配する源泉徴収というマネタイズシステムも、ナチスのまんまパクリですし、ドイツ人のIOC会長にひれ伏して、頑なにオリパラ開催にこだわる日本国とは、潜在的にナチスをなぞっているのだなあとわかります。そうなると、現代の日の丸ゲッペルスが、日の丸のヒトラーとともに滅びるのは、歴史の繰り返しなのかもしれません。

2021-05-30 21:42:48

酔いや狂いによる統治の終わり

社会人になったばかりの頃、同期が矢鱈と感動屋さんで辟易した思い出があります。人間大好き、会社大好き、同期は天才集団、みたいな人がたくさんいました。感動っていう言葉は、実はそんなに昔は使われていなかったと思います。小泉純一郎が、痛みに耐えてよく頑張った!感動した! と貴乃花に向かって絶叫したテレポリティクスは2001年5月でしたから、はやくも丸っと20年ですが、感動という言葉は、あの頃から矢鱈と使われ始めたのではないかと思います。感動っていう漢語に、ぴったりくる大和言葉がありません。 強いて言えば、胸を打つとか、胸が熱くなる、が感動に近い大和言葉と言えますが、胸を打つとは、感動に比べると、私の内部の個人的な作用です。胸が熱くなるも、個人的高揚でしょう。感動は、テレビを観て国民が感動する、テレポリティクスの目標、つまり儀礼の作用です。朱子学カルトがテレビを通じて、一斉に感極まるのは、宗教です。 感動に本質的に最も近い大和言葉は、酔いとか、狂いだろうと思います。感動をありがとうとは、共同のトランスをありがとうということで、酔いや狂いが身体に降りてきたことへの、卑屈な感謝です。感動をありがとうはつまり、宗教的なお導きへの感謝の言葉なのではないかと思います。 アサヒビールは、オリンピックを観ながらスーパードライを飲もうと言ってますが、これは酒飲みながら大麻吸おうぜに近い、ダブルダウナー麻薬のここちよさです。 日本の映画がダメになったのも、この映画は泣けます、が売り文句になってからですが、酔いや狂いに近い作用が、泣けるだろうと思います。世界の中心で、愛をさけぶの劇場用CMが、この映画を観て泣く何人もの女を編集で繋いだみにくいものだったことを忘れられません。感動できる体験とは、酔うこと、狂うこと、泣くことで、この感動による統治こそが、電通による統治の本質です。 世界の中心で、愛をさけぶは2004年ですので、日本における2000年代は、感動による電通統治の絶頂でした。やがてリーマンショックが来て、東日本大震災に見舞われ、日本経済が破綻してからはもう、酔いや狂いになかなか人は反応しなくなりました。依存症になるとアルコールやシャブの量が増えるように、致死量を越える感動の増量が必要になりました。東京オリパラとは、狂いの依存症の結果なのではないかと気づきます。 この20年間、感動させ過ぎて、もはや酔うことも、狂うこともできなくなっている日本人なのではないかなと思います。コロナ禍で、共同トランスができなくなり、ふと己に返ると、仲間だと思っていた共同体は寸断され、もはや酔うことも狂うこともできないこころとからだになっています。感動よさようなら、クソみたいな感動統治のご臨終です。チーン。

2021-05-29 21:40:08

反IOCと反DHC

私は、今年2月の徒手空拳日記で、次のように書きました。 IOCなどという国際官僚システムはそのうち、草の根の排斥運動の標的となるだろうと思います。 これが百日やそこらで、現実となってきて、わらわら、笑えますね。IOCとしても、中止すれば倒産の危機のようで、それはそのまんま電通の連鎖倒産かもしれないわけです。しかもオリパラが他と違うのは、東京オリパラの中止が、来年の北京や、2024年のパリ五輪へ、つまり未来へと極めて悪い影響を及ぼすところで、要するに信用不安です。 アルマゲドンが来てもオリパラはやるからね、でおなじみのIOC最古参のディック・パウンドって、英語をそのまんま和訳すると、チンコびんびんなんですけど、みんなそのことはスルーしてますね。ま、IOCの本質こそが、ディック・パウンドなので、名は体を表す、ナイスなネーミングです。 いまもまだ、応仁の乱以後のクソみたいな封建カルト社会を下を向いて生きる日本人は、国際連合、オリンピック、万国博覧会のことを、無条件にとことん過大評価してしまう哀しい愚民だったのですが、官僚としてのマスメディア、マスメディアとしての官僚が、反IOCプロパガンダを見て見ぬ振りをしているので、オリパラ洗脳、IOC礼賛がいっきに解けてきました。よかったですね。 IOCへの反感の次は、人種差別、レイシスト企業であるDHCへの反感が、これから起きてくるだろうなと思います。さいたま市がふるさと納税の返礼品で、DHCの製品取り扱いを見直したり、災害時の連携協定を結んでいる21の地方自治体のうち、3つが見直す動きを見せています。 DHCのビールに、ご当地の名産品をちょいと混ぜて、おらが町のビールだよとうそぶいて、ふるさと納税の返礼品にしている地方自治体も、おそかれ、はやかれ、そっと委託の手を引くだろうなと思います。レイシズムによる不気味な酔いと、DHCビールによるエタノールの酔いがどこかでシンクロしてしまいそうで、私としては、おえっとなります。 IOCとかDHCを見て見ぬ振りをしている魯鈍な民のミライトワは、どんな色にソメイティなのでしょうか。まあ、ひとことで言えば、凡庸な悪ですね。ふるさと納税でレイシズムのビールを売ってる人も、買ってる人も、日の丸アイヒマンですし、DHCのサプリメントとかを、いまも平然と売っているセブン-イレブン、ファミリーマート、ローソンなども、凡庸な悪のアウトレットではないかと思います。 イギリス、オリパラ、万国博覧会へのあこがれを貫いているのは、政財官学マスメディアによる、俺たちは欧米列強なのであるという、気の狂った勘違いです。そんなわけねーだろ。どこからどう見ても、極東のアジア人にしか見えません。己のことを欧米人であると信じ切っている欧米人の奴隷、これからの下り坂は茨の道です。

2021-05-29 21:36:53

こころとからだが壊れているよ

偶然生まれ、偶然に死ぬ。そんなこともわからない日本人は、己の存在をなんの根拠もなく必然の民であると洗脳されています。日本における和製英語のニュースとは、官製のプロパガンダのことです。官僚とマスメディアはシームレスなムジナ、官僚は記者であり、記者は官僚です。その区別はありません。いわば両性具有と言えましょう。インターネットにせよ、地上波のニュースにせよ、みんなが喜んで観ているコンテンツほど、ろくでもありません。プロパガンダだからです。 この国ではなぜか、コロナ禍とは外食における禁酒活動に完全にすり替わっています。ひと前で酒を飲まないことが祈りのように儀礼化していて、頭がおかしいです。政財官学マスメディアは、遅い、疎い、頭がおかしいので、もうかれこれ1年以上、外食で酒を飲むことを禁止しているだけの意味不明が強化されていきます。 独りよがりのパラノイア的な勘違いでしかない、日本の国際的な立場を守るためという目的で、ひと前で酒を飲むことを国体として相互監視する構造は、太平洋戦争のときも、コロナ禍のいまも、完全に同じです。戦争もオリパラも、やる必要なんてそもそもありません。それを通じて守るべきことなんてのも、はなからないのです。 日本ではリーマンショックまでが、テレビニュースによるプロパガンダの時代、震災以降が、SNSニュースによるプロパガンダの時代だろうと思いますけど、その両方の時代の心とからだを貫いているのは、アルコールによる神経中枢麻痺です。サントリーはケミカルなエタノールを、べらぼうな砂糖と香料でマスキングしたストロング系合法ドラッグの流通によって、神経中枢麻痺のレベルをぐいぐい引き上げてきました。 国民の神経中枢がアルコールによって完全に麻痺して、呆けているので、ブルガリ時計泥棒の統計アスペルガーが跳梁跋扈したり、満鉄調査部の放蕩息子でしかない失語のサイコパスが、野心を見透かされて権力のババを引かされたりしていますが、国民はひと前で酒を飲むことを相互監視によって禁じられているだけで、人目のないところでは馬がバケツの水をがぶ飲みするように、アルコール中毒になっています。 アルコールはその分解過程が免疫力の発揮そのものなので、アルコールを飲んでいると、ウイルスへの免疫力が下がります。いまの日本は、インド型の変異株へと入れ替わる過程にありますので、頭のおかしな東京オリパラが開催される頃には、インド株ウイルスがうようよいる東京湾を、選手が泳ぐことになりそうです。 断言しておきますが、これから先が、本当のコロナ禍です。ほとんど別物のインド株が、太平洋戦争における原爆のようなものになります。そのことに気づくまで、政財官学マスメディアはまったく自浄作用もないので、これから10年は暗黒の時代かもしれません。東ドイツのような解体過程を経て、明治維新体制が無効化していきます。

2021-05-27 20:44:18

上級による敗戦2.0

国際連合という名前に、作為的な隠蔽があります。United Nationsとは、実は連合国のことです。つまり、日本が負けた戦争の勝者の連合国です。それをわざわざ、国際連合と呼び直して、76年ごまかしごまかしやってきました。オリンピックも、国際連合という幻想の先にある、もうひとつの幻想でしかありません。国連とか、高度経済成長とか、官僚は有能とか、オリンピックは夢の祭典とか、こういったものは戦後の新聞とテレビが造り上げた虚構です。 連合国のグテレス事務総長が、コロナ禍のいまは、戦時下であると言いましたけど、これは要するに、弱い国、貧しい国がいま大変なことになってますよという警告です。オリンピックは、欧米の先進国がOKならば開催できるという視野の狭さは、数学アスペ高橋洋一と、失語のサイコパス菅義偉の、狭くて小さな世界観ですけど、弱い国、貧しい国、小さい国が、戦争状態なのに、先進国はオリンピックやれるの? 頭おかしいんじゃない? というリーサル・コンテクストが、わらわら出始めています。インドでは死者が20万人から30万人に増えるまで、1カ月もかからなかったわけで、こんななかで、呑気にオリパラできますか? という問いかけです。 政財官学マスメディアによる虚構は、国連やオリパラだけではありません。その後に来る大阪万博とか、カジノとか、リニアモーターカーとか、こういうものは現在の満洲国建設です。少し飛躍しますが、政財官学マスメディアの虚構、幻想に通底する概念とは、「我々は上級」というプロパガンダです。 上級だから、オリンピックをやる、上級だから、国連は大切、上級だから日本経済すごいぜ、上級だからクール・ジャパン、どれもこれも、政財官学マスメディアとは、上級そのものなので、下級の下々は難しいこと考えないで、言うこと聞いてなさいよ、ということです。 そろそろその、上級による下級洗脳が丸でできなくなってきました。愛知県知事リコール署名の捏造などは、虚構が粉々に崩れたあとの、最後の混沌かもしれません。日本維新の会の、維新というものが示したものの、実体が見えてきました。政治屋の卑しさ、財界の魯鈍さ、官僚の愚かさ、学界の疎さ、マスメディアのクソっぷり、こいつらが上級だなんて、ちゃんちゃらおかしいなっていうことが、かなりバレてきました。 よく考えれば、76年前に戦争に負けた当事者と、いま行き詰まりを見せている政財官学マスメディアの当事者は、プレーヤーがおんなじです。そりゃダメに決まってます。彼らに任せて、オリパラ見て感動しちゃう私達もそろそろやばいと思います。なんべんでも言いますが、大切なことは、政財官学マスメディアを鵜呑みにしないことです。上級から下流へのあらゆるきれいごとを、右から左へスルーしましょう。

2021-05-26 21:12:07

ピンはねが主力産業の国

たくさんお金を稼いだ結果、ようやっと評価されるという順番が、あんまりなくなってきましたね。むしろ、評価された結果として、望むと望まないとに限らず、お金が入ってくる、お金というものが、そんなもののひとつに成り下がって来たのかもしれません。よかったですね。 マネタイズという言葉は、マネーよりもろくでもない言葉で、マネーは経済の言葉ですが、マネタイズは政治の言葉です。革命が起きると最初にやってくるのは軍隊、次が警察、そして税金取りですけど、マネタイズとは税金取りのことですよ。 なんか勘違いでもしているのでしょうか、マネタイズありきのお仕事を、いまも取り憑かれたようにバリバリしている人には、1ミクロンも近づけません。いま思えば、大学生時代も卒業してからの社会人時代も、強烈なマネタイズ社会でしたので、あの頃の知り合いにも会いたくありません。血みどろのフルボッコ内部ゲバルトを繰り返してきた全共闘世代が、いまさらあの頃のセクト仲間の顔も見たくないのと、似ているかもしれません。 いまの日本に残された最後の主力産業は、もはや中抜き、ピンはねですけど、これをマネタイズと言い換えている人が多くてヘドが出ます。日本最大のピンはね組織である国民国家が吸い上げた税金を、上から下へと中抜きを繰り返して、最後はミャンマー軍事政権資本のアベノマスクを買ってきて、それを一軒一軒の家に配るのに、また郵便局にカネを落とす、そんな商流が、日本に残ったビジネスモデル、ニッポンモデルではないかと思います。 でかい会社は、もう、リーマンショック以降は全然稼げないわけで、あの頃からピンはね、中抜きを露骨にできる組織や人が、もてはやされるようになりました。リーマンショック前の最後のオリンピックが、北京でしたので、まっとうなオリンピックの最後は、2008年の北京オリンピックだったと気づきます。 田舎の百貨店の隅っこにまだ並んでいる、東京オリパラのライセンシーグッズ、ミライトワとソメイティという、何回名前を聞いても覚えられないキャラが誰にも買われぬまんま放置されています。 2018年3月にフォーブスのウェブサイトに掲載されたジェイク・アデルシュタインの寄稿記事によると、アデルシュタインは、このマスコットを「キュート」と表現しつつも、Twitter上で「未来的な青とピンクのキャラクターが古くさいジェンダー的役割に明らかに堕している」といった批判がいくつか見られたとコメントした、とあります。 青がミライで、男性。ピンクはサクラで、女性という、やたらと古臭いジェンダー設定は、その後の森喜朗によるセクシズム問題を、すでにそこに格納していました。ここに来て、日本人の8割がオリパラの開催にネガティブなのは、このオリパラそのものが、しょうもない中抜きとピンはねのなれの果てだと思っているからです。ミライトワとソメイティのキャラクターマーチャンダイジングで、140億円稼ごうとしていた大人たちは、ひっそりと損切りをはじめているでしょう。古い、疎い、頭のおかしな劣化明治維新組織によるマネタイズカルトは、いったいどこらへんまでが、ゴーイング・コンサーンなんでしょうか。

2021-05-25 22:22:31

オリパラ反対なら不視聴運動すればいい

今日、ようやっとPCR検査を受けました。周回遅れにも程があります。鼻に綿棒突っ込むやり方はもうなくて、単に唾液を提出するだけです。こんなもんさえ、検査するのに1年以上もかかるのは、頭がおかしいと思います。コンビニとか郵便局でやればあっという間に国民に悉皆で検査できますよね。コンビニも郵便局も、インフラでもなんでもない、単なる金儲けです。 海外旅行に行って、世界の人々の、特に第三世界やリゾート地で、みんながのんびりリラックスするありさまに触れて、ああ海外旅行に来てこころが洗われたなんて考えることそのものがおかしくて、たまに海外旅行に行って、そのことに気づくんじゃなくて、日本での毎日の日々をはなからもっとのんびりしろよって思います。そんなに遠くまで来て、何やってるのかなと思います。 旅行を過大評価し過ぎではないかと思います。だからゴートゥートラベルなんかで喜んじゃうんです。旅行なんていう消費財は、人類史でもせいぜい半世紀くらいの歴史でしかありません。旅行でウサを晴らすのではなく、毎日を腐らないで生きていることを目指すべきです。もともと旅行なんてない世界でみんな生きてきました。オリンピックで感動を貰うのも、毎日がつまらないから、みたいなのも海外旅行と同じでやたらとおかしいです。 自分の鬱屈としたものを、旅やスポーツや、オリンピックや、日本の国力で瞬間的に挽回するのは、麻薬を飲むのとおんなじで、そんなことで、解決するほどラクなものでもないかなと思います。いじめられてる子どもが、旅や五輪で救われないのと同じです。 高橋洋一という、数学バカのブルガリ時計泥棒が、ようやっと内閣官房参与をやめました。笑笑。高橋洋一とは、要するに竹中平蔵のエクセルシートでしかなく、竹中平蔵からしてみれば、思いつきを言うと、エクセルでエビデンスっぽいものをつくってくれる便利屋です。高橋洋一が内閣官房参与を辞めたということは、もはや日本の権力中枢では、流石に竹中平蔵も機能してないのだろうなと思います。高橋洋一と言えば、ふるさと納税の生みの親です。高橋洋一の終わりとともにふるさと納税も終わりが見えてきました。 オリパラの開催に反対ならば、いますぐテレビを観ることをやめるのが、一番手っ取り早いと思います。若者はすでに半分くらいしか観てないみたいですけど、オリパラ反対が8割なら、彼らがひたすらテレビを観ることをやめてしまえば、政財官学マスメディアにかなりのダメージです。ソーシャルメディアでごちゃごちゃ言っても、ほとんど無意味、敵が嫌がることを徹底的にするのが、最短のレジスタンスです。

2021-05-24 21:46:13

不特定多数という虚数

インターネットが水や空気のようなものになって、それはつまりn対nの世界が当たり前になってしまったということですが、日本ではiPhoneが普及してからまだ10年くらいで、n対nの世界が普通になりました。そうなってみると、インターネットに書くことがなくなってきます。phaさんの今日のブログの言葉から。 気づいたらインターネットで書くことが特にないな、という状態になっていた。ツイッターとか何をつぶやいたらいいかわからない。 引用終わりです。 これは私に言わせれば、n対nへの強烈な空虚感です。nを相手にまともに物申しても仕方ない。時間の無駄というものです。それならば、1になにか言ったほうがいい、当たり前のことです。SNSの時代が終わりつつあります。nに感動を与えるスポーツ選手とか、n相手にカギカッコのニュースを伝えるテレビ局とか、もうなんの価値も意味もないなと気づいてきました。 少し前だとインターネットの世界は、ブロゴスフィアなどと呼ばれましたけど、いまや類義語としてはネットですけど、もはやネットに10万いいねもらっても、そんなバズにたいした意味もありません。nとは要は、薄められた世界でしかなく、もはやそれは市場ですらありません。むしろ、nの中には決して還元されない一人の声、一人の顔、一人の消費に意味が揺り戻ってきました。 不特定多数の無意味化です。米国では不特定多数こそが、ろくでもない張本人なのだとバレてしまいました。不特定多数とは、虚数であるということです。しょうもないネット世界を見限って、両手で数えられるくらいの実数の世界に戻ってくる時代になるかもしれません。デジタルかアナログかではなく、大切なのはオーガニックです。日本の政財官学マスメディアは、いまごろデジタルトランスフォーメーションとか言ってて、バカ過ぎます。 徒手空拳日記は、日記ではありません。nに向かって書いているわけでもありません。目指しているのは、1対150くらいのガリ版刷りです。だから、バズる必要もないし、不特定多数へのアジテーションも不要です。noteには、やたらとフォロワー数を増やそうとしたり、有料化しようとしたりする書き手が多いですけど、徒手空拳日記は毎日のうんこのようなコンテンツなので、不特定多数に見て欲しいなんて思っていません。Twitterをやめたのも、nに時間を使うことがアホらしくなったからです。もしかすると徒手空拳日記も、もう書かなくて良いのかもしれませんが、いまのところは書かないよりは書いたほうが、自分にとってはいいことありそうな気がしています。 1対nのマスメディア、n対nのソーシャルメディアは、ともにnのコンテンツであって、大差ありません。コロナ禍の先にあるのは、強烈な1の世界だろうなと、私は予想しています。

2021-05-23 21:36:45

何度でも繰り返される負け戦

緊急事態宣言が、バカボンのおまわりさんの目ン玉みたいに、夏場まで地続きになりそうです。政財官学マスメディア、変異株の蔓延を、ただ呆然と見ているだけのマンボウです。医療関係者へのワクチン注射すらまともに完了させられないのですから、高齢者すべてにワクチン注射なんて、はなからできるわけもなく、当然のことながら、このままオリパラなんてまともにできるわけありません。 政財官学マスメディア、底抜けに無能過ぎて、超絶メシウマです。こんな奴らが旗を振って、ゴリゴリゴリ押しでオリパラはじまれば、北朝鮮みたいなアナウンサーが絶叫して、みんなが両手を挙げて感動するだろうって、お前らは朝鮮労働党幹部かよ、どれだけ大衆をバカにしているのかなって思います。 特に、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、日経新聞、産経新聞、北海道新聞については、オフィシャル・スポンサーならば、科学に基づいた合理的な開催を、スポンサーとしてIOCに要求するべきですし、そのスポンサーとしての要求がどうなるのかこそを、伝えるべきでしょう。なんなんですか、あんたらは。 スポーツイベントに、新聞社が協賛するという、私に言わせれば気の狂ったさきがけは、私の知る限りは、2002年の日韓ワールドカップにおける朝日新聞のオフィシャルサプライヤーで、ここであいた蟻の一穴が、およそ20年後のオリパラでの、しょうもないなれの果てなんだろうなと思います。 新聞なんていまでも読んでいるのは、政財官学マスメディアのお仲間だけではないかと思います。もはや、朱子学カルト内向きの官報でしかなく、こんなものがジャーナリズムとか、ちゃんちゃらおかしいなと思います。最近になってあちこちで、ワクチン敗戦だの、コロナ敗戦だの、言われてますがそんなの当たり前で、なにしろ大東亜戦争の当事者といまの政財官学マスメディアは、プレーヤーが完全におんなじです。だめな組織は何をやってもだめ、それだけのことです。 横浜で逃げたニシキヘビがやっと見つかったというのも、17日間もかけて外を探す前に、まずは逃げたアパートのなかを調べてないところが、びっくりです。なんというか、だいの大人の課題解決力が、劣化しまくりなのではないかと思います。ここでもまた、金太郎飴のように、だめな組織は何をやってもだめなんだなと、思います。 戦争に負けて、米軍に憲法を書き換えられちゃった政財官学マスメディアの、余りの無能さが露呈してきて、このまんまいくと、そのうちとんでもない断末魔がやってくるのではないかと戦慄しますけど、なるようにしかならない、政財官学マスメディアからできるだけ遠く離れて、彼らの巻き添えを喰らわないようにするくらいしか、こちらの対策もありません。

2021-05-22 21:07:46

参加することに異議がある

笑っていいともが終わって、昼飯時にテレビを見なくなって、なし崩し的にテレビそのものを見なくなりました。笑っていいともが終わったのは、2014年3月なので、あそこらへんから少しずつ、テレビを観ることをやめた人が増えていき、最近の若い人は半分くらいしかテレビ観てないって、NHK調査の衝撃的な結果が出てました。私も地上波もBSも映らない生活ですけど、なんの飢餓感もありません。 観光地で朽ちている看板を見かけると、コロナ禍の爪痕だという気がします。アルファベットで、YOKOSO ! JAPAN と書かれた看板のたぐいが錆びて、放置されています。ようこそを、アルファベットで書くことに、なんの効果があるのかさっぱりわかりません。日本語のわからない外国人には通用しないのですから。 このキャンペーンは2004年から小泉純一郎政権がはじめたとのこと。この頃は、私もあちこち海外に出張して、いまとなっては跡形もない、日本モデルの普及とやらの活動をやっていました。アジアはとにかく遅れているから、日本モデルを彼らに伝授してやるんだという、勘違いの思い上がりでしたが、あれから16年経って、もはや日本モデルたるものが、国民の自虐と自嘲の対象でしかなくなっています。 YOKOSO! JAPANなんていう独りよがりな掛け声を通しちゃっている時点で、はなから負けています。インバウンドというものによりすがって、現実から目を背けていたこの15年は、あまりにも酷い大敗北を、日本にもたらすこととなりました。 2019年の秋でした。築地の場外に行ってみたら、うなぎやウニなどが、ぼったくり男爵価格で、バンバン外国人に売れていました。歌舞伎座の地下も、コガネを持ったシニアが、歌舞伎を見るよりも買い物に無我夢中でした。あの頃の、ある種の詐欺まがい、コロナ禍で蒸発してしまった金儲けとは、振り返ればとてもよこしまなものではなかったかと思います。コロナ禍が落ち着いたら、インバウンドがもとに戻ることもなく、これからは下手をすると米国発のインフレで、首が回らなくなるかもしれません。 オリンピックは勝つことではなく、参加することに意義があるとは、近代オリンピックの父であるクーベルタンの言葉ですが、最近本当にこの言葉が使われなくなりました。オリンピックはカネを稼ぐことに意義がある、というサマランチズムの終わりです。たとえ開催されたとしても、尊敬されない単なるゴリゴリのゴリ押し五輪となります。 2004年からのYOKOSO! JAPANのなれの果てとしての東京オリパラ、やってもやらなくても、負のレガシーがもうすでに眼の前に現れつつあります。オリパラがどうなろうとも、コロナ禍がどうなろうともやらねばならないことは、見えている人にははっきり見えています。先が見えている人、読めている人にしてみれば、オリパラなんてもうすでに、終わっていますよね。

2021-05-21 21:21:51

社会も会社もどうでもよくなる

どうやったらバズらせられるのかって聞かれると、私は、バズらせないほうがいいですよって答えます。バズというのは蜂がブンブンうるさい音です。朝から晩まで三日三晩、蜂がブンブン言うのは無理なわけで、バズというのは、一過性のものです。有名になればいいことがあるっていう考え方そのものが、20世紀的、ミッドセンチュリーモダンです。ドナルド・トランプを見ればわかる通り、下手に有名になんてならないほうが、いいんです。 SNSだって、できるだけ見ないほうがいいんです。理想的には週に1個か2個つぶやくぐらいでちょうどいいと思います。フォローされてもフォローバックなんてせず、SNSに奪われる時間をすべて、ICレコーダーに向かって、べらべらしゃべることに使ったらどうかなと思います。社会関係資本より、自己資本です。グローバル資本主義のパラダイムから、早く抜け切ったものがこれからは、幸せになるのではないかなと思っています。 グローバル資本主義という強烈な宗教に毒されてできたのが、明治以後の政財官学マスメディアのシステムです。みんなが日本だと思っている幻想そのものが、グローバル資本主義のどまんなかなのです。そんなもの、はやく捨てた者が生き残ると思います。できるだけ、社会とまったく関係のない自己資本を、充実させていくべきです。 最近は、すっかり死語になりましたが、セルフ・ブランディングなんていうチンケなことはゆめゆめ考えずに、自分が納得する自分、自分が好きな自分にだけ、なれることだけ考えていたいです。社会に評価されるのではなく、自分に評価される自分になることです。SNSではなく、己との対話を大切にしたいです。 己との対話、己が愛する者との対話、それでもう、時間もいっぱいいっぱいではないかと思います。社会に評価される人になろうとすると、グローバル資本主義、つまりは論語と算盤を熟読するバカになってしまいます。時間は未来から過去へと流れているのに、造幣局やNHKに感化されて、ついつい渋沢栄一を見つめてしまうのは、社会関係資本中毒です。 私の親は、昨日一度目のワクチンを打ちました。新渡戸稲造が五千円札になったとき、朝日新聞に電話をかけて、新渡戸稲造ってだれですか? って父は聞いてました。新渡戸稲造を知らなくても、ワクチン打てれば、もうそれでいい。私も50歳になると、周りでポツポツ年の近い知り合いが死ぬので、より一層、渋沢栄一なんかより、己の健康が大切になってきます。 会社辞めても、ありがたいことにとりあえずなんとか生きていられるし、社会や信用がこれから萎縮してくると思いますので、最大のインフレ対策は、社会関係資本の損切りではないかとさえ、思います。

2021-05-20 22:28:40

あんしんあんぜんの圏外

あんしんって、ひらがなで開かれると、あんしんはかえって、いっきにふあんになりますね。特に広告やネーミングで、あんしんと見かけたら、要注意なのです。最近は、安心に安全がくっついて、安心安全と言われますが、secure and safeなんて空手形に、なんの根拠もありませんね。役人の一太郎は、「あ」と打てば、安心安全と自動的に出るようになっているのでしょう。 和歌山からカジノのサンシティが撤退、横浜からもギャラクシーが撤退を決めました。大阪も、MGMリゾーツ・インターナショナルとオリックスの共同グループが、態度をはっきりさせてません。大阪万博終わってすぐに開業させようとしていたスケジュールが、白紙になりました。中国資本にしろアメリカ資本にしろ、彼らにしてみたら日本はもう安心安全ではないようです。私に言わせれば、カジノに限らずギャンブルは、単なるマネロンでしかありませんけど、海外資本のカジノが日本を見限るのは、日本の統治能力が弱くなっていることの、現れなのではないかと思います。 そもそも世界中で、お金がどんどんコモディティ化しているなかで、マネロンすることの意味が、急速に薄れてきているのではないかと思います。アメリカで、インフレ懸念が出てますけれど、インフレのタガがはずれれば、日本も当然、インフレになります。そうなれば、日本の安心安全が根底から揺らぎます。300円で牛丼食べられなくなって、生活が苦しくなります。 スペイン風邪から世界恐慌まで10年近くかかりましたけど、これだけグローバル資本主義がITでつながっていれば、2、3年で恐慌になってもおかしくありません。恐怖指数が久しぶりに上がってきました。今ごろ密かに、大損が見える化してきて、戦々恐々としている社長さんも多そうです。 丸っといまの世相を見れば、リーマンショックのあとのごまかし、悪あがきが続けられなくなっていて、安心安全どころではありません。この前、YouTubeのガイ録チャンネルで、長谷川哲士さんの回を観て、安心安全という紋切り型の真逆を生きている人だなって、とても静かに感動しました。詳しくは、ぜひ観てほしいんですけど、業界なんてもうどこにもなくて、荒野にひとりで立っている人たちだけが、どの世界にも、自律分散型でいるのが現代だなって思います。 私も会社辞めてから、安心安全の圏外に生きていますけど、政財官学マスメディアの常套句から自由になると、メシがうまいです。なぜか、光っているもの、あれはっていう川上弘美の小説のことを思い出します。これから先は、私も長谷川哲士さんのようにやっていきたい、金儲けなんかより、楽しいことあります。マネロンとかGRPとか、クソです。

2021-05-19 22:03:56

大規模ワクチン接種会場という空っぽ

日本の政財官学マスメディアによる、遅い、疎い、頭がおかしいの三、三、七拍子が、コロナ禍の悪化とともに少しずつひどくなってきて、防衛省が都市部でワクチンを一日百万ショットやるのであると、やたらとりきんで竹中平蔵がらみのシステムベンダーに、丸投げした仕組みが紙と鉛筆よりひどいエセデジタル、単なるハリボテであることがようようわかり、そもそも老人がワクチンを打つために、大手町合同庁舎なる都心部まで電車で来いとか、何考えているのでしょうか。戦争に負ける間際に銀座にあった、国民酒場のようで、もはや、老人にワクチンも打てない日本、先進国の真逆、後退国という言葉しか出てきません。 壮大な空振りを繰り返しているうちに、バッターボックスにダグアウトを掘ってしまうようなダメな組織は、結局何をやってもダメ、それ以外の教訓はなにひとつ得られないかなと思います。大規模ワクチン摂取の登録は、インターネットかLINEで、って、65歳以上には極めて不公正な仕組みですし、そうなれば当然、子供や孫が代理で予約する訳で、家の近くで予約できない場合の仮予約として、むしろダブルブッキングが、当たり前となるでしょう。ユーザーの気持ちになってサービスを、つくれないありとあらゆる政財官学マスメディアの宿痾です。 失語のサイコパスである、菅義偉にビビって、なんの役にも立たないシステムをだめだとわかっても、立ち上げてしまう霞が関の公務員にいったいなんの存在する理由があるのでしょうか、子どもや孫に将来なって欲しい職業ランキングの第1位が、公務員とかよく言われますけど、役人も高齢者もどっちもどっち、目くそ鼻くそだろうなと思います。 政財官学マスメディア、丸っと公務員と考えたほうが良さそうです。政治は官僚に強く、官僚は財界に強く、財界は政治に強いという、じゃんけんのような均衡も、いまは昔、国民から見ればどれもこれもえらそうなだけの、無能団子三兄弟でしかありません。政財官学マスメディアの区分けなど意味もなく、彼らは丸っと同じ穴のムジナです。 日本人は、なぜかはわかりませんが、空っぽの神殿を20年おきにすっかり新しくする、式年遷宮とやらをやりますけど、約20年間日本に根ざしている空っぽといえば、森喜朗から続く、清和会政権です。清和会とは、要するに地方切り捨て、明治維新資本利権の見境のない温存ですから、リーマンショックとコロナショックでようやっと、それも滅びつつあります。もうそろそろ、現代の日本人も、スッカスカの神殿をゼロスクラッチして、身も心もすっきり新しくしたくてうずうずしてくるのではないかと思います。

2021-05-18 21:04:43

やんちゃの語源は、嫌じゃ

よく毎日、そんなに書けるねってたまに言われるのですが、ブログってさあ書くぞって、机に向かって書いているのではなく、私の場合、Google先生に向かって、問わずがたりしているだけなので、なんとかなっています。はい。息をしているようなものです。 逆に、怒りもせず、仕方ないさといい子ぶって、黙々と生きている人のことを、私なんかは逆に心配してしまいます。黙っていると、己のその従順さに、大切なものを失うことになりはしませんか。この国の支配層である、政財官学マスメディアへの沈黙は、そのまんまあなたの死へと結びついてはいませんか。 やんちゃの語源は、嫌じゃという説があります。人間の尊厳は、命令や習慣に、ノー、ということから始まるのではないかとさえ思います。元気で明るく、ちょっぴりエッチ、そのくせとことん従順な人は、尊厳がないまんま、ひたすら沈黙して、いつまでもじっと耐えているだけの地蔵ではないかと思います。 新宿ベルクの店長、井野朋也さんのビラを引用します。 皆で声をあげましょう オリンピック一つ中止にすることが出来ない国や行政に、本気でコロナの感染拡大を抑える気があるとは思えません。 当面の目標や見通しもあいまいなまま、私たち国民に責任を転嫁しようとし ています。 飲食店には一方的にコロナ対策リーダーの役目を押付け、協力金はなし崩しに減らし、営業の制限ばかり強め、従わなければ罰金をとるとまで言っています。 国や行政には何のペナルティもなく。ふざけるなと言いたいです。 それでも私たち国民に協力しろというなら条件があります。 オリンピックの中止。 PCR検査の徹底。 臨時のコロナ病床の新設。 一律給付金の交付。 これらは条件というより、国や行政がその責任において真っ先に手を打つべきことです。それを怠っているということです。今からでも遅くはありません。すぐに手を打ってください。 話はそれからです。 以上で、引用は終わりです。 これまで、システムから排除されるのがこわいから、ひたすら黙っていた人も、この国が単なる壊れものだと気づいた人から、そろそろやんちゃになってくるかもしれません。バブルが壊れたら、一気に謀反やサボタージュが進みそうです。スペイン風邪からゴーイチゴー事件まで、12年かかっています。その間に、経済が、死にました。いまも昔も、めしが食えなくなったら、謀反がおきます。 黙っていられるのは、なんかしらの食べもので、お腹いっぱいになるからですけど、食えなくなればホモ・サピエンスは何するかわかりません。想像すらできなかったとんでもないことが起きてしまうのが、この人間社会の底抜けのおそろしさです。

2021-05-17 20:48:33

朱子学カルトは地縛霊

スポーツにしろ、会社を興すにしろ、他人を打ち負かそう、人を出し抜こう、人の上に立とうという気持ちは、ここのところ急に、行き詰まりを見せています。そもそもなんで、そんなことしないといけないのでしょうか? 意味わかりません。 優勝や立身出世なしには、生きていても仕方ない、というこれは、ひとつの競争中毒、優勝劣敗依存症ではないかと思います。覚醒剤は禁止なのに、ひとより優れていなければダメ、という価値観は禁止にならない、おかしいなと思います。 趣味が充実してないとダメという考え方も、おかしいです。そういう強迫観念があるから、みんな無理して趣味のようなものに走るのですけど、その必死に走る様子は情けないと思いませんか。私と同じ会社を辞めた連中が、なんちゃらサークルの募集、みたいなものを辞めた人向けの掲示版に書いてるのを見ると、可哀想な気持ちになります。 会社辞めたのに、なんでまたその会社辞めた者どうしで、つるもうとするのかな、そのこころがまえは、病気に近いんじゃないかと、疑います。私なんて、もう東京にほとんどいませんし、同じ会社だった連中と、趣味やサークルでつるんだりするのはまっぴらごめんの助です。 会社は辞めても、いきなり全然違う場所で、違う人と、丸で違う時間を生きていくのが、怖いのかなって思います。まずは、引っ越してしまえばいいのに、ぐだぐだしているのは、時間がもったいないと思います。 結局、私たち大人の大半が、 自分の好きな人生を生きていないからではないか 50歳を越えたら自由に生きてかまわない。 そう考えてみませんか。 あなたは十分に働いてきました。 ひたむきに暮らしてきた歳月を思えば、 それは当然の資格であり、権利だと思うのです。 小さい時からの夢。 胸の奥深くにあたためていたこと。 最近思いがけなく心を動かされたもの。何でもいい。 今までの人生にとらわれたり、誰かに遠慮したりせずに、 やりたいことをやりたいようにしてみませんか。 これは、岩井俊一というコピーライターのテキストですけど、こうやって誰かに、自由に生きてかまわないんだよと言われてもなかなか、時間、場所、付き合う人を変えられないものです。サラリーマンを辞めて、すでに身分や安定を失っているのに、自由も謳歌できない。自由な奴隷という、存在矛盾に押し潰されるくらいなら、不自由なまんまの奴隷でいたほうがマシではないかと思います。 まあ、一番手っ取り早いのは、住む場所を変えることです。それだけで、時間と付き合う人が自ずと変わります。政財官学マスメディアとは、つまり日本の7大都市にほとんどいるわけで、そこからトンズラすれば、あっという間に人生変わりますよ。

2021-05-16 21:47:52

日の丸シュタージのデジタル化笑笑

ダメな組織は、何をやってもダメ。何をやっても、ダメ、ゼッタイの日本社会、終わってます。薩長が徳川のあとつくったシステムが、戦争に負けてから、なりふり構わず生き延びてきたものが、いよいよ断末魔を迎えているのではないかと思います。よかったですね。 金太郎飴のように、日本全国津々浦々、普遍的に超絶ダメですね。官僚の、高学歴なエリートさん、生き方が間抜けです。あらゆる役人の、実務能力がないというよりマイナスで、アホが業務を委託しているので、税金が蒸発しています。官僚さんだけでなく、東電、東芝、電通などなどの、漢字2文字の原子力災害当事者どもの尻取りも、コマの回転が重力に負けて、フラフラになっているみたいな、終わりっぷりです。 政財官学マスメディア丸々っと終わりなのは、明治維新システムのおしまいです。アフターコロナのこれからは、明治維新システムに近い企業はどんどん稼げなくなり、敗戦後にできた明治維新システムと関係のない企業のなかには、絶好調となるような、いわゆるKの字的な二極化が激しくなると思います。 デジタル庁なる間抜けなタスクフォースのプロパガンダ・ブログが、noteではじまったとか、なにそれ、バッカじゃないのって思います。noteなんて、国民のなん割が読んでるというのでしょうか? オープンで透明とか、デジタルと関係ありません。ソ連崩壊直前の東ドイツみたいに、閉鎖的で隠蔽体質の霞が関が、デジタル化でオープン、透明になるわけありませんよね。日の丸シュタージのデジタル化でしかありません。こんなクソブログ書いてる張本人が、そのことを自覚してないところが、終わっています。 デジタル庁って単に、日の丸プラットフォームが勝手にどんどん個人情報をマージしているデータベースを、マイナンバーとくっつけるだけのこと、それ以上でも、それ以下でもありません。デジタル庁にデータを接続されちゃう日本のプラットフォームを使ってない私にとっては、どうでもいいです。 いまだにワクチンの予約が涙の電話リクエストとか、頭がおかしいと思います。なんというかデジタルの意味を履き違えています。デジタルを劇的な特効薬のように捉えている世界観こそが、30年古いです。 デジタルというものがわかっていれば、みずほ銀行のシステムがこんなになったりしてません。ワクチンの予約システムも、セールスフォースのクラウド頼みなので、日本全国まるっと、セールスフォースドットコムのユーザーになっている、それだけのことです。ワクチンもつくれない上に、国民の個人データまでセールスフォースドットコムに吸い上げられて、あまりにも敗残のブザマさが酷すぎます。私はかなりのリベラルですけれど、右翼に転じて、明治維新システムを打倒しないとそろそろまずいかなと思いますが、かったるいので、そんなことしません。

2021-05-15 20:39:21

首長がクビになるパノプティコン

緊急事態宣言が、三枝の国盗りゲームみたくなってきました。インド株もじわじわとやってきて、かなりやばいのですが、それでも安心安全のオリンピックとやらをやれると思っているのは、清和会くらいだろうなと思います。 ネットのない時代は、町長とか村長のようなコッパ首長が、いちばんノーマークで自由でやりたい放題でしたけど、最近は、ちょっとしたことで、その卑しさが一気に全国区になり、ぶっ叩かれてしまいます。ほとんどなんの旨味もないですね。アホらしくてやってられません。逆に言えば、いま首長なんてやってる奴らは、アホなんだろうなと思います。金儲けするなら、政治屋なんて丸で割に合いません。権力の終焉という大きな潮の流れを自覚してないから、バカみたいに立候補しちゃうんです。 お天道様は観ている、この世界は公正である、頑張り屋さんはきっと報われる、公正こそが正義、そういったファンタジーを日本では中世から強烈に刷り込まれているので、不公正を暴くニュースは、鉄板の人気コンテンツです。地方の首長が、抜け駆けて、ワクチンを打ってました、ズルい、許せない、というニュースは、これからも続くでしょう。 地方とは、公正という虚構を前提とした相互監視で成り立っていますので、抜け駆けがバレると総スカンです。いまあちこちで叩かれている首長の皆さんは、そのうちテレビや新聞からは叩かれることはなくなるでしょうけど、今回の不公正が地域に植え付けられて、少しずつ権力が薄れていくひとが多いだろうなと思います。 この人、お金よりも命が惜しいんだなって、腹のなかでは、超絶バカにされています。リコール運動とかは起きないかもしれませんけど、みんなしれっと、そっと離れて行きます。 俺は医療従事者なんだとか、俺は消防隊員だからとか、ワクチンを打ったあとで打ったことがバレてしまえば、何をどう言い訳したところで、白々しいだけです。面従腹背のいやーな雰囲気に押しつぶされてしまう人も出てくるでしょう。ホンモノの信頼はまあ、取り戻せないと思います。日本人は、厄介な性質です。不公正に関する恨みは消えません。大日本帝国の軍隊がなぜ、最小単位である部隊を同じ地域の兵隊で固めたかと言えば、軍隊の統治に、公正世界仮説と相互監視を利用したからだろうと思います。いまも同じです。 そもそも、この世は不公正というスタートラインに立たないと、何も見えて来ません。頑張り屋さんは報われる、という考え方そのものが、やりがい搾取の原動力なので、そのことに気づくことができないと、妬みや怒りを植え付けられたまんま生きていくことになります。 私はこんなに頑張っているのに、あの人はズルい! 許せない! というドロドロした感情から抜け出すためには、どうしたらいいのでしょう。それは、組織や社会に認めてもらおうとして、下手に頑張らないことです。頑張っている時点で、負けです。

2021-05-14 21:29:06

SNSもプロパガンダ

ワクチンの予約電話を一週間かけ続けていまも予約が取れない、と泣いているお年寄りは、NHKのニュースばかり観ているのではないかなと思います。NHKのニュースを、いまもニュースだと思っていると、ろくなことないです。NHKのニュースは、朝鮮中央放送のニュースと似たりよったり。つまりプロパガンダです。プロパガンダとは、レーニンが好んで用いた思想の言葉で、権力者の言動たれ流しです。日本の70年代から80年代、つまりニュースセンター9時からの、ニュースステーション、ニュースツースリーの時代は、インターネットのない時代、ニュースというものが、インターネット並みに矢鱈ともてはやされた時代でしたね。 2010年代はSNSが矢鱈ともてはやされた10年でしたけど、よく考えればSNSも、ニュースと似たり寄ったりで、かなり怪しいですね。SNSが、原発とかアルコールみたいな、副作用がその身をなんべんでも滅ぼすたぐいの、やばいソリューションだということに、少しずつみんなが気づいてきました。秋葉原通り魔事件が起きたのは2008年でしたけど、あれはいま思えば、SNSの持つ本質的にやばいところが、普通の人に最初に見えた事件でした。 秋葉原通り魔事件の犯人は、掲示板を荒らされたことで、秋葉原歩行者天国にトラックで突っ込んだわけですけど、掲示板が生きがいになってしまい、やがて死にがいへと転じたのは、SNSと丸でおんなじです。 ジャーナリストの斎藤貴男は、いまもSNSなんて絶対やらないし、携帯電話も持ってないし、Suicaも使わず切符を買うらしいのですが、完全なディスコネクションは、結局のところ、完全なる自由をもたらすなと思います。自由モドキこそ、生涯をかけて遠ざけるべき、がん細胞なのだろうと思います。 PayPayが、サービスをはじめてからいままでひたすら、お店側の手数料を無料でやってきたのを、そろそろ手のひらを返して、有料に化けようとしています。じゃあもう使うの止めようよ、それでいいと思います。あんなもん、なくても特にこまりません。電子マネーもSNSと似たようなもので、よく考えれば、マネーそのものがSNSみたいなものですから、SNSは最新のマネーなんじゃないかな、と気づきます。 これからはこれですよ、というプロパガンダのメッセージは、それまでのあれをなくしてしまおうとします。それまでのあれを手放してしまうと、不幸になります。何がデジタルトランスフォーメーションだよ、ボケです。ニュースもSNSもデジタルトランスフォーメーションも、国民管理の手法、統治や支配の技法であって、そんなものありがたがってると、ろくなことありませんよということです。

2021-05-13 22:45:28

コピーライターの終わり

できる限り大和言葉のひらがなで言えるようにして、それを繰り返す。相手が誰であっても、何かを伝えるためには、それしかないだろうなと最近では思います。You Tubeが伝わるのも、動画がどうこうというよりは、それがだいたい話し言葉だからで、専門家の狭い世界でしか使われないような、専門用語やカタカナ言葉を、少しいれただけで、壮絶な抗いが巻き起こります。 朝日とか読売のウェブページよりも、NHKのウェブページが見られているのも、それが話し言葉で書かれているから、ではないでしょうか。飲み会がみんな好きなのも、あれは話し言葉のライブだからです。ポッドキャストが人気になるのも、音だからです。人間の言語は音によって洗練されてきました。 宝島社がおとといの新聞広告に、見開きの政治批判広告を掲載して話題になりましたけど、これについて思うのは、もうこの業界には余裕が丸でないんだなということで、もはやウィットを効かせるとか、エスプリで皮肉をかますとか、もうそういった余裕がないのだな、という衝撃です。酒場で酔って、声が枯れてもがなる人を見てしまったときと近い感じです。全共闘世代はもう社会に向かって、これ以上怒ったり笑ったりしなくていいのになと思います。 「このままじゃ、政治に殺される」なんて書いてありますけど、薄っぺら過ぎです。人類史の、実際に政治に殺された人に失礼です。ボディーコピーをまともに書いていないコピーライターなのでしょうか。世の中を見る解像度が、あまりにもひく過ぎて、笑えません。 政治に殺されるんじゃなくて、自分に殺されるんです。このコピー書いてる人も、自分の無知に殺されます。 今回のこれは、コロナ禍の世の中で余裕がないというよりも、新聞広告という見離されたオールドスクールに、もはや大人びた間合いとか、金持ちけんかせずとか、文化の響きとか、そういうものが丸でないことのあかしです。老人しか読んでないのだから、そのまんま怒ってしまえ、という新聞広告への見限りを感じます。こうした、マスメディアによる、怒りを扇動するメッセージは、ルワンダ虐殺を煽ったラジオDJとほとんど差がないかなと思います。怒りのボルテージ、などといいますけど、この広告読んでいる私にはほとんど電気はこず、広告の送り手側と、読者という閉ざされた老人が、怒りっぽくなっている、それだけのことではないかと思います。 新聞なんて、もうホントに要らないんだなと再確認しただけの話題でした。そのうち体力のない地方紙から消えてなくなると思いますけど、彼らの廃刊は、ネットのせいでも読者のせいでもなくて、単に自分が悪いだけです。ニューヨークタイムズなんて、ネットのサブスクライバー800万人です。往年の朝日新聞の紙の部数と同じくらいです。日経の電子版なんて、有料会員、76万人しかいません。いかに中身のないクソコンテンツか、わかります。

2021-05-12 23:54:58

無常なる不確実、不確実なる無常

Googleの検索窓に、スピードテストって入力すると、ネット回線の通信速度を測ってくれるなんて、知りませんでした。むかし、マリブのさざ波っていうロッテのチョコがありましたけど、高橋洋一というブルガリの時計泥棒が、5月9日、ジョン・ホプキンス大学の新型コロナウイルスに関するデータを引用した上で「日本はこの程度の『さざ波』。これで五輪中止とかいうと笑笑」とTwitterに投稿したことが、筆禍となっています。 高橋洋一は、2009年3月24日、豊島園庭の湯で、脱衣所のロッカーから現金や腕時計など約30万円を盗み、3月30日に警視庁練馬警察署に、窃盗容疑で書類送検されています。こういった人物を、ブレインとしている菅義偉は、頭がおかしいのではないかと思います。 東京オリパラが、ほとんど完全に逆ザヤに反転していて、笑えます。持ってるだけで大損です。やればやるほど、アンチオリパラ、アンチIOCのボルテージが高まります。そんななかで、今回の東京オリパラからわざわざトップパートナーになっちゃった、日本の某タイヤメーカーとか、痛恨の意思決定すぎて、笑えませんね。こういうお間抜けな企業の製品を、ちゃんと買いなんて、私にはできません。ベストヒットUSAのスポンサーでやめておけば、よかったのにね。 仮にオリパラを強行したとしても、開会式の音楽が出ないとか、選手がぜんぜんこないとか、ほとんど国民体育大会になっちゃうとか、あまりにも熱くてかなわないとか、不吉な予感が漂いまくりで、2013年の滝川クリステルによる、お、も、て、な、し、おもてなしプレゼンが、このような悲惨な裏目に出るとは、この世はなべて不常なる不確実ですね。 不確実といえば、今日の日経平均は前の日よりも900円以上下げてますが、いよいよバブル崩壊のカウントダウンがはじまっているのかも知れません。なんとも先の見えない長いトンネルに入っていきます。 スペイン風邪に見舞われた日本は、その後青年将校らによる下剋上社会に転じました。やってる感すら演出できない仕事ごっこや組織ごっこが立ち行かなくなり、図体の大きな朱子学カルト企業が、バタバタと消えてなくなるかもしれません。 何が言いたいかと言うと、どんなさざ波もやがては、大波となり得るということで、マリブのさざ波も、ひょんなことからカリブの海賊へと大化けする訳です。 あと、加藤勝信官房長官が記者会見で、高橋洋一のツイートについて「個人としての発言で、政府としてコメントは従来も差し控えている」と回答してて、やった、会見開けたら加藤のゴハン論法は、今日も安定の健在でした。ポテチン。

2021-05-11 22:26:43

5年早いだけの生き方

そんな感じで、生きてて楽しい? って聞かれると、最近は、人より5年早いだけです、って答えています。風変わりなのではなく、まわりの人よりも、5年早いだけです。都心で酒飲んだり、朱子学カルトの鍔迫り合いに身を投じたりしている人は、私に言わせれば、古過ぎて、生きてて楽しいはずがないのです。 たまに都心部に行くと、繁華街のお店がスッカスカになっています。東京の飲食店は、集団訴訟で国や東京都を訴えればいいと思います。でもよく考えれば、訴えたところで、日本には公正な三権分立なんて、はなからないので、10年以上の時間と、法廷闘争の労力と、お金を無駄にするだけでしょう。そうなると、早く飲食ビジネスから抜けた者勝ち、ということになります。 この前、親のワクチン予約がサクッとできたのは、インターネットで申し込むひとがなんだかんだ言っても少なかったからで、高齢者にしろ、その50歳前後の子どもたちにしろ、ネットより電話のほうが手っ取り早いと感じています。老人も中年も、電話に殺到すると、NTTはワクチン接種の当事者ではないので、電話回線がパンクしないように、ほとんどの回線をとっとと門前払いしています。 NTTの回線シャットダウンは、東日本大震災の日にJR東日本が、早々に終日運休を決めたうえに、駅の構内からもすべての人を締め出したのと同じ対応です。政財官学マスメディアは、丸っとグルなので、官僚の無能を、NTTやJR東日本が、補う訳がないのです。誰かの成功は妬み嫉み、誰かの失敗は、見殺しと遁走がデフォです。 政財官学マスメディアが金太郎飴のようにクソなので、社会をまるごとスルーしよう、これが私の基本姿勢です。そのために、酒もたばこも飲まない、テレビを見ない、新聞も雑誌も読まない、コンビニ使わない、という順番です。朱子学カルトのなかにいないこと、これが戦略ではないかと思います。 朱子学カルトの外にいて、元気で明るく、ちょっぴりエッチ、それなのにめちゃくちゃ自己評価の低い、カルト教徒とはできるだけ交わらずに、生きていく程度のお金と、暇つぶしのコンテンツを、外から吸い上げられたらいいのにな、と思います。だめな社会は、なにをやってもだめ、そういうことだと思います。 私が求めているのは、朱子学カルトからはるかな距離を取り、土地代や生活コストの安いエリアで、ネット回線とヤマト運輸と、巨大ショッピングモールを頼りに、都市部にいたときの自分とたいして違わない、コモディティ化した暮らしをすることです。いまや都市にいたって、なんにもいいことなくないですか? 都市には、酔っ払いと、カルト教団と、詐欺、ぼったくりだらけです。

2021-05-10 21:35:27

朱子学カルトの川流れ

ニトリって自分では安いなんて一言も言ってないんですよね。だから本当に安くはありません。安い雰囲気がある、だけです。ホムセンとニトリとアマゾンの値段比較するのとかめんどくさいので、それならばトータルコーディネートできるニトリにしちゃおうっていう感じです。トータルコーディネートってなんでしょう。ニトリで全部揃えれば、なんとなく部屋の雰囲気が揃う、ということです。新しい言葉って、だいたいは必要のない言葉です。 政財官学マスメディアの新しい言葉遣いって、更に不気味ですよね。周りにこんな奴いたら、胸くそ悪いです。飲み屋で隣にこんなのいたら、座席チェンジを希望しますね。学歴のエリートに己の命運を任せて、76年前ひどい目にあった記憶も、ほんの10年前には、東日本が住めなくなる寸前まで行ったことも、私達はすっかり忘れてしまっていて、ニワトリ未満なんじゃないかなと思います。 政財官学マスメディアが、辞書にない言葉をわざと使っているのは、いかにも新しい局面が、外から余儀なく来ているような印象操作でしかなく、特に最近の人流という言葉には、使う者たちの責任回避、しょぼい悪だくみを感じます。 ああ、人の流れのように、ゆるやかに、いくつも時代は過ぎていくとでも、思っているのでしょうか。夜の街のせいにできなくなり、次はもう人の流れのせいにしてしまえ、ということですけど、人の流れが問題なのではなく、人による災い、つまり人災です。人流って、群衆っていうことですよね。つまりは国民の言い換えです。 その人流とやらを解析して、それを抑えようとしておけば、なんとなくやってる感をつくれる、つまりはソリューションっぽかった時期は、もうとうに過ぎている気がします。いま深刻な被害は、老人ホームなどで起きているのですが、こっそりと隠蔽されています。ありとあらゆるソリューションは、コモディティ化していきますが、スマホのGPSデータを数えているだけの、人流解析ソリューションなんて、最初からなんの意味も価値もありません。 大阪の人口10万人あたりの死者数は、インド人もびっくりの高い状態みたいですが、コロナ禍の深刻さが隠されて、人の噂で感染や死者の存在感が周りに広がって、ようやっと人の流れが静まるのでしょう。その時がやがて来るまで、とめどなく、空が黄昏に染まるだけです。 とはいいながら、朱子学カルトも私の勝手につくった言葉なので、他人のこと、とやかく言えませんけど、朱子学カルトの川流れのように、彼らはどこへ向かって流れていくのでしょう。カッパの川流れ、ドキュンの川流れ、コロナ禍の人の流れ、果てなく続く無責任の統治不能が、どのあたりで立ち行かなくなるのか、来年の今頃の日本がどうなっているのか、怖い気もします。

2021-05-09 20:19:20

「無料会員はここまで」で充分

夏野菜も、大きなホムセンで売られている苗は値段も高いし、質もイマイチですが、近くのごくごく普通の園芸店の苗は、安い上に茎がしっかりしています。クチコミ最強です。家庭菜園の野菜栽培もはや5年目、暖かくなって陽の光が強まると、夏の野菜は一気に育ちます。そのパワーを見るために、毎年野菜栽培してると言っても、過言ではありません。 コロナ禍で家庭菜園のブームが来てます。 森永卓郎の「マイクロ農業」のすすめ: 都会を飛びだし、「自産自消」で豊かに暮らす なんかを読むと、エネルギーも食糧も、これからは自律分散型になっていくだろうなと思います。森永卓郎は、年収300万円時代の到来を、いちはやく見通していた人です。マイクロ農業、実際やってみるとわかりますが、自分の分なら簡単です。グローバル資本主義はもうすでに終わっています。ビル・ゲイツも離婚しましたね。自産自消がいいのは、YouTubeさえあれば、夏野菜の育て方なんて、いくらでも手に入るので、ド素人でもすぐに自産自消できるところです。 オープンソースに、たいがいのノウハウはいくらでも開示されています。核兵器も作れちゃう。つまりは知恵のコモディティ化です。その知恵を貪欲に吸い取って、いちはやくやってみた人が、先へ進みます。勝間和代が、ホームベーカリーで焼いたパンは、スライスしようとせず、キューブ状にぶつ切りにしたほうがおいしいって言ってて、さっそくマネしたら、本当に目鱗でした。 家庭菜園だけではなく、エネルギーだって、太陽熱調理器とか、温水器とか、発電機とか、YouTubeの動画を観てやれば、すぐにオフグリッド生活できちゃいます。コンポストトイレも、縄文式トイレも、なんでもできちゃいます。 これは情報の非対称性の終わりです。技術や知識など貴重な何かを教えてもらうために、理不尽な人間関係を耐える必要も、かなりなくなってきました。メシウマです。オンラインサロンとかも、丸で要らないなと思います。サロンの主催者は、とっておきの情報は、サロンのなかでだけ開陳みたいに、価値の選別をしようとしますけど、彼らが価値の低いと見做した情報のほうが、実は価値が高いなんてこともたくさんあります。 メタな情報は送り手が価値選別できません。有料会員向けの情報なんて、ありえないのです。無料会員向けの情報には、有料会員に誘導するための見せ球が入ってますので、面白い人一人から、有料サロンで百個の情報を得るよりも、広く百人から無料の見せ球一個を集めたほうが、有効です。 YouTubeチャンネルも、私の場合は無料会員向けはここまで、と言うところまでしか観ません。そこまでで充分なんです。無料はここまでとされる情報のチェリーピッキングこそ、最強の戦略だと思います。

2021-05-08 20:49:34

ワクチン予約のコツを得た話

捨てる神あれば、拾う神ありといいますが、ここからばっさり宗教色を取りのぞけば、私が何かを捨てれば、また何かを拾う、ということで、捨てたあとのスペースがとても大切です。 この国では、ぽっかり穴があく、という言い方は、どことなくネガティブな印象になりますけど、本来は穴があいてなんぼです。常に忙殺されているありさまは、朱子学カルトであることに近く、ぼったくり男爵のカモになるだけ。そういった状況から抜け出すためには、時には乱暴に、捨ててみる必要があります。 定年の60歳までどころか人生100年時代などと言われて最近では70歳まで、何かが常にぎっちり詰まった人生って、息苦しいだけでなく、淀んではいないかなと思ってしまいます。 捨てないと拾えない、何を? 希望です。最初の会社を3月31日に辞めて、次の日には新しい会社に入社していましたけど、つまらないことをしたなと悔いています。人には空白の期間、みたいなことが全然あっていいのです。どこかに潜伏して、遁世して、蟄居して、ふたたび何かが満ちるのを待つ、そういう得体のしれない人が、もっとたくさんいないと、政財官学マスメディアは腐ります、あ、もう腐っていますね。 私の親が新型コロナのワクチンを打つって言って、いろいろ調べてみたら、いわゆる早いもの勝ち方式の申し込みでした。電話かネットでエントリーせよ、とありますが、65歳以上の高齢者がネットで申し込める設計には、そもそもこの社会がなっていません。iPhoneなんていまだに、複雑すぎて私にも無理です。よくこんな複雑な製品を、偉そうに売るよなって思います。申し込み開始時間から、アクセスしてもぜんぜんコンプリートできず、あきらめて仕事に戻りました。仕事に戻って、ノイズレスサーチから、親の住んでいる市区町村名 スペース ワクチンで、ツイッターを検索してみると、ネットで予約できた人が、コツを拡散してくれていました。次の画面にうまく遷移できないからって、そこでブラウザを閉じて諦めるのではなく、辛抱強くリロードを押せ、というアドバイスでした。 そのとおりにやってみたら、サクッと予約完了出来ちゃいました。まだほとんどの枠が空いていたので、クソベンダーによるきついボトルネック設計で、ほとんどの市民が予約までたどり着けなかったのだろうと推測します。ツイッターには、つながらないことへの怨嗟があふれていました。 でも私が思ったのは、ワクチン予約を得るために必要な本当に重要な情報は、やっぱりオープンソース上に、誰でもアクセス可能な無料の状態で、ちゃんとあるなあという確かな実感と、やっぱりうまくいかないときは一度うっちゃったほうが、いい結果につながるなということで、捨てないと拾えない、拾える場所はオープンソース、そんなとこです、はい。

2021-05-07 19:31:11

国のために競わない

ワシントンポストのコラムニストであるサリー・ジェンキンスという人が、日本はオリパラの中止を決めて、いい加減に損切りせよと、コラムで言ってますが、日本の政財官学マスメディアは、損切りという概念を丸でわかっておらず、今日もまだ永遠のゼロをめがけて、本土決戦まで突っ走り続けています。 振り返れば、大日本帝国は満蒙開拓団の送り込みを1945年7月まで続けていましたし、沖縄戦で致命的な負けを喫してからも、そこから2ヶ月弱ものあいだ、戦争をストップできませんでした。当たり前のことですが、何をもって勝ちとするかを決められないと、勝つことも、負けることもできません。 いつまでも戦争に負けられなかったのは、逆説的ですが、勝利というものを最初に定義できていなかったからです。オリパラも、なぜずるずると損切りできないかといえば、この五輪の成功定義が、金儲け以外には何もないからです。復興五輪も、人類がコロナに打ち勝った証としての五輪も、戦略ではありませんね。これらは単なる、戦略の不在です。 そもそも日本で戦略の話をすると、だいたい煙たがられます。話がむつかしいとか、現場はそうじゃないとか、戦略への警戒心は、憎悪と言ってもいいくらいで、私からすると彼らは病的でさえあります。上から目線、そのものが禁じられています。私なぞはもはや、まともに戦略の話は、ほとんどしません。わかってくれる人にしか話しません。 そもそも、オリパラでいつまでも大騒ぎしてるのは日本くらいで、スポーツに人生かけちゃうとか、なんか騙されてるかも、と思います。金メダルなんて単なる金属、記録は単なるデジタルです。オリパラになると、NHKとか民放が、やたらと情感たっぷりのテーマソングを決めて売り込むのも、おかしいです。パンもサーカスも、統治のために悪用されています。 骨折したら痛いのも、骨がくっつくまで不便なのも、完全にその本人だけなのは、人間が完全に他者や世界と切り離されているからですが、身体能力もIQも、もちろん共同体のものではなく、完全に個人のものです。そのことを忘れてしまうと、他者の身体能力をみせつけられて感動させられたり、他者のプラットフォームを己の体系の一部またはすべてと勘違いして、富と時間を吸い取られてしまいます。 人はただ、生きるために共同体で生きているのですから、共同体のために生きる必要は、ありません。オリパラそのものがもはやオワコンなのは、近代オリパラが国民国家の代理戦争だったからで、もはやそんな戦争はやっても仕方ない訳で、これからのオリパラは、生き残るために脱国民国家プロパガンダへと向かうだろうなと思います。

2021-05-06 22:20:35

こたつでできる玉と石

こたつ記事という言葉があります。 実体験もなく、取材や調査もしないまま、インターネットやテレビといったメディア上で流通している情報のみを収集、再構成して書く記事のこと。「コタツに入ったままで誰でもお手軽に書ける、凡庸で薄い内容の記事」といったニュアンスの揶揄された表現。(シマウマ用語集より) 具体的によくあるのが、松本人志がワイドナショーでこんなこと言いましたよ、とか、高須クリニックの医院長がこんなことツイートしてますよなどと言った、テレビやラジオ、あるいはSNSでの発言内容を、そのまんまフォワードするうんこ記事のことです。ワイドナショーなんて、ほとんど誰も観てないのですが、有名人の発言が秒速でこたつ記事になって、ヤフーニュースとかに載ってしまうと、結果的にかなり拡散してしまいます。 発言した当人は、番組内で発言したつもりなのに、下手に拡散してしまうので、発言に慎重になったり、逆に炎上を狙って、わざと過激なことを言ったりします。 こたつ記事の標的になりやすい人は決まっていて、その人がなんか言うと、もうその一時間後には、こたつ記事がネットに出回ってたりします。 これはいわば、情報のコモディティ化ですね。イエロージャーナリズムとか、パパラッチは、お下品な盗撮の写真を売りましたけど、こたつ記事ライターは、発言を勝手に切り取って売ります。暇じゃないとできません。時間とネット回線さえあれば、どこでもできます。苦し紛れに唐揚げ屋なんかやるより、こたつ記事を書きまくってPV乞食をやったほうがローリスク・ローリターンです。 ページビューが稼げそうな有名人のちょっとした発言は、あっという間にヤフーニュースやラインニュースなどの、クソな二次情報になります。なるほど、こたつ記事はこの世界のゴミクズなのですが、こたつ記事が世の中に流通する原理は宝です。価値のある人の情報は、意図しないにも関わらず、インターネットに露出してしまうのです。SNSに漂う情報を丹念に拾い集めて、それらの時間軸や人間関係、ジオグラフィックな意味をたどりながら、意味のある考察を加えていくジャーナリズムが、オープンソースジャーナリズムです。 こたつ記事とオープンソースジャーナリズムの違いは、なんでしょうか。こたつ記事が単なるコピペ、フォワードに対して、オープンソースジャーナリズムは、有意義な情報の断片からオリジナルな仮説を導いて、それを検証しているところです。論文を書いているようなものですね。共通しているのは、現場の軽視です。どちらも、こたつでつくれます。垂れ流すか、インテリジェンスをつくるかの差です。 情報は足で稼ぐとか、取材してこそジャーナリズムという考え方は、オープンソースジャーナリズムには該当しません。有用な情報は、むしろデジタルの世界にあるという世界観は、日本ではまだ市民権を得ていませんが、これから急速に力を持っていくだろうなと思います。

2021-05-05 20:18:46

令和と名付けた人々が無能な割に高給であることについて

オリパラを中止する権限は、IOCにあるんであって、私にはない、というスーガーの発言を聞いて、あ、この「俺には権限がないんだよね」っていうフレーズ、サラリーマン時代によく上から聞いたなって思い出しました。これ、下からの付き上げを前に、何もしない中間管理職の常套句でした。不作為を正当化する言い訳です。そして実は、この「俺には権限がないんだよ」は、しょぼい中間管理職だけじゃなく、執行役員になってもつきまといますし、下手をすれば代表取締役でさえも、「俺には権限がない」って、いじけたり、ふてくされたり、菅義偉みたいに責任逃れに、わざと使う人がいます。 何しろ日本国の総理大臣でさえ、「俺にはオリンピック中止の権限がない」って逆ギレしているわけで、東京オリパラに政権存続をかけている発狂の政権には、つまり、独りの人間として生きていく権限がないのだろうなと思います。政財官学マスメディアのびっくりするほど無能なおじさんが手をこまねいているうちに、7月4日投開票の都議選が、オリパラを中止するか否かの、レファレンダムになる可能性があります。そしてこのことへの警戒感から、中止の決定がもっとはやまる可能性もあり、ぐぐっと、矢鱈と面白いですね。 令和とは、和を命令するというファシズムの意味を含んでいますけど、オリパラの為に、ボランティアの看護師500人調達の命令をしようとしている、これもまた無能なおじさんたちによる、絵にかいたような本末転倒、こんな哀しい令和の未来を、誰が予想していたでしょうか。面白過ぎます。どんなにお金があっても、ワクチンも買えないし、半導体も買えない、そしてワクチンを打つエッセンシャルワーカーの心も買えません。マネー・キャント・バイ・ミー・ラブ、いまさらながらこの厳然とした事実に、政財官学マスメディアは直面しています。よかったですね。 今年のアカデミー賞をとった「ノマドランド」は、Amazonの倉庫などで働く、車上生活者のお話ですが、コロナ禍で絶好調のAmazonを支えているエッセンシャルワーカーは、家を持てない高齢者であるという、痛みを語る物語です。経済学者のレベッカ・ヘンダーソンの言葉を引用します。 私たちはパンデミックのおかげて 本当に大切なことに気づくことができました。“不平等”とは単なる本に書かれた 言葉などではなく、例えば 食料品を家まで届けてくれる人のような存在であるということです。ですので、私は希望を持っています。パンデミックを機に私たちが資本主義を 再構築する可能性が高まったことを期待しています。(欲望の資本主義 特別編 コロナ2度目の春 霧の中のK字回復、より引用終わり) 吉村洋文などの、無能でなんの役にも立たない政財官学マスメディアのエリートどもと、安い賃金で危険な仕事を令和されているエッセンシャルワーカー、この不平等がはっきりと見えてきたのが、2021年だと言えそうです。米軍が、大日本帝国憲法を書き換えた主権剥奪システムがまた発動して、なんちゃって政権の交代がまた起きるかもしれません。

2021-05-04 20:36:42

国家を支えるために生きている訳ではない

内容の劣えが著しい、ザ・ノンフィクションが、先月放送千回とのことで、振り返りの番組をやっていました。フジテレビという、著しく公共性を欠いた放送メディアの盛衰とともに、ザ・ノンフィクションも消えていくのでしょう。そもそも放送という枠に入れ込もうとするから、構成に無理も出ますし、2回に分ければほとんど前の週のおさらいという、録画で見ている視聴者からすればふざけんなという構成になります。放送番組という構成そのものに、もはやなんにも優位性がありません。 その千回の振り返りでそれでもなお見えてくるのは、政財官学マスメディアに戦略なければ、下々には強かな対策が生まれてくるということで、具体的にはphaさんのような、働かない、あんまり消費しないという、無能無策な国民国家へ変化対応する、新しい生き方です。 国民は国を支えるために存在しているわけでもない、というphaさんの発言を聴けたことが、見て良かった唯一のことだったかもしれません。私たちはいつのまにか、このカルト国民国家を支える、大きな家族の一員であるという、くだらない洗脳をされて今を生きています。警察や医者は正義の味方、国家に背くものは連合赤軍やオウム真理教のように、酷い目に遭うぞ、という脅迫です。 コロナ禍で見えてしまったこの国のスッカスカ、76年間も米軍に寄りかかり切った母屋の屋台骨は、既にアングロサクソンのアリに食われて、ボロボロです。もうここには、住めないよね。国民国家を支えてこその国民、このすばらしい国の下々は幸せであるという思い込み、そういった電通による虚しいフィクションを潔く全て捨てないと、我々に新しい明日は少しも見えてきませんね。 夫妻の名字を夫のそれでひとつにするという、なんの合理性も正気もない封建的な國體のシステムももうあと少しでなくなります。国なんて下支えしない、教育なんて右から左で完全スルー、消費なんてまっぴらごめん、そういった静かなテロリズムの芽が生えてきています。霞が関の官僚とか、この国で最も頭の悪い生き方になってしまいました。 今日は確か憲法記念日ですが、私の見方は、そもそもこの国に民主制などなく、現在の日本国憲法とは、ぱっと見は憲法の形をした、単なる米軍統治システムでしかないというものです。原爆を3発打ち込んだ米軍による、理不尽な主権制限ですね。菅義偉が無能だから、ではなく、主権がそもそもないので、こんなことになっています。米軍の私財としての日本国なので、日本人の安全や財産はすべて米軍によっていつでも奪われるものです。 日本が美しいとか、日本人は勤勉とか、日本人は頭がいいとか、いまだにそういう幻想に捉えられている人々は、本当にコロナに当たって死んでしまったほうが、その人にとってのこれからは、幸せだと思います。

2021-05-04 02:27:04

日本人にとってオリンピックは、経済ではなく宗教の問題

ワクチンも半導体も、希少性のあるものが日本には、とことん入って来なくなりましたね。後退国への転落です、よかったですね。医薬品やエレクトロニクスよりも前に、アートやファッションにおいては、希少なものはとっくに、日本には来なくなってましたね。いま思えば。 だからたとえば、国内のあらゆる最近の建築物は、お高いだけの無印良品、環八沿いの、いまや葬儀場になってる自動車ディーラーをつくった大先生の、無印コモディティ建造物ばかりです。地方のしょぼいハコモノがどんどん無印先生の作品になっています。ほとんど後退国家の宮大工ですね。地方自治体は、その無印建築のなかで、干しいもとかつくって、それをスーガーの源泉徴収通販、ふるさと納税で売ってます。マハーポーシャパソコンみたいなものですね。 オウム真理教はロシアからヘリコプターとか、武器とか買いまくってましたけど、要するに、最近の日本はもはや、世界の才能を、調達できないのです。外貨獲得手段の喪失、円の価値低下、国力の劣化という因果応報、それだけのことです。 敗戦後の日本人にとって、コカ・コーラのコンボイが、福島いわきの聖火リレーを駆け抜ける、DJのしゃべくりまくる電通コピーライターによる言葉は読経であり、コカ・コーラの黒い液体は、ほぼ聖水です。日本人は、オリンピックのことが大好きなのではなく、1984年から1996年アトランタ、その余波としての1988年長野五輪までの、サマランチイズム、あるいはピーター・ユベロスのスポーツマーケティングが好きなだけなのではないかと思います。JOCの現会長が、モスクワ、ロス五輪のヒーローである山下泰裕なのは、まさしくサマランチズムの必然です。 日本人は、1980年代のアメリカを、敗戦後の天皇として崇め奉ってきました。1980年の田中康夫「なんとなく、クリスタル」は、米国の消費文化を天皇制に取り込んでいく、預言書です。アメリカ横断ウルトラクイズ、東京ディズニーリゾート、新宿摩天楼への都庁移転、ソニーやホンダの、米国という「新・天皇家」への嫁入り、などなど。ソニーやホンダは、産業界の美智子様です。 日本人のスマホが、異常な確率でiPhoneなのも、いわゆるひとつの米国への強烈な片想い、サマランチズムの現れだろうと思います。6世紀の仏教伝来、17世紀の朱子学国教化、20世紀の米軍による占領、このみっつが日本のエポックです。日本人にとって、米軍は國體である、という認識を持たないと、オリパラになぜこんなにこだわるのか、その理由が見えてきません。 東京オリンピックとは、ビジネスではなく宗教なのではないか、そうと理解しなければ、政財官学マスメディアがいまだに五輪の中止を決めかねている理由もわかります。東京オリンピックとは、宗教儀礼なのですね。知らんけど。

2021-05-02 20:03:42

サラリーマンとはサブスク

ここのところ、気流が不安定で、毎日のように洗濯機の中のようなお天気です。なおさらこの連休、外に出なくていいのなら、ある意味、最高じゃないですか。日本全体が5月病です。男は外に出れば七人の敵がいる、なんて言いましたけど、外に出なけりゃ敵にも会わないので、何もかもを敵味方に分ける考え方そのものがおわりつつあるのでしょう。 ネットとクロネコヤマトがあれば、どこにいたっておんなじだと思います。東京じゃなきゃ得られない体験ってもうありません。むしろ都内のほうが分散していて不便です。都内の百貨店が休んでて、ビビりましたが、普段からほとんど行かないので、特に困りません。ダイソーは営業していてしかも激混みで笑えました。 私、かなり発達障害ぎみなので、必ずと言っていいほど、出かけるときにマスクをつけ忘れます。そしてクルマや自宅に、その忘れたマスクを取りに戻るたびに、自分のニワトリぶりを棚上げして、政財官学マスメディアよ、おのれ〜っ、いつまでマスクつけさせとんのじゃーって思います。この恨み、晴らさでおくべきか〜です。 最近では、マスクも供給が充分あるので、たくさん買って、何重にも予備を持ち歩くことにしています。昨年の今ごろはマスクがなかったので、アベノマスクが配られていたのでした。マスクを配るよりも、大量にPCR検査をすることとか、ワクチンを打つことは、何倍も難しいので、そりゃまあ、いまの日本にはなんにしろ無理だよなって思います。 検査できない、ワクチン打てないってなると、オリパラもできないですよね。みんなようやっと気づきました。最近になって急速にオリパラが政局になってきたので、正式な中止まで、あと一歩かもしれません。 2013年に東京オリンピックが決まった時、それじゃあ2020年までは生きていたいと言っていたお年寄りの、どれくらいの人がいまもまだ、オリパラを楽しみにしているのかわかりませんが、オリンピックと原発は似ていますね。どちらもグローバル資本主義の、金儲けのために、情弱が食わされ、掴まされる出がらし、つまりはオワコンではないかと思います。 5月は、ほとんどのサブスクを解約して、すっかり身軽、気軽になりました。ただ、最も重たいサブスクは、サラリーマン時代の源泉徴収だったと思いますので、サラリーマンを辞めたのが最大の脱サブスクです。サブスクを辞めると、自由になります。サブスクなんて、泥棒と紙一重です。サラリーマンとはサブスクでした。そんなことになかなか気づかないのですから、本当に已はダメですね。

2021-05-01 21:43:32

政財官学マスメディアが、社会生活の維持に必要ないかも

あらら、こんな5連休、ありえませんね。怒って当然、怒りの矛先はオリ・パラに向かいつつあると思いきや、世の中はそうでもないんですね。常識ぶったコメンテーターのような識者が、「そりゃあ私だって池江璃花子の競泳を観たいですよ、でもね」とか言ってますが、私は、そんなもの全然、観たくありません。彼女に必要なのは、最前線への早期復帰ではなく、新型コロナ感染防止ですよね。決死のスポーツ競技そのものが、免疫力を下げてしまいます。 さて、私はといえば年明けにひいたおみくじで、今年の前半は大吉だったので、かなり楽観視していましたら、4月終わりの現時点で、かなりいい感じかなと思います。サラリーマンをやめた割には、大した不運や不幸も感じていなくて、感謝感激、雨あられです。周りからはなんで辞めたの? ともほとんど聞かれません。人と全然会いませんので、話題になりません。 それに私の場合、期待値がびっくりするほど高くないので、生きてるだけで丸儲けなのですが、それでもやはりどこかで心が浮き立つ、ラッキネスを感じています。 でもそれも、完全な己だけの錯覚かもしれません。世界や社会が、コロナでひどく沈んでいるので、己だけが少し浮き立つように思えるのかな、とも思います。大阪では、自宅で亡くなる方がポロポロ出ていて、私は彼らの孤独や不安や哀しみ、怒り、諦めを思う度に、いまこそまさに、これが国難なのではないかと思います。 しかしどう見ても国難ではない時にだけ、国難だと言い張り、本当の国難がいよいよ来ると、政財官学マスメディアのエリートはしれっとだんまり、頬被り、これは国難というよりは、国体です。ビッグデータだと言いはって、単なるスマホの位置データのセンサーの数を単純比較して、上がったとか下がったとか、伝え手の劣化もかなりやばいです。 テレビを完全に観なくなってから、はやくもひと月、ざっくり言えば本当に気持ちがラクになりましたね。テレビを捨てるとQOLが上がる、ほんこれマジで効果が半端ありません。5連休の世の中、ひたすらじっと家のなかにいるとして、その時間をひたすらアルコールやテレビで埋めてしまう、それをやめるだけで、一気に気持ちは幸せに転じます。 社会生活の維持に必要なもの以外は全部禁止、と朱子学カルトの政財官学マスメディアがおっしゃっていますので、テレビもアルコールもオリ・パラも、全部私のなかでは永久全面禁止でいいのかな、と思います。菅義偉そのものが、怪文書のようなものとなりつつあるいま、幸せの射程を、ぐぐっと近視眼にして、遠くが霞んで見えない視界不良にいたします。遠くがはっきり見えたほうがいいなんて、誰が決めたのでしょうか。目を閉じて、遠くを見ないことで、始めてわかることもたくさんあります。

2021-04-30 22:56:35

オピニオンなんてないほうが出世できる社会

バッハ会長率いるIOCが、単なる古臭いエヴィルまたはデヴィルであることが、世界のみんなにバレてきて、うれしいです。彼らが生き残るためには、ちかぢか、かなり劇的な自己否定が必要でしょう。おそらく、1984年ロス五輪以前の、アマチュアリズム、非商業主義へと戻るはずです。なぜならそうでもしないと、存続できないからです。商業主義じゃないIOCなんて、いまの東芝みたいですね。つまりハリボテです。 そしてようやっと、日本が朱子学カルトであることにも、世界が気づいて眉をひそめはじめました。日本の政財官学マスメディアが昨日あたりから、オリパラの無観客開催も、やむなし的なことを言いはじめてますけど、それはつまり、もはや仮にやるんならば、無観客が基本線ですよ、というほのめかしです。 日本で開催予定の飛び込み競技の、オーストラリアチームが日本に来るのは危険だからと、予選に来るのをやめてしまいましたけど、命と見世物のどっちが大事かなんて、正気の人間なら、秒で結論出ますよね。命よりオリパラになっちゃっているところが、遅い・疎い・頭がおかしい、朱子学カルト安定の狂気です。日本がやる気ならやらしちまえっていうのがIOCの本音な訳で、IOCのプルートとして、近代オリンピックとかウォルト・ディズニーを、神格化している土人の世界観は意味がわかりません。 果たして開催できるのか? という正気ならば当たり前の疑問にはしれっと頬被りしておいて、スポーツコーナーになるといきなりノリノリに踊り始めて、120%開催ありきで、感動や熱中に酔って伝えるエリート街道のお顔のきれいな大人たちを見ると、かわいそうに、こいつら頭がおかしいんだなと思ってしまいます。 自分の属している組織のしがらみに何もかも服従しています、そういうお立場、ご身分が増えたのはやはり1990年代半ば以降、あらゆる評価ロジックが加点法から減点法に変わってからだと思います。つまり椅子の数が絶対に増えない椅子取りゲームに、ルールが変わってからです。その頃から政財官学マスメディア丸々っと、おじいさんもお父さんもみーんな政財官学マスメディアという、世襲になりましたので、ポリシーなんてなくてもよい、とにかく忠誠心が大事となりました。 河野太郎なんぞ、大臣になるまで原発再稼働に反対だったのに、大臣になった途端にその反対ブログを消してしまいました。2世、3世になると、しっかりとした、他人に信頼される意見なんて最初からない、とにかく世襲できればなんでもいい、というのが実態でしょうね。 これから先、ワクチンなしのオリパラなんて狂ってるぜと、正気でまともなアスリートからキャンセルされるか、バックドアからこっそりと、実はワクチン打ってますんで大丈夫とささやいて、それがバレて国内外から叩かれるか、どっちにしろ、二階俊博の言う通り、できないんならスパッとやめろよと思います。損切りできない人は、最悪の魯鈍ですね。

2021-04-29 19:29:27

政権錆びたら一巻の終わり

インド人の預言者、アビギャ・アナンド君はこう言っています。 ワクチンが開発されても、すぐに違うウイルスに形を変えてしまうので、まずは皆さんそれぞれが自己免疫力を高める必要があります。 最近のインドの状況見ていますと、いくらみんなにワクチンを打っても、実は変異しすぎて、仕方ないかもしれません。まあ日本には既にEUから5230万回分のワクチンが来ているのに、いまだにたった270万回しか打たれてません。残りのワクチンは、闇にでも流れているのでしょうか、あるいはオリンピック用に、どこかの冷蔵倉庫で凍っているのでしょうか。震災でも、支援物資や募金がごっそり消えましたけど、あれと同じです。ロジスティクスが病的に不得意というのが、この国の政財官学マスメディアエリートの欠落だろうなと思います。 毎日1万人にワクチン打っても、都民全員に打つまでに3年弱かかります。そういう掛け声をかけている菅義偉について思うのは、身から出た錆ということで、広島の再選挙の負けももともとは、アベとスガによる宏池会潰しでしかなくて、菅義偉そのものが満鉄の錆みたいな存在なので、満鉄の酸化鉄の劣化がとめどなく、自分だけ2回ワクチン接種して、錆ついた政治をどこまで続けられるのか、これはひとつの錆人間コンテストみたいなものですね。 72歳にもなって権力闘争して何が楽しいのかな、いい年こいて何やってるのかなって思います。私がもし72歳なら、天下国家なんてどうでもよくて、ひたすら寝て散歩、それから読書と太極拳しかしたくありませんね。菅義偉は、なんのために政治しているのでしょうか。私、バイデンじゃないけど、ヨシ、もうよしなよって思います。 菅義偉みたいな人は、典型的なサイコパスで、まわりがバカに見えて仕方ないのだろうと思いますが、いま世界で起きていることは、サイコパスそのものの総スカン、つまり草の根の排除であり、セクハラ、パワハラ、何でもかんでも、ダメ、ゼッタイです。フガフガ言ってるサイコパス、高齢化が進むと出てきますね。 菅義偉の72歳まで、私の場合まだあと20年くらいあるのですが、7300日なんて、過ぎ去ればあっという間です。まあ、あと20年も果たして生きられるかどうかも、全然よくわかりません。大阪では家族全員、コロナに感染して、年食ってる方から徐々に全滅なんてことも起きています。これ、武漢で起きてたことじゃん。本当にバカですね。いつ死ぬかわからないので、朱子学カルトに身を捧げるなんて、アホらしくてやってられません。

2021-04-28 22:23:10

朱子学カルトの声色

朱子学カルト独自の、元気で明るい発声法、私には3つくらい虫酸が走る声の出し方があり、それが嫌なのでテレビを観ない、といっても過言ではありません。テレビを見ないことで、どれだけトクをしているか、計り知れません。菅義偉のフガフガ記者会見も、テレビがないとまったく見ませんね、最高です。 まずひとつ目は、最近の吉本芸人の話し方がだめです。脳髄が受け付けません。彼らの笑いとは、この国の大衆のさもしさそのものです。権力におもねって、権力のそばで、弱いものをたたく、空気の暴力団です。アベやスガが使い倒すイロモノ、権力が見ていないところでは彼らそのものが権力です。虎の威を借る狐の発声方法は、自然体を装えば装うほど、不気味です。 2つ目の気持ち悪い発声方法は、テレビやラジオの通販で、ゴミのような商品を売りつけるものたちの、妙にハキハキとした、わざとらしいイントネーションです。通販以外でこんなに躁状態で、騙っている人間はいません。彼らの話し方は、老人をだまくらかすために洗練されてきたものでしょう。ものすごく明るいキャラ、不気味です。過払い金を取り返すCMの、おどろおどろしいナレーションも同じ老人向けですが、これは逆に団塊の世代を、過払いで不安にさせる声です。 最後の気持ち悪い発声方法は、オリンピックやワールドカップの実況アナウンサーの、勝利や感動を伝える発声方法で、これは前畑がんばれという、はるか昔の実況がひな形になっているものと思われます。通販の声は、老人が思わずお金を支払ってしまう力を持っていますが、感動ポルノ実況の声は、ユナイテッド・バイ・エモーションの声です。現代の軍歌みたいなものでしょうか。 吉本の声、通販の声、実況の声…どれもこれも、カネのために声音を変える徹底的な訓練の結果として、不気味になっている声ですが、こういった商業の肉声、人の感情を誘導する声は、そろそろ廃れてほしいなと思います。元気で明るくないと、朱子学カルトのメンバーシップでは警戒されてしまいます。 これら3つの声に、川喜田二郎法として上位の概念としてのネーミングをすれば、電通の声、でしょうか。虫酸が走るマスメディアの声、実はみんながそっとミューとして、老人にしか届いていないモスキート音声です。プロパガンダの発声が届かなくなり、ワクチン1万人アリーナ会場がつくられて、世界のSNSが東京オリンピックをディスり始めて、ようやっとIOCが中止を表明するまで、あともう少しでしょうか。 熱血、熱中、熱気を騙る人々が人々から遠ざけられ、疑われ、忌み嫌われる時代に移り変わりつつあります。嬉しいです。はい、これはもう、本当によかったですね。

2021-04-27 19:18:14

アルコール産業の為に生きない

この数年で、老眼が進んだ気がします。なんだか、スマホの小さい字が読めません。あーついに来たなって思います。特に、コンタクトレンズつけているとだめです。もうコンタクトレンズそのものを、やめようかなと思います。逆に言えば、老眼以外には、さほど老いを実感していません。 その最大の理由は、なんと言っても酒を飲まないからだと思います。からだが、やけに快調なんです。ほとんど風邪も引かないし、下痢もありませんね。よく眠れるので、体調がいい、このことの価値はプライスレスです。それこそが、酒を飲まないことの、ど真ん中の価値です。たくさん飲んでる人は、このことの実感ができないのが気の毒です。 思考回路の停止した薬物の奴隷から、真の独立をつかみ取れないと、これからはますますアルコール産業に、健康を奪われてしまいます。 酒を飲まない人生が、味気ないなんて、酒造業による単なるマーケティングの洗脳です。ヒトラーの晩年は、薬物中毒でしたが、アレの代わりにアルコールをぶっこまれているだけの人、本当に多いです。酒を飲む人生こそが、実は麻薬に人生を盗まれてしまい、味気ないのです。常に酔っていないと、楽しくないなんて、人間の尊厳をかなり失っています。 どうやら世間は夜間外出禁止令、家庭内感染で、家族がみんな死んでしまうなんてこともこれから増えるでしょう。飲食店がやっていないので、路上で酒を飲む人が増えているみたいですが、外でたくさん酒のんじゃう人はアルコール依存症予備軍です。 脳にアルコールが入ってないと、生きているのが味気ないと感じる人たちは、ステイホームでどんどん依存症が進んでいます。コロナ禍がはじまってかれこれ15ヶ月ですから、もう既に酒で完全に壊れちゃっている人もたくさんいると思います。みなさんの周りでも、この人、挙動がおかしいなって感じる人いませんか? アルコール依存症もコロナと同じくけがれなので、なったら最後、社会から石を投げられて、厳しい懲罰を喰らいます。 酒飲んじゃうと、コロナに感染しやすくなることは確かですので、既往症の原因は酒です。居酒屋がお休みだから、外で飲んでいるのではなく、本当は居酒屋なしで、堂々とストレートに酒だけが飲めて、嬉しいのではないかと思います。オリンピックを観ながら、スーパードライを飲もう! とか気が狂っています。アシックスのチームレッドっていうのも、赤い服を着て日本を応援するアシックスからの提案が、最初から最後まで、よくわかりません。還暦かよっ、巣鴨かよって思います。サイトに書いてあること読めば読むほど、近寄ってはいけない怪文書のようです。薬物中毒だけでなく、オワコン化するプロパガンダ中毒も、とめどないです。

2021-04-26 21:19:54

社会をスルーしてナンボ

今日は国会議員3議席分の再選挙や補選の投開票ですが、本当にどうでもいいですね。政財官学マスメディア、丸っとグルなので、終わる時は総崩れだろうなと思います。名古屋市長とかも、ナメ猫にでもやらせておけよって思います。宏池会の本丸である広島の参院が、野党議席になるとか、本当に知ったことではありません。そもそもこんなにひどいコロナ禍を15ヶ月も続けている政権を、放任している国民や市民がアホなので、自業自得もやむなしです。 政財官学マスメディア、丸っとオワコンなので、彼らの動かせる世界は、せいぜい2割くらいだろうなと思います。つまり政治とは単なるマイノリティです。政治か、経済か、というジャンル分けそのものが、そもそも敗戦的です。クイズグランプリみたいなジャンル分け、70年代に終わってます。新聞みたいなジャンルの分類になんの意味もありません。 政治というジャンルは、経済に対して、全然独立していません。むしろそれらは競合して、経済が一人勝ちしています。ですので、古い政治への無関心は、当たり前です。いまの無党派層とは、つまり経済層というだけで、政治の示す定義が狭いだけです。朝日新聞より、日本経済新聞のほうが人気になるのは、経済が、政治の最大派閥だからです。 戦争よりも、ビッグテック、つまりガーファです。剣よりもペン、つまりデータの強さが確定しました。これから起きてくるのは、商社や銀行の目に見える凋落でしょう。もし私が今、就活している大学生だとしたなら、日本に魅力的な成長産業がないので、行きたい会社がありません。 いまさら外資系の日本支社なんてアホらしいし、ゴールドマン・サックスとかプロクター・アンド・ギャンブルとか、マイクロソフトとかの日本支社も、アホらしくてやってられません。まあ新卒カードは一応使っておいて、数年で辞めりゃあいいや、となります。 かといって、数年で経団連加盟企業をサクッと辞めて、いまさらチームラボや楽天やDeNAに入っても、仕方ないわけで、国が衰えるとまともな内需がなくなる、という事態に直面しています。公務員になるといっても、それは経団連加盟企業とほとんど同じ、打つ手なしです。つまり、日本国内の会社員になることそのものに、未来がないのです。 では、どうすればいいか? 社会に出なければいいのです。いきなりネットから、社会を飛び越えて、個人とつながればいいのです。会社員になることそのものが、ムダです。社会に搾取されることなく、ネットを通じて個人とつながればいいのです。そんなかんたんなことも、常識が邪魔をしてうまく行きません。やってられませんね。

2021-04-25 21:55:56

理想郷から遠く離れて

4月もあっという間に終わりそうですが、世の中がこんな感じなので、なんともスッキリしないゴールデンウィークになりそうです。百貨店とか、もはや債務超過なんじゃないでしょうか。ゴールデンウィークもひとりで楽しむネットフリックスまつりくらいしか、楽しみがないのですが、それもまたよし、思い起こせば最近は、土日祝日はどこに行っても密になるので、平日しか動きません。 もともと旅行どころか、ふだんの移動そのものが好きではないので、働くために毎日オフィスへ行かなければならないサラリーマンの日々は、いま思えば単なる苦役でしかありませんでした。いまとなって私が懐かしいのは、サボりの為にでかけていたサボりの場所で、コロナ禍が消え去ったら、海外旅行とか温泉よりも、サラリーマンの頃にひたすらサボっていた場所に、行きたいです。 ひとつは、老夫婦のやっている東上野のカレー、サカエヤ。待ち時間0分、って大きく書いてあります。カレーと一緒に、夏はわかめスープ、冬はけんちん汁を必ずお願いします。スープがうまいので、カレーもうまい、当たり前のことです。カレーは飲み物。は、そのとおりです。 サカエヤから歩いて20分くらいのとんかつ屋にも、行きたいです。そこは最初、わがまま店主の常にご機嫌斜めの独立店で、その店主の態度が気にいらなくて、会社の嫌いなやつの名前をつけてしばらく行かなかったら、居抜きでまっとうな店になっていました。それがすこぶるよかったので、それからは時々でかけました。あのとんかつ屋にもひとりで行きたいです。 とんかつやカレーだけでなく、上野付近はサウナも、有名なところがたくさんあるのですが、私の場合、みんなに人気のサウナには基本は行きません。地元の人しかいなくて、ガラガラだし特徴もない、そんなところにばかり行ってました。 2年前の春先に、ほとんど毎週出張で大阪に行っていたのも、懐かしいです。仕事はクソでしたが、サボりは最高でした。新東洋というコテコテのサウナによくいってました。あの頃はまだ、コロナのコの字もなくて、インバウンド需要のゲストハウスに泊まっていました。外国人がたくさん泊まってましたね。大阪も、日本維新の会、吉村洋文の失策によってボロボロです。リーマンショックで屋台骨が壊れて、もはや先進国第二の都市ですらなく、新自由主義の成れの果て、まともな産業も人も、ほとんど残っていません。 政財官学マスメディアによる15ヶ月間の失政によって、ほとんど修復のできないダメージを被っていますが、大阪も日本も、衰退の魔都、退廃のシャングリラですね。私はもう、そこにはいません。

2021-04-24 22:39:33

20時消灯…文明退化の味がする

台湾では11人しか死んでないコロナで、日本人は少なくとも1万人ちかくがもう死んでいますね。同じ島国です。DNAも殆ど同じです。つまりこれは、日本の失政です。政治は結果責任です。トランプもボルソナーロも、菅義偉も吉村洋文も、最後は結果責任です。最後は、首が飛びます。 もしかすると台北でなら、オリンピックできるかもしれませんが、日本ではもう無理です。台湾もお断りでしょうけどね。年明け冬の北京も、多分できますね。明治維新以後続いてきた、日本のアドバンテージが、完全に力を失いました。文明退化です。 そもそも政財官学マスメディアが、国家全体主義的にオリンピックを妄信して、やたらとありがたがる意味が、私にはわかりません。投下するコストと得られるユナイテッド・バイ・エモーションが全然釣り合いません。いざはじまればみんな夢中って、政財官学マスメディアは妄信していますけど、本当にそうでしょうか。 ハリウッド映画は、冷戦期の日本では、諸手を挙げてすばらしいとされていましたけど、ワインスタインというハリウッドの絶対権力者が、セクハラで引きずり降ろされてからは、ハリウッドそのものが、プロパガンダに過ぎないと少しずつみなされるようになってきました。スポーツも、似たようなものではないですか? ハリウッドもオリンピックも、国民国家の古臭い宣伝ツールであることが、モロバレです。 美しいルックスの、高い能力を持った特別な人間が、しょうもない無名の一般ピープルに、夢と希望を与えるという共同幻想構造そのものの破壊が、進んでいます。感動は権力者から与えられるものではない、という当たり前のことが、もうバレバレです。 今日の東京の新規感染者数は、759人で、先週の金曜日より92人増えた。前週の同じ曜日を上回るのは23日連続。直近7日間の一日あたりの平均は697.3人で、前週と比べて128.7%となっている。 こういう無意味な自称、報道フォーマットを耳にする度に思い出すのが、コンドームにたまる男のスペルマの量を、性交のたびに図っている女の話で、先週の金曜日の性交より量が軽い、スペルマの量が軽いのはもう23日も連続している…などと女は観測するのですが、スペルマの重みに執拗にこだわっても、何かがよくなるわけではありません。それと似てるなって、ひそかに思っています。 最終アウトプットにばかりこだわり、当たり前の関係性が壊れているなかで、本質的な課題解決がまるでできないという、彼らは、頭が悪いというよりは、頭がおかしいので、近寄ることもできませんね。政財官学マスメディアは、一体いつまで、毎日男のスペルマを測っているのでしょうか。

2021-04-23 20:32:12

令和の末法

コロナで死んだ人に、基礎疾患があったかなかったかにこだわる日本のマスメディアは、頭がおかしいと思います。基礎疾患があったのだから死んだって仕方ないとでも? この社会は、いま、ムンクの叫びのような日々にいます。そんな気がします。みんな気持ちは、方丈記です。 徒手空拳日記の読者の方に教えていただいた、Braveというブラウザにスマホもパソコンも、Chromeから完全に移行しました。基本的に広告が表示されないので、広告嫌いの私にしてみれば、すこぶる気分爽快です。あとBraveならば、YouTubeのバックグラウンド再生ができるし、動画の途中に出てくる広告も、完全にスルーできます。ということで、YouTubeプレミアムは、3ヶ月の無料期間が終わったら、やめることにしました。 超絶ウザいネット動画広告から解き放たれて、これはアルコールからの解放以来のスッキリ感かもしれません。都内では3度目の緊急事態宣言がどうやら出るらしく、今回はなんとアルコールが禁止されるかもしれないとのこと。いまさらそんなことアル・カポネ、禁酒法かよって思います。テレビチューナーも捨てて、アルコールも丸で飲まない私からすると、なんの影響もありませんが、そもそも東京にいないので、どうでもいいです。 東京といえば、この秋の東京モーターショーが、どさくさで中止になりました。酒もクルマも、オワコンです。よかったですね。私この十年の間、早くなくなれって、ひそかに念じていました。東京モーターショーとか、もう金輪際やらなくていいのではないかと思います。電気自動車の時代です。人類が19世紀につくりたかったのはまず、電気自動車でした。内燃機関は人類にとって次善の策だったわけです。だから、電気自動車への流れは止められません。まあ、東京モーターショーなんぞ、タダでも行かないから、どうでもいいのですけれど。 テレビ、広告、アルコール、内燃機関車という、昭和のオワコン産業に、さようなら。そんなの、文化でもなんでもありませんね。DMMドットメイクの、チューナーレス大画面モニター、おすすめです。チューナーがついてないので安い上に、NHK受信料も支払わなくてOKです。 今年のゴールデンウィークも、まさかまだコロナで動けないだなんて、昨年の今ごろ、全く予想もできませんでした。下手すると、来年のゴールデンウィークも、ステイホームかもしれません。まあ、来年のことなんて、仮定の質問には答えられませんけどね。遅い、疎い、頭のおかしな朱子学カルト、緊急事態宣言をどうするか明日正式に決めて、スタートは来週からとか、無価値なプロトコル中毒で、笑えます。そりゃ、バイデン政権にもナメられて、足元見られますよね。

2021-04-22 21:09:27

命短きちっぽけな虫です うれしくて悲しくて君と踊る

始まってないのに、始まったよって、言う。確保できてないのに、確保できたよって、言う。こだまでしょうか、ポポポポーン。負けていたのに、勝った勝ったと言っていた、NHKをいまもまだ観てるあなた、頭がおかしくなりませんか? 朱子学カルトの日本人は今もなお、自分はがんばりやさんだから、感染なんてしないって、信じているのかもしれません。感染するのはダメ人間だからで、感染した時点で、穢れです。自分たちさえ感染しなければ、知ったことではありませんものね。 高齢者のなかには、ワクチンを打ちにいって、逆にそこで感染する、なんてことも起こりそうで、あまりにもお粗末です。菅義偉は既にワクチンを2回打っています。多くの人はいまが一番やばいのに、大したことないって騙されているので、感染するとショックでかいはずです。日本では感染イコール、自動的にダメ人間判定だからです。 指標として私が信頼しているエクモネットをみると、とても深刻な状況です。全国でいま、500人以上の感染者が、人工呼吸器またはエクモを装着しています。15ヶ月のコロナ禍において、これまでの最悪を、いまから越えていくのは、間違いなさそうです。日曜日の衆参補欠選挙が終わったところで、オリンピックも中止になるだろうと思います。よかったですね。 コロナになったやつが悪い、ならなかったやつは常に正しい、それが公平世界仮説です。コロナだけではなく、あらゆる病気はこの国では完全に自己責任です。北九州市で53歳のアルコール依存症の男性が、酔って深夜の24時間スーパーに入り、トイレが使えないことに腹を立てて、レジで脱糞したことの裁判があったみたいですが、人前でうんこをしてしまうほどのアルコール依存症を、自己責任であるとして放置し、放置だけでは足らずに裁判にかけて罰を与えてしまう、これこそが公正世界仮説に基づく、日本人の酷薄さそのものです。 私は、この息苦しい日本国社会から身を遠ざけて、彼らを傍観している者です。もし私が身を持ち崩したら、きっと白骨になるまで放置な訳で、その無慈悲さは、ヒリヒリとして、ある意味爽快ですらあります。連合赤軍から足を洗った老人が、昔の仲間に会いたくないように、私もまた、平成の連合グローバル資本主義軍のかつての仲間になんて、会いたくありません。 そうこうしているうちに気がつけば私もあっという間に還暦、人生最後の懲罰は、成人病になることだと思いますので、成人病という終身刑を食らう前の、いまこの数年間が、ほとんど最後の娑婆の空気だろうなと思います。まあ要するに、この国では、病んだら悪人、ということです。悪人正機説とは、本当は、そういうことだろうなと、思っています。

2021-04-21 20:17:38

会見開けたらカトウのごはん

嘘、大げさ、紛らわしいのは、政財官学マスメディアそのもので、菅義偉とファイザー社長との電話会談も、特になんら言質を得られたわけでもなく、やってる感だけの虚しい憶測を垂れ流す政財官学マスメディアは、怒りをもはや通り越して、哀れでさえあります。足元を見られて、単価を釣り上げられ、ひたすらナメられっぱなしの後退国民です。内閣府の情報こそが、嘘、大げさ、紛らわしいんじゃろってなんじゃろう。 JNN系列という、TBSの全国ネットワーク系列の地方局の東京支社が、なんと赤坂のシェアオフィスになってしまったとのことですので、いよいよ民放のビジネスモデルが終わりつつあります。民間放送往年の時代には、地方局の東京支社ともなれば、皆がこぞって銀座に豪華なオフィスを構えており、銀座のクラブで夜な夜な好きなだけ飲んでいた連中が、間借りもできずに、家なき子となってしまいました。 政財官学マスメディアは、要するに4つの責任転嫁で逃げ切ろうとしています。ひとつは、専門家への責任なすりつけです。判断を放棄して、都合のいいところだけを専門家におっかぶせています。そしてその専門家とやらは、小利口なだけのオールドスクールです。2つ目は地方自治体に丸投げです。うまくいかないのは地方が悪いんだとなっています。下村博文なんて、ワクチンの遅れを地方の医者のせいにしています。 3つ目は、米軍さまさまへの我が身そのものの丸投げです。日本国の安全、安心の行方は、昔も今も全て、米軍が握っていますが、少しずつ中国を、敵とみなしつつあり、いまはおそらく半世紀ぶりの、外交的な大きな転換点となっています。 最後の責任転嫁は、ズバリ国民への責任のなすりつけです。路上で酒を飲んでいる奴らが悪い、風俗店が悪い、気の緩んでいるバカが悪いといった、論理的ではない責任転嫁が、第4波の拡大とともに大きくなってきました。NHKの報道フォーマットは、4つの責任転嫁を執拗になぞることになっていますので、私としてはチューナーを捨ててしまってスッキリしています。 どう逆立ちしても、もはや今年中にワクチンが国民に行き渡ることもないので、日本人はおおむね棄民のようになるでしょう。よかったですね。気の緩んでいる国民が悪い、政財官学マスメディアはなんにも悪くない、という加藤勝信官房長官による高みの見物がいつまで続くかはよくわかりません。会見開けたら加藤のご飯、ご飯論法が行くところまで行き着いて、何もかもが、何もかものせいだ、政財官学マスメディアは、なんにも悪くない、という加藤のご飯論法もいよいよ臨界点にたどり着きつつあります。

2021-04-20 19:48:37

自律分散制御へ

モンベルの最軽量パーカーは、ポケットもないのですが、身体に薄い膜をまとっているようで、思ったより全然あたたかいです。これ買ったのは2年前、まだサラリーマンをやっている時に、冬にコートを着ることなく、防寒性能を高めようとして、買ったのでした。この冬は、サクッとサラリーマンをやめてしまい、寒い季節に外を出歩くこともなかったので、家のなかで着ていました。部屋着です。ヒートテックなんかより全然あたたかいです。 これから先、日本全体がどんどん後退していくと思うので、都市部の政財官学マスメディアの近くにいると、そのぶん余計に、沖合へとものすごいチカラで流されてしまいそうです。モンベルのパーカーを着ても、外に出ないのと同じように、できるだけ政財官学マスメディアと無関係のところで、じっとしていたいと思います。古今東西、乱世のときは、分散せよです。東京や大阪にいると、高い確率で流れ弾に当たります。 日本で分散性の強い場所って、例えば茨城県なんかは、県都の水戸市への集中度が、そんなに強くありません。いろんな街に、人口が分散しています。東京から移り住むなら、茨城県の分散性は、魅力です。コロナ禍の影響が比較的軽いのも、人々が分散しているからです。分散していると、人はおのずと自律します。なんやかんや言っても、分散している社会や人は、しなやかなんです。 都市のヒエラルキーである政財官学マスメディア、実はなんにもやってないので、当たり前ですが、まん延防止が失敗しつつあり、最悪のタイミングで、最悪のまん延へと向かっています。一極集中の破たんです。ホスト国がこんな状況なら、オリンピックなんてできないよねって、当然アスリートに言われますよね。ワクチンも半導体もまともに調達できなくなって、日本はソ連解体後の東ドイツやポーランドみたいになっていきます。 都心にいることのメリットがこれからもどんどんなくなります。中央フリーウェイも常磐フリーウェイも、デートではなく逃走経路です。都内だとAmazonの配達はデリバリープロバイダーになってしまいますが、周辺部はヤマト運輸のまんまだったりします。地方の郊外型のショッピングモールのほうが、なんでも一箇所で済むので、クルマが運転できれば地方のほうが都心より便利です。なんと言っても、もはや都市と地方に情報の非対称性なぞありません。 自動運転やドローンなどによる自律分散制御が進めば、クルマの運転ができなくても、地方に住んだほうがコスパの良い生活が送れそうです。東京の優位性もないのですから、当然ワシントンやニューヨークにも優位性なんてないわけで、それでもなお無理してワシントンへ出かけていく菅義偉ご一行は、とんだ愚か者だと思います。ハンバーガー食ってるパンケーキおじさんに、いつまでも付き合ってられませんよ。世界も私も、そっと彼を見放すときがもうすぐそこです。

2021-04-19 21:45:55

必然を前提とする世界観の終わり

努力は報われるって、つまりはこの世界の必然を強く信じているのだろうなと思うのです。スポーツ選手って、私は気の毒だなと思うのは、公正世界仮説の権化だからです。ごくごく一部の勝者の裏に、負けた人々がしんどい日々を送っているんではないか。燃え尽きて、その先の人生が真っ白になってしまう人も少なくありません。 朱子学カルトもまた、必然という世界観の外へ、一歩も出ることのできない、必然の奴隷です。新入社員とは、そのカルト組織への参加が運命づけられていなければならない。だからこそ、新卒採用でないとだめなのです。中途採用や第2新卒は、その存在そのものが、朱子学カルト組織の必然性を否定するものです。 今日は丸っと一日風が強くて、ずっとおうちにいましたけど、家で松任谷由実のお歌をアマゾン・エコーで聴いていると、バブル時代の個人が、痛いほど強く確信していた、必然がいまとなってはすっからかんの、がらんどうというコペルニクス的転回です。全共闘世代とバブル世代は、己の運命の必然を盲信していたという意味では、完全に連続しており、人の人生は偶然でしかない、という彼らとは非連続の世界観は、この10年くらいで出てきたものではないかと思います。 荒川洋治は、小説は社会の言葉、それに対して詩歌は個人の言葉と言っていて、本当にそうだなと思います。この社会は必然であると信じることのできる時代は、小説が強い訳で、小説というジャンルがかなり弱っているいまは、社会の言葉が丸で機能していない時代です。東京オリンピックの聖火リレーで、コカ・コーラのコンボイに乗っているDJの放つ言葉は、おそらくは電通のコピーライターが書いている、まさに社会の言葉だろうと思うのですが、全然社会に届いていません。 しまむらがテレビ広告をゼロにしたみたいですけど、社会の言葉がマイナスの価値しか持たないテレビに広告を出すのは、マイナスにプラスをかけるだけのことで、やればやるほど必死感と、世ズレ感が悪目立ちします。社会の言葉が瀕死であるからと言って、ボリュームを上げても逆効果なのです。 個人の言葉は、ではどこにあるかと言えば、SNSなんぞではなく、完全に断線した人々の本心に追いやられています。SNSに湧き出しているのは、劣化した社会の言葉であって、小説家の本質的な競争相手は、SNSだろうと思います。自分のことを文字で書いて、表現することを最初に始めたのは、ジャン・ジャック・ルソーらしいですが、SNSは現代のルソーだろうなと思います。 特に、みんなに注目されてなんぼ、いいねやリツイート狙いのSNSは、文学の最新系であって、もはや伝統的な小説は、必然でもなんでもありません。己の生は必然でもなんでもない、偶然与えられた命は、偶然に奪われる、そういう寂しい世界観がこれから益々広がっていくのだろうなと、私は思っています。

2021-04-18 20:45:56

米国と同盟国のフリ

だめな人ほど3つのフリ、つまり忙しいフリ、重要人物とコネがあるフリ、金持ちのフリをしています。宿痾です。菅義偉などは、典型的にこの3つのフリで、他人を欺き、ダシにして、偉くなってきたのだろうなと思います。この時期にわざわざ米国へ出かけていき、大統領と直接会談したがるのは、重要な人物とコネのあるフリそのものです。 来週日曜の国会議員補欠選挙前に、国民の注目を外交へとそらして、裏でバイデン政権に何を言われているかは、すべて内緒にして、やってる感だけを積み上げていく戦略でもなんでもなく、末期的な断末魔です。現地の4月21日にIOCが総会をやりますが、日本はなんとかして4月25日の補欠選挙までは、なんとしてもオリンピックはやるやる詐欺を貫かなければならないのでしょう。本当にしょぼいうわべ塗りです。 菅のように、やたらと面着にこだわる朱子学カルトは、誰かと会ってくだらない雑談の時間をともに過ごせば、それが仕事の成果だと考えていますが、そんなわけもなく、ホモ・サピエンスは腹で何を考えているか、わかりません。 面着への執拗なこだわりが、菅義偉の不気味な訪米につながっています。菅義偉サイドは、バイデンとの晩餐会も求めたみたいですが、やんわりと断られたみたいですね。バイデンのマスク、とっても厳重です。 直接会ってこそなんぼという神経症によって、企業のリモートワークは少しずつ縮小されており、第4派がかなり深刻なのに、通勤時間帯の電車はかなり混んでいるみたいです。とにかく顔と顔を突き合わせないと、相手に失礼という妄想が、アルコールのはいる会食を、仕事なんだと勘違いする結果となります。厚労省の老健局で組織ぐるみで行われた送別会におけるクラスター感染などは、典型的な面着信仰ゆえの、哀しい結末だろうなと思います。 リモートワークも骨抜きになり、リモートワークすらまともにできない組織がデジタルトランスフォーメーションなんて当然ながら、できるわけもないので、古い会社が世界からどんどん取り残されていきます。よかったですね。面着カルトが感染拡大のエピセンターになっています。これからの行方を占うと、8月ぐらいまで感染拡大局面が続くだろうという予想もありますので、更に社会は煮詰まっていくでしょう。 あたおか珍走団と私が呼んでいる、コカ・コーラ、トヨタ、日本生命、NTTなどの巨大コンボイが先導する聖火リレー、YouTubeでその異様さ、面妖さにドン引きです。これって、ディズニーランドのパレードを、オリンピックスポンサー向けにアレンジしたものだろうと思いますけど、コカ・コーラというブランドが、沿道の民衆から熱狂的に支持されているような見立ては、経済中毒日本のある種の到達点かもしれません。お前ら、頭がおかしいよ、だなんて、本当のことほど誰も面と向かって言わないものです。

2021-04-17 20:15:40

火災が発生。消火剤を噴出します。

Googleを騙るショートメールが時々来ますけど、来るたびにブロックして通報しています。ショートメールとかこの世界にもう、要らなくないですか。二段階認証も、ひたすらかったるいので、早くなくなってほしいです。 社会に人間扱いされた時には死んでいる、それがこの国のデフォですので、金曜日の夜、まだ生きている私もあなたも、社会には丸で人間扱いされてないと思います。コロナの変異株がすでに都市部で蔓延してても、いまだに東京でオリパラをやるつもりの政財官学マスメディア、丸っと思考停止で面白すぎます。 命より利権、ワクチンより聖火リレー、命取られてようやっと、はじめて命が見えて来る、倒錯したファシズムの果てに見えてくるのは、やたらと漂白された、G7のなかで最も軽い人の生き死にです。私と同じタイミングで会社をやめた人が、死にました。私だって、いつ死んでもおかしくありません。だからこそ、命は燃やし尽くすものだろうと思います。 命は偶然に与えられ、そして偶然に奪われます。「ガンと闘う」というアフラックの惹句すら、まぼろしだろうなと思います。新宿のマンション地下駐車場で、天井の張り替え工事をしていた6人のうち、4人がなくなり、ひとりが重体とのことで、東京新聞によると、事故は15日午後5時ごろ地下駐車場の老朽化した天井の張り替え作業中発生。「火災が発生。消火剤を噴出します」というアナウンスとともに消火設備のスプリンクラーからCO2ガスが噴出したとのことです。水道工事する時に、水道の元栓締めてないのと同じです。まともな神経では、ありません。 再委託先と再々委託先の4人が、まったく息のできない苦しさでなくなりました。このような杜撰な工事は、彼らを人間扱いしてないからできるのです。ワクチンが来ないのと、検査をしないのと同じです。お亡くなりになってはじめて、彼らは人間扱いされています。なくなった50代のおふたりはご兄弟、まだ20代の方もお亡くなりになって、意識不明の方も20代です。気中濃度30%以上の二酸化炭素が放出されて、ほとんど8-12呼吸で意識を喪失するという兇器です。昨年12月と今年1月に同じ事故で死者も出ているのに、なんの改善もされていません。人間扱いゼロの国です。 日本維新の会が、大阪でやっていることも、人間扱いゼロです。コロナでもっと大量に死なないと市民の尊厳は回復しません。リーマンショックで潰れた街です。維新という言葉で、人間の尊厳を踏みにじって、市長室のサウナで整っている池田市長とか、ある種の狂人ですね。

2021-04-16 21:12:59

快方感

いまの世界には、インターネットというものがあるのですから、なるたけ固定費のかからない生活、これを目指さない手はないだろうと思います。縛られない人生、自分の感受性くらい自分で守れ。やればやるほど、固定費が重くのしかかるタイプの暮らし方や、生き方は、下手をすると、そのうち消滅するかもしれません。例えば、東京オリンピックなどは、悪あがきすればするほど、しょうもない固定費が鬼のようにのしかかる代物ですので、時代に丸であっていません。まん延防止等重点措置というおかしな言葉による活動も、やればやるほど固定費が重くのしかかります。都内の飲食店はさすがにもう、持ちません。昨年春の中国、武漢のように、虱潰しでウイルスを短期的に封じ込めないと、牛の涎のようなマンボウは、単に問題の温存でしかありません。 会社やめると、とりあえずコンサルになるのは、能なさ過ぎではないかと思います。従量課金の仕事やる人は、結局時間の重たさに敷かれて、時間、つまりカネという固定給に苦しめられます。それよか、固定費のできるだけかからない生活、衣食住のコストを軽くして、固定費の必要としない暮らしを、確立することが、まずは求められるのではないでしょうか。 アルコールも、たくさん飲む人には、ほとんど固定費です。お金と時間と健康を、トリプルで奪います。家飲みの蟻地獄にはまると、本人も自覚が追いつかないまんま、ある日突然、アルコール依存症であることが判明します。依存症に仕上がるまで、下地がきっちり塗り固められて、とてつもないスピードで、不自由がその人のすべてを堰き止めてしまいます。 私は、快方感と呼んでいますが、何ごとにも、縛られていない、固定されないただいまの自由を、積極的に気持ち良いものとして言葉にして受け取り、意識して味わうことが大切だと思います。当たり前の自由など、ありません。固定費の要らない心地よさ、無駄な時間の少ない快さ、酔わないで済む心の安全性、そういったものこそが、生きる歓びそのものです。 4月からNHKラジオ第2、木曜日夜8時半からの、カルチャーラジオ、文学の世界、荒川洋治の“新しい読書の世界” がとてつもなくいいです。これは、音による快方感。毎日、眠る前に繰り返して、目をつむり聴きたい。今日の放送でやっていた詩のひとつを載せておきます。 石垣りん くらし 食わずには生きてゆけない メシを 野菜を 肉を 空気を 光を 水を 親を きょうだいを 師を 金もこころも 食わずには生きてこれなかった ふくれた腹をかかえ 口をぬぐえば 台所にちらばつている にんじんのしっぽ 鳥の骨 父のはらわた 四十の日暮れ 私の目にはじめてあふれる獣の涙

2021-04-15 20:18:24

心理的安全性ゼロ、朱子学カルト

東京新聞によると、2016年7月に、入所者ら45人が殺傷された相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で、東京パラリンピックの聖火を採取することに、事件の被害者の遺族や家族が反対していることが12日、分かった、「家族が犠牲になった場所で採火が行われるのは違和感がある」として、市と神奈川県に中止を要請した、とのこと。 このやまゆり園での聖火リレーを考えたお方は、無神経を越えて、あたおか、頭がおかしいのではないかと思います。こんな無神経を遺族以外、誰も止めることができないなんて、なんとも不気味な社会です。東日本大震災とか、コロナ禍とかもそうですが、苦しみから逃げずに、乗り越えていくことを、やたらと美徳とする価値観そのものが、朱子学カルトです。 1964年の東京オリンピックによって、日本は敗戦から立ち直った、というプロットは、根っから因果を間違えています。お金持ちが長い財布を持っているから、長い財布を買うのと、構造は丸で同じです。日本が1960年代に、経済的に急速に豊かになったのは、朝鮮戦争とベトナム戦争があったからです。 東芝とかも、典型的にこれら2つの代理戦争で肥えた企業です。ビートルズのレーベルも、東芝EMIでしたね。イギリスの投資ファンドによる買収を画策していた車谷暢昭が、急転して引きずり降ろされましたけど、いまさら解体屋に気づいても、マグロで言えば解体ショーはもうほとんど終わってしまっています。中トロや大トロは、もう誰かに食べられちゃって、跡形もないですね。 東芝がEMIを手放したのは2007年とのことですので、その頃からもう東芝は、やばかったのかもしれません。2008年には浜松町の本社ビルを売り払っています。リーマンショックだけでもやばいのに、エフイチの事故が起きて、トドメを刺されました。 企業の破綻や倒産は、大きいとショックがでかいので、潰さずに骨抜きにする手法が、この10年で当たり前になりました。東証一部には、死にきれずゾンビのようになっている会社だらけです。チャレンジして会計をごまかしても、丸で稼げないので、立っていられません。未来のない企業って、若者がどんどんやめていきます。 心理的安全性という、Googleが言い始めた考え方があります。仲間から無能、無知だと思われていないかとか、いつクビになるかわからないとか、働き手に不安があると企業は傾くみたいです。いまの東芝なんて、心理的安全性ゼロだろうなと思います。さっさとやめたほうがいい、東芝とか東電とか電通のような漢字のしりとりみたいな企業は、みんなそう思ってるんじゃありませんか?

2021-04-14 19:45:07

汚染水を処理水と言い張る人たち

ビューティフル進次郎がイキって、コンビニのお弁当に、プラスティックの容器がこれから使えなくなれば、紙の容器だと上げ底などの詐欺的なシュリンクフレーションが、どう逆立ちしても、お上手にはできなくなります。持ち運びしやすいようにとか、美味しそうに見えるようにとか、本来はお客様のためだったお弁当のパッケージングの進化が、いつのまにかせこいチートに成り代わって、コンビニ本部のMDは、いかにして顧客を欺くかに、心血を注いでいて、本末転倒どころではない、こんなものは顧客への背信行為です。その損失はやがて彼らを苦しませるでしょう。 10年以上なんにもできてないエフイチの原発事故のリカバリーですが、冷却はとりあえず止めるわけにも行かず、大量の汚染水が出るわけで、この国の民はそろそろ忘れただろうから、このへんで薄めて流してしまおうと、世界史でも類をみない、人為的な海洋汚染に突き進む菅義偉、己のふる里東北の海を汚しても、東北新社という名の社長とは懇意で、いけしゃあしゃあと生きていける才能は、不気味としか私には思えません。汚染水ではなく処理水だと権力がいえば、その言葉をなんの疑いもなく垂れ流すマスメディアによる不作為もまた、国民をいかに欺くかしか考えていないチートです。 大阪の新規感染者数が1100人とか、吉村洋文は、己の政治屋責任を取らないとならないところまで来てます。病院や保健所を激減させ、職員も使えないからと減らして定額給付金の配布スピードも、全国ワースト。大阪モデルとやらの秒殺、大阪独自の大阪ワクチン構想は言っただけで、イソジンに頼ることとなりました。都構想のレファレンダムで更に感染拡大、非常事態に陥り自衛隊数人が緊急派遣、死者も急増して緊急事態宣言を要請したのに、経済まわせと緊急事態宣言を一週間早く解除、重症病床も224を150まで減らして、見事にリバウンド、マンボウを要請したかと思ったら、緊急事態宣言へとあっという間にグレードアップさせ、ついには夜間外出禁止令のようなものを勝手に出していて、こいつ、完全にあたおかです。顔見ればわかりますよね、最初から。 コロナ禍も、既に14ヶ月経過です。前半7ヶ月は安倍晋三、残りの直近7ヶ月は菅義偉の政権でしたが、菅義偉政権は阪神淡路大震災を越える8000人ものコロナ関連死をもたらしており、これはそろそろ、政治屋としての結果責任を取らないとまずいよなと思います。権力欲に目が眩んで、ババを食らう、彼にとりあえず矢面に立たせて、汚れ仕事をやらせて鳴りを潜めていた人たちが、そろそろむっくりと、倒閣へと起き上がるかもしれませんね。ポテチン。

2021-04-13 21:10:04

田舎で都心暮らし

あれっ? なんちゃら防止等重点措置、今日からなの? もうとっくに始まってるかと思ってました。あまりにも行政のプロトコルがもっさりし過ぎで、こんなもの決めたらすぐ施行しろよと思います。無策無能の理由を、日本は中国と違って民主制だから、中国みたいな強権を行使できないんだよ! とか言っている時点で、思考のアゴが、外されていると思いますね。 まあでもコロナって、雨に降られるようなもので、東京や大阪のような豪雨エリアで、自分だけは雨に降られないようにしていても、一定の確率で土砂降りや突風にかち合うのは、避けようがありません。どんなに気をつけていても、感染するときは感染してしまうと思います。ロサンゼルスのような雨の降らない場所に引っ越すか、雨が降ってもそれなりに、生きていくしかありません。 私の場合、雨が降ったら外に出ないことで、かなり問題なく都心でも生きていかれますし、ロサンゼルスみたいな、そもそも雨の降らないエリアに行くことも全然ありです。肝心なのは、そりゃ雨もふらあな、という認識を持つことで、雨が毎日降ったとしても、だましだまし生きていくことだろうと思います。 地方で生きていくデメリットはどんどん小さくなっています。インターネット回線は早いですし、Amazonも届きます。都心だとデリバリープロバイダという、個人事業主の配達になりがちですが、地方だとむしろヤマトがデフォで、都心部より配送の品質が高かったりします。都心じゃないと生きていけない理由が、あんまり思い浮かびません。住むエリアによって情報の非対称性なんてもうありません。重要な情報ほど、無料かつオープンにインターネットに漏れ出しています。 人のほとんど住んでいない場所で、Netflixを見ながらヤマト運輸で買い物を届けてもらい、特に農業とか古民家に住むわけでもなく、都市部とほとんど変わらない暮らしをする、こういうライフスタイルは、なんと呼べばいいのでしょうか。ルンバとか、ヘルシオホットクックとか、ドラム式洗濯乾燥機とか、マルチタスキング系の家電はバリバリに備えて、読みたい本は、図書館でも、Amazonでも好きなだけ読むことができます。田中邦衛がなくなりましたが、「北の国から」で五郎が目指したような、エクストリームかつオルタナティブな、現代文明への反骨精神は、もはや意味がわかりません。 都心部にいても、地方にいても、やることはそんなに変わらない、そういうライフスタイルを確立したいです。どこに住んだって、自律分散、朱子学カルトから間遠に生きてさえいければ、クオリティ・オブ・ライフは着実に高まります。組織や会社に、人生を奪われないためには、ただひとつ、群れないことです。

2021-04-12 23:39:02

ユナイテッド・バイ・朱子学カルト

明日から高齢者へのワクチン接種がはじまりますよって、最初のロットはわずかに全国で97500ショット、こういうのを雀の涙と言いますよね。チュチュンがチュン。全国の65歳以上の高齢者人口は、36110000人ですから、なんとかすかに、0.27%ですので、こんなもの完全に世襲、河野太郎による失政ですが、政財官学マスメディアは共犯者なので、みんなで、さあいよいよはじまりますよ、の愚かなワンボイスです。これこそが、ファシズムの饒舌です。 自己愛の強い、人生丸で困ってない世襲政治屋さんは、封建制における、最悪の公害だと私は思っています。織田信長も当然、世襲でしたね。僕ちゃんに逆らうと、首チョンパ、なので下々の小役人は徹頭徹尾萎縮したまんま、ツラでは従っておきながら、ハラでは背きます。 世襲の政治屋って、利他の心がゼロなんです。そう思います。逆に言うと、利己が100なんです。河野太郎、偉そうに日曜討論に出て、彼を映し出すカメラマンもなぜかスーツ姿の、面白くもなんともない、討論でもなんともないプロパガンダ・コンテンツ、少しでも粗相すれば、担当者は消されて、番組そのものも、なくなってしまいます。 前畑がんばれをひな形にした、アナウンサーの饒舌と絶叫が令和3年に、響きます。アナウンサーも内心は、エモーションを少し抑えて絶叫してて笑えます。誰も使わないクソなスローガン、ユナイテッド・バイ・エモーションって、ネイティブチェックしてないのではないかと思います。意味としては、ほとんど発狂連合です。アングロサクソンが聞いたら、これ明らかに意味がおかしいです。笑止。 長崎の郵便局長が、巨額かつ長期の詐欺で10億以上稼いでいましたね。「郵便局には特別の枠で利率の良い預金がある」って、局長に言われれば、普通はそう思いますよね。郵便局長って、織田信長と同じ、世襲なんです。郵便は、要するに封建制です。彼らは、個人向け保険の営業を今月から1年9カ月ぶりに再開したばかりでしたが、開店休業になりそうです。 この長崎の郵便局長、もちろん彼の父も郵便局長でしたので、世襲公務員です。それなのにいまだに実名で報道されておらず、こういうところでも政財官学マスメディアがグルなのだとわかります。世襲ってつらくないですか? いまになって、自分の親が無名、無学、無力で心底良かったなあと思います。会社員も、もはや80%以上、世襲ですよね。朱子学カルトの血がどんどん濃くなっています。 政財官学マスメディア丸っと、世襲のコネクションです。平安貴族みたいに、彼らは世襲を繰り返して、日本をスッカスカにしています。よかったですね。でも今日一番の発狂連合は、32万個のうちわを、うちわ会食のために配った、井戸敏三兵庫県知事です。でもこの人は元総務官僚、世襲ではありませんけどね。

2021-04-12 23:38:10

ファシズムの本質は沈黙ではなく饒舌

占拠した福岡のドーム・スタジアムの水道の蛇口から、こんこんとお湯が出て、北朝鮮のふるさとの、冷たい水しか出ない冬の暮らしのことを思い出す北朝鮮コマンドの心理をえがいていたのは、村上龍の「半島を出よ」でした。 私も、当たり前のようにお湯が出ることのありがたさをつい忘れてしまいます。もっともっとだ、今の私は、こんなに満たされていない、こんなはずじゃなかった、あの人が悪い、外部環境が良くない、そういう気持ちが、私のなかのグローバル資本主義を駆動する本質だろうと思います。だからグローバル資本主義は行けども行けども、満たされない。底が抜けたように、相手の不足を責めてしまいます。 足るを知ることに気づけよ、文句ばかり言うなって言う人が増えてきました。もくもくと頑張っている人を、嗤ったり責めたりするな、ユーモアを忘れるな、きついこと言うな、もっとうまくやれと、諌める声がどんどん大きくなっています。 ワクチンがほとんどこなくても不可抗力だよ、仕方ないでしょ、欧米に比べたらまだまだマシにやってるじゃないか、まず政権で汗かいてるお立場ご身分に感謝して当たり前だ、などと言っているしょうもない小人たちのことを、どうしても私、心のなかで徹底的に小バカにしています。こればかりは死ぬまで治りません。 尾身茂とか吉村洋文とか、私には北朝鮮の、冷たい水しか出ない冬の水道にしか思えません。自業自得としての氷水のシャーベットで、あかぎれの手指を洗わざるを得ないのが我々です。彼ら自身が、政財官学マスメディアによってえらく洗脳されているので、彼らの言うことなすこと、すべてあたおかです。とはいえ、最近はテレビを見られないので、彼らのこともかなりどうでもよくなりつつあります。関係のない人々です。 そういえば、あのアベノマスクは、メイドインミャンマーでしたね。血税が国内モスキートに抜かれて、残った最後の端金は、ミャンマーの軍事政権につながるマスク工場へと落ちて行きました。キリンビールもアベノマスクも、ミャンマー軍事政権の資金提供者となっていますが、ほとんど誰もこのことを批判しません。頬被りです。クローズアップ現代を抹殺するNHKもあたおか具合がかなり来てますけど、言論統制や言論弾圧の何がこわいかといえば、ものを言えないことよりも、むしろどうでもいいことを絶叫し続けなければならないことが怖いんです。 聖火リレーのコカ・コーラコンボイに乗っているDJの饒舌こそが、朱子学カルトのファシズムそのものです。沈黙は許されない、ヒエラルキーに熱狂していないものは、目をつけられて、とてつもない懲罰を食らう、これこそがこの国のファシズムです。

2021-04-11 22:45:01

まん延等防止等重点等措置等

緊急事態宣言は、英語にしちゃうとどうしても、エマージェンシーって記されてしまうから、なんとかしてそれを取っ払おう、そーすれば外人は、ジャパンはエマージェンシーではないと思ってくれるはず、それこそが、まん延等防止重点措置です。こうした、その場しのぎの、やってる感だけの出口発想で、ずる賢く獰猛なアングロサクソンのホモ・サピエンスが騙されるはずもなく、まさに頭隠して尻隠さず、うまくやってるつもりなのは、間抜けな政財官学マスメディアだけです。つまり、この愚かさは敗戦前と同じではないかと思います。 会社をやめて小さな会社をつくりましたが、丸で大きくするつもりもないので、10年くらいで畳むつもりです。こういってはなんですが、社会にさほど執着していません。要らないものを売り払って得たメルペイの残高で、買い物しているくらいで、欲しい物がありません。ニトリなど行くと、ありとあらゆるものが、きれいに塗り固められたゴミのようにしか見えません。ダイソーなどにでかけても、その思いは変わりません。無印良品に行くと、BGMにイラッと来ます。シワだらけのまま、ディスプレイされている衣服とか、誰が買うのかなといつも不思議です。 無印良品の小屋っていうのがあるのですが、高いです。BGMよりもイラっと来ます。デザインのコモディティ化を知らないのでしょうか。デザイン的には、ニトリの小屋、ダイソーの小屋と大差もないと思うのですけれど、利益を盛りに盛っています。目玉が飛び出るほど高い小屋を買う顧客って、誰なのか思い浮かびません。こうしたコモディティに法外なお金を支払う人のペルソナが、思いつきません。無印良品という名のコモディティ。寝太郎さんが20万円でしていることの15倍価値があるのでしょうか。 会社を辞めて、自分に支払う給料をぐーんと下げたので、ふるさと納税ができなくなりました。ま、最初からやっていません。ふるさと納税は、ふるさとという言葉をぶっ壊しました。ろくでもない中間業者が間に入り、血税を吸い取るモスキートが跳梁跋扈しています。ふるさと納税の人気商品って、米と牛肉、つまり金目のものです。源泉徴収される高級奴隷のガス抜き中抜き通販でしかなく、こんなもの菅義偉が失脚すれば速攻でなくなるでしょう。ふるさと納税とは、ただ単に、頭が悪くて卑しい、最悪のスキームではないかと思います。 無条件降伏が8月15日で、沖縄戦の敗戦は6月23日、つまり負けを認めるまでに53日もかかっています。東京オリンピックの開催は、現代の本土決戦だと思いますが、本土決戦の前に、世界が行かないと言い始めています。100日を切るくらいが、ひとつの山場、見せ場だろうなと思います。4月20日前後が、ポイント・オブ・ノーリターンでしょうね。ポテチン。

2021-04-09 21:29:57

新型コロナウイルスに関係する内容の可能性があまりない記事です。

要約すると、つまるところあいつは敵だ殺せになるクラブハウスって、その後どうなったのでしょうか。クラブハウスをTwitterが買収するとかなんとか、本当にどうでもいいです。最近になって特に思うのが、顔バレもしたくないし、世の中に広く知れ渡りたくもないし、SNSで有名になろうとか、丸で思わないです。 無用の用とともに求められるのは、無名の用ですね。誰も見向きもしない存在であれば、誰からも攻撃されません。ソール・ライターの「取るに足らない存在でいることには、計り知れない利点がある」これにつきます。取るに足らない存在なくせに、YouTube始めちゃうとか、せっかくのスティル・ライフがもったいないです。 大きくなる、有名になる、金持ちになるって、いまもまだ人間にあってますか? 資本主義ってそろそろ賞味期限が切れていませんか? コロナ禍で外食ができなくなって、じゃあ出前取ろうとなって、テイクアウトを頼むと、大量のプラスティック容器で運ばれてきます。昔の店屋物はリターナブルでした。経済まわせとは、つまりは何もかも貨幣で解決せよという意味ですけど、家で飯食うよりはマスク会食しろ、マスクしてなければ厳罰だぞというディストピアです。 私の予想通り、ワクチンは全然日本にこなくて、更にトチ狂っている菅義偉なぞは、オリンピック選手を優先させようとか言い始めており、ワクチンの奪い合いでアストラゼネカのやつを打たれて、血栓ができて死んじゃうとか、面白すぎますね。自分の命は守られて当然って、多くの人は思っていますけど、人の命は偶然の産物ですから、命の失われ方も当然偶然なわけで、いまが歴史の最先端とか、私の運命は必然とか、そんなことないよなって思います。 無用の用、無名の用に加えて、あともうひとつは一滴も酒を飲まないムテキの用を、ぜひぜひ加えたいですね。私はアルコールを飲まないので、コロナ禍とはいえ、ゆるふわまったり革命の自由形につき、飲めない食えないことに、ストレスも特にありません。私が一番好きな言葉は、不要ですが、次に好きなのは無用ですし、更に好きなのは無名です。飲まなければ、何でもできるし、Twitterをやめてさらにスッキリ、「肝心なのは何を手にいれるかじゃなくて、何を捨てるかなんだ」というソール・ライターの言葉が、やけにしっくり来ます。 コカ・コーラを飲みながら東京オリンピックを観て、みんなで感動しようとか、コピーライティングの意味が丸でわかりません。日本のコカ・コーラって超絶赤字で、900人超えのリストラしてて、こりゃたまらんとなり、アルコールの製造販売にも手を出しています。東京オリンピックのスポンサーって、どれもこれもオワコン企業で笑えます。ポテチン。

2021-04-08 20:50:18

新型コロナウイルスに関係する内容の可能性がある記事です。

はじめての緊急事態宣言から今日で丸っと一年、世界はワクチンの投与などが着々と進んでいますが、日本の政財官学マスメディアは、無能や無策が更に進んで、劣化や後退を余儀なくされていると見えます。 noteには、いまだに今日のタイトルの、よく意味のわからない、クソな表示がバカの一つ覚えとして出てきますけど、これ一体なんなのでしょうか。検閲? 警告? 責任回避? 私が厚労省や首相官邸の情報をわざわざ見て、なんかいいことありますか? あるわけないですね。厚労省とか首相官邸の情報は、別に一次情報でもなんでもありません。 厚労省が毎日の感染者数をどうやって測っているか、noteは知らないのかもしれませんね。委託先の民間企業に、全都道府県のホームページから各都道府県の感染者数を目視で拾わせて、足させてるだけです。やってる感だけのこんなくだらない措置をいつまでも惰性で続けて、損しているのはnote自身です。保身バリバリのおっさんが、クリエイターだのクリエーティブだの名乗るなんて、ちゃんちゃらおかしいと思いますよ。 さて、光る回る東芝が、いよいよ日本企業ではなくなりそうですが、ソニーだって、とうにもはや日本企業ではありませんよ。日本企業だから安心というイメージには、もはや特に意味ありません。フジテレビが外資比率2割越えたからって、あとからそれをごちゃごちゃ言っても、こんなルールはインターネットの登場で、なんの意味もなくなっています。Netflixやアマゾンプライムビデオの浸食に、思いっきり目を瞑っておきながらの大騒ぎ、よくわかりません。この問題を抜いた当の朝日新聞は、ヘラルド・トリビューンとかよくわからない外国のマスメディアの代理店みたいなことやってるわけで、 そんな鬼の首を取ったような大騒ぎも、ただみっともないです。 いずれにせよ、ネットの浸食とともに、東電、東芝、電通のような、漢字のしりとりみたいな名前のエフイチ事故A級戦犯どもは、少しずつこの世から、そっと消えていくのだなあと思います。東芝と言えば、勤続25年の記念腕時計が大量にメルカリで売られていたのが印象的ですけど、その東芝がイギリスの投資ファンドに買われて、やがてバラバラになって、消えてなくなるのは、必然です。東芝は消えてなくなっても、エフイチの事故った原発はこれからも末永く残り続けます。 勤続25年と言えば、私は、会社員辞めるときに、有給休暇の完全消化では飽き足らず、永年勤続の為の有給休暇も抱き合わせで全部休んでから、辞めましたね。もっとはやくやめればよかった、その思いは日に日に強くなっています。

2021-04-07 19:49:32

マスメディアの奈落

どう逆立ちしてもテレビが映らないので最近の夜は、NetflixかYouTubeを観るか、録音しておいたラジオを黙々と聴いています。テレビがおうちからなくなって、最高です。チューナーがないから、NHKに受信料を支払わなくてOKです。受信料支払って、永田町と街の声の垂れ流しを受信するだなんて、お金のムダです。新聞もNHKも、なくても困らないのではなく、ないほうがQOLもアップ、爽快です。 池江璃花子は素晴らしいですが、五輪開催に向けた印象操作のために、彼女を政治利用する政財官学マスメディアは、単なるあたおかですね。そういう単に卑しい尽力も、水泡に帰して、いつかコロナ禍で、黒く塗りつぶされていくでしょう。国際水泳連盟が、日本での水泳大会の開催を中止する意向であることは、ほとんど報じられていません。悪いニュースは頬被り、都合よく利用できるニュースには絶叫とともにフリーライド、これ、敗戦前のマスメディアと丸でおんなじ、まあプレーヤーもほとんど同じなら、そうなりますね。 それからついでに言えば、池江璃花子に感動をもらって、感動のフリーライド、池江選手、感動をありがとうなんて言っている一般人たちも、少なくとも私は、軽蔑しています。肉弾三銃士を英勇に祭り上げて、戦争へと突き進んでいった国民と丸で大差ありません。 フジ・メディア・ホールディングスが、2014年9月までの約2年間、放送法の外資規制に違反していた疑いがあるみたいなので、ということは、東北新社のザ・シネマ4K同様、免許停止になりそうで、超絶メシウマ、よかったですね。もはやあのステーションに流れてる番組も広告も、既に事実上の停波なんじゃないかと思いますけど、ウーヤーターのフジテレビも、ついにヤキがまわってきました。 公平が原則の総務省は、どういう屁理屈でフジ・メディア・ホールディングスにだけは、お目こぼしするのか、腐りきった政財官学マスメディア丸っと、末期症状ですね。日テレのスッキリでのアイヌ蔑視問題も、実は番組担当ディレクターが、問題となる脚本を自分で書いて、それを脳みそおに言わせていたようです。 責任を立場の弱い芸人におっかぶせて、頬被り、これもまた、なんとも虚しい、哀しい、保身炸裂のだんまりを決め込んでいらっしゃる。明治維新からの政財官学マスメディアは、もはや恥と害悪でしかなく、彼らが揃ってなすべきは、自主廃業ではないでしょうか。フジ・メディア・ホールディングスは、総務省からの停波命令の前に、サクッと自主廃業したほうがいいと思います。ザ・ノンフィクションすら劣化させる彼らに、まっとうな報道を期待するほうが、間違っています。

2021-04-05 20:54:02

"あたおか"が進む都市部

お酒飲まないと、もはやどこに住んでも同じだなあと思います。人が都市部に憧れる本当の理由は、好きな時に好きなだけ、お酒を飲みたいからではないかとさえ、思います。大学生の新歓コンパとか、田舎者に酒をドーピングする典型的な宗教カルト儀礼です。 お酒が要らないと、自動的にコンビニも要りません。つまりは、過疎地に住んでもOKです。太いネット回線と、ヤマト運輸と、畑があればなんとでもなります。 公共交通機関がなくても、酒に酔ってないので、24時間どこへでもクルマで行くことができます。そうなると、変異株がまん延しつつある過密エリアにいなければならない理由は、全然ありません。 穿った見方をすれば、人は好きな時に自由に酒が飲みたいから都市に集まって、ウイルスをまん延させているのかも知れず、国がマンボウに本気を出すならば、なすべきことは唯一つ、アルコールの非合法化なのかもしれません。 とにかく、わいわいとアルコールは飲みたい、しかしマンボウも大切というとち狂ったジレンマに陥っている人たちは、静かなマスク会食ならば、どんどんやっちゃってくださいと言われていて、よかったですね。酒を飲まなければ生きている気がしない皆さんの人生も、ひとつの人生、アース製薬のコバエがホイホイに落ちて死んでしまうコバエのような生き方でも、すべてがなくはないかもなと思います。 酒を飲まないと寿命がのびるのは、眠っている以外の時間がすべて意識のはっきりした時間なので、寿命というよりは、いま生きている時間が一気に増えるからです。ソウバー・キュリアスとは、未来のことではなく、今、現在のことです。 この500年の都市中心主義が終わりつつあり、お金もお酒もお友達も、急速にコモディティ化が進んでいます。お金は大事という割には、日本政府はいくらお金を積んでも、ワクチンを買って来られません。会食こそすべての、お酒を飲む人ばかりが出世していた組織も、そろそろやばいです。友愛というフランス近現代の共同幻想も、悪夢のようになりつつあります。 田中康夫的ボキャブラリーでいうと、都市部にいると、みんなあたおかが進みます。あたおかとは、ゴークレイジー、頭がおかしくなっていくということです。遅い、疎い、そしてあたおか、これこそが、朱子学カルトの三拍子ですから、コロナ禍は朱子学カルトのあたおかを加速させています。 もしかすると、酒を飲まないのなら、会社員やらなくてOKだったのかもしれません。お酒を売りまくって、国内では飽き足らず、ブラジルやミャンマーでもっともっと酒を売ろうとして躓いているキリンビールとか、あたおかの典型だと思いますけど、彼ら自身が、コバエがホイホイのコバエみたいなものなので、あたおかになると、思考能力がコバエ並みになるのかもしれません。

2021-04-04 21:27:31

その檻には鍵がかかっていないことに、気づく

数学ではなく、もっと初歩的な算数のわかってない政財官学マスメディアは、今日の新しい感染者数は何人ですとか、昨日や先週の今日よりは何人増えましたしか言わない、尋常とは思えないクソなフォーマットに落ち着いてきて、それがどうしたんだよ、という憤りを越えて、誰も科学をベースにしていないことが、心の底から不気味です。 菅政権の頬被り、とりあえずは目立たずに鳴りを潜めておいて、バイデンとの会談までは、当たらず触らずやってる感だけでやり過ごす不作為と無責任が極限まで達して、新型コロナウイルスの感染が、感染する人の運や体質のせいにする、花粉症みたいになってきましたね。なる人そのものが原因という、この国お得意の責任完全転嫁です。依存症やがんや貧困も、なる人そのものが原因という意味では、ほぼ同じ扱いです。ひどいですね。 気がつけば、会社をやめてはや3ヶ月経ちましたけれど、私の場合、30歳で事実上会社員をやめていたので、ようやっと名実ともに、脱サラリーマンになれたという、ギャップの解消というのが、実態かなと思います。社会的信用を必要とする欲求が丸でないので、特に困ったこともなく、もっと速くやめておけばよかったという思いしかありません。 FIREという言葉を最近よく耳にします。経済的独立と早期退職を目標とするライフスタイルを啓蒙する動き、とのことですが、経済的独立の対極にあるのが、日本式のサラリーマンなわけです。私が強くおすすめしたいのは、リタイア・アーリーではなく、リザイン・アーリーです。 リザインとは、仕事や組織を去ることであり、また、何かを諦めることです。学校を卒業してから、ひとつの組織に長くい過ぎると、ジョージ・ルーカスの言うところの、鍵のかかっていない檻のなかに、無限に自閉している存在になってしまいます。更に言えば、とにかくカネを稼ぎたい、人よりも上にいきたい、多くの人を意のままに操りたい、などというこの500年のグローバル資本主義を、できるだけ速く諦められたほうが、何ごともうまくいくのではないかと思います。 Financial Independence, Retire Early というよりも、Philosophical Independence, Resign Earlyなのではないかと、最近は思います。政治も経済も、グローバル資本主義という強烈なイデオロギーであって、ファイナンシャルな独立とは、思想や哲学による自律、独立です。たくさん稼いで速く辞めよう、だけでは丸々っと、グローバル資本主義の支配下にいるまんまです。檻のなかにいること、そしてその檻に、実は鍵なぞかかっていないことに気づくためには、カネよりも哲学のほうが重要です。

2021-04-03 21:54:03

朝生より鼎談、対談

頭の中でつかず離れずに、ある課題を考えていると、不思議なことにそれに関連する大切な情報が、あちらのほうから飛んでくるようになります。散歩している時や、風呂にはいっているときや、あるいは夢の中で。こちらが探しているはずのものごとが、あちらからやってくる。偶然なのか、必然なのか本当に、不思議です。 それに加えて、Googleアラートは本当に神のツールではないかと思います。私も、政財官学マスメディアのような、つくられた上からの情報よりはGoogleアラートに仕掛けておくキーワードからの情報のほうが、多いに役立ちます。誰かが、自分の仕事関連の領域や業界で知られている人の名前を、片っ端からGoogleアラートにいれていると言ってました。キーワードのなかでも人の固有名詞は大切な情報をもたらすと言います。 私も、人を起点としたオープンソースから得た情報は、朝日新聞やNHKと比較しても、はずれがすくなくて有用だなと感じます。大学は究極のサブスクと誰かが言っていましたけど、それはなぜかと言えば、人を起点にしているからで、リモート授業だけで満額の学費を取ろうとする大学は阿漕ですね。野村ホールディングスが巨額の損失を出したアルケゴス・キャピタル・マネジメントのビル・フアンは、ほぼ個人です。 洋の東西を問わず、政財官学マスメディアのような組織よりも、もはや個人やAIのほうが速くて、賢くて、勇敢だったりします。ヒエラルキー型の組織がいかにだめかは、日本をみればよくわかります。大きな組織よりも小さな集団のほうが、だいたいまともです。私はプチ鹿島さんの見識を信頼していて、彼は自分でなんと13もの新聞を読んで、そこからたいへん鋭くて、唸るような洞察をいつも導いてくれます。ダースレイダーとプチ鹿島のYou Tubeコンテンツである、ヒルカラナンデスがあまりにも濃密なのは、お二人の原価のかかったインテリジェンスの高度な総合だろうなと思います。 閉ざされたヒエラルキーの情報を、一人の洞察力が鋭く総合すると、良質なインテリジェンスになる、そういう意味では、必要なのは組織ではなく、生身の人間のまなざしです。アサナマのような、おお人数のとっちらかったカギカッコ付きの激論よりも、できるだけ少ない人数の対話が面白くて、尺の有限なマスメディアにはできないYou Tubeならではの優位性だろうなと思います。ゆったり、たっぷり、のんびりのコンテンツが、これから来るのではないかと思います。徒手空拳日記は、一人で対話しているつもりで書いています。音声入力で書いているので、対話に近いといいなと思います。ポッドキャストの再生回数も、おかげさまで少しずつ増えつつあります。できるだけわかりやすい大和言葉で、対話とひとりごとのあいだの音声コンテンツを毎日だらだら垂れ流しています。

2021-04-02 21:18:32

朝日新聞の来ない朝、NHKの電波の届かない部屋

エイプリルフールって、日本だと昭和末期の平和な時代しか機能していませんでしたよね。乱世や有事になって、そのことがはじめてわかります。方丈記は災害文学の走りですが、あらゆる天変地異が当たり前になると、クスッとするような嘘で、みんなが和むなんてことも、余裕がなくて、うまく成り立ちません。変に冗談を言うと怒られちゃいそうです。方丈の陋屋に蟄居して、世間から遠ざかり、やり過ごすしかないです。 世の中的に、何が起きても不思議ではないので、冗談なのか本当なのか、どんなことでも、どちらでもあり得ます。驚かされること、騙されることに、慣らされているとも言えます。 変異株をあたかも、この国に大してなきものとして、聖火リレーの実施に矢鱈とこだわり、無理やりここまで突き進んできましたが、またまたこじらせてしまいました。いまが我慢の時、いまこそ、重大局面、決め手はワクチン、春になったら聖火リレーで気持ちも変わる、などなどの先送りの希望的観測が破綻しつつあります。 ザ・ニュースペーパーという、政治時事ネタをやるパフォーマンス集団があるのですが、小泉純一郎や安倍晋三は、よくも悪くもキャラ立ちしやすく、比較的特徴をつかみやすかったのですが、彼らのやる菅義偉は、かつては全然似ていませんでした。往年の菅義偉にはオーラがありましたので、真似できなかったんです。それがどっこい最近は、本物の菅義偉が、ザ・ニュースペーパーのモノマネにだんだん逆にすり寄ってくるという怪奇現象が起きてきて、なんとも笑えます。あれっ、なんか塩もみしたナスビみたいで、すごく似てます。よろしかったらYou Tubeで、見てみてください。 さて、こんなろくでもない4月がはじまって、テレビやSNSからかなり遠ざかって、世の中のことがあんまりわからなくなって来ましたけど、その分本を読んで、ゆっくりくつろぎたいなと思います。どう考えても、グーグル予測のように、これからまた大量の感染者が出まくると思いますが、彼も人なり我も人なり、まんまるな目で、晴れの日も雨の日も、本を読んでいたいです。 毎朝体温を測る習慣も、すっかり定着しました。転記が面倒なのでスマホで撮って終わりです。体重計も、体重しか図りません。体脂肪率は、体重と比例します。50歳を超えて、健康が当たり前だと思わないようにしています。そうじゃないと医者に脅されて、気がつけば病人にさせられてしまいます。 朝日新聞の来ない朝、NHKの電波の届かない部屋、SNSの着信のない日々、これぞ、ビバ徒手空拳なんだろうかと思います。かといって、下手に生産性を上げるわけでもなく、浮いた時間を更にだらだら過ごす。そういう人でありたいです。

2021-04-01 21:39:40

国民ブロックには、マスメディアブロック

地上波、BS、CSいわゆる総務省利権の放送メディア、いっさいの受信をやめて、チューナーのない大画面モニターを買いました。結論から言って、最高です。もう何年も新聞を読んでないので、新聞、雑誌、テレビなどのマスメディアを完全スルーとなりました。ラジオはながら視聴の相性が良いので、番組を選んで全録して、2倍速で聴いています。ラジコはUIがクソすぎて、アプリから捨てました。 SNSについても、ほぼマスメディアと化したTwitterも卒業しました。マスのアクセスを目指すYouTuber的な、いかなるリーチ・マキシマイズ活動からも、遠ざかります。ワンチャン狙いの数は力系の情報発信さん、さようなら。徒手空拳日記のnoteと、Discordだけにします。 間抜けな感染再拡大で、ゴリゴリのデスゴリ、ゴリ押し五輪ピックのご臨終がいよいよ迫ってきました。日本政府は、そろそろ国民どもの気の緩みのせいとは言ってられず、ウーマンボ! チャッチャ、ラチャッチャ、チャッチャ、ラチャッチャ、ウー、マンボ!です。 狂気のファシズム国民国家として、世界初、二度目の東京オリンピックの中止、おめでとうございます。やっちまえば国民はバカだから盛り上がる、という浅い洞察も虚しく世界が行かないと言い始める、そろそろそんなタイミングかもしれませんね。 バーバリーに切られた三陽商会、ナビスコに切られたヤマザキ、IOCに切られる東京オリンピック、今度のオリンピックは、バーバリーではなくマッキントッシュ、オレオではなくノアール、オリンピックではなく、単なる国体となるでしょう。 ワクチンが来ないことにイライラ、河野ブロック太郎のような、自己愛の矢鱈と強い幼稚な上司の下にいると、サラリーマンは地獄です。仲の良い仲間だけで送別会、つぼ八、和民、鳥貴族、串カツ田中などに4人ひと組で別れて、そのユニットをZOOMでつなぐ飲み会みたいなことを言っているバカなサラリーマンがいましたが、私は絶対にごめんです。4人以下ならOK、という間抜けなガイドラインに乗ってるだけで、恥ずかしい朱子学カルト確定のリトマス試験紙です。 ああ無策、でおなじみの吉村府知事が、ついに、静かなマスク会食を義務化という暴挙に出てて、笑えます。ステイホームなんてだめだ、どんどん外食して、静かなマスク会食で経済まわせ、底まで飲もう、経済イチバン、健康2番、どんどん! です。マンボーを踊りながら静かなマスク会食で、経済まわさな、あきまへんで。 野村ホールディングスが巨額損失で株価激落ちくん、今年は多分、バブルが弾けるだろうなあと思います。これから先は、貨幣経済の比率をぐんぐん下げること、マスメディアへの被ばく時間を下げること、ワンチャン狙いの卑しさを捨てることが、大切だろうなと思います。

2021-03-31 22:00:39

病んでいる人を罰してしまう社会

病気の人に、厳しい懲罰を与えてしまうのが、朱子学カルトの一丁目一番地、まさに基本の気狂いだと思いますが、厚生労働省の職員が銀座で、深夜になっても20人を越えるメンバーシップで、送別会を開いていたのがフルボッコ状態ですけど、このタイミングで、送別会を断れないのは、私に言わせれば立派な病であって、彼らはパーソナルなレベルでは、こんな時にこぞって飲み会になんて、でかけたくないのですが、それでもなお、社会人として生きていくためには、断れないという、心の病なんです。だから、深刻です。 今日になって、厚生労働大臣が満座の前で謝ってたので、ここまで大げさになると、そんな風に飲み会断れずに病んでいる人たちを、これからビシビシ厳しく処分しちゃうでしょう。針のむしろです。世間から石が飛んできます。飲食店に見せしめの過料を課すのなら、彼らからも過料を課すべきとなります。このせいで出世コースが閉ざされちゃう人もいるでしょう。 この国では、病んでいる人たちは、その息が絶えるまで人間とは認められず、病人は、ゆゆしき厄介者で、気が緩んでいるので、引き締めたり、排除してこらしめるべき対象なのです。 病を抱えていることに、組織から同情された時にはもう、その人は社会的に死んでいます。戦力外通告です。過労死なんて、その典型です。アルコール依存症は、厄介な問題です。ダメ人間として社会から処罰されて、排除されてしまうので、ますます治らなくなります。 多くの人ががんだと言われて、アルコール依存症まではいかなくても、酒で失敗する人のかなりの割合が、がんで若くして死んでしまいますけど、あれも実は、病への厳罰のひとつの形式じゃないかと思います。欧米に比べて日本のがん患者は増え続けています。日本では、罰としてのがんなのではないかと疑っています。 いったんがんになってしまうと、がんと闘うとかなんとか言いながら、医者ばかりがチャリンチャリンと儲かるベルトコンベア式の、闘病生活という名の懲罰へともれなくスライドさせられてしまうというものの見方もあります。新型コロナウイルスでなぜ検査抑制が行われるかというと、がん治療のバリューチェーンが止まっちゃうからではないでしょうか。 朱子学カルトの最終懲罰が、がんなのではないかって、私は思っています。定期的な健康診断とかも、がん予備軍を供給するための、サプライチェーンマネジメントかもしれません。社会人からそっと道を外れて、酒を一滴も飲まず、ものが食えなくなるまで生きて、そのうちに死ぬ、そういう老後を目指しています。

2021-03-30 21:50:50

第4の波と社会性の終わり

スプリング・ハズ・カムというよりも、新型コロナウイルス第4波・ハズ・カム、来てます、来てます。この一年、アナログもデジタルも、ひとつとてなーんにもまともな手を打ってないのですから、そりゃ拡大するのも当たり前です。むしろ逆に、こんな運任せ、天任せ、ノリ任せで、まじめにまだオリパラをやろうと思っている心根が、ぐじゅぐじゅです。遅い、疎い、頭のおかしい朱子学カルト、さすが、安定の狂気です。 空気の圧力で辞めさせられた人達が、卒業というなぞのワーディングでその場からいなくなり、この月曜日から、首のスゲ変わった人も多いですね。辞めさせられるのが卒業ならば、その逆は入学のはずですが、丸々さんは今日から入学しました、とは誰も言いません。 蔓延防止等重点措置、こういう日本語はプラスチックのストローと同じくらい害悪なのではないかと思います。霞が関の言葉って、頭がおかしいと思います。まんえんぼうしとうじゅうてんそち、なんていう邪悪な日本語をありがたく伝言しているマスメディアって、インコかオウムか、伝書鳩なのでしょうか。 酷いのになると、マンボーなんて略してます。ウェブ記事なんかは、マンボーってなんだ? 的なクソ記事が溢れてます。持続化給付金という言葉も、醜いですね。こういった汚染された言葉をチェックして、なくしていく人がほとんどいません。言葉に対するセンシティビティーがないのだから、そんな人の書いているものは読んでも意味ないって思います。 政財官学マスメディア、プレーヤーが戦前とほとんど同じなので、言葉遣いとか、その受け売り具合とか、短縮して浸透を図る権力への擦り寄りぶりとか、全部同じです。マンボーっていうからには、マンボNo.5をBGMにかけたくてたまらないテレビマンがたくさんいると思います。 来年の今頃は、誰が総理大臣やってるか、少し楽しみです。アルビン・トフラーは、1980年に、第三の波という本を書きました。第一の波が農業革命、第二が産業革命、そして第三が情報革命らしいのですが、あれから40年以上も経って、日本ではまだ第三の波さえ、来ていませんね。 新型コロナウイルスは、第4の波を世界に引き起こすだろうなと思います。それは人間関係の革命だろうなと思います。ウエルベックの言葉、 社会性なんてものは、もう寿命が尽きている。歴史における役目を終えている。それは人間が知性を持ちはじめた時期には必要不可欠なものだったが、いまとなっては単なる過去の遺物であって、邪魔になるだけでなんの役にも立たない。(『ある島の可能性』) いつまでも、バカの一つ覚えみたいに、絆とか、コミュニティとか、サロンなどと言ってられなくなりそうです。連帯の逆をなんと呼べばいいのでしょう。英語でいえば、ソリダリティです。どうでもいいけど、ユナイテッド・バイ・エモーションって、誰も使ってませんね。持続化給付金とか、蔓延防止等重点措置と同じカテゴリーの有害な言葉ですからね。そりゃ誰も使いませんよね。

2021-03-29 21:43:22

かすかなシグナル

他山の石の意味をわざと間違える、おじいちゃん、さっきご飯食べたでしょ、としての幹事長、その無知の恥に、ググッと感じ入りますね。自称、万死に値する河井克行容疑者も、万死に値するの意味を、おそらくわかってないと思いますが、なんべんでも死ぬべきなほど、罪が深いという意味です。法務大臣経験者が犯した犯罪としては、確かにあまりにもしょぼすぎて、万死に値するかもしれません。 炎上した報ステCMのなにが恥かと言えば、炎上してから秒で削除したのに、その後の番組内ではなんの説明もなし、つまり頬被りが、何を差し置いても恥ずべき、シェイム・オン・ユーだろうと思います。彼らは、時代に遅れているのではなく、報道機関として、単なる恥の存在でしかないのですが、きっと彼らは、己の何が恥なのかさえもう、まともに自覚できていないのでしょう。 とあるお菓子をつくってる大企業の社長さんが、メジャーでマイナーめざすって言ってました。要するに、大企業のメジャーな商品は、面白くなくて売れないから、とんがった商品を、大企業もこれからつくりますよ、ということらしいです。 とにかく認知度さえ高ければ、もれなく人気者になれた時代がとっくに終わって、とんがった人気者だけが、じわじわとメジャーに成り上がっていく、いまはもうそんな時代ですから、カネにモノを言わせて、報道ステーションにたくさんのCMをぶっこんでも、ぜんぜん売れなくなってしまいました。ポテチン。 大声で買ってくれって、ガンガン広告してるブランドは、もうみんな恥ずかしくて買いたくないんです。「密を避けながら、最高の思い出をつくっていきましょう」なんて、福島でデカいトレーラーのうえにマスクもしてないDJが乗って、ウェーイ。コカ・コーラやトヨタやニッセイのロゴマークがギラギラしている、ラウドなマジョリティーが受け付けられなくなっています。 「聖火リレーの頃は、絶対に日本全国、オリンピック待ち遠しい、大盛り上がりに違いない」という更新されない思い込みのまんま、聖火リレーという珍走団を企画、運行させてしまう痛い人々、コカ・コーラ、トヨタ、NTT、日本生命とか、日本の政財官学マスメディアのエリートって、想像力が劣化してますね。 かすかなシグナル、という言葉があります。わかる人だけでそっとわかりあうブランド選択です。エルメスとかルイ・ヴィトンとか、うるさいシグナルはすべて、金持ちではない、金持ちにならなければならない人のためのブランドでしかありません。つまり現代のネアンデルタール人向けのブランドです。 かすかなシグナルという話法のわからない企業も、ブランドも、組織も、人も、これからはどんどんだめになるだろうなと思います。私は少なくとも、4月からますます、目立つことなくそっとかすかなシグナルを受発信していきたい、そんな願いで春を越えていきます。

2021-03-28 19:29:06

収録部分で事故る生放送番組たち

テレ東のワールドビジネスサテライトが、4月から夜10時に前倒しとのことで、まあ私は、4月からチューナーのない生活へと移行してしまいますので、どのみち観られないのですけど、9時54分スタートの報道ステーションが、ワービジ対抗で若い人たちに向けてオンラインCMをつくったら、性差別的であると大炎上、炎上しなければおそらくは丸で気づかなかったクソCMを観てみたら、このしょうもない演出世界は、なにに近いかといえば、プレミアムフライデーが始まった頃、15時で仕事を終えたOLの、世界観です。クリエーター気取りのおじさんの、独りよがりに反吐が出ますね。 そもそも、この報ステCMの、妙に甲高い声で女性が喋りまくる演出そのものが、しょうもないセクシズムにがんじがらめで縛られていませんか。世の中の若い女性は、こういう話し方をするというクリエーティブディレクションそのものが、性差別的です。報ステは、このCMのクレジットを公開していませんが、どうせろくでもない連中がやっているのでしょう。 ニュースステーションが報道ステーションに変わって、いまやこんなものは報道ですらなく、もはや単なるステーションです。生放送で事故るのではなく、CMで事故るところに政財官学マスメディアという病の深刻さがあります。まあ、私に言わせればこんなもの観ている人たちが悪いのですけど。 生放送なのに収録しているもので事故る、という意味では、日テレのスッキリにおける、アイヌ差別事故も同類です。朱子学カルトは、疎い、遅い、頭がおかしいの三拍子なので、収録コンテンツの差別をスルーしてしまいます。今頃、この世界のありとあらゆるテレビ局プロデューサーが、手前どものすべての収録コンテンツの、事なかれ主義チェックを、膨大な時間コストを費やしてやっていると思うと、超絶メシウマです。 これもヤバそう、あれも自主規制となれば、カギカッコ付きの報道番組はどんどんフードポルノ満載の、絶対に怒られない内容ばかりになると思います。ひとりBPO、事前検閲をしまくるチーフプロデューサー、年収は良くてもあまりにもブルシットジョブなうえに、面白くもなんともない仕事をやめられない不自由が半端なさそうで、かわいそう。 まあでもかわいそうなのは、ノーチェックでさらされて、ひとりで責任をおっ被された脳みそおです。テレ朝ってもともとは、N E Tっていう教育チャンネルでしたけど、監視のパノプティコンにひたすら怯えて、国民を教育する側ではなく、権力によって教育されてしまう側の存在になっており、現場はもはやアホらしくてやってられないと思うのですが、そんな仕事ごっこ、早くやめちゃいなよとしか、私には言えませんね。 NHKや民放を映し出す、4Kの大画面テレビなんて、私には価値なさすぎて、死んでも買えません。

2021-03-27 17:46:47

ピティエ(憐れみ)の消滅

男はつらいよの、50作目をおとといようやっと見て、今日48作目を改めて見たのですが、当たり前ですけど、彼らは、48でおしまいにしようとは、思ってなかったのですね。そしてそうやって、多くのものごとは終わるつもりなく終わると思います。政財官学マスメディアだって、そうやって、終わるんです。きっと。 50と48の間には、当たり前ですが49があります。それが、デジタルです。1997年の49では、車寅次郎は生きていることになっています。2019年の50では、オープニングの主題歌を、桑田佳祐が歌っているのですけど、渥美清が死んでからの49では、八代亜紀が歌っています。山田洋次のなかでは、リニアなんですね。 阪神淡路大震災の村山富市や、東日本大震災の菅直人にはあった、人としてのあたたかいものが、菅義偉には、ごっそりありません。既にコロナで9000人死んでいますけど、これはサイコパス特有の欠落です。国民には自助を強いながら、己の弟や息子にはバリバリのネポティズムが明らかになるにつれ、人々の心は離れていきます。内閣支持率なんていかようにも盛れますので、こんな奴がいつまでも天下を取れるほど、ホモ・サピエンスは心が広くはありません。憐れみの情け、ピティエあってのホモ・サピエンスですから。 ピティエがすっかりなくなった、政財官学マスメディアの情弱ぶりはとめどなく、今月を目処にマイナンバーと健康保険証を統合するはずだったものが、不具合だらけで半年も延期されましたね。ココアというアプリは、iOSやアンドロイドのバージョンアップにも対応できませんでした。厚生労働省は、全国の新型コロナウイルス感染者数を毎日どうやって測っているかといえば、業務委託している下請けに全部やらしてますけど、その下請けは全県の地方自治体のホームページを毎日目で見て、手集計でカウントしてます。頭わる過ぎますね。組織そのものが、ボケ老人です。 情弱の最先端が、政財官学マスメディアだろうなと思います。その根底にあるのは情けの消滅です。サイコパス菅義偉が、そのすべてを体現しています。情弱高額納税者向けのしょぼい中抜き通販ショップとしてのふるさと納税、世界の富豪のマネロンでしかないカジノ誘致、ジャパンハンドラーに吸い取られ放題のゆうちょ改革、どれもこれも根底にあるのは菅義偉の冷血ですが、彼を許しているのは政財官学マスメディア総意としての、底なしの劣化だろうなあと思います。 男はつらいよは、私にすれば、政財官学マスメディアに斬り捨てられた渡世人の哀しみであり、車寅次郎にシンボライズされた、人々のスライス・オブ・ライフはもう、跡形もありません。 ドブに落ちても根のあるやつは いつかはハチスの花と咲く という希望のおしまいです。情弱の政財官学マスメディアの代表格である立法府に、24法案、134箇所のミスがみつかりましたが、実は、昔からそんなものだったろうと思います。人々をドブに突き落として、花の芽を摘むサイコパスが総理大臣の国ですから、仕方ありません。よかったですね。

2021-03-26 21:56:37

子どもの自己肯定感が低い国

あれ? LINEってもともとそんなに信頼できるプラットフォームでしたっけ? 私がサラリーマンのころは、仕事でLINEは使うな、禁止だからねって言われてましたよ。この芝居めいた政財官学マスメディアによるLINEの叩き方は、総務省スガゲートNTTルートから、世間の関心をそらす為の、印象操作だろうなと思います。ああ、くだらなき。 政財官学マスメディアの人生って、底抜けに虚しくないですか? 結局は、国民国家なんていうファントムをチャリンチャリンまわすお仕事ごっこ、組織ごっこなんて、私はもはや、アホらしくてやってられませんね。 子どもが将来なりたい職業のトップが、なんと会社員らしく、これは第一生命による調査の結果でしたけど、第一生命のやってるくだらない広報企画で私がさりげに唾棄しているのは、サラリーマン川柳です。いかにも男はつらいよだなんて言ってるけど、昔は川柳でおとぼけする余裕が会社員には、なるほど確かにありました。 自己諧謔というのは、絶対的な安定の高みからでないと成立しませんので、最近のサラリーマン川柳は、お前らのそんな道化ぶりはマジでイタイぞって、ドン引きです。 近頃はやりの「サラリーマン川柳」に見られるような、底の浅いバカ笑い句、ゴロ合わせ川柳、わたし達は、このシュの笑いを川柳と認めない。ほんとうのユーモアというのは、こんなものではない。(柏原幻四郎) その昭和の亡霊第一生命が、子どもになりたい職業を聞いて、その1位がサラリーマンだなんて、しょうもないマッチポンプです。いまどき生命保険にはいる情弱は、寝ぼけたサラリーマンくらいなのかもしれませんから、それもまた仕方ないのかもしれません。 そりゃ確かに、まともな基幹産業のない日本では、いまとなっては会社員でなければ、不安定かつ給料も激安のエッセンシャルワーカーになるしかなく、彼らはコロナ禍でひどい目にあってますので、世相を見れば子どももビビッて、ケーキ屋さんや野球選手なんて無邪気なことも言ってられません。わかります。 私は子どもの頃、なにになりたいか書かされると、大工になりたいって書いてました。父が飲んだくれの大工だったからです。母親はそれを嫌がって、大工なんて書くなっていうので、水泳の選手とか書きなおされていました。子どものなりたい職業なんて、そんなものです。親からの強烈なバイアスでしかありません。 まじめな話、いまのサラリーマンは10年くらいの間に、消滅しそうです。終身雇用制度のオリジンは米国だと思いますが、国民国家としてそれをデファクトスタンダードにすることはできません。メンバーシップ型の組織は残りますが、それは専門スキルのあるせいぜい150人を上限とする、組織に限られると思います。三菱グループとか、家電量販店で三菱の冷蔵庫みるとわかりますが、のっぺらぼうです。稼ぐことのできなくなった大きなヒエラルキーは、やがて息絶えます。いつまでも霞を食っていくことはできませんから。

2021-03-25 22:04:04

気の散らない工夫

気が散らない環境を、どうしたらつくれるか、それは大袈裟かもしれませんが、クオリティ・オブ・ライフに結びつきます。ひとつのことに、ワレを忘れることが多ければ、日々が満ち足りていきます。 そういった意味でもアルコールはよくありません。いったん酒を飲んでしまえば、酒を飲むことと食べることしかできなくなります。飲みながら楽しむおしゃべりを、みながみなすばらしいものだと思いこんでいますが、私からすれば最初の20分が過ぎるとぐだぐだになります。酔ったものどうしの会話は、明日につながりません。 楽しむためにお酒が必要なコンテンツは、そのコンテンツそのものが実は退屈です。たとえばウイスキーを飲みながら読むミステリーは、酒に心を奪われているのか、作品に没頭しているのかといえば、だいたい前者です。飲みながら考えられることは、自由とは真逆の、たんなるラリっているだけです。 お酒に匹敵する邪魔者は、メディアです。マスメディアのなかでも受動的に降り注ぐテレビは特によくありません。多くの人がそのことに気づいてきて、テレビを観る人が少なくなり、おカネが集まらなくなり、コンテンツがますます劣化する悪循環へとはまりつつあります。誤解を恐れずに言えば、TwitterやYou Tubeももはやソーシャルメディアではなく、マスメディアでしかありません。 私の場合、You Tubeは、自分が登録したチャンネルの、時系列の更新からしか、はいりません。AIのおすすめを許すと、それは結局はGoogleに都合の良い情報でしかないので、洗脳されます。Twitterも時系列更新の表示にしています。Twitter側がユーザーにみせたいことは周到に避けます。 あと食事の時間もできるだけ短くしたいです。立ちながら食べて済ませたいくらい。酒飲まないと食事もぐっとシンプルになります。猿からヒトへの進化は、火を使うことで劇的に咀嚼の時間を短くすることができるようになったからです。食べる時間だけではなく調理時間も短くしたい。タイマーで放置して美味しくなるもの、天日干しとか漬物は、電気いらずのホットクックみたいなものです。 ルンバに掃除させるのも悪くありません。コロナ禍でお手伝いさんを入れたがらない富裕層は、s9というルンバの一番高いやつを、20万円くらいで買っています。ブラーバという水ぶきロボットや、乾燥機付き洗濯機、食器洗い機など、家庭内のエッセンシャルワークはどんどんロボット化が進みます。 生活のマルチタスクが終わると、これからの関心事は、脱炭素になるでしょう。断熱住宅の需要が高まります。太陽光の活用や、プラスチック削減もより多くの人にとって、大きな関心事になるでしょう。電気自動車は、家庭の蓄電装置を兼ねるかもしれません。エネルギーについてゼロコストで生きられるようになれば、さらに働かなくても良くなります。

2021-03-25 22:01:19

"バリバリ働く"ことの消滅

気が散らない環境を、どうしたらつくれるか、それは大袈裟かもしれませんが、クオリティ・オブ・ライフに結びつきます。ひとつのことに、ワレを忘れることが多ければ、日々が満ち足りていきます。 そういった意味でもアルコールはよくありません。いったん酒を飲んでしまえば、酒を飲むことと食べることしかできなくなります。飲みながら楽しむおしゃべりを、みながみなすばらしいものだと思いこんでいますが、私からすれば最初の20分が過ぎるとぐだぐだになります。酔ったものどうしの会話は、明日につながりません。 楽しむためにお酒が必要なコンテンツは、そのコンテンツそのものが実は退屈です。たとえばウイスキーを飲みながら読むミステリーは、酒に心を奪われているのか、作品に没頭しているのかといえば、だいたい前者です。飲みながら考えられることは、自由とは真逆の、たんなるラリっているだけです。 お酒に匹敵する邪魔者は、メディアです。マスメディアのなかでも受動的に降り注ぐテレビは特によくありません。多くの人がそのことに気づいてきて、テレビを観る人が少なくなり、おカネが集まらなくなり、コンテンツがますます劣化する悪循環へとはまりつつあります。誤解を恐れずに言えば、TwitterやYou Tubeももはやソーシャルメディアではなく、マスメディアでしかありません。 私の場合、You Tubeは、自分が登録したチャンネルの、時系列の更新からしか、はいりません。AIのおすすめを許すと、それは結局はGoogleに都合の良い情報でしかないので、洗脳されます。Twitterも時系列更新の表示にしています。Twitter側がユーザーにみせたいことは周到に避けます。 あと食事の時間もできるだけ短くしたいです。立ちながら食べて済ませたいくらい。酒飲まないと食事もぐっとシンプルになります。猿からヒトへの進化は、火を使うことで劇的に咀嚼の時間を短くすることができるようになったからです。食べる時間だけではなく調理時間も短くしたい。タイマーで放置して美味しくなるもの、天日干しとか漬物は、電気いらずのホットクックみたいなものです。 ルンバに掃除させるのも悪くありません。コロナ禍でお手伝いさんを入れたがらない富裕層は、s9というルンバの一番高いやつを、20万円くらいで買っています。ブラーバという水ぶきロボットや、乾燥機付き洗濯機、食器洗い機など、家庭内のエッセンシャルワークはどんどんロボット化が進みます。 生活のマルチタスクが終わると、これからの関心事は、脱炭素になるでしょう。断熱住宅の需要が高まります。太陽光の活用や、プラスチック削減もより多くの人にとって、大きな関心事になるでしょう。電気自動車は、家庭の蓄電装置を兼ねるかもしれません。エネルギーについてゼロコストで生きられるようになれば、さらに働かなくても良くなります。

2021-03-23 22:08:14

桜満開と蜘蛛の糸

心と身体は、一人につき、ひとつしかない。 それなのに、なん10着も着るものを持っている。せめて3着ぐらいにしたい。毎日着替えないと気が済まない、朝シャンプーしないと人間失格、 朝食を食べないと体に悪い、心も身体も、この世界から完全に切り離されている、だからこそ、ソーシャル・メディアでみんな繋がらなきゃだめ。人と人をつなぐビジネス、孤独でいることを恥や罪にすれば、チャリンチャリン儲かります。修羅のごとく。 朝の連続テレビドラマ小説が終わるのは8時15分、チャンネルを変えれば、無軌道な若者は、ルールを破って花見してますよ。 憎め。私達は、ヘイトなんていうカタカナは使ってはいけない。カネを マネーと言い換える人間は、ろくでもない。マスメディアは老人相手に若者への憎悪を煽ります。チャリンチャリン。目黒川の花見スポット、立ち入り禁止区域に、愚かな若者が顎マスクで無遠慮にはいり込み、缶ビール片手にウエーイ、とんでもない奴らです。暇なシニアはこぞって、奴らを憎みましょう。 足を洗った暴力団員が、過去の知り合いと縁を切る。それと似たような気持ちで、私もかつて帰属していた経済を回すヒエラルキーのカルトには、死ぬまで会いたいと思わないんです。全共闘世代の近親憎悪、マスメディアにしろソーシャルメディアにしろ、娑婆の極道との絆やつながりを、さもありがたそうにえがいているけれど、全ては拡大してナンボ、数は力、力はカネ、カネは アクセス数、再生回数、よろしかったらいいねボタンを推してください、チャンネル登録もよろしくおねがいします。ご視聴いただきありがとうございました、これは、リーチ拡大という無限クソ餓鬼道。 コミュニティという言葉も、日本人の手垢にまみれると、 相互監視や弱者憎悪、排除そのものを、余暇として取り込んでしまう、薄ら汚い装置にすり替わってしまいます。オンラインサロンを影で支えて悦に入る人、滅私のふり、強烈な見返りの希求、眼が怖いです。そういうカギカッコ付きのコミュニティに集まってくる人、人、人、芥川龍之介の蜘蛛の糸 、こら、オンラインサロンの情弱ども、この蜘蛛の糸は己のものだぞ。お前たちは一体誰にきいて、のぼって来た。おりろ。おりろ。彼らの YouTube コンテンツを見ると、すべてのコンテンツを要約したものがこれ、お前たちは一体誰にきいて、のぼって来た。おりろ。おりろ。です。 ある小学校の先生だった。 クラブハウスに参加し、かつてないほど自分が惨めに感じたという。クラブハウスでは「俺達選ばれし者が君たちに教えてあげる。ときどき俺らのステージに引き上げてあげる」というように、より分断を広げる。 文字よりも肉声は、遥かに分断に直結します。ルワンダ虐殺を煽動したのはラジオでした。文字よりも声は、圧倒的にはやい。クラブハウス、私はやったことありませんが、たぶんそのありさまは、金太郎アメみたく、蜘蛛の糸だろうなと予想して、そっとスルー。4月から、より本格的に、マスメディアとも、ソーシャルメディアとも、さようなら。

2021-03-22 20:11:55

事なかれ主義人民共和国

フランスのパリがまたロックダウンに入って、変異株の流行はおそらく、これからが本番ですが、東京の緊急事態宣言は今日で解かれるなんて、自分は西洋人のつもりの日本人にしてみれば、それこそが緊急事態ではないかと思いますけど、それはすべて東京オリンピックのため、もうすぐ福島のJビレッジからはじまる聖火リレーに向けた、印象操作でしかないと思います。 IOCと日本によるゴリゴリのゴリ押し五輪のご臨終は、誰がご臨終を認めて、そっと世界に宣告するかといえば、バッハでも菅義偉でも小池百合子でもなく、やはりアスリートだろうなと思います。アスリートって、スポーツ選手であると同時に、立派でありたい人たちです。匿名の無能な政府高官とは違って、顔と名前を世界に晒して、勝つために必死な人たちです。それゆえにノブレスオブリージュだって強く持ってます。お金より安全という、正気のお沙汰を、的確なタイミングで、下す人が多いだろうと思います。 国内でも、聖火リレーやボランティアから降りる人が続出しているようで、これは現代におけるひとつの逃散だろうと思います。江戸時代には重い年貢にねをあげて、江戸に多くの農民が流れこんで、スラム化したと言われています。東京スゴイ、江戸時代から東京はニューヨークやパリ、ロンドンに負けない世界有数のコスモポリタンという見立ては、無知の筋違いです。江戸の巨大化とは、日本人の底なしの冷たさによる結果でしかないです。 バイデンは政権発足から60日で、1億回のワクチン接種を達成したとアピールしていますが、その裏で日本人は、まだわずか50万回しか打ててません。ジャブジャブのマネーがあってもエリートの頭が悪過ぎたために、有限なワクチンを確保し損ねた失敗を誤魔化そうとして、やってる感とスピード感の印象操作に必死のマスメディアも、オリンピックが中止になった場合の番組編成は考えたりして、みんな疑心暗鬼です。 私は来月からついに、地上波も衛星放送も映らない、チューナーのない暮らしへアップデートします。SNSを見ないだけでは片手落ちで、マスメディアもきっちりスルーすべきです。現代の逃散とは、印象操作からの逃走です。群像4月号にテレビ東京のプロデューサーである上出遼平さんが「僕たちテレビは自ら死んでいくのか」という文章を書いていますが、平たく言えばマスメディア組織の事なかれ主義は、死ぬまでなおりません。なぜならば、日本のマスメディアは、敗戦前から一貫して政府とグルであり、テレ東の資本を支配している日経新聞は元々、戦前の三井財閥の社内報です。 サラリーマンの安定に目が眩み、いつまでも自由なフリ、クリエーティブなフリをして、そこそこ偉そうな顔をできるマスメディアにとどまっていると、いつの間にか佐々木宏のような終わらされ方で、自由さやクリエーティブらしさを無理やり奪われてしまうかもしれません。この世界とは、いつだって捨てないと手に入らないものばかりです。

2021-03-21 19:27:26

オープンな記録は、記憶に勝る

衆議院予算委員会の、記憶がないって言え、でおなじみの総務大臣武田良太ですが、私も社会人やってる時は、こういう一見するとまともそうで、やたらハキハキ弁の立つおっさんほど、中身はスッカスカのダメな人という確率は、本当にたかかったことを思い出します。 最近のマイクは本当に優秀で、いくらでも音を拾ってきますし、記録装置も共有装置もいくらでも世界に向かって広がっていきますので、ひとたび映像や音声がとられてしまえば、すぐさまに動かぬ証拠となってしまいます。武田良太は典型ですけど、偉そうなおっさんであればあるほど、録音されていることへの警戒心がほとんどありません。 ですので、朝から晩までじゃんじゃん録音してしまいましょう。いざというときに、録音のスイッチを入れればいいと思うかもしれませんが、いざというときは、だいたいスイッチをオンし忘れます。だからこそ、丸っと一日中、ICレコーダーの録音をまわしておくべきなのです。経済なんかよりも、ICレコーダーの録音をまわし続けるべきです。 今回のこの武田良太の官僚への指図音声は、ソーシャルメディアから広がりました。つまり国会中継をみていた人のなかで、聞こえてしまった人が、n対nのボトムアップで問題を晒し上げました。これもまたオープンソース・インベスティゲーションです。1対nの、捻じ曲げられたり、隠されたりするクローズドなソースの典型は、議事録や統計などですが、議事録や統計よりもよほど、ダダ漏れの高性能マイクによる中継動画のほうが、正確ではやいのです。 あらゆる世界において、クローズドな情報が力を失って、オープンソースのダダ漏れ情報が、力を持ってきています。日本の政財官学マスメディアは、クローズドな情報管理をできないくらい無能です。インテリジェンスの劣化です。もはや先進国ではなく、後退国です。だからこそ、音声や動画の動かぬ証拠は、あったら最後、水面を目指す気泡のように、表へと出てきます。なぜなら面白いからです。面白いから、到達の規模と速さがぐんとアップします。 振り返れば1945年頃、1968年頃、1989年頃、世界は特にオープンソースでつながって、世界規模の変革が起きましたが、乱世になるとクローズドな情報の統制力が暴落します。 情報の非対称性を利用して二枚舌、三枚舌で偉くなってきた人たちには、オープンソースへの恐怖心がほとんどありません。オープンな情報を小馬鹿にしています。オフレコなんてないのに、ついついみんなにとって面白いことを口走ってしまいます。 権力の終焉とはつまり、情報の非対称性の終焉です。オリンピックの為に、いま緊急事態宣言を解除しても、日本のコロナ感染対策のヤバさは日本国内だけでなく、世界の果てまでダダ漏れです。やってる感やスピード感では、世界はごまかせません。秘密や内緒がダダ漏れの世界では、クローズドな情報が集まらないように、政治権力を追い求めない哲学が必要です。

2021-03-20 20:33:42

「データは現代の石油」という思考停止

本当は知ってるくせに、かまぼこってお魚からつくるの? ってしらばくれて聞くことから、カマトトという言葉ができたみたいなんですが、LINEの情報がダダ漏れとなって、いまさらながら政財官学マスメディアが利用を取りやめたりしているのは、カマトトという言葉がぴったりですね。 敗戦後の日本は、ハードもソフトも単なる米軍のプライベートアセットなのですから、当然のことながら日本人の個人データも、連合国からはアクセスし放題、彼らのものです。中国も韓国も連合国だという重要な史実を忘れています。西欧とかカリフォルニアからすれば、日本人のデータ防衛意識は、土人並みだろうなと思います。歴史を知らない恐ろしさとは、このことかなと思います。 LINEに限らず、マイナンバーのデータなんかも中国にダダ漏れです。すべてのマージされた日本人の個人データが、そのうち自由に晒し上げられる日が来ても、おかしくありません。 いまになってのこのLINEダダ漏れカマトト騒動もまた、総務省自爆テロの一環なのかもしれません。電波の外資規制にこうるさいのも、日本国全体が、連合国という外資所有物であることをスルーして、何をいまさらカマトトぶってるんだと、私なんかは思います。 気づけばインターネットからプロバイダーという媒体がだんだんいなくなっているように、そのうちフレッツ光みたいなものも、この世界からなくなるだろうと思います。テクノロジーによって、ラストワンマイルもそのうち根こそぎグローバル化してしまいます。無限無責任のなんちゃって国民国家には、76年間丸っと国家主権なんてないのですから、国民のデータ所有権も当然のことながら、ナッシングなわけです。 そもそも、データは新しい石油などではないと思います。このデータは石油説は、日本企業がガーファに対抗するという意味不明の文脈でもっともらしく引用されることですが、データがもし石油なら、いまごろ日本国は産油国みたいに税金ゼロになっているはずです。 私個人としては、いまだにこの、データは現代の石油みたいな、もっともらしい喩えを信じている人を、信じないことにしています。Amazonが知っている私の個人情報なんて、名前と配送先とクレジットカード番号、閲覧と購入履歴だけです。Amazonのプラットフォームがなければこんな自主申告データ、無価値です。 Amazonの個人情報を楽天が仮に使えるとしても、実は大した価値なんてありません。現代において石油にあたるものとは、脳内麻薬なのであって、脳内麻薬の取引は石油のようにはバルクになったり、タンカーで輸送したり、精製したりできません。 日本スゴイ、クールジャパンスゴイと同じくらいふわっと存在している、データのビジネスで日本はガーファなんかに負けるな、データはこれからの石油だ、というクソなアナロジーは、思考停止の人や組織を見極めるリトマス試験紙としては機能しますけれど、ただそれだけだろうなと思います。 あえてアナロジーを適正化するなら、データは日本人にとっての石油というより、データは原子力です。神のようにデータを盲信して、なんべんでも身を滅ぼします。

2021-03-19 20:12:36

なぜいままでこんな素晴らしいものがなかったんだ!

何かをやるために、いる人たちの代表格は、会社組織だと思います。会社組織の下部構造として学校があります。何かをやるとは、資本主義においては、多くの場合、利潤の追求です。最近の言い回しで言えば、経済を回すためにいる人たちです。経済回せ、底まで飲もう、経済一番、コロナは2番、ドン!ドン! です。いま、経済を回すために集まっている人々、組織は、どうもギスギスしています。経済なんて、実は回さなくていいんじゃないかなと、私は思っています。 少なくとも最近の経済を回せというスローガンが意味しているのは、飲み会とかゴートゥートラベルのことらしいのですけど、それがもし経済ならばなおさら、もう回さなくてもいいのではないかと思います。 YouTubeで、ガイ録チャンネルという動画コンテンツがあって、テレビを降りたディレクターが、YouTubeにかけて、街歩きしながらいろんな人にひたすらインタビューする企画なのですけど、フジテレビのザ・ノンフィクションが、チーフ・プロデューサーが代わってから、本当に薄っぺらく、面白くなくなって、それに比べると、ガイ録チャンネルは、荒削りだけど濃いので、私には矢鱈と面白いです。これはあくまで好みの問題ですけど、サンサーラの歌い手が、竹原ピストルになった時点で、いっきにあざとくなってしまいました。 そのガイ録チャンネルで、制服のリユースを手掛ける女性の回があるのですけど、ぐっと来ました。ウェブサイトの説明文を引用します。 不要になった学生服、子どもの思い出の詰まった学生服を捨てることができないお母さんや、家計を抑えたいお母さんたちのために、愛着のある学生服をバトンタッチする。幸せのサイクルをお手伝いするのが、わたしたち、さくらやです。 私も昔、すぐに大きくなるからって中学1年生の頃はブカブカの制服を着ていた記憶があります。制服って高いんですよね。ガイ録のなかでも社長の女性が言ってましたけど、少子化や核家族化が進みすぎて、兄弟や親戚のおさがりのネットワークが機能しなくなりました。制服のセカンドハンズ市場は、お母さんたちの困りごとそのものです。イノベーションとは、なぜいままでこんな素晴らしいものがなかったんだ! ってみんなが膝を打つものだって、ドラッカーか誰かが言っていましたけど、このさくらやもまさに、イノベーションそのものです。 さらにこのさくらやが素晴らしいのは、天下国家の経済を回すためや、利潤追求のためにいる組織なのではなく、お母さんたちが子どもとできるだけ一緒にいるために、やる仕事になっているところです。お店の営業時間もぐっと絞り込んで、働く時間を減らしながら、稼ぐことができる仕組みになっているみたいです。つまり、この仕事は、いるためにやる仕事です。やるためにいる、ムダとストレスだらけの政財官学マスメディア組織が、勝手に自滅して、オリンピックは気づけばオリンピッグなる、五輪と豚の合成語になってしまいましたが、いるためにやる仕事や組織が、これからの新しい生き方、働き方になるかもしれません。

2021-03-18 22:08:11

なんちゃってインフラの縮減

セブン-イレブンでペイペイを使うと20%戻ってくるよって言われても、私にしてみれば、最初から2割くらいはゆうに割りに合わないイメージがあるので、そんなキャンペーンで、買い物しようという気持ちにはなりませんね。 政財官学マスメディアによる無限無責任の延命策の煽りを食らって、永遠のようなデフレが固定化したために、おにぎりがどんどん小さくなって、肉まんは小籠包みたいになって、あらゆる関係者は、いかに客を欺いて、1円でも多く掠め取るかしか考えていませんので、ユーザー側も当然ながら、コンビニでものを買わなくなってきました。 ヒット商品がでると、ほとんど同じスペックのプライベートブランドがすぐに出て、末期の東ドイツみたいに、色のない、つまらないお店になってしまいました。ユーザーもかくなる上は、コンビニを使うのはメルカリの発送とか、運転免許証のコピーだけになって、1円でも掠め取られまいと必死です。平たく言えば、コンビニ業態そのものが、もう要らないかもねって思われています。 コンビニって、私のように、お酒を飲まない人には特に、買いたいものがありません。たまにセブンイレブンに行くと、レジのモデルが新しくなっていて、支払いステップをとことん客にやらせようとしていて、腹が立ちます。ユーザー度外視で、とにかく自分たちが生き残ることだけに必死の組織なんだろうなと思います。心のなかでそっと、さようならです。 アルコールのことは、漢字で酒精っていいますが、エタノールの特性は、なんでもかんでも溶かすことで、酒精は精糖も精油も、どんどん溶かしてしまいます。コンビニの棚から、アルコールと油と砂糖を取り除いたら、ほとんどなんにも残らないと思います。おにぎりも肉まんも、未来のないビジネスモデルに溶けて、これから先も更なるシュリンクフレーションに進むかもしれません。 LINEの個人情報がダダ漏れとか、なんちゃってインフラのボロがどんどんわかってきましたけれど、コンビニがインフラだとかもそんなわけなく、東京電力もJRも、実はインフラではないと思います。トヨタなんかも、静岡に街をつくるなんて言ってますけど、少なくとも私は、その街には住みたくありません。インフラを名乗るものはだいたい広く薄くチャリンチャリンしたいだけで、信用できません。100人から100万円取れば泥棒ですが、百万人から100円取れば、プラットフォーマーです。 これからは、アンチ・プラットフォーマーの草の根の動きが、強く出てくると思います。SNS離れとか、オフグリッドの拡大とか、広く薄く掠め取る仕組みからの離反がじわじわはじまると思います。東北新社のザ・シネマ4Kのユーザー数は、なんとたった700契約しかないのですけど、これまで我が物顔をしてきたチャリンチャリンの収奪インフラはどれもみんな、ザ・シネマ4Kみたいになるだろうなと思います。良かったですね。

2021-03-17 18:51:46

もう拡大ゲームから降りようよ

SNSが生み出したものは、つまり底なしの分断であって、醜いヘイトです。SNSでいいことなんて、なかったなって思います。SNSの拡大のゲームに入っていくと、とにかく仮想敵をつくり、ひたすらdisることが、骨法になります。ナチスもSNSも、ネガティブあっての拡大なのです。 ソーシャルメディアもマスメディアも実は、区別は丸でなくて、利益を追う為の物言いになりました。たとえばNHKが、単なる動く官報になったのは、SNSが出てきてからです。NHKは、SNSに対抗するために、組織防衛の為に、官報になっていると思います。 文學界4月号、小松理虔の「『共事者』として生きる」は、要するに震災以降の、悲しい分断についての提言です。引用します。 「当事者」にも色々いる。賛成もあれば反対 もある。それなのに、自説を補強したいと考えるがあまり 「被災者」や「福島の人」や「当事者」という大きな主語を 持ち出し、異論を封殺するような人たちが出てきた。 これは別に、震災に限ったことではなく、トランプもコロナ禍も、ソーシャルメディアもマスメディアも、なんでもかんでも、あらゆるメディアや組織で、フラクタルに起きている、激しい分断です。みんなまだ、分断の元凶がSNSだとは、はっきり認めていませんけど、人々のギスギスした分断は、SNSによって強まっています。 で、なぜSNSが分断を加速しているかといえば、ネガティブなことや、センセーショナルなことのほうが、脳内麻薬が出て、ホモ・サピエンスは注目してしまうからです。拡大は、麻薬、つまりマネーです。拡大させたい、それならばネガティブなことや、センセーショナルなことが、手っ取り早いのです。ナチスも連合赤軍も、拡大したい、世界から注目されたい、だからネガティブなことへと突き進んだのではないかと思います。 拡大のゲームから降りないと、結局は、醜いヘイトの構造から逃れられないと思います。オンラインサロンとか、再生回数ありきの動画制作とか、拡大の為の嘘、大袈裟、紛らわしいをやめなければ、歯止めになりません。NHKの腐敗なんて、別に彼らだけが意図して腐ったのではなく、むしろ、敵への競争対抗なんだろうと思います。 正義はみにくくて切りがない、だからもう、正気へ帰ろう、これがみんなのコンセンサスになっていくといいと思います。フォロワーの数や、ページビューや、再生回数を追い求めるのではなく、むしろ狭い世界の盛り上がりや、倫理、哲学の共感を楽しむようになる、ダンバー数を逸脱しない、自律分散型の人付き合いが見直されると思います。 グローバルのメジャーになったらギスギスする、だからわざと、メジャーには、ならない。むかし詩人の荒川洋治が講演会で、日本の文学は世界文学になんてならなくていい、飴玉を噛まずにゆっくり味わうように、わかる人だけで、愉しめばいいって、言っていましたけど、あらゆる集団に求められるのは、これと同じ寸止め、不拡大の心構えかもしれません。

2021-03-16 21:11:32

陸海空薬物全部ダメ

大量のプラスチック廃棄物と、アルコール依存症による廃人を無尽蔵に生み出しているキリンビールですけど、アベノミクスのなんちゃってグローバルの勢いで、ミャンマーに乗り出してみたら、市民を毎日いたぶり殺している軍部と結果として資本で手を組んでしまうこととなり、ノルウェー政府はキリン株をいきなり、その監視対象リストに入れてしまいました。 ミャンマー軍の金づる、スポンサーのおそれがあるということで、アベの言うところの「地球儀を俯瞰する外交」とやらで、陸海空全部ダメと言われた三菱グループは、当然ながらアルコールというドラッグ領域でも、更にダメとなりました。 まあキリンビールは、ブラジルでも過去に特別損失を出して大失敗しており、何をやっても丸でダメなのは、今に始まったことではありません。総務省役人の単なるアゴアシ機関であるNTTも、グローバル化に完全失敗という意味では、負けておらず、目くそ鼻くそですが。 アルコールなんて薬物で、これからもサステナビリティをつくれるわけもなく、繰り返しになりますが、プラスチックや鉄のゴミと、アルコール依存症という深刻な病をひたすら生み出し続けるクッソ企業に、なにかまともな社会的価値なんて、あるのでしょうか。はい、ありませんね。 キリンビールだけじゃなく、得体の知れない健康食品を売りまくるサントリーなんかも、そんなに人々を健康にしたいならまず、ストロングゼロをつくるのやめろよと思うのですが、どうなんだろって思います。敗戦後の無知蒙昧で、惰性のように拡大してきた企業群の、存続が危ぶまれる日が来るのかはわかりませんけど、少なくとも私としては、何も言わず彼らとは、そっとさようなら。 酒はサラリーマンの飲み物です。他人に雇われ、こき使われ、対人関係のうんざりする泥沼に投げ込まれ、人生の鍵を握られてしまった人々にとっては、それはまさしく命の水なのです。 と喝破したのは、丸山健二です。私としては、サラリーマンをやめるよりも先に、酒をやめてしまったので、結果的にサラリーマンではなくなってしまいました。朱子学カルト組織の宗教儀礼を執り行う際に必要となるトランス薬物が、アルコールだろうと思います。無知であるがゆえに酒を文化と勘違いして、ミャンマー軍事政権にお金を払ってまで、世界征服したいと考える思考回路は、酔っているのか頭がおかしいのか、どちらなのでしょう。 僕たち技術開発者は、通常業務が終わったあとに残業までして小さなおにぎりの作り方を試行錯誤している。でも消費者は全然喜ばず、「こっそり小さくしている」とSNSに書かれるんです。 これは、大手コンビニのおにぎり開発者のボヤキですけど、おにぎりを小さくするとか、のりそのものを割愛してしまうとか、客を見て商品開発してない単なるチート技術開発者は、泥沼のブルシットジョブにうもれているみたいです。頭おかしくて、よかったですね。その調子で客にマイクロな恨みが蓄積していけば、やがてそのうち、もっと明確な草の根の謀反、不買運動が起きてくるのではないかと期待します。まあもう、コンビニおにぎりなんて食わないですよね、普通。

2021-03-15 19:13:28

通知設定のゆるい人

打ち合わせなどで、誰かと同じ空間にいると、その人のスマホやパソコンの通知機能がぴこぴこ鳴って、ひっきりなしに道具に呼び出されている人が、けっこういるのですが、私はそういう人とは、できるだけ仕事をしないと、決めています。デバイスの奴隷は、ネットワークの犠牲者です。時間もデータも奪われ放題の人が、よい仕事をしている可能性は低いと思います。ついでに言えば、タイピングがうるさい人、入力の指の使い方がおかしな人も、警戒します。やがて他人の時間を平気で奪い取りに来るからです。 通知がうるさい人で一番多いのは、通知制御のリテラシーの丸でない人で、道具を使いこなせていないということです。結果として、ひっきりなしにアラームが鳴り、その人にとっては、通知はオオカミ少年になります。そういう人はすっかり、通知を完全スルーしているので、約束やリマインドをすっ飛ばしやすいと思います。自分は通知を気にしないので、他人のも気にしないが当然とばかり、電話をじゃんじゃんかけてきたり、要領の得ない連絡をたくさんしてきたりします。 ある程度リテラシーはあるにしても、通知がひっきりなしにある状態を、忙しいフリをするとか、充実したソーシャルネットワークをアピールする小道具と位置づけている人も、丸で信用できません。誰かと同じ空間にいるときに、部外者の通知をこれみよがしに同室者に聞かせることじたい、デリカシーのない行為なので、一緒に何かを成し遂げることは難しいだろうなと思います。そもそも忙しい人に価値があるという前提そのものが、インターネット以前の残像でしかなく、今となっては、忙しい人はむしろ要領の悪い人だろうと思います。 通知機能を制御することは、なんのためにやっているかというと、己と大切な人、たがいの時間を大切にするためです。できるだけ長く大切なことに集中したいときに、ムダな通知は邪魔ですし、表面上は通知をスルーしても、無意識の集中力は奪われています。特にソーシャル・メディアのしょうもないプッシュ通知は、人間の生存にとっても立派な害悪です。スマートウォッチやスマートバンドにやたらとプッシュ通知を許している人も、考えものです。 私の場合、重要人物からの通知以外は、ほぼすべてを遮断しています。重要人物はほとんどいませんので、私のプッシュ通知は、ほとんど無音です。己の通知を管理できている人としか仕事をしないので、仕事はますます効率的になります。同期のイントゥルーシブネスに敏感な人どうしでないと、うまくいかないことが多いのです。日本の義務教育や、社会人教育にごっそり欠落しているのは、時間を味方につける技術の教育で、残業ももらえずにアホみたいにムダな時間を捧げている現代の教師には、時間を大切にする価値観そのものがありません。教師の多くは、すでに人生時間を国家システムに奪われているので、子どもからも平然と時間を奪い取ります。この国がIT音痴なのは、時間音痴だからです。飛躍しますが、時間音痴だから、酒も大好きで、どんどん忙しくなります。忙しいとは、心をなくすと書きますね。

2021-03-14 19:44:07

負債を資産と勘違い

雨の日には、傘をさしてまで散歩もしませんし、用事がなければ、ずっと家にいます。リモート会議がこれだけ当たり前になれば、天気悪いのに無理に出かけなければならない予定は、ほとんどありません。雨や雪の日ほど、会社に喜んで出かけて行く、朱子学カルト教徒としての恭順さを競う価値観そのものが、コロナ禍ですっかりなくなりました。それは、とてもいいことだなと思います。 雨のなか家で本を読むのは、なかなかよいものです。気になったテキストは、GoogleフォトのOCR機能で、簡単にデジタル化できます。撮影してコピペです。横書きだけでなく、縦書きもOKです。しかもかなり正確です。Google先生のテクノロジーは素晴らしすぎます。IT企業といえばGoogleですね。 日本で大手IT企業というと、楽天なんかが出てくるのですが、楽天のテクノロジーで心を奪われたことなんて、これまで日本に生きていて一度もありません。ここだけの話ですが、私は楽天と名のつくものは、基本的には完全にシャットアウトしており、ヤフーも丸で使いませんので、もしかすると最近はとてつもないテクノロジーで日本を変えまくりなわけ、ないですね。 その楽天が、日本郵便から巨額の出資を引き出して、なんか得体のしれないシナジーとやらを追い求めるらしいのですが、日本郵便から2千億円もカネを引き出したら、どんな見返りを求められるのか、考えるだけでも恐ろしいのは、私だけでしょうか。 郵便局に紐付いている年老いた客のなかでも、なんでも言うがまま売りつけやすい客のことをかげで、「ゆるキャラ」とか「甘い客」などと符丁で呼び合い、客にとって不利益となる取引をわざと持ちかけて、己の業績アップだけを追い求めてきた修羅の組織が、ゴールドマン・サックスのつぎは楽天カードや楽天モバイルを売りつけるつもりなのでしょうか。 全国2万店舗の郵便局は、資産なのか負債なのかといえば、間違いなく後者だろうなと私は思います。日本郵便なぞ、膨大な人力ネットワークを維持できるプラットフォーマーではありません。年間300億円もコストをかけて、訪問で受信料を掠め取るNHKと、事務所もスタッフもひとりもいないのに、世界のサブスクライバーが2億人を越えているNetflixを比べれば、もはや人海戦術など単なる負債だろうなと思います。 総務省の下部構造である、NTTや日本郵便やNHK、新聞社、電通などの電波利権組織がこれからますます丸っと、土管化、コモディティ化して負債に転じつつあるのが、いま起きている現実だろうなと思います。そのうち電波いらずの自律分散制御のインターネットとか、出てきてしまうかもしれません。香港やミャンマーでは、政府の力の及ばない、ブルートゥースだけでやり取りするSNSとかが、大衆のホウレンソウに使われています。日本語という言語の壁ももうないし、重要なインテリジェンスであればあるほど、これからはオープンソースににじみ出て来ます。

2021-03-13 20:33:32

データをよこせば自由になる

働けば自由になる、というスローガンは、ウィキペディアによれば、元々は19世紀後半のドイツ人作家による小説のタイトルですが、ナチスがユダヤ人強制収容所のスローガンに用いたことで、幅広く知られることとなった、とあります。アルバイトすれば自由になると豪語していたリクルートは、フリーターなるカギカッコ付きの自由をバブル期に流布しましたが、労働は貴いという世界観は、この数百年の間、世界であまり表立って疑われることのなかった価値観だろうと思います。 第二次世界大戦とは、資本主義と社会主義とファシズムの戦いで、まずは結果として日独伊三国同盟のファシズムが、コテンパにやっつけられたわけですが、働けば自由になれる、というプロパガンダは、資本主義でも、社会主義でも、共通する正義として、ずっと生き残ってきました。 でも最近では、働けば自由になる、ということは当てはまらず、社会にとって必要なエッセンシャルワーカーであればあるほど、働いても働いても、丸で自由になれません。いわゆる最賃で、無茶で危険なことをやらされたうえに、どこか蔑まれる存在です。最近はむしろ、働けばではなく、ユーザーになれば、自由になる、というほうが、当てはまるようになってきました。 SNSプラットフォーマーのユーザーになれば、あなたがたは自由なんだよという強烈なプロパガンダです。ナチスよりもその自由はずっともっともらしいと思います。働くことから、ユーザーになることへ、搾取される形態や搾取されるものが、大きく変わりつつあります。働かなくてもいいけれど、ただしデータはよこせ、です。一方で、働くことは、ロボティクスにどんどん移管されていくでしょう。 これから私が気をつけなければならないのは、そんなに働かなくてもいいけど、データをよこせば自由になれるよ、というプロパガンダだろうなと思います。日本のプラットフォーマーの個人データは、勝手にどんどんマージされており、マイナンバーと紐付いた途端に、芋づる式に国民国家のビッグデータになりかねません。今年9月にデジタル庁なる横断組織ができるみたいですが、かなりの高い確率で、失敗するだろうと思います。 日の丸政財官学マスメディアのプラットフォーマーが掲げる自由とは、要するに不自由でしかありません。マイナンバーと紐付いた個人情報が、中国に流出していると言われていますが、私の見立てでは、ありとあらゆるデータが既に、世界中にだだ漏れだろうと思います。その前提で、決して有名にならず、誰からも狙われずに、ひっそりと生き抜いていくことが、これからの賢さなのではないかと、思います。 有名になったら負け、狙われたらお終い、ということです。老子の言う無用の用です。西欧の民主制などこれからは通用しないと思います。むしろ、老荘思想あたりが、これからの人類のどストライクゾーンだろうなと思います。自由を履き違えて調子こくと、痛い目にあう、そういう世知辛い世の中です。乱世とはワンチャンとワンリスクのセットです。

2021-03-12 17:40:48

メディアが津波のように襲いかかる

震災のあと、ソーシャルメディアがやたらと持ち上げられて、これからの世の中は、草の根の、公正で、素晴らしいコミュニティだらけになっていくみたいな幻想が語られましたけれど、Twitterも Facebookも、結果としては、殺伐としたものになってきました。オンラインサロンなんていう、一見するとコミュニティーのようなものもたくさんできましたけれど、これも金儲けの仕組みばかりです。 つまり、ソーシャルメディアは、当初の期待とは違い、もろ手を挙げて礼賛するものではなく、かなり距離を置いて付き合ったほうがいいものだなと、はっきりわかってきました。マスメディアとソーシャルメディアは、1対nのブロードキャストモデルか、n対nのネットワークモデルかの違いはあれど、ひとりでも多くのオーディエンスへの到達を競うというゲームのルールは、丸で同じです。そしてその、拡大のルールは、人を狂わせます。 ひとことで言えば、どちらも嘘の上塗りを真顔でやるプロパガンダです。昔は米ソ対立のような政治的なプロパガンダが主流でしたけど、戦争よりは非破壊的なグローバルかつデジタル資本主義の経済的なプロパガンダのほうが、より儲かることがわかって、ノンポリこそが、本質的なポリティクスへと反転しました。その反転の、より強化された10年だったと思います。 政治への無関心なんていう見立ては、物事を矮小にする虚構でしかなく、SNSは政治そのものです。LINEやTwitterは、日々刻々と本質的な意味での政治闘争が繰り広げられています。だからこそ、有害なのです。放送モデルであろうとネットワークモデルであろうと、人間本来の社会上限である150人のダンバー数をはるかに越えて、大中小さまざまな、嘘、大袈裟、紛らわしいプロパガンダが発信、受信、共感、消費されていきます。 マスメディアもソーシャルメディアも、要するに毒です。日本語ではクチコミなんていういかにも瑣末なニュアンスになっていますが、マスメディアもソーシャルメディアも、個人や組織の生き残りをかけた情報戦争なのであって、マスメディアだろうとソーシャルメディアだろうと、国民国家の統制を越えて、津波のように個人を襲っています。日本でも、法輪功や幸福の科学など新興宗教系のインフルエンサーを通じて、トランプ支持者が大量に発生したのは、マスとソーシャルの垣根とか、日本語と英語の垣根が、ほとんどなくなっていることを意味しています。 インターネットだから正しいとか、デジタルだから進んでるみたいなことはもうこれからはなくて、有限なのに際限のないゲームをしかけようとする、あらゆるプレイヤーと距離を取ることが大切だと思います。民主制や資本主義への猜疑心は、コロナ禍がおさまってもなくならないだろうと思います。これから必要なことは、マスであろうとソーシャルであろうと、メディアをぶっこ抜いていくことです。プラットフォーマーというメディアに依存しないものの見方、ロジック、考え方を忘れないで生きていくことだろうと思います。

2021-03-11 19:09:30

米軍に勲章をあげる人、グリーンウォッシュで嫌われる人

東京大空襲を企画、実施したカーティス・ルメイに、敗戦後うやうやしく勲章を差し上げたのは、小泉進次郎のおじいさんである純也防衛大臣ですけど、3月10日は奉天陥落にちなむ陸軍記念日で、ルメイはそういう記念日を選んで、士気低下を狙って無差別の空爆を遂行したわけです。1945年3月10日は土曜日で、日曜日も休みの2連休でしたので、関東平野のど田舎に疎開していた子どもたちも、親に会うためにたくさん都心に戻ってきていましたので、結果として、多くの子どもたちも殺されました。 今頃になって空爆で被害を受けた民間人への補償法について、議員立法で成立を目指す超党派が、国会への法案を提出しようとしているって、何万周回遅れなんだよ、76年間の不作為が、人権というコンセプトの劇的な変容で、一気に犯罪化してきていて、因果応報、勧善懲悪ではないかと思います。 小泉純也の孫である、進次郎は、単なるグリーンウォッシュの愚策である買い物袋の有料化を更に推し進めて、今度はお弁当などに無料でついてくるプラスティックのスプーンやフォークを有料化すると、高らかに意気込みを語っていましたが、おじいさんやお父さんに比べて、あまりにもしょぼいグリーンウォッシュしか、やることのない政界のプリンスに、失笑どころか軽蔑の念を禁じえません。 環境省がなぜ無力なのかといえば、丸で実体としての下部構造がないからで、総務省にはNHKやら地方自治体やら新聞社やら郵便局やら、とてつもない下部構造がありますし、財務省には全国津々浦々に税務署がありますし、警察も自衛隊も、人と組織が膨大に紐付いています。環境省とは、それらが丸でないのです。 小池百合子がクール・ビズでうまくやったのに味をしめた、クソなグリーンウォッシュとしての、プラスティックスプーンの有料化なのですが、クール・ビズはネクタイしなくてよくなってみんな喜んだのですが、買い物袋もスプーンも、庶民に無尽蔵にマイクロストレスがたまりまくります。やればやるほど嫌われる、グリーンウォッシュって、なんの価値もありません。 日本国内の廃棄プラスティックの量は、約900万トンといわれています。そのうち、再利用されたペットボトルは、2018年で約53万トン、つまり廃棄されるプラスティック全体の1割にも満たないようです。レジ袋の廃棄量も、約20万トン程度らしいので、コンビニのスプーンやフォークの廃棄量は、おそらく数万トン規模でしかありませんが、カーティス・ルメイに勲章を上げるみたいなインパクトをつくるには、グリーンウォッシュで大騒ぎするしかない、それがいまの彼のお立場、ご身分ということですね。 週刊文春が、たけのこの皮を剥く用に、毎週毎週スガゲートのエビデンスを公開していて面白いですけど、スガゲートNTTルートだけでなく、総務省の下部構造のどこまでスガゲートが燃え広がるのか、知ったことではありませんが、これから先は何があってもおかしくない、かなりの乱世です。よかったですね。

2021-03-10 20:14:13

忘れないより、忘れるチカラ

このひと月ほど、東北地方に尋常ではない数のカラスの群れが現れているみたいなのですが、これはもしかすると大地震の前触れなのではないかと、思います。徒手空拳日記のマスコットキャラクターであるカラスは、古事記においては、太陽の神の使者ですから、彼らの異常行動は、神のお触れかもしれません。 関東大震災の前の日に、湘南の鵠沼海岸の池で、ナマズをバケツ3杯分ほどとった人がいたとか、向島の池でナマズの稚魚が頻繁にとびはねていたとか、犬、猫、鳥が異常な鳴き声を出すなどということがこれまでにも多々報告されていますので、カラスの大群も、そのひとつという恐れもあります。 うちの近くの川でも、ボラが異常発生して、2月の上旬にまわりでも話題になりましたけど、そのあと13日に、福島沖で大きな地震がありました。人類最高、科学は万能、いまは地球の最先端なぞと勘違いしているだけで、私達はようやっとたどり着いた無知の知というスタートラインを、忘れてしまっているのかも知れません。 明後日の11日に向かって、あの日を忘れないとか、風化させてはいけないって、特にマスメディアは紋切り型のフレーズをいまぞここぞとばかり、吐きまくっていますが、脳の外部化、記憶の外部化がクラウドコンピューティングによって加速度的に進んでいるいま、ありとあらゆることは、忘れることなんてできないし、風化もまたデータベースの喪失という意味では、もはや風化のしようがない時代です。 私でさえも、スマホを手に入れてからのこの10年は、いつどこに行ってなにをしたか、克明なライフログがバッチリ残っていて、忘れようがありません。これから先は、ドライブレコーダーや行動記録などがますます進化して、デジタルの記録が脳の記憶を強めてしまう問題が大きくなってきている気がします。 つまりむしろ、忘れることの難しさ、忘れることの許されない責め苦について、考えてしまいます。スマホ以前なら、時が解決することも多かったと思うのですが、外部メモリーがとてつもない性能の進化を遂げた結果として、過去データとどうやって距離を保つか、忘れたいことは忘れられる権利のほうが、これからの課題としては重い気もします。 韓国では俳優やスポーツ選手などのセレブリティーに対する過去のいじめ被害の告発が問題になっています。ハリー王子とメーガン妃による英国王室の人種差別の告発についても、大きな衝撃が走っていますが、外部記憶の消せない現代においては、実際に記録されている過去と、記録されていない過去の境界線も曖昧になります。 ざっくりいうと、いつまでも忘れられないよりは、上手に忘れることのできる社会のほうが、おしなべて深刻ではなく、むしろケロッとしているチカラのほうが、本質的なレジリエンスかなと思ってしまいます。あの日を、忘れない。とか言ってる政財官学マスメディアにおかれましては、忘れさせないことで、石棺のような防潮堤をつくって、利益分配したいのかもしれません。

2021-03-09 20:15:12

日本の便利さの後ろには、とてつもない人力を感じます

震災から10年で起きた一番の変化は、人々がスマホを持つようになったことだと思いますけれど、では過去5年で区切ると、AmazonエコーとAppleのAirPodsが、素晴らしい発明だったろうと思います。パーソナルコンピューティングは、手のひらから、フリーハンドへと移り変わりつつあります。 Amazonのエコーオートを、プライムセールで安く買って使っています。買うまでは第2世代のエコードットを無理矢理クルマのなかで使ってたのですけれど、エコーオートは、スマホとブルートゥースでストレスなくネットワークにつながるので、かなり便利です。これ以上便利なカーオーディオの音楽再生システムって、ないと思います。 昭和なら、レコードを自分で買う以外に、好きな時に好きな音楽を聴く方法は、有線放送とか、電リクとか、貸レコード屋に行くくらいしか方法がなかったのですが、どれもこれも背後に膨大な人力を感じるサービスでしたけれど、トヨタのコネクテッドカーって、クルマから人間のオペレーターにいつでもつながるらしいのですが、そんな人海戦術、怖くないですか。丑三つドキにもなかの人とつながるのとか、不気味です。トヨタのコネクテッドカーは、いまだに有線放送みたいなシステムだなと、思います。 日本の自動車メーカーのコネクテッドカーって、本当にユーザー・インターフェースがクソで、ストレスたまりまくりです。カーナビも、Googleマップでもういいんじゃないか、無料だしって思います。 それよりもかなり地味ですが、メルカリなんかも最近UIが本当に使いにくいです。メルペイで支払うたびに、マイクロストレスがたまります。日の丸プラットフォーマーは、使っていて気持ちの良いUIはほとんどありません。ラジコなんかも、あまりにも使いにくくてアプリを捨てました。YouTubeなんかは、プレミアムに誘導するために、わざと使いにくくしているのですが、ラジコの使いにくさの目的は、戦略などなく単に、電波利権という既得権益への忖度でしかありません。 明らかに、後ろで実際に人が働かされていないシステムじゃないと、これから先は使われなくなると思います。Amazonも、倉庫で人間が24時間365日、世界中で働いているのですが、とてつもない便利さのうしろで、リアルかつ膨大な人力を感じるサービスは、やがて使われなくなるのではないかなと思います。 そのうちに、音声だけで道案内してくれるエコーオートとか、出てくるといいなと思います。政財官学マスメディアはどれもこれも、背後に膨大な人力を感じます。最近止まりまくりのみずほ銀行のATMサービスなんかも、事故で止まる以外にも、頻繁に計画的な停止がたくさんあります。サクラダファミリアなんて揶揄されていますけど、システムが完成するのが先か、みずほ銀行が市場から消えてなくなるのが先か、かなり微妙だなと思います。

2021-03-08 21:39:17

二度目の喪失としての「復興」

復興庁のホームページには、復興五輪とは、 東日本大震災に際して、世界中から頂いた支援への感謝や、復興しつつある被災地の姿を世界に伝え、国内外の方々に被災地や復興についての理解・共感を深めていただくこと とあります。果たして、復興とはなんですか? カレンダーの関係でしょうか、東日本大震災を振り返る特集番組が、この週末は目立ちます。10年ひと昔とはその通りで、あの頃の当たり前が、もういまとなってはほとんど身の周りに残っていません。放射能に怯えながら、地震の後もほぼ通勤していましたけど、あれはなんだったのでしょうか。 それにしても、カギカッコ付きの「復興」の結果としての、再建された東北の港町をテレビで見ると、防潮堤の無機質さばかりが浮き立って、阪神淡路大震災も東日本大震災も、出来上がった新しい街は、石の棺に見えてしまいます。 美談もノスタルジーも未来もなにも感じることのできない、政財官学マスメディアの利権ファーストの巨大なオブジェにしか見えません。津波で流された時が、一度目の喪失だとすれば、朱子学カルトの巨大オブジェがカタチになってしまった新たな街の完成は、被災者にとって二度目の喪失だろうなと思います。 いいようにやられてしまったという、どうしても悲しみばかりが漂ってきます。偉い人に復興の大きなパーパスがないので、お金にまみれる希望のない復興となってしまいました。顔のない年老いたシニアはみな異口同音に、若い世代にこれからを引き継ぐみたいなことをしゃあしゃあと言ってますが、そんな重荷を彼らに背負わせて、未来という美談にするのは、さすがにあり得ないなと思います。 戦争に負けてから、ひたすらモーレツに、金儲けのための組織や、場所や、時間ばかりが何よりも優先されて来ました。10年前の巨大津波が押し流したのは、経済至上主義に転じる前の街並みであり、居場所であり、人々でしたけれど、10年経って出来上がったのは、経済をまわすという名の金儲け以外の哲学がなんにもない、コンクリートの化け物にしか見えません。 これは、金儲けによる日本全土の劣化リノベーションだろうと思います。経済の役に立つためにだけ、存在している風景です。コスパとか生産性のために、役に立たないものは、ことごとく抹消されてしまいました。東北に限らず、あらゆる場所において、これから本当に求められるのは、ただそこにいるための場所です。役に立つかどうかなんてどうでもよくないですか? やるためにいる場所ではなく、いるためにやる場所です。働かないために働くとは、いるためにやるということだと思います。やるためにいるばかりのファシズム国家として政治経済を勘違いしているので、なにもかも間違えて、醜くなってきます。 私には、代々木の新国立競技場もまた、神戸や東北と丸でおんなじの、コンクリートの棺のようにしか見えません。完全にコモディティ化された、無印良品のような、しょぼいデザインです。もはやこの国におけるあらゆるデザインやアートディレクションが、心肺停止状態です。

2021-03-07 19:43:56

スマホ脳にならないスマホ活用法

ウォーキングが心地よい季節になってきました。この一週間の平均の歩数は、11792歩と、少し歩き過ぎかもしれません。歩きながら、You Tube聴いてます。プレミアムにすると広告がいっさい出なくなるのと、バックグラウンド再生してくれるので、メタなラジオになります。プラットフォーマーは恐ろしいです。これだけのデータをアップしてみんながアクセスしても機能する装置なんて、中学生の頃の私が見たらなんと思うのでしょうか。己が中学生のときに聴いていた、1980年代のオールナイトニッポンなどいま聴きながら散歩していると、自分が何者か薄らいでいき、時空が少し歪みます。 歩く時間を増やすと、自転車やマイカーを使わなくなります。トレードオフの関係にあります。移動の時間も有限なので、何かの手段が増えれば、他方の手段は要らなくなります。お金を使わずに暇潰しになるのは、図書館と本屋だと誰かが言ってましたが、スマホができてからはスマホを聴きながらの散歩も、かなり有意義な暇潰しになりました。 You Tubeを聴く他に、私は波のラジオも留守録してGoogleドライブに保存してあります。これだとムダなCMとか、元気で吐き気のする通販コーナーとか簡単に飛ばせるので効率が上がります。NHKラジオ第2のカルチャーラジオとか、本当に耳学問として最強です。仕事しながらラジオ聴いてる人は物知りだったりするのは、スクリーンレスのメディア特有のチカラです。 Kindleの音声読み上げを録音したMP3データも、散歩の友としてかなり優秀です。歩きながら本を読むのは二宮金次郎クラスにならないと昔は無理でしたが、いまではそれも工夫次第でいくらでもできます。音だけの読書だと、内容が定着してないかと思いきや、意外と頭に入っています。コロナ前は、サウナに入りながら耳読書していたのですが、最近は歩きながらしています。 スマホは、文字を音で、あるいは文字で頭の中に入力する端末として、使う時間を増やすと、とてつもない便利さを発揮します。新刊は発売してすぐ買って写メ自炊して、メルカリで売り抜けているので、私にとってスマホは立派な読書端末ですし、世界文学の替わりにNetflixを観るのも、スマホの有効な使いみちです。私はこのブログも、スマホで書いています。自分の必要とする価値の高い機能で、スマホを使う時間を埋めてしまえば、スマホ脳にはなりにくくなると思います。とにかくアプリからの通知を切ることです。 どんなことも、もっといい方法がこれ以外にあるんじゃないか、という問いかけを忘れずに生きていると、毎日が実験です。Youtubeも、AIからのリコメンをやめて、自分の登録しているチャンネルの新作が時系列に表示されるようにしています。Twitterも、プラットフォーマーからのリコメンをやめて、フォローしているアカウントの更新ツイートだけにしています。そうした地道な抵抗を続けていくことも、また楽しいですね。

2021-03-06 19:44:03

有名な権力者、匿名の大衆、無名の個人

ここのところ、資本主義からどうやったらとんずらできるか、間遠にできるか、そればかり考えています。とんずらのためには結局のところ、成長しないことだろうなと思います。成長しなくてよければ、プラットフォーマーとの関わりをなくすことができます。ウーバーイーツの配達員報酬が、京都とか福岡では単価がいきなり半分以下の300円になっているみたいですが、これは要するに、それが嫌なら、出ていけということです。組合もどきがいくら抗議しても、基本的にはプラットフォーマーの勝ち、完全スルーされています。法律がないのです。 出前館や中国のディーディなどの競合に移る人も多いみたいですが、彼らもおんなじプラットフォーマーです。またそのうち、似たようなマネタイズの締め付けに合うでしょう。俗に言うApple税、Android税は、3割プラットフォーマーに持っていかれるのが相場です。デジタルプラットフォーマーは、あら手の錬金術なのです。 産業革命以降の工業化で人々が都市化された結果として成長ドリブンになり、成長に歯止めが効かなくなり、その結果としてプラットフォーマーが我が物顔でいま、栄えているわけですから、彼らから逃れるためには、真逆の方向へつまり、ローカルへ行けばいいのです。ローカルとはもともとは空間的、地域的な局地ですけど、現代においては空間ではなく小さなネットワークなども、ひとつのローカルだろうと思います。 プラットフォーマーは最初は無料で、革命的で、やたらと便利を装います。3ヶ月は無料ですとか、Googleの検索みたいにいつまでたっても無料ですとか、それなしではやっていけなくなるようにします。そしてある日突然、マネタイズしてきたり、値上げしてきたり、あるいはそれまでの古い競争相手を、市場から締め出したりします。 言葉やマネーや人間関係は、なべて人類にとっての貨幣ですから、それらの貨幣への依存率をできるだけ下げていくしか、プラットフォーマーからの逸脱は、できないと思います。つまりこれは個の戦いです。ウイルスとの戦いだけではなく、プラットフォーマーとの戦いも、ひとりひとりが個で立ち向かう以外に、方法はありません。自然から独立した一匹の有機体として、匿名の貨幣制度に飲み込まれない個別的な戦略を持つことしか、対抗策はない気もします。 高校生の時、世界史の教師が、4月最初の授業を始める前に生徒にアンケートを取ったのですが、その一つの項目だけなぜかよく覚えています。「歴史とは、固有名詞で記録される権力者がつくるものですか、それとも、名もない庶民がつくるものですか」という質問でした。でも実はこの二項対立こそが、プラットフォーマーの台頭を許している、古い世界観なのです。きっと正解は、 無名な個人が、有名な権力者とも、匿名の大衆とも距離を置いて、己による第3の、オリジナルで個人的な答えを探すことだけが、正しい歴史観、世界観なのだろうと、私は思います。

2021-03-05 18:28:47

問題は、スマホとの付き合い方よりも、人間との付き合い方にある

スマホは麻薬だよ、という説を唱える本が、新刊で定期的に出ますね。そんなの知ってます。「スマホ脳」という新書がいま少し話題ですけれど、要するに、スマホは人間の本能として今も備わっている政治本能を絶えず刺激し続けるので、身体に良くないという主張です。 カール・シュミットは、人間の政治の本質を「あいつは敵だ、殺せ」と要約しましたけれど、人間は150人くらいを最大規模とする、ねちねちした人間関係を日々生きぬいているわけで、人間関係に関する情報は、承認欲求というよりも、生き抜くための、もっとずっとエッセンシャルなものです。つまり、自分が誰かに敵だと認識されていないか、組織や個人に殺される恐れがないか、常にチェックしていないと、安心して夜も眠れないのです。人間は恐ろしい生き物なのです。 スマホがなぜ有害かといえば、身体の移動に、スマホはどこまでもついてくるからです。身の危険が迫っていないことを確かめると脳内麻薬が出ます。でも人間というものが本当に怖いのは、誰かをスケープゴートにしておけば、とりあえずその間は自分は狙われない、という心理です。そういう意味で、実は、SNSよりももっと邪な破壊力があるのはテレビなのです。 熱狂的なトランプ支持層を生み出しているのはSNSというよりも、むしろテレビなのだという説があります。なぜなら、トランプを強く支持するセグメントの特性が、高齢者に多く、彼らはそれほどSNSを駆使していないからです。日本でも、2ちゃんねるやツイッターよりも、テレビのワイドショーのほうが、分断に作用している気もします。 シュミット的な意味での、友と敵に関する情報が、インバウンドで不意打ちで飛んで来ないように、いかにシャットアウトするかが肝だろうと思います。私の場合、とにかくあらゆる通知を切っています。ホットライン以外は、こちらから見に行かなければ情報の有無さえもわからないようにしています。 ただ、新書『スマホ脳』によれば、たとえインバウンドの通知を完全にオフにしていたとしても、肌身にスマホを持っているというだけで、脳内麻薬は出てしまっており、集中力は寸断されてしまうらしいです。それってつまり、己を取り巻く人間関係のアップデートこそ、人類最強のドラッグということです。人間関係に関するしょうもない情報を遠ざけることが、クオリティ・オブ・ライフを高めます。つまり政治フリーの、人間関係の希薄な人間になればいいんだと思います。 友と敵の関係にそもそもならないことが、大切なのかもしれません。くどいようですがルソーのこの言葉です。 森をさまよう彼には産業も、言葉も、家も、戦争も連帯もなく、仲間の必要もなく、同じく仲間を傷つけようとすることもない。 これにつきます。スマホとどう付き合うかという手段レイヤーよりも、人とどう付き合うかという目的レイヤーのほうがずっと大切ではないかと思う今日このごろです。

2021-03-04 18:06:00

オフィスが家にやってくる不快

家に帰れば、積水ハウスっていう、だからどうしたを通り越して、単なる嫌味なだけのキャッチコピーが、この緊急事態宣言の解除伸びまくりで、ウラではコピーの見直しが迫られてそうですけど、世界でもまたコロナ禍がプラテン、感染者数が増加に転じてきたと、世界保健機構は言っています。南米やインドだけではなく、ヨーロッパ各国でまたプラテンしているので、ヨーロッパ運動会ブランドであるオリパラは、いよいよなくなりそうです。まあ日本以外は、オリパラなんて行くか行かないかの問題でしかないので、どうでもいいんだと思います。 オンライン会議が増えて、男性も自分の顔を見る機会が増えて、男性化粧品が売れてますとか、みんな矢鱈とマスクをするようになって己の口臭が気になる人が増えて、オーラルケアが売れてますとか、日経MJ的な情報に嫌悪を感じます。いかにももっともらしいゆえに、詐欺的です。反吐が出ます。なんで嫌いなのか、よく考えてみると、これらの見立ては、買い手を装った売り手の思いだからで、平たく言えば便乗商法だからです。 私に言わせれば、仕事関係の嫌な奴の顔や声が、自宅のプライベートな空間にボワっと露出することが、みんな嫌じゃないのかなと思います。サンクチュアリに、嫌な奴らが入ってきてる、超イントゥルーシブです。会社に行かなくてもよくなったのではなく、これは、会社がおうちにやってきてるのです。うへえ、気持ち悪っと思ってます。男性がオンライン会議バエするために化粧品を売りつけようとしているのは、嫌な人にレイプされる時だって、カッコいいパンツをはいていましょうよ、という提案と、かなり近いニュアンスに聞こえます。 適応と便乗の納得の行く線引は、客が決めます。こうやったらウィズコロナでも売れるなんて浅知恵、売り手が思いついても言いふらしたら、損なだけなんです。それにしても、上下関係で偉いほうが顔を見せてくるから、偉くないほうもカメラをオンにしなきゃならない、このオンカメラが強制される、カメトメ状態は、ハラスメントだろうなと思います。 みんなの元気な笑顔が見たい、とか言ってくるのもかなりキモいです。リモートでもみんなを笑顔にしたい、なんてのは、あなたの仕事ではありません。オンライン会議そのものをなくそうとする人は信用できます。非同期的なコミュニティーやコミュニケーションを育てることが、彼らの仕事です。 仕事中なんだから、顔見せて当然となると、それはつまり、家にいてもオフィスにいるつもりで働けとなりますので、そういう会社はこれからますます人気なくなります。儲からなくなります。 仕事がうまく言ってるなら、全部任せるよ、リモート監視しません、ってはっきり言えている会社は少なそうです。管理職のためのルールが優先されて、本末転倒なことがあちこちで起きています。 会社辞めてからは週休3日、しかも1日5時間以内しか働かないと決めている私ですが、サラリーマンとオンライン会議する度に、もう2度と会社員には戻れないな、と思ってしまいます。

2021-03-03 20:37:21

意味や価値を語らない組織は腐る

メルカリで売れた荷物を持ってコンビニへ。荷物を送るためでさえ最近はコンビニを使わなくなりましたが、今日は風が強いのでコンビニ配送にさせていただきました。匿名配送って、便利ですよね。 散歩がてら、わざと遠い図書館まで歩きます。毎日1万歩くらい歩くと頭の中が整理される気がします。歩きながら考えたのは、自動翻訳で知られるロゼッタという会社が、全社員に外国語使用禁止令を出したニュースについてで、これはとてつもない時代だなと言うことです。日本人には英語崇拝が残っていますので、アングロサクソンはそこをうまく利用してきます。英語による情報の非対称性を悪用されてきました。 ファイザーと厚生労働省の交渉も、もしかすると英語という非対称性によって、日本に不利だったり、不当に高く買わされているかもしれません。本来なら日本はロシア製、中国製とも比較検討して、ファイザーに対して相見積を取りに行くぐらいのタフな交渉をするべきなのですが、英語のできる無能によって、大きな国益を損なっている可能性があります。 言葉の壁がなくなるということは、これまでNHKや朝日新聞が世界だと信じてきた人々にとって、インテリジェンスの開国となります。森喜朗が引きずり降ろされたのは、SNSなどではもうすでに、言語による情報の非対称性がないことの結果だろうと思います。 あらゆる情報の非対称性がなくなっていくと、権力や権威の由来が変わります。菅義偉のような、情報の非対称性に権力の源泉を求めていた人が機能しなくなり、その人のパーパス、価値観、信用のようなものが、求心力の源となります。優れた企業の経営者が、彼らの時間をなにに使っているかといえば、企業や経営者のパーパスを、言葉を尽くして腹落ちさせることに、かなりの時間を使っています。 それらはセンス・メイキングなんて言われますが、日本語にすれば腹落ちです。己の母語でいい、とにかく言葉を尽くして、目的意識や大切なもの、大切なこと、逆に何を嫌うのか、などなど意味や価値のはなしをとことんすることが、リーダーの仕事の核心になっています。 それに対して日本の政財官学マスメディアは丸々っと、人々が腹落ちする意味や価値の話が、下手くそすぎますね。スーガーなぞ言語障害を越えて、神経麻痺の領域に入っています。コロナ禍で情報の非対称性が、一気に消滅してしまいました。あらゆる不作為や不正、不毛なものごとが嗅ぎ取られて、集団ブーイングを突きつけられる時代です。これまでなら10年はかかった常識の更新が、世界同時に、瞬時に完了してしまうという意味で、年長者が偉いという前提はほとんど機能しません。 非対称性の解消によって、日本における2つのタブーが解禁されてしまいました。それは、Why? と So what? です。応仁の乱以降禁止されてきたこの2つの問いかけが、日本でも吹き上がり始めてしまいましたので、日本も大きく変わりそうです。

2021-03-02 20:03:22

山県有朋プラットフォーマーの終わり

日本国もまた、紆余曲折はあるにせよ、1868年以降一貫して続くアナログのしょぼいプラットフォーマーなのですが、総務省なんていう、のっぺらぼうの名前で、片肺の内務省である彼らが真綿でクイックイッと市民の首を絞めていくネポティズムまみれの行政を、人事権という麻薬の投入で制御しているように見せかけるのに長けた、失語のサイコパス、親子鷹の総務省ハイジャッキングも、令和おじさんの始まったアニバーサリーである5月1日まで持つかどうか、もうわかりませんね。4月下旬の補欠選挙、再選挙に向けて政局は動くでしょうから、長くは無理っぽい気もします。 令和おじさん祭りの冷めやらぬ令和元年5月に、祭りにまみれて菅官房長官は単身で、ワシントンに行ってますけど、まあおそらく彼があの頃から少しずつ進めてきた国盗りのための謀略は、よくわかりませんが、この2年足らずのどこかでしたたかに破綻したのでしょう。一切は虚しい、という見沢ちれん先生の言葉しか思い浮かびませんが、権力とは、儚いものです。最初から目指さなければ、良かったのにね。 焼き肉に14万円とか、高級旅館に15万円とか、またまた安倍晋三さんの杜撰な領収書がちょろちょろと晒し上げになっていたり、日産がアップルカーの組み立て屋さんになりそうだったり、菅さんも親子もろとも早くも表舞台から引きずり降ろされそうだったり、総務省が急激に機能不全になってたりするのは、初代内務大臣山県有朋のつくった官僚制プラットフォーマーの、いよいよ終わりなんじゃないかなと思っています。 郵便とか放送電波の利権が壊されて、少しずつ弱まっていくのは、テクノロジーの進化による宿命だと思いますが、私には満洲国の終わりの終わりが、ようやっと見えてきたなと感慨深いのです。菅義偉の父和三郎は、いちご栽培農民というよりは、満鉄職員でしたので、因果はめぐるとしか思えません。 プラットフォーマーも飲み会も、実は、この世界になくても、死にはしません。むしろそんなものないほうが生き生きしてきます。いい時代になってきた気がします。年賀状がなくなって、自由になりましたし、NHKを観なくていいのもとっても自由だし、もしかすると総務省なんて、はなからいらないのかもしれませんね。 コロナ禍で無意味な朱子学カルトの儀礼がなくなって、シニアのシニアによるシニアのためのシステムの、威厳みたいなものが弱くなってきて、いいことだらけだと思います。 若い世代がどんどん霞が関やめちゃうのは止められないと思います。郵便も、ファックスも、放送もとめどなく土管化が進んでいきます。土管を流れるコンテンツもソリューションも、とめどなくコモディティ化するでしょう。そうなると、You Tubeのコンテンツのほうが面白いなんていうことも起きてきます。着想やアイデアの優劣はかなり捨てる力の勝負なので、個人や小規模組織のほうが有利な時代です。恐竜が滅んで、哺乳類が生き残ります。

2021-03-01 20:25:32

インサイダー情報のコモディティ化

2年契約だった市民農園を撤収しました。公平性のためなのか、連続の契約はできません。行政から業務委託されている運営業者とは、ほとんど会いませんでした。野菜泥棒が出まくりで後半はやる気を失い、盗む価値の低い野菜しかつくらなくなりました。役所って、ありとあらゆる税金を下請け、孫請けに流すだけのかんたんなお仕事、うらやましいですね。 民間の小洒落たシェア農園よりも、公共のしょぼい農園のほうが、圧倒的に子どもが畑に来ません。子育ての一貫で、教育のつもりで農業をやってみる人たちはすぐにへこたれて、秋になると放置されたナスがかなしそうでした。一方で手だれたシニアの畑仕事はとても効率的で、上手です。市民農園のほうが彼らの寡黙な仕事を盗みながら、上達できましたので、圧倒的にコスパも良かったです。もし都市部で畑をやりたいなら、暇なシニアがたくさんいて料金も安い、公共農園をおすすめします。 まあ、なんと言っても、どんな野菜でもYouTubeに育て方がいくらでも出ています。Eテレも使えます。YouTubeとEテレがあれば、知識も技術も無料で手に入ります。農業に限らず、もはやどんなことでもやる気になれば無料で知識や技術が手に入ります。 オープンソースのほうが、勝ち残ったコンテンツなので鉄板です。農業や料理だけじゃなく、あらゆる情報が実は既にオープンソースのほうが優位なのではないかと、最近は考えるようになりました。例えばジャーナリズムも、オープンソースベースのほうが、私には真実に思えます。 先日も、米国議事堂に乱入して下院議長のパソコンを盗んだ女が、ネオナチだったことを、SNSなどのオープンソースから導いていた記事を読んで感心しましたが、ありとあらゆる真実は、はからずもオープンソースの世界に溶け出しています。それに比べると、記者クラブに帰属していないと得られないぶら下がり取材とか、時間とお金を使った接待で得られる情報は、急速にコモディティ化している気がします。菅義偉の受け答えもひどいですが、記者の質問もひどいです。クローズドな情報がクソでしかなくなっています。 そんなインサイダー情報をいくら手に入れても、己のビジネスは、優位に進められなくなってきました。オープンソースから、自分の頭で考えて、世界はこうなのではないか? とオリジナルな見立てを考えたほうが、無駄も間違いもない気がします。ソリューションがコモディティ化している背景には、クローズドなインサイダー情報の急速な無意味化、無価値化があるのではないかと思います。 日本の場合、特にインサイダー情報が、下らない人間関係情報に偏る傾向があり、お立場ご身分のプロトコルを上がってくるクローズド情報は、関係者が不機嫌にならないためのねじ曲がった情報ばかりなので、組織の意思決定をだいたい間違えます。役員会で話していることが、なんで内緒かといえば、単に中身がないからです。

2021-02-28 20:00:07

新しい間抜けとしての朱子学カルト

旧正月とともにやってきたあったかい春のあと、ここのところ寒さが戻ってますけど、このぶり返しは安倍晋三、菅義偉の自民党政権みたいだなと思います。まあでも自民党がどんなに木枯らしビュービュー頑張っても、長い目で見れば春はもうすぐやってくるし、北半球はもれなく夏に向かっています。よかったですね。 丸川珠代の丸川は旧姓で、戸籍上の名前は大塚珠代なんですけど、彼女がイキって選択的夫婦別姓にやたらと反対しているのですが、お前はじゃあきっちり大塚珠代でやれよって思ううえに、かたちだけの男女共同参画担当大臣をやっているという、ドン引きの発狂政権なんですけど、あらゆることがでたらめ、なんなんだろうなこの人たちはと、思います。強いて言えば、朱子学カルトなのでしょう。オウム高級信者と丸川珠代の差異はどこかにありますか? はい、ありませんね。 私からすれば、政治屋も役人も、なんでこんな割の合わないお仕事を、がんばっているのか、本当によくわかりませんが、NHKのアナウンサーとかも全国津々浦々に顔と名前がバレて、せいぜい年収2千万円とかも、給料安すぎます。役人も、東北新社のしょぼい接待で顔と名前が全国にさらされて、薄給の一部を返上とか、国賊としての永遠の負債が、プライスレスです。 斎藤貴男が彼らのことを、政権ではなく単なる秘密結社、と言っててその通りだなと思いますが、単なる秘密結社、覆面で蝋燭の炎を囲んでいる日の丸KKKなのに、顔と名前がさらされたお間抜けな人々も、減給一ヶ月とか、これからの昇進に影響のない訓告とか、三島由佳課長とかこうしてデジタルタトゥーの刑の重さに比べて、賞罰が軽すぎます。よかったですね。 令和の2大くしゃおじさんのひとりである河野太郎が、ワクチンの確保とは、契約完了のことであると、なぜかえばって言ってましたが、その契約では年内納品しか約束されておらず、オリンピックまでにはどう逆立ちしても間に合いませんし、秋の衆議院議員選挙までも、間に合わない可能性もありますので、これもまたよかったですね。 新規感染者数のグラフが寝てくると、さあもうコロナは終わりだ、ゴートゥートラベル、ゴートゥーイートだ、東京オリンピックだとなりますが、第4波は無能政権をまた容赦なく襲うと思います。ワクチンをつくれない、買ってこられない、打てないという意味では、後進国の仲間入り、更に言えば、お金はじゃぶじゃぶあるのに買ってこられないという意味では、21世紀のまったく新しい間抜けという意味で、日本国は非常にイノベーティブです。 マネーのコモディティ化の最先端が日本です。役人人生のすべてを捧げても、内閣広報官のサラリーがわずか月150万円足らず、いくら円を外人にみせても、ワクチンも買えません。東京証券取引所は、単なる投機の対象となり、富士通がシステムを止めなくても、もっとメタなレイヤーでハイジャックされており、キヤノンのカメラをクビから下げたメガネ出っ歯の日本人は、これから徹底的に、収奪の対象となるでしょう。よかったですね。

2021-02-27 20:15:42

プレミアム・フライデーは敗戦後最悪のブルシットジョブ

なにか良くないことを、なくしてしまう活動に興味があります。たとえばプラスティックをなくしてしまう活動です。コンビニそのものにほとんど行かなくなりました。彼らは、大量にプラスティックのゴミが出る商品を目一杯売りつけながら、手前どもはコロナ対策などとうそぶいて、ゴミ箱を撤去しています。 持ち物としてのプラスティックカードをなくすことにも、昔から関心があります。Suicaとか存在自体が、要らないです。クレカも銀行カードも、スマホに切り替えて、ほとんど持ち歩かないようになりました。会社も辞めたので従業員カードもなくなりました。残るは、日本の行政機関のなんの役にも立たない慢性的なプラスティックカードが邪魔です。運転免許証とか図書館カードとか印鑑証明カードですが、今から更にマイナンバーカードをつくれとか、気が狂っています。 もう少し深刻な問題としては、世の中のムダなブルシットジョブをなくす活動に、積極的に取り組みたいです。戦略の機能していないあらゆる徒労を、華麗にスルーしたいです。素晴らしいことに、会社をやめたら、ブルシットジョブが一気に減りました。これまでの人生は、なんだったのでしょうか。これから先は、リア充演出の為に、あれもやろう、これもやろうとは、もう死んでも考えません。 大原扁理さんの「いま、台湾で隠居してます」は、隠居つまり、働かないために台湾に行くという、シャープな戦略の効いたライフスタイルです。政財官学マスメディアが喜ぶ、キラキラ、或いはギラギラ生きることそのものが、最大のブルシットジョブなのではないかと思います。キラキラ輝くため、ギラギラ輝くための消費活動を、例えば経産省と博報堂が演出すると、それはプレミアム・フライデーになってしまいます。ちなみに今日はプレミアム・フライデーですが、敗戦後の日本が辿り着いた最悪のブルシットジョブのひとつが、このプレミアム・フライデー・キャンペーンなのだろうと思います。なおプレ金の公式サイトは、昨年の10月から更新がストップしています。 よく生きる目的なんて別になく、他人との煩わしい関わりに意味もなく、評価も承認もなくてよし、それがこれからのニューノーマルだろうなと思います。キラキラしても、ギラギラしても、プラスティックやエネルギーのムダ使いです。生産も消費も知ったことではない、森をさまよう一匹の猿として、いかにひっそり生きるか、そのことばかり考えています。 山田真貴子内閣広報官の月給が、117万円だとわかりましたが、キラキラ、ギラギラしたクソ社会の晒しものになる晩年の報酬としては、安すぎますね。どんな飲み会も断らずに、晩年まで生きてこのざまか、本当に恥ずかしい高級官僚で、失笑を禁じえません。スカ内閣の広報戦略を担うという仕事そのものが、気の遠くなるようなブルシットジョブです。国民に向けた記者会見もろくに開かずに、ここまでイメージダウンをしまくる広報官という意味で、サラリーを全額自主返上して、いますぐ引責辞任すべきだと思います。

2021-02-26 16:37:37

接待では守れないスターチャンネル

生活保護を申請してきた人に、福祉事務所の木っ端役人どもは、バカの一つ覚えみたく、扶養照会っていう嫌がらせの手続きをしようとします。これは、申請した人の血縁関係に、本当に扶養してもらえるコネが一人もいないのかどうか、役所自ら、手紙や電話で確認する手続きな訳ですが、この手続きをもっともらしくするために、彼らが異口同音に、よわきものに向ってほざくセリフが、「生活保護は、税金ですから」というフレーズのようです。 しかしその税金で雇われている公僕であるはずの霞が関の役人が、調子こいて偉そうに、本来国民の有限の共有財産である電波を、己の明治維新以降の仲間うちにだけ不当に安く貸し出して、不公正な裁量行政をしまくりの総務省なども、国民のコモンズを勝手に安く融通しているという意味では、国有地をお友達にだけ不当に安く売り捌いたモリカケ事件の財務省と、メタな構造は同じであって、政財官学マスメディア丸っと、腐っているということですが、マスメディアもグルなので、どれだけ地上波の自称、報道番組を見ても、本質はさっぱりわかりません。 不公正な電波利権をこれから壊していくのは、行政の自浄作用でも、国民や立法府の良識でもなく、ただただ市場原理でしかありません。具体的には、電波を利用する放送マスメディアが急速に視聴者を失って、彼らのカネも時間も、Netflixやアマゾンプライム、あるいはYou Tubeへと、ダダ漏れしていく淘汰です。 東北新社の子会社であるスターチャンネルなんて、Netflixやアマプラのある現在の市場で、一体誰が選択するのでしょうか。観られる映画コンテンツもクソなうえに、税別で毎月2300円かかります。市場原理によって撤退を突きつけられているに等しいスターチャンネルの維持を目論んで、総務省官僚をいくら接待しても、滅亡のスピードが遅くなるとは思えません。 スターチャンネルもなんですが、国家権力とズブズブの吉本興業も、総務省の裁量でBS放送事業者に認定されていて、今年中にはよしもとチャンネルなる放送局を開局するみたいですけど、こんなものに、市場競争力があるようには丸で思えません。放送からインターネットへの転換は、不可逆的なものです。それはつまり中央集権的な権力から、自律分散型の権力への移り変わりです。 地上波も、BSも、CSも貧すれば鈍する、どれもこれも見るからにお金のないしょぼい番組ばかりになって来ました。いまも頑固にテレビを観ている全共闘世代がいなくなったら、NHKも含めて、視聴者そのものがいなくなります。昨日東京高裁が、NHKを観られないテレビで、受信契約を結ぶ義務がないことの確認を求めた請求を棄却しましたけど、政財官学マスメディアがいくら結託しても、市場原理によって電波利権はとめどなく土管化が進んで、やがてなくなってしまうでしょう。よかったですね。

2021-02-25 19:08:32

総務省利権の衰退とキャンセル・カルチャー

そもそもこの国の電波行政なんて、開発独裁国家もびっくりの不公正な運用がこれまでずーっと行われてきており、本来コモンズである電波を、国家権力がタダ同然でNHKと新聞社資本にコンペもせずに使わせて、ずぶずぶでやっていることが問題の本質で、総務省という、解体されたはずの内務省の成れの果て、しょぼい接待疑惑なんぞどうでもよく、電波利権の解体なしには、丸で意味がないのではないか、と思います。 放送にせよ通信にせよ、いわゆるラストワンマイルは、Google、Apple、Netflixなどのアメリカグローバル資本が、日本語の壁を悠然と越えて、完全におさえつつあり、電波は付加価値のない単なる土管化がとめどなくすすんでいます。囲碁・将棋チャンネルなんて、本当にどうでもいいスカ、全共闘世代しか見ない些末な利権ではないかと思います。 全共闘世代と言えば、桐野夏生の『夜の谷を行く』という連合赤軍事件を題材にした小説をいま読んだら、セクシスト森喜朗追放以後の世界観と、それ以前の連合赤軍事件の清算のしかたがあまりにもかけ離れており、その距離の開きに気が遠くなりました。1982年の判決文で、裁判長の中野武男は永田洋子のことを法廷で「鬼ばば」、「魔女」と呼び、「女性特有の執拗さ、底意地の悪さ、冷酷な加虐趣味が加わり、その資質に幾多の問題を蔵していた」とセクシズム丸出しの判決を書いています。 永田洋子が獄中で死んで10年、連合赤軍事件からほとんど半世紀が経ってようやっと、全共闘以後のひとかたまりの、しょうもない時代が、終わりつつあるんだなと私は思います。おどろおどろしい「魔女」によるリンチ殺人事件という見せしめによって、大衆の政治熱を急速に冷まし、政治から消費へと人々の関心を逸らすことにまんまと成功し、女を政治経済の世界から完全に追い出すことを成し遂げ、セックスのための記号化による消費大好き・不思議大好き時代へと転換させることに成功しました。でも、もうそれもおしまいです。 ほぼ確定しつつあるくだらない、差異の戯れの時代の完全な終わりと、総務省利権としての放送や通信電波利権の土管化、無価値化、無意味化は、完全につながっていると思います。アメリカでは、BLM運動によって、ボストン市内の広場にあるリンカーン大統領と元奴隷の黒人男性をあしらった像が、黒人にとって屈辱的であると撤去されましたけど、銅像が撤去されるのなら、1982年の中野武男裁判長の判決文もまた、そのうち取り消されても、おかしくありません。 東京オリパラのスポンサー不買運動や、ボランティアの大量辞退など、草の根のボイコット運動は、キャンセル・カルチャーなどと呼ばれます。これから日本にも本格的に押し寄せるであろうキャンセル・カルチャーは、敗戦後の政財官学マスメディア統治を無効にしてしまうかもしれない、大きな破壊力を秘めています。そのことに無自覚な政財官学マスメディアエリートが、多すぎやしないでしょうか。

2021-02-24 19:43:15

寿命の縮む米国と貧相になる日本

重症者における、エクモを含む人工呼吸器装着数の移り変わりをみますと、1月20日に全国で623まで行きましたが、それをピークに昨日は358まで落ちてきました。ただ、昨年春のピークは、4月27日の312件なので、それよりはまだ多い状態です。東京都の緊急事態宣言は、3月7日で終わりそうですが、なるようにしかならない、出たとこ勝負、アンコントローラブルな政財官学マスメディアですので、この先どうなるかは、ウイルスのみぞ知る、丸でわかりません。 アメリカの死者は、きのう時点の7日間移動平均で2千人を下回り、減少傾向に入っていますが、まだ収束とはいえません。既にアメリカ合衆国では、コロナで50万人を超える人が亡くなりました。アメリカ人の平均寿命がコロナ禍で1歳縮まったとのことで、これは第二次世界大戦後以来の落ち込みのようです。 その平均寿命低下の度合いは、人種によって違っていて、黒人は74.7歳から72歳へ、たった1年間で2.7歳も短くなってしまいました。それにしても72歳とは短いですね。アメリカの闇を垣間見る思いです。黒人はエッセンシャル・ワーカーである確率が高く、それゆえに感染しやすいのと、所得の低い人が多く、家庭内感染の多さや、感染後の医療ケアが十分でないことも、要因だろうと思います。 アメリカ人はコロナ禍の前から、2014年の平均寿命、78.84才をピークに、毎年平均寿命が少しずつ下がってきています。つまりトランプ政権とは、アメリカ人の寿命を止めた政権とも言えるのです。大きな分断の亀裂が少しずつ生まれて、コロナ禍で一気に拡大しているのだろうと思います。アメリカ合衆国による収奪は、建国以来西へ西へと拡がって、地球を一周しましたが、今度は国内という内側にはまり込み、ホームグロウンテロリストとの内戦状態に近くなっています。 トランピストたちはそれでもまだ懲りずに、3月4日にバイデン大統領が失職して、再びトランプ政権が復活するなぞという荒唐無稽な噂を信じているようですが、日本でQアノンを盲信していたJトランピストのみなさんは、手前のお尻に火がついてあっちっち、愛知県知事リコール請求の不正疑惑で窮地に陥っています。約8000人の死者の署名が紛れ込んでいたとのこと、愛知県の選挙管理委員会は、大量の署名偽造が行われていたとすれば看過できないとして地方自治法違反容疑で愛知県警に被疑者不詳で刑事告発し、受理されていますので、これはかなりやばいことになりそうです。 菅義偉のネポティズムが炸裂している東北新社事件にしても、日本維新の会会員による愛知県知事リコール署名偽造疑惑にしても、最近の政財官学マスメディアの腐敗や疑獄事件は、昭和や平成と比べてスケールがせこく、卑しく、みっともない、いわばしょぼ醜いと思います。内閣広報官への過去の接待が一度で7万4千円とかでカマトトぶって、みんな驚いていますが、接待の規模としては別にすごくもなんともありません。本当に日本は菅義偉の顔かたちそのもの、貧相になりました。よかったですね。

2021-02-23 19:01:38

いまは垂直から水平への大きな転換点

2のゾロ目、ニャンニャンニャンで、今日は猫の日ですね。春めくあたたかい一日で、私にとって散歩とは、猫との出会いでもあります。猫も今日は日なたでまったりしていました。一方でニャンニャンしてね、の谷村有美は夫のDVを通報、原田泳幸容疑者は略式起訴され、罰金30万円を即時納めたようです。妻が殴られた初回でいきなり通報することは考えにくいので、おそらくは積年の暴力の結果ではないかと思いますが、警察も夫婦のトラブルに入ってくるようになったのは、随分と時代が変わったなと思います。 さて猫について思うのは、血統書のようなものをありがたがるしょうもない価値観が急速に反社会的なものに変わってきており、まともな人であればあるほどペットに純血種を求めなくなりました。いい流れです。アラブの富裕層が希少動物をペットにする実態がネットで暴かれていましたが、国民国家による警察よりも、インターネットによるフーコー的な監視権力によって、社会は良くなっていくのだなと思います。 先日散歩していたら、東京都のカラス捕獲トラップという、文字通りカラスを閉じ込めておく檻が神社の敷地のなかにあり、なかには5匹くらいの逃げ場を失ったカラスが暴れまわっていて、かわいそうでした。徒手空拳日記は、対話するカラスがアイコンなので、なおさら愛着があります。生き物への残酷さと、弱い人間への残酷さは、どこかでつながっています。 DVにしろ血統書にしろカラス捕獲トラップにしろ、これらは文化などではなく、単なる野蛮さの露呈であって、よわきものの権利の侵害ということです。大阪地裁が今日、生活保護支給額を引き下げた国に、憲法違反であるとして減額を取り消す判断を示しましたが、金額の問題もさることながら、水際作戦と称して徹底的にマニュアル化され、日本全国の福祉事務所でいまも不当に行われている、親族などへの扶養照会プロトコルは、弱者への国家ぐるみのハラスメントではないかと思います。これもいますぐやめるべきです。 孤独や孤立は、悪いことでも、悲しいことでもありません。無縁やひきこもりを当然のごとく不幸なこと、良くないことのようにうそぶくマスメディアは遅かれ、はやかれ、草の根の排斥運動の対象になるでしょう。ユダヤ人を差別したナチスと、孤独や孤立を差別する日本のマスメディアに、違いなんてあるでしょうか。孤立してもそれなりに楽しく生きていける社会が大切です。人は嫌いだけどペットがいれば幸せ、という人もたくさんいます。 お金がないことも、ソーシャル・キャピタルがないことも、ひとそれぞれであって、それによってなんら差別されることはなく、単なる属性のひとつでしかありません。そういう価値観がこれから急速に一般化するのではないかと思います。むしろこれから草の根の蔑みの目を向けられるのは、政財官学マスメディアのお立場、ご身分に汲々として、目の死んでしまっている、エリートのみなさんなのではないかと思いますが、どうでしょうか。

2021-02-22 20:51:01

全録こそが、最強の武器である

『コロナ禍の東京を駆ける』という都内のホームレスに手を差し伸べる活動をしている、つくろい東京ファンドという組織の人々の奮闘日記を読んでいて思うのは、日本の役人どもが、水際作戦とやらで生活保護の受給を妨げようと、日々洗練させていく徹底的なご飯論法のすごさなんですけど、政財官学マスメディア丸っと、上から下まで、しょうもない詭弁や不作為だらけで嫌になります。ご飯論法などというものといかに疎遠でいるかが、私にとっての重要な生きる目的です。 最近は女性蔑視だけがクローズアップされていますけど、現代日本では女性だけではなく、たとえば健康で文化的な最低限度の生活を送れていない貧困にあえぐセグメントを、ご飯論法をフル活用して、蔑視しているように思います。あるいは障がい者への蔑視も当然のようにありますし、子どもへの蔑視や虐待、教師による生徒への蔑視、ニート蔑視などなどあらゆる弱者蔑視のデパートと言えそうです。 そういった蔑視を、いまも我が物顔でつづけている政財官学マスメディアの階層の中にさえも、またさらに、内部のお立場やご身分による蔑視の構造がミルフィーユ状に細かくわらわらと組み込まれています。つまり、この国は蔑視そのものが、デフォルトなのだと思います。そしてそれはもはや日本国民だけにとどまらず、技能実習生などにも及んでいます。蔑視や雑言という裏ばかりのおもてなし、それがこの国の現実なのではないかと思います。 蔑視とは文字通り、目の動き、つまり視線や視野のことではありますが、人は侮蔑の視野にあるものは必ずどこかでそれを、お口で雑言にしてしまいます。その雑言をぱくっと録音してしまえば、形勢を一気に逆転できるのです。総務省の幹部のみなさんが、週刊文春に接待中の会話をばっちり録音されていましたけど、東北新社は接待で個室すら確保していない時点で、基本が丸でできていないのではないかと思います。 スパイ映画なんかでは、たがいに盗聴を警戒して、諜報員の情報のやり取りをお互いにまっぱだかになれるリゾートのビーチや、録音されにくいスーパーマーケットでする場面がよく出てきますけど、それは録音されたらなにもかもがジ・エンドだからで、日本人は録音への警戒感がなさすぎです。クラブハウスなんかで調子に乗ってペラペラ喋ったことが、ダダ漏れ筒抜け、なんてことも全然ありえます。 あちこちにあまねくある蔑視が雑言に変わる瞬間を逃さず録音するために、常にICレコーダーをオンにしておくことをおすすめします。いつどこで、何を言われるかわからないのですから、起きているあいだはずっと録音するのが、唯一の対抗手段です。最近のレコーダーは電池のもちもよくて、軽いデータでばっちり記録できます。録音さえしておけば、ライフログもいらないし、いいことだらけです。音源さえ持っていれば、聞き返すことも不要です。私はひたすら外付けのハードディスクに音声ファイルを保存し続けています。

2021-02-21 19:31:35

レストランに行くのは「だるい」と気づいた富裕層

都内を毎日あちこち散歩していると、たくさんの電動アシスト自転車のママチャリと、ウーバーイーツのデリバリースタッフに遭遇します。彼らの共通点は、とにかく目的地に向かって、めちゃくちゃ急いでいるということです。 最近、ウーバーイーツの配達員が、ウーバーのロゴを隠しているなと思ったら、どうやらそれはウーバーのロゴをみると、露骨に嫌がらせをするやからがいるみたいです。でも、それだけじゃなくて最近は、出前館のような複数のプラットフォーマーを掛け持ちしている配達員が多いのだと気づきました。出前館はライン傘下だなんて知りませんでしたけど、いま急速に拡大中みたいです。 私自身はこういったデリバリーサービスで、全く注文しないのですが、では誰が注文しているかといえばほとんど完全に、富裕層です。配達員が受けとっているデリバリー報酬は、時間帯や距離によりますが、ざっくりみると単価で600円から1000円くらいです。プラットフォーマーは、客とレストランから、手数料を抜いています。普通なら自分で買いに行ったり、食べに行けばいいのですが、デリバリーを頼む客は何に価値を感じているかといえば、時間価値とゲーテッドコミュニティと安全性の3つです。 レストランまで出かけて、食べて帰ってくる時間が浮きますので、その浮いた時間で、もっと価値のある別のことができます。配達料金なんて、それに比べれば屁みたいなものです。更に日本では、階級ごとに使うレストランがはっきり分かれてないうえに、都市部では狭い店が多いので、予約して行ってみたら、隣がヒマツを気にしないでしゃべくりまくる泥酔客だった、なんていうこともよくあります。それなら、家で食べたほうが、出目が読めるとなります。 私は富裕層でもなんでもないですけど、外食しないのは、酒を飲まないからですが、ついでに言えば、完全個室じゃないと、どんな客が隣に来るか読めないからです。個室のレストランなら、自宅取り寄せでもそんな変わらん、となりますね。 ウーバーに限らずこれからは日本のありとあらゆる事業が、富裕層向けになると思います。中間層向けのビジネスは、まるで儲かりません。というか中間層そのものがいなくなります。企業の理念やモデルが、薄利多売を前提にしている時点で終わっています。 これからは、移動できるキッチンカーで、移動しながら調理加熱して、出来立てをそのまま家に宅配する富裕層向けのサービスとか、高級旅館の朝食をおうちに届けるサービスとか、いくらでも出てくるでしょう。じっさい、ウーバーイーツも都内は朝7時から配達OKになってます。 日本の企業はほとんどが未だに中産階級向けの事業を念頭においていますが、ターゲットをいつまでも現代のネアンデルタール人である中間層においていると、どんどん縮小均衡の末路へとはまっていくと思います。いまもまだテレビコマーシャル打っている企業は、潜在的にオワコンです。

2021-02-20 19:01:41

本質はインターネットに色濃く、しかも無料で漂っている

清和会のしのぎ、文教利権のドン、森喜朗の後釜が、女性という表層をまとった単なる走狗にスゲ変わったしょうもないドタバタ劇に、丸っと一週間もかけている時間感覚のおかしさに、ついつい失笑してしまいます。政財官学マスメディア、どこでもこんなクソ人事ばっかりで、組織ごっこになんの価値もないことは、世界の知性は最初からわかっています。そもそも文教族が中心にいるいまの統治こそ、衰退国家そのものです。 武力からITへの過渡期に、商業オリンピックは戦争の変形として機能していました。私は、IOCなる知財ビジネスカルテルそのものが、長い目で見たとき、著しく反社会性を持っていると思うので、近代オリンピックなんて、もうやめちゃいなよ、と思っています。 大人が子どもにスポーツ英才教育を強いることそのものが、百年後の世界では虐待と認識されていると思います。橋本聖子の酒癖が悪いのも、スポーツによる燃え尽きが原因ではないかと思います。燃え尽きた有名アスリートがたどり着くのが、しょぼいファシズム政党なのは、ドン引きの悲劇です。彼女は、冷戦後期の商業オリンピックの犠牲者です。 他方で、動く官報のNHKニュースや、動かない官報の朝日新聞をみていて思うのは、政治の定義が古臭いということで、現代においてはむしろ、視野狭窄でしかない政治部や経済部とはまったく関係のないところにこそ、本質的な政治があります。国民全体の25%くらいしか支持していない自民党が、なんで権力を持てるかといえば、狭い意味での政治なんて、本質的な政治全体からすればどうでもいいものだからで、民主制の統治システムが時代に追いついていないだけです。 むしろ大衆が夢中になっているネットワークにこそ、政治力学の重心はあるのです。マスメディアの政治部や経済部や社会部が追いかけているのは、すべてが終わった虚構です。周縁にレッテルをどんなに貼っても、魅力的な情報になりえません。 本物の政治は、インターネットの浸透によって、ますます自律分散型のソーシャル・キャピタルのなかにしかないのではないかと思います。政財官学マスメディアが政治だと勘違いしているほとんどのものごとは、政治ではなく単なる組織人事です。政財官学マスメディアが矢鱈とありがたがっているクローズドな情報には実は価値はなくて、有意義な情報こそ、オープンソースのなかに、無料で存在しています。 朱子学カルトどもがトクダネやトクオチだと思っていることを華麗にスルーしてみると、むしろ本質が見えてきます。新聞や雑誌を一文字も読まなくても、本質はインターネットに色濃く、しかも無料で漂っています。古臭い情実主義が、リテラシーの高いひきこもりによって、ことごとく陳腐化されていきます。IOCなどという国際官僚システムはそのうち、草の根の排斥運動の標的となるだろうと思います。よかったですね。

2021-02-19 19:46:45

すべてのソリューションはコモディティ化する

ルミネというかっこ悪い名前の、面白くもなんともない駅ビルがありますけど、コロナ禍をきっかけに悪しき平成が終わるなあと思うのは、こうした阿漕なモールから、競争力のあるまともな店子がどんどん撤退している現象で、家賃は高いわ客は来ないわ、それなら出ていくわ、というわかりやすい動きです。ネットでいいやとなりますし、Suicaの手数料をポッポ屋さんに払うのも超絶アホくさいわけです。 強いブランドは駅前から出ていくし、弱いブランドは自然消滅します。駅ビルに取り残されるのは、無印良品とかユニクロになるわけで、彼らは未だによく比較されます。そういった比較の視点そのものが古臭いですけど、お店もじっさい近くにあること多いです。 でも私からすると、無印良品は、ダイソーやニトリに近いです。それらに共通するのは、デザインのコモディティ化です。ユニクロにはもう少し戦略があります。例えば無印良品とニトリとダイソーのマグカップ、昔はニトリやダイソーのマグカップには、ダサい英語の文字とかがプリントされていたのですが、最近は余計な印刷がなくなって、どれも横一線、みんな無印になってきました。そうなると無印良品じゃなくてニトリでいいやとなりますし、ニトリも実は、別に安くもないので、ダイソーでいいやとなります。 デザインに付加価値はないんです。中国でもベトナムでも、いくらでもそれっぽくつくれます。デザインだけじゃなくて、ありとあらゆるソリューションが、急激にコモディティ化しています。日本の産業はほとんどがソリューションなので、超絶ヤバいです。 ビジネス書なんてのも、無価値化が急速に進んでいます。どんなマイナーな出版社も、装丁なんていくらでも売れ線に虚飾できますので、無印良品とニトリとダイソーの見分けがつかないのと同じように、ビジネス書も玉と石の見分けがつきません。いまやビジネス書はSNSでの売り方すらコモディティ化しているので、良書なのか悪書なのか丸でわからなくなっています。 ありとあらゆるソリューションがクソになって、ではいったい価値はどこにあるのかといえば、もっとメタなレイヤーつまり、課題解決ではなくその上の課題設定です。富は、ソリューションによってつくることが難しくなります。東京オリンピックも大阪万博も単なるソリューションでしかなく、これからますますコモディティ化していくので、疫病や差別問題などの不確実性が増す一方で、スポンサーも開催都市も、吸い上げられるうまみがどんどん薄くなります。 これからはなにもかも、課題設定から戦略までにしか価値はなくなり、すべてのソリューションは楽しくもないし、儲かりもしない、単なるクソ領域となります。日本の自動車OEMが半導体の供給不足で軒並み減産に追い込まれているのは、組み立てなんて、無価値なソリューションでしかないので、部品のバーゲニングパワーがなくなっている、それだけのことです。

2021-02-18 19:03:12

働かないために働く

近くのパン屋さんはおいしいんですけど、今年の仕事始めもコロナ禍だったからか、1月半ばを過ぎた頃からでしたし、基本ずっと、週休3日です。いつも開くのも遅くて、売り切れちゃうので、閉まるのもはやいです。昔なら、中小零細企業はとくに身を粉にして働かないと、よくわからないジジイとかに甘いとかナメてるとか、いきなり理不尽に怒られたりしましたが、そういう老人もサイトカインストームに怯えてステイホーム、説教どころではないようなので、よかったですね。 キラキラしてないといけないとか、ギラギラしてないといけないとか、そういった脅迫観念は、昭和のろくでもないステレオタイプでしかないと思います。キラキラやギラギラを煽ってきた電通が1600億円の赤字を出しましたけど、朱子学カルトの不気味な遠心力が弱まっているのだと思います。キラキラといえばすぐに、女性が輝く社会を、などと使われますけど、そういった、お前らよ、さあ輝けという期待そのものが、プロパガンダであり、人民虐待、ハラスメントです。 私くらいのアラフィフだと、まだまだ働き盛りだろなどと思われて、ギラギラしてないといけない空気を感じるのですけど、それもくだらない昭和遺産なので、もうやめてほしいです。楢山節考のように昔実際にあった日本の姥捨てって、何歳くらいで捨てられたのか調べていた人がいましたが、50歳くらいだったみたいです。私は自分で自分を社会からお払い箱にして、ここから先は単なる余生、隠居です。 75歳まで働けとか、政財官学マスメディアは頭おかしいのではないかと思います。これからは、ズバリ「働かないために働く」がキーワードだろうと思います。これは先日2月10日のニートまつりで、山奥ニートの石井あらたさんが言っていた言葉です。「働かないためなら、何でもできる」本当にそうだなと思います。私が決めているのは、金輪際誰からも雇われないということで、誰かに雇われるくらいなら、毎日キャベツ炒めでもいいと思っています。「働かないために働く」とはもう少し正確に言えば、「誰かに雇われなくても生きていけるように、工夫する」ということです。 孤独や孤立は、そんなにネガティブなものではありません。「取るに足らない存在でいることには、計り知れない利点がある」というソール・ライターの言葉は、ぐっと来ます。キラキラ、ギラギラしていたら、引きずり降ろされますけど、「無視されることは偉大な特権である」ということだと思います。2010年代アベノミクス時代に、虚しいネット論壇によってやたらもてはやされた、好きなことを仕事にしようとかは、やはりキラキラしていて嘘くさいです。これからは、働かないために自分の頭を使って働くことが、大切なのではないかと思います。誰かに雇われなくても生きていけるように、がんばらないことを工夫することを、がんばりたいと思います。

2021-02-17 19:09:03

あらゆるプラットフォーマーに依存しないで生きていたい

晴れの日は毎日1万歩は歩いているのですが、雨の日なら家で踏み台昇降するのも、良いものです。高いステッパーとか、丸で必要ありません。外に出るのは億劫ですし、何と言っても今は必ずマスクをしないとならないことが、超絶面倒です。家の中ならば、Netflix を見ながら運動もできます。 でも完全に家の中だけで生活を完結させるのもコロナ禍とはいえ難しく、何ごともバランスなのかなと思います。ステイホームしていると、日常は滞っているかのようにみえますが、私のなかでは日々少しずつ進んでいきます。例えば、これまではカメラで静止画撮影していた非破壊自炊を、動画撮影に変えてみました。 動画の撮影ボタンを押して、最初のページから最後のページまで、めくっていく様子をひたすら撮影します。 読むときは動画再生して、ポーズボタンを押して文字を読み、読み終わったらポーズを解除します。動画のポーズでもピンチで拡大できますし、悪くありません。なんといっても、何回もシャッターを押さなくていいのが、楽です。動画もGoogleフォトでマルチデバイスからアクセスできます。 会社を辞めたのをいいことに、ネットワーク管理されるOutlook や Google カレンダーによるスケジュール管理を今年からきっぱりやめました。紙の手帳を持ち歩いているのですが、それなりの大きさじゃないと不便なので、B6サイズのものを使っています。両手があくように、無印のファスナー付き手帳カバーに、ユザワヤで売ってた手作り用のバッグの紐パーツを組み合わせて、サコッシュのようにして使っています。スケジュール管理がオフラインで完結するのも悪くありません。 無料で使えるスケジューラーとか、怪しいなと思ってしまいます。クラブハウスも、招待された人の電話帳データがクラブハウスにすべて吸い上げられており、クラブハウス側は膨大な無料ユーザーのとてつもない広範なソーシャルグラフを把握できちゃうつくりになっているみたいです。まさにタダより高いものはない、と言えます。メルカリで招待枠を買ってまで試した人とか、お金使って電話帳データまで抜かれてしまうとはなんともお気の毒です。 プラットフォーマーは古今東西、阿漕なものです。くらしのマーケットっていう、水回りのメンテナンスとか、引っ越しとか、リフォームとかのプラットフォーマーも、手数料2割もぶっこ抜く上に、登録業者が気に食わないツイートをしたら、問答無用で契約解除とか、本当に鬼です。国民国家もクラブハウスもくらしのマーケットも、どいつもこいつもプラットフォーマーは強欲なピンハネ装置なので、できるだけ依存しないことが大切ですね。マネーつまりお金もまた、国民国家というプラットフォーマーのポイント制度みたいなものなので、貨幣依存率のようなものをどんどん下げていきたいです。目新しいプラットフォーマーを褒めそやして、個人データをごっそり抜き取られるアホには、なりたくありません。

2021-02-16 18:04:04

毎日のルーティンこそが生きる喜び

森喜朗の後任って、いつ決まるのでしょうか。そもそも会長のジョブディスクリプションがないから、誰がやるべきかの議論もまったく噛み合いません。利権モリモリの東京モリンピックがあっけなく終わってしまい、インバウンドもゼロ、飲食店も8時で閉店、在日米軍はいまも関東は全都県オフリミット、立入禁止です。米軍が立入禁止のゾーンに、米国のオリンピック選手がやってくるわけもなく、これからひと月で、日本のアウト・オブ・コントロールが惜しみなく露呈されてしまうだろうなと思います。 人があまり動かなくなって、明治時代に刷り込まれた定期券代を払うのをようやっとやめて、テレワークの通信費や光熱費をその代わりに払う会社が増えてきました。定期券なんて単なるプリペイドなので、コロナ禍が終わってももとには戻らないと思います。Suicaなんて、今まで本当に偉そうな殿様商売してましたので、Suicaなしで生きられる毎日は超快適です。 コロナの前には人気がありすぎて全然予約できなかった飲食店や旅館から、今がチャンス的な連絡がときどき来ます。確かにいま行けば、とてもすいていそうだし、ゴートゥーはなくてもきっとおトクな料金なんだろうから、いいかもなと思うのですが、そもそも、旅行が好きではないので、行きたくありません。 部屋に温泉のついた、部屋食のプランがソーシャル・ディスタンスが確保できて人気とか聞きますが、そんな宿にひきこもった旅行、楽しいですか? そもそもガラガラなのにそういうプランで泊まってしまうと、稼働率のよくないなかで数少ない客のツラをすることになり、なんとも申し訳ない気持ちになります。 コロナ禍の前から、なんちゃらリゾートのような、ちょっぴり贅沢なグレードの旅行が、好きではないのです。いかにも非日常でございます、という上げ底のエクスペリエンスが苦手なのです。矢鱈と力のこもった量の多い食事も、気が重いですし、サウナなんかも研究の足りないセッティングばかりで、なにもかもが中途半端なのです。 おもてなしが嫌い、と言ったらいいのでしょうか。テレビ東京などの旅番組のフォーマットに完全にインプリンティングされた、夢気分のお仕着せ旅行にげんなりしてしまいます。人生は毎日が旅みたいなものなので、商品化されたカギカッコ付きの非日常に丸で適応できないのです。いまここで提供されているサービスが、どれくらい安い人件費で実現しているのか、つい考えてしまいます。 特に最近は、そうした場所で技能実習生らしきスタッフのサービスを受けることも多く、なんとも居心地の悪い気持ちになります。みんなが旅行しないのも不気味だし、矢鱈と同調圧力がかかって人々がこぞって旅行するのも不気味です。私の理想は、そこそこみんなは旅行してるんだけど、私だけはついつい出不精という状態です。いまは社会全体が止まってしまっているので、自分も社会も止まっていると、とてつもなく心地悪いのです。 結局旅先でもYou TubeやNetflixを観てしまうので、それだったら家にいたほうが楽だし、カネもかからないでいいかなと思ってしまいます。クルマの運転も疲れるだけだし、風呂ならサウナのチューニングが絶妙な銭湯でいいかなと思ってしまいます。単独行動なら、どこにいても同じだし、毎日のルーティンこそが生きる喜びにつながります。立川談志の次の言葉が本当にそのとおりです。 生活信条の第一は、寝ること。次に銭湯。すべてはそれから。歯を十五分くらいかけて磨き、うがいを百回、屈伸、腹筋、ミニヨガ、自作の呼吸法、それから一人で街を歩く。あとは一人我が家。早い話が仕事なんざァどうでもいいのである。「ひとり会」だけは特別。…これホント。(立川談志)

2021-02-15 20:58:19

日本の力を、もう誰も信じられなくなっている

人は一生で何回くらい、大きな地震に遭遇して、ビビるのでしょうか。老朽化した家の建て替えは、大きな地震がきっかけになることが多い気がします。東日本大震災からもうすぐ10年を前にやってきた昨夜の大地震で、改めてこの10年とはなんだったのか、思い直した人も多かったのではないかと思います。 10年ひと昔、とはよく言ったもので、あの頃当たり前だと感じていた様々な前提が、気づけばもうほとんど機能していません。例えばコロナ禍のいま、絆という言葉はまったく聞きません。東日本大震災の頃、鬼のように流れていたSMAPとトータス松本のCM、覚えていますか? こんなナレーションでした。 あなたはどんな時でも一人じゃない。僕らが、みんながついています。たがいに譲り合い、助け合いながら。強く、強く未来を信じて。今、ひとつになる時。日本の力を、信じてる。日本は強い国。長い道のりになるかもしれんけど、みんなで頑張れば絶対に乗り越えられる。そう思う。日本の力を、信じてる。 あれから10年の歳月は長い道のりだったと思いますが、こうして書き起こしてみると、この国はあの頃機能していたプロパガンダが、すっかり壊れていることがわかります。このCMの背景に流れているウォウォウォ、ウォウォウォというコーラスこそ、その後の復興五輪という詐欺的なショック・ドクトリンへとつながっていくプロパガンダの通奏低音ではなかったかと思います。 日本は強い国。長い道のりになるかもしれんけど、みんなで頑張れば絶対に乗り越えられる。そう思う。日本の力を、信じてる。という広告コピーを強引に実体化させようとしたのが、東京五輪招致活動だったと思います。ウォウォウォ、ウォウォウォという、プロパガンダの通奏低音を、すっかり失った10年でした。 日本の力を、すっかり信じられなくなりました。大地震の速報は、いまも科学に基づいて、できるだけはやく、ざっくりした情報の周知が、徹底的に機能しているのに、コロナについては、「遅い、疎い、頭のおかしい」非科学がまかり通っています。この差異にこそ日本人の精神の本質があるのではないか? と私は思います。 地震は完全な外部ですが、疫病は半分、人間の内部です。魂の世界です。つまり疫病とは、穢れの範疇なので、科学が及びません。穢れは気が枯れる、つまり内なるエネルギーの衰弱です。人の死や月経、出産は穢れ、つまり不浄なこととして、日本では禁忌の対象となりました。一年間で7千人近くが新しい疫病で死んでいるいまだからこそ、長老、森喜朗が意図的に女を忌み嫌った発言をしたのは、この国がまさに今、穢れの渦中にあることを明言したのではないかと、私は思います。 ウォウォウォ、ウォウォウォ、ウォウォウォ、ウォウォウォの呪文が、もはやこの国では丸で効きません。あなたはどんな時でも一人じゃない。僕らが、みんながついています。たがいに譲り合い、助け合いながら。強く、強く未来を信じて。だなんて、もう誰も言いません。あまりにも嘘くさいので、言えないのではないかと思います。 病院や療養ホテル以外で体調が悪くなり、変死として全国の警察が取り扱った遺体のうち、コロナに感染していた遺体は、昨年から今月10日までの累計で261人に上ったとのことです。今年は、1月だけで132人と急増しています。病院にもかかれず、大切な人にも看取られることなく、ひとりで死んでいった人の死に、我々はもう、あなたはどんな時でも一人じゃない。僕らが、みんながついています、と言えない社会になりました。政財官学マスメディア、朱子学カルトの沈黙が深まっていきます。 津波で流された人々の悲劇の取り扱いとは対照的に、コロナで変死した261人の死に様を伝えるマスメディアはひとつもありません。控えめに言って、この10年でこの国は、ろくでなしの国になりました。政財官学マスメディア、エリートの皆さん、本当によかったですね。

2021-02-14 20:22:41

課題設定の民主化

お間抜けな失政によって長引くステイホームで、矢鱈と家のなかにいる時間も長いので、昼間のあいだに居る場所を、がらっと変えてみました。大前研一の名言、 「人間が変わる方法は3つしかない。1番目は時間配分を変える。2番目は住む場所を変える。3番目はつきあう人を変える。 この3つの要素でしか人間は変わらない。最も無意味なのは、『決意を新たにする』ことだ。」 そうだ、これを、ステイホームでもやってみたらいいのではないか、と思うのです。 これまであまり使ってなかった和室にオイルヒーターを入れて、16度くらいの、暑くもなく寒くもない空間で本を読んだり、ノートパソコンをいじったりしています。畳に座ったり寝たりする暮らしもいいものです。リビングにいないだけでも、世界から遠ざかることができるんだなと気づいて、そのことが改めて快適です。 リビングとは、アメリカ人がつくったものでしょうか、そこはどーんとテレビがある場所です。リビングから離れると、テレビをさらに観なくなります。リビングにいても、私の場合は、NetflixかYoutubeばかり見ていたので、よく考えればリビングにいなければならない理由は、丸でありませんでした。 アメリカ人にとって、テレビのネットワークというのは、防災無線みたいなものだったと私は思っています。ソ連からの核攻撃の恐怖がないかどうか、常にウォッチしておかないと不安だったろうと思います。コロナ禍が牛の涎のように続き、私の場合はより一層、マスメディアを遠ざけるようになりました。新聞や雑誌なども一文字も読まなくなりましたし、ネットでも新聞や雑誌の記事は最初から読みません。今日散歩がてら久しぶりに新刊書店に行ってみたら、売られている新しい本のシャビーさに、改めて驚きました。活字文化の衰退が加速しています。 時間配分やつきあう人は、会社を辞めて通勤がなくなることで、かなり変わりました。せっかくなくなった通勤時間に、朝のワイドショーを観てしまってはもったいないと思います。現場に行かないと、仕事した気にならない、その先入観そのものがもしかすると間違っているのかもしれません。 改めてステイホームの結果変わった生活によって実感するのは、あらゆる情報がもはやオンラインで手に入るということです。古い仕事観では、情報は一部の人が持っている貴重なもの、という前提がありましたが、いまはそんなことはありません。手にいれることのできる情報の質やスピードは、大企業であろうと個人であろうと実は大差ない気もします。 むしろ大企業のほうが、ステークホルダーが多過ぎて、政治に気を取られるばかりで、情報をまともに読解できていないことさえあります。情報の質や量よりも、それを独自の視点で読み込んで、いち早く行動に移せるかどうかが、ビジネスにおける勝負の分かれ目になっています。 大きな会社であればあるほど、まともな課題設定が、できなくなってきています。私が社会人になった頃から「マーケティング」って、ある程度規模のでかい市場に、あとから参入する時の差別化という名のチートを考えるだけの、超絶ブルシットジョブに既になってました。そんなものは、マーケティングでもなんでもないのです。インターネットによって、課題設定の民主化が起きています。クローズドな情報に気を取られて、正しい課題解決ができなくなっている企業がたくさんある一方で、インターネットと正気のインテリジェンスがあれば誰でも、鋭い課題設定ができる時代です。 何事も実は、シャープな課題設定さえできれば、解決できたも同然なのです。現在の政財官学マスメディアは、課題設定そのものができずに、重くなった図体が少しずつぬかるみにめり込んでいます。

2021-02-13 20:02:15

産業軍事型社会と体育会系の終わり

旧正月は、やはり春を感じますね。月と太陽、どちらが私たちに近いのか、はい、月に決まっています。本来は、人類が冬に打ち勝った証としてのお正月なのです。西暦の元日、つまり一番寒いときにお正月やってる日本人は、頭がおかしいと思います。明治からそういう気狂い沙汰を見過ごしたまんま、考えることを止めて繰り返してきたことが、いまの狂気を招き寄せているのです。 東京五輪は、コロナ禍よりも先に舌禍によってご臨終となりそうで、残念ですね。そもそも東京五輪なんて、まやかしからはじまったクソ興行でした。2013年の招致プレゼンを改めて観ると、なにもかもが嘘で悲しくなります。もはや近代五輪そのものが、廃墟と成り果てているのかもしれません。私に言わせれば、アスリートそのものが、人権問題だと思います。大衆の見世物でしかないものに、人生をかけるアホらしさしか感じません。 日本の場合、スポーツそのものが、米軍に書き換えられた日本国憲法によって、武力戦争ができないというインポテンツのハケグチとして、必要のない精神化の道具になってきました。敗戦後の日本を産業軍事型社会と名付けたのは上野千鶴子ですが、いい名前です。産業兵士は体育会系が独占してきました。端的に言えば、スポーツの政治利用です。体育会系そのものが、屈折した軍隊です。政財官学マスメディアは、産業兵士としての体育会系の残骸です。森喜朗そのものが、老いた産業兵です。バカな大将は、コロナ禍よりこわい。私が朱子学カルトの社会人だった頃、採用面接を担当したときは、体育会系をことごとく不合格にしておきました。よかったですね。 アメリカ人の熱狂しているものに、ろくなものはありません。おそらくは数百年後には、誰も見向きもしないことばかりです。冷戦後のオリンピックなんて、サマランチの売り抜けた残り物を、電通が買い取らされて不良債権処理させられているだけのものです。清和会文教族の筋ワル利権としてのオリンピック崩壊とは、自民党そのものの腐敗過程と完全にパラレル、並行しています。 トヨタもキヤノンもパナソニックも、もはやオリンピックどころではありません。多くの巨大企業がこれに懲りて、オリンピックスポンサーから降りるだろうと思います。スポーツの政治利用そのものが、もはや忌み嫌われています。プロパガンダだと嗅ぎ取られた時点で、完全にスルーされるのです。特にジェネレーションZにしてみれば、老人ばかりが前に出てくる政治というソリューションそのものが、ブルシットつまり欺瞞そのものに見えているのではないかと思います。 政治、経済、スポーツ、文化、社会、テレビ…このカテゴリーは、昭和から平成までの新聞紙面のジャンル分けですが、この分類が無意味化しています。ニュースのあと急に元気で明るくスポーツコーナーになるテレビの報道番組クソフォーマットが終わっています。経済やスポーツ、文化こそが、本質的な意味では現在形のどす黒い政治そのものです。体育会系が経済において偉そうにしてきたことそのものが、そのことを物語っています。全共闘世代以降は、音楽やスポーツ、文化、グルメ、マスメディアこそが、ブルシットな政治そのものにすり替わりました。小泉純一郎が貴乃花に「痛みに耐えて、よく頑張った! 感動した!」と絶叫したのは2001年ですが、あの頃はもうとっくに、スポーツはたちの悪い政治そのものでした。 すべてがクソな欺瞞となった政治、経済、スポーツ、文化、社会、マスメディアから、パーソナルのディスタンスをしっかり取ることが、これからの生きる道だろうと思います。経済をまわすというクソ政治、感動のコモディティ化を極めるスポーツ政治、松任谷由実のノーサイドでスポーツと音楽の融合された国威発揚を狙う音楽文化クソ政治、どれもこれも反吐が出ます。私だけでしょうか?

2021-02-12 17:16:40

時間へのイニシアチブを取り戻そう

スマホは身体のどこに一番近いかと言えば、人によっては胸ポケットかもしれませんが、多くの人はパンツやジャケットのポケットだと思います。女性はもっと遠く、バッグのなかにあるかもしれません。まだまだ身体へのアクセスはよくありません。私はソニーのスマートバンドをつけていますので、スマホへの着信が腕からバイブで伝わってきます。つまりブルートゥースというバイパスで、スマホをより身体に近い場所に常駐させています。スマホよりもスマートウォッチは、身体に近いと言えます。あるいはAirPodsをつけて歩いていれば、両手を使わずにコンピュータと意思疎通できます。腕よりも耳の穴は、更に身体に近いロケーションです。 耳の穴はもはや少しだけ身体の中です。メガネ型のウェアラブルデバイスよりも、AirPodsのほうが身体により近いのは、視覚よりも聴覚のほうが、直感的に意思疎通できるからです。パーソナルコンピューティングは、ポケットから腕へ、腕から頭部へと少しずつインナーボディへと近づきつつあります。 AirPodsはイヤフォンというよりは、パーソナルコンピューティングデバイスです。もうほとんど体内に入りつつあります。Appleにしてみれば、iPhone12ミニの失敗なんて、屁みたいなものです。彼らがいま最も稼いでるパーソナルコンピューティングデバイスは、AirPodsです。 ビッグテックは、無遠慮に、どんどん脳の中へはいり込んできます。覚醒剤に依存すると、電波や頭の中へと闖入してくる人工物に、己がコントロールされるという妄想を持つみたいですが、スマホやAirPodsは、ドラッグと結果は同じとは言いませんがかなり近いと思います。 ビッグテックは手を変えシナを変え、脳みそに密接しようとします。日本の情報通信産業の敗北は、それらのデバイスと電話回線をつなぐ単なる土管でしかなくなったので、衰退のスピードが加速しています。よかったですね。 ブラジルのアモンダワ族には、時間という概念がほとんどありません。昼と夜、雨季と乾季しかないのです。つまり人類にとって時間とはさほど根深い感覚ではありません。現代のビッグテックは、時間をコントロールして、それに飽き足らず、時間と人脈、時間と製品、時間とサービスを新たに結びつけようとしています。リモートワークは、時間をキーとして、あなたのクソ上司の動画や声を、あなたの部屋へと映し出しています。コロナ禍前には、クソ上司は、オフィスや得意先にしか存在せず、あなたの家の中にはどう逆立ちしても入ってこられなかったはずです。 もしかするとコロナ禍はビッグテックによる陰謀なのかもしれません。クソ上司の声はAirPodsを通じてあなたの身体の中へとはいり込んできました。マイクロソフトにせよGoogleにせよ、スケジュール機能という時間制御をキーとして、ありとあらゆるコネクションを、怒涛のように推し進めつつあります。 時間の管理を、マイクロソフトやGoogleから奪い返したほうがいいのかもしれません。このまんま行くと、クソ上司の脳内常駐スペースが出来上がってしまうかもしれないのです。ビッグテックのスケジュール機能を使うのをやめてみました。紙の手帳です。紙の手帳でさえ19世紀にイギリスで生まれた、極めて歴史の浅いツールです。手帳すら必要のない仕事が、理想です。せいぜい部屋のカレンダーにメモしておけば足りる程度の仕事を生業としたいです。極論ですが、同僚とコミュニケーションしなければならない仕事なんて、やらないつもりです。エンドユーザーとだけ、やり取りして完結する仕事しかこれからは、しないつもりでいます。その為に会社員を辞めたのです。

2021-02-11 17:33:07

時給や月給ではない稼ぎ方を探している

メルカリで要らないものを売ったお金から、そのまんまメルペイの電子マネーで、生活に必要なものを買って生きているので、最近キャッシュが丸で減りません。要らないものが実際に売れて消えていく快感は、テトリスで4列一気に消すことができたときの快感に近いと思います。 要らないものを売るだけじゃなくて、農産物や加工食品、あるいは手作りの雑貨なんかもメルカリで売っている人がいます。顧客どうしのeコマースですね。でもメルカリに手数料が10%引かれてしまいます。当たり前ですがメルカリを抜いていきなり直取引ができないようにはなっていますが、やろうと思えば2回目の取引からは中抜きへ誘導することはできますので、魅力的な商品さえあれば、まずはお試し需要獲得の手段として、メルカリを使うのも良いかもしれません。次からはこちらがベストレートですって、自前のコマースサイトを知らせる手紙でもいれればいいわけです。 いかにプラットフォーマーをぶち抜いて、直接取引できるようにするか、手数料を支払いたくないという気持ちは、これからもますます強まると思います。いわゆるアップル税は、アプリの購入金額の30%をアップルが徴収し、開発者らに同社の決済システムを使用することを要求し、アプリ内課金やサブスクリプション費用からも同じ料率の手数料を徴収している、とありますが、3割の掠め取りは、かなり阿漕ですね。 これからもますます、私達には、グローバルなプラットフォーマーからの税金と、国民国家からの税金がダブルでかかってくるようになるでしょう。朝廷と武士から税を二重取りされていた鎌倉時代の農民みたいです。私は、アップル税なんてびた一文支払う気はありません。手数料なんてのも可能な限り、払う気ありません。証券とか投資信託も、結局は手数料が安いところしか残りません。ありとあらゆるコミッションやフィーが、これから取りにくくなってくると思います。政財官学マスメディアのほとんどは、無用な手数料そのものなので、絶縁するしかありません。 会社員やめて、私はコンサルタントにはなりたくないのです。タイムチャージで請求しても、私の労働時間とマネタイズなんて、たかが知れてます。すぐに限界の来る、そんなお金儲けをするくらいなら、最小限の労働だけして、あとはフラフラしていたいと思います。金輪際、時給や月給で稼ぐのが嫌なのは、働いている時間の態度やプロセスを、雇い主や顧客に、ちくちく監視されるからです。 元気に明るく、ちょっぴりエッチ、しかもとことん謙虚でなければすぐに、サボってる、カネ返せ、となります。はたを楽にするのが働くということ論者から、ものすごく叩かれます。働くことそのものが、時代遅れになってきました。アルコール飲まないと、必要なカロリーも減って、そんなに稼がなくても良くなります。 トーチリレーという会社は面白くて、コーチングでもなく、ティーチングでもない、トーチングという、人の心に火を付けることをナリワイとするサービスです。しかもそのトーチングは無料です。目標が見つからなかったり、目標はあるけれど「悪天候で、心の火がくすぶって」いたりする人に向け、手を差し伸べ、背中を押す仕事、と紹介記事にありました。 トーチングは無料で、トーチングで得られた知見を月千円のサブスクでオンライン配信するビジネスモデルです。 おお、これは時間による収益の限界がすぐに来るコンサルのモデルを越えようとしているなと、その戦略に注目しています。これはいわば課題解決の民主化ですね。いろいろな人が心に火のついた体験を、理論的には無限コピーしてお金にするという発想が素晴らしいと思います。

2021-02-10 19:08:00

米国がカルトに勝った証としての東京五輪不参加

東京都内に住んで、毎日同じような場所をぐるぐる散歩していると、トレンドのようなものが見えてきます。 町の飲食店がどんどん廃業して、その代わりに調剤薬局ができたのは2、3年前のことだと思います。 或いは街のあちこちに、 総合式場という名の、葬儀場がどんどん建設されたのも同じ頃の出来事だと思います。 総合式場と葬儀場、 音は似ていますが意味は違います。 こういう詐欺まがいの日本語を専門に考える人がいるのだと思いますが、 コロナ禍で葬儀場も全然儲かっていないようです。投資した人、良かったですね。 お葬式も出席者を絞る傾向にあり、利益率の高いオプションが選択されないのだと思います。数年前から調剤薬局や葬儀場が、雨後の筍のように建設された背景には、団塊世代の高齢化があります。銀行にお金を預けても、金利なんてほとんどつかないわけですから、団塊世代がこれから確実に、たくさん病気になり、たくさん死んでいく、その老病死苦八苦を商機として逃さない、極めてリスクの低い調剤薬局であり葬儀場だったわけです。 コロナ専門になっている病院の近くの、 調剤薬局は調剤の需要が低下したり、コロナの疑いのある病人が薬を求めてやってくるのが嫌なので、お店を閉めてしまった薬局が多いです。投資した人、残念でしたね。 日本人は病的に、損切りが下手です。このごに及んで、東京オリンピックを本気でフル開催しようとしている政財官学マスメディアの皆さんを見れば、そのことは明らかです。 米国のバイデン大統領が、東京オリンピックへの米国選手の派遣は、科学に基づいて行うとコメントしましたけれど、サンクコストの考え方や損切りと言う考え方は、どちらも科学に基づいています。バイデン大統領が己を科学に基づいた政権であると言っている背景には、 Qアノン、つまりカルトを許さない政権だという意思が込められていると思います。 バイデン政権にとって緊急かつ最も重要な敵は、中国やロシアではなく、ホームグロウンのカルトです。 東京オリンピックへの参加不参加の判断は、国内のカルトに屈しないシグナルとして、利用されると思います。 つまり不参加です。ぜんぜん打ち勝ってもいないのに、どんなことがあっても、オリンピックを開催すると言明している、日本人はカルトの仲間だと考えられていると思います。 と言うか、アメリカ人は日本のことを昔からずっと、不気味なカルトだと思っています。アメリカ軍が日本のカルト性にビビったのは、1944年のペリリュー島の戦闘だったと思います。彼らはそこから火炎放射器を多用する戦い方になりました。この戦闘が、本土空爆を急ぐ動機となったと思います。 米軍がなぜ原爆を投下したかといえば、 日本がカルトだと認識されていたからです。カルトには科学で対抗するのが、米国流なのです。 日本の高齢者が、新型コロナウイルスに感染するのを恐れて、病院にあまり行かなくなったり、アクティブな行動を控えたりすることによって、より一層、高齢になればさけることのできない四苦八苦の規模とスピードが加速していると思います。 ついこの間まで人生100年時代とか、年金が2千万円足りないとか言っていたのが嘘のようです。当たり前ですが新型コロナウイルスはコロナウイルスだということがよくわかってきたので、変異のスピードが速く、ワクチンの効果が長続きしないために、集団免疫が達成しにくい、ということが分かり始めてきました。 バイデン政権だけではなく、多くの国民国家は、中国や台湾やニュージーランドのような、科学的かつ徹底的な封じ込め戦略に収斂していくと思います。COCOAというクソアプリに3億円かけた厚生労働省のような日の丸アイヒマンは、一体いつまでそのカルト性を維持できるのか、戦前から続く彼らの狂気のカルト性は、まさにいま試されています。

2021-02-09 18:57:12

ホモソーシャルにおける会議と儀礼の違い

このコンテンツは、徒手空拳日記というブログを、読み上げたものです。 2021年2月8日月曜日 会社員を辞めて、アーリー・リタイアしたつもりはないのですが、かといって、これからガツガツ働く気もないので、 この状態はなんなのかといえば、夏目漱石の「こころ」に出てきた先生のようなものかもしれません。彼は高等遊民でしたが、私は劣等遊民です。「こころ」って、戦後日本が豊かになって、敗戦後の価値観から明治時代のレガシーを見つめ直したときに、新潮社などが強烈に推し始めて、有名になった小説で、戦前はあんまり評価されていなかったと聞いたことがあります。 こころは、女嫌い、ミソジニーについての小説だと思いますけど、いかにも近代の自我などというインテリの衣を着て、結局は女性という存在を排除して、男どうししか共感できないホモソーシャルを、軍隊ではなく経済でつくろうとしたのが、敗戦後の鬱屈したミソジニーではなかったかと思います。武力ではないホモソーシャルを肯定する素材として、夏目漱石のこころは、特に団塊の世代以降の朱子学カルト教徒に向けて、強力にプッシュされました。 徒手空拳の私からすれば、ホモソーシャルやミソジニーなんてくだらないと思っており、ミザントロープ、つまり人間嫌いくらいまでいかないと、自由は得られないのでは、と思っています。女がいると会議が長くなるのではなく、そもそも会議っていう言葉がおかしくて、会議ではなく儀礼だと思います。日本の政財官学マスメディアが毎日、オフィスだろうとオンラインだろうとひたすらアホみたいに続けているのは、会議ではなく、儀礼です。meeting ではなく、riteです。ロングマンで調べると、 a ceremony that is always performed in the same way, usually for religious purposes 通常は宗教的な目的で、常に同じ方法で行われる儀式とあります。森喜朗が日々なんちゃら会長や、なんちゃら名誉顧問として体験しているのは、会議ではなくホモソーシャルな儀礼なのであり、儀礼であれば常に同じ方法でなければ意味がありません。わきまえている女性というのは、男性によるホモソーシャルな儀礼を壊さない女性のことであり、儀礼を求めている人と、生産的な会議を求めている人は、最初から最後まで相容れません。それだけのことです。 日本で会社員を辞めるということは、儀礼主体の宗教的な社会を降りるということです。日中の儀礼と、仕事が終わってからの会食儀礼は、常に相互補完的なセットなので、酒を飲みながらの会食儀礼がコロナ禍でできなくなっている朱子学カルトは、相当機能不全に陥っているのではないか、と思います。よかったですね。 アーリーリタイアとか、アメリカの概念ですから全然当てはまりません。日本のクソな会社辞めて手にいれられるのは、不気味な宗教者たちとの絶縁です。マルクスに言わせれば、宗教はアヘンですから、会社を辞めるということは、依存からのサバイブでもあります。男の嫉妬は女の呪いの百倍恐ろしいなどと言いますが、大日本帝国ミソジニスト教会は、コロナ禍によって千倍速で劣化しつつあります。朱子学カルトに見切りを最初につけたのは、外人です。シリコンバレーや深センにぞろぞろおっさんだけでやってきて、何も決めずに飯だけ食って帰っていく不気味さが嫌われました。次に見限ったのは若者です。先輩を見て、明日は我が身と思うと速攻で辞めていきます。そしていま女にも見限られていて、日本の朱子学カルトは取り残されたおっさんだけになってしまいました。本当によかったですね。彼らの死に様もまた無様です。 以上、本日も最後まで、誠にありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2021-02-08 19:31:53

陰謀論先進国より愛を込めて

散歩の語源は、三国時代に中国の貴族が、いまで言うドラッグの毒を発散させるために歩きまわることを、散歩と呼んだからですが、散歩そのものにドラッグのような快感があるような気もします。ドストエフスキーの小説で、うだつの上がらない小役人が、サンクトペテルブルクの運河をやたらと散歩していたりしますけど、散歩はなんの道具もいらないし、お金もかからない上に、考え事、物思いにもぴったりで、いいことだらけです。 思いついたことはSiriでiPhoneのメモ帳に残したり、ICレコーダーにトラックマークを付けて残しておきます。ビジネスレターなんかも、デスクで音声入力で荒削りなものを書いて、それを忘れて散歩に出ると、自然と構成や文章がはっきりして、結局は一度放り出したほうが捗ると思います。 Netflixのブレイキング・バッドは、うだつの上がらない化け学の高校教師が、ステージ3の肺がんになって、家族にお金をつくるために、化け学のスキルをつかって質の高い覚醒剤をつくるお話ですけれど、ブレイキング・バッドというのはアメリカ南部のスラングで、道を踏み外す、といったニュアンスの意味のようです。83歳のご高齢になっても、なんちゃら会長やなんちゃら名誉顧問をやってる森喜朗も、もっとご自身の燃えるようなブレイキング・バッドを、お元気なうちになすべきだと私は思います。 不治の病になってから、道を踏み外すよりは、まだまだ肉体が元気なうちに、朱子学カルトとおさらばしたほうがいいと思っています。この国のあらゆる問題の本質は、私に言わせれば、政財官学マスメディア社会人男性に共通する、カルト的自己喪失にあると思います。それも徹底的な自己喪失です。Twitterで日本人が日本語でツイートしているアカウントのなかに、かなりの数、ドナルド・トランプの顔をアイコンにしているアカウントがあります。QアノンならぬJアノンなどと呼ばれますが、なぜ彼らのような日本人が、ボウフラのように集団発生しているかといえば、体質がアメリカ人よりもはるかに、カルト向きなのです。日本人はアメリカ人よりも30年も早くぶっちぎりで、世界を震撼させるカルト事件を起こしています。一億総カルトと言っても、過言ではないと思います。 昨年の大統領選挙がほとんど決着してからも、熱狂的トランプ支持者がしつこく言っていたことは、1990年に麻原彰晃が言っていたことと、とてもよく似ています。日本は陰謀論の先進国なのです。オウム真理教は、1990年2月に、衆議院選挙に麻原と信者25人が立候補し、全員が落選しました。麻原は己のトップ当選を予言していましたが、全員落選となるや「これは国家による陰謀だ」と主張し、これがのちの教団の武装化のきっかけとなったと言われています。1990年以降の彼らの妄想は、2020年にトランピストたちが信じたディープステイト論と驚くほど似ています。1995年の地下鉄サリン事件は、霞が関を標的にした地下鉄3路線のテロでしたので、アメリカ連邦議会襲撃と、政治の中枢を狙うという意味では同じです。 私に言わせれば、オウム真理教も霞が関の高級官僚も、カルトという意味では変わりません。オウム真理教は、グルを頂点に行政官僚制をなぞったヒエラルキーの階級システムをつくり上げていました。ホーリーネームという匿名のお立場と、国家権力への敵愾心と、そして徹底的な陰謀論による洗脳の根底には、自尊心の喪失があります。 最近の日本人は、オウム事件とトランピストとの類似性をすっかり忘れて、丸で他人事のようにアメリカの分断などと対岸の火事モードですが、そもそも日本が、ぶっちぎりのカルト先進国なんだよ、インターネットやスマホどころかまだテレビもない時代に、鬼畜米英なんて、荒唐無稽な陰謀論が止まらなくなった国が、日本だったことを、改めて言っておきたいです。日本はそういう国だって、とうにバレています。

2021-02-07 20:26:37

YouTubeプレミアム無料体験でGoogleのEVILを思い知る春

Google関連のデバイスを買った特典で、3ヶ月間You Tubeプレミアムが無料で使えるので、試しているのですが、音楽が聴き放題なのに加えて、超絶うざい広告がいっさい消えてなくなることが清々しすぎて、3ヶ月でやめられるかどうか自信がなくなってきました。 昔のNHKも、広告がないことが、実は大きな価値でしたけど、いまとなっては番組そのものが政財官学マスメディアの広告みたいになってしまい、もはやなんの価値もありません。You Tubeプレミアムは更に、バックグラウンド再生ができるのも、便利ですね。私はYou Tubeの音声だけを、いつも歩きながら聞いていたのですが、広告やミスタッチで再生が寸断されるクソUIは、プレミアムへのアップグレードを狙ってわざとやっているわけで、その精神は邪だと思います。 固定費は泥棒、サブスクも泥棒というのが、私の揺るぎない定見ですので、無料お試しの3ヶ月直前で、再び元の無料に戻すと思います。私はそもそも人気のYouTuberの動画を、ぜんぜん面白いと思わないので、どうでもいいのです。再生回数で広告費を稼ごうとしているあらゆる動画コンテンツのことを、どうでもいい、明日なくなっても構わないと思っています。再生回数目当ての強欲な動画を、広告なしで見られる価値が、私にとってはさほどでもないということなんだなと思います。 偏差値や受験者数を上げるために必死の大学とか、乗降客数を一人でも多くするために駅なかを血眼になって経営するポッポ屋とか、視聴率を上げるためにタレントを使いまくるNHKとか、これみんな、コモンズを私的に商売に使っている時点で、間違っていませんか? 学校も、鉄道駅も、公共放送も、費用対効果を問う必要なんて、そもそもありません。いつの間にか、何でもかんでも金儲けのものさしで測られています。 気づけば人間までコストとみなされています。だから、リモートワークでコミュニケーションが不足しているから、なんていう嘘の理由で、従業員を自宅で終日監視するクソなソリューションをぶち込まれています。 2018年には、日本国の行政組織が、本来雇用しなければならない障害者を実は雇用しておらず、虚偽の実績を報告していたことがバレました。これは要するに、経済合理性で彼らを邪魔扱いして、国家ぐるみで彼らの雇用機会を奪っていたということです。森喜朗のセクシズムよりももっと組織ぐるみ、国家ぐるみで、障害者差別を続けてきたわけで、これは明らかにオリンピック・パラリンピック精神に反しており、この国でオリンピック・パラリンピックを開催することが、はなから笑止なのではないかと思います。 緊急事態宣言がもうひと月延びたのはカタチだけで、13日の改正法施行すぐに、緊急事態宣言を解除して、「まん延防止等重点措置」という訳のわからないステイタスへ格下げするはずです。オリンピックをなんとしてでもやりたい盲目の政財官学マスメディアとしては、一日も早く、英語にするとEmergencyのつくいまの状態をやめたいわけです。逆に言うと、ただそのプロトコルのためだけに、今年の国会は動いているということではないかと思います。数ヶ月前にかいた絵で動いているわけで、感染状況や軽はずみな舌禍など突発的な変化に丸で対応できないのは、太平洋戦争末期と同じです。この国、またまた終わっていますね。 こういったしょうもない世相で、私は何をなすべきかと言えば、金儲けと全然関係のない時間と空間で、ひっそりと生きていくことです。底が見えるまでひたすらじっとしています。仕手筋の株価吊り上げが目立ってきました。バブルは常に、いまがバブルだと誰も言いません。バブルがはじけてババを掴むのは古今東西常に、バカと貧乏人です。

2021-02-06 19:21:41

現金しか使えないけどDXがわかっている一蘭とそれ以外について

私はいつも、白菜、しいたけ、にーんじん、季節のお野菜でサッポロ一番というプラットフォーマーに依存しない、セルフのタンメンをつくりますが、乾麺の量は30グラムに固定しています。身軽、気軽、胃がるの3つの軽みを大切に暮らすのが、徒手空拳だと思っているのです。そのせいか地上波のフードポルノを、一切受け付けない身体になりました。ピロヤンは、なべもサッポロ一番の味噌味粉末スープで味付けしていて、本当に資本主義の犠牲者、単なる考えなしだなと思いますけど、それがウリなので仕方ありません。 街にはたくさんのウーバーイーツの配達員がいますけど、コロナ禍で競争過多になっている巷のお弁当にも、なかなか手が伸びません。油、塩、砂糖が多過ぎるからです。 最近は、ホームランをまた打つためにダイエットに取り組んでいる清原と同じで、一日を5食に切り分けて、胃を小さくしています。食べないことが、ステイホームのベストウェイだからです。いつもお腹がすいていたほうが、頭がスッキリします。空腹もほとんど気のせいで、しばらくやり過ごしていると食べなくても気になりません。おそらくは一日3食という常識に、そもそも意味がないのではないかと気づきました。 お酒も飲まないので、食べることにほとんど時間がかかりません。そうなるとますます時間に余裕ができます。欲望とはもはや一年に数回、一蘭のラーメンが食べたい、くらいでしょうか。アラフィフ無職Youtuberの質素な食事をベンチマークにして、それよりもっと質素にしていきたいです。 一蘭って、20年前くらいに六本木ではじめて食べて、あの頃もうすでに、セルフサービスと間仕切りのある店づくりの形が出来上がってましたけど、あの頃は単なる変な店扱いでした。でもいまや、コロナ禍で全てのお店は、一蘭を追いかけています。先見の明ですね。彼らはマーケティングの組織能力がとてつもなく高くて、そのエクセレンスが私は大好きです。 一蘭も、おみやげ一蘭という名前で、持ち帰り用のラーメンを売っているのですが、基本的にはネットもリアルも、自分の店で売っています。例外的にドン・キホーテなど、インバウンドのお客さんにとって意味のあるお店だけは、売っています。彼らが素晴らしいのは、セブンイレブンとか、Amazonなどのプラットフォーマーに全く依存していないところで、単価の安い商品なので、自前リソースによるバリューチェーンは、本当に大正解です。 松戸の中華蕎麦とみ田とか、蒙古タンメン中本は、セブンイレブンや日清食品にかなりぶっこ抜かれるので、たいして儲からないはずです。お客さんも結局は、プラットフォーマーによって製造や販売で徹底的にコストを抑えられるために、量も質も抜かれたしょぼい商品を買わされていますし、全体としていっちょかみ業者に少しずつお金を吸い上げられているので、俯瞰すれば誰にとってもいいことありません。 ガーファなどと言われた巨大プラットフォーマーの全盛期は、もう過ぎたのではないかと私は思います。Netflixもいきなり値上げされましたが、ビッグ・テックとの関わりを下げていくことに楽しみを見出していかないと、明るい未来はないと思います。ヒトシンセイの「資本論」ではないですが、身近なコモンを豊かにしていくライフスタイルへと、世界はこれから変わっていきそうです。 とは言いながら、Netflixはぶっちぎりで面白いですし、Googleも便利です。いいとこだけチェリーピックする、ライフスタイルやライフラインのポートフォリオみたいなものをハックしていく、そういう心構えが求められています。ど田舎に住んでNetflixを観るとか、AmazonのKindleアカウントをシェアして新刊やまんがをまわし読むとか、小さなリアル共同体とビッグテックのマッチングを工夫していくことが、これからの新しい生き方になるかもしれません。日本企業っていまだにウェブ2.0で止まっていて、そんな彼らの自称デジタルトランスフォーメーションは、かなりやばいと思います。

2021-02-05 20:54:20

カルト組織に隷従することの絶望

なんか最近、偉そうな老人の男の、フガフガした日本語を聞く機会が増えてきました。何を言ってるか聞き取れません。フガフガしていることに、彼らは自分で苛立って、余計に聞き取りにくくなります。フガフガ、イライラしていて、その場で白目を剥いて卒倒してしまうのではないかと、不安になります。 森喜朗は83歳なんですね。もしもコロナにかかったら、一発で死んでしまうかもしれない年齢で、なんちゃら会長やら、なんちゃら最高顧問やら、お立場ご身分の空疎な組織ごっこ、仕事ごっこを今日もがんばって続けているところは、スゴイなと思います。平たく言えば、ようやるわ、です。明日死ぬかもしれないとすれば、私ならもっと別なことをするだろうなと思いますけど。 いまさら彼の言動について、どうこう言っても仕方ないかなと思いますが、私がこういうときどうしても気になるのは、森喜朗の側で、なんやかんやと彼のお膳立てをしている顔の見えない朱子学カルトの皆さんなのです。釈明会見を取り仕切る司会の人とか、その人の価値が差し引きマイナスになってもしょぼい立場にこだわっていて、虚しくはないのかなと思います。 森喜朗からお立場ご身分を引いても、腐っても鯛、まだ森喜朗という人物の価値そのものが少しは残りますが、まわりの事務方のみなさんなんて、お立場ご身分を差し引いたら、完全にマイナス、債務超過です。 つまり、顔のない朱子学カルトは、帰属している朱子学カルトの組織がコケると、個人としての価値がいきなりマイナスということです。なんの価値も残っていません。サラリーマンってやめてみるとはっきりわかりますけど、滅私奉公がもはやディールとして釣り合わないと思います。日本が成長しているころは、そのうち自分もあのお立場に行けそうなので、確かにいいことだらけだったかもしれませんけど、いまとなってはもはや、楽しくも正しくもないのに、生殺与奪権だけを握られちゃったまんま、組織の論理をすべて受け容れるなんて超絶割が合わないなと思います。若い人が、日本の組織を見限るのはシンプルに、それが損な取り引きだからだと思います。東芝とか東電とか電通のような国策組織とか、東日本大震災以後の10年で、本当に無価値化しました。彼らは無価値化をなんとかしようとして藁をも掴み、自滅が加速してしまっています。 レイシズムとセクシズムはポリティカル・インコレクト、口にした瞬間に秒殺です。多くの年老いた日本人は、まだそのことがわかっていません。ジュネーブが動き出す頃には、辞任やむなしとなるのではないかと思います。マラソンが問答無用で東京から札幌に変えられたことを、いまこそ思い出しましょう。オリンピックとは、フランスの知財でしかありませんので、東京五輪大会組織委員の会長なんて、エルメスと高島屋社長の関係みたいなもんです。完全に非対称の、上下関係でしかありません。 森喜朗の謝罪会見という名の単なる逆ギレ会見は、コンテンツとして鉄板の面白さで、英語の字幕がついて世界に広まってしまうと思いますが、こんな面白い老人を野放しにしている、大会組織委員会のマネジメントが120%悪いと思います。権力や組織に汲々として、不作為によって利益をゼロにして、なにもかもを台無しにしていることの薄ら寒さは、この国の宿痾そのものですね。 人々の気持ちは、流体力学みたいなものですので、こうした舌禍によって一気に潮目は変わります。世界の人々が、日本の政財官学マスメディアに残る不気味なセクシズムに、厳しい評価をするだけでなく、不条理なコロナ禍にあえぐ日本人の潮目もまた、大きく変わることとなりそうです。政財官学マスメディアの権威が失われて、うまく回らなくなります。日本人はいざ上を見限ると、しつこいです。次の言葉を思い出します。 会社で人事に関するごたごたが起る時、その原因の大半が若い社員の上役に対する反抗、それも信じられぬほど徹底的な反抗にあることを久国は、いやというほど教えられていた。『家族八景』筒井康隆

2021-02-04 20:32:02

理不尽さにおいて洗練を尽くす人々

高校によっては、在宅のリモート学習でも、自宅内で決められた制服を必ず着るようにしなさいという、これまた朱子学カルト爆裂のクソルールがあると聞いて、やっぱりなあ、絶対にそういう気の狂った教師がいるはずだと思っていました。政財官学マスメディアの間抜けな不手際によって、コロナ禍も丸々一年続いているので、高校生だけでなく、社会人のみなさまも、高校生と大差のない発狂の監視システムに置かれつつあるようです。 要するに、9時から5時までは、あたかも会社にいるように四六時中、上司の監視下に置かれるということで、昨年春の、緊急事態宣言によるどさくさ紛れの自由裁量は、どんどんなくなって来ているようです。体温の報告、体調の報告、勤務開始の報告、休憩の報告、勤務終了の報告などなど、要するに社員はサボっているに違いないという性悪説に則って、労働者をリモート監視するシステムに、少しずつ変わりつつあります。 会社によっては、これが我社のデジタルトランスフォーメーションだ、などとほざくたわけも、たくさんいるみたいです。こうしたブルシットなリモート監視は、政財官学マスメディアの朱子学カルトがアホだから止めどなく進むのではなくて、従業員を生かさず殺さずにふるいにかけて、管理者にとってラクで有利な揺るぎないガバナンスを実現するための、二度とない絶好のソリューションなのです。生産性なんて二の次、とにかく下々を、生かさず殺さず支配し続けるための、統治の技法でしかありません。 雇用は維持してやるかわりに、だいたいの朱子学カルト社会人では給料は下がりますし、リモート監視もより一層理不尽なものへと、洗練されていくのです。ブルシットの欺瞞は、バカだから煩雑かつ冗長になるのではなく、狡猾だからこそ、理不尽さやくだらなさにおいて、とどまることなく洗練されていくのです。彼らはバカなのではなく、頭がおかしいのです。 ヒエラルキー型の組織において、中間層はありとあらゆる手段によって、利潤を薄くあまねく吸い取られます。一人から百万円吸い上げたらすぐに見つかって怒られますが、十万人から10円吸い上げるのは、とても簡単です。政財官学マスメディアは、そういうマッシヴな掠め取りによって、明治維新からいままで生き延びているのです。 大阪府のコロナ陽性患者に宅配されるお弁当が、あまりにもワンコインどんぶりみたいでしょぼいので、その投稿内容がSNSで話題になっていましたが、なんでしょぼくなるかといえば、一食につき1500円の税金予算から、たくさんのピンハネ業者が、少しずつ掠め取るからです。そういった業者は、表向きは公募で集められていますが、書類を書いて表向きの手続きさえ踏んでおけば、いくらでも掠め取る技法があります。この国が成長をやめてから、30年かけて磨き上げられてきた吸い上げるための巧妙なシステムですから、末期のソビエトや東ヨーロッパと殆ど大差ないと思います。 SNSでその中抜きぶりがバレた大阪府は、宅配のワンコイン弁当をSNSにアップするな、と通達しているようですが、当たり前のことですが、その通達がまたSNSにアップされるという、喜劇的なチクリのループが起きつつあります。舌禍やチクリが日替わりで表沙汰になるのは、まさに乱世の特徴なのです。 戦争や災害や恐慌は、一般人にとっては間違いなく悲劇なのですが、政商たる、富や権力を握る人々にとっては、その利権やチカラを伸ばすまたとないチャンスなのです。 政治屋センセーの皆さまがコロナ禍というビジネスチャンスに小躍りして、銀座のクラブで作戦会議したくなるのも当然なのです。公明党のエースが、その責めを負って、議員辞職しましたけど、こうした事件は起きたから表に出るのではなく、ただ単に握りつぶせなくて、表に出てくる訳で、これからますます破廉恥や舌禍のちくり合い、ちんころ合戦が始まるのではないかと思います。よかったですね。

2021-02-03 20:08:51

やめよ、にげよ、すてよ、いきよ

どこへ行っても、上から下まで、右から左まで、新自由主義に追い詰められた人々が、客や市民や国民から、1円でも多く掠め取ろうとするフラウドとなり、疑心暗鬼がとてつもなく息苦しいです。恵方巻なんて、存在そのものがフラウドです。みんな、ノルマ通りに稼げないと属している組織から責められるから、ズルでも詐欺でも、仕方ない、やらざるをえません。何かを買えばがっかりすることばかりで、もし満足したいのなら、何も買わないことです。ダイソーにはダイソーの、ニトリにはニトリの、失望がしっかりとビルトインされています。そういえばEvernoteがあまりにもひどいので、有料課金を解約しました。もはやライフログなんて、そもそも必要ないなと思います。 モノもサービスも、上げ底になりすぎ、期待値を盛り過ぎています。緊急事態宣言とはなんなのか、よくわかりませんが、さらにひと月伸びてしまうみたいですけど、緊急事態宣言の最中でも、モノやサービスの盛り盛りの消費ポルノを、資本主義はやたらと掻き立てます。で、実際にそれらのモノを買ってみると、ひどくがっかりすることがほとんどです。日立金属が、自動車部品や電線といった幅広い製品で、検査結果の書き換えをはじめとする不正が1980年代から行われていたことがバレてましたけど、この国のフラウドは、政財官学マスメディア丸っと、グルなのではないかと思います。徒手空拳日記とは、やめる、にげる、すてるについての考え事、物思いを書いているのですが、消費をやめるは、資本主義をやめること、つまり成長を諦める自由へとつながっています。 意味のない消費活動の中でも特に、まっさきにアルコールをやめると、高次元の自由がひらけてきます。お酒の必要な時代そのものが、終わりつつあります。コロナ禍をきっかけにして、アルコールの要らない人生に、移ってしまいましょう。酒をやめると時間が浮きます。時間が浮けば、余裕が生まれます。だいたいの人は、3日お酒をやめることができれば、すっぱりと飲まなくても生きていけます。最初のうちは飲めなくて苛立つかもしれませんが、お酒が飲めないことを我慢するのではなく、お酒が要らなくなったことで感じる心地よさに注目することが、やめるコツです。お酒が必要ではなくなると、社会との関わりが変わってきます。欲望と距離を保つことができるようになって、人間関係のストレスが軽くなります。 霞が関女子と名乗る、おそらくは若手官僚のツイートが、注目されていたので引用します。 深夜3時半にタクシーに乗って帰宅しながら考えるのは、何でこんな人生になっちゃったんだろう…ということ。もはや毎日を生き延びるのに必死で、政策のことなんて考える余裕はないし、ネガティブなことしか思い浮かばなくて、もう近いうちにこの国は終わりだなとしか思えない。(以上、引用終わり) 公務員は安定していて楽な仕事だなんて嘘です。まさに朱子学カルトの総本山、アホらしくてやっていられません。若い人であればなおさら、未来のない職場を見限って、とっとと辞めていきます。この女性も、プロフをみると転職活動中とあって、残務処理なんてせずに、いますぐ辞めてしまえばいいのに、と思います。自慢ではないですが、私なんて、完全に有給休暇を消化して会社辞めました。自分がいま突然死んだって、社会は勝手に回ります。逆もまた真なりで、このクソな社会がいま突然死んだって、個人は勝手に生きていかれます。社会がないと生きていかれないという観念そのものが、たかだかこの数百年の壮大な洗脳なのです。ルソーの言う通り、森をさまよう彼には産業も、言葉も、家も、戦争も連帯もなく、仲間の必要もなく、同じく仲間を傷つけようとすることもないのです。

2021-02-02 19:57:22

ブルシット・ジョブとは、人間を常態として萎縮させ続ける統治の技法である

私のような人間は、今思えば、会社員やっていたことのほうが信じられないのです。会社員やめると無責任かつ自由で最高で、朱子学カルトのみなさんは、下々のみんなに辞められたら困るから、会社員でいるのが普通なんだよ、当たり前なんだよという洗脳を続けているのではないかとさえ、思います。今日You Tubeで、ブルシットジョブについての討論会の動画をみて知ったのは、ブルシットジョブとは、牛の糞みたいな仕事ということですが、実はブルシットには、ひとをだますというニュアンスが本来あるのだということです。 実際に英英辞典で調べてみるとブルシットには、「特に誰かをだましたり、あなたが重要だと思わせるために、愚かなことや完全に真実ではないことを言うこと」とあります。ご立派なお立場、ご身分だと思わせるために、システムや他人や自分を欺くお仕事ごっこ、それこそがブルシットジョブなのだと腑に落ちました。つまりブルシットジョブとは、経済の問題というよりは、極めて政治的な支配の問題です。 新自由主義というと、いかにも経済の合理性を徹底的に追求していくように誤解されていますが、実は、一部の人間が権力や富を独占して、それ以外の中間層の人間には、惰性的でやりがいのない、人間の尊厳を踏みにじるような、無意味な仕事を安月給でやらせることで、その人の心をへし折るという、これは統治の技法なのです。つまりは私がこの日記で時々引用する、この言葉そのものです。 この社会の核には「悲しみ、懊悩、神経症、無力感」で横溢させ、人間を常態として萎縮させ続けるという統治の技法がある。(酒井隆史『通天閣』) 無駄を省くことなんてのは、実は建前の言い訳に過ぎず、新自由主義を通じて本当に実現したいのは、札束でうすらバカをひっぱたき、人間を常態として萎縮させ続けるという、冷酷な統治そのものなのだとわかります。 例えば、アホであればあるほど、デジタルトランスフォーメーションとは経済合理性の、実に正しい話だと素直に考えていると思いますが、末期的な朱子学カルトの日本にとって、D Xの本質的な意味は、機械化によってムダで不要な人間をあぶり出し、社会そのものを「悲しみ、懊悩、神経症、無力感」でいっぱいにしてしまおう、そうすれば、権力や富をもっともっと楽に独占できるはずだ、という考えです。 ソビエトの統治と日本の政財官学マスメディアの統治の技法は、私からすれば酷似していますが、その根底にあるのは、人間を萎縮させ続けるという統治の技法です。末期ソビエトと似たようなブルシットジョブが、日本の特にエリート層にはあちこちに存在します。例えば、三菱地所のポスターには、私なりに意訳すると、こんな言葉が書かれています。 ラグビーがブームになって、世の中のにわかどもが、軽々しくワンチームって言葉を使うようになったけど、本当に闘っている人間にとって、ワンチームとは苦しい時、キツい時にこそ使う、決して甘い、はやり言葉なんかじゃないんだよ。だから、辛くて苦しい今こそ、ワンチームなんだよ、パンピーどもはわかってんのか? 私に言わせれば、はぁ〜? 偉そうになにバカなこと言っちゃってんの? ですが、こういう意味不明の言い放ちは、ブルシットジョブの典型ではないでしょうか。ご本人どもは必死に、壮大な意味のあるふりをしているかと思いますが、このポスターに書かれていることは、システムや顧客や、市場や、自己への欺瞞でしかないように思います。ブルシットとは、欺瞞ということです。本当の辛さ、苦しさがわかっているとうそぶく階級が、己に酔いしれたクソコピーに高いカネを支払い、ブルシットジョブという自己欺瞞を仕事だと言い張っています。高級朱子学カルトセグメントと、一般人は、ますます乖離していく、新自由主義というクソ社会の未来予測は簡単です。常態として萎縮させられた人間が立ち上がり、偉そうな奴らを一掃するでしょう。米軍は日本の憲法を、そういうことができるように書き換えています。

2021-02-01 21:29:23

どこ住んだって同じ、働いたら負け、お金使わなくても全然楽しい

東京都の緊急事態宣言も、牛の涎のように、さらにもうひと月、引き延ばされるみたいですね。銀座や六本木の飲食店とか、このままほとんどなくなりますね。都内の飲食店は、ちくりあい、つぶしあいではなくて、集団訴訟で日本国を訴えたらいいと思います。公害病となにか差がありますか? 行政の不作為による損害は賠償させるべきです。悪いのはコロナではなく、遅い、疎い、頭のおかしい、政財官学マスメディアのみなさんですから。 春に向けて、ことごとくお祭りや季節の行事が取りやめになってますが、素直で生真面目なみなさんの誰もいない、こんなときだからこそ、ここぞとばかり春爛漫の独り占めも、ぜんぜんアリだと思います。自粛と命令は丸で別物です。 そうは言っても私の場合は、移動そのものがあまり好きではないので、車寅次郎のようなアドレスホッパーは体質的に無理です。どこにいても、なりたければなんにでもなれる、やりたいことはどこでもできる、そういう時代です。それなら、あんまり人との関わりのない場所に住みたいなと思います。 大原扁理さんの「いま、台湾で隠居してます」を読んでて、改めて思うのは、ネットがあればどこに住んでも大差なしということで、彼は海外に住みたいのではなく、誰にも邪魔されない環境で暮らしたいだけなのです。それがたまさか、台湾だったという順序なのだと思います。海外に住みたいとか、都市に住みたいとか、逆に田舎に住みたいといった目的地志向そのものが、消えつつあります。 目的地思考から、目的時間志向への移り変わりです。地球人のふりして住み着いている宇宙人のように、人民の海に紛れて暮らしたい、誰からも注目されないところで、石ころのように息をしていたい、そういった動機が強くなってきていると思います。これからもっとも忌み嫌われるすみかとは、日本にしか存在しない、社員寮ではないかと思います。 ユビキタスな意識が高まって、どこにいたって好きに暮らせるというマインドが市民権を持つようになるでしょう。ネットさえあれば、場所の制限はほとんどなくなりますね。昭和に成功した日本企業は、現地、現場、現物、現実といった要素こそが、競争力の源泉だと盲信していましたので、ユビキタスということがいまもまだ丸でわかりません。 だめな上司ほど、テレワーク推奨のいまなのに、矢鱈とオフィスに出張っていたりします。そして会社で働いている、やってる感をアッピールするために、ビデオカメラ表示オンで会議をしたがります。これらのおかしな現場主義、顔を見せる見せないに異常にこだわる面着主義は、あと数年以内にハラスメントになるかもしれません。 特に田舎暮らしがしたいのではなく、ネットがあればどこに住んでも一緒なので、生活コストのかからない場所に住みたい、それだけのことです。下北沢に住むのと、田舎のイオンモールの近くに住むのは、どっちのコスパがよいでしょうか。動画やサロンに忙殺されて、You Tubeから振り込まれるギャラの納税を抑えたいがためにシンガポールに住む芸人Youtuberとかは、ひとりグローバル企業みたいなものですが、彼らはがむしゃらに働くから、シンガポールに高跳びという租税回避なんていう昭和の成金みたいなことを、したくなるわけで、最初からたいして働かなければ、日本の田舎に住んだって全然豊かだと思います。 どこ住んだって同じ、働いたら負け、お金使わなくても全然楽しい…この3つさえわかっていれば、所属しなきゃならない組織なんて要らないし、命令なんて聞く必要もないわけです。組織や命令なんてどうでもいい、関係ないとする人間にとっては、緊急事態宣言の引き延ばしとはつまり、やりたいことし放題、世間さまの自粛を尻目に、それぞれがやりたいことやっちゃえばいいんです。

2021-01-31 20:12:05

華麗にスルーという高等戦術

20年前くらいの新聞のコラムで、書き手は誰だったか、すっかり忘れてしまいましたが、百貨店の店員が商品をきちんとつつめなくなったことを嘆いていたのが、印象に残っていて、それはいま思えば、平均的な日本人のちゃんとぶりの衰えの兆しでしたけど、いまとなっては百貨店そのものが、これから先はもうなくなるかもしれない、くらいの状況になっています。いまでは信じられませんが、私が学生だった頃は、元気で明るく、生真面目で努力家の多くの人が、よろこんで三越や高島屋に就職していきました。 百貨店のラッピングのように、かつてみんなが当たり前にできたことが、できなくなっていく、それを衰退と言いますけれど、20年前の百貨店の、商品をつつめない店員は、個人というよりも組織能力の衰退な訳で、昔なら日本の組織が当たり前にできていたことが、びっくりするくらいなにもかもできない、そんな時代が、この今という時代なのかもしれません。 新型コロナのワクチンに関するあらゆるダメダメぶりは、驚くべきしくじりの連続を聞いているだけで、どよーんと暗い気持ちになってしまうのは、私だけでしょうか。そもそも陰性の人にしかワクチンは打てないのですが、検査抑制しているので、感染を自覚していない陽性の人にワクチンを投与してしまうのではないかと、とても不安になります。 厚生労働省がつくったワクチンの管理システムの出来が、すこぶる良くないらしく、国はこれからの怒涛のワクチン接種のオペレーションを、地方自治体に丸投げ、2021年のいまさら、紙とペンで履歴を管理しなければならない恐れすらありそうです。船頭が多過ぎて、船が山に登るような政財官学マスメディアの劣化は、もう終わりまで止められないと思います。 日本全国の都市部で、断続的にナイトエコノミーが一年間も止まれば、とてつもない衝撃です。夜の街や飲食店が、なぜ感染源として槍玉に上がるかといえば簡単で、保健所は、感染した人に、過去2週間でマスクをしてなかった場所と時間しか、ヒアリングしないからです。政財官学マスメディアが、根拠もなくそう決めつけているから、そうなるだけで、こんなものは壮大な発狂のトートロジーなのです。 日本のエリート組織は丸っと、まともな課題設定ができないので、これからも本質的な解決ができず、ずるずると事態が悪くなっていくと思います。厚労省のワクチン接種管理システムがうまくいかないだけではなく、ワクチンそのものがまともに日本には来ない可能性が高くなってきました。日本の組織能力の底付きは一体いつでしょうか。 底付きとは、依存症でよく言われる言葉で、落ちるところまで落ちた、もう依存から抜け出すしか道はないと、本人が気づく真実の瞬間のことを意味しますけど、大切なのは、これから底付きするのは政財官学マスメディアのエリートどもであって、それ以外の人たちは、彼らの底付きに巻き込まれる必要なんて、全然ありません。1945年だって、底付いたのは政財官学マスメディアだけで、普通の人にとって敗戦なんてたいしたことではありませんでした。 日本には昔から、ある日突然逃げて散るという、レジスタンスの方法があります。サイレント・テロです。政財官学マスメディアの言ってることを、華麗にスルー、無視してみましょう。日本医師会の言ってることなんて、医者の論理でしかありません。 政治屋のご発言も、120%無視してOKです。この国にははなから権限というものがありません。米軍の走狗でしかない高級官僚も、すでに自壊しています。彼らの嫌がることを選んで、ひそかに動きましょう。サボタージュとはフランス語で木靴のことで、工場の生産機械に自分の木靴をぶっこんで、金持ちの資本を、台無しにする行為です。無能なくせに偉そうな彼らの基礎を台無しにしてしまえばいいのです。

2021-01-30 21:53:39

音による謀反のすすめ

晴れた日には傘を貸し、雨の日にはその傘を取り上げるというのは、銀行のことだけだと思っていたら、全然そんなこともなくて、政財官学マスメディア丸っと、似たりよったりの目くそ鼻くそ、五十歩百歩だなと思います。国会でスーガーが、最後は生活保護でどうぞって言い放ってたのは、土砂降りの雨の中で傘を取り上げる金貸しと同じ論理の、政治バージョンです。 大阪市では、生活保護で暮らしている人の再就労支援事業をパソナに丸投げ、その受給者になんらかの食い扶持をつけて、生活保護を打ち切ることができたら6万円の歩合が、市からパソナに振り込まれます。貸していたボロ傘を、彼らは執拗に取り返しに来るのです。 あるいは大阪府のコロナ陽性のホテル療養者用のお弁当、行政は一食につき1500円を支給しているのですが、チンピラ業者が中抜きしてしまうのか、二度見してしまうほどのワンコインどんぶりショボさ炸裂です。そうしたしょぼいファシズムによる統治の大阪は、コロナ死者数が半端なく増え続け、もはや止めようがなくなってきました。日本全体でも直近ではわずか2週間で千人も死んでいます。 コロナ禍は、コロナが悪いんだから、多少人が死んだって構わない、感染者数が欧米より抑えられているように見えればそれでいい、という政財官学マスメディアによる国策には、土砂降りの雨でずぶ濡れになっているのは自業自得ゆえに傘なんて貸してやらない、という考えかたが根底にあります。 生活習慣病はもう自己責任だから、保険適用外にして、カネのない人は自業自得で、死んだって仕方ない、そんな制度がウラでこっそり進んでいる国ですから、感染症の犠牲者なんてそいつが悪い、知ったことではないのだろうなと思います。 まあでも最近は、技術の進歩で隠しごとができなくなってきました。保健所や医者で、具合悪いのにもし検査を渋られたら、その会話を録音してますよ、音源をアップしてもいいですか、って聞けばいいのではないかと思います。ちょっと前までは組織の中で悪目立ちしなければ何でもありでしたけど、いまは録音と公開という武器が、すべての人にあります。生活保護を断られた音声とかを、有償で買い取って、暴露音声をコンテンツにして広告費で稼ぐという、録音音声専門暴露チャンネルとかあると流行りそうです。 いまだに口頭ならば、エビデンスが残らないと本気で考えている人々は、アホすぎるので、思いっきり録音されて晒し上げられても、仕方ないと思います。映像よりも音声テクノロジーが先行しているのは、人間が動物の頃から、音で情報処理してきたからで、情報過多が指数関数的に進むこれからは、ますますその傾向が強くなっていくかもしれません。 スマホの録音機能を使い倒しましょう。私は起きている間は、ずっとICレコーダーで録音しっぱなしにしています。後で聞き返すことはほとんどありませんが、1年に数回、録音回しといてよかったという瞬間がやってきます。録音が回っていれば、当たり前ですが独り言も録音されます。思いついたことはどんどん音にしましょう。それを録音しましょう。 Googleキープもおもしろいです。録音の方式で入力すると、音と文字の両方が、クラウドに残ります。やりたいこと、やらなきゃいけないこと、納得できないこと、いま感じていることを、Googleキープの録音で残すことをおすすめします。 あと数年以内に、録音した音声ファイルを再生することなく、書き起こししてくれる機能が出てくるでしょう。というかGoogleは英語ではもうそれ、できています。映像はカメラを対象に向けないと撮れませんが、音はその必要がありません。一日中のすべてを録音しましょう。

2021-01-30 21:51:36

プラットフォーマーとの静かな闘い

近所の高架を、シュッとした新幹線が空っぽで走ってるのみると、静かなのに、とてつもない打ち壊しが、日々着々と進んでいるなあと、恐ろしくなります。ウイルスはいつの時代もサイレント・ディスラプションです。新幹線がまだ元気だった頃の、いわゆる駅ナカ・ビジネスも、きっと大きな痛手を受けてると思います。もともと公共の空間を、私企業であるJRが勝手に独占して、改札で閉ざされたところに乗客を通せんぼして、高くてまずい、中抜きマージンばかりのお弁当しか買えない仕組みとか、何もかもが少しずつ値段の高いニューデイズというコンビニとか、今頃は青息吐息だと思いますけど、悪いことは長くは続かないんだなと、胸のすく思いです。 ゴートゥーなんちゃらも、結局は大きな会社向けの不公平な優遇措置ですけど、大企業ほど納税してないわけで、コロナ禍マックスでゴートゥーなしよの事態も、そう考えればこの世の天誅、あるいは天罰で、悪いことは、長くは続かないんだなと妙に納得してしまいます。マスメディアが不気味なのは、コロナで急変して死んだ人の持病のありなしに異常にこだわるところで、そのことばかり伝えようとするお前らが急に死ねよ、とはしたなくも思ってしまいます。持病があったから、急変しても仕方ないのでしょうか。視聴者がそんなこと知りたいと思っているのでしょうか? 持病のありなしという大切な個人情報を、鬼の首を取ったかのごとく報じる彼らは、鬼か悪魔なのかなって思います。 マスメディアもやばいですが、ソーシャルメディアも曲がり角、クラブハウスという、音声のTwitter、なるSNSが話題ですけど、これ、Discordでよくないですか? そもそも音声チャットって、みんな同じタイミングでコミュニケーションしなきゃならない、同期性に縛られるので、よほどの人気者でないとなかなか人数揃いません。YouTubeライブみたいに、あとから好きなときにでも聴ければいいのですが、招待制みたいなので試せません。新しいSNSへのよくわからない期待感でいうと、少し前の、マストドンブームを思い起こしますね。 東日本大震災以降、日本ではSNSはやって当たり前でしょ、乗り遅れたら負けだ、という空気一辺倒でしたけど、SNSの本家本元であるアメリカを冷静に見ると、パーラーとか4チャンネルとか、とてつもなく殺伐とした、いわゆる分断、反目と闘争の、リアルな自然状態になっていて、アメリカのことが好きではない私からすると、あまりにもめしがうまくてたまりません。 思えば東日本大震災以後のネット論壇的なものって、あえて具体名は出しませんが、丸っとこの10年、私にとっては、彼らはいなくても、全然よかったなと思います。あまりにもガラパゴスで、役に立ちません。結局は、地上波ワイドショーとかYouTubeで、再生回数を上げるための瞬間芸、キャッチーなことを瞬間的に言う人、という存在です。ネット論壇とは結局は、ただの無編集ユーチューバーなのではないでしょうか。彼らの言っていることすべてを要約すると、140字くらいに収まってしまいそうな、強烈に薄っぺらいリフレインです。 私などは、Facebookなんてやらなくてよかったなとしか思えませんし、Twitterなどもアカウントのフォローバックしか、する気ありません。SNSは楽園でも最高でもなんでもなく、単なる自然状態へと向かっていると思います。自動改札で人を閉じ込めて、割高でおいしくない駅弁を売りつけようとするJRと、SNSは、ともに阿漕なプラットフォーマーでしかなく、彼らが優遇される理由なんて、なにひとつないと思います。プラットフォーマーに対する静かなサボタージュ、破壊活動が、2020年代のトレンドになるかもしれません。

2021-01-28 20:46:32

耳を貸すべきは科学か、カルトか?

おとといの朝、通勤途中で厚木市副市長が倒れて、その場でお亡くなりになったのですが、その死因を伝える追跡記事は、ひとつとしてありません。見たくないものはないのと同じ、さすがです。気がづけば1月も残りあと4日、コロナからほぼ一年ずっと、感染してもないのに行動が著しく制限され続ける4流クソ国家、試しにYouTubeで、コロナとか、ワクチンと検索してみてください。上のほうに出てくる動画はいつの間にか完璧に、地上波ニュース動画です。昨年の今頃はまだ、有象無象のYoutuberが好き勝手なコロナ関連動画をアップしていたと思います。彼らはどこへ行ってしまったのでしょうか。 朱子学カルト、日本のYouTubeは、事実上、権力による第2ティーバーになってますね。すっかり、政財官学マスメディアのしょぼいエコーチェンバーになってしまいました。ぽてチン。日本に限らず、世界中で、国民国家権力にやたらと近いガーファなんぞもう、要らないよねという声が大きくなっています。Googleが醸し出す世界もまた、ねじ曲がっています。Twitterも似たようなものですが、日本のTwitterは、アメリカよりも一層、ドメスティックな政治屋の走狗のような気がします。 では、YouTubeにはまるで価値がないかといえば、そんなこともなくて、腐ったのは主にジャーナリズムの検索機能であって、例えばカルチャースクールなんかはもう、かなり要らないと思います。ありとあらゆる趣味や道楽の入門が、YouTubeでできます。先日も家のドアホンが壊れたので、YouTube動画のディレクション通りにやったら、見事に復活しました。使いようによっては、YouTubeもまだまだとてつもなく便利です。 Netflixのクイーンズ・ギャンビットという、冷戦期のチェスの天才少女のドラマなんかも本当に面白くて、いくら時間があっても、足りません。仕事そっちのけで散歩、昼寝、Netflixです。固定費のかからない生活をつくりあげてきたことが、効いてきたなと思います。劇場向けの新作映画も、カネ払うから、家で観られるようにしてほしいです。人類がコロナに打ち勝った証としてのオリンピックが百万が一開催されたとしても、私はひたすら、Netflixを観ているだろうなと思います。 とはいえ、アスリートよりも死にそうな人へのワクチン接種を優先すべきでしょっていう当たり前すぎる大原則によって、結局は東京五輪は中止になると思います。これは、論破のできないポリコレ命題だからです。世界でもそうですし、国内でもそうです。死んでしまったら、運動会どころではない訳です。経済も、死んでしまえば回りません。 最先端の科学的知見かつ国際的、人的ネットワークを持っておられる方々と、無症状感染者への対応を極めて限定的なものとし、結果的に感染拡大をもたらすこととなってしまった対策に固執した感染症専門家の方々のどちらに耳を貸すべきなのか、今となっては明白ではないか」 これ、新浪さんという、コカコーラの敵であるサントリーの偉い人が、ようやっと政治屋どもの失敗を指摘し始めましたけど、財界は政治屋に強く、政治屋は官僚に強く、官僚は財界に強いという護送船団方式、昭和三つ巴システムそのものの、完全な終わりなのかなと思います。 これからは、変異株のパンデミックが都市部に来て、オリンピックは選手が来れなくて中止、ワクチン一本足打法も時間軸が崩壊、肝心の舶来ワクチンは遅々として届かないまんま、ゴールデンウィーク前の補欠選挙までにスーガーおろしの政局が来る可能性が高いです。いまのうちに菅義偉のキャラ菓子「スガちゃんまんじゅう」と「スガちゃん瓦割りせんべい」を早めに買っておかないと、メルカリで高値転売できなくなるかもしれません。

2021-01-27 21:03:52

リテラシーではなく魂の問題

よく見ると、もうだいぶ梅の花が芽吹いており、早いものは花が咲き始めています。時間は確実に、前に進んでいるのですね。一方で進んでいないのは政財官学マスメディア、停滞ではなく後ろへと流されているような、とんまな世相が続きます。 東京五輪がどうなるかについては、権力構造や商流の上のほうにいる国内の関係者が、ぽろぽろ外国メディアにだけ、言い始めていることが、まずは英語オンリーで出始めています。この国の本質的な課題やスクープは、日本語ではなく、英語からにじみ出てくるものです。 Androidだと、簡単にGoogle翻訳でだいたいの内容が読めちゃうので、もはや日本語という言語バリアはありませんね。スマホさえあれば、日本のウンコみたいなマスメディアのニュースなんて、まったく必要ないどころか、ミスリードされるだけ有害です。 日本の劣化著しいマスメディアに申し上げたいのは、母集団と標本の確かさに、目を向けて伝えてほしいことで、標本がおかしいと、いくら熱心に、数字を伝えても、丸で意味がありません。統計についての基礎的な知識もないまんま、行政の情報をそのまま垂れ流すことにもはやなんの価値もないこと、流石にお気づきとは思いますが、改めて申し上げざるを得ません。まあ産経新聞のように、世論調査データそのものを故意に捏造する会社もありますから、貧すればドン小西、何を言っても無駄ですが。 人間にとってのこの世界の見方、認識とは実は、リテラシーの問題ではないのだなあと、最近は改めて思います。メディアリテラシーが結構あっても、世界観の歪曲から逃れられません。1月6日に米国ワシントンDCの連邦議会に侵入して、撃ち殺されたあるトランプ支持者の女性について、彼女が撃たれるまでの歩みを、ソーシャルメディアなどオープンソースから追跡している記事を読むと、Qアノンなんかもまたリテラシーの問題ではないのだと、考えるようになりました。 連邦議会で撃ち殺された35歳の彼女は、アメリカ空軍に勤めており、夫からは愛国者、義理の兄弟からは、忠実で非常に情熱的であると言われていたとのこと、トランプの呼びかけた1月6日の集会には、住んでいる西海岸のサンディエゴから、わざわざワシントンDCへと向かいました。 彼女はかつてはオバマ支持者でしたが、たかだか2年前頃からQアノン支持に傾いていったことが、彼女のいまとなっては更新されることのないSNSからわかるようです。欧米では、オープンソースジャーナリズムという、ネットで誰でもアクセスできる情報を丹念に調べるアプローチが近年注目されており、私が読んだ記事も、そのオープンソースジャーナリズムの先駆けと言われる、べリングキャットの記事です。 オープンソースジャーナリズムは、彼女のソーシャルメディア履歴だけではなく、1月6日当日の襲撃に参加したトランプ支持者が、You TubeやTwitterに自ら上げた、射殺の場面も細かく検証していて、残された複数の映像をみると、暴徒によって議会のドアのガラスが割られて、まさにそこから彼女が中に入ろうとしているところを、撃たれてしまいました。 いま私たちが直面しているポストトゥルースとは、なんなのでしょうか。おそらくは、メディアやインターネット・リテラシーといった表面的な問題なのではない、もっと根深い、その人の価値観や、世代としてのこれまでの来し方、生き方、不満や恨み、あるいは哲学の問題だろうと思います。このコロナ禍をおしてまで、西海岸からワシントンDCに、わざわざ出かけようとする背景には、その人の魂そのものが影響しているはずです。 どんなにテクノロジーが進んでも、人間は数十万年前からほとんどなにも変わっていない、根っこのところは恐ろしい存在なのです。コロナ禍は、そのことを否応なしに浮き彫りにしているのです。百年前のスペイン風邪を越えるコロナ禍は、果たしてどれくらい世界を根底から変えてしまうのか、もはやオリンピックどころではありません。そんなことはみんなもう、わかっています。

2021-01-26 19:52:14

徒手空拳は、N放ライフスタイル

素晴らしいコンテンツほど、無料で見られる速度が、ますます早まっています。岡田斗司夫の言っていた通り、ビットでできたものは限りなく無料へと近づき、アトムでできたものは限りなく原価に近づきつつあります。つまりは資本主義の終わりです。電通が本社ビルを売る本質は、たぶん岡田斗司夫のこの説の加速によるものですね。 コンテンツつくって、お金もうけなんて、どんどんできなくなってきていて、会社組織で生き抜くことはかなり難しい時代です。noteとかも、面白くもなんともないしょぼいコンテンツを、サブスクで売ろうとしている10年遅れのマインドばかりですね。ウザいので、目についたものから、とりあえずブロックしています。 遅まきながらNetflixで「パラサイト・半地下の家族」を観ました。日本も韓国も、世の中の大多数は滅び行く中産階級というネアンデルタール人なので、是枝裕和監督の「万引き家族」とも通じる世界がえがかれています。ジニ係数という、ジェニの貧富の差をあらわす2018年の指標で見ると、アメリカは0.39、韓国は0.35、日本は、0.34です。新自由主義の国とか、開発独裁の国が上位に来てます。 ジニ係数ランキングで上のほうに来る国は、コロナ禍の死者も比較的、多いです。それは要するに、公正世界仮説の強い国ほど、弱者はひどい目に遭う、ということだと思います。ジニ係数ランキングで上のほうに来る国とは、貧しい奴らは、自業自得なので、救う必要ナシというコンセンサスが強い社会です。 私淑する深沢七郎の「楢山節考」が書かれたのは1957年で、その頃の日本は感覚的にはいまとおんなじくらいの貧富の格差だったのではないかと思います。上り坂か、下り坂かのちがいはありますが、いまはそれにコロナ禍という「まさか」が加わって、おそらくとてつもない格差がこれから目の前に立ち現れるのではないかと思います。 韓国の若者は、すべてをあきらめる「N放世代」と呼ばれます。恋愛、結婚、出産をあきらめる、3放世代が10年前に爆誕してから、就職やマイホームをあきらめる5放世代へとバージョンアップ、さらに人間関係や夢までもあきらめざるを得ない7放世代を経て、今や人生のすべてをあきらめたまま生きる「N放世代」へと進化、とあります。これ、徒手空拳と通じるじゃん。 冷戦期にいい思いをしたシニアから見れば、いまの若者は、単にかわいそうな世代なのかもしれませんが、そんな憐れみの目で若者を捉えていたシニアどもが、いまではコロナ感染に怯えて、日本では特に、老人の残り時間が死への恐怖で充満しているのを見ると、この世は行ってこい、先食いした奴らにも神は必ず公正な試練を与えていると見ることもでき、私なぞはそのことに、自然という神のダイナミズム、壮大な因果応報、日本人の大好きな公正世界仮説の逆襲を感じてしまいます。 なるへそ、シニアでもカネさえ持っていれば、安全な環境や生活は、コロナ禍でもある程度手に入りますが、シニアの悠々自適だったはずの欲望は、かなり制限されます。なぜなら彼らはこれまでの人生が、放すのではなく取るばかりだったからで、私のように放すことを屁とも思わない人間からすれば、ステイホームのコロナ禍は、豊かな時代を駆け抜けてきた老人達に比べれば、そんなに辛くありません。 いわゆるジェネレーションZの人々は、もはや資本主義の喜びを理解できないわけで、ソ連や東ドイツやルーマニアを知らない若者が、テクノロジーを前提とした社会主義に魅力を感じるのは、自然なことだと思います。日本は、30年遅れの東ヨーロッパですので、東京オリンピックが中止となると、そこからハラホロヒレハレの、急激な劣化が加速していくと思います。 徒手空拳に生きることは、五輪中止確定後の日本では、より多くの人にとって選択の余地のない、そうやって生きていくしかない生き方になると思います。それが楽しいか辛いかは、考え方次第です。

2021-01-25 20:05:07

クリック音つき検索窓、酒、家族葬の世界

NHKの、なんちゃって改革プロパガンダの広報番組、他人事のようにぼそっと言うNHK会長と、桑子真帆アナとのよくわからない対談がシュールです。強靭でスリムな新しいNHKらしさって、なんなのでしょうか。意味がわかりません。日本においては、Nからはじまるマスメディアはいま特に凶悪で、NHK、日テレグループ、日経グループは、まだ金欠の死にそうな断末魔が来ていないゆえに、ゆでガエルの勘違い、より一層たちが悪いです。私はそれらを徹底的に毛嫌いして、彼らの情報がやって来ない時空を、都心部になんとかして作り上げています。 テレビCMをたまに見ると、急速に劣化していて驚きます。特に内閣府の、動かない上に何を言ってるのかさっぱりわからない、お役所言葉朗読CM、最後は必ず検索窓とクリック音で終わります。やってる感満載ですけど、今時、テレビCM見てからクリック音のするパソコンで検索する人なんてどこにいるのでしょうか。そもそも検索してくださいというメッセージそのものが古臭いです。続きはウェブでって10年以上昔のやり方です。 政府のアリバイCM以外には、ほとんどがシニア向けで、気絶しそうになります。制作費がないのでしょうか、知名度のない企業の下品なメッセージが目立ちます。それからなんと言っても、葬式の広告がやたらと多いですね。葬儀屋にとって利益の薄い家族葬に、わざわざテレビ広告打つ意味ありますか? 残りの殆どは、お酒のCMですね。タレントがごくごく飲んで、おいしーい!、と狂ったように絶叫する、なんの工夫もない瞳孔の開いたバッキバキのドラッグ訴求が、不気味です。CMから何が見えるかといえば、見てくれを取り繕うことすら諦めた、この社会です。かっこいいとか、美しいとか、気持ちいいことが消えて、辛く苦しく醜い世相がなんら補正されることなく、垂れ流されています。 東京五輪の国内向け公式アカウントが、今日突然消えてしまい、トランプのアカウントみたいに凍結か、はたまたこれは大会中止の前触れかと、悪い意味で話題になっていましたが、なんとこれ、東京五輪組織委員会の発足した日を、このアカウントの誕生日にしていたら、Twitterのチャイルドロックが作動、7歳未満と判定されて、消えてしまったという、そこの抜けた間抜けぶり。下請け孫受け、アホのミルフィーユ、こう言ってはなんですが、こんなクソアカウント、もうこのまんま消えてしまってもいいのではないか、と思うのは、私だけでしょうか。 最後のテレポリティシャン、ドナルド・トランプが表舞台からぷつりといなくなって、リアリティーショーというテレビ的に悪質な虚飾が、速攻で嘘とバレる時代が、ますます加速していくと思います。テレビの終わりとは、YouTubeの終わりのはじまりでもあるので、リテラシーの弱い人々が、政財官学マスメディアにコントロールされたまんま、大量にアルコールを飲まされて、家族葬で灰になっていく、死のベルトコンベアーが太くなっていくことでしょう。 まともな人なら改めて考えなければならないのは、ウイルス感染者でもないのに、一年間も行動制限を無理矢理強いられている、日本人の間抜けぶりで、その間抜けさゆえに、オリンピックも中止、インバウンドも中止、ディナータイムも中止なのだということです。この国は酒の飲み過ぎによる知能障害が来るところまで来ていますね。日本人は、東京五輪公式アカウントのように、プラットフォーマーによって突然バンされる運命にあります。自分の言葉がないので、仕方ありません。

2021-01-25 20:03:18

スタンドアローンとは、自分の言葉で考えること

根っからの毛唐嫌い、アメリカ嫌いの私としては、GoogleやYou Tubeは、ヤフージャパンやニコニコ動画よりはマシなので、仕方なくアクセスしているだけで、本当ならばできるだけ、関わりたくありません。Netflixも、NHKや民放よりは遥かにマシということですし、Amazonだって、楽天やイーオンよりはまだいいか、という相対的な問題でしかありません。 YouTubeで「新型コロナウイルス」と検索すると、Googleが日本人にリコメンドしてくるのは、ほぼすべてNHKや民放の動画になりました。昨年前半は、もう少し機械的な検索機能が裏で走っていたのに、Googleが日本市場で怒られたくないコンテンツを、忖度して表示するようになりましたね。もともと、ガーファから呈示される情報は、ゴミでしかないので、私は自分にとって必要な機能だけを、使いまくります。 Amazonも、購入ボタンを押す前に、だましや詐欺がないか、慎重に確認するようになりました。品薄な商品の時、それがサードパーティーの販売者だったりすると、値段が相場より異常に割高になってたりします。Amazonだから安心だ、なんてことは丸でありません。私は自宅への配送ではなく、近所のロッカーで受け取ることにしています。最悪の場合、受け取らなければキャンセルできるからです。 これからは、ヒエラルキーだろうとネットワークだろうと、古かろうと新しかろうと、あらゆるプラットフォーマーから、いつでも足が抜けられるように、適度な距離を置くことが、QOLを上げていくことになると思います。例えば、YouTubeは自由だ、これからのグローバルスタンダードだと過大評価してしまうと、気がつけば、ネトウヨになっていたりします。 バイデンの大統領就任式でアメリカ政治ネタが、日本の地上波でも急増していたようで、それを観たネトウヨが、英語ではなく日本語で、あの大統領選挙は不正だとか、民主党への政権移行を承認している日本のメディアや日本政府に、トランプ前大統領の正統性を主張していたりするのを見ると、プラットフォーマーに取り込まれることの恐ろしさを感じてしまいます。 トランプは、ただのテレビタレントから大統領になったという、オンリー・ワンのカリスマ性があったわけで、大統領でなくなれば、単なるテレビタレントでしかないので、どんどん権力がなくなります。権力がなくなれば、人はいなくなります。会社の役員を引退したら、得意先や部下から年賀状がいきなり来なくなるのとおんなじです。ドナルド・トランプもまた、プラットフォーマーではなく、単なるユーザーでしかないのです。 日本そのものが、アメリカというプラットフォーマーの都合のよいユーザーでしかないので、ガーファや、政財官学マスメディアのプラットフォーマーと距離を置こうとすると、いきなり変わり者、奇人変人になってしまいますが、私はそれで構わないと思っています。プラットフォーマーの外に出るためには、成長ありきの資本主義をやめてしまえば、簡単です。明日からでもスタンドアローンになれます。 スタンドアローンとは、自分の言葉で考えるということなので、お金を使うのをやめて、自分の言葉で書かれている言葉をたくさん読むことが大切です。TwitterでもYou Tubeでも、自分の言葉を使っているコンテンツはいくらでもありますので、SNSのすべてが良くないなんてことはありません。スタンドアローンによって繰り出される言葉を聴くことで、己もまたスタンドアローンになって、Wi-Fiが全然つながらなくてもなんとかなる、そんな人になることが、私の理想です。

2021-01-23 20:10:49

老いてもリア充を演じるだるみ

サラリーマンをやめて、はやくも3週間経ちましたけど、コロナ禍による不自由さを除けば、気分爽快、本当にやめてよかったなあ、もっと早くやめておけばよかったという思いしかありません。サラリーマンでなくなったらもう要らないものを、虱潰しに売ったり、捨てたりしています。 会社をやめたことで、スパッと朱子学カルトもやめました。ですので基本は、再就職などは丸でする気ありません。雇うのも雇われるのもなしです。お立場ご身分に汲々としている組織のなかで生きることは、もう金輪際ないかなと思います。そうなると、より一層日本のマスメディアなんて見なくなりますね。あれはすべて、カルト通信なんだなと気づきます。世の中のこと知らないほうが素晴らしいと思います。You Tubeさえも、They Tubeになってしまったので、観るのがだるいです。 酒を飲まないと、矢鱈と水がおいしくなります。それと同じで、朱子学カルトを辞めると、無音や暗闇がとても心地よくなります。学校もかったるかったし、会社もただただかったるかったのだなあと改めて実感します。組織に属すことそのものが、私には向いていないんだなと改めて思います。敬語もだるいです。 今日使ったお金は、散歩の途中で買ったセブンイレブンのスティックチキン、チーズ、炭酸で、383円だけです。食べることにこだわりがないのも、組織が向いていないひとつの原因かもしれません。こだわりという言葉は、もともと良くない意味です。こだわりなんて持たないほうがいいんです。食事なんて、白菜を日本酒たらして蒸し焼きにして、七味を多めに入れたポン酢をつけて食べるので、よくないですか? 社会人とは、リア充を追求する人のことだと思います。なので私は、誰かがその人のリア充の趣味とか、余暇の話を聴いているのが、実はとてもかったるいのです。だいたいは、それ単なる消費じゃん…という感想にたどり着きます。この前、仕方なく、焚き火が趣味ですって言う人と、オンライン会議で話していたのですが、結局は、要約すると焚き火のためにどこかに小屋を持っているという話でした。聴いててげんなりです。要は小屋自慢です。はやく会話時間終わらないかなあと思っていました。 輝く、みたいなことを目指して生きている人と、通りいっぺんの会話をするのが、底抜けにだるいのです。テンション高過ぎて疲れます。輝いている人なんかより、くすぶっている人のほうに、関心があります。 1945年は、武力の敗戦でしたが、経済で輝こうとしたばっかりに、1985年のプラザ合意で、再び経済の敗戦を喫しました。更に2011年の福島第一原発事故は、エネルギーの敗戦ですし、コロナワクチンについては、もはや生命の敗戦です。こういった負けのこんでいる社会で、元気に明るく、ちょっぴりエッチ、そのうえとことん謙虚に生かされている社会から降りてしまったら、あまりにも気楽すぎて拍子抜けです。 柴又の介護施設でクラスターが出たのですが、その施設の名前が、「グループホームおいちゃん・おばちゃん」でした。柴又だから、「男はつらいよ」にかけたんでしょうけど、この国のリア充とは、その程度のわびしいもので、悲しい気持ちになります。グループホームも朱子学カルトのベルトコンベアー組織ですから、己が老いぼれたとしても、そんなとこには、入りたくないなあと思います。 死ぬ間際までもリア充の輝きを演じるなんてかったる過ぎます。男はつらいよ、は私にとっては、人情の話ではなく、社会から排除されている渡世人の孤独についての話です。どこをどう勘違いすると、グループホームの名前がおいちゃん・おばちゃんになるのか、まったくその意図がわかりません。

2021-01-22 20:15:18

コンビニ衰退論

2020年のコンビニ全国の売上規模が、全店ベースで前年よりも4.5%減となり、売上が前の年を下回るのは、コンビニの歴史で初めてのようです。コロナ禍が原因と言われていますが、おうち時間とか、おうち飲みとか、追い風の要素も結構あるので、きっとコロナ禍のせいではないと、思います。コンビニとは、どんなビジネスか? 100文字くらいのちゃんとした説明文を読めば、絶対に最初からそんなもの、参入なんてしません。 セブンイレブンは、お弁当やプライベートブランドなどの脱コモディティー化に、途中までは、少しだけ成功しましたが、結局は小売業界全体の削りあい、食いあいが進んで、陳腐化しました。いまとなってはコンビニは、フードフラウドの横行する、だまし売り場になっていると思います。 フラウドとは詐欺のことで、フードフラウドとは、文字通り、食べ物の詐欺です。コンビニは定価販売を続けてきたので、客側には「こっちは高いカネ払ってるんだ!」という気持ちがあります。それなのに、コンビニは、規模の拡大とか、本部利益の確保ばかりを最優先して、商品のリニューアルのたびに、量や質を落として商品のバリューを削り取る、シュリンクフレーションの、いわば麻薬中毒に陥りました。 昨年から始まった、買い物袋の有料化も、環境省による単なるグリーンウォッシュでしかないのは明らかですが、客に言わせれば、もともと高いカネ払って利便性を買っていたのに、持ち帰り袋の有料化は、コンビニの価格二重取りに見えています。缶ビールの缶を有料化して、缶を買わないなら、入れ物を持ってくるか、手のひらにビールを注いで持ち帰れ、と言っているようなものです。 それまで価格に含まれていた重要な価値の一部を、外部化するとロイヤリティを失います。そうなると客は袋なしで持ち帰ることのできる買い物点数で収めるようになりますし、来店頻度も無意識に下がります。買い物袋有料化という愚かなグリーンウォッシュは、これからもコンビニの売上低下に、ボディーブローのように効いてくると、私は思っています。 コンビニがなんと言っても厳しいのは、プラットフォーマーつまり本部以外は、儲からない自分勝手な仕組みになっていることです。共存共栄の信頼関係が壊れています。新聞社と販売店とかもそうですが、仕組みそのものに、持続可能性がもうありません。コンビニが、社会のインフラだなんてちゃんちゃらおかしいわけで、本当にインフラなら、PCR検査キットでも売ればいいと思いますし、ワクチンの摂取も、コンビニでできるようにして欲しいです。実態は、ユニバーサルサービスなどではなく、単なる金儲けでしかありませんので、これからは特に、土地の値段の高い中心部のコンビニが、じゃんじゃん消滅していきます。 冷凍食品やお酒など、巣ごもり需要の売り場を拡大するとか、宅配サービスや自宅で調理しやすくしたカット野菜などを強化するとか言っていますが、それなら無店舗のネット通販のほうがはるかに競争優位なので、改善の決め手になりません。最近のコンビニ経営者は、余裕がなくて目が三角になっており、トイレ使えません、ゴミもうちに捨てないでください、買い物袋は有料です、営業時間も短縮します、などなど、客が離れていくことばかりしていて、笑えます。 セブンのいちごミルクの、透明カップにえがかれた赤い模様がいちごの果肉に見えると、SNSで炎上していましたが、こうしたフードフラウドまがいが続くうちは、売上の回復など程遠いだろうなと思います。おうちごはんや、宅飲みが進めば進むほど、コンビニは売り場のレガシーコストが上乗せされて、消費者にスルーされていきます。

2021-01-21 19:07:37

医療崩壊から米国製ワクチンユーザーへの転進

平安時代に、疫病がはやったときは、蛭に血を吸わせて治療したらしいのですが、現代のワクチンなんかも本当に、そんなものでなんで効くのかわからないわけで、私のような一般ピープルには、蛭とワクチンの差は、あんまりないのではないかなと思ってしまいます。インフルエンザの予防ワクチンも、普段はついついスルーしています。注射という、肌に針を指すなんていうソリューション、いつまで残っているのかな、はやく陳腐化されないかなと思います。 ワクチンでなんとかなる、は立派な共同幻想です。みんなが効果を信じていられる間はいいのですが、ひとたび怪しいかもと思われ始めると、世界がパニックになりそうで心配です。いまの株高なぞも、ワクチンへの期待があってのものですから、コロナ禍におけるワクチンとは、ひとつの信用であると言えるかもしれません。 ワクチンの効果が、これからデータが揃って確実に信用されてくるのか、それとも逆に失望となるのか、集団心理の行方は丸で読めません。特に懸念されるのは、変異株への効果に、重大な不安が生まれたときです。最悪の場合は、人々の堪忍袋のおが切れたり、心が折れてしまったり、取り付け騒ぎになったりするかもしれません。 事実上、日本は新型コロナウイルスワクチンの単なるユーザーとなってしまいました。昨年オリンピックを延期したときは、政財官学マスメディアは、日本がウイルスの開発に成功するとなんの根拠もなく、考えていました。その見込みが外れたことが、ボディーブローのように効いてきます。おそらくはファイザーに、足元を見られて、法外な請求をされていると思います。舶来のぼったくりウイルスのロジスティクスを担当するのは、河野太郎ですけど、菅義偉、河野太郎、小泉進次郎、甘利明、三原じゅん子などなどの地元である神奈川県は、既に深刻な医療崩壊を起こしており、これから先は搬送できる病院もなく、自宅で死ぬ感染者が増えてくるようで、ワクチンのロジスティクスより、まず地元神奈川県の医療崩壊をなんとかしろよと思います。 政財官学マスメディアは戦前、戦中のプレーヤーのまんまなので、いまもなおロジスティクスの概念がないと思います。だいたい想像できるのですが、今頃、医薬や医療ロジスティクス系の会社には、霞が関の若手官僚からの、まったく要領を得ない問い合わせや、命令なのかご相談なのか、意図の不明確なご連絡がいっぱい来てるはずです。しかも今どき、電話で。こう言ってはなんですが、受験勉強ができても、仕事できるわけじゃないから、パニックになると、破滅へとまっしぐらです。 民間にバカにされるのが嫌なので、最近の役人は、電通とかパソナのようないっちょかみ企業に、役人が本来やらなければならないはずの、総合的統括の仕事まで、丸投げしてしまいます。アベノマスクなど典型でしたけど、要は国民のお金をムダに使う、発注者に過ぎないので、カネの権限を握る財務省だけが強くなります。 スーガーは1月1日付で、秘書官を財務省官僚に交替させましたけど、菅政権の執行力のなさは、これからますます拍車がかかります。この政権を本気で支えようと考える仲間なんていなそうです。 なにもかもが動かなくなり、情報も上がってこなくなり、そんなサボタージュに怒り狂っているうちに、4月下旬の衆参両院の補欠選挙で惨敗したりすると、スーガーおろしが止められなくなるかもしれません。来年の今頃どころか、ゴールデンウィークの状況も読めませんね。読めないことが当たり前の乱世です。どんな出目でも対応できるように、手堅く小刻みに生きていく必要がありそうです。

2021-01-20 22:21:27

成長を捨てれば、希望が見えてくる

働かない、持たない、固定費を抑える、がんばらない、酒飲まない、とことん逃げ足を鍛える…といったことを考え続けて、かれこれもう10年くらい経ちますが、いやあ間違ってたなあ、という反省をしたことがこれまでありません。リーマンショックのあと、そんなふうに、考え方を変えました。もちろん、働き者の人、物欲の強い人、がんばり屋さん、酒好き、負けない人、逃げない人に、私はつべこべ言うつもりなんて全然ありません。でも、こんなソ連崩壊間際のルーマニア、チャウシェスク政権みたいなところで、いくら頑張っても仕方ないなあと思います。 拡充でもなく、縮減でもない、縮充という考え方に、最近はますますぐっと来ます。バカみたいな消費の野望を縮小して、お金を使わなくてもできるクリエーションを拡大させる、それが縮充ではないかと思います。言い換えれば、リクリエーションです。お酒を飲まなくして、シラフの時間を最大にして、難しい本を読んだり、ものごとを考える、これも縮充です。固定費だけではなく、固定時間を減らすことも、ひとつのリクリエーションだろうと思います。 長い目で見ると、労働者階級、中間層の消滅過程としての、ソ連崩壊からの、30年時間差の米国崩壊なので、宗主国が壊れれば、日本もこれからは、東ドイツやルーマニアみたいな感じになるのではないかと思います。グローバル資本主義というものが、拡充の王様だとすれば、経団連などは、その存在が、縮減そのものです。 YouTubeを観てると、鬼のようにインサートされるヤフージャパンの、面白くもなんともない5秒広告とか、どう考えてもご本人が乗っている姿を想像できない、キムタクさんの日産広告とかは、わかりやすい縮減そのものです。NHKが無駄にお金をかけたニュースのなかに、しれっと織り込んでくる、再来年の大河ドラマの番宣なぞも、縮減そのものではないかと思います。 イギリスの変異種を、静岡の事例からちょろちょろ発表すれば、東京での変異種蔓延が隠せなくなるころの、免疫を世論につくることができます。昨年の今頃は、屋形船の感染がそんな役割を果たしました。厚生労働省なんかも、典型的な縮減官庁です。そういうコントロールされた情報を鵜呑みにするだけの、朝日新聞やNHKも縮減です。 巷は何もかも縮減ばかりなので、いまさら拡充しているものなんて、周りを見渡せばグローバル資本のものばかりで、日の丸ニッポンのものなんて、滅多にありません。プロジェクトX、挑戦者とやらが追い求めたものをいま改めて見てみると、累々たる屍の山です。あのプロパガンダの頃、サラリーマンは己に酔っているのではなく、何もかもを捨てるべきでした。 縮みゆくもののなかに、個人の楽しみを、金儲け度外視で、そっと充たす、これが縮充です。ヤフージャパンの5秒CMみたいな断末魔を軽やかに脱臼する、攻めなのか守りなのかよくわからない、しかしどこかパーソナルに面白そうなものが、みんなにそれぞれ必要なのではないかと思います。 最近は、Twitter2という時事ネタNGのコミュニティとか、山奥ニートの遁世コミュニティとか、SNSもプラットフォーマーそのものが分散、縮充の動きが見えます。山奥ニートは、面白い縮充なのでしょう、和歌山の共生舎以外にいまどんどん増えていて、どの山奥シェアハウスも、満室みたいです。ネットにつながってさえいれば、楽しい。成長を捨てれば、希望が見えてくる。希望ってほんとは、百人いれば百個の希望がある、とてもパーソナルなもののはずです。政財官学マスメディアに都合のよい希望がなくなって、希望もまた小さく、人それぞれの、自律分散に変わりつつあります。ざっくり言えば、いい時代ですね。

2021-01-19 21:18:17

なぜ外へ出るのがだるいのか

家の外へ出ることの心理的なコストが、矢鱈と大きくなってしまいました。私の場合、もともとマスクをするのがとっても嫌な性格なので、いざ家を出ようとすると、想像していたよりも大きな決意が必要になります。雨の日に外に出なければならない時の決意と、そんなに変わらないかなと思います。傘をさすのとマスクをするの、私には同じくらいかったるいです。 それでもエイッと外へ出ても、私の場合、目的地がほとんどありません。行きたい場所がないので、最近はひたすら歩いて、どこへも立ち寄らずそのまま帰ってきます。唯一立ち寄るのは、歩いていける近所の野球場で、観客席に座ってポットにいれてきたコーヒーを飲みます。選手のいない空っぽの球場は、妙に落ち着きます。マスク、メガネ、AirPodsの煩雑さにも慣れました。スマホはiPhoneだと、指紋でロック解除できないので、Androidばかり使います。 しかし外へ出るのが億劫な最大の理由は、知らない人を意識するのが、とてつもなくだるいのです。街のあらゆるストレンジャーに注意を向けながら歩くのは、知らず知らずのうちに、ぐったり疲れます。コロナ禍前は、外へ出る時に、知らない人のことをほとんど意識してなかったのが、コロナ禍後のいまは、外出イコール、知らない人との不確実な接触への警戒心が立ち上がります。 人間は社会的な動物だとはいえ、ほとんどの他者を、空気のように無視しているから、やっていけてるのです。すれ違う知らない人の、有害無害を無意識にチェックしている自分に、気づきます。ダンバー数とその他の存在感のバランスが、逆転とまでは言いませんが、知らない人の存在を無視できなくなりました。それが、やたらとかったるいのです。 知らない人を、ないものにできないことの、精神的な負担ってどれくらいあって、長い目で見てどんな影響をひとに与えるのでしょうか。御殿場市の飲食店組合が、一見さんお断りのポスターをつくって、批判されていましたけど、一見さんの見極めややり過ごしに疲れているのは、飲食店関係者だけではなくて、ありとあらゆる人が、見知らぬ一見さんに、相当参っていると思います。 更に言えば、見知らぬ人の何を警戒しているかといえば、それは口元なわけで、おそらくはこんなに知らない人の口元を見に行くなんてこと、いままでほとんどありませんでした。他人の口元が見えすぎて疲れる、これが外出するときの面倒臭さの本質なのだろうと思います。 知らない人を強く意識してしまうことがいい加減もう嫌なので、私の場合はだいたい家にいると言っても過言ではありません。これからは、否応なく他人と向き合わなきゃならないお仕事の人気度が下がるかもしれません。人と出会うのが好き、とか言えた時代が懐かしい、そんな遠い目になりそうです。 最近ではラーメン屋にも牛丼屋にも丸で行かなくなってしまったのは、知らない人の口元を実はものすごく気にしている自分に気づくのが嫌だからです。三人称だらけの世界は、鬱屈なのです。ジョン・レノンのアイソレーションという曲の歌詞に、僕らはみんなのことが怖い、太陽が怖い、孤独、というのがありますけれど、太陽も他人も、同じくらいよくわからない怖いものです。 知らない人が怖い、この感情こそが、コロナ禍の人類が背負う最大のコストです。しかし実は、知らない人が怖い、繁華街怖いと思っていたらいまではもはや、知ってる人もかなり怖い、学校や職場や家庭が怖いステージに、東京なんかは入ってきました。半年後、身の回りの世界観が、いったいどう変わっているのか、全然予想できません。

2021-01-18 20:43:29

災害マフィアとショック・ドクトリン

寒いほうが、生きている実感があります。冬は、下手すると死にますからね。新型コロナも、コロナですから、感染者が冬に増えるのは、当たり前のことではあります。人は寒いと弱ります。お正月とは、もとをたどれば、人が死にやすい冬がようやっと終わることを、喜ぶことだと思います。日本は、明治維新で西暦の元日を、お正月としてしまった為に、厳冬真っ只中に春の到来を喜ぶ、というキチガイぶりを続けています。脱亜ニュウ欧なぞという狂気があるからこそ、アジア最悪のコロナ禍を呼び寄せているのではないでしょうか。 今日は阪神淡路大震災から26年目の日ですけど、あの地震からの復興は結局、ありませんでした。長田や尼崎で被災した多くの人々は追放され、政財官学マスメディアぐるみの災害マフィアのカタ、ボロ儲けのスキームが出来上がりました。阪神淡路大震災で味をしめたみなさんが、東日本大震災も今回のコロナ禍も、災害金儲けをエスカレートさせています。 26年かけて日本の民にバレないように、こっそりと洗練されてきた、災害を悪用する金儲けでしたが、今回のコロナ禍には、日本全国に被害は広がっているのに、破壊がありません。ハコモノが壊れないので、災害金儲けがうまくできない、そのことがイライラ、大きなストレスになっています。 マスメディアなんかは、阪神も東日本も、みんながマスメディアをあてにしましたけど、スマホが普及してはや10年経って、マスメディアそのものがやらせであることがバレてしまい、メディアのプラットフォーマーも、アメリカに乗っ取られてしまいました。マスメディアなんて、もう誰もまともに観てないので、緊急事態宣言も、人出が減らず壮大な空振りに終わりつつあります。 日本のコロナ禍が、アジアのなかで他にない間抜けさ、滑稽さに包まれているのは、阪神と、東日本大震災という2回の巨大災害を経ている影響だと私は思います。どういうことかと言うと、不幸な災害はエスタブリッシュメントには利権がおいしい、統治も引き締められるという甘い汁の記憶が、コロナ禍への向き合い方をおかしくしています。ゴートゥートラベルなどは、災害マフィアとしての、3杯目のおかわりのつもりではないでしょうか。 経緯をよく思い出せば、東日本大震災を利用した災害マフィアとしての東京五輪なのです。2013年の東京五輪招致プレゼン、いまでもググれば観られます。彼らの心根の腐り具合を、コロナ禍のいま、正視できるでしょうか。 あの時のプレゼンのつかみは、東日本大震災の津波にふるさとが襲われた、女性のパラリンピアンによる、いかにもお涙頂戴に彩られたスピーチでしたけれど、彼女の言葉を、その後の政財官学マスメディアはこぞって、反故にしてしまいました。とにかく安くあげます、福島はアンダーコントロールです、安心ですと安倍晋三がいつもどおりの嘘をついて、東日本大震災からの復興はそっちのけ、下品な金儲けに走りました。東京五輪を目指して東京で不動産バブルが起き、復興はむしろ妨げられたと言われています。 もはや、正義を装うことすら全然しない、利権以外丸で関心のない下品さこそが、コロナ禍に漂うどっちらけ、間抜けさや滑稽さの正体ではないかと思います。阪神、東日本、コロナ禍と、ホップステップジャンプで、この国は災害に乗じたマフィアぶりに磨きをかけています。スーガーがフガフガ言ってて意味もわからず、ただただ間抜けなのは、郵政省の広報担当官僚がしょうもないからではありますが、スーガーのような失語のサイコパスに、汲々としている東大法学部を出た現役官僚のみなさまがたが、もはやご立派とは言えないことが、はっきりと見えてしまうからだと思います。今更、官吏やってる人間のカッコ悪さ、ダメさが、ソ連末期の東ドイツやルーマニアのようで、おかしくて底抜けに哀しい、そんな寒い日々が刻まれていきます。

2021-01-17 20:28:53

蠕動のようなサボタージュ活動

会食時の感染予防篇という、なんの工夫もない、やってる感フルマックスの、内閣府による動かないテレビCMがいまだに大量に流れていて、絶句します。お願いベースという謎の日本語が気持ち悪いです。あくまでこれは、命令ではなくお願いなんですよ、というエクスキューズなのですが、本質的な意味は、「俺にはそんな権限ないから、シラネ」ということですね。いまさら命令ベースの罰則化とか検討し始めていますが、そんなこんなで法改正されたときには、都内から飲食店もすっかりなくなっているのではないかと思います。お願いベースとは、朱子学カルトのしょぼいお立場ご身分を持つ者たちの、哀しい言い訳ないです。 普通の日本人は、組織や会社のことが心の底では全然好きではなくて、それぞれの忍耐の限界を超えると、心が折れて、途端にサボタージュに転じます。リーマンショック以降の日本人のサボタージュは、わざと生産性を下げること、そして消費しないこと、買うにしても安いものしか買わないこと、それから結婚したり子どもをもうけたりしないこと、などなど、地味ではありますが確実で執拗な、GDPを下げるサボタージュ活動を続けています。リーダーのいない蠕動のような闘争活動です。 昼間に散歩に出ると、お天気も良いので人出も絶好調、ランチのお店は行列ができてたりして、これのどこが緊急事態なんだよって思いますが、この人出の多さも、実は、ひとつのサボタージュかもしれないなと思います。このまんまGoogle先生の予測どおりに、ひと月後の一日の新規感染者数は、2万2千人くらいまで行くと思いますが、ジリジリと東京オリンピック中止の外堀が埋められていくことでしょう。 こうした棄民政策は、たまたまコロナ禍ではっきり見えただけで、政財官学マスメディアの基本政策は戦前、戦中、戦後一貫して、生かさず殺さず、死にそうになったらさっさと見捨てるというもので、日本人の根っこにあるサボタージュ精神は、為政者による冷血の棄民政策への草の根のレジスタンスなのだと思います。 逃げるに散ると書く、チョウサンという反抗手段が、伝統的に日本にはあります。辞書によれば、村を挙げて耕作地を放棄し、よそへ逃亡したこと、とあります。そっといなくなる、言葉とは裏腹に働きの手を止める、生産活動をわざと非効率にして、最後にはいなくなる、といった方法は、とても日本的だろうと思います。リモートワークを隠れ蓑にして、人々が業務放棄をし始めたり、緊急事態宣言になればそれを盾にして、声なき声としてそっと逃げて散る、それが潜在的な民意だろうと思います。 緊急事態宣言の下でも政財官学マスメディアをあげて堂々とルールを捻じ曲げてでも行われるものは、この国の本質そのものです。オリンピック、大学共通テスト、大学ラグビーなどは、死んでも予定通りに行われようとしていますが、そのウラにあるのは、国粋主義としての軍隊性です。普通の日本人が逃げて散るのは、こうした狂気、朱子学カルトからのトンズラだろうと思います。 今年は私も、政財官学マスメディアから逃げて散る一年にしようと思います。それはつまり、しょぼいお立場ご身分の朱子学カルトに報われるための努力なんて、いっさいしない人になろうということです。なんと言っても、食えない奴になることです。物言わず、そっとシステムから、いなくなります。あるいは、アメリカ人が、アホみたいに熱狂しているものを狙い撃ちして、ぽいぽい棄てていく、今年はそういう一年にしようと思います。

2021-01-16 21:12:43

プラットフォーマーに切られるユーザーでしかない悲哀について

コロナの感染拡大を、若者、よそ者、バカモノのせいにしているかぎり、感染は多分おさまらないと思います。本当の課題設定すらできないからです。虻蜂取らず、二兎を追うものは一兎も得ず、結果として、日本はなにもかもを失うことになりそうです。それもまた運命、政財官学マスメディアは、このごにおよんで、まだ己だけは正常で、おかしいのは中枢以外の愚民ども、末端のバーバリアンだと言い張っていますけど、中枢のエリートパニックはもはや手を付けられないところに来ていて、パニックのレベルとしては、既に10年前の福島第一原発の時を越えているかもしれません。 都内では1.5万人ものコロナ陽性と判定された人々が、入院すらできず、ホテルにも入れず、アビガンも服用できず、自宅療養という名の放置を強いられています。1.5万人といえば、東京オリンピックの選手団とおんなじくらいの規模ですが、ということは、しょぼいダンボールベッドでおもてなしするはずの晴海選手村を、いますぐ臨時のコロナ専門病院にすれば、ロシアンルーレットのように恐ろしい自宅待機も、一気に解決するのではないかと思います。 昨年の今日の徒手空拳日記に私は、「とてつもないスキャンダルや天変地異が、東京五輪を中止に追い込む可能性も、まだなくはないかもしれません」と書いていたのですが、なんとまあ、東京オリンピックはほぼほぼ中止っぽいわけで、言霊の恐ろしさを痛感しています。 「人の頭は、パパイヤのように割って中を見ることはできない」これはアフリカ、ガーナのことわざですけれど、ソーシャルネットワークは、人の頭の中が、見えているような気になってしまうので、人類最悪のドラッグだと思います。アメリカのネトウヨが、思いの丈を書きまくっていた新興SNSのパーラーでしたけれど、うしろで走っている仕組みをAmazonに依存していたために、Amazonがパーラー向けのAWSを止めてしまったことで、あっけなくサービスそのものが、止まってしまいました。どこが自由なんだよ、笑えますね。しかしこのパーラーの滑稽さは、日本そのものみたいではないかと思います。カギカッコの自由に調子こいていたら、ある日突然、なにもかもストップしてしまうという意味では、パーラーも日本も似通っています。 Twitterはほとんど言論インフラだから、トランプ大統領のアカウント凍結はおかしいとか、英語ではなく日本語のTwitterで言ってるお花畑の国際政治学者とか、大丈夫かなって思いますが、アホさ加減において、Twitterインフラ説とかなり近いなと思うのは、コンビニインフラ説です。 アルコール麻薬の水道でしかないコンビニが日本のインフラだなんて、冷静に考えればちゃんちゃらおかしいわけで、その証拠にどんどん潰れています。コンビニがインフラと言う前は、新聞宅配がインフラだと言ってましたが、郵便局なんかもインフラだと言っていたら、日本郵便組織ぐるみの、詐欺のインフラになってしまいました。 本当はインフラでもなんでもないものを、インフラだと思い込んでしまう、おそらくは政財官学マスメディアも、Twitterやコンビニや郵便局と目糞鼻糞、インフラなどではありません。具合悪くなっても、検査もしてもらえなかったり、ようやっと検査してもらえてコロナ陽性になっても、自宅療養しかできなかったり、これまで日本人が頼れるインフラだと盲信してきた政財官学マスメディアは、インフラなどではなく、単なる日本軍の亡霊なのかもしれません。 AWSを切断されたパーラーのように、日本政府から切断され、まともな医療にアクセスすらできない棄民が日々7千人量産されているのが、現代日本なのではないかと思います。

2021-01-15 20:41:31

幻にムキになっても仕方ない

神様もウイルスも目に見えないので、神をどう捉えるかも、コロナをどう捉えるかも、ある意味では宗教的なことであり、哲学的なこととなります。地球平面説も、丸い地球なんて目に見えないから生まれてくる説なわけで、実際にコロナで死んだ人を見たことのない人にしてみたら、コロナもまたフェイク、という立場にも、立つことができます。 広島に原爆が落ちたあと、次は帝都東京に落ちるのではと心配していた人たちは、白い服だと反射して安全らしいと聞いて、みんな白い服を着て街をウロウロしていたようです。あれ? マスクをしてないと気まずいいまと、ピカドンに怯えて白装束を着ていた敗戦間際の東京は、そんなに大きな差はないのかもしれません。 ただし、ピカドンに怯えていたのは1945年8月6日から15日まで、10日もありませんでしたけど、コロナ禍はかれこれ1年なので、そろそろ社会的にもへこたれつつあるような気もします。ドイツのメルケル首相は、変異型ウイルスを抑え込めるかどうか、少なくとも4月前半まで警戒は続くと言ってましたので、東京五輪はほぼ開催できませんね。 飲み屋で軽々に話してはいけないと言われるのが、政治の話、野球の話、宗教の話と言われてましたけど、コロナの話も実はできなくないですか? 昭和時代においては、野球の話も太平洋ベルト地帯の朱子学カルトという、一種の宗教ですので、コロナもプロ野球談義も、ご法度です。 私に言わせれば、日本人にとっては、アメリカそのものが宗教なので、居酒屋でアメリカの話もやばいです。敗戦後の文学とは、なべて米軍についての信仰告白に過ぎません。もしかすると、居酒屋で隣り合わせただけのごく普通の地方公務員のおじさんが、熱心なトランプ大統領崇拝者、いわゆるJトランプの可能性も排除できません。アメリカをディスることも、トランプを支持することも、相手がどう反応するかわかりませんので、話題にしないのが大人というものでしょう。 もちろん、朱子学カルトも宗教です。私は宗教そのものが嫌いなのです。日本人は世界でも指折りの、宗教的な民族です。飛行機や摩天楼の時代になっても、鎌倉時代末期の人々と、苦悩という意味では大差ありません。ペンス副大統領がダーウィンの進化論をまったく信じていないのと、同じことです。 20世紀とは、総力戦というヒエラルキーが可視化された時代でしたけど、21世紀は、ソーシャルネットワークとウイルス禍が可視化された時代となることでしょう。SNSもウイルスも、どちらもバイラルです。総力戦よりも、ソーシャルネットワークやコロナ禍は、ガラポンの手段として洗練されています。 トランプ大統領を神にするのも、悪魔のようなデマゴーグとしてたたき落とすことも、すべての人にパンツを履かせるように、お顔にマスクをつけさせることも、よく考えれば、武力にも、言論にもできないことでした。核兵器でさえ達成できないバイラルネットワークのパワーを、私はいままざまざと見せつけられています。 私としては、コロナについて真剣に誰かと話すのが超絶かったるいので、家にいます。支持政党や宗教観を誰かと語り合うのがかったるいのと同じことです。目の前にフラットアーサーがいたら、見てみぬふりをするでしょう。それと同じです。共和党支持者と民主党支持者のアメリカ人が、ストリートファイトしている映像を見せられて、ああはなりたくないな、Jプラウドボーイズのネトウヨ中高年の顔なんて見たくもないし、話しもしたくないです。 目に見えないものの価値について、一切話さなくても良い銭湯サウナに、ふらっと立ち寄れたあの頃は、もう戻ってこないのでしょうか。総力戦が不可逆的であったように、ソーシャルネットワークやウイルスネットワークも、不可逆的なのではないかと、半ばあきらめています。

2021-01-14 17:55:22

"アゴアシ"はテキトーでよい

東京では検査でコロナ陽性になっても、自宅での療養を強いられている人が、既に6000人くらいいて、そういう人たちはサイトカインストームに怯えながら、おうち時間のおうちごはん、おうちのなかでも静かなマスク会食をしている方々がたくさんいます。それに加えてこの数日間は、なぜか検査数も抑制されているようで、東京は全く新しい段階としてのディストピアに、拍車がかかりつつあります。これはもう、トリアージという、命の選択へとまっしぐらですね。 行かなくてはならない会社そのものがなくなった私は、毎日のひきこもり生活は普通に楽しいです。元々物心ついた頃から、ただの池沼、ひきこもりなので、世の中がどうなっていようと、ほとんど関心がありません。私がいなくても、世界は余裕で回っています。逆もまた真なりであって、世界はなくても、私は回っているのです。 おうち時間を、ゆっくりもっさり、すてきなカフェにして、ちょっと飽きてくれば散歩に出かけて、毎日一万歩ぐらい歩いていますし、昨年買った中古車を昼間の移動オフィスにして、 Netflix を見たり、読書したり、音声入力でブログを書いたりしています。 ハンドルにタブレットやノートブックパソコンを固定できるスタンドがあるのですが、超絶便利です。 車の中に、エコードットを開通させて、Amazonミュージックのアンリミテッドで、 好きな音楽を好きなだけ月380円で聞ける環境にしています。 昨日見た Netflix のオリジナルドキュメンタリーで、トランスジェンダーとハリウッドについての歴史を見ていたのですが、特にトランス男性 、つまり身体的な性は女性だけど、自分で認める性は男性という場合については、社会的にその存在が抑圧されていた影響もあって、あまりにもマイノリティ過ぎて周りに当事者が己以外に存在せず、その結果として、社会も当事者も参照するロールモデルが、ハリウッド映画にえがかれる偏見しかない時代が長く続いたとのこと。 確かにそうだなと思いました。ハリウッドとワシントン DCは、権力闘争という意味で大差のない超絶男性支配社会であり、性的マイノリティは、権力志向の強い男性の偏見まみれに誤ってえがかれ、それを観た世界中の人々が、無自覚なまま偏見を再生産するようになりました。 ハリウッドやテレビメディアの誤った世界認識が、少しずつ破壊されつつあります。一方、私が日本で気になるのは、旅行や会食や家族の団欒を、絶対的に正しい快楽として位置づける、メディアのステレオタイプについてです。 私は、旅行が全然好きではなく、世界一周旅行になんの価値も感じません。休みになると旅行に行かなければならない、的なゴートゥートラベルのプレッシャーが嫌いです。旅行が好きじゃないと社会人ではないという風潮が最近はだいぶ廃れてきて、ホッとしています。鬼怒川や伊豆の廃墟と化した大型ホテルや、清里の荒れ果てた映像を見ると、旅行が廃れたことにほっとします。 おうちごはんという言葉にも反吐がでます。冷蔵庫にあるものを適当に食べれば良いし、ご飯を食べながら団らんごっこしなきゃならないのも辛いです。旅も会食も、鬱陶しいです。お腹がすいたらスニッカーズでもひとりで齧っていたい。旅行や会食ポルノが、この国では経済をまわすことになっていて、不気味です。集団で酒を飲み、権力者のつまらないひとことに集団で大げさにウケたりするマウンティングされ放題の会食とか、会社を盆暮れで休んで、トップシーズンの料金で海外旅行にいくことが、命の洗濯とか、朱子学カルトの旅や飯、つまりアゴアシなんてちゃんちゃらおかしいと思います。

2021-01-13 20:48:57

昭和の産廃物をいつまでありがたがっているのか?

今日は仕事に必要なので仕方なく、銀行にでかけました。こんなクソみたいな手続き、リモートでできないのかなと、なんべんも電話でたしかめたのですが、窓口じゃないとできないとのこと。緊急事態宣言が出てるので、窓口業務は完全予約制になっています。朝九時にでかけて、しょうもない手続きに、ほとんど一時間かかりました。印鑑なんてものを、いまだにあちこち押さなくてはなりません。銀行も当然知ってる私の住所を手書きで何箇所も記入させられました。こいつら、あほかと思いますね。 それに比べて、菅義偉内閣のお膝元である警察は、車庫証明の申請手続きなどは、さっさと印鑑不要になってます。まっぽは、はやくてビビります。銀行も警察を見習って、もっとちんころ、権力者にこびへつらわないと、社会から消えてなくなるのではないでしょうか。銀行なんてもう全然要らないのだから、いつまでも偉そうにしないでほしいです。平蔵竹中とゴールドマン・サックスに、消されますよ。 さて私は、子どもの頃から聴覚がすこし過敏で、耳栓を持ち歩いていないと、どうも落ち着かないのですが、それと関連しているのかわかりませんが、みんなが喜んで使う奇妙な言葉についても、過敏かもしれません。 例えばNHKがコロナ禍で、エールという単語にこだわってやたらと使っていますが、これは、聞き捨てなりません。辞書で調べてみると、もとは英語のエールは、単に大声や叫びをあげる、怒鳴る、といった意味が強いようです。日本では運動会などの応援合戦などにおいて、エールの交歓などと使われますが、日本軍が去勢されたものとしての、体育会系の言葉ですね。 でもこれ、よく考えたら、朝の連続ドラマ小説のタイトルでもあるのですね。コロナ禍で頑張っているエッセンシャルワーカーや、孤独に苛まれる人々にエールをおくろうという社会的な呼びかけを、手前どもの番宣とひっかける、そこにどうしても聴覚過敏の私は、ひっかかります。先日も、ニュースウオッチ9のかなりの時間を割いて、渋沢栄一の特集をしていたのですが、これもまた次の大河ドラマの番宣になっていて、呆れ果てました。公共放送の一分一秒は、パブリックなものであって、しょうもないクソドラマの宣伝に利用されるのは、なんとも薄ら不気味です。 東日本大震災の頃には、頑張れ東北という、飾り気のないスローガンが声高に叫ばれていましたが、頑張れという命令は、あまりにも他人事なのではないかとの懸念がうまれ、気がついたら、頑張ろう東北、にすり替わっていました。コロナ禍における、エールは頑張れを小洒落た言い方に変えつつ、番宣もしたいという邪さが加わっています。無神経な朱子学カルト組織は、心底気持ち悪いです。 NHKには、本当にコモンズとしての価値などありますでしょうか。受信料を年間7000億円も市民から吸い上げておきながら、その受信料で視聴できるのはフローのみ、ストックについてはアーカイブスという、これまた不気味な名前のついた別料金での2階建てとなっており、彼らの守銭奴根性はやりたい放題のように思えます。 例えば、先月25日の安倍晋三に対する衆参議院運営委員会の代表質問についても、公平性なぞとすっとぼけて、議員の数と尺を比例させて、安倍晋三への質問を権力側に有利になるよう、放送していました。公平性の意味をわざと、誤って取り違えています。その癖に、管轄省庁の総務省からは、目をつけられて、Eテレは売り飛ばせとか、受信料は高すぎるとか言われまくっていて笑えます。銀行もNHKも、コモンズとしての価値はナッシング、ほんと一瞥の価値もありません。早くこの世からなくなってください。よろしくお願いいたします。これをもちまして、私からの挨拶とさせていただきます。

2021-01-12 18:02:09

ペリー、スペイン風邪、マッカーサー、コロナ禍

静かなるマスク会食という、お歯黒を余裕で軽く超えていく奇習を、国家ぐるみで推奨している狂気の、未来に残る恥部や汚点が、次から次へと粗製乱造されてバージョンアップされていきます。そのうち、ラインチャットしながらの、ぼっち酒場放浪だけはOKとか、お互いにマスクをした上での宿泊プラン付きの性行為は容認などなど、ゴートゥー酒場放浪、ゴートゥーセックスなどが、経済を回す次なる一手として、大いに予想されます。 無限に元気で明るくなければ怒られる、朱子学カルト成人の、なにをなぜ、どのように祝えばよいのかわかりませんが、成人の日に振り袖を着るようになったのは1980年代後半のことで、和服の需要を増やしたいという、単なるマーケティングの結果でしかありません。流石に日本人女性だけだと厳しくなってきたので、浅草なんかでインバウンド需要狙いの着付けサービスで食いつないできましたが、コロナ禍でそれも消え失せました。成人が成人の日に酔うことも、装うことも、非常事態とやらで不謹慎となってしまいました。 私が毎年定点観測しているのが、成人の日と4月の入社式に掲載されるサントリーの新聞広告なのですが、2016年頃までは、矢鱈と上から、偉そうに強く、先輩かぜを吹かせていたトーンが、ブラック労働批判でガラッと物言いがおとなしくなり、今日のお手紙風コピーを読むと、褒めて育てる式の、なんとも低姿勢な言い方に変わってしまっています。いい人というよりは、どうでもいい人のご挨拶ですね。スーガーの緊急事態宣言の挨拶みたいで、誰もまともに聞いてくれてない気がします。 私に言わせれば、人生の先輩という昭和のお立場ご身分の崩壊が、コロナで加速しているだけのことだと思います。コロナ禍で年長者のご高説が、いきなり無価値になったのではなく、じわじわと、特にリーマンショック以降は、着実に無意味化していました。コロナ禍で飲み会断れるようになってラッキー、とみんな思ってます。若者に無理やりありがたいこというの、そろそろやめなよって思います。 そもそも今の大人たちは成人を迎える若者に、偉そうなひとことなんて言えたものでしょうか。政財官学マスメディアそのものが、お立場ご身分に汲々とするダーティーオールドマンでしかなく、アジア最悪のコロナ禍を目の前に、エリートパニックに陥っているアッパー中高年は、偉そうなことを言ったりすると、幕末みたいに、路上で返り討ちにあうんじゃないかと思います。 ペリー、スペイン風邪、マッカーサー、コロナ。これは近代第4の、抗いようのない、よそ者という敵の襲来です。過去を見ると、強大なそれらよそ者が日本に来たあとは、若者がおおいに活躍します。スペイン風邪のあとの226事件なんかも、そうでしたね。今回は、人間ではなくウイルスのご来航なので、ペリーやマッカーサーのほうが、媚び諂うことができただけマシでした。ワクチンも舶来待ちです。ガーファの特使としてのコロナさんを、こじらせると国が傾きます。産業再生機構というゴールドマン・サックスの日本支社によって、倒産よりも遥かにひどい枯らされ方で、とどめを刺されてしまいます。 ガーファとコロナに殺されかけている眼の腐った老人が、若者に向けて「君たちの情熱に乾杯」だなんて、このご老体、頭おかしいのかなって若者に、思われませんか? 心配です。成人式も新卒一括採用も、昭和朱子学カルトの過去のイニシエーションでしかないと思いますので、そろそろきっぱり廃止しても良いのではないかと思います。 成人の皆さんは、アルコールなんていう未来のない、非科学的な、サラリーマンのお飲み物は、もう口にせず、おじいちゃんキリングのコロナ禍をくぐり抜けて、来る大暴れの日に向けて、英気を養ってくれたらいいなと思います。

2021-01-11 19:25:40

成人式が中止なら、納税も中止でよい

朱子学カルトのみなさんが、やってる感を演出するためには、とにかくお立場ご身分の失われない、偉そうな人に目をつけられない、怒られないところを目ざとくみつけて、みんなが見ている安全地帯で、矢鱈と大騒ぎすることが大切です。コロナ禍に対応してますよ、という必死にやってる感を醸し出すためには、例えば成人式を中止するなんていうのは、まさにちょうどよい、やってる感となります。 昨年春の一回目の緊急事態宣言なんかも、特になんの根拠もなく学校が全国一斉休校となりましたが、あれなんかも、やってる感を盛り上げられる割には、強面の誰からも怒られないからで、困るのは子どもの親だけです。朱子学カルトからすれば、自分より年が若いというだけで、ナメてかかるのは、長幼の序というシステムをいまだに亡霊のように信じているからだと思います。 しかしながら、成人式とは行政による新たな納税者へのマウンティングの儀礼なので、成人式が中止となれば、そうか、納税も中止すればよいのかと考えればよいのです。手っ取り早い納税の中止は、成人してもアルコールを飲まないと決めることです。酒税から自由になれば、そのぶん働かなくて良くなります。酒税にさらに、消費税という人頭税も二重に課せられますので、酒はボッタクリです。 あんまり働かないのも、手っ取り早い税のがれとなります。もはや都心を目指す必要もありません。脱成長パラダイムに向かってライフスタイルを最適化してしまえば、大してお金もかからず、図書館で本を借りたり、Netflixを観たり、毎日散歩して生きていくこともできます。 できれば、お酒を飲まないと仕事の話ができない、中枢神経系のいかれた中高年のほとんどいない会社を選びましょう。本当は、はなから会社員にならないほうが、源泉徴収システムの外にいられるので自由です。若いみなさんが、既存の古い仕組みを選ばなければ、古い仕組みのがわは、困ります。敵の困ること、嫌がることをわざとやることが、戦略の基本です。 若者は、いつでも元気で、明るくいなければならないという組織からのプレッシャーがありますが、コミュニケーション能力などというものには、実はなんの実態もありません。命令を素直にきくのが、コミュニケーション能力と言われているだけのことです。街で中高年に話しかけられたら、タメ語で応じてみましょう。それでも怒らない、怯まない相手ならば、その人にはホンモノのコミュニケーション能力があります。 やりがいを搾取されないように、自己評価を実際よりも低く見積もらないことが大切です。非対称な人間関係を強いる組織に未来はありません。組織の内部でしか役に立たないスキルは急速にコモディティー化して、血にも肉にもなりません。 できるだけ小さくて、ニッチな仕事を見つけることが、結局は武器になります。雇われない、雇わない。固定費を貰う、支払う関係ではなくて、その都度必要に応じて対価を貰う、支払う関係のほうがフェアです。 ユーキャンで取れる資格にどんどん価値がなくなります。僕が僕であるためには、スキルをいくら求めてもつらいかもしれません。スキルは買い叩かれて、市場の競争を通して底なしに安くなります。ソリューションは、例外なくコモディティー化します。安くならないのは戦略とか世界のオリジナルな見方とか、センスのほうです。私によればホニャララは、ホニャララである、という独自の切り口は、買い叩かれることがありません。スキルがないと生きていかれない、という思い込みそのものが、朱子学カルトから叩き込まれている洗脳です。成長の真逆にある内向的なパラダイムのほうに、私はこれからの可能性を感じます。

2021-01-10 20:45:44

ファブリーズ味のするおうちごはんを、静かなマスク会食で食べるディストピアについて

アジア最悪がほぼ確定しつつある日本のコロナ禍は、政財官学マスメディアによる人災です。武漢から近いので、日本はもう丸々1年も、牛のよだれのようにコロナ禍につきまとわれています。なにせ、政財官学マスメディアがグルになって、和製のアイヒマンとしての不作為炸裂による最悪の結果としての日本モデルなので、そのコロナ禍を商売に利用しようとするマッチポンプ広告を見ると、心底嫌悪を感じます。 すごもり、という言葉、なんなんですかね、これ。自由に動き回れないのは、端的には無症状陽性患者を、検査せずわざと放置しているからです。ココアという名前のクラスタートラッキングのアプリも機能せず、しょうもない精神主義と、若者、バカモノ、よそ者への責任転嫁しかしていない結果として、家にいなければならないわけで、それをすごもりなどという色のないトレンドワードに置き換えて、いま注目の巣ごもり商品など番組で取り上げてお茶を濁す姿勢に、怒りを覚えます。 おうちごはんという、金儲けのためにデオドラントされたクソな単語も、とてつもなく不気味です。おうちごはんが増えたから、おうちのなかが臭いので、ファブリーズで洗おうとか訴えているプロクター&ギャンブル、絶対に買いません。静かなマスク会食という言葉も頭おかしいですし、なんとも言葉が北朝鮮化しています。政財官学マスメディアまるっと、チュチェ思想みたいですね。 ウィズコロナを既成事実にして、無毒化、下手をすると美化して、ジェニを稼ごうとする姿勢は、無神経を通り越して頭悪過ぎです。共感を得られると本気で思っているのなら、もはや正気ではないのではないかと思ってしまいます。 ソ連に支配され、ソ連の思うように真っ赤に染まっていった東ドイツと、米軍に支配され、米軍の思いを遥かに越えて、過剰迎合し続ける日本は、かなり似ています。シュタージみたいな警察政権に迎合する、日本人なのにトランプ大好きのJトランプは、いったい何者なのでしょうか。河野太郎だけリモート参加で、取材する記者は一箇所に詰めているプロパガンダとか、意味不明です。 渋谷や銀座の人出をビフォーアフターで比較しているのをビッグデータとか言ってますが、あれはドコモとか、ドコモのサブブランドであるソフトバンクの単なる位置データで、べつにビッグでもなんでもありません。スマホのエクセルファイルに、軽々と入ります。そもそも繁華街の人数なんて、もはや追いかける情報として無意味ではないかと思います。渋谷や銀座の人出を気にするから、会食は夜8時までOKになってしまうのであって、視点が間違えています。20時で終わりって、新型コロナウイルスは、夜行性なのでしょうか。 オカルトなカルト、おうちごはんとか巣ごもり消費とか、静かなマスク会食とか、使われる言葉はカルトなオカルト、そうこうしているうちに、朱子学カルト自滅カウントダウンのテンポが上がってきました。このまんま行くとイギリスのロンドン丸パクリ、緊急インシデント宣言のフリップを都知事が毅然と掲げる日も近いと思います。 在日米軍は、もうひと月以上前に既に、都内はオフリミット、つまり立入禁止ですし、東京150キロメートル圏の外食は禁止になっていますがそんなこともあんまり知らされずに、自分だけは感染しないと思い込まされて、集団ゆでガエルのようになっています。 今日になって国内の死者が4000人を超えました。千人越えたのは7月20日、2千人越えたのは11月22日、3千人は12月22日、4千人まではわずか18日間しか経ってません。バイラルの指数関数的な恐ろしさはこれから、という気もしますが、都内では陽性なのに自宅待機が5千人くらいいて、入院もできなくて、サイトカインストームに怯えながら、味のしないファブリーズ味のするおうちごはんを、家庭内感染を避けるために、家のなかで静かなマスク会食で食べている、なんていうディストピアなんです、東京は。つらいですね。

2021-01-09 20:53:53

日本の"急所"は、政財官学マスメディアだよね

日本の転換点は一体、いつ来るかと言えば、歴史を振り返れば、それまで悪者とされていた、若者、バカモノ、よそ者が、腐敗したエスタブリッシュメントを物理的に制圧したときです。直近の転換点は、やはり1945年のよそ者、米軍さんによる憲法の完全な書き換えだろうと思います。 新型コロナの感染拡大はいまもまだ、無軌道な若者のせいとか、銀座、原宿、六本木でウェーイと乱痴気騒ぎしているバカモノが悪いとか、欧米からの水ぎわ対策がなってない、とか言っているいまのところは、まだまだ政財官学マスメディアの朱子学カルトの天下が続いているのだろうなと思います。 飲食は20時までということは、裏を返せば20時まではOKっていうことなので、昼間からじゃんじゃん飲める店が、いまごろあちこちで出現していることでしょう。5000人以上のイベントはだめだからそれ以下なら強行してしまうと思っていたら、18000人規模の大学ラグビー決勝は、予定通り観客入れてやっちゃうぞ、なんて言ってます。お酒はハタチになってからは、成人したら自由に好きなだけ飲んでよし、の意味ですが、それと同じです。制限を切ると、それは奨励に転じます。 日本では、経済を回せとなると、いつの間にか飲み会をすることつまり消費活動になっちゃっていますが、本来経済を回すとは、需要をつくる活動のはずです。 私に言わせれば、都内の飲食店はコロナ前からすでに供給過剰になっていて、しかもデフレや増税で需要が落ちていました。その下がる需要を補っていたのが、インバウンドだったわけで、コロナが悪いというよりは、そもそも変化に乗り遅れていた飲食店が、コロナで苦境にさらされている、そんな感じではないかと思います。 日本は世界でも飲食業への参入障壁が極めて低い国です。外国では酒の販売許可がなかなか新しく認められません。参入障壁が低いことと、デフレによるインバウンド需要の沸騰で、競争が激化していたのですが、コロナによる需要の蒸発で、ハリボテが全て吹き飛んでしまった、というのが実態だと思います。 若者に感染が多いのは、彼らが好き勝手に夜遊びしているというよりは、朱子学カルトのシステムでは、ほとんどのめんどくさい現場仕事を若い人に押し付けているからです。彼らはめんどくさい仕事をやらなければ、立場や身分に近づけないのだから、当然他者との接触確率が上がります。 飲み歩いている若者が悪いという政財官学マスメディアの見立ては、私に言わせれば、科学を憎む朱子学カルトの間抜けさ炸裂、若者、バカモノ、よそ者のせいにしているうちは感染に歯止めはきかないでしょう。それにつけてもスーガーの失語症は酷すぎて、東日本大震災の菅直人のほうが人間として遥かにマシだったと思うのは私だけでしょうか。 スーガーは、緊急事態宣言の会見を、「私からの挨拶とさせていただきます」で締めくくったり、「今の状況が改善されなければ緊急事態の延長もあり得るか」という記者からの質問に対し「仮定の質問には答えられません」などと、トンチンかんなAIボット未満の返答をしたり、新型コロナ危機における日本の急所は、飲食店などではなく、こいつのアタマのなかなのではないかと思ってしまいました。 そもそも、罰則を検討すべきは、酒飲んで羽目を外す客のほうであって、ステーキ会食してたお前も、その一員だろってみんなに思われています。飲食店を急所呼ばわりして、カネをくれてやるかわりにムチも打つぞ、というものの考え方そのものが、サイコパスならでは、だと思います。 IOCもようやっと東京オリンピックは無理ぽ、の発言を解禁し始めましたので、日本は想定しうる最悪の事態へと突き進んでいるように見えますが、それが私の杞憂であってほしい…なんてことは、全然思わず、いまはただ、これはもう、だめかもわからんね…という寂寞の思い。

2021-01-08 20:24:09

日米テレポリティクスの完全なる終わり

人の噂も75日と言いますけど、噂もウイルスも、その拡がりかたの構造は似たようなものなので、このウイルスも猛威が収束するまで、75日くらいはかかるんじゃないかと思います。こりゃやばいですね。東京のこの感染者数の急な盛り方は、いよいよ政財官学マスメディアが東京オリンピックの開催をあきらめたのかもしれません。オリンピックはヨーロッパの知的財産であって、知財が毀損するリスクを冒すよりは、1回見送るほうを、フランス人は選ぶ可能性があります。日本のお茶の間あちこちで、その日の新規感染者数を知って、老若男女驚きの声が出ていると思いますが、私の見立てでは、ひたすら検査を抑制して、これまで見えないふりをして隠してきた数値を、世界のどさくさにまぎれて日本も表に出して、調整しているだけではないかと思っています。鎖国から維新への豹変に近いのではないでしょうか。 アメリカの大統領選挙も、投票日からもうすぐ75日になりますが、ウイルスみたいなトランピストたちが暴徒化して、まだまだ収束しないみたいです。ジョージアは民主党が残りの二議席を獲得するようなので、アメリカは、民主党が両院を押さえるブルーウェーブになりそうですが、それがどうした、という感想しかありません。2016年は、逆に共和党が両院を支配するレッドウェーブだったわけで、赤か青かの差でしかありません。カリスマ性という意味では、トランプはケネディ以来のパワーを持っていましたが、それはトランプがテレビタレントだったからで、テレビの人気者がカリスマのパワーを持つことは、もう金輪際ないかもしれません。 トランプが人気者になった「アプレンティス」というテレビ番組は、2004年から全米のNBCネットワークで放送されたリアリティ・ショーです。WOWOWの紹介文から引用します。 トランプはその豊富な経験に基づき、彼らの一流ビジネスマンとしての適性をチェック。毎回脱落者を出しながら最後に生き残った1人はトランプの会社に役員として迎えられ、最初の1年に25万ドルの年俸を受け取れるという超豪華な特典が全米の話題を独占。(以上、引用終わり) トランプが脱落者に浴びせる“君はクビだ!”という罵倒は、全米の流行語になったのですが、トランプ人気は、ガーファが世界を席巻する前の、まだテレビネットワークに力のあった2000年代だったことであり、トランプをセレブの成功者だと錯覚したアメリカの中間層は、まだリーマンショックの前だった、というところが味噌だと思います。 そして、リアリティーショーという、嘘とまことの境界がはっきりしない、テレビ放送時代末期の麻薬のような番組ジャンルだったことも、トランプのカリスマ性をムダに増長させたと思います。 最近になって、テラスハウスをはじめ、リアリティーショーの視聴者が、虚実の被膜にのめりこんで気が狂ってしまうことが問題視されていますが、ガーファ以前のテレポリティクスがつくりだした、最後のモンスターがトランプだったのかもしれません。 アメリカも日本も、テレビの時代が完全に終わって、日本では、それが東京オリンピックの中止によってはっきりするのではないかと思います。オリンピックを、東日本大震災から復興するキラーコンテンツにしようという、トチ狂った発想もまた、2000年代という最後のテレビ時代に基づく電通テレポリティクスの最後っぺであり、アメリカではトランプが消えて、日本ではオリンピックが消えることで、クソみたいなテレビ時代が終わってしまうんだろうなと思います。

2021-01-07 20:04:15

不作為の帝国

いま欧米で起きているひどいコロナ禍の事態を、日本で想定する最悪の状態、それを10とすれば、最近の日本の事態は、8くらいかなと思います。日本の政財官学マスメディアは伝統的に、最悪の事態をすっとぼけて、わざと想定しないところがありますが、8くらいのディストピアが見えてくると、いきなり10を騒ぎまくり、パニックになります。 7くらいまでは、中枢の偉そうな人には被害の体感もゼロなので、若者、馬鹿モノ、よそ者が悪い、あいつらのせいでノーリスク厨が騒いでいるだけだとなります。繊細な危機のグラデーションを感知できる人や、ヤバさの本質をわかっている人は、こう言ってはなんですが、狂人扱いされるのが嫌なのでだんまりを決め込みます。そういう状態が、7くらいまで潜って続くわけです。 太平洋戦争も、おそらくは8くらいになってようやっと、国民的パニックが来たのだろうと思います。それは1944年の8月くらいで、学童疎開が始まりました。そこからはあっという間に太平洋の制空権を米軍に完全に握られて、日本の大都市に空襲のリスクがはっきり見えたときにはもう、あとの祭りだったと思います。大したことない、まだまだ大丈夫って思っていた一般人が突然、目の前の危機に気づきます。 不作為の帝国は、今回も10まで突き進むであろうと思います。欧米でもやはり、ワクチンの接種が予定よりも遅れて、封じ込めの打つ手なしとなってきていて、これはあんまり触れられませんが、変異種の影響か、比較的若い人でも突然死が増えてきているようです。 NHKによれば、感染したあと、自宅で体調が急に悪化するなどして亡くなった人が全国で少なくとも122人に上っていて、そのうちの56人は、先月のことなので、戦況は急速に悪化しています。 コロナ禍の急な悪化ですっかり掻き消されていますが、完全にアンダーコントロールなはずの福島第一原発の2号機と3号機に、これまでの想定を遥かに越える高濃度汚染がいまさら発見され、一時間もそこにいると人は死んでしまうため、廃炉計画の目処が、ほぼお釈迦になっています。不作為だけでなく、虚偽や偽装もまた、この国の統治の基本原理であり続けています。 そんななか国会議員さんは18日まで国会も開かずやってる感だけですっとぼけているようで、自民と立民の国対委員長は、なんといまさら議員センセーどもの夜の会食ルールづくりなんかしていて、笑えます。緊急事態宣言が東京で発出されれば、当然のことながら7月のオリンピック開催の可能性は遠のくのですが、アンケートでは7割くらいの人がオリンピックはもう無理、と回答していて、これもまた笑えます。 政財官学マスメディアが会食や運動会の準備にうつつをぬかしている間に、感染爆発の事態はすでに手のつけられない段階に進みつつあり、あちこち見ても、ひたすらだんまりを決め込むだるまさんエリートさんだらけになってきました。街で人がいきなり倒れても、大丈夫ですか? と近づいて介抱できません。どこにクラスターがあるのか全くわからないので、すべてを疑うしか対処の方法がありません。これはもうディストピアではないかと思います。 緊急事態宣言はおそらく、ザルのような中身になると思いますが、そのことによって、東京オリンピック中止にリーチがかかります。もう既に、都内では飲食店で酒飲んでる人なんてほとんどいないわけで、本来やるべき緊急事態とは、エッセンシャルワーカー以外は完全停止しかありませんが、そんなことは無理でしょう。今年は、長い冬になりそうです。そうこうしているうちに、10年目の3月11日がやってきます。

2021-01-06 20:29:14

街の色が消えていく

年明け、出かけなきゃならない会社そのものがなくなった私は、淹れたてのコーヒーを魔法瓶に入れて、暇なときに近所を散歩しています。コロナよりも前は、平日ぷらぷら歩いていると、世間の目がなんだか気になったのですが、もはや丸で関係なくなってきて、むしろ街が混雑する土日は外に出ず、平日のすいてる時間を狙って、最低限の買い物とかしています。 銀座、六本木、西麻布、すっかり鳴りを潜めてしまいました。これはもう、だめかもわからんね。結果論でしかないかもしれませんが、昨年の夏場に損切りして、足を洗ってなかった人が、いまとてつもなく深い傷を負っていると思います。バブル崩壊のときも、逃げ足の早い人は生き残りました。私のおじはバブル崩壊のあおりを受けて、いたずらに頑張ってしまい、命を縮めました。たいしたことない、なんとかなる、いまが頑張りどころなんていう現状維持バイアスは、結局のところ大量のゆでガエルを、黙々と茹であげることになっていきます。茹で上げられていく静けさのなかで、街の色が少しずつ消えていきます。2度目の緊急事態宣言は、緊急ですらない、よくわからないものになりつつあります。 零細企業向けの持続化給付金パート2が来たら、私も申請できるでしょうか? 一般会計なんてどうでもいいので、特別会計でなんとかしてほしいです。いまやってるジョージア州の選挙の結果、アメリカ上院の与党がどうなるかによって、日本も風邪を引きます。2月のことさえ予測できないカオスではありますが、なるようにしかならない気もします。 最近は行政書士並みに、役所のワードやエクセル書類を毎日埋めまくっています。コピペし過ぎて文脈がおかしくなったときは、音声読み上げ機能で耳からチェックすると、整理できます。文章の推敲は耳でやるといいです。整理できるだけではなく、それまで想定していなかったアイデアが思い浮かぶのも、一旦書いた文章を、耳から聞いている時だったりします。 いまだに、エクセルをワードみたいな書類作成のために使っている役所とかあって、ある意味、タイムマシンだなと思っています。私は勝手にハードロックダウン、指標は遅行指標の死者数しか見ておりませんが、東京都内のコロナ死者数が増えてきております。今日だけで都内では14人がなくなっており、うち3人は救急搬送されて、そのまま死んでしまったということで、都内を歩いていると、静けさのなかに無常を感じてしまいます。 政府が先手を打ってくれないとか、緊急事態宣言を発布してくれないとか、ひたすらくれない族、くれないの豚しかいない朱子学カルトの日本ではありますが、この国のありとあらゆるお立場ご身分は、しょぼい中間管理職でしかないので、リーダーシップなんてはなから期待できません。私たちの統治権力は、75年前に終わっているのでしょうね。 戦術の逐次投入や、科学の軽視、ひたすら長いものに巻かれる事大主義、身内しか信用しないネポティズムなどなど、歴史は繰り返す、一度目は悲劇として、二度目は喜劇として、なんて言われますが、よく考えてみると、繰り返しているのは、彼らなのか、我らなのかどちらでしょうか。 「私には決める権限がないので、どうかはやく決めてください」という、この気持ちを身体表現したものが、お辞儀です。頭頂を相手に見せるのは、よく言えば信頼ですが、実態は、こびへつらい、服従です。たくさんお辞儀して、元気で明るく、ちょっぴりエッチでないと、中途半端な裁量権も与えられませんが、それらを与えられたところで実は、そのしょぼい権限すら、行使できないものです。

2021-01-05 21:25:51

コロナ禍の1月は、DRY JANUARYで!

YouTubeの5秒CMが、最近やけに増えてきてる気がします。スキップボタンを押しても作動せず、気がつけば終わってます。5秒奪われたことへのマイクロなストレスが貯まります。逆に、このCMも5秒かなと思って終わるのをやり過ごして待っていると、5分ぐらいの長い広告だったりして、またムカつきます。 このようにYouTubeはとてつもなく広告がうざく、一方でNHKはコンテンツが超絶ウザいので、結果としてNetflixと読書に、時間が振り分けられていきます。民放観てるとついYouTubeだと錯覚して、CMを送ろうとしてしまいそうになるので、最初からみないことにしています。 都市こそ自由、という感覚が間違っていて、もともと都市は城の中です。都市に入るということは、野生の自由を諦めることです。そういう意味では中国は、都市というものの本質をちゃんとわかっていて、極めて迅速に課題を解決したことがわかります。イデオロギーの問題ではありません。都市への習熟度の問題です。 自由なんていう矛盾に囚われてほぼ一年、解決できなかった日本がいまなにを潜在的に恐れているかといえば、東京オリンピックは中止になり、冬の北京オリンピックは開催されるという、コロナ対策優等生と劣等生の差が、オリンピックという尺度ではっきり見えてしまうことだろうと思います。 都市にいる人は矢鱈と酒を飲むことで、面倒な人間関係をマネージしている気がします。アルコール依存を否認するために、会食依存に陥っている中高年もかなりいます。都市の外にいれば、酒なんて要らないのかもしれず、その逆も真なりで、酒飲まなければ都市にいながらにして、実態はほぼ田舎暮らしなのではないかと、最近気がついてきました。 人類の歴史を見ても、アルコール依存症は産業革命以後にでてきたので、都市に人が集まると、飲まずにはやってられない、が本当のところだろうなと思います。都市では水が足りないから、酒で代用していた、という説もあります。都市の外で酔ってしまえば、敵や動物にいつ襲われるかもわかりません。探検家や冒険家も、危険なのでお酒は飲みません。 ということで、新しい年の始まるこの1月に、お酒をやめるドライ・ジャニュアリーは、緊急事態宣言を睨むと、いっそう悪くない暇潰しネタではないかと思います。お正月休みに飲み過ぎて、もういい加減やめたいって思っている人も、いまからでも丸で遅くありません。 お酒にもいいところがあると少しでも思っていると、やめるのが余計に辛いです。お酒の量を控えようとする節酒は、結局はお酒を良きものと評価して我慢しているので、とても辛いです。やめるためのかんたんな唯一のコツは、アルコールを功罪で考えないことです。アルコールとは、功はゼロの飲み物と腹落ちさせます。善悪ではなく、害悪を起点にして考えたほうがラクです。 LGBTQなどと同じように、シラフでいることだって人間の基本的な自由であって、シラフとドリンカーは互いに干渉せず、それぞれの世界で併存すればよいと思います。1月をノンアルコールで過ごせたなら、その驚くほどの快適さに気づいて、その先もシラフでいようと考えると思います。 徒手空拳日記のDiscordチャンネルで、ドライ・ジャニュアリー雑談を開設してますので、ご興味ある方は、遊びに来てください。お酒をのまなくてもなんともなくなる為には、既にお酒をのまなくてもなんでもない人のコミュニティが、かなり参考になるだろうと思います。 お酒を飲まない人は、可処分所得だけでなく、可処分時間もハイレベル、筋金入りの暇人、いや自由人だと思います。

2021-01-04 20:33:18

エフェクトがコストに反転する社会

ニトリの珪藻土マットを昨年買って、普通に使っていたのですが、アスベストが混入しているらしいとのニュースが伝えられて、ニトリのホームページを見たのですが、やばいやつと大丈夫のやつの区別がつかなくて、困っていました。 そうしたらメールで、お客様がお買いになった珪藻土製品は安全です、とニトリから届きました。そういえば、ニトリのお店で買い物するときは、スマホのバーコードをスキャンしていたので、購買データがバッチリ残っていたのです。地味ではありますが、こうしてワン・ツー・ワンでフォローされると、バカなので少し嬉しくなります。購買データを、リコールに使えてるのって、新車販売くらいかと思ってましたけど、こんな単価の安い生活雑貨でも、リコールできるんですね。お値段以上の危機管理、お見事だなと思いました。 それに比べてデジタル庁は、4月ではなく9月発足なうえに、デジタル化のウラ目的として、法と秩序の強化に悪用されそうで、なんとも不気味だなと思います。NHKの元職員によって、職員のタクシーチケットの私的なつかいまくりと、受信料の個人データが取材活動に流用されていたことが、内部告発されていましたけど、菅政権のデジタル化とは要するに、マイナンバーカードの普及なわけで、まあそんなの携帯の番号とか免許証の番号とかと大差ないよねっていう説もあります。 実際にはかなりのプライバシーデータが、消費者に許可なく勝手にマージされて、既に相当正確に、詳細に個人プロファイルを分析できています。政府の言ってるデジタル化とは、既にほぼほぼマージされている個人データを、いよいよ治安維持や徴税活動にも使わせてね、ということです。 統治に使われるということは、最後は今の香港のように、反政府的な言動が監視されて、しょっぴかれる可能性もなきにしもあらずですが、日本は米軍の私財でしかなく、国民国家ではないので、あからさまな監視による強権的な統治はしにくいと思います。するとどうなるかといえば、昨年の学術会議問題みたいに、見せしめの問題児を、作為的にスケープゴートにするのです。 しかもなぜ彼らは狙われたのか、理由は内緒です。憶測が広がって、みんなが理由を探ろうとし始めます。そうなったらシメたもの、あれもだめかも、これもだめかもと、強烈な自主規制がかかります。学術会議だけではなく、メディアなんかもこのやり方でコントロールされた結果として、一文字も読み聞きする価値のない、つまらないプロパガンダになってしまいました。 これがパノプティコン効果です。己は権力に監視されているかもしれない、でも監視されている決定的なエビデンスはない、この状態がずっと続きます。緊急事態宣言が出る出ないはっきりしなければ、明日から普通に会社に行かなきゃならない人たちの、ぼやきがTwitterにかなり書かれていますけど、彼らがなぜリモートワークを要求できないかといえば、日本の朱子学カルト会社員の組織には常に、菅義偉的なパノプティコンが張り巡らされているからだと思います。 目をつけられているかもしれないので、自分だけリモートワークなんてできないという圧力ですね。日本の産業なんて、コロナ禍前からとっくに、グローバルサプライチェーンの部品製造産業と、インバウンド観光、飲食関連産業くらいしか残っておらず、通勤ラッシュにオフィスに出張らなければならないホワイトカラーの事務職は、実のところほとんどがムダな作業です。 コロナ禍が明らかにしたのは、ホワイトカラーのリモートワークの可能性ではなく、ホワイトカラーのほとんどの業務はなくても困らないという残酷な事実です。今年はそのことがよりはっきりくっきりと見えてくると思います。これまでエフェクトとされていたものが、いきなりコストとみなされるツラミの時代がやってきます。

2021-01-04 20:30:54

オフグリッドの狭小断熱ハウスに住みたい

よく晴れた静かなお正月なのですが、東京都に緊急事態宣言が発布されるかもしれません。不思議なのはなぜかこういう有事には、Jアラートという浜田省吾の曲名みたいな名前の緊急報知システムが丸で活用されないことで、例えばみんなが仕事終わって飲みたくなる夕方のチャイム替わりに、あのおどろおどろしいサイレンでもガンガン鳴らしてみれば? と思いますが、どうなのでしょうか。You Tubeの東京都のコロナ広告、打ち過ぎでうざいです。 紙の本、Googleフォトの写メ自炊、Kindleの3冊を飽きてはとっかえひっかえ同時に、本を読みながらコーヒーを飲んで、ステイホーム最高だなと思います。私はもともと超絶リベラルなので、今年はポスト資本主義の実践をテーマに、ちんたら生きようとしております。 具体的には、できるだけ稼がないために、法人をつくりました。源泉徴収という朱子学カルトからのオフグリッドですね。会計は解釈ですから、稼がない法人の姿もまた、Googleスプレッドシートに自由にえがくことができます。昨年コロナで買ったマイカーも、その法人に売ってしまいます。雇わない、雇われない。稼がない奪われない、そういう存在になりたい。 山奥ニートは住まいと食費と光熱費コミコミで、なんと18000円という驚異的な生活コストなんですけど、私くらいの年齢の中高年が住むにはみなさんヤングマンなので、中高年向けのそういうやつがあるといいな、つくってしまおうかななどと考えています。 多拠点居住のサブスクサービスで月4万円でアドレスホッパーなんていう素敵な仕組みが、もう既にこの世界にはあるのですけれど、私の場合はそんなにホッピングしたくなくて、オフグリッドの狭小ハウスに興味があります。 古民家や古い空き家は大きすぎるのと、構造的に断熱が弱いので、無駄なエネルギーが必要になるためにパス、自分でなおすのもかったるいです。空き地を借りて、そこにオフグリッドのプレハブハウスのようなものをつくれないかなあと、関連動画を見ています。 太陽発電と太陽熱で、結構いいところまで行けることがわかってきました。下水道も要らない、おがくずのコンポストイレとかもあって、あとは井戸があれば完璧だななどと、あれこれネットで調べながら暇潰ししています。スタンドアローンな狭小ハイテクハウスがあれば、徒手空拳にひっそりと生きられそうです。 断熱がきっちりできれば、太陽発電のエアコンとユニクロのヒートテック毛布で、冬もなんとか行けそうな気もしますがどうなのでしょうか。ポスト資本主義とは要するに、私にとってはアンチ朱子学カルトなので、雇われることも雇うこともせず、リビングルームの要らない孤絶空間へと少しずつ空間を切り替えていくことです。 会社辞めるとなぜか潰しの効かない己を棚に上げて、名ばかりのコンサルになりたがる人が、周りでは目立ちますが、需要のあるコンサル業をやれるのは、自らがその領域で先駆的に実践している人だけです。なので私はまずは、実践あるのみ、徒手空拳のライフスタイルを自らやっていくのが、本業だと思っています。 写メ自炊は、スマホで撮った画像をGoogleフォトのアルバムにしているのですが、しおり機能がなくて、うっかりアプリを閉じてしまうとどこまで読んだか分からなくなって困っていたのですが、読み終わったページの画像をお気に入りにすれば、次に読み始める時にどんなデバイスでもどこから読めば良いか目印を作ることができると気づきました。 そういえば Google の音声入力も、「まる」と言えば、SIRIとおんなじで読点が打てるようにいつのまにか進歩しています。仕事用にiPhone12も買ったのですけど、外出先でマスクをしていると指紋認証できないのが、このご時世致命的にやはりよくありません。テキストのカーソル送りの矢印ボタンがないのもストレスです。90対10ぐらいの割合で Android のほうがもはや優れています。

2021-01-04 20:29:35

ブランニュー・デイズおめでとうございます

元気で明るく、ちょっぴりエッチ、しかしとことん謙虚でいないとすぐに組織の有力者から目をつけられる、パノプティコンであるところの朱子学カルトが、私のもとを完全に過ぎ去りました。それが2021年1月1日です。超絶めしがうまい。かまぼこをアテにコカコーラゼロで祝杯をあげました。朱子学カルトは、物心ついた頃から、私の常識を支配していた教えでしたけれど、もうたいした利用価値もないから、手放そうと決めました。 とっくに学校の同窓会や名簿からも消えており、消息不明の度合はもともとかなり高かったのですが、名実ともに会社員でなくなったということは、社会からの蒸発を意味します。ステイタスなどなき漂流ブツなうえに、何糞と成り上がる気概もゼロどころかマイナスです。大学を出て、これまで食いつないできた会社員生活への慈しみや愛着はぜんぜんありません。 政財官学マスメディアとは、今日からはますます関係ありません。NHKとか日本テレビとか日本経済新聞のつくりだす時間や空間からおさらばです。私は交番の掲示板で指名手配犯のビラを見るのが好きなのですが、それは彼らが政財官学マスメディアから逃げている人だからで、私もそっと、遅まきながら彼らと同じ隔絶の世界に参入しました。彼らと比べて追われないだけ、ラッキーです。氏素性を隠して、地球に紛れて暮らしている火星人のように、生きていたい。 サンガリアの天然水とコーヒーを飲みながら、「空き家幸福論」をちんたら読んでいます。不動産取引って、情報の非対称性がすごすぎて、ヘタに0円物件を買ったりすると、二度と売れなくなりますが、朱子学カルトからの逃走先として、もうそこで死ぬまでいようと割り切れば、こんなに安い不動産はありません。ひっそりと地球に紛れ込んだ火星人のように暮らしていくなら、いい物件サイトです。あと廃墟不動産投資っていうジャンルも面白そうです。これから人口は減りますが、世離れしたい、世捨て人は増えますので、彼らを相手にする不動産投資は穴場かもしれません。 昨年読んで一番心に残っているのは、山奥ニートですが、なにせ彼らはまだまだ若いです。山奥ニートになるためには、出口戦略がクリアなほうが有利で、出口がはっきり見えていることが、その人の影を薄くすると思うので、若ければ若いほど、出口がはっきりしているから山奥に馴染みます。 40代以上のシェアハウス住みがあんまりいないのは、彼らにはもはやリッチな出口がないからで、老人ホームのようにあとはもうすぐ死ぬだけという訳でもなく、袋小路のなかにいる中高年はとにかく、面倒くさそうです。ピロヤンはまだ独りで住めているからいいのであって、タコ部屋ぐらしの中高年は、なんともつらい。 銭湯から歩いて10分以内とかに、風呂なしのきれいな家賃の安い狭小アパートとかあったら、出口の見えない中高年にはいいかもなと思います。テラスハウスみたいなシェアハウスなんて無理だねっていう人向けの、小綺麗なドヤです。 福山雅治の「家族になろうよ」が昨日のコロナ禍歌合戦のトリだったのだと知って、薄っぺらいと思ってしまう私は、やはりダメ人間確定なのかな。はい、そうですね。歌の力がまだあるのなら、エイベックスがたてたばかりの自社ビルをハゲタカに売り渡したりしないでしょう。地球に隠れて息を詰めている火星人には、ミスチルの内省的な歌とか雑音でしかありません。 何はともあれ、アメリカ人の熱狂しているものはほぼ例外なくろくでもないので、アメリカのしょぼいタイムマシンでしかない日本で、アメリカ的なものを間遠にしながら、今年は、ブランニュー・デイズを重ねていこうと思います。

2021-01-04 20:26:20

指は最高の入力デバイス(しかも無料)

日本人は、デバイスの物理的な、機械工学的な機能にこだわりすぎて、それがスマホの遅れにつながったのではないかと、私は思っています。完璧に機械工学的な解決をしないと気が済まないというのは、江戸時代のカラクリ人形の頃からの、宿痾みたいなものかもしれません。こだわりが強すぎて、枯れた技術を捨てることができないことによって、日本のエンジニアリングは、ものすごく古臭いものになり果ててしまいました。 ドコモのiモード絶頂期の頃、日本人はよく、アメリカ人は手先が不器用なのでガラケーのキーが使えないなどと、小馬鹿にしていました。モバイルコンピューティングの入力機能を考える時に、日本のエンジニアは、キーボードや、スタイラスペンや、マウスのようなものを、絶対に必要だと信じて疑わなかったのではないでしょうか。 指は最高のポインティングデバイスだ、こういったのはスティーブ・ジョブスです。入力にキーボードもペンもいらない、と彼はiPhoneの発表会で言いました。入力は指だけで物理キーボードはなし、という彼の判断が、その後の日本のスマホ市場における圧倒的な遅れにつながっていったのではないでしょうか。裁断自炊なんていうガラパゴスなものも、スキャナーのページ送り技術なぞがなまじあるからだと思います。 私が今採用している最新の自炊方法は、裁断もスキャンもせず、両手でページをめくりながら、Bluetooth でシャッターを足の指で押せるようにして、スマホカメラで撮影してしまい、その画像を Google フォトで読むだけと言う、全く破壊もせず、スキャナーやアプリに一切頼ることのない、超スマホオンリーの方法です。 圧倒的に自炊スピードが早いと思います。私のように紙の本そのものには、まるで価値を感じない人には最強の方法です。文字なんて読めれば良いのです。スキャナーでページを送り出すと、本の紙質によっては1ページずつページを送ることが難しくて、スキャンすべきページをかなりすっ飛ばしてしまったりするのですが、人間の手先や指先は本当に優秀で、正確に1ページずつめくった上で、本を指でしっかり固定して、すばやく撮影できてしまいます。 さらにこの方法の素晴らしいところは、だいたい残りのページ数がどれくらいあるのかも、本の撮影なので、残りの厚みを見て推し量ることができます。Kindle だと現在のページ位置は、デジタルにしか分かりません。こんな便利な方法は私が独占していてはもったいないと思うのでこうしてブログで書いています。これの良いところは、紙の本を裁断せずに保存できるので、メルカリで高く売ることができます。 しかも、読み終わってから売らなければならないと言う、ボトルネックの制約から解放されるので、話題の新刊本などは読まずにして、写メ自炊してさっさと値崩れしないうちに売ってしまえば良いのです。 この数年間、私はひたすらデジタル化一辺倒で進んできたので、この辺りでアナログの魅力を探索しながら、来年はちょうど良い頃合いを見つけ出せるように、アナログトランスフォーメーションを進めたいと思います。具体的には、バレットジャーナルやラピッドロギングは、紙に戻しています。Evernote やワークフローウィーの有料サブスクを更新せずに、情報ストックは、紙に戻していこうと思います。指の感触や微妙な動きに頼ることで、二次元的なデジタルのテキストよりも、早く効果的に解決することができるかもしれません。電子化とアナログの黄金比を見つけたいと思っています。

2020-12-31 17:29:39

偉い人の言ってることを、もう誰もちゃんと聞いていないですね

先日、クルマで竹芝の辺りに行ってみたら、東京ポートシティという再開発がもりもり進んでいて、新しいオフィスビルがニョキニョキたっていて、ここにどんな企業が入るというのか、ちょっと悪寒を感じてしまいました。駅からも遠いし、未曾有の金融緩和で、確かに不動産バブルは続いていますが、オフィス需要はどう考えても蒸発しているので、これからやってくるだろう実体経済と金融緩和の調整局面の恐ろしさは想像を超えています。竹芝でこんな感じなのですから、晴海とかはもっとすごそうです。やはり、来年は東京にいないほうがいいかもしれない、と戦慄する瞬間でした。 YouTubeで都知事会見をライブで観ていると、奇妙な感覚を覚えます。都庁記者クラブから小池百合子都知事への質問は、空気を読んだ、とにかくとことん怒られない無難な質問に終始しているのですが、同時に画面に表示されるライブ視聴者のチャットは、ひたすらなんでもありの罵詈雑言が連なっています。 つまり、日本では権力による言論統制は全然行われておらず、市民がYou Tubeのライブチャットで自由になんでもコメントできるのに対して、マスメディアの記者は自主規制をしているんだなということがよくわかります。政財官学マスメディア丸っと、一蓮托生のグルなのだなあとバレてしまう瞬間でした。 おかみは、マスメディアには内弁慶なのですけど、Twitterのハッシュタグやヤフーニュースのコメントについては、とても神経質な気がします。もうすでに全国紙の一面や社説なんかより、ヤフーニュースのコメントやTwitterのほうがもはや影響力としてはマジョリティーになりつつあって、官邸はひたすら民の声としてのSNSに怯えています。 米軍は、日本が二度とクレージーな総力戦を仕掛けてこないように、日本から、リーダーシップの芽を取り除きました。日本国憲法とは、米軍が、日本の権力者を縛るテクストです。戦争とは敵の憲法を書き換えることです。政財官学マスメディアは、米軍と国内SNS世論という、板挟みの両睨みを強いられながら、強権を発動することもできず、当たらず触らずであり続けることしかできません。 今年6月、フジサンケイグループの内閣支持率調査において、サンプル数の17%が捏造されていたことが判明しましたけれど、国内の世論調査はフジサンケイグループみたいな作為の捏造はなかったとしても、調査方式を変えない不作為によって、コントロールされており、グルのやる調査は、ポジショントークならぬポジションデータで、あてになりません。 総理大臣がニコニコ動画を選んで出たり、ヤフーニュースのコメントに一喜一憂したりすること自体、広報戦略が10年遅れていますけれど、彼らはバズとアドボカシーの差がついていません。バズは祭りや炎上です。彼らは祭りや炎上にばかり関心を向けていますが、政治のために本当に必要なのはアドボカシーです。英英辞典を引くと、 public support for a course of action or way of doing things つまりアドボカシーとは、人々の評判や評価のことです。「みなさんこんにちは、ガースーです」みたいな菅義偉の発言は、アドボカシーではなくバズ狙いだから、炎上したのですけど、そのことに官邸は気づいていない気がします。官邸の広報官は、このコロナ禍で、初歩的な勘違いをしていると、この政権、全然長続きしない気がしますがどうなんでしょう。もう既に、スーガーの言ってること、誰も聞いてない気がします。

2020-12-30 19:22:08

依存の反対は、つながり

高知ノボル氏の「生き直す」という彼の自伝を読んで、気づいたことがあります。何らかの依存症もまた、その人が命を守ろうとした結果なのだということです。死んでしまうよりは、依存症でなんとかやり過ごした、依存症とは、そんな緊急避難のひとつということです。たしかにそうだなと思います。ためらい傷のようなものです。 清原和博氏がYouTuberを始めました。「息子の前でもう一度ホームランを打ちたい」という願いを叶えていく企画です。蓮の花のように返り咲くことを目指して、留置所で呼ばれていた144番から、やがて彼の往年の背番号、3番や5番を目指して再スタートを誓っています。本塁打数で歴代5位の彼にとって、ホームランとは、リカバリーカルチャーと呼ばれる、回復者ならではの文化なのだと思います。 死なないでよかった、死なずに済んだ、そこから、また始めればいいんだよ、というのが、依存症を世界からなくすための、もっとも有効な方法なのだなと思いました。依存は、個人の問題ではなく、社会としての孤独の問題であって、依存症の患者を社会的に排除することは、これからどんどんなくなっていくと思います。依存症とは、つまり自傷行為なので、そもそも罰することや、制裁を加えることは、なじまないのです。 そう考えると、死にたくなるような社会を変えていくことが、結局は依存症をなくすことにつながります。でもこのクソな社会はなかなか変わりません。だとすれば、自分のマインドセットを変えることにかけたほうが、近道なのかもしれません。アルコールをやめたければ、シラフで生きてても、かなり楽しいんだという真実に気づくことが大切だと思います。正義コンシャスに生きるのではなく、正気コンシャスに生きると、ラクになります。正義とは社会との関係で決まりますが、正気は己単体で決まります。そのことの快感は、忘れないでいたいと思います。 社会人なんてやめちゃえば、生きてて楽しくなる。政財官学マスメディアが血眼になって追い求める資本主義を諦めてしまえば、そもそも死にたいなんて思わなくなるのではないかと思います。死にたくならないなら、依存もいらなくなる、そういう因果律を見つけていけたら、世界は変わるかもしれません。 しあさっての元日からアルコールをやめてみる、ドライ・ジャニュアリーをもしやろうとするなら、シラフでいるほうが、酔うよりも幸せだという感覚をイメージできると、うまく行くと思います。でももっと大切なのは、お酒を我慢するのではなく、そもそも飲まなくても自分は一人じゃない、よーく見てみればまあまあ幸せだというマインドセットを確立することだと思います。 ダイレクトにアルコールをやめるのではなく、不幸の原因となっているもっとメタなものをやめることが大切だと思います。朱子学カルトをやめてみる、心のなかで、元気で明るい、ちょっぴりエッチ、それなのにとことん謙虚なサラリーマンをやめてみる、死にたくなるような自分をやめてみると、そもそも酒なんていらなくなります。 1月は、何かを始めるには特別な、時間のランドマークです。ベンフォードの法則ではありませんが、ひとは1から始まるものが大好きです。そして何よりも、みんなでせーので一斉に、アルコールなしを楽しめれば、それは孤独ではありません。「依存症の反対語はシラフではありません。依存症、アディクションの反対語は、コネクション、つながりなのです」 これは、テッドにおけるジョハン・ハリさんのスピーチですが、依存症問題は少しずつ本当に、彼の言っている通りになってきました。罰するのではなく包み込む社会に変わっていくでしょう。

2020-12-29 20:58:33

「頑張らない屋さん」になろう

沢木耕太郎は大学を出て富士銀行に就職したのですが、4月の初出社その日に、通勤途中で銀行を辞めようと思って、実際にその日に辞めてしまいました。彼がたった一日で成し遂げられたことに、私は30年近くもかかってしまって、なんとも言葉がありません。 まだ53歳の国会議員が新型コロナで急にお亡くなりになりましたけど、ライフシフトとか人生百年時代なんていう言葉が、コロナウイルスの荒れ狂う最近は、空々しく感じます。政財官学マスメディアのリニアな時間感覚は、燃焼の先送りのようなものでしかなく、社会人という時間の連続性はコロナ禍で終わってしまうかもしれません。 1932年3月1日に満洲国ができてから、安倍晋三、菅義偉までずっと連続していた満洲国の時間が、そろそろおしまいなんだろうなと思います。昭和は本当は20年で終わっており、その先の昭和、平成、令和とは、南北朝の裏元号みたいなものです。1945年からのこの国の元号とは、米軍です。来年は米軍76年です。 サイトカインストームは、ヒトだけでなく、米軍76年を迎える満洲国末期の国体にも、容赦なく襲いかかるでしょう。末端に血栓のようなものができて、血流を駆け巡り、霞ヶ関や永田町がぶっ倒れます。NHKはどうやって大晦日の紅白歌合戦を、安全にやるつもりなのでしょうか。出演者やスタッフ、総勢何人くらいいるのかわかりませんが、万全を尽くすなんてことはおそらくなくて、単に、いまさらもう止められない、だけだと思います。 元気で明るい、ちょぼちょぼエッチな、でもとことん謙虚な頑張り屋さんの息の根が、サイトカインストームで止まってしまわないよう、今はただ、頑張らない屋さんでいたほうがいい気もします。戦略そのものを見直さないと、インパール作戦のような末路へと進んでしまうのではないかと、他人事ながら心配です。 NHKの受信料よりも安い値段で、AppleMusicをサブスクすれば、好きなときに非同期で聴くことのできる楽曲数は、7000万曲あり、こういったテクノロジーの進化をガン無視して、紅白歌合戦を国民が完全同期で聴く意味は、コロナ禍ゆえになおさらないと思います。 アドルフ・ヒトラーの本質はアジテーション、煽動にあり、彼が重視したのは、集会とアートディレクションです。戦時中の日本の政治家は、ナチスのアートディレクションにあこがれて、ナチスのようなマントを好んで着込んでいました。ヒトラーの煽動的な演説が、大規模な集会でも一人残らず聞こえるようにと、真空管の巨大スピーカーを用いたパブリックアドレスのテクノロジーが考え出されました。紅白歌合戦は、放送という巨大なスピーカーで、日本のかなりの割合の人々に届けることができますが、病的にアートディレクションがクソなので、感動も丸でありません。 何が言いたいかというと、1932年から続く満洲国というナショナルな時間感覚なんて、もういらないのではないかということです。端的には、オリンピックなんて早く諦めたほうがいいと思います。オリンピックなんかより、スーガーらが強引に進めてきた外国人技能実習生の危機を救うことが、ヒューマンとして先だと思います。コロナに人類が打ちかった証として、とか言ってましたけど、変異株の世界的な流行拡大で、もはや打ち克つことはかなり難しいと思います。 政財官学マスメディア、銀行員やNHKの時間感覚ではなく、個人の勝手な、自律分散のバラバラの時間を優先して生きていく、来年はそんな身勝手な生き方をしていきたいです。頑張り屋さんではなく、頑張らない屋さんを目指す、2021年はそういう一年に、私はしていきたいなと思います。本当に、今からでも遅くないので、紅白歌合戦は中止にしたほうがいいと思います。香水っていう歌、私だけでしょうか、あまりにもガラパゴスで、聴くと恥ずかしくなります。

2020-12-28 21:08:31

「数は力、力は金」の次を求めて

近所を歩いていると、いつもならやってる店が軒並み閉まっていて、張り紙を読むと、既に年末年始のお休みに入っているところが目立ちます。飲食店だけじゃなく、いろんなお店がクローズド、少し前までは、元日を休むか休まないかで騒いでいたのに、今年はもはや、商売の匙を投げているみたいです。お店を開けても閑古鳥なら、ベタっと休んじゃったほうがマシなんでしょうけど、アルバイトの人はそうなると稼ぎがゼロになるわけで、東京は、とてつもない2021年新春を迎えつつあります。 1つの世代を25年とすると日本は敗戦後既に3つの世代が終わりました。敗戦から最初の25年は、戦争に負けて、連合国の支配下においてそれでも外交でうまく立回ろうとした、戦争生き残り世代の時代で、2つ目の25年はソニーやホンダなどの製造業による豊かな時代だったと思います。3番目の25年は、成長のない停滞の四半世紀で、コロナ禍がトドメを刺しています。 夜明け前が一番くらいなんぞと言いますが、日本とは要するに、アメリカ軍のプライベート・アセットなので、植民地としての宗主国アメリカの衰退とともに否応なしに、敗戦後4つ目の25年が始まろうとしています。これからは、序破急の急、民主制や資本主義のアンチテーゼとなるでしょう。 政治は数であり、数は力、力はカネだと言ったのは田中角栄でしたけど、これ、ガーファも同じです。私に言わせれば、GMもGEもGoogleも、数は力、力はカネというゲームのルールは同じです。地上波テレビもYou Tubeも、数は力、力はカネという意味では、目糞鼻糞、五十歩百歩です。テレビからYou Tubeに溢れ出てくるタレントのYou Tube見てても、ぜんぜん彼ら楽しそうではありません。楽しそうなのはヒロシとか、You Tubeそのものが救いになっている人だけです。テレビとルールおんなじなのに、You Tubeは丸でおいしくないから、悲壮感が漂ってます。テレビ出自のタレントYouTuberは、選挙に落ちた人のポスターみたいに哀しい表情をしています。 クラウドファンディングも、融資という意味では、銀行融資とゲームのルールは同じです。見返りを丸でもとめないクラウドファンディングはほとんどありません。都銀に借りられないから、地銀、地銀も無理なら信用金庫、信用金庫も断られるから、クラウドファンディングです。You Tubeがしょぼい地上波ならば、クラウドファンディングはしょぼい銀行です。 一見すると新しそうに見えて、本質的には縮小均衡でしかないものを捨てないと、第4の25年間のビジョンは、到底見えてきません。政財官学マスメディアが嫌がることを徹底的にする、これにつきます。戦略とは、敵の嫌がることをすることです。具体的には、彼らの為に働かないことです。本来の意味でサボタージュに励むことです。貨幣経済の割合を下げていくと、彼らは嫌がります。 GDPとは都市生活者の量と質の積でしかないので、都心への憧れを捨てたり、物々交換にシフトしたり、オフグリッドになれば、GDPは下がってしまいます。政財官学マスメディアは困り顔です。ブログやYou Tubeも、ページビューや再生回数による広告収入を目標にするのではなく、おんなじような仲間が集まって、安心して過ごせる時空間をつくることを目指すのが、いいのではないかと思います。 徒手空拳日記のはてなブログは、プロコースを解約したら、しょうもないバナー広告がはられるようになってしまい、そのことが不本意なので、閉じることにしました。過去のブログは、noteに順次あげて行きますが、当然のように無料開放です。私も含めて比較的お金に余裕のまだある人が集まって、政財官学マスメディアやガーファなどのプラットフォーマーに依存しない、スタンドアローンの時代をつくる小さな志になれたらいいなと思います。

2020-12-27 21:12:14

正気は、権利

会社辞めても、とくになんともないのは、いつものことです。もともと燃え尽きています。会社辞める前から、とっくに世界とは切り離されているのです。はなからスタンドアローンなので、ネットワークの影響を、受けません。良くも悪くも自己完結しています。昭和から平成までは、スタンドアローンで生きていくには大きな苦痛を伴いましたが、最近では、己が孤立していることを、かえって便利だなと思うようになりました。年齢のせいかもしれませんが、テクノロジーのおかげかもしれません。半々くらいでしょうか。 逆説的ですけれど、あんまり辛くなくなってきたのは、同じようなスタンドアローンの人と、弱くつながるようになってきたからだと思います。毎日飽きもせず情報発信していると、近しい人が意外とこの世界にはいるんだなと思えるようになったのは、最近のことです。 世の中でサバイバーと言うと、とてつもないトラウマ、苦悩や苦痛から奇跡的に還ってきた超レアーな人ばかりが注目されますが、サバイバーって、そんな極端な、デジタルなものではありません。もっとずっといろんな苦労にめげなかった多様なサバイバーがたくさんいて、犯罪者にも依存症にもなんとかしてならず、ぎりぎりのところで日々生き抜いている、リアルなサバイバーのほうが、サイレント・マジョリティーなのだろうと思います。 破綻を自らの手で、ようやっと日々逃れている人々にとって、世界は最初からこんなものであり、現実もこんなものであって、コロナがあろうとなかろうと、生きることは、しのぎです。多くのことを諦めているから、生きていられるという言い方もできるし、身の丈の希望をちゃんと見つけて持っているから、辛くないという言い方もできます。 この世界を、プロパガンダになびくこともなく、覚めた心持ちで生きることは、人間としての権利です。世界は公平でも公正でもないと思います。積水ハウスのCMのように、朱子学カルト組織の勝ち組のように都市に住まう社会人なんて、単なる幻想です。それからシラフでいることも、権利です。アルコールというドラッグに酔ったところで、己自身はぜんぜん良くなりません。陶酔からは、選択的に覚めていたい。新しい年をシラフではじめる、Dry Januaryの季節がまたやってきます。コロナ禍で家庭や社会の人間関係が悪くなっている多くの原因は実はアルコールだったりします。リモートワークで、アルコール依存症寸前の人たちがたくさんいます。正気でいることは、手段はどうであれ、スタンドアローンということで、スタンドアローンになりたければ、アルコールをやめてみることは近道です。 陶酔がなくてはならない社会が、立ち行かなくなってきたのが、今年、2020年でした。アメリカ人の陶酔は、トランプというテレポリティクスによる集団発狂でしかなく、トランポリティクスが戦略的ターゲットとしたラストベルトとは、オピオイド依存症から大量のアヘン中毒者がつくられている地域であり、アメリカの中産階級とは、薬物とテレビによって、正気を失った人々となりつつあります。 日本においても、酒と3つの日本、すなわちNHKと日経と日本テレビのような、事実上の合法ドラッグに陶酔するバブル世代以上の錆た中産階級と、それ以外の世代の和解不能な分断が、どんどん進んでいるように思えてなりません。正気のシラフはみんなそっと心を閉じて、陶酔の世界から帰ってこられなくなった彼らに、さようならも伝えないまんま、分断の固定化する社会へと進んでいるのかもしれません。東京の感染爆発を見ると、来年のジャパンはとてつもない試練の一年になるのではないか、そんな気がしてなりません。

2020-12-26 20:15:03

無神経の向こうにあるもの

会社やめるので、これまでなんだかんだと持たなくてはならなかったプラスティックカードが減るから、本当はもっと嬉しいはずなのに、もう会社に行かなくて良いので、持ち物を軽くする必要があんまりなくて、思ったほどはうれしくない、なんとも複雑な思いです。 コロナ感染防止のために、現金をますます使わなくなりました。でもまだ都内でさえも、現金で払っている人が半分以上いるようなイメージです。マスクのつけかた、はずしかたもいい加減です。大阪府知事なんて、会見するときに外した自分のマスクを、側近に手渡してました。橋本聖子は、下敷きを魔改造したフェイスガードを酔っ払って文春記者に見せびらかしてましたし、こうした感染防止策の適当さ、いい加減さが、感染の拡大に悪い影響を与えていると思います。 クリスマスの一週間後に初詣に行ったりするので、日本は無宗教の国だなどとよく言われますが、私はぜんぜんそう思わずに、世界でも類を見ないほど、宗教的な、薄気味の悪いカルトの民だと思います。宗教的とは要するに前近代的ということで、つまりは科学を前提としていないということです。地球平面説のバカアメリカ人と日本人は、目糞鼻糞、五十歩百歩です。 科学や合理を心の奥底で憎んでいるので、中国とアメリカの両方と同時に戦争してしまいますし、仲のいい部下だからやらしてやりたいというだけで、インパール作戦が承認されますし、自殺者をこれ以上出さないために、ゴートゥーをやめるわけにはいかないという、無茶苦茶な論理もまかり通ります。 偽造、捏造、安倍晋三による昨日今日の桜を見る会前夜祭の釈明なども、まともな神経や思考回路では、理解はおろか内容把握も難しいトンデモ論理であって、前夜祭は安倍晋三のお財布による地元有権者の買収ですが、次の日の桜を見る会本番は、国民のお財布つまり税金による地元有権者の買収です。 昨年4月13日の桜を見る会に、新宿御苑開園前の朝8時前に、一番乗りで貸切バスで乗り込み、指名受注を得たお友達のケータリング業者「JCコムサ」によって用意されたお酒や食い物をフライングゲットした山口県の地元民が、イナゴのように食い尽くして、正式スタートした時にはもう、ケータリングの食い物も飲み物も殆ど残されていなかったらしいのですけど、昨日今日の安倍晋三の釈明は、この血税を原資とする買収前夜の話でしかありません。 岸信介は、昭和の妖怪などと呼ばれていましたけれど、孫のこいつは令和の融解、嘘の上塗りをしすぎて脳みそがどろどろに溶けている気もしますが、こんな男に戦後最長の政権を任せた国民の脳みそが溶けているんだろうなと思います。天誅としての、感染拡大なのかもしれません。合理が通らないという意味では、戦前も戦後も現在も、何もかも同根の問題で、要するに政財官学マスメディアまるっとどろどろに溶けつつある泥舟、朱子学カルト、ということだろうなと思います。 スーガーと安倍晋三の権力闘争もおそらくもう少しで共倒れ、民主党のバイデン政権になるとジャパンハンドラーの走狗、小泉進次郎、河野太郎政権爆誕の予感もいたしますが、政局なんかよりも気になるのはやはりコロナです。7日間移動平均で、足元で40人くらい毎日死んでおり、既に3千人くらい亡くなっています。今年亡くなったみなさんは、まともなお見送りもなくこの世を去っていった方々がたくさんいると思います。政財官学マスメディアは、死んで行った人へのリスペクトもほとんどなく、もはや無神経を通り越して人非人システムでしかありませんけれど、バカもカルトも、滅亡まで治らないんだろうなと思います。

2020-12-25 20:50:16

セリングそのものがブルシットジョブ

早いもので来週の今日は、もう大晦日ですね。私は今月でさくっと会社をやめるので、いつもとは違って、やたらと清々する年末です。借りていたものを消して、返して身軽になっていきます。頭の中で、ルパン三世のテーマが流れ続けています。動物にとって、逃げる時のドーパミンは、合法ドラッグだと思います。逃走は天然のシャブです。 もともと、大学を出てから最初に入った会社を7年でやめた時点で、もはやかたちだけのサラリーマンでしかなく、汲々とした朱子学カルト組織への思い入れも愛着も、ぜんぜんなかったので、コロナ禍がいまこうして再び深刻になり、面倒な送別会や面着のご挨拶などもすっかりすっ飛ばして、消えるように会社からいなくなれることが、とても好都合で、思わず小躍りしてしまいます。 ここから先、どう逆立ちしても、いま辞めようとしている会社と非対称の取引なんてするつもりもさらさらなく、ニッチでしょぼい仕事ばかり、勝手にどんどんつくりだしていくつもりですので、これまでの同僚に、これからも宜しくなんて言うと嘘になります。嘘は言いたくないですし、そうなると、コロナ禍のどさくさ紛れにふっといなくなるという消え方が、最強なのではないかと思うのです。 労働をひたすらコストとみなし、マネジメントとはつまり、労働コストを削ること一辺倒になっている日本は、そのくせというかそれゆえに、いつまでたっても生産性が改善されていません。2019年の調査でもOECD37カ国で日本は21位、日本のひとりあたり労働生産性はなんと26位。ひとりあたりでも日本はアメリカの6割弱、トルコや韓国より低いらしいです。 私に言わせれば、この生産性の低さは労働者たちの意図的なサボタージュだろうなと思っています。前向きなフリをしてバカ真面目にブルシットジョブを矢継ぎ早につくりだし、チンタラやっていく戦略ではないかと思います。しかしこのコロナ禍で、前向きなフリ、元気なフリを周りにアピールすることもなかなかできなくて、そのブルシットぶりだけがはっきり見えてきてしまいました。 仕事ごっこやサボタージュはなにも、社内でのみ認識されているのではありません。無駄な仕事ごっこや、ブルシットジョブは、だいたいその価格に乗っかっているので、お客さんにも思い切りバレています。もともと利益率が低いクソみたいな仕事なので、そこにブルシットジョブの人件費が乗っかると、やたらと値段も高くなります。値段を据え置きに見せるために、量を少なくしたり、質を落としたりします。最近驚いたのは、セブンイレブンのおにぎりを買ってみたら海苔がついてなかったことで、なんとも残念な気持ちになりました。これらは贔屓目に見てもチート、悪く言えば詐欺です。 要らない活動、要らない機能がもりもり抱き合わせでくっついて、押し売りしたり、国から補助金を引き出さないと売れないものばかりで、仮にそれが売れたとしても、ほとんど儲からない、そんな仕事ばかりのどんづまりな世の中をコロナ禍の猛威が襲っています。 お客の方は、どんどん変わってきていて、山下陽光さんの言う「資本主義が得意じゃない人の経済圏」のほうが、これからはメジャーになっていく気がします。価格にブルシットジョブのコストまで乗っかった商品よりも、企んでやらかしている無骨な商品のほうが売れていく時代です。ドラッカーは、マーケティングとはセリングをなくすことだと喝破しましたけど、セリングそのものがブルシットジョブになりつつあると思います。

2020-12-24 20:16:53

破壊的な非破壊の写メ自炊について

この国が、コロナ禍でだんだん立ち行かなくなってきて、もはや諦めムードすら、東京の巷には出てきましたけれど、政財官学マスメディアの頬被りの水準はどんどん高まっています。例えば、最近の報道フォーマットは、まず感染者数で煽り、政財官学マスメディアのお立場ご身分のある人間のコメントを垂れ流し、締めはどこの誰かはわからない街の声です。ここまではもう形式が出来上がっているので、最近はAIとかで編集しているのかと思うくらい薄っぺらいです。 そしてここからが朱子学カルトの真骨頂、この危機的な世相のなかでも、元気で明るく、ちょっぴりエッチな話題を、引き伸ばして大袈裟に伝えます。例えば、今年のクリスマスケーキは、ホールではなくショートケーキがばんばん売れてまーす! ヤッホーってな感じです。頬被りの為に、尺を埋めるどうでもいい世相、こんなクソ動画つくってて、虚しくないのでしょうか。 You Tubeも、櫻井翔のアフラックCMが出てくると、今日は仏滅かよってブルーになります。朱子学カルトテレビもYouTubeも、見たくないなとなれば、ポッドキャストか読書となります。You Tubeより最近はポッドキャストのほうが、利用する時間が長くなってきました。 そしてやはり、読書は最高です。Kindleアンリミテッドは熟慮の結果、読みたい本がないのでやめました。本は動画や音楽よりも遥かにロングテールなので、読み放題と言っても、読みたい本が見つからないのです。マンガ以外の電子書籍はほとんどオワコンになってきました。出版社にしてみれば同じ本を、紙とデジタル両方出さないとならないのは効率が悪いわけで、出版社の衰退とともに、電子書籍が出せなくなって来るのではないかと思います。 スマホを、Googleのピクセルに買い替えてから、カメラ性能が良くなり、写メ自炊のやり方もまた変わりました。どんどんぐうたらになっています。私のこれまでの自炊の変遷は、大きく3段階に別れます。 もともとは裁断してスキャンしていました。本を買って、カッターで分解して、スキャナーにかける、かなり面倒な工程でした。なんと言っても、本の再販価値がなくなることがネックでした。メルカリに出しても売れないし、仮に売れても高くは売れません。 なんとかならないものかと考えあぐねていた時、ダイソーのリモートシャッターに出会いました。両手で本をめくりながら固定して、足の指でシャッターを切ります。そうやって撮影した画像を、iPhoneのアルバム機能でpdfに保存して、Evernoteに格納しました。この非破壊写メ自炊は、新刊の本をいち早く買って、速攻で写メ自炊してしまい、紙の本はメルカリで売ってしまうという、出版業界に最も嫌がられる方法を生み出しました。 Amazonでの発売日にはだいたい新刊は届きますので、それを速攻でメルカリにまわすと、数百円で最新の新刊コンテンツをクラウドに取り込むことが出来たのです。ものを持ちたくない私にはピッタリのやり方です。 いま現在の使い方は、pdf保存をやめました。撮った画像はGoogleフォトにぶっこんで、すべての撮影画像を、新規作成した署名のアルバムに紐付けて、ハイ出来上がりです。Googleフォトなので、どこからでも呼び出せるし、画面をダブルタップすれば文字も拡大、縮小されるのでピンチして拡大する手間も不要です。 このやり方にたどり着き、写メ自炊もかなり完成かなと思うのですが、まだまだ進化は止まらないかもしれません。Googleフォトにおかれましては、はやく縦書きの画像も自動テキストに変換してくれるようになってほしいです。

2020-12-23 19:21:47

近くにおしゃべり禁止の喫茶店が欲しい

コロナ感染の主な要因は、昼夜問わずに会食だと認定されているのに、七時のニュースのあと、当然のように今夜も楽しそうにはじまるNHKの「サラメシ」、本当に気持ち悪いですね。この無神経さに、戦慄します。仕事中のメシなんて追いかけても、人間なんて見えてくるとは、私には丸で思えません。メシなんて空いてる時間にひとりで食いたいです。なんならメシなんて、カロリーメイトでもいいです。 飲食や観光を止めると、生活困窮者や自殺者が増えてしまうから、経済を回すために、ゴートゥーは止められないという、破綻した天然無能によるご飯論法は、贔屓目に見て頭がおかしいと思います。そんなの正義でもなく正気でもない。悪徳な狂気でしかありません。補償して、全部止めればいい、それだけのことです。 大竹まことのゴールデンラジオに、ヒロシが出てましたけど、大竹まことが、ソロキャンプになんてはまる人は病んでるって言っていて、ホントそうだなと思います。ヒロシにとってソロキャンプは、趣味ではなく救いなんだろうと思います。パンピーはひとりキャンプなんて、たいてい無理なものです。無理だからこそYouTubeでその狂気を間接体験したいんです。 コロナ禍で山林を買う人が増えているというニュースにも、首を傾げます。今年は昨年の8倍から9倍の引き合いがあるとのこと。山を買いたい人のかなりが、キャンプのためとありました。人口減少のなかで、地方の土地や建物を買うと、買ったら最後、二度と売れなくなるので、よほどその物件に惚れ込んで、死ぬまで寄り添う以外には、過疎地の不動産なんて、買ってはいけません。なかには買うと、逆に50万円ついてくるマイナス物件もありますけど、土地を持つことはすなわち足枷です。 百万人のチャンネル登録者がいるYouTuberが、チャンネルの価値を上げるためにネタでキャンプ用の山を買うことと、普通の家族が何百万円も出して山を買うのとではわけが違います。買った途端に負債となり、孫の代まで恨まれることになりかねません。 サラメシもソロキャンプも、私には狂気ですが、ある人にはそれが魂の救いとなる、世の中そんなもんだろうなと思います。ソロという意味では、いまあると流行りそうなのは、おしゃべり厳禁の喫茶店や飲み屋さんです。いらっしゃいもすいませんも禁止、注文はスマホで、会計もスマホです。だーれもしゃべらないなら、安心してみんな来るのではないでしょうか。 お店の人やお客さんは、専用のライングループとかでチャットで話します。何かでウケても大声で笑うことはNGです。もくもくとひたすら本を読んで、美味しいものを食べるだけの、そんな店です。しゃべれないなら家でもおんなじ、と思いきやそうとも言えません。 昔実際に、会話禁止の喫茶店があり、好きな本を近くの本屋で買って、私はよくこもりました。聴覚過敏の私には、そもそもスタバとか、うるさくてかないません。スタバでわさわさするよりは、ルノアールに行きたいです。 ソロキャンプとかおしゃべり禁止喫茶とか、どちらもニッチですが、社会的動物である自分を、孤独へと追い込むスリルがあります。こうしたスーパーニッチな仕事に憧れます。この前知って、面白いと思ったのは、事故物件専門の不動産会社で、名前もクールです。成仏不動産と名乗っていました。医者とかでも事故物件を全然気にしない人もたくさんいますので、素晴らしいニッチャーだと思います。私もそういう絶妙な切り口のシャープなナリワイを見つけたいです。

2020-12-22 20:40:35

地球平面説か、朱子学カルトか

私は、ハイブリッドカーなんて最初から眼中にありません。クルマを手放してカーシェアリングを使っていた時も、ハイブリッドカーは絶対に予約しませんでしたし、コロナ禍で中古車を買ったときも、はなからハイブリッドカーは除いて検索をかけて、目当ての車種のなかで、いま都内にある一番状態の良いガソリン車をピンポイントで買いました。ハイブリッドカーはヒューマンエラーを誘う乗り物です。なぜなら複雑だからです。 この先の日本でたぶんあと10年は、ガソリン車、つまり内燃機関のクルマがなんだかんだ言って、一番便利だし、おトクです。電気自動車は高いですけれど、ハイブリッドカーも普通のエンジンより新車で40万円弱も高いので、この原油安ではなおさら、どう考えてもペイしません。ハイブリッドカーなど、存在そのものが虚妄なのではないかと思います。複雑なものはつくるのに手間暇もエネルギーもかかります。電気自動車よりもハイブリッドカーのほうがよほど、環境に良くないと思うのですが、気のせいでしょうか。 Netflixで「ビハインド・ザ・カーブ」というドキュメンタリーをみると、衝撃を受けるのですが、フラットアーサー、つまり地球平面説信者がここのところ、アメリカ人のなかで急速に増えていて、彼らは丸い地球は偽物だとか、人類の月面着陸はなかったとか、本気で信じているのですが、米国の成人8千人以上を対象に昨年実施した調査によると、地球が丸いという確信を持てないアメリカ人は6人に1人に上る、とのことです。どうなっているのでしょうか。GPSとか使ってないのでしょうか。 なるほど、百聞は一見にしかず、といいますので、たしかに丸い地球はこの目で見たことがないから、そんなもの陰謀だとなりますが、真っ平らな地球も実際には見たことないわけで、私に言わせれば、カルトです。 カルトとは、常識の根底レベルで根本的に食い違う人たちのことなので、朱子学カルトとフラットアーサーは、私から見れば目糞鼻糞、五十歩百歩のカルトではないかと思います。科学が通用しません。コロナ禍でも政治的な会食を抑制できないところとか、ズバリ、カルトです。リモートでも同期して、相互監視してしまうのも、カルトです。この地球は会食や会議でできていると信じています。地球は平面だと信じているのと、とにかく面着が重要だと信じているのは、どちらも根拠がありません。 政治は夜つくられるとか、本当にそうでしょうか。昼も夜も、本当は政治なんて、もう全然、つくられていない気がします。権力そのものが縮減して、偉い人の話なんて、もうはなから誰も聞いていません。安冨歩の言葉。 みんな、がんばって偉くなったら、自分の話を聞いてもらえる、と思ってるでしょ? でもね、そういう『立場』を得た瞬間に、話なんてゼンゼン聞かれなくなる。本当は偉いヒトの話なんか、誰も聞いてないんだよ。皆、聞いたフリしてるだけ。偉い人だから、とりあえず聞いておけっていうね。立場主義社会っていうのはね、どこまでも、人と人とが話すことができない社会なんだよ。(引用、終わり) ハイブリッドカーだから地球に優しいっぽい、会食だから、政治の舞台っぽい、元気で明るいから、コミュニケーション力あるっぽい、ちょっぴりエッチだから、親しみやすいっぽい、とことん謙虚だから、がんばりやさんっぽい。どこまで行っても空っぽです。 エビデンスがないからとか、専門家がこう言ってるからとか、静かなマスク会食をとかと、地球は平面に違いないというカルト信者と、どこか違いますか?

2020-12-21 21:14:06

在日米軍は東京150キロメートル圏内の外食禁止

今年は音声入力にスイッチして、音でも聴くことのできる、完全口語体のブログに変えましたが、このやり方は来年も続けていこうと思っています。気がつけば今年も残りあと10日、毎日ひと月分の過去ブログを整理してきて、今日は今年の4月をやったのですが、あれ、この日記書いたの、こんな前だったのかと驚くことばかり。本当に、昨日のことのようです。つぎは今年5月30日の徒手空拳日記です。引用します。 インドのアビギャ・アナンドという占い師が、昨年8月時点のYoutubeですでに、かなり正確に今回のパンデミックを言い当てていたことが、いま注目されています。彼の予言はここでは終わっておらず、今年の年末には、さらに厄介なウイルスのパンデミックが起きると予言されています。(引用、終わり) 最近またこのインドの14歳の少年の予言が、話題になっています。今年前半の世界的なコロナ禍の猛威を的中させていたのですが、この年末についての彼の予言も、なんだかいやーな一致をし始めているというもので、今日12月20日から来年の3月まで、より致死率の高いスーパーバグが現れるという予言です。 南アフリカ共和国やイギリスでは、感染力が強くなった変異ウイルスが発見されていますが、これがスーパーバグなのかどうかは、わかりません。イギリスや南アフリカの話だから、他人事なのではなく、日本でもローカルな突然変異は、当然起こりうるので、心配ですね。 最悪のケースを想定して、対応することが大切ではないかと思います。コロナ禍に限らず、私は仕事でもなんでも、わざと最悪の事態を想定してみることにしています。考えられるなかで最も最悪の事態です。コロナ禍で言えば、リアルな医療崩壊、親の感染、自分の感染、株価の暴落、企業の連鎖倒産、預金封鎖、ハイパーインフレなどでしょうか。これよりもさらに、意表をつく最悪の事態を考えるのです。例えば、インターネットの長期に及ぶ完全停止があるかもとか、ワクチンそのものが実は、感染するスーパーバグになるかもとか、そういった頭の体操です。 世田谷区の看護師や介護福祉士への積極的検査の結果を参考にすると、おそらくいま現在の都内の陽性率は、1から2%のあいだだろうと思います。100人にひとりからふたりの間、結構高い確率です。インフルエンザやO157の感染者は激減しているのに、このコロナの高い感染率は、やはり無症状の陽性者が広げてしまっているのでしょう。 いつも書いてますがこの国では、政財官学マスメディアの言ってることより、在日米軍がなにを考えているか、しているかが大切です。例えば12月3日から、在日米軍は都内から150キロメートル圏内の飲食店は利用禁止らしいです。つまり、関東平野丸っと、米軍は外食禁止みたいです。六本木とか横須賀とか、閑古鳥だと思います。 それに比べて政財官学マスメディアは、食べたり飲んだりするときはマスクを外し、それ以外のときはマスクを着用する、マスク会食なる、お歯黒を越える奇行を国民に奨励しており、真正キチガイではないかと思います。欧米のように、飲食店の売上を一定額補償して、期間を決めて一斉閉店すべきです。 萩生田文科相が、芸者付きマスクなしで4人以上の会食をしていたとか、最近はマスク会食警察とも言うべきチクリが跳梁跋扈しています。いまの内閣はガチの警察、公安内閣と言われていますが、マスク警察、自粛警察、マスク会食警察のような、ネットワークによる相互監視、パノプティコンのカギカッコ付きの「警察」のほうが、ヒエラルキーによる警察よりも、権力を持ち始めているのは、象徴的な権力の終焉、だなと思います。

2020-12-20 21:07:46

ミュートがデフォルトの社会

散歩と踏み台昇降で一日1万歩、それ以上の運動はしたくないので、食べないようにしています。1日2食、野菜中心ですけど、特に不満もありません。年末の都内は、コロナ禍がどこまで続くのかちょっと先が読めないのですが、散歩に出かけると、Amazon宅配の軽自動車とウーバーイーツの自転車がやたらと道を駆け抜けています。商店街はぽつぽつと閉店が目立ちますが、近所で増えているのはテリー伊藤の唐揚げ屋さん。でもこれ確かワタミの経営です。 会社の忘年会がリモート忘年会になって、なんと自宅に宅配便でおつまみが届きました。従業員の数だけ発送業務が必要なんて、この仕事そのものが、悲しいほどブルシットジョブです。非同期化してなんぼのリモートワークなのに、やたらと構成員が同期することに執着する心理は、朱子学カルト。本当に不気味です。 コロナ禍で日本の気持ち悪さがかなりくっきりと見えてきてしまいました。中間管理職の遠隔からの声掛けとか、Outlookがあいてれば、やたらとブルシットの会議をぶっこまれるとか、もうたいがい辟易としていましたが、やめてスッキリです。 朱子学カルトの何が不気味の核なのかと考えを詰めていくと、無思想性の強制、みたいなことかと思います。平たくいえば、頬被りです。組織においてなんらオピニオンを持たないことが、最強のオピニオンとでもいいましょうか。コロナ禍とかアベスーガーとか、世の中の政治的なオピニオンはもちろん頬被りですが、会社の組織はこれからどうなるべきか、というようなことまで、頬被りがデフォルトです。 まあみんな、朱子学カルトなので、当然です。カルトとは思想の放棄そのものです。部外者はなんにも言うな、ではありません。むしろ内部にいる人間どうしで、本質的な意見や提言の表明には、強い内部規制がかかります。つまりかんたんに言うと「ラインにいる人間以外は、滅相もないので、何も言うまい」という自己隠滅心理です。 小泉今日子のようなタレントが政治的なオピニオンを表明すると、「タレントなのに何がわかるのか」とか「偉そうに政治的なことは言うな」的な非難が集まるのも、要するに、オピニオンはラインにいる人しか認められないのに、偉そうにプロトコルを無視するな、というカルト的な神経症ではないかと思います。 全共闘以降は、松任谷由実や糸井重里などの一見、非政治的なコンテンツによる、じつは極めて政治的な、センスのよい全体主義が進んだのであって、全共闘世代のおどろおどろしい政治闘争なぞに比べても、80年代以後の非政治的政治闘争の成果は、眼を見張るものがあります。中間層を非軍事的な、消費という経済の戦争に駆り出すための、考え抜かれたやたらと洗練された言葉が、不思議、大好き。に象徴される糸井重里のコピーライティングです。 これは今年2月24日の徒手空拳日記からの引用ですけれど、経済というしょぼい戦争がイケイケの80年代には、思想ゼロを加速する威勢のいい言葉が流通しましたけど、あれから30年経って、しょぼい経済の敗戦が色濃くなったいまは、とにかく押しだまり、頬被りあるのみとなっています。経営層の保身だけでなく、下々も頬被りしまくりです。 頬被りして、オピニオンを押し黙る替わりに、ひたすら推し進められていくのが、ブルシットジョブなのかもしれません。テレビ会議のミュート機能は、滅びゆく朱子学カルト社会全体のミュートではないかと思いますが、やたらと参加人数の多い無駄なリモート会議の、発言者以外全員ミュートになっているあの瞬間こそ、今の日本の無思想という思想を象徴している絵柄だと思います。

2020-12-19 21:43:59

ポジショントークは美しい

ここのところの医療逼迫は、たらい回しや門前払いを前提とした、一方的な日医の言い分ではないかと疑っています。日本人は、とてつもない量の医療ドラマと刑事ドラマを、テレビを通じて見せられているので、医者と警察はとにかく正しいと信じています。 コロナ感染の構造を、ウイルスのサプライチェーンと考えれば、医者はラストワンマイルです。医者がうまく寄りかかって利用していた、医者のステイタスや善良なイメージが、コロナでいきなりマイナスに働き始めます。こりゃ大変だ、現場がコロナ感染者で溢れるぞ、と戦慄しただろうと思います。 世界でも奇怪な、日本のPCR検査数の抑え込みは、ひとえに、医者都合だと私は思っています。検査をしなければ、感染者はいませんので、患者は来ません。検査をボトルネックにしてしまえば、エボラ出血熱みたいな必殺ウイルスではないので、運の悪い重症者だけ、面倒を見ればよいのです。 日医は国内有数の圧力団体、東電と同じく、権力です。彼らにいい顔しておいたほうが己のお立場、ご身分が安泰になると考える政財官学マスメディアが、長いものに巻かれまくります。そうエゴイズムの果てに、感染拡大と、半年たっても打つ手なしというスガスガシイほどの不作為ぶりが、明らかになってきました。 NHKラジオで、コロナ禍で苦境に立つ学校の現状をやってましたけど、そこで教師が言っていた、「学びを止めることはできない」という美しい言葉に、私は引っかかりました。リモート授業に抵抗してきたのは、教師です。当たり前のことですが、生徒がオンラインで授業を受けるようになれば、教師の数はもっと少なくてよくなります。 なんだかんだ言って、子どもに学習用のパソコンを一人一台与えることに反対して、生徒のスマホを禁じてきたのは、己の権力を温存するためだったのではないかと思います。 だからこそ、文字通り子どもだましのアクリル板を取り付けて、子どもを学校にこさせて、明治からなんにも変わらない集団授業を復活させました。そんな彼らが「学びを止めることはできない」とか言っちゃってて、歯が浮きます。 会社、学校で新型コロナウイルスが撹拌され、家庭内でみんながコロナになってしまう、そんなパターンにじわじわ近くなっています。武漢やニュージャージーで起きた一家全滅が、日本で起きても不思議ではない。医者にしても学校の先生にしても、その目的はひたすら、己のお立場とご身分を守るためのものではないかと思います。それにしても、「学びを止めることはできない」という美しいスローガンは、よくできているなと思います。 政財官学マスメディア丸っと、おらが村をコロナから守るため、いやコロナで自らのムラの、壮大なムダがバレないように、ポジショントークしかしないのは、自分だけは絶対に感染しないという、科学的な根拠のない自信があるからだと思います。立身出世の努力を惜しまない己は、絶対感染しない、なぜならこの世界は公正な世界だからだと、思っています。 それにしても、「私たちは学びを止めることはできない」というスローガンは、強力です。もしこんな言葉を校長先生が口にしたら、リモート授業なんて絶対に進みません。 トヨタが電気自動車の急な普及にノーと言いましたけど、トヨタが世界のトヨタになったのは、ハイブリッドという複雑な仕組みの動力を独占できたからで、電気自動車反対は、我が身を守るためのポジショントークです。トヨタが望むと望まないとに関わらず、世界のEV化は進みます。 もともと人類が20世紀前半に最初につくろうとしたのは電気自動車でした。内燃機関の車は、電気が無理だから仕方なく、つくってたのです。このファクトにトヨタが勝てるわけはないと私は思っています。

2020-12-18 21:14:08

測れないものは解決できない

政財官学マスメディアのみんなが大騒ぎしている新規感染者数なんて、意味のない数字だよ。測れないものは見えない、見えないものは管理できない、管理できないものは解決できません。気がつけば原子力爆弾が投下されます。実効再生産数がなんちゃらかんちゃら言ってますが、感染者の計測が適当なのでそんな考察になんの意味もありません。感染者に曜日のむらがあること自体、オペレーションがなってません。そもそもウイルス感染のパターンでは、タカどまりという現象は不自然です。指数関数的になるはずです。おそらくは観測が間に合ってないだけ、見えないものは解決できません。これはかなり恐ろしい事態です。 この国は、コネがないと、あからさまなたらい回しになる超絶不公平なクソ社会なので、一般人はコロナにとにかく感染しないことが大切です。ということは、これ、年末年始の経済が、ほとんど回らなくなります。政財官学マスメディアが、根拠のない楽観論でゴートゥーをみずから煽りすぎたために、感染が拡大すると、その煽りまくったゴートゥーがブーメランのように己の仇になるという、絵にかいたような、無策が無策ゆえに溺れるの構図、本当に間抜けです。 特に日本特有の傾向として、コロナに感染する人間が、コミュニティーで穢れの存在として排除されてしまうため、もし自分が感染してしまったら、周りに何を言われるかわかったものではないと、ありとあらゆる活動を自粛するようになりがちです。公平世界仮説の負の側面ばかりが強調され、とてつもなく息苦しい空気が支配しています。 スーガーのステーキ会食報道も、封建的な社会の古臭い公平世界仮説を逆なでしています。こんなのは多分、スーガーの天敵によるあからさまなチクリ、讒言攻撃ですが、令和おじさんは山本太郎に、パンケーキおじさんは河井あんりに脱臼されてしまいました。 今回の支持率の急落は、大衆の、あれ? この人、全然おじさんじゃないなという気づきです。おじさんじゃなければ、スーガーは何者かといえば、腹黒い議員秘書です。あっという間におじさんが悪者に塗り替えられてしまう、テレビはそういう意味でいまでも超絶優秀なメディアです。 封建社会の雪隠の落書きであるTwitter もかなり荒んでいるので、自分のタイムライン以外見なくなってきました。SNSの時間を少なくして、30日間無料の Kindle アンリミテッドでもサブスクリプションしてみようかなと思います。Alexaに倍速で読んでもらって、ひと月に何冊聴けるか、やってみようと思います。いま図書館行けないし、ちょうどいいです。 都内の繁華街に出ると、一見するとこれまでとあんまり変わらないように見えるのですが、高いところから引きで繁華街を見ると、すっかり街の風景が鈍色に変わっています。街に人が出てこないので、屋外広告がほとんどなくなっていることに気づきます。色のない町です。 いま思えばトイレットペーパーの買い占めや品薄騒動とか、一体なんだったのでしょうか。いまはステイホームって誰も言わなくて不気味です。マスクして4人以下でお酒飲みなさいという命令は、カルトそのもの。苦笑を通り越して爆笑です。私の場合、もはや出社する必要が丸でないので、自宅付近の散歩と踏み台昇降ばかりの毎日ですが、元々引きこもり体質なので、妙にしっくりきています。 とはいえ家のなかでは結構忙しいです。これからのしょぼい仕事専用に買ったiPhone 12とパソコンのカスタマイズをしたり、小さくてニッチな仕事の書類をつくったりしています。山下ヒカルさんの「バイトやめる学校」を読み直して、改めて会社員ではない仕事の原則を確認しています。 とはいえほとんどフィジカルな活動はしないので、エジソンが捏造した朝ごはんをやめています。1日2食です。その2食も、畑でとれた野菜を中心に草食動物のように暮らしています。

2020-12-17 20:33:27

小さいけど好きなことをやる、ではない

赤木智弘が『「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳、フリーター。希望は、戦争。』と題した文を論壇誌にのせたのは、2006年の暮れでしたが、いまではコロナ禍は事実上、世界では戦争よりもやばいかもと認識されつつあり、もちろん東京オリンピックなんて逆立ちしてもありえないわけで、日本もこれからいよいよ、150年の政財官学マスメディアのお立場やご身分が壊れて、もしかするとリアルに丸山眞男をひっぱたける時代になるかも知れません。 だとすれば、ロスジェネ世代にとっては、希望は、コロナ、希望は、疫病となるのかどうかはわかりませんが、パソナという労働を単なるコストとみなすことで悪銭を掠めとる人材派遣の会社が、淡路島で千人臨時雇用するのは、もっと若い、就職の決まっていない人たちみたいで、四捨五入すれば50歳の、団塊ジュニアロスジェネは、もはや時間切れ、自助という名の荒海にほうり出されたまんまかもなと、戦慄しています。 でも、私が普段接しているロスジェネの人たちは、とっくに政財官学マスメディアを見限って、自律しているので、このあとの日本はロスジェネ世代が好き勝手に変えていくだろうなと思っています。団塊、新人類世代、いまの50歳以上は、コロナ感染を動物として仮に免れて生き抜いても、これからはおいしい利権を慾る場をほとんど失うように思います。 これからの仕事は小さく、ニッチに、シンプルになっていくと思います。規模が小さければ、それそのものが大手との競争を防ぎます。月3万円の小商いからはじめて、うまくいかなければすぐ撤退です。人を雇う前に、ワンオペでやれるかどうか、すぐ始めてすぐやめるくらいがちょうどよいと思います。 小さいだけではだめなので、仕事はニッチでなくてはなりません。ニッチの意味は英英辞典でみるとよくわかりますが、隙間市場というよりも、あなたにピッタリの仕事、あるいは、客がはっきり見える仕事、という意味です。目のつけどころがシャープって昔シャープは言ってましたけど、ニッチとは、目のつけどころがシャープっていうことです。 そして仕事の構造がシンプルなこと、複雑なフローチャートを書かないと誰にもわからない仕事やブラックボックスだらけの仕事は、これからどんどん通用しなくなると思います。エクセルのしょうもない見積もりなんて、書いた時点で嘘がバレます。労働を、コストと考えるから、仕事の構造が詐欺っぽくなるのです。労働がコストではなくエフェクトならば、客が値段を決めてくれます。 家いちばという空き家のマッチングサイトは、一物一価の不動産は、売り手と書い手が話し合えば自ずと売れていくというシンプルな構造です。大切な思い出のある物件を、活かしてくれるいい人に譲りたい、高く売れればいいというものではないという、売り手の気持ちは、シンプルです。 あるいは、薪火野というパン屋さんは、小麦と水しか使わずに、手でこねて、薪でパンを焼きます。生きていくのに必要なぶんしかパンをつくらない、売らない究極のワンオペ、これもシンプルな仕事です。日本人はシンプルと聞くと簡単と理解しますが、シンプルという英語の中心的な概念は、唯一無比のものがそこにあることです。 小さいけど好きなことをやる、ではないのです。小さくて、かつニッチで、さらにシンプルでなければならないので、しょぼい満洲国を冷戦期に惰性で続けていただけの政財官学マスメディアには、そのことがさっぱり理解できません。故に、わかっている人は、これからますますやりたい放題です。

2020-12-16 21:15:14

外気浴のできない2020年冬

ウイルスの感染拡大って、例えばスマホの普及メカニズムとかと数学的原理は似ていて、最初はごくごく限られた、先行層しか使ってないのですが、いつの間にかうわっと普及する、ガラケーがほとんど世界から消えるところまで拡大しますけど、新型コロナも、スマホで言えばいまはiPhone 5が出た頃、2012年の日本くらいまで、広がってしまいました。なお2020年のスマホ普及率は、78%くらいのようです。 寒くなるとコロナが拡がるのは、やはり屋内の熱源へと人が集まるから、人間は否応なしに接近してしまうということで、そう考えると、密室の熱空間である都内のサウナは、いま行けないよなと思ってしまいます。最近はソロサウナなる個室タイプの業態が都内に出てきました。60分3800円らしいですが、そこまでしてサウナいきたいか? と言われると私はパスです。 サウナは免許更新センターとか、交通違反の罰金を払うところみたいに、雑多だから楽しいんです。ランダムサンプリングされた一期一会の空間で、手刀を切り、もくもくと熱さに耐える、その共時性、ライブ感こそサウナの妙味、醍醐味です。 ひとりなら、熱めの長風呂で充分楽しめます。会ったことも話したこともない男たちが全裸でうようよいる空間に、独特の秩序や空気が生まれます。それから、サウナとはさぼりマンの巣窟なので、時間と場所によっては、サボらーどうしの共犯感覚のようなものも芽生えます。 私の場合、水風呂も嫌いではないのですが、なんと言っても今日みたいにかなり寒い冬の日の、外気浴がたまらなく好きです。エンジンではないですが、水冷ではなく空冷です。冬はいつも、外気浴できるサウナにばかり行ってました。有名なサウナ、評価の高いサウナは混んでいるので、ほとんど行きません。平凡ですいているサウナが好きですね。土日も控えます。狙い目は、平日のみんなが働いている時間、ご飯食べてる時間、お酒飲んでる時間です。人の行く裏にガラガラのサウナありです。 わがままを言えば、テレビの置いてないサウナがいいですが、耳栓しちゃえば気になりません。或いは防水ウォークマンも使います。Amazon MUSICのアンリミテッドでお気に入りのアーティストのシャッフル再生を暇なときとか寝る前にMP3に録音して、聴いています。 コロナさえなければ、西村賢太先生のように、毎日昼過ぎまで寝て、ニッポン放送の高田文夫ラジオビバリー昼ズを聴いて、どっかで昼メシを食ってからのルーティンでサウナ、これを毎日繰り返すのが自由業になった私の理想ですけど、なかなか思うようにはなりません。シニアになると銭湯なんかも安く入れるんですけど、やはりアラフィフの今のうちに思う存分浴び倒しておきたい、コロナ禍がなければ今頃は、毎日サウナ行ってそうだなと思いながら、仕方なく家のフロに1時間以上はいっています。 サウナもさることながら最近はあちこちで炭酸風呂があっていいですよね。ぬるめの炭酸浴、下手すると30分くらい入ってます。花王のバブなんて子供だましに思えて、もう戻れません。2リットルの水を飲み終わるとだいたいサウナ3セット終わってます。 ひねくれものの私は、整うという言葉が好きではありません。勝負の3週間と同じ、ファシズムを感じるからです。私にとって、サウナのあとのふわふわとしたあの感覚は、整った状態ではないし、なんと言ってもつるんでサウナにはいってきて、しょうもないおしゃべりをする奴らとかに殺意を覚えるタイプです。カレースタンドに5人で来て、カウンターに並んで座りたがる奴らとかと同じです。 サウナに行けない冬は、人生であと何回やってくるのでしょうか。勝負の3週間というしょぼいファシズムはいつまで続くのでしょうか。

2020-12-15 20:35:20

反動は結局のところ、直動でしかない

12月は例年ですと、師走の世の中はみんな浴びるようにお酒を飲んでいるのに対して、私は全然飲まないので、そのギャップがすごいんですけど、今年はそれがほとんどありません。みなさん、家飲みしているのでしょうか。私はもはや炭酸水も飲むのをやめようか、迷っています。昨年の今頃は、どうしても断れない忘年会にだけ参加して、乾杯のあとスキを見てとんずら、スタバで珈琲を飲んで帰った覚えがあります。まさかあれから一年後に、銀座の街が疫病を恐れてゴーストタウンになるとは、予想できませんでした。コロナ禍が収まれば、銀座は元に戻るのでしょうか? この世界はお酒を飲んでも飲まなくても、大差なくどっちみち寂しい…と思っています。お酒を飲んで、酔ってしまえばいっときは寂しさを忘れても、覚めたらまたどーんと寂しいので、それならずっと通奏低音のように寂しいほうが、まだ少しマシなのではないかといまでは考えています。そのせいか、私にはコロナ禍は特にこたえません。災いはあってもなくても、私の世界は大差なくさみしい、という気がします。 ただ、こちらの静かさとは裏腹に、世の中には大きな渦が生まれて、変化のうねりがはっきりと見えています。こちらは変わらずに凪いでいるのですが、世間は激しく動揺しています。この乱れをうまく利用して、どさくさに紛れて、会社をやめることにしました。もちろんそれが吉と出るか凶とでるかはわかりませんけど、どっちになろうとも、その責任は己にあります。すべての責任は己にあるという感覚、嫌いではありません。 この半世紀のあいだずっと続いてきた世界と、これからの世界は多分、連続しないだろうなと思います。これまで持ってたほうがポジティブとみられていた自尊心は、産業廃棄物のようになるかも知れません。自尊心を持たないほうが、期待も落胆もしないので、らくらく生きられます。 例えば田舎暮らしとかも、古民家を買い切って、再生工事に大金を使い、農業もやり、スローに美しく暮らすみたいなアンチ資本主義のステレオタイプは、前提にあるのが古臭い自尊心なので、期待も落胆もかえって大きくなります。反動は結局のところ、直動でしかないのです。半世紀のあいだ当たり前だった希望も絶望も、虚妄なのです。 もし私が田舎暮らしするなら、田舎なのに超絶スマートでミニマルな暮らしを目指します。私の場合、飲み歩くこともないので田舎も全然問題ありません。ルンバや洗濯乾燥機やホットクックで家事を最小限にして、巨大なショッピングセンターの近くに住み、太いネットとつながり、KindleやNetflixみまくりです。自動運転とかドローンは、田舎から先に普及するはずなので、それらのメリットを先取りしたいです。 意識高い系の時代が終わり、これからは意識の低さ、自尊心のなさがものを言うはずで、期待も落胆もしない、ハレの日もケの日も、もくもくと生きていくように、変わっていくのではないかと思います。温泉に行けなくても、サウナに行ければ大差なし。ゴディバやデメルのチョコなんてなくても、ジャスコのトップバリュ、カカオ70%の板チョコでかなり満足です。 期待も落胆もしないから、まわりと競合わず、つかず離れずあたらず触らず、絶妙な距離を保てるようになります。そもそも都市なんて、たかだかこの200年の幻でしかなく、都市と自由は、本質的に背反するもの、トレードオフの関係です。古今東西、人類は安全を優先して自由を捨てた者が、都市に住んで来たわけで、本当に自由になりたいのなら、都市を出るべきです。その原理原則は、アフターコロナでも変わらないと思います。

2020-12-14 21:44:14

征く年見限る年

ガーファと呼ばれるアメリカのプラットフォーマーなんて、本当は使いたくないのですが、ヤフーとか楽天とか、日本のなんちゃってプラットフォーマーは、アメリカ勢よりさらに醜悪、劣悪、邪悪なので、仕方なくアメリカのプラットフォーマーとのお付き合いを、最小限で維持しています。 アメリカ人もFacebookとかTwitterのような、言論統制して来る小うるさいメジャープラットフォーマーを嫌う人が増えてきています。パーラーという新しいSNSは、リバタリアン寄りのSNSで、いまアメリカで急成長しているようです。シリコンバレーの巨大SNSに取って代わる言論の自由を重視したプラットフォーム、というのがウリのようです。要するに言いたい放題なのではないかと思います。 日本のTwitterも、普及し過ぎて完全に2ちゃんねる化しました。すっかり魑魅魍魎だらけとなり、私のような反社会人にはかなり息苦しいので、最近は、脱Twitterなんてことも考えてしまいます。とりあえず「徒手空拳日記の水呑み場」として、ゆるくて小さな場所を、Discordにつくってみましたので、よろしかったらご参加ください。特に約束も縛りもなく、ゆるーくつながれたら、と思っております。まあ、これもアメリカ発のプラットフォーマーですが、マイナーなコミュニティーであるぶん、部外者から検索もされにくいので、多少はマシではないかと、いう程度のものです。 https://discord.gg/r3MF5gPggF 今年はなんだかんだ言って、人心荒廃しまくりの一年だったと思います。リーマンショックで実質的に壊れていた社会人のシステム、要するに朱子学カルトが、コロナ禍でいよいよ立ち行かなくなり、鬱病も自殺者もアルコール依存症もかなり増えてしまいました。コロナ禍で、嫌いな仕事とは何かが、はっきりしたのではないかと思います。 要りもしないガラクタを買うために、嫌いな仕事をしているヤツが多すぎる(ブラッド・ピット) 来年は、「絶望の虚妄なること希望に同じ」の年になるのではないかと思います。これは当時44歳の魯迅が1925年の元日に書き残した有名な言葉ですけど、要するに、希望も絶望も嘘ばっか、ということで、いま・ここ・わたしを大切に生きるしか、すべのない時代になるでしょう。私は、絶望も希望も、政財官学マスメディアによるプロパガンダに過ぎないと思っております。彼らの拡声するあらゆる美しいスローガン、美しいメロディ、美しい物語も、虚妄です。彼らの命令の聞こえないところへ、社会人という群れから間遠でいることも、大切です。 ゴートゥーなんちゃらなどは、こう言ってはなんですけど、気の狂った量産を、気の狂った大量消費と均衡させようとする、キチガイの所業でしかありません。武器をお金に持ち替えただけの終わらない負け戦です。グローバル資本主義という、土砂降りの一車線から外れて、スモール、シンプル、ニッチな生業をそれぞれが見つけていく、若者、よそ者、バカモノの謀反が、政財官学マスメディアの濁った眼にも、否が応でも見えてくるようになるのが、来年ではないか、と思います。 1925年の元日、魯迅は次のように続けています。「だが暗夜はいったいどこにあるのか?いまは星はなく、月光および笑いの渺茫と愛の翔舞もない。青年たちはとても平安だ。そして、わたしのまえにはついに真の暗夜さえないのだ」。 無能、無策、無責任な政財官学マスメディアによって、コロナ禍が拡大している2021年の日本は、1925年よりも遥かに真っ暗闇ですから、単なる無限サイコパスの議員秘書でしかないガースー政権も、まあ長くはないだろうなと、私は思っています。

2020-12-13 17:30:20

"日本のオピオイド"としての酒とテレビ

岡田斗司夫がYouTubeで、来年は地上波のテレビが、ほとんど完全にオワコンになるだろうって予想していました。日本の映画興行収入の過去ベスト10をみると、実写のドラマは2003年に公開された「踊る大捜査線 THE MOVIE ツー レインボーブリッジを封鎖せよ!」が9位にいるだけで、残りはすべてアニメか洋画です。 2003年前後が日本におけるマスメディアの、質的というよりは量的な絶頂期で、フジテレビの内定をゲットできるのは、最も優秀な人間だと羨ましがられていました。あの頃フジテレビに入った人たちは、いまどこで何をしているのか、もし私がジャーナリストなら、追いかけてインタビューしたいです。 踊る大捜査線の頃の絶頂などもはや想像できませんし、このまんま行くと、テレビなどの実写系ドラマコンテンツは、もう誰もお金払ってみようと思わない、ゴミクズ化、オワコン化が加速するだろう、と私も思います。 日本のドラマの才能や資金力はいま急速にAmazonプライムとかNetflixに移りつつあって、出がらしのような地上波で視聴率を稼げるコンテンツは、人間の動物的な感情に訴えるものだけになりつつあります。 HALTというキーワードがありますが、テレビのコンテンツは、これから地上波独特のものとして、動物向けの感覚的なものへと、煎じ詰められていくと思います。まあそれが、オワコンということですね。 HALTとは、アルコール依存症の人がスリップする4つのきっかけです。アルコールとテレビは大差なしなのであって、どちらも社会的な麻薬です。Hとはハングリー、お腹がすいていると、スリップしがちです。テレビも、フードポルノは最後のキラーコンテンツです。食べることしか楽しみのない世界へと我々は向かいつつあるのでしょうか。 Aはアングリー、怒りです。腹の立つことがあると、ついお酒飲み過ぎちゃうっていうのは、私にも覚えがあります。テレビも怒りを煽るコンテンツが増えてきている気がします。怒りによって視聴率を稼ぐ傾向は、アメリカとかはかなり先に進んでいますけど、日本もそのうちFOXみたいなものが出て来て、怒りを呼び覚まさせ、分断を加速するようになるかも知れません。 Lはロンリー、孤独です。酒もテレビも、孤独との相性がやたらと良い。ネトウヨとか、私に言わせれば中高年男性の、単なる神経症でしかありませんが、背後にあるのは孤独です。社会から相手にされなくなる寂しさにお酒もテレビも優しいですよね。 Tはタイアードつまり疲れです。心身が疲れ果てたときには、お酒飲んだりテレビ見るぐらいしかやる気なくなります。アルコールもテレビも、考える力の必要ない究極の受動的なメディアですので、疲れていればいるほど、酒もテレビも、するする入ってきます。 昨年2019年10月の徒手空拳日記に、「大きな人間関係、大きな組織、大きな共同体が壊死しているので、小さな人間関係、小さなチーム、小さな仲間で生きていくしかない。古くて大きな人間関係(朱子学カルト)に依存していると、ロクなことがない」と書きましたけど、テレビも酒も、日本では大きな人間関係、大きな組織、大きな共同体を維持強化するためのツールでしたので、小さな世界で生きるときは、かえって邪魔だったりします。 コロナ禍で酒もテレビも、単なるオピオイド、朱子学カルトのアヘンでしかなくなりつつあります。人間の負の感情を刺激して、心を揺さぶるソーシャルドラッグと成り果てつつあり、勝負の3週間だからといって、ステイホームの時間を酒やテレビに奪われてしまえば、コロナとは別の病で身も心もおかしくなります。コロナ禍で、浮いた時間をどう使うかにこそ、その人のインテリジェンスが試されているのでしょう。

2020-12-12 20:28:05

技術は排除のためにある

アメリカの分断とやらは、TwitterやFacebookによってではなくて、実は、ケーブルテレビやネットワークテレビによって、引き起こされているという洞察は、よく考えると本当だろうなと思います。なぜなら人類とは、そもそも出来損ないだからです。スマホやパソコンの様々なめんどくさい設定をちゃんとクリアできるのは、せいぜい多く見積もっても全体の25%くらいだと思います。 ドコモがアハモというディフュージョンの安いサービスの申し込みをネットだけに限ったのは、表向きにはコロナ対策ですが、ネットだけにすれば、ネットでまともな手続きのできない75%は、門前払いできるからです。ドコモショップに足を運ぶ人たちは、しょうもないオプションの押し売りで、これからも割高な料金を支払う人たちでしょう。 ゴートゥーなんちゃらも、ネットで予約とか申し込み手続きをしないと、利益をゲットできなくなってます。これも、インターネットをバリアとして悪用した足切りです。政財官学マスメディアはわざとやっているんだと思います。インターネットはフラットにするツールではなく、切り捨てていくツールです。 更に言えば、仮にすべての人がネットにアクセスできたとしても、まともに長文読解できる人間は更に少ないので、複雑な手続きを経て、目当ての利益にたどり着けるのは、1割とかそんなものです。WindowsにせよiPhoneにせよ、いつまで経っても超絶、使いにくいです。よくこんなものを、偉そうにサービスインするよなと思います。 インターネットというバリアの手前に、テキストつまり長い書き言葉というバリアがあり、多くの人はそもそも、インターネットによってではなく、テキストのバリアによって、現代のシステムから除外されています。それが官僚制の本質です。ゴートゥーなんちゃらの利益をゲットできない人の多くは、それ以外の政財官学マスメディアによる様々な門戸を最初から閉ざされています。 本当は、テキストデバイドやインターネットデバイドに苦しむシニアを手伝ってあげるはずの子や孫の世代も、もはやシニアと大差のないデバイドだらけになっており、You TubeとかAmazonプライムとかNetflixは、もうこれ以上視聴者は広がらないと思います。大衆には、光と音のフラッシュと、ごくごく短いスローガンしか、伝わりません。小池百合子はそのことをよーくわかっています。 ネットやテキストにアクセスできない大量の人々は、暇な時間にはテレビを観るか酒を飲むかその両方しかない訳で、あとは漫画と週刊誌とゲームくらいですし、SNSと言っても、知人との掲示板として使う以外には大した用途もなく、インターネットがこの世界に現れてから三十年以上たってるのに、まだまだごく一部の人のツールでしかありません。 人類の知力は、20万年前から平均値としてはほとんど変わっておらず、その時代時代のテクノロジーにアクセスできるのは、せいぜい多くて2割というのが、普遍的な実情だろうと思います。そう考えると、毎朝勝手に郵便受けに届く紙の新聞とか、電気屋で買えばスイッチオンで観られるテレビとか、テクノロジーとして超絶優れており、インターネットは新聞やテレビと比べて難しすぎです。これからも、ネットやテキストは限定的であり続けますので、政財官学マスメディアの時代は続くでしょう。私にできることは、隠遁くらいしかなく、ネットやテキストにアクセスできない人々と、これからもできるだけ交わらないことで、ひっそり生きていくしかありません。

2020-12-12 20:26:40

金貸しは借り手の劣等感を視ている

会社から借りてるスマホのおサイフケータイにいれていた電子マネーを使い切る度に、ようやっと会社員をやめることが実感できて、気持ちが晴れ上がります。 しょうもない朱子学カルトとの縁切りが着々と進んで、超絶気軽、身軽になります。Suicaなんて、通勤に鉄道を使わなければそもそも要らないし、おサイフケータイなんて、別に要らないなと思います。誰かからスマホとかパソコンを借りるってことは、要するに、絆を結ばれているだけのことです。そういうものから自由になれてうれしいです。絆とは家畜を結んでおく紐のことです。東日本大震災のあと、絆ちゃんという、ペットのリードみたいな名前の子どもがたくさん誕生しましたけど、親の無知を背負って彼らももうすぐ10歳です。 車谷長吉の短篇に「三笠山」という作品があって、スマホに「車谷長吉全集」3巻すべて搭載して、暇があると拾い読みしているのですが、その「三笠山」というのは、一家心中の新聞記事をもとに車谷長吉が虚実皮膜のあわいで書き上げたものですけれど、改めてこれを読んで思うのは、会社や人がお金に躓く時とはどういうことか、ということです。 作品の一家が経営する零細企業は、バブル時代に業容を広げて借金をしたことがアダとなりました。取引先が計画倒産で夜逃げして、売掛金が回収できなくなったのは、バブルが弾けたからで、根本的な原因は、もっと大きくしよう、もっとお金を儲けようという欲目です。 不景気ドットコムという、世の中の倒産やリストラなど不景気についてのニュースだけを取り扱うウェブサイトを見ると、皮肉なことに、不景気ドットコムは、コロナ禍でどんどん景気が良くなっています。車谷長吉の「三笠山」の主人公が、バブル崩壊を呪ったように、コロナ禍による不景気にあえぐ経営者は、コロナさえなければ、と呪うだろうと思うのですけれど、失敗の本質はバブル崩壊でもコロナ禍でもなく、もっと成功しよう、もっとお金を稼ごうとする強欲さにあります。 企業も個人もおんなじです。必要以上に大きく見せよう、前任者を越えよう、政治闘争に勝とう、そうやって無理をするから、要らないカネを借りたり、価値のない企業を買わされたりするんです。インバウンド需要とやらに目が眩んで、多額の借金をして投資に走った産業や企業が、次々と息絶えています。 日本に何が残っているのかというと、具体的には「中小企業中心の部品産業」「日本語による非効率な事務作業」「低賃金構造の観光産業」くらいです。(冷泉彰彦) ゴートゥーで救おうとしているインバウンド需要とは、「低賃金構造の観光産業」そのもので、こんなもの救っても意味なんてなく、生活保護を厚くすればいいのです。 「中小企業中心の部品産業」の多くは、工業の衰退とともに苦しくなりつつあります。じっさい、最新のiPhoneを分解すると、韓国製がぐーんと増えています。「日本語による非効率な事務作業」も、急速に無力化しつつあります。 「三笠山」に出てくる経営者は、かつて京大医学部に受かったのに、父親のしでかした自動車事故の賠償で、進学を諦めていました。仕方なく、父の家業を継いだのですが、もっと稼ごう、もっと成功しようという我欲の背景にあるのは、劣等感です。企業だって、カネで時間を買うなぞと言いながら無理な買収でコケるのは、たいてい劣等感の強い人間が成り上がろうとする過程で起きます。 優れた金貸しは、人をみているのではなく、愚かな人の劣等感をみています。景気のいい頃は、劣等感は、野心の顔つきをしているものです。コロナ禍で躓く殆どの人や会社は、そもそもコンプレックスをこじらせた因業モノだっただけのことなのではないでしょうか。

2020-12-10 19:38:51

「ことばは、商品ではなく、贈りものである」

昨年の今日のメモに、「来年夏は世界一周か、日本一周か、五輪中は仕事を休む」と私は、書き残していますけど、コロナ禍でオリンピックはなくなってしまい、世界一周も日本一周も、丸でできませんでした。何が起きるか、本当に未来はわかりませんね。ということは、来年の今日が、果たしてどうなっているのかも、予想がつきません。 人の行く裏の道を選ぶ、つまりとことんの逆張りを常に意識しているので、こんなこと言うと怒られてしまうかもしれませんが、今年はまさかの良い一年でした。新しい人に会い、新しい道がひらけて、これから先の10年の始まりとなる一年となりました。現状維持バイアスから解き放たれて、いち早く損切りへと動いたこと、きっとあとから良かったなと思えるのではないでしょうか。 その基礎となっているのが、この徒手空拳日記です。かれこれ4年毎日書いていると、逆張りの思考回路が太くなります。いま過去の徒手空拳日記を整理していますけれど、そのパタンはほとんど変わっておらず、迷いがありません。「ことばは、商品ではなく、贈りものである」という菊谷倫彦さんのことばを思います。ブログに広告つけてマネタイズなんてしたら、ことばがしょぼい商品になってしまいます。このブログだって、商品ではなく贈りものですが、それは私から読者への贈り物なのではありません。 徒手空拳日記を、毎日なんのあてもなく書いている、この私への贈りものなのだと気づきます。ああ、今日は一文字も書きたくないな、と思う日もありますけど、これは私が書いているのではなく、贈りものとしての言葉が毎日私のなかに降りてきているのだと考えると、どんな日でも書き続けてきた訳が、ストンと腹落ちするのです。 昨日12月8日は、ジョン・レノン40年目の命日でしたけど、私は彼のHow? という曲が好きです。生き惑うことのとうとさが、うたわれている気がします。この歌詞のことばは、贈りものです。ジョージ・ハリスンは、この曲の美しさを絶賛しました。私はこの曲とともに、歳を重ねています。「自分がどっちを向いているのかわからないのに、どうやって前に進んだらいいのだろう?」「確かでもないもののなかに、どうやってはいっていったらいいのだろう?」これらの疑問は本質的で、いつまでも答えのない問いだと思います。 コロナ禍のせいか、自ら命を絶とうとする人が増えているようです。NHKによれば、「ことし10月以降に、夫婦や親子などが命を絶った無理心中や複数での自殺は、全国で少なくとも17件あり、36人が亡くなっていたことが分かりました。去年の同じ時期に比べて件数は、およそ2倍に増えています」とのこと、リーマンショック以降ずっと引かれ続け、張り詰めていた弦が、このコロナ禍で一斉に放たれているのではないかと思います。 生産性ということばは、120%、商品としてのことばですけど、この、経済というしょぼいファシズムのことばのもとに、自然に生きることは、犯罪者のように悪者にされようとしています。「全体主義的な空間では、言葉は、ものの見方を多元化するためではなく、均一化するための媒体になります」とは、仲正昌樹さんのことばですが、生産性なんていうことばを完全スルーしながら、贈りもののことばを、こころの中に少しでも増やしていくことが、今こそ大切だと思います。 ファシズムにおいて禁じられているのは反ファシズムの発言などではなく、沈黙なのだ。(四方田犬彦) 地上波テレビやSNSに踊り狂う饒舌は、ファシズムによって禁じられている沈黙ゆえの狂気なのかもしれません。

2020-12-09 20:50:48

陸に沈む

昨年までは、リンダ・グラットンのライフシフト、人生百年時代などと、政財官学マスメディアこぞって、まことしやかに言ってました。人類はこれから百年は生きるようになるから、人生設計もその変化にあわせて考え直さなきゃだめ、というプロパガンダでしたけど、要するに年功序列制度とか、終身雇用制度はもうやめますよ、ということでした。 ちょうど昨年の今頃、武漢で見つかった新型ウイルスは、その後、統計的に明らかに有意に、70代から80代の特に男性の命を奪っているわけで、要するに人類は、生物的な老化には、これからも全然勝てないよね、ということがはっきりと証明されつつあります。医療の進歩など、幻想に過ぎないこともバレてしまいました。日本の福祉制度や医療インフラは、スッカスカのハリボテです。ものが食べられなくなったら、命はそこで終わりというのは、すべてのいきとしいけるものの、鉄則だと思います。 男性はもともと女性に比べて、生物として不完全な生き物です。日本では働き過ぎとは要するに、多くの人は、お酒の飲み過ぎな訳で、殿方は50代後半にはガタが来ます。脳梗塞とかになってしまうと、後遺症を抱えてその後の余生を生きなくてはならなくなるのも、たいてい男です。 銭湯に行くとかなりの確率で、半身が動かなくて、ものすごく細くなった付随の片足を引きずりながら、器用に風呂に入っている老人を見かけますけど、人生百年時代なんて、大嘘だよなと思います。 とんかつを端っこの脂身から食べて、真ん中の一番美味しい所を食べる時にはもうすでにお腹いっぱい、ライフシフトとは例えればそんな感じではないでしょうか。とんかつの一番美味しい所は、政財官学マスメディアが持っていきます。だから私は、とんかつでもケーキでも、とにかく一番最初に一番美味しい所を食べるようにしています。 そうすれば、仮にそこで死んでしまったとしても、まあいいかと少しは思えると思います。真ん中を最初に食べて良かったと思えるはずです。端っこはお腹いっぱいだから残しちゃおう、という習慣が結果的に腹八分となって、長生きにつながるような気がします。 新型コロナウイルスはおじいちゃんキラーウイルスなので、おじいちゃん予備軍である私のこれからの生き方にも、大きな影響を与えています。リニアな人生設計なんてもうやめよう、やりたいことをやりたいうちにやっておこう、というよりは、嫌なことを我慢して惰性で続けるのはもうよそう、という気持ちが強くなりました。 私にとって、嫌なことをやめるとは要するに、朱子学カルトと縁を切るということで、政財官学マスメディアから遠く離れて生きていくということです。昔、中国の李白や杜甫といった文人が、中央の権力闘争から逃れて、ど田舎に隠遁しましたけど、命を狙われるわけでもなければ、別にど田舎に行かなくても、朝市に隠れることだって、できちゃいます。孔子は陸沈という考え方を説いています。 世間に捨てられるのも、世間を捨てるのもかんたんなことで、世間に迎合するのは、水に入れば自ずと沈むのに似てとても簡単なことだけれど、逆に最もむつかしくて、かっこいい生き方とは、世間のどまんなかに、つまり、水のなき陸に沈むことだ、と言いました。 出家や遁世なんて不自然なことはせずに、喧騒の巷にひっそりと身を隠すことが、最も本質的に世離れしているという見識は、結局、コロナ禍の現代にも普遍性をもっていると思います。都内にいたって誰ともなれ合わず、飲み食いも質素に、ひたすら本を読んだり、Netflixを観ていれば良いわけで、私も陸に沈む人間でありたいと、いつも思っています。

2020-12-08 20:24:47

Nスペ、note、ザ・ノンフィクションに共通するもの

職安のことを、ハローワークって言い換えたのは、いつの頃でしょうか? はい。正解は、なんと今からもう30年前の、1990年です。つまりバブル絶頂期です。あの頃は、仕事が腐るほどありましたね。しかしコロナ禍のいま、何がハローワークだよ、ふざけるなって思いませんか? 仕事はどんどんなくなってるのに、大阪府では看護師が足りないとなり、自衛隊の看護師に助けてくれ〜と府知事がSOS、新自由主義とは名ばかりの、単なるドケチでしかない政治屋さんは、どいつもこいつも面相が悪過ぎます。 NHKが、北朝鮮人民のように嬉しそうに、声を張り上げて両手首を頭の上にかかげて伝えてくださる、はやぶさツーの快挙とやらでは、国民はお腹いっぱいになりません。新型コロナよりも、はやぶさツーに力を入れてしまう極東のソビエト連邦中央テレビ、NHKの昨日のNHKスペシャル「コロナ危機、女性にいま何が」を録画して観てみて、これまさにこの言葉通りだなと思ったのは、次のようなものです。 庶民の困難をえがくのは難しい。個人のえがき方が足りなければ、人間はただの統計になる。えがき過ぎれば個人以上のものを表すことはできない。(映画『苦い銭』についてのフィルム・コメント誌) このNHKスペシャル「コロナ危機、女性にいま何が」は、まさしく、統計と個人しか伝えていません。年収1700万円、国民から7000億円毎年受信料を掠め取るNHK職員が、振りかぶって伝えたつもりになっているのは、「専門家」に外注したアンケート調査の結果と、撮れ高の良さそうな数人の個人でしかありません。 これは彼ら職員に力がないのではなく、責任逃れのためにわざと、専門家、アンケート調査、困っている個人に、逃げているのです。NHKとしての意見や提言なしで、問題は認識してますよ、大変ですねえ、というだけの内容ですけど、庶民の困難に真正面から向き合っていないので、つい先日炎上した、このnoteの「河川敷グルメガイド2020」とおんなじ構造です。 NHKやnoteの彼らは、我が国の問題とやらに、真剣に向き合っている意識の高そうな小芝居をして、そのさもしさがすぐにバレてしまい、ますます世間から軽蔑されるという、典型的なネガティブフィードバックループの渦中に自らはいり込んでいくから、意味不明です。そんな小芝居するよか、無視するほうが百万倍人間らしいのではないかと、私は思います。 ついでに昨日のザ・ノンフィクション「ボクのおうちに来ませんか 、モバイルハウスで見る夢」も観てみました。自由を求めてモバイルハウス生活を送る、若者二人を追いかけたものです。これも、NHKやnoteとおんなじで、創り手が取材対象を小馬鹿にしている様子がありありとバレており、つまらないを通り越して、いやーな気分になりました。自由が丘に35年ローンで家を買う、29歳の女の正義から、ダメ人間としての若者二人を突き放している構成は、もはやBPOに訴えるべき、動画の暴力、ザ・ノンフィクションは私にとって、動画暴力団だと思いました。 ディレクターの視点が、ニュートラルではないのはいいんですけど、この日曜日真っ昼間のカギカッコ付きの「ノンフィクション番組」は、本来、毎回ズームアップされるこの世の「びっくり人間」への、底抜けの愛こそが、本質的な価値だったと思うのですが、もはや「びっくり人間」を嗤って、いじって、いじめて、晒し上げるだけのクソ番組に成り下がっています。NHKやnoteと同じです。 乱世は、政財官学マスメディアを遠ざけて、彼らの目に留まらない生き方をしなければならないと思います。それはつまり、有名にならないこと、氏素性がバレないことです。政財官学マスメディアに注目されるような人間に、そもそもなってはいけないんだと、肝に銘じた月曜日でした。

2020-12-07 21:30:27

乱世は、自律して分散せよ

コロナ禍の前、よくかよっていた銭湯サウナには、バケツに入った塩でマッサージのできるスチームサウナがあって、自分で自分を塩もみすると、肌がつるっつるになるので、大好きでしたけど、会社をやめてしまったので、これからはなかなか行けそうもありません。サラリーマンをやめたことに、なんにも寂しさはないのですが、サラリーマンだった頃の、サボり動線だけがただ懐かしいです。これからは毎日がサボりですけど、バレても誰にも怒られません。自己責任の清々しさ、生きるも死ぬも、己次第です。都営まるごときっぷを使って、都営地下鉄と都営バスだけで都内をふらつく楽しさは、コロナ禍が収まれば、またそのうち味わえるでしょうか。 東京都内、特に23区の人口がここのところ転出超過になっています。コロナ禍で自分の国へ帰る外国人だけでなく、東京都の外に移住する日本人が、増えてきています。そりゃそうです。テレワークOKならば、関東平野をもっと隅々まで住処として使えるわけで、駅チカでなくともいいし、港区にこだわる理由もいまさらありません。 なんでもかんでもとにかく日本は素晴らしいとするプロパガンダの成れの果てに、江戸時代の江戸は世界一の人口を抱える巨大都市だったことを、誇らしいことと考える唐変木が最近は多いのですけど、重農政策の江戸幕府で、江戸に人があつまったのは、スラムに行かないと死んでしまうからで、現代西洋のコスモポリタン主義とは殆ど関係ありません。江戸は、単に棄民の吹き溜まりだっただけです。 日本もコロナ禍の第3波が日々かなり深刻で、交差免疫のある日本モデルは盤石だの、インフルエンザより死んでないから大したことないといった楽観論が、急速に小さくなっています。尾美頼み、神頼みの終わりが見えてきました。医療崩壊の定義がまるではっきりせず、明日にも崩壊しそうな悲壮感ですけど、仮にほんとに医療崩壊だとしたら、この半年間で、なんにもしてこなかった行政や日医の自己責任であって、大東亜戦争末期と同じ、まさに打つ手なしです。 昨夜私の両親と電話で話しましたが、彼らのコロナへの恐怖は、かなりのものです。近いのは75年前の新型爆弾空襲に怯える帝都再来です。制空権を奪われても、まだまだ勝てると考えていた軍部を誰も止めることはできず、原爆には白い服が効果的だという根も葉もない噂をまに受けて、1945年8月の東京は、矢鱈と白い服を着た人々が恐怖に怯えていました。 いまはつまり、安倍政権の末期でしかなく、内閣支持率がガタ落ちみたいですが、コロナ禍が直接の原因というよりは、菅義偉がいつまでも総理大臣に成りきれず、永遠の腹黒い議員秘書のまんま、己の言葉で政治をしないことが、コロナで死んじゃうかもしれないシニアに見限られ始めているのだと思います。もはやこの内閣は、長くは続かないだろうなあ。戦争や疫病による緊急事態となれば、日本では議院内閣制など、形すらなくなり、決まって皇室内閣となるわけで、いよいよ第2次麻生太郎内閣の出番かもしれません。 乱世は、長いものに巻かれることなく、自律して分散せよ。これが歴史の鉄則です。現状維持バイアスとは、他律による統合ですが、現状維持バイアスの悲劇で思い出すのは、関東大震災のとき、いまの両国にあった軍服工場跡地に避難した三万八千人の、集団焼死です。ここなら大丈夫と安心して、多くの人と家財道具が集まり、その家財道具が焼けて、炎の竜巻が起き、逃げ場を失ったたくさんの人が、焼け死んでしまいました。災いのさなかに、大勢のいるほうにつられて、ふらふら流されることのないよう、人の行く裏の道を自分の頭で考えて、進まなければならない時代です。

2020-12-06 20:59:29

上流にいる人がさもしい国

会社員やってると、やたらと仕切りたがりの人がしゃしゃり出てきます。例えば11月29日のいい肉の日に、焼肉とかバーベキューの会そのものを企画して、自ら幹事役も買って出ようとします。そういう人は、大きく2つに分かれる気がするんですけど、ほんとにボランティアで屈託なく楽しんでいる人が2割、残りの8割は、私利私欲の為に我田引水しています。 わかりやすいのは、会計を自分のカードで払って、会費を現金で集めて、ポイントで利ざやを稼ごうとする人。まあ、これくらいならご愛嬌です。猛者になると、幹事一人分の飲み食い代金を、全員の会費にのっけちゃったりします。幹事する代わりに、自分の飲み代を浮かせるのですね。でもこんなのすら、かわいいもので、これまで私が出会った超極悪人とは、飲み会そのものを経費で落としながら、参加者からも会費を二重でぶんどるという、もはや犯罪行為です。この人は後日、別のしょうもない悪事がバレて、懲戒を食らって降格になってました。超絶メシウマですね。 飲み会であろうと国民国家であろうと、他人のお金や時間を預かるリーダーシップとは、基本的に滅私の心、利他心あってのものであり、すきあらば私腹を肥やす輩に、運用を任せることは、できません。税金とは国民国家にとっての、会費みたいなものですけれど、その会費をあからさまなグルに横流しする、ゴートゥーなんちゃらのような使い方をされると、この幹事のもとでは、人生もパーティーも、全然楽しめないな…もう来るのやめようかなと、思ってしまいます。 戦略的に観光産業を育成しているフランスと、日本の観光産業は違います。「ゴートゥーは、900万人の観光産業従事者を守るためやめない」とかガースーさんは言ってますけど、国内製造業が海外にどんどん移転して、それでも製造業の次を担う産業を全く育成することができず、クールジャパンなどと言う幻もすっかり消えてしまい、もはや観光と飲食しか、日本には残っていないだけのことで、政財官学マスメディアの、無能無策の成れの果てでしかないのかなと思います。更にひどいのは、ゴートゥーなんちゃらで国民の会費がどこに落ちているかといえば、エスタブリッシュメント階層の内部だけであって、不安定な雇用形態の観光産業従事者に、トリクルダウンなんてほとんどしてないと思います。 コロナ禍がひどくなって、ゴートゥートラベルの条件が変わると、誰が儲かるかといえばウェブサイトの仕様変更を請け負っているベンダーとかな訳で、彼らは口にこそ出しませんが、ウハウハのコロナバブル、こりゃもうやめられんわい! と思っているはずです。「東京からの出発はOKだけど、シニアと持病持ちはだめ」という謎の規制がかかると、年齢や既往症について問題ないと自己回答するウェブページを加えなくてはならなくなり、その仕様変更に大量の血税が使われているのです。 私がサラリーマン生活をはじめた頃は、もし飲み会の幹事やるなら、その会では自分はほとんど飲み食いなぞせず、ひたすら周りに目を配り、サービスしていました。ホストが我欲に負けて飲み食いなんてしちゃだめだった訳で、会費はだいたい会社持ちだった気がします。みんなに余裕があって、飲み会の幹事もできない奴は、仕事もろくにできないなぞと脅されて、必死こいてやっていました。人々に余裕がなくなり、私利私欲むき出しとなり、ゴートゥーなんちゃらなんていう、私利私欲の腹黒い仕掛けがゴートゥー事業などと呼ばれるようになり、日本の政財官学マスメディアは本当に貧すれば鈍する、詐欺的で恥の多い、惨めな組織集団になりさがりました。

2020-12-05 19:25:16

縮小ではなく縮充を目指して

昨日も書いたように、買い替えたスマホがとても使いやすくて、ごっ機嫌、嬉しいです。特にブルートゥースの接続がスムースなのと、私の知的活動の生命線である音声入力がとにかくノンストレスなのが、満足ポイントです。これまで使っていたスマホよりボディーは小さくなったのに、満足度は上がる、こういう二律背反をアウフヘーベンする買い物が、いま一番嬉しいです。 昭和とは、コレクションの時代で、その最も象徴的な趣味は、切手の収集ですが、要はとにかくあるものは全部集める、コンプリートすることが目標でした。つまりはホール・コレクションです。ガンプラとかファミコンソフトは、お金さえあれば子どもでもコンプリートできました。お金持ちの家に遊びに行くと、そのコレクションに圧倒されていましたけど、あれは昭和だからそんなこともできた訳です。 平成になって、セレクションの時代へと移り変わりました。代表的なものは、セレクトショップです。枝葉末節が広がりすぎて、もはやコンプリートすることができなくなり、センスの良いものをピックアップすることに、価値が生まれました。ユナイテッドアローズとかビームスは、目利きのブランドという意味で、セレクションの時代をよく表していました。 では、令和の時代は何かと言えば、リダクションだと思います。選択肢が飽和してしまって、もはやセレクションすらできません。あるいは、自信たっぷり選んでも、それが万人にとって価値や意味のあるものではなくなってしまいました。そうなると、減らすとか、棄てるとか、そういうことに価値が生まれます。 徒手空拳日記は、リダクションにしか関心がありません。この世の多くは産業廃棄物でしかありません。政財官学マスメディア、すべてがゴミのように私には思えます。だからぽいぽいぽいぽぽいぽいぽぴー、棄ててきました。むやみに何もかも棄てちまったけれど、特に困ることはいまのところなんにもありません。 チーフディレクターが変わってくっそつまんなくなったフジテレビのザ・ノンフィクションを観なくなって、地上波で毎週必ず観る番組は、なんでも鑑定団だけになりました。老人かよって思います。でも、なんでも鑑定団は、コレクションとかセレクションの時代の残像でしかありません。私には、何かを集めるとか、日本の鉄道全てに乗るとか、そういう欲求が丸でないので、なんでも鑑定団を観るのは、アーティストの知識を広げたいからです。 リダクションの時代とは要するに、シンボリックには、手ぶらで生きることであり、最後は身一つで死にたいという目的に向かって生きることです。そう考えると、とてつもなく楽になるのですけど、世界的にジェネレーションZの人たちは、リダクションがエンドだと、わかっている気がします。 それは要するに無です。私達は皆、無に帰ることがゴールならば、その途中で争っても仕方ないですし、不動産のようなものをつかみ取ること、つまりは土地なんてなくてもなんとかなるかな、という世界観でつながりつつあります。それに比べて団塊世代とか団塊ジュニア、つまりはアラフィフ以上の世代は、全然無に帰ることがわかっておらず、ダーティーオールドマンに歯止めがかかりません。 足るを知る、なんて甘いわけです。足すのではなく、引くを知ることができないと、うまく年も取れない、そのことに気づいた人から、自由になりつつあります。足りてますか? ではないのです。これからの世界は、縮小ではなく、縮んで充実していくと書く、縮充です。リダクションにぴったりのなんかうまい日本語はないかと探していたら、縮充という言葉に出会いました。造園家の山崎亮さんの言葉です。

2020-12-04 21:48:48

スマホを新しくしても、ろくでもない世界は何も変わらない

先週のスーパーホテルへのゴートゥー小さな旅で、顔認証システムしかないスマホは、マスクをしてると、パスワード以外でロック解除ができなくて、それをだいぶ不便に思った私は、Google先生のオリジナル端末であるPIXEL 4aを買いました。5Gに対応してない42900円の、安いほうのですけど、結論から言って、かなり気に入りました。 指紋認証も完璧、サクサク動くし、カメラの性能も満足です。iPhone 12のミニも、確かに良いのでしょうけれど、なんと言ってもお高い上に、iPhone SEも含めて、指紋認証がないというだけで、うーん、コロナ禍でそれはないわーと思ってしまいます。 ボディーが小さいので、片手で何でもできます。年明けから始まるこれからの個人の仕事は、基本マイクロソフトではなく、Googleを始めとしたとにかく無料のサービスを使おうと思っているので、Androidのスマホがいいのです。おサイフケータイもついているし、なかなかバランスの良いスマホで、気に入りました。おすすめです。普通のイヤホンジャックも付いてて、完璧です。 まあしかし、新しいスマホで世の中を見ても、そのアホらしさや、くだらなさは、当たり前ですが、変わりませんね。総務省という、いまどき流行らない中央集権の組織が、NHK は E テレを売却しろとか、ドコモに格安のプランを作れとか言っていますが、そもそもそんなこと国に言われる筋合いもなく、大きなお世話です。私は、E テレなんてまるで見ませんし、通信回線の土管なんて、MVNO で十分です。ごちゃごちゃ言ってないで、止まらなくなってきたコロナ禍をなんとかしろ、です。 アメリカの分断を進めているのは、実は、SNSではなくて、テレビなんじゃないかという説が、最近あるみたいですけど、少し調べてみると、そもそも分断が進んでいるのは、相対的にシニア世代で、彼らはテレビしか見てないから、というのが理由みたいです。 日本人もいまどきテレビ観てるのは、団塊世代以上のシニアだけだなあと思います。それはCM観てると明らかです。しじみエキスとか、尿漏れパンツとか、葬儀場とか、流れてるテレビCMが、かなりやばいです。 分断の原因は、SNSかテレビか? という問いの立て方自体が間違っていると思います。保守、リベラルどちら側のメディアも、ページビューとか視聴率という、要するにどれだけ多くの人に到達するかを、ビジネスの物差しにしているから、分断がひどくなるのだと思います。誹謗中傷やショッキングなニュースほど、人はついつい、心奪われてしまうのです。メディアそのものが原因なのではありません。とにかく多数を取れば勝ち、というビジネスルールをやめられない止まらない愚かな人間が、ありとあらゆる原因なのです。 You Tubeも、お金目当てで必死こいてやっている人ほど、面白くもなんともありません。視聴率目当てでシニアしか見てないテレビと、再生回数目当ての、You Tube動画は、とにかく一人でも多く見てもらえば勝ちというゲームのルールはおんなじです。政財官学マスメディア、ほとんどのルールは、すべてこれです。 今の時代、認知度が高ければ、国民的人気者になれるわけではなく、国民はぷつぷつと断絶しています。狭い世界の人気者が、ローリスクでラクして視聴率を稼ぎたいテレビに露出して、結果的に認知度アップするという順番です。シニアにしてみれば、フワちゃんなんて知ったことではありません。いまウチにあるテレビを次に買い換えるときは、TVチューナーのついてないものを買うと思いますけど、NHKなんて、逆にEテレだけ残して、総合テレビもBSも、全然いらないと思います。

2020-12-03 20:41:53

肛門期へ還りたい

会社員や社会人根性が、最初からない私にとっては、会社から借りていたものを少しずつ返すたびに、心の底から胸がすっきりします。私のような筋金入りの徒手空拳日記にとっての生きる基準とは、車谷長吉先生の無名時代であり、深沢七郎先生の逃亡時代であり、そんな作家先生にモデルを求めなくても、一生なんの肩書もないまんま生きている父なのです。 これまでの30年近い会社員人生を思い起こせば、超絶くだらない、虚しさばかりが思い起こされます。反吐が出ます。それもそのはず、私が会社員になった頃から、会社員をやることそのものに、もはやなんの価値もなかったのです。産業廃棄物をいくら溶かして整形し直したところで、そんなものは百均でも売れないのです。コロナ禍はその現実を加速するでしょう。 お値段以上のニトリが、大塚家具や無印良品を、根こそぎ破壊していますが、それはニトリが安いからではありません。ニトリ・エフェクトのような魔性があると思います。私がジェフ・ベゾスなら、ニトリを言い値で買いたいです。 ニトリ、実は結構お高いですよ。それなのに、彼らはどうして、受けているか? 彼らの言葉で言う、トータル・コーディネートです。下り坂を駆け下りていくお客さんの暮らしぶりが見えています。戦略とデザインです。創業者のニトリさんが、己の宇宙をちゃんとつくってる。サラリーマンには、逆立ちしてもこんなことできません。 生え抜きサラリーマンの烏合の衆である経団連は、このタイミングで、社員の国内外出張にゴーサインを出しましたけど、今どき偉くなって経団連メンバーいりする会社員なんて、木を見て森を見ないこと、山のごとしです。ニトリの会長みたいな人は、なかなか経団連までたどり着けません。ゴルフ、接待、会議ばかり、仕事ごっこの鬼じゃないと、すごろくの経団連あがりは、無理です。 徒手空拳日記という個人として、何をしたいか? 1950年代に逆戻りする日本で、必要なことは、政財官学マスメディアとおさらばすること、これにつきます。政財官学マスメディアは、毒であり、ゴミです。毒やゴミを捨てるのは、快楽です。ビロウな話で恐縮ですが、それはつまり、脱糞や放尿の快楽です。 高度経済成長期の快楽とは、飲食や生殖の快楽ですが、徒手空拳日記の好きな快楽は、ほとんどはデトックスです。会社からの借り物を返却するとなぜ気持ちいいか? それが魂の脱糞だからです。アルコールを飲まないのも、毒やゴミを捨てるだけのこと、毒やゴミを捨てるのに、葛藤もスリップもはなからありません。うんこを腸に戻したいですか? 政財官学マスメディアの腐敗は、経済成長の腐敗です。取り敢えず、飲み食いによる成長のことは置いておいて、排泄の耽溺にひたるべきなのです。人間には、生殖器をわいせつと捉える前に、肛門をわいせつと捉える、肛門期がありますけど、消費文明が終わるという、とてつもない巨大ニーズが、肛門期の快楽、うんこを我慢して、垂れたときのあの快楽にあります。子どもは排便のタイミングを自分で判断するようになると、「自信」や「ものを諦める能力」や「我慢する能力」が発達し、自律のための重要な一歩を踏み出す、とウィキペディアにあります。 身体の中をきれいにして、毒やゴミをなくしたい。この巨大ニーズが見えていれば鬼に浣腸、いや金棒のはずです。アルコールやめたい、そんなの簡単です。アルコールは、120%、毒やゴミだと腹落ちすれば、酒を無理やり我慢する地獄の人生からも解放されます。会社員なんていうのもほぼ、毒やゴミです。政財官学マスメディア、これでもかと毒やゴミを価値あるもののように見せたがっていますけど、ゴミはゴミです。排泄の快感に比べれば、トータルコーディネートなんて、屁みたいなもんです。

2020-12-02 20:54:53

ステイホームですよ。タブレットですよ。

いつの間にか、ステイホームって誰も言わなくなりました。マスクをしてゴーです。マスクをして酒を飲めです。ドンびきですね。経済を回すというチンケな軍事を優先させて、老人や持病を持つ人が、命の危険にさらされる、世界でも最も冷酷で愚かな国、75年前からなんにも変わってませんが、そんなの当たり前です。政財官学マスメディア、プレーヤーはなーんにも変わっていませんから。だから大衆は、日本の狂ったおかみを華麗にスルーして、こっそりおとなしく、毎日を楽しく健康的に生きていくことが求められます。毎日を幸せにするために、安いタブレットを持ちませんか? という話を、今日はしたいと思います。 部屋に備え付けのテレビやクソ高いノートパソコンなんかよりも、タブレット端末のほうが、私にとっては、はるかに価値が高いと思います。日本の家電産業は、いつまでもテレビづくりにこだわり、衰退しました。私は、SIMフリーのタブレットを使ってますけど、とっても優秀です。これ、要は画面の大きなスマホです。音声通話もできます。新品の海外版を19000円で買いました。YouTubeやNetflixを観るのはもちろん、クルマのなかではGoogleマップを開けば、優秀なカーナビにもなりますし、Kindleで読書も、YouTubeミュージックも、ポッドキャストも、何から何までなんでもタブレットで、できちゃいます。先日のゴートゥー・スーパーホテルのときも、ホテル備え付けのテレビを一切観ることなく、タブレットばかり観ていました。もちろんいま、音声入力でブログを書くのもタブレットです。 スマホと比べたとき、タブレットの唯一の弱点は、その大きさです。手ぶらの持ち運びには、大きくて不便というのがタブレット唯一の欠点ですが、コロナの第3波が襲いかかってくるなかで、私の場合ほとんど外出しませんし、外へ出る時はマイカーしか使わないので、値段の高い割に画面の中途半端に大きなスマホを買うよりも、安いタブレットを買ったほうが、合理的なのです。まだまだ多くの人にとってタブレットといえば iPad かもしれませんが、Android のタブレットのほうが、私のしたいことには便利で値段も手頃、しかも、サクサクです。 旅から帰って、スマホはやはりGoogleのPixel4aという小型のものに買い換えることにしました。指紋認証がないと、外出先ではマスクが邪魔してスマホをロック解除できないからです。いま使っているOPPOは、元々 iPhone 10のサブ端末として買ったのですが、いつのまにかメインかつ唯一の端末になってしまい、メインの端末としては出先で不便なので、指紋認証とおサイフケータイがついたこの端末にしました。カメラの性能もこれでよくなります。スマホはグッと小さく、そのぶんタブレットを持ち歩いたほうが、コロナ禍生活では合理的です。 タブレットさえあれば、1日じゅうウチの中にいても、どこにいても退屈しません。画面が大きければ、バッテリーも大きいので長持ちします。音声入力の進歩で、キーボードなんてあんまり要りません。パソコンは、プログラムを書くとか、大きなデータセットを分析するとか、映像や音声を編集するとか、そういう作業をするためのもので、多くの暇潰しはタブレットで必要十分です。むしろ、スマホやタブレットでできるだけなんでもできることや、スマホやタブレットだけで仕事が回るように、仕事のやり方を最適化するほうが、何かと有意義だと思います。外に出ないなら、テレビやパソコンよりもタブレットです。ファーウェイの型落ちなら、Googleも使えるし、今ならかなり投げ売りですよ。

2020-12-01 20:20:58

コロナ禍で増えるマイルドアル中

このコンテンツは、徒手空拳日記というブログを、読み上げたものです。 2020年11月30日月曜日 ヒロシのソロキャンプがぐっとくるのは、それが彼にとって遊びではなく、救いだからではないかと思います。小洒落たアウトドア雑誌とか、しょうもないグランピングとか、実は人々からそっぽを向かれています。いまソロキャンプが流行るのは、このコロナ禍において、多くの人々の生活が、丸でソロではないからで、本当はソロキャンプよりもソロライフのほうが、ニーズとしてはより深いのではないかと思います。おうち時間という、気持ちの悪い言葉が最近よく使われますけど、おうち時間とは要するに、家族の面倒くさい時間を、マーケティングのためにクレンジングした言葉でしかありません。 政財官学マスメディアのクソ情報のほとんどは、みんなつらいのだから、つらいなんてただの甘えだから、それぞれのおうち時間を、じゃんじゃん消費しながら楽しく過ごしなさいね、という単調な号令になりつつあります。でも結局、家のなかでアルコールを飲みすぎてしまい、親しい間柄ほど、人間関係が悪くなっているのが、実情だろうと思います。 世界のコロナ禍は深刻で、死者はすでに145万人です。これは、かなりダメージでかいのではないでしょうか。第二次世界大戦における日本人の死者が約300万人、2016年に世界で飲酒関連の死者も300万人などと比べても、コロナは一年足らずでもうすでにこの半分にまで達しているのですから、この新しい感染症は、とても深刻です。 コロナ禍とは、実はアルコール禍になっていると思います。最近日本で急に増えている自殺者とアルコールの関係が、一番気になります。生活が苦しい人が、少ない所持金をアルコールにまわしてしまって、より一層苦しくなるという悪循環も、想像できます。 これまでは普通に問題なくお酒を飲んでいた人たちが、ステイホームによっていわば、マイルドアル中になっているかもしれません。毎日飲んでいる人で、少なくとも月1くらい、記憶がなくなっている人は、マイルドアル中を疑ったほうがよいかもしれません。きらきらとしたおうち時間とやらを、政財官学マスメディアに踊らされて、消費によって埋めてしまうと、ついつい酒を飲んでしまいます。 戦略としてシラフでいることは、いまこそとても賢い選択です。コロナ禍では、なかなか他人の目が届かないので、ついつい好きなだけ酒を飲めてしまうわけで、泥沼にはまらないためには、家で独りでアルコールを飲まない、選択的なシラフでいられたら、ポジティブなフィードバックループが回り始めます。 おうち時間でウザがられて、家族から放置され、ゴートゥー・マイルドアル中化している人達が、ついついオンライン飲み会で飲み過ぎて、オンラインのハラスメント行為に及んだり、家にいるまんま飲み過ぎて翌朝のオンライン会議を寝過ごしてしまったり、あるいはたまたま外で飲み過ぎて、密室に長居したり、警戒が緩んで感染のリスクを高めてしまったり、実は、ステイホームによるマイルドアル中の進行が原因のトラブルが、激しく増えていると思います。 ステイホームとステイシラフは、セットであるべきで、今この時代にシラフであり続けることは、ただでさえ長期的に減ってくる収入をできるだけ減らさずに、アルコール分解による免疫力の低下を完璧に防ぎ、消費によらない知的な喜びを増やすことで、クオリティーオブライフを高めることにつながります。 マイルドアル中にならないことこそ、いま最も確実な得策だろうと思います。マイルドアル中になってしまうと、リアルのアルコール依存症まであっという間に進んでしまいます。 以上、本日も最後まで、誠にありがとうございました。 人のゆく裏に道あり花の山

2020-11-30 19:24:51

謹啓 単独行動主義者の皆様へ

今日は、11月29日、いい肉の日なので、「いいにくの会」のような、焼肉をみんなでわいわい食べる、会食イベントがあちこちであって、コロナ禍でもまあ、やっちゃおうか、中止にしようか、空気を読みながら、決行しちゃった人たち、こんな会食で感染したら、会社でまずい立場に追い込まれそうだから、「いいにくの会」そのものを潰しちゃった人たち、自分だけはなんだかんだ理由つけてパスした人たち、いろいろいたのだろうなと思います。 私に言わせれば、そういうしょうもない「いいにくの会」とかやってる奴らがそもそも頭がおかしいと思うのですけど、最近特に思うのは、私みたいな潜在的なひきこもり人間にとっては、コロナ禍はつらくも苦しくもなんともないなという事実です。いいにくの会なんかより、家でのんびり本読んだりNetflix観たりしているほうが、はるかに幸せなのです。 焼けたお肉を頬張って、ビールをぐいっと飲んで、もぐもぐしながらまたマスクをつけたら、肉の脂やたれでマスクがベチョベチョになってしまいますよね。マスク会食なんて、アホらしくてやってられません。私にとっては、焼き肉はもともとひとり焼き肉がベストなので、ひとり焼き肉のパイオニア、焼肉ライクとかは、いまもありだと思います。 振り返ってみれば、酒を飲んでいたころも、独り飲みがメインでしたし、映画館に出かけるのも基本的には独り、何をするのも独り、咳をしても独り、子どもの頃からずっと帰宅部で、ひたすら家にいるのが好きでしたので、今回のコロナ禍は、こう言ってはなんですが、時代が私についてきたとしか思えません。 楽しいことは、ほぼ己のなかにあるので、独りでいても構わない、誰からも怒られない時間が増えれば増えるほど、楽しくなるのは当たり前で、私のような筋金入りの徒手空拳、単独行動主義者にしてみれば、コロナ禍でみんながここはガマンですとか、大変な時期ですが頑張りましょうとか言われると、内心では「はあ?」としか思っていません。 ひきこもりを、とにかく悪いこととして取り扱って来た人たちには、コロナ禍はやはり辛いのかもしれません。ガラパゴス諸島の生き物のように、適者が生き残るのであれば、ひきこもりあるいは独りでいるほうが気楽で楽しい人たちが、これから生き残るのかもしれません。あるいはまたもとに戻って、2020年のことなんてみんなすっかり忘れてしまうのかもしれません。 ただひとつだけ言えることは、東日本大震災で巻き起こった絆バブルが、コロナ禍では完全に水泡へと帰り、逆に絆を追いかけることが負の遺産になってしまっていることです。絆とは本来、家畜が逃げないように結んでおく紐のことなので、絆に雁字搦めの家畜みたいな人ほど、感染しやすくなっています。 社会人ではない私には、コロナ禍なんて、全然辛くありません。むしろ絆とか言ってた人達が、神経衰弱になってきていて、お気の毒です。Amazonで本を買って、風呂に入って、飯を食う。それだけのことで、ライフ・ゴーズ・オン、そう思える私は勝ち組でも負け組でもないのでしょう。そもそも組とは、2つ以上のものを組み合わせたもの、という意味ですので、私は組ではありません。しょうもない他人と飯を食っても、その人のつまらない話なんて聴いても、頭が汚れてしまうだけなんです。 反社会人勢力としての人生を生きている人は、ほとんどなんの主張もせず、ひっそりとこっそりと、このコロナ禍を楽しんで生きていると思いますので、私もわざわざこんなこと書いてしまうとまた後ろ指さされてしまうのですが、朱子学カルトのみなさんが最近かなりおつらそうなので、他人事ながら心配しています。社会人主義を最初から捨てている人にしてみれば、コロナ禍なんて単に、思いもよらない確変が来たな、という感想しかないのです。

2020-11-29 21:03:45

コスパは人類最悪のイデオロギー

安倍晋三さんのサクラゲートについて返す返す思うのは、そもそもこんなあからさまな、チンケな有権者買収が、ここまで見逃されてきたことが、ちゃんちゃらおかしいのであり、安倍晋三事務所だけでなく、安倍晋三さん本人が、政治的責任を取るしかないだろうなと思います。政治的責任とは何でしょうか? 端的には、自民党の除籍、衆議院議員の辞職でしょう。こんなしょうもないツアーに参加した有権者も、万死に値すると思います。 コスパという言葉は、コストパフォーマンスの略ですが、この前夜祭にしても翌日の桜を見る会についても、後援会にしてみれば大変コスパのよろしい、会員向けの晴れの場ですし、参加した地元有権者にとっても、コスパのよいおのぼりツアーなわけで、ゴートゥーなんちゃらとおんなじです。 日本を急速にダメにしているのが、コストパフォーマンスという割り算です。パフォーマンスをコストで割ってしまう、この数式がそもそもろくでもないのですけど、私に言わせれば、コストという概念そのものが、ろくでもないと思います。コストとは、活動と一緒に負担が発生することが語源なのですが、コストという言葉のせいで、資産をコストに算入してしまう事態を呼びました。 例えば、恋愛はコスパが悪い、などと最近は言われますが、この時にコストに数えられているのは、お金や、時間や、エネルギーです。恋愛だけがコスパのものさしで測られるのではありません。ありとあらゆる内発的動機が、短期的な見返りとセットになりました。 コスパという世知辛い損得勘定が、正義の音色を帯びてしまい、人類にとって犠牲という行為がバカバカしいもののように、十把一絡げにくくられてしまいました。私に言わせれば、これは世界のアメリカ化です。功利主義です。しょぼい地域ファシズム政党が、コロナ禍で病床トリアージをする、と言い出したのも、すべての人を全力で救う時間もお金ももうありません、というファシズムです。 政治屋のコスパのよいパーティー、自分もフォロワーも大満足のコスパのよいレストラン、これからコスパのよい職業は何か? これらの思考訓練はかならず、コスパの良き社会制度へと向かいます。弱者なんて切り捨ててしまえ、コスパが悪いから、新自由主義とはつまり、人権をコストのせいにして切り捨てる考え方です。コスパよし、コスパよししか言えない人たちが、これから割を食う敗者になるだろうと思います。 労働はいつの間にか資本家にとって、エフェクトではなく、コストとみなされてしまいましたが、少し前までは、労働とは資本家と労働者が一致団結するエフェクトそのものであり、コストなぞという犠牲とは真逆の、共鳴とか、達成でしたけど、組織的な動員や作業はすべてコストになってしまいました。お前なんてコストじゃボケって言われたら、元も子もない訳で、一致団結というハーモニーは、これからますますなくなっていきそうです。 エフェクト、つまり効果をコストにみなしてしまう狭量の社会病理とは、戦前で言えば、兵隊をコストとしかみなせずに、行軍でも飯盒鍋しか持たせず、その結果として連合国に75年も支配されている事実でもありますし、コロナ禍と経済をバランスさせようとするいまの政府の考え方も、ろくでもないコスパイデオロギーのせいです。 民主主義、資本主義や社会主義というイデオロギーが消えて、イデオロギーの時代は終わったとか言ってる奴は、とことん頭が悪くて、2005年くらいから、すべての地球を覆い尽くしている世界史上最強のイデオロギーが、コスパというイデオロギーなのです。私達は、コスパという醜い思想を破壊するしか、生き残る道はありません。

2020-11-28 22:24:24

本当の支えになるものは自分自身の考え方しかない

はてなブログプロの契約が昨日で切れたので、徒手空拳日記のはてなブログに、はてなのしょぼいバナー広告が表示されるようになりました。こんな古臭い広告モデルで、はてなという会社があと、どれくらい生き延びられるのか、他人事ながら心配です。noteは、無料コースでも、効果のなさそうなバナー広告とか出ないので、それだけでも引っ越してきて良かったと思います。 Netflixとか、TikTok、noteもそうですが、広告を広告として直接は、ユーザーに無理矢理見せたりしないしくみのほうが、これからは主流になると思います。広告モデルそのものが、そろそろ限界に来ているからです。広告とは、1対不特定多数の一方通行の情報ですが、情報とはなべて命令ですので、ネット社会では、その情報の送り手の意図が、簡単に見えてしまいます。美しい声、きれいな言葉、心奪われる音楽、コストのかかったそれらのハイファイの情報ほど、胡散臭くてスルーされる、そんな時代です。 1対1の情報なら、まあ判断できます。ワントゥーワンなら、美しい声、きれいな言葉、心奪われる音楽で装う必要すらないと思います。その人の言っていることが、一次情報なのかそうではないのかも、判定しやすいと思います。 問題なのは、不特定多数と不特定多数の間の情報です。このタイプの情報は、この10年間のソーシャルメディアの登場によって、一気に増えました。情報の発信主がなかなかはっきりしないので、見たいものしか見ないとか、見たくないものは見ないというバイアスがかかりやすいです。 コロナ禍のような不安要素の大きな時代には、小さな主語の情報に、戻っておくべきだなと思います。我々はとか、我が社はとか、日本人はとか、人類はといった大きな主語発の情報は、聞こえないようにミュートしておく、そんな工夫も必要です。NHKなどは、国民から年間7000億円もの受信料を人力で徴収しながら、自由民主党という大きな主語のプロパガンダしか発信していないので、スルーしておくのが良いかなと思います。少し前まではNHKもテレビはダメだがラジオはマシとかありましたけど、それもほとんどなくなり、シングルソース、シングルプロパガンダ・チャンネルになっています。 大きな主語も危ないですが、主語がない情報もやめて欲しいです。例えば街頭インタビューの情報などは、どこの誰のインタビューなのかもよくわかりません。それなのにあたかも代表的な見解のように装っています。 インターネットやソーシャルメディアがこの世に出現する以前から、客観的に正しい情報など、元々なかったのですが、あたかも正しいと信じることのできる共同幻想は機能していました。共同幻想がほぼ死んでいる現代では、正義より正気を頼りに生きていくしかありません。己のボディー・アンド・ソウルのろ過装置を通してみて、もやもやしないもの、嫌悪を感じないもの、つまり正気でいられそうな情報を取り敢えず優先しておくしかありません。 では正気は、どうしたら維持できるのか? これこそが最も重要な課題だと思うのですが、アルコール、テレビ、ソーシャルメディアという現代の3大ドラッグを可能な限り己の生活から遠ざけることだろうなと思います。ボディー・アンド・ソウルが健全かどうかは、結局のところ、自分にしかわかりません。本当の支えになるものは自分自身の考え方しかない訳で、乱世になればなるほど、ものごとを疑うスタンスは、何よりも大切になると思います。 コロナ禍についても、アルコール、テレビ、ソーシャルメディアをほどほどにすると、かなり上機嫌に毎日を過ごすことができます。みなさんもお試しください。

2020-11-27 21:41:54

人間扱いされた時には死んでいる

どうやら東京出発の移動制限も、12月からはじまりそうですね。東京都の重症者の基準は、ICUの使用者をカウントしておらず、国のそれよりも甘くてゆるいのですが、重症者の数がじわじわと増えてきています。戦時中米軍が日本軍を洞察して、日本軍は死なないと兵隊を人間扱いしない、と報告しているのですが、ほんとそのとおりです。コロナも、死者がもっと増えないと、国民は、いつまで経っても人間扱いされません。 今日は6人増えて都内の重症者は60人に達しているようです。もはや打つ手なしかもしれません。国の重症の定義は、ICUかエクモの使用です。日本維新の会なんていうしょぼいファシズムに、トリアージされるくらいなら、全力で感染予防したくなります。 この3週間が勝負、前にも聞いた台詞ですが、そもそも勝負とは、本来リスクテイクしてなんぼのものですが、感染収束に向けた政策は、ほぼ無策のまま、経済を回すという、雨乞いのような、実態は清和会の利権を回しているだけの、ここまで来ると惚れ惚れするほどの無能だと思います。 別に政治屋がゴートゥーなんちゃらを中止判断しなくても、都内の繁華街はすでに大打撃のガラガラです。12月の忘年会は、私のしょうもない会社員経験に基づくと、すでにこの時点でスケジューリングが完了していないと遅いので、首都圏で働くサラリーマンの忘年会は、もう既にほぼ100%流れていると思います。 春の第一波と比べて、より一層会食が危険と言われているので、家庭持ちだと、妻や子供から年末年始の飲み会を完全に禁止されている会社員も沢山います。夜の街で感染して、それが2次的に家庭内を感染させることを、恐れているのでしょう。 日本の新自由主義は、新しい自由主義なんかではありません。もっと古臭い寝ぼけた自由主義です。自業自得、自己責任、自殺・自死へとつながる極めて過酷で冷酷な、封建的な自由主義です。このままいくと12月上旬には、医療崩壊が起きる可能性があります。 なんと言っても、医療の最前線で、人員が足りていません。病院の前を通るたびに、看護師募集のビラが、掲示されています。コロナの感染を怖がって患者が病院に来ないので利益が上がりません。経営が苦しいので医療従事者に特別なボーナスを支給することもできず、燃え尽きた人から戦線を離脱しています。もし私が医療従事者なら、精神疾患になってしまい、速攻で医療現場から逃げ出していると思います。 医療機関への公助をほったらかしにして、ゴートゥーなんちゃらの継続にばかりこだわっている政財官学マスメディアは、すでに人ではないレベルだと私は思います。合理性や科学を完全に排除した、希望的観測だけの、不作為と作為が、最悪の形で第3の感染ピークとして津波のごとく襲いかかります。感染を防ぐこともできず、実体経済も麻痺するというまさに、虻蜂取らず、二兎追うものは一兎も得ずです。 高速走行中に思いっきりフットブレーキを踏むと、車が大破してしまいますが、今起きようとしていることはそんな感じではないかと思います。ありとあらゆる責任をうやむやにしたまま、このままいくと年末年始は、戒厳令のようになり、ステイホームのために最高視聴率で得をするのは NHK だけという事態にもなりそうです。 徹底的に合理をヘイトすることでここまで生きてこれちゃった、国民国家の曲がり角ですけれど、自分の身は自分で守るしかなくなってきていますね。繰り返しになりますが、日本維新の会にトリアージされる最期だけは避けたいです。何はともあれ、格差や結核などの伝染病がまだまだ存在していた1950年代に、日本のシステムは逆戻りしそうです。

2020-11-26 20:36:24

ゴートゥー・スーパーホテル体験記

ゴートゥーなんちゃらでスーパーホテルというチェーンのお宿に泊まっています。APAホテルのAPAとは、Always Pleasant Amenityの頭文字らしいのですが、APAよりスーパーのほうが覚えやすいですよね。初めて泊まったのですが、なかなかよく考えられている宿で、大浴場があるので、部屋でシャワーを浴びる客が減り、長期的に水道代が安くなります。コンセプトとしてロハスを掲げていて、要するに部屋の掃除とか省いちゃいますよということですが、それもまたよし、なにせゴートゥーを絡めると一泊実質3千円くらいですので、かなりお得感あります。案の定、ゴートゥーでホームレスしている人もいるみたいですが、おかみから、連泊に制限がかかったようです。まあでも宿を変えてしまえばいいので問題ありませんね。 私の場合、家にいても、 YouTube と Netflix しか見てないので、スーパーホテルに泊まっても、自宅と同じメディア環境です。15時にチェックインして、速攻で誰もいない大浴場でひとっ風呂浴びてから、ドンキホーテで買った炭酸水とチータラで、 YouTube と Netflix を楽しんでいます。ガースーさんは、経済を回すのだから、といって、これからもゴートゥーは継続したいみたいですが、それもきっと支持率次第です。経済を回すことなんかよりも、支持率が大切だろうと思います。ところで経済を回すって個人消費のレベルを下げないってことだと想うのですが、それは無理です。今年の収入、さがりまくりですから、どうやっても生活防衛的な傾向は抑止できないと思います。 今回のゴートゥー小旅行は、TUMIのトラベルスーツケースと、 ビジネスバッグの組み合わせです。このパッケージに全てを詰め込んでホテルからホテルへと渡り歩き、暮らしていけたら最高だなと言う、イメージのシュミレーションをしています。ゴートゥーが 継続するうちはひと月9万円足らずで、好きな場所に泊まることができますので、通信費や光熱費を加味すれば、ホームレスのほうが都心だとお得だと思います。地域共通クーポンを使って、食事代も浮かせることができます。いわゆる焼け太りというやつですね。 ゴートゥーを使っていながら、当該施策をDISると、青木理みたいですけれど、こんな愚策で、経済が回るわけありません。売り手の目的をハックして、おいしい果実だけを買い手が摘み取るチェリーピッカーというマーケティングの言葉がありますが、こんなもの中抜きの業者とチェリーピッカーだけが潤うだけで、本当に経済対策が必要な人に、これではお金が行き渡りません。 本当に経済対策が必要な人とは、旅行業や飲食業で時給で働かざるを得ない人のことです。それって要するに、生活保護を分厚くすれば解決することです。経済を回すと言っておきながら、単に利権を回しているだけです。多くの人はそのことに気づいています。 政財官学マスメディアは、丸っと、戦前から今もずっと統計とか数学がわからないので、エクスポネンシャルの怖さを伝える話法を未だに持っていません。指数関数的な想像力がないことが、日本の産業すべての衰退の原因だと私は思っていますが、日本の場合、 PCR 検査の数がこれ以上増えませんので、指数関数的な増加を見える化できません。まさしく神のみぞ知る領域に、入ってきました。つまり、日本はこれから、感染の実態を科学的に把握できなくなります。ペストの頃の人類みたいなものですね。今日は新規感染何人です、こんなに多いのは初めてです、気をつけましょう、気の緩みを相互監視してください、政財官学マスメディアはもうその程度のクソ情報しか吐き出すことができません。

2020-11-25 17:14:54

「コンテンツの歯周病」としてのドラえもん

映画の「スタンド・バイ・ミードラえもん ツー」がオオコケとのことで、もちろん私は、その映画まだ観ていないのですが、なんというか、これが仮に失敗だとすると、この失敗にはいまの政財官学マスメディアすべての、失敗の本質が痛いほど見られる気がしますので、今日はそのことについて、書いておきたいと思います。 まず、この映画の興業用のCMがキモいです。最近の色々な芸能人が、のび太としずかちゃんの結婚に、祝福のメッセージを送っている構成です。虚構のなかの結婚に、さあさあ、みんなついにあの二人がゴールインですよ! という前提そのものが、私にはとてつもなくドン引きに思えます。 ドラえもんは今年で50周年とのことですが、その連載初期には、ドラえもんの誕生は、2012年9月3日となっていました。つまり、すでに未来は過去のものとなっています。高度経済成長期ののほほんとした未来ビジョンはかなり陳腐化しているわけで、そんな物語にいつまでもコンテンツ産業が依存していることは、一種の老いぼれです。 実際私も、まさにドラえもんとともに日本で成長してきた団塊ジュニア世代です。池袋のサンシャインシティで、大山のぶ代に会ったことも良い思い出です。しかしながら、だからといって、のび太としずかの結婚に、別に心は動きません。 ドラえもんを、ミッキーマウスのように偉大にしたいとか、世界で通用するクールジャパンのキラーコンテンツにしたいとか、そういう野心って、そもそもよこしまではないかと思います。ドラえもんは、はっきり言ってクールジャパン機構とともに、衰退しました。 ドラえもんは、もう取り返しがつかないほど、よこしまな政治利用の果てに、陳腐化しています。育成ではなく、その時どきで都合の良い、レイプまがいの消費ばっかりさせられて、私には、ドラえもんはもはや、コンテンツの歯周病、単なる出がらし、としか思えません。 ドラえもんは、だいたい実際には、未来なんてない朱子学カルト企業の、贋の未来の記号として、これでもかっと消費されつくされました。ドラえもんを記号にすれば、馬鹿なおっさん向けのコミュニケーション競合コンペにたやすく勝てたのでしょうか。「私企業の未来」とやらを、語らせられるパペットとして、当初のキャラクターの純粋さは、徹底的にことごとく汚されました。 実写版のドラえもんという設定の、やたらタレントがたくさん出てくる、面白くもなんともない広告企画もありました。ドラえもんに、しょうもない企業の、都合の良い未来を語らせる企業が多過ぎて、結局なんにも残っていません。ドラえもんが出でくると、また何か嘘を言わされてるな、と疑います。私が言いたいのは、キャラクターのマネジメントがぜんぜんできておらず、節操のない商業利用によって、もはやドラえもんのブランドストーリーは壊滅的だ、ということです。 それでもなお、その圧倒的な知名度と人気度故に、こうしてマネタイズのダシに使い倒されているドラえもんが、心の底から気の毒です。商業主義の都合のいいように利用され、合わなくなった辻褄も放置されたまんま、無理矢理3G化されたドラえもんなぞ、私にとってはコンテンツの残骸でしかなく、ドラえもんを政治経済に利用してダメにした張本人どもが、クリエーターづらしているのは、なんともかたわら痛いのです。 NHKの紅白歌合戦とかもそうですが、「コンテンツの歯周病としてのドラえもん」も、そろそろご勇退の時期かと思います。普遍性を獲得できなかった残念なコンテンツです。もはや再生不能ではないかと思います。キャラクターを長く育てていくことの難しさを、ひしひしと感じます。

2020-11-24 17:16:37

自分だけの勝手な、ゴキゲンになりさえすればいい方法

相手の言い値で買ってやるのは、要するに買い手によるマウンティングです。価格交渉なんてするくらいなら、はなから取引なんてしないほうがマシなのです。相手が仮に無理なプライスをふっかけて来たとしても、黙って言い値で買ってやる、これはカネの使い方としてのいろはのい、だと思います。マネーや言葉、は人類にとっての貨幣ですけど、これらをケチると、大抵ろくなことはありません。 クラウドファンディングなんかが、いかにも今風だともてはやされてますけど、出資金つまりは資本を他者に握られたら、その事業に自由なんてありませんので、クラウドファンディングなぞは、最悪の方法ではないかと、私は思います。もちろん大きな絵を書いて、その為に銀行にカネを借りるのも、やめたほうがいいです。 ベンチャーの起業そのものが、そうするしかなかった当時のアメリカの30年前のやり方ではないかと思います。日本でベンチャーが育たないのは、そもそもそういうやり方に合理性がないからです。もちろん既存企業による、社内ベンチャーなども倒錯したお花畑でしかありません。 日本経済新聞は、もともと三井財閥内部の株式市場情報部門でしたし、全日空なども朝日新聞の取材ヘリ部門でしたけど、これらが大化けしたのは結果でしかなく、狙ってやるのは、ほぼ無理です。四半期とか年度で成果を出さないとクビになるいまのシステムでは、上場企業が長期のリスクを負うことそのものが、できないのではないかと思います。 あと、大きな企業がベンチャーやスタートアップ企業に対して、協業・出資を目的とした募集行為を行う、いわゆるアクセラレーター・プログラムのようなものも、日本ではほとんど失敗しています。これも結局は、カネを出してもらうと、肝心の自由がなくなるからです。大企業のいいように使い倒されて、時間をムダにします。 日本のウィーワークが、日本のウィーワーク拠点を月額39000円で好きなように使えるプランを出しましたけれど、フリーランスが毎月の固定費として、オフィスにそんなカネをかけることそのものが、間違っている気がします。ウィーワークそのものが、2級の都心部物件を又貸しするという、これまた時代遅れのビジネスモデルでしかなく、早晩この世界から消えてなくなるだろうと思います。 こう言ってはなんですが、コロナ禍は巨大隕石の落下みたいなものなので、図体のでかいヒエラルキー型組織が、これからまずは壊れます。いま世界にある図体のでかいもの、という意味では、FRBとか中国共産党なんかが世界最大のものだと思うのですけど、そういう巨大なビューローが、とてつもない打撃を受けます。 JTBのBとは、ビューローのbですけど、旅行という需要の蒸発によって、この巨大なビューローは、存続の重大なピンチです。JTBもまた、NHKとか銀座と同じで、イギリスのトーマスクックという世界最古の旅行代理店の丸パクリなのですが、このトーマスクックは、コロナ禍の前に、昨年破綻しています。つまりはコロナ禍があろうとなかろうと、ビューローのヒエラルキーのビジネスモデルは、遅かれはやかれなくなる運命にあり、コロナ禍は、その運命をスピードアップしているだけです。 大きなヒエラルキーを目指すことそのものが、時代遅れなのであって、人を雇わない、固定費をできるだけかけない個人が、自律分散型にネットワークを形成するやり方しか、これからは適応できなくなると思います。大きいところほど、大きなダメージを被るのが、コロナ禍です。今やって来ているコロナ禍の第3の波は、私たちに痛いほどそのことをはっきりとわからせることになると、私は思います。

2020-11-23 18:54:22

人は喪失によって形成される

元気で明るく、ちょっぴりエッチ、それなのにとことん謙虚、この3つさえ徹底すれば、社会人なんて楽勝です。現に私は、かれこれ30年以上この3つだけで贋社会人をやってきました。私は、大学の後輩からのいわゆるOB訪問とか、全部お断りしているのは、元気で明るく、ちょっぴりエッチ、それなのにとことん謙虚でありさえすれば、就活なんて絶対に決まりますので、そのことに気づいてないバカと話するのはかったるいし、時間のムダだからです。 皇室か薩長じゃなければ、この5百年ネポティズムの国では、何をやっても足軽止まり、百万が一、うまくなりあがれば切のいいところで粛清の上、根絶やしです。私が何よりも最近ごきげんなのは、NewsPicks的な意識高い系の人々が、コロナ禍でだいぶんおとなしくなっていることで、このまんま息が止まってくれたら、さりげなく嬉しいなと思います。 もうすぐ三島由紀夫が死んでから、半世紀ですけど、三島が死んでからの、くだらない半世紀という単なる徒花の、クソみたいな時代が、ようやっと終わるんだなと思って、清々しています。三島の自死については、最近では吉本隆明のつぎの言葉のことを考えています。 人は自らを知るのに半生を費やす。そのあとで、仕事が始まる。 三島は、自らを知ることのない半生を生きて、そこで割腹自殺して45歳で死んでしまいました。彼を肯定してよいのか。良くない気がします。太宰治とかに感じる嫌悪と同じです。半生の後、ようやっと見えたはずの仕事を、していないのではないかという思いです。三島由紀夫のあとは、なんだかんだ言ってももう中上健次の時代ですけれど、彼も46歳、腎臓がんで死にました。また、ジョン・レノンは40歳で死んでしまいましたけど、彼は自殺ではなく暗殺です。中上健次もジョン・レノンも、半生のあとの仕事が彼らにはしかと見えていたのに、残念です。 要するに私のような年齢は、生きているだけで丸儲けなのです。しょうもない半生を生きて、ようやっと自らのホンモノの仕事を知るのは、なぜなのでしょうか。次に私は、この言葉を考えます。 人は失ったもので形成される。人生は失うことの連続だ。失うことでなりたかった自分になれるのではなく、本当の自分になれるのだ。(アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ) 半生を生きると、ようやく人は失うから、しぶしぶ、仕事がはじまるのでしょう。そういう意味では、仕事もしないのに、死んでしまうのはきっと良くない気がします。私はまだまだ何も失っていないので、ろくでもありません。会社を辞めたところで、そんなもの、喪失としてたかが知れています。 日本の最近の中高年は、フォーエバーヤングというアメリカのろくでもない思想の餌食となって、半生を生きても子どものままだったりします。半生を生きたら、もうモラトリアムは終わりで、本当の仕事に向き合わなければなりません。会社を辞めたのは、そう思ったからです。定年退職とか、70歳までその会社で働くとかは、団塊世代向けの措置でしかなく、どっちみちコロナ禍でなくなります。 半世紀生きたから、取り敢えず贋の社会人はやめました。私の本当の仕事がなんだか、まだよくわかりませんが、それが社会人ではないことだけはわかります。教科書通りで稼げたのは平成まで、令和の仕事はまだテキストにも定着していません。それは面白いと思います。アメリカのマクドナルドを乗っ取ったレイ・クロックは、30代から40代は、世界恐慌や世界大戦と重なった不運な半生を生きて、50代でようやっと、外食産業の勃興とともにマクドナルドの乗っ取りという、世界経済史に残る悪事を成し遂げました。社会人というシステムが終わります。みんな本当の仕事を見つけるチャンスです。

2020-11-22 22:31:26

ガラガラならば、こっそりGo Toする人でいたい

ガースーさん、もう少しこだわるのかと思いきや、ゴートゥーなんちゃらの見直しが予想よりもはやく来ちゃいましたけど、私が思うのはそれにつけてもネーミングセンスのなさです。ネーミングとは戦略そのものであり、戦略とはパースペクティブそのもの。ゴートゥーという語感だと、偉い人におもねるドーパミンが出すぎなのです。コロナ禍の終息を前提にしちゃってるから、こんな名前になっていて、ロゴまでデザインしてしまっています。戦略の致命的なミスです。 今からでも遅くありません。名前を、「お忍びキャンペーン」とか「こっそり作戦」に変えるべきです。内調の徹底監視化にあるすべてのマスメディアは明日から、この中抜き企画のすべてをお忍びトラベル、お忍びイートと呼びかえればいいのです。簡単なことです。お忍びですから、結果的に小声になるし、小人数になること請け合いです。コロナ禍の行方を希望的にしかシミュレーションできていないのは、政財官学マスメディアのマネジメント層がクソなんです。常に最悪のケースを想定するのは、マネージャーの役割です。 マッキンゼーの空、雨、傘って、最近の人は、知らないのでしょうか? 空を見て、雨が降るから、傘を売る、これぞすべての仕事の基本です。晴れることしか考えられない、雨の話をするとご機嫌が悪くなる間抜けなお達者クラブに、なんとかして傘を持たせるのが中間管理職の仕事というものです。土砂降りなのに傘がない、という現在の状況は、手遅れです。 まあ私には知ったことではありませんので、こっそりお忍びトラベルのていで、私は逆張りの旅行を計画しています。ここだけの話、スッカスカの観光地をこっそりひっそり、一人で旅します。おそらく年末年始のキャンセルは、まだみんなしてないと思いますが、この3連休以降のキャンセルは、でまくりの投げ売り状態ではないかと踏んでます。 旅先での3密はすでになくなりましたので、感染リスクも自動的に低くなります。私の場合、京都とか札幌のような人気観光地には最初からでかけませんし、ナイトライフもせいぜいが鄙びたサウナなので、もともとローリスクです。ぎょうざの満洲が群馬県の沼田で経営している温泉宿とか、普段聞いたこともないような魔界しか行きたくありません。私は夏前から毎朝、体温を測って記録しているので、健康管理もバッチリです。人の行く裏に道あり花の山をいまこそ実践します。 新型コロナウイルスの感染拡大、っていう14文字を、コロナ禍、というたった4文字にまで圧縮した人は、とっても偉いと思いますけど、まともな情報発信は、ほとんどありません。報道内容も完全に思考停止していて、街頭インタビューちゃんねると化しています。このまんま行くと、なるようにしかならないという、まさしく神のみぞ知る黄泉のセカイへと進んでいきそうです。 まあでも、今こそ必要な心構えとは、世界はこれから一体どうなるんだろう? という拡散の思考よりも、私によれば世界はこうなるに違いないという、収束ベクトルへの自問自答だろうなと思います。しかもその世界とは、地球全体とか国民国家みたいな幻想のスケールではなくて、せいぜいが150人くらいの狭いマイワールドの行方占いでいいんです。PLAN DO SEE ACTの流れで大切なのは、雨か晴れかの決め打ちはせず、ちゃんと傘も持って、信じる明日を目指すことではないでしょうか? JTBの決算が壊滅的ですけど、このコロナ禍は、ふつうの経済危機と逆で、図体のでかい会社から絶滅させてしまいそうです。小さい会社や小ぶりなお店は、こっそりとお忍びで営業できます。寄らば大樹の通用しない、超絶非連続なピンチ、これは私なんぞには、ほとんどチャンスと同じかもしれません。

2020-11-21 20:39:48

"災間期"の生き残り方

私のようなひねくれものには、いまの政権そのものが、この冬のコロナ禍の深刻化をある程度織り込んだ、典型的な毒まんじゅうを食わされている人々のように見えてしまいます。ホンモノの満洲国エスタブリッシュメントは、後ろで頬被りです。麻生太郎ではなく河野太郎、加藤勝信ではなく田村憲久、いま一列目にいる人たちって、清和会じゃありません。 この人、頑張るってさ! とばかりに叩き上げの野心家が、最前列に押し出されて、無理くりリスクテイクさせられているように、見えます。会社でもそういうこと、よくありませんか? まあ虎穴にいらずんば虎子を得ず、なので、この危機を乗り越えられれば、菅義偉政権は、本格的な長期政権へと化けるかもしれません。 おそらくは、ゴートゥーなんちゃらは、12月には中止、または見合わせになると思います。大衆もバカではないので、死にたくありません。このまんま中途半端におかみがOKしていると、おかみが禁止してないから、会社のクソみたいな忘年会が禁止にならない、みたいなことがかなり予想されます。 それは嫌だな…と思う大衆が、執拗なサボタージュをはじめています。少なくとも私は、経済をまわさなければならないなんて、1ミクロンも思っていません。経済をまわすって、どんな意味なのですか? ゴートゥーなんちゃらも、単にオトクだから群がっているだけで、コロナに感染するかもしれないなら、キャンセルです。 コロナに感染したくないのは、未知のウイルスなのでこわいっていうのが半分ありますが、残りの半分は、コロナにかかるやつはだらしない、駄目な奴だ、という白眼視が嫌だからです。お立場ご身分のある人ほど、この白眼視を恐れますので、その時点で観光や外食産業は殆どまわらなくなります。 こういう状況になっても怯まずにゴートゥーなんちゃらキャンペーンに突き進める人は、社会から白眼視されたって別に知ったことではない孤高の領域にいるか、奇人変人のどちらかです。前者の代表は老人、後者の代表はチンピラです。社会なんて関係ねえんだよ、バーカと思える人だけが、客として残ります。つまり続けてももはや効果ありません。 明らかに全国的な感染爆発の段階に来ているのになんで、あの、確かCOCOAという名前の、鳴り物入りで開発されたはずの接触確認アプリの利用徹底が、1ミリも叫ばれないのか、心底不思議です。酒飲んでる最中もマスクしろ、という狂おしい命令の前に、COCOAを使いなさい、と言うべきでしょ。旅行も会食も、このアプリが機能してようやっと、安心して利用できるはずだったのではないですか? このCOCOAアプリが放置されたまんま、非科学的で非合理な無策や愚策が、次から次へと繰り出されます。 「感染がどうなるかっていうのは、本当に神のみぞ知る……」。コロナ禍対策を担う西村担当大臣は、ついに言っちゃいました。この人、もしかして、パンチドランカーなのでしょうか。尾美副座長という偉いのか偉くないのかよくわからない人の、副座長って、いったいどんな立場なのでしょうか? この人たちは旅一座かなんかなのでしょうか。 でも、オミもオカミもまあ、こんなものである、って大衆は最初から知っています。日本人は、いざピンチとなると、寡黙ながらも、しかし激しいサボタージュをはじめます。世界金融危機から東日本大震災を経て、最近のコロナ禍までの時間を、災の間と書いてサイカンと名付けている人がいましたけど、大衆の不信のマグマは溜まる一方です。コロナ禍にかこつけた大衆のサボタージュがこれから静かにはじまると思いますけど、何が起きても驚きません。私にとって、世界の混乱はチャンスです。会いたい人には会いますし、行きたい場所には必ず行きます。

2020-11-20 20:53:23

世界トレンドとしての不労、減労

毎日がびっくり日本新記録更新の新型コロナウイルスですけど、感染原因のかなりが、会食によるものとのことですが、政治屋のみなさんは、静かなマスク会食を、とか、5つの小などと言い始めています。 要するにマスクしながらでも酒は飲みなさい、という非常事態宣言、あるいはアルコール統制経済の発令です。つまり配給制度の真逆、配需制度の爆誕です。コロナ禍でもバス旅行はしなさい、ただし、車内の飲食禁止とか、会食は続けなさい、でも、飲み食いしてない時は、マスクしなさいとか、政財官学マスメディアは、やっぱり頭がおかしいですね。笑ってしまいます。 習慣としてお酒をたくさん飲まなければ、その分あくせく働かなくて済みます。簡単な因果です。いま起きていることは、全世界ほぼマイナス金利という、マネーのコモディティー化ですけど、マスクしてまで忘年会やれ! と言い始めているおかみに、下々はドン引きし始めています。お金より、命が大切です。コモディティー化したマネーなんて、じゃんじゃん休業補償して、生活保護もどんどん拡大すれば解決します。 ゴートゥーなんちゃらは、いくらおかみがイケイケと言っても、下々がこわがってキャンセルが増えています。そりゃそうですね。これからますますネットで否定的な声が大きくなっていきますので、12月にはゴートゥーなんちゃらは、とりあえずの中止になると思います。汲々と生きているヘタレの動きは、予測しやすいです。とにかく怒られたくない、の一心ですから。 世界トレンドとしての不労、働くことをわざと減らす減労は、コロナ禍を通じて、市民権を得ていくと思います。リーマンショック以降、既にヨーロッパでは、若者はあんまり働いていません。これは、働けないというよりは、この世界が、脱労働へと動いているのだと私は思います。お金への憧れや執着が、急速になくなってきました。 労働なんて、アホらしくてやってられない、これが真実となりつつあります。昨日も書きましたが労働の多くが、環境管理型のブルシットジョブになりつつあります。こんなクソみたいな労働をしなくてよいなら、お酒も別に飲まなくていいや、欲しいものもないしなあ、そんな感じではないかと思います。 働くことができなければ死んでしまう人もいる、と言いますが、それは短絡です。働かなくても、数万円のアルバイト程度で生きていく裏ワザは、インターネットをくまなく探せば、けっこうあります。もちろん合法的なやり方です。働かないから死んでしまうのではなく、動物としての思考が停止しているから、死んでしまうのです。 ヨーロッパの若者は働きませんけど、そのぶん、彼らはいい子なんです。犬や猫が働かなくても生きていけるのと少し似ています。彼らは家族を大切にします。年金ぐらしの祖父母や、仕事を持っている両親にかわいがられることで、不労を勝ち得ています。コロナ禍によって、働いたら負け、の時代が、すぐそこまで来ています。 働かざる者食うべからず、なんてもう古いのではないかと思います。働かなくても食っていきたい、寝ている間にもチャリンチャリン儲けたい、その為につくられているのがGoogleであり、Amazonだったりします。 半世紀生きた、もう働きたくない、でおなじみのユーチューバーのピロヤンは、働けとか、生活保護受けろとかのコメントにブチギレて、しばらく動画を上げていませんでしたけど、本日ようやっと動画アップを再開しました。いつコロナで人生折れ曲がるか、もうわかりません。働くことは、これからあんまり意味がなくなっていきますので、私は彼を、不労不死の切り込み隊長として、これからも期待しています。

2020-11-19 20:13:04

ブルシットジョブから抜け出すためのたった独りのプロジェクト

面白くもなんともない単調な作業のことを「マックジョブ」などと言いますけれど、もっと下品な言い方としては、「ブルシット・ジョブ」などと最近では言われます。やりがいを感じないままただ口過ぎのためだけに働くことや、どう考えてもムダで無意味な仕事、あるいは人の役に立つ仕事だけど、給料が驚くほど安いといった仕事ばかりになりつつあります。マックジョブが懐かしくすら感じられます。私は大学生のときに、マクドナルドでアルバイトしていましたけど、アルバイト社員のことを、クルーと呼んでいました。きっといまでもそうでしょう。クルー、つまり乗組員です。同じ船に乗る仲間というスタンスは、あったわけです。 マックジョブからアマゾンジョブへ、ブルシットジョブの悪辣さがどんどん増してきていると思います。マックジョブにおいては、規律訓練的な要素がまだありました。スマイルゼロ円などは典型的な、従業員の規律を訓練するためのスローガンです。お客様を幸せにする仕事に関わっているのだという誇りが高いモラールとなるようにしようという意図が、資本家に紛いなりにもあったと思います。 これに対してアマゾンジョブとは、環境管理型です。巨大な倉庫で秒数を数えられ、1件でも多く、そして正確に、注文された商品をピックアップするというロボットの代わりを、様々なITツールによって計測され管理される仕事です。従業員のデジタルな成績がリアルタイムでわかりますので、ランキングの下のほうに居続けると、すぐにお払い箱となります。アマゾンではたらく価値とか意味は縮減して、ひたすらメトロノームのリズムを背後に、単調な肉体反射を繰り返すだけです。 これが、リアルなデジタル・トランスフォーメーションなのではないでしょうか? さらに恐ろしいのは、アマゾンジョブだって、アマゾンの戦略においては、きっと過渡期的なものなのです。注文があった瞬時に、倉庫から配送ルートにそって、自動的に在庫が動き始める、そんなシステムがそのうちに、出来上がってしまうでしょう。そうなったら、いまの過酷なアマゾンジョブも、アマゾンからなくなるかもしれません。 マックジョブやアマゾンジョブは、ホワイトカラーの領域にも急速に広がっています。特にコロナ禍によって、リモートワークが増えてくると、出社しなくとも、従業員が効率的にしごとをしているか、見える化したい企業が続出しています。残念ながらIT企業は従業員よりも、管理者の味方ですので、ありとあらゆる手を繰り出して、ホワイトカラーの仕事を、アマゾンジョブに塗り替えつつあります。私が会社員をやめたのは、ホワイトカラーのブルシットジョブが、リモートワークでさらに世知辛いものになるだろうと予測してのものですけど、もう少し広い視野で見れば、プラットフォーマーの傘下に入るすべての仕事は、アマゾンジョブ化していくのです。 そうなると、小さくて、ニッチなブルーオーシャンで、プラットフォーマーのお世話にならないナリワイをみつけることが、結局は自由へとつながる道なのだと思います。そのために必要なことは、戦略のレイヤーを大切にすること、仕事の価値や意味を作り出す過程において、自分よりも詳しい人に依存しないこと、 そしてなんといっても、固定費を極限まで抑え込み、借金や消費を極力しないことです。それはつまり、たったひとりのプロジェクトをやる覚悟だろうと思います。人と人が仲間として繋がれるのは、たったひとりのかっこいいプロジェクトを、まわせる人どうしだけになっていくでしょう。ノウハウやソリューションをやたらと教えてクレクレクンは、どんな仕事でも、誰からも相手にされなくなりそうです。

2020-11-18 19:44:01

なぜ日本人はコロナに感染すると謝るのか?

Google様が、日本の新型コロナウイルス感染者数の予測を出しました。これから向こう28日で、新規感染者は5万3千人、死者は512人という、数字です。全然ありえる数字だなと思います。むしろ抑え気味の数字です。Google様だって、日本市場で怒られたくありません。なかの人が、内閣府に怒られない程度の無難なキャリブレーションをしているんだろうな、と想像します。 1985年の風邪薬のコピーに、風邪は社会の迷惑です、という仲畑貴志のコピーがありましたけど、あの時と基本、いまもまだなーんにも変わってません。風邪は社会の迷惑です、というコピーは要するに、風邪なんて引いて、社会に迷惑かけてるあなたはイケてないから、この風邪薬ではやく治しなさい、という命令です。ガースー政権下の今風に言えば、風邪なんてのは、単にあなたの甘え、自助でさっさと解決しなさい、気が緩んでるのは、あなただけだよッ、という恫喝ですね。 さて、いまでも、風邪をコロナに置き換えれば、全然成立してしまいます。コロナにかかる奴が悪い、それは彼らが気を抜いていたり、だらしがないからに決まっている、という強い決めつけがこの国の背後にあります。女子アナがテレビやラジオの番組でかぜ声になっていたりすると、視聴者からプロ意識が足りないとか、気が緩んでいるからだといった叱責のメールがたくさん来るみたいです。これ要するに、お前の風邪は、自業自得だ! という絶叫ですよね。 この不気味な朱子学カルトのマインドは、公正世界仮説によるものです。ウィキペディアには、「公正世界仮説とは、この世界は公正な世界である、という思い込みのこと」と書かれています。正義は勝つとか、努力は報われる、とか時間だけは皆に平等だとか、この世はとにかくフェアなので、フェアなゲームに勝つのは、常に正しいものに決まっている、という認知バイアスです。 勧善懲悪とか、親の敵討ちとか、人気の歌舞伎の基本ストーリーはほとんど、この公正世界仮説を背骨にしていると思います。半沢直樹シリーズなんて、プロットは歌舞伎の本歌取りだろうと思います。観てないけど。 世界は公正だという世界観は、思い込みとしてとても強いので、これを疑う人はあんまりいません。アメリカの白人をみてればその狂信ぶりは怖いほどです。公正世界仮説のデメリットとは、要するに、不幸や不運に見舞われている人は、自業自得であると逆引きしてしまうからです。失敗するのは、努力が足りないからだとか、その人の過失を根拠もなく疑うだけでなく、血が呪われているからだとか、前世に悪いことをしたからだとか合理的でない決めつけてしまいます。 日本では、コロナ禍でも、この公正世界仮説が強く起動しています。コロナなんかにかかるのは、夜の街だからだという上からの決めつけは、政財官学マスメディアによるフェイクニュースです。人々の公正世界仮説を悪用しています。ご心配、ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ございません、なんてコロナに感染した人が謝るのは、日本くらいです。 とことんがんばり屋さんでなければ、そんな奴らは地獄に落ちろ、公助も共助も必要ない、彼らが野垂れ死にしたってしかたないさ、となります。そう考えると、世界でもぶっちぎりの日本人の冷酷さや無慈悲さとは、権力によって下々が、徹底的に公正世界仮説を刷り込まれているからではないか? と私は、思うのです。 この世界は徹底的に不公正なクソゲーでしかないと諦めている私には、日本は単なるカルト国民国家にしか見えません。NHKに喜んで受信料を払って、公正世界信念プロパガンダを刷り込んで欲しがっている民とは、こう言ってはなんですが、オウム信者と何がどう違うのか? 私には完全一致、としか思えません。 そしてこの公正世界仮説への狂信さゆえに、日本では感染が低く抑えられているのです。倒錯したパラドクスとしか思えません。

2020-11-17 19:41:47

たい焼きビジネスに肌寒さを感じたお話

プラットフォーマーなぞというと、英語なのでいかにも新興勢力の、端的にはガーファのようなものを指すので、いかにも最近出てきた存在のように早合点してしまいますけど、全然そんなことはなく、昔からありますし、プラットフォーマーと呼ばれるものたちの大抵は阿漕なものです。 プラットフォームを調べると、ビジネスの場を提供すること、とありますが要するに賭場の元締め、といった意味合いです。セブン-イレブンなんかは、コンビニというビジネスの最強プラットフォーマーです。取り引きのルールを決めて、ユーザーを集めて、ショバ代やノウハウ料をごっそり抜き取る存在です。 先日、鯛焼きビジネスの講習会にでかけたのですけど、その講師とは、要するにプラットフォーマーでした。こんなビジネスまでプラットフォーマーに占領されているのかと思うと、日本はもうかなりヤバいなと改めて思います。その業者は、鯛焼きを焼く機械はもちろん、たい焼きの皮もあんこも、細々とした道具もなにもかもをユーザーに提供します。 私が参加して衝撃的だったのは、このたい焼きプラットフォーマーの傘下で、鯛焼きショップを経営すると、人件費を除く製品原価が4割に達する、という話を聞いた時で、それは抜きすぎだよとひとりごちてしまいました。こいつらとパートナーになったら最後、つまりは、こいつらのためにただひたすら鯛焼きを焼いて売るだけの末端でしかなくなります。 これはセブン-イレブン本部とオーナーの関係とか、モンサントと農家とか、タイソン・フーズと養鶏場の関係と、完全に同じです。プラットフォーマーに巻き込まれたら最後、プラットフォーマーにとってリスキーな店舗コストと人件費だけを、末端が引き受けて、ただひたすら原材料を消化するだけの人力マシンに成り下がります。 鯛焼きで原価4割なら、そんなゲームには決して参入しないのが正解です。どうやらこの会社は、リタイアしたシニアに、たい焼き屋を斡旋しているみたいです。持ち家を持っているシニアは、65歳をすぎるとマイカーを手放す人が増えます。そうすると車庫のスペースを、たい焼き屋に改造できます。自分の土地なので、簡単なお店づくりなら百万円もあれば、初期投資できてしまいます。 そこに、たい焼きプラットフォーマーがつけいります。なにもかもをプラットフォーマー製品で埋め尽くして、薄利多売を推進します。シニア世代のオーナーからしてみれば、そんなに儲からなくていい、という気持ちなんだろうと思いますが、儲からないのはたい焼きのせいではなくて、プラットフォーマーのせいです。 最近の日本では、「経済を回す」というと、大衆が外食したり旅行したりすることになってるのですけど、そのことそのものが、日本の老衰で哀しいです。まともに経済を回すって言ったら、鉄、エネルギー、自動車、エレクトロニクスでしょう。おじいちゃんは、そんなにたくさん飲み食いしたり、あちこち旅なんてできません。 しかも原価率4割というアホみたいなたい焼きスモールビジネスにまで、業の深いプラットフォーマーが手を回しているのです。プラットフォーマーにまんまとだまされたアホなシニアが、そうやってていのいいたい焼き生産肉袋ロボットとして、プラットフォーマーに取り込まれるからくりに、私は、ただただ戦慄したのでした。 私は、深沢七郎トリビュートで、今川焼屋をやりたいだけなのですが、死んでもこういったプラットフォーマーのお世話になることはありません。今川焼の焼き方なんて、いっくらでもYouTubeに親切な動画があがっています。粉ものビジネスさえもプラットフォーマーに侵されているのです。恐ろしいデフレ経済ではありませんか。これ、経済なんてとっくに回っていませんよね。

2020-11-16 19:37:21

人間の幻想する能力のほとんどは、己を縛る為に浪費されている

すべての人が何らかの檻にいれられています。 でも扉の鍵はいつも開いているのです。 (ジョージ・ルーカス) 見たいものだけ見ていると、人は得てして己が何らかの檻にいれられてしまっていることを忘れてしまいます。特にこの10年はSNSが浸透して、より一層、雁字搦めの不自由さが自覚できなくなっているように思います。 人は、義務教育で、国民国家の檻へと本格的に投獄されてしまいますが、幼稚園や保育園などからもうかなり、落ち着きのない子どもを矯正するシステムだったりします。社会人という一生涯投げ入れられる檻のなかで、従順さを刷り込まれるのです。教育制度なぞはインターネット以前の古臭い国民軍の残滓でしかなく、惰性で続いているだけのものです。子どもをクラスに閉じ込め、檻のなかこそがすべての世界だと信じ込ませます。 社会人とは、「檻のなかこそが世界だと信じるもの」のことです。それはつまり、檻のなかにいれられているという自覚そのものがありません。小林エリコさんの「家族、捨ててもいいですか?」という本を最近読んで、日本人にとって家族というものが、まずものすごく透明度の高い檻なのだなあと改めて思いました。子どもはもちろんのこと、親でさえ、家族という容れ物が、檻であることに気づくことができません。私に言わせれば、小林エリコさんのお父さんは、家族という檻が見えていたのではないかと思います。お父さんは、娘さんを、家族の外へ連れ出す越境者だったのではないでしょうか。父を呪いながら、強烈に父を想う、アンビバレントな慕情の根っこにある家族という見えない檻の堅牢さに、気が遠くなりました。 日本という国は、家族のような見えない檻が、会社や学校、町内会や老人ホームにいたるまでありとあらゆるところに遍在しています。社会人の檻のなかでは、権力者や政商・豪商の指図で、自己主張せずにひたすら元気で明るく、ちょっぴりエッチ、それなのにとことん謙虚に周りと同調して、ひたすら精勤と泥酔が強制されますが、精勤と泥酔で疲れ果て、檻のなかにいる事実になかなか気づくことができません。 この檻の秩序を機能させる麻薬こそがアルコールではないかと思います。お酒は権力者や政商、豪商にとっては、檻の存在を見えないものにして、檻を打ち壊そうとする反逆のエネルギーを鎮める効果があるのだと思います。ややこしいのは、檻の中にいるのだという前提に気づかないことには、その檻に実は鍵がかかっていないという真実にたどり着けない、ということです。 見たいものしか見ない、知りたいことしか知ろうとしない、視野狭窄に陥ると、前提条件から世界認識そのものを間違えてしまいます。視野を広く持て、というのは簡単なのですが、その視野そのものが、政財官学マスメディアによって与えられている仮想現実である可能性があるのです。徒手空拳日記とは、要するに檻の中にいることに気づいて、鍵のかかっていないことに気づき、まんまと外へ出ようよ、というメッセージです。例えばネトウヨという檻の中に入ってしまうと、日本人のくせに、なぜかトランプ大統領を熱烈に支持してしまったり、アメリカの民主党と日本の立憲民主党を似たようなものと勘違いしてしまったり、愚かさに歯止めが効かなくなってしまいます。 人間とは、幻想する動物です。幻想というと、自由な外向きの能力拡大のように勘違いしてしまいますが、人類の幻想とは内向きな自縛のために浪費されています。世界とは鍵の壊れた檻の外に広がっているものです。そのことに気づいた人から、楽しく自由に生きられるのではないかと思います。

2020-11-15 20:20:50

コロナ禍と反知性主義が世界を覆い尽くしている

ソロキャンプのヒロシさんのYouTubeチャンネルの登録者数が、100万を越えたようですけど、ピークのときの週刊文春だって50万部くらいですから、すごい数字だなって思います。家族や友人でみんなでワイワイのキャンプではなくソロキャンプっていうのが、すごいです。 それくらいのリーチがあると、オリジナルのソロキャンプ用品とかつくって売ったり、サロンのような有料会員制度をもうけて、マネタイズもできる訳で、それはつまり、多数に知られて支持されれば勝ち、という資本主義や民主制というゲームそのものです。 この資本主義や民主制というゲームとしてのアメリカ大統領選は、ようやっとすべての州の開票が終わって、思ったよりも僅差ではなくなってしまいました。 「数ケタにわたって分布する統計データでは、カミ一桁が1~9になる確率は1が一番多く、9が一番少なくなる」というベンフォードの法則という、不思議な法則があって、最近の大統領選の結果をこの法則に当てはめると、かなり怪しい、つまり何らかの作為が盛られているのは確かなようなのですが、今回は時間との戦いでもあり、アメリカのコロナ禍が日増しにひどくなってきているので、どこかでトランプ敗北にて、手打ちになるだろうなと思います。 トランプ政権の罪とは、反知性主義の悪影響だったと思うのですけれど、私が特に思うのは、反知性の表現が、人間のネガティブな感情ばかりを揺さぶるやり方でコントロールされたことだと思います。民主制のリーダーがゲスになり、敵をDISることばかりが、人気取りの基本戦術になりました。これは要するに、人間のネガティブな感情に訴えたほうが、下々の気持を鷲掴みにできるということで、共通敵をつくりあげたほうが、部下はより結束するという意味では、日本のサラリーマンの飲み会文化とかと、実は同じです。 日本でも、しょうもない反知性主義が蔓延しています。NHKのニュースなぞは、街頭インタビューばかりになっていますけど、NHKとしてのオピニオンを限りなくなくしていくための、頬被りの埋め草として、街の声が都合よく利用されています。プロパガンダという本質をごまかす街頭インタビューに、統計的にはなんの意味も価値もありませんけど、これをやめると尺が埋まりません。 あと日本的な反知性主義として最近目立つのは、好きなことだけやればいい、という主張です。スキルも経験もある優秀な人ならそれも良いのですが、私のような凡人が、それをまに受けると社会から爪弾きにあうだけのような気もします。好きなことだけやればいいんだよ、なんてインフルエンサーはなんでそういうかといえば、そのほうが多数に到達して、響くからだと思います。 そしてもひとつ日本の反知性主義を挙げると、わかりやすくないものは、存在価値がないという考え方です。難しいことは、面倒で空気を読まない、小難しいこととなり、そんな難しいことを言うことは、良くないことと決めつけられます。これも、超絶かんたんにしないと、人気が取れないからです。100分で名著を解説するNHKの番組を見て、名著をわかった気になることは、まさに反知性主義でしょう。 ふつうの市民による街の声と、好きなことだけしてなさいという命令と、とことんわかりやすい、もはや記号のようなロジック、これらの反知性主義がとことん進んで行くと、その先に何があるのでしょうか。考えるだけで不気味ではありますけど、私には関係ないからまあいいか、とも思っています。まあいいか、だからどうした、人それぞれ、結局たどり着く結論はこんなものです。

2020-11-14 20:21:51

奴隷根性そのものがエスタブリッシュメント

時々、都内の街角で国連難民高等弁務官事務所の募金活動をみるんですけど、あれってなんなのでしょうか? 国連っていう名前が、そもそもおかしいですよね。UNとは連合国、つまりは第二次世界大戦の戦勝国の、戦後世界統治スキームでしかありません。 日本は、言うに及ばず、第二次世界大戦の敗戦国なのであって、己が統治されるスキームのことを、勝手に国際連合と呼び変えて、それをあたかも素晴らしい理想の組織と盲信させられている日本の大衆は、歴史を顧みることのない、頭が悪い民族だと思います。プロパガンダに喜んで従う、愚かな民と言えます。 日本は、75年間も奴隷のプロパガンダに己の視聴覚を飼いならされすぎて、既にほぼほぼ統合失調状態です。国会での菅義偉答弁は、なんかに似てるな、と思っていたら、精神疾患者のランダムな口語だと気づきました。まあ、あれ書いてるのは霞が関の役人でしょうから、役人の頭脳が崩壊している、ということです。 日本は75年間も平和だ、と信じている精神そのものが、もとから間違っていると思います。容赦のない戦争は、いまも続いているのです。戦争の意味が変質しているだけなのです。グローバライゼーションとは、事実上の現代世界大戦です。資本家にとっては、戦争よりもガーファのほうが、金儲けのために都合が良くなった、それだけのことです。戦争は、耐えることなく進化しているのです。それが、ホモ・サピエンスの恐ろしいところです。 戦争のためのプロパガンダは、第二次世界大戦の後には、経済プロパガンダへと変容しました。日本国の1980年代後半のビール会社によるドライ戦争などは、文字通り戦争でした。アルコールとは、プロパガンダを遂行する為の、重要な国民国家リソースなのです。アルコールは、覚せい剤の代用麻薬としてのオピオイドとして、いまも重宝されています。 戦争の時代には、奴隷をハイにして、たくさん人を殺さないと目標達成できませんでしたので、覚せい剤をたくさん使いましたが、経済戦争の時代には、国民を麻薬でダウナーにしたほうが、都合がよいのです。 日本の戦後小売産業は、端的には、アルコール配給のサプライチェーンとして、最適化しただけのことです。三菱がなぜキリングループをいまも持っているか、ローソンというしょうもない小売を持っているかと言えば、アルコールというドラッグを抑えるためだと思います。 政財官学マスメディアとは、要するに処理された敗戦国ということでしかありません。なるほど確かに吉田茂は、冷戦に最大のレバレッジをかけて、日本国の生き残りを成し遂げましたが、その末裔が麻生太郎では、この戦後もいかんともしがたい失策そのものではないかと思います。 GO TO なんちゃらのことを、自由経済の推進と考えていると完全に見間違えます。あれは統制経済の推進でしかありません。アホなネトウヨが、マスクもせずソープランドやキャバクラに行くのは、統制経済プロパガンダの成果でしかありません。これから指数関数的に感染者が増えますけれども、オリンピックという本土決戦はぎりぎりまでなくなりませんし、コロナによる死者も米国並みになるまでは、抑えるつもりもありません。日本とは、そういう走狗のための残忍な国なのです。 1945年におけるアメリカ大統領はトルーマン、つまり民主党政権です。ジャパンハンドラーとは、民主党です。まだ米国としては、選挙結果も確定していないのですが、菅義偉政権の周りは、ジャパンハンドラーにはやく支配されたくて、もううずうずしてるのですけど、それは原爆という愛のムチを落としたのが、民主党だからです。まだまだこの国の隷属は続きます。

2020-11-13 22:44:29

逆張りとしてのアナログ・トランスフォーメーション

Googleフォトの無制限ストレージが、来年の6月までで終了とのこと、そこから先は、有料になります。プライム会員ならばAmazon フォトはストア無制限のままなので、そちらに乗り変えればいいのではないかという声も聞かれますが、改めて、ただより高いものはないという鉄則を、考えなければならないと思います。 無料で使えるということは、プラットフォーマーにコンテンツを与えることになります。つまりデータを利用されているということです。私たちはユーザー、使用者なのではなく、実は彼らに使われている、使用人の存在です。Googleドキュメントにしても、ユーチューブにしても、無料ということは、裏があります。 無料で依存させてしまってから、ある日突然、わらわらと有料化という、日本土着の似非プラットフォーマーにありがちななし崩しのマネタイズもあれば、もっとずっとずる賢い、データの不気味な抜き取りや紐付け、解読オンリーのサービスもあります。 これまで30年弱会社員をやってきて、それをやめてみて思うのは、ガーファも日本の企業も、私には実は不要なプラットフォームだなということです。プラットフォーマーとの共存共栄なんて、ありえません。彼らときっぱりと手を切り、彼らの支配の及ばない場所でのうのうと生きていけたら、それが最高なのです。共存はありません。あるのは非対称な搾取のみです。 それに、これまでの経験から、構造化されていない断片的なデータをとにかくなんでもクラウドにぶっ込んでおく式の方法は、あとあとぜんぜん使い物になりません。検索にも引っかからないし、ランダムにそれを見ても何も得るものがないのです。なんと言っても、デジタルは物理的なメディアに記録されたものでなければ、ないのと同じです。 石や象牙、竹や紙といった、むやみにコピーのされにくいハードメディアに刻まれたデジタルデータが、結局は安全ですし、参照する使い勝手も良いと思います。ということで、私は今月からかなりきつめに、アナログ・トランスフォーメーションしようと決めています。D Xではなく、A Xという、まさかの逆張りです。 Googleカレンダーなどは使わずに、紙のカレンダーと手帳に戻します。TO DOリストなんかも、紙です。しかも記録する情報は、断片ではなく、なぜ?とか、ということは? に答えられる、文脈のあるものに限ります。要するに、何でもかんでも記録して、あとから構造化するのは絵空事でしかなく、これは未来の自分に残そう、と思えたものを残していくようにします。 結局は、Evernoteなどクラウドの断片的な情報よりも、オピニオン、例えば過去に自分が書いたブログのほうが、コンテンツとしての現在価値が高いのです。現在価値の高いデータを選択的に残すことに専念します。事実とそれに基づく物思い、考えごとを、紙に残していくつもりです。 私淑する奥野宣之さんが提唱する記述法に、ネギマ式記録法があります。これはなんと言うことはなくシンプルなのですが、すごく便利で、おすすめです。ネギマ式とは、事実はバレット(・)で箇条書き、オピニオンや発見はスター(☆)で区別するというものです。元新聞記者らしいノウハウですが、これは後で振り返るとき、間違えません。 会社員をやめるということは、私にとってあらゆるプラットフォーマーから離れる、という決断です。なんていうと、じゃあもうGoogle使わないのか? とかこのnoteだってプラットフォーマーだよね、となりますけど、プラットフォーマーとの付き合いは、そのうち縁切りしてもされても、なくなっても後腐れなく、困らない程度にとどめて置くつもりです。

2020-11-12 17:28:28

ひざまずいていては自由になれない

中国では今日は、独身の日というばく買いの日で、アメリカのブラックフライデーみたいなものらしいのですが、私などは家電量販店などに行っても、色々な家電製品を見ながら、うわっなにこれ、絶対要らな〜いとか、買ってすぐ物理ボタンがぶっ壊れるアイリスオーヤマなんて、ただでも要らないなあ、とか心のなかで要らない、要らないとひとりごちながら、店内を見まわります。 最近の家電量販店は、矢鱈と親切でそれが逆にこわいです。ちょっとでも立ち止まると、店員がこちらをじっと見つめています。有楽町に出来たベータという体験型のお店は、売りつけてなんぼではない新手の収益モデルのお店なんですが、日本の家電量販店も、ベータをパクってメーカーからお金取って、体験商品を並べればいいのになと思ってしまいます。 時々そうやって、欲しいものがなんにもないことを確認すると、なぜか落ち着きます。おかしいですよね。強いて言えば、いま一番欲しいのは、電気式で一気に40個の今川焼ができる業務用の今川焼製造機ですが、新品だと50万円以上するので、手が出ません。取り敢えずどこかで今川焼のアルバイトをしたいのですけど、こんなおっさん雇ってくれないよなと思い、奥歯を噛み締めながら、尻ごんでいます。 使い道がないので、稼がなくて良い、これ以上の安心はありません。巷では60歳からの住宅ローンなどという、気の触れた金融商品もあるのですが、買ってしまったら最後、どんどん価値が目減りしていくもののことを、負債と呼びます。日本人は、なぜだか、負債を資産だと信じ込んでいます。 ダイソーなどの100円ショップに行くと、鋳型に流し込んだゴミが並んでいるなと思います。ここでも、欲しいものが全然ありません。無印良品に行っても同じ気持ちです。私達のことを消費者と呼んでいた時代が終わろうとしています。かといって生活者なんていうおべんちゃらも、嘘くさいです。 では己のことをなんと呼べばよいのか、と言えば、要らない者、不要者だなと思います。私が一番好きな言葉は、不要です。断捨離は、過去に必要だと考えていたものを断ったり、捨てたり、離れたりするわけですが、最初から手にいれていなければ、そもそも断捨離は要らない訳で、最初から要らない者が最強です。 なぜかいつも毎日観てしまう、半世紀生きた、もう働きたくないでおなじみのユーチューバー、ピロヤンですけど、私が逆立ちしても彼になれないのは、私には、彼のような物欲が丸でないからだと思います。NMB48にお金を溶かすとか、ヴァン・ヘイレン追悼のムックを買ったりとか、彼のすごいところは、全財産が500万円を切っても、ほとんど節約しようとしてないところです。ばんばんモノを買います。 徒手空拳とは手に何も持たない、素手の状態のことなので、やめよう、棄てよう、逃げよう、これが徒手空拳日記のメッセージです。そのなかでも、まず消費をやめよう、そうすると自由な時間が増えます。 特に時間に比例してお金のかかる従量課金の消費は、要注意です。従量課金沼のために、無限に働かなければならない状態が、俗に言う多忙です。アルコールは、両手があいて暇になると逆に飲みたくなくなります。 ひざまずいていては自由になれない カラのグラスを高々とかかげて どこへ行こうと自分らしくいよう 自由でいるために 僕に構わないで 道は見つけるから 迷いなく空をめぐる星のように 信じたルールで生きてみたい ゆるぎなく これは、ヒロシのぼっちキャンプというBS番組のオープニング、ギャランティードという曲の歌詞ですけど、本当にひざまずいていては、自由になれない訳で、私は一体何にひざまずいて来たのかといえば、要は消費がすべての資本主義だなあと、最近は思います。

2020-11-11 20:36:46

「夜の街」なら、Go to ルノアール

そうか、ルノアールもタバコやめたんだね。 っていうと、いつの時代のパリの話だよって、思うかもしれませんが、いま私が居るのは、都内某所のルノアール、ただいまブレンドコーヒーのおかわりが、月曜日と火曜日ならば、一部店舗を除いて一杯無料サービスです。昔から変わることない日本茶のサービスも、泣けてきます。 最近までいつ来ても、タバコ臭かったルノアールも、すっかり無煙化して、おかげさまで読書やライティングがさくさくはかどります。スタバはギラギラしたアングロサクソンの高回転マーケティングのために、スキあらば席移動を狙うヤドカリ族で矢鱈と落ち着かないし、脱サラ個人経営店は、閉店が早いので、夜の喫茶スペースとしては、ルノアールは、オアシスです。 会社員をやめた身としては、時々立ち寄れるルーティンのセカンド・プレイスは、とても貴重です。私の場合、マスターとのおしゃべりとか、ご常連どうしの戯れもあまりというかほとんど求めていないので、チェーン店で、夜まったりできるお店は、最高にちょうどいいのです。 ルノアールといえば、私が高校生の頃、はじめてデートした女の子が、ルノアール以外ならどこでもいいよ! と私におっしゃった喫茶店なのですが、いま思えば、ルノアールだって全然OK、楽しそうにクリームソーダ飲んでくれる女の子のほうが、とてつもなく魅力的です。そう言われて、私はじゃあその彼女をどこへ案内したのかは、もうさっぱり覚えておりません。そのことはすぐに疎遠になりました。 禁煙の徹底で、ルノアールは、アルコールを飲まない私には、最強の夜の暇つぶしスポットになりました。ありがとう小池都政、唯一の成果です。そしてだらだらと2032年まで無期順延とも言われる、新東京オリンピックにも、感謝です。ソーシャル・ディスタンスもばっちりだし、いまなら外したマスクをテーブルに置くマスクケースも配備されています。まさしく、いたれリつくせりです。 私がなぜいま会社をやめたかというと、それが逆バリだからで、これからはドーパミンをどくどく出すようなお仕事は、うまく行かないだろうなと、あきらめたからです。ドーパミンの出ないビジネス、それはつまり、人が己を労るニーズだなと思います。例えばこんまりの片付けコンサルのようなお仕事です。 ときめき、英語ではスパークジョイなるマジックワードをこんまりは見つけました。これは要するに、棄てるか棄てないかの基準は、こんまりではなく、あなたがときめくかどうかですという、コンセプトを見つけたのがすごいです。意思をうまーく読者に委ねていること、そして、ときめかないものはすべて棄てろ、というジェノサイドを言外に秘めているところがすごいです。ときめけば棄てないという基準によって、実は棄てることを美化しています。 これからは、気分のアゲアゲではなく、気持をダウナー方向に緩めていく、癒やしていく、安心させていく鬱のビジネスしか、ウケません。元気で明るくちょっぴり元気になるサービスよりも、ありのままのあなたを肯定するサービスが流行ると思います。時代は所有やシェアよりも、ケアやキュアです。 バイデン効果でダウも日経平均もアゲアゲですが、まさにこのタイミングが、コロナバブルのピークアウトです。無茶な財政出動の限界であり、まさにここから、暴落の足音が聞こえてきます。 まさにゴーから、ステイへ、日本も、振れ幅ががらっと変わると思います。調子こいていつまでもアベノミクス気分でいると、痛い目にあいそうです。私は既に、利確を済ましているつもりですけれど、とはいえ何が起きるか、一寸先は漆黒の闇です。

2020-11-10 19:19:42

インパールで軍歌を歌わせる式の洗脳

コロナ禍のなかでも、気持ちを活性化させること、高揚させることばかりに、政財官学マスメディアの関心が向かっていて、かわいそうに、日本のエスタブリッシュメントは頭がおかしいんだなと思います。私はこれを、インパールで軍歌を歌わせるようなものだと考えています。いまはアゲアゲではなく、気持を鎮めて、気力、体力、時の運を温存しておくべき時です。 アメリカの大統領選も、人々を鎮めるべきときに、アゲアゲをつくりあげたトランプが、排除されてしまいました。いまは興奮ではなく、鎮静が必要なのに、頑張って押すことに夢中になり、引くことをすっかり忘れてしまったのです。 これから数年間は、アゲアゲ方向のビジネスは、全然だめです。ライバルよりも先に行こうとか、勝ち組になろうとか、システムをハックしようとか、平たく言うとNewsPicks的な小競り合いの、くだらない世界観は、どん引きされます。 ニーズがあるのは、脅迫的な荷物を降ろして、ラクになるとか、生存競争の武装解除をして、安全地帯に身を置くたぐいの課題解決サポートです。アゲアゲ、イケイケではなく、ふわっとまったりとした安心感が求められます。 2019年お正月に、Netflixでこんまりがいきなりアメリカで注目されましたけど、いま思えば、中国製や南米製のくだらない安物を全部棄てて、徒手空拳になりたいという、アメリカの中間層の欲求でした。もっともっとと世界中から安物を買い漁るアメリカは、あの時点で終わってたのです。 取り敢えずドーパミンが出ないようにしたいという巨大ニーズの台頭、それがコロナ禍の我々の正直な気持ちではないかと思います。闘争本能や虚栄心に駆り立てられることそのものが嫌悪なのです。欧米で進んでいる選択的にお酒を飲まないSobrietyは、薬物で楽しくなんてなりたくないという気持ちの現れです。 己の身を安寧に保つことが、人々にとって最も重要な課題です。金ピカのビルに住み、若い女にモテモテ、日焼けマシーンで肌真っ黒なトランプ大統領は、どっからどう見ても、時代の気持ちと逆行します。陳腐な言葉を堀返せば、すっかり癒やしの時代です。薬物や虚栄心を棄てて、まったり安らかに生きていきたい、これがグローバルの巨大ニーズだと思います。 野心より放心、いたわりとねぎらいが力を持ちます。競争回避的な解決しか、荷が動かなくなると思います。アゲアゲの高揚感のまんまステイホームしていると、生真面目な人ほどアルコールに頼ってしまいがちです。このブログを読んで、あー私もお酒をやめたいと思ってくださっているかたは、世界の大きな流れを鋭く感じ取っているのだと思います。 アルコールは、往復ビンタのようなむごい洗脳を生真面目な人に植え付けます。あなたを甘く美しく魅惑しようとする往路の洗脳は、サントリーの為に伊集院静が書いているコピーライティングのように、素晴らしく前向きで、いきいきしたものです。まさしく社会人の命の水です。 しかしながら復路の洗脳は一転して、取り憑かれたら抜けられない魔性の水です。シャブのようにやめられない怖い薬という洗脳です。この帰り道の洗脳に嵌ると、今度はその恐ろしいアルコールを飲まないことだけに、残りの人生を使うようになってしまいます。実は復路の洗脳のほうが残酷なのです。 アルコールとは、甘く美しくもなく、魔性でもありません。飲む意味もないし、やめたくなったら、実はすぐにやめられます。往復で洗脳されているから、辛いだけなのです。そのことに気づいたならば、アルコールなんて、秒でやめられます。

2020-11-09 20:23:59

会社やめるとスマホとかどうでもよくなりますね

ここのところ比較的あたたかい日が続いていますが、いよいよ、週明けは寒くなってきそうです。会社員をやめて通勤がなくなったので、寒くなってもあまり気がつかなさそうですが、家の周りで自転車に乗ることが多くなったので、逆に敏感かもしれません。会社に行かなくなってから、近所の地理に、矢鱈と詳しくなりました。 電車やバスを使ってあちこち出歩かなくなりましたので、スマホの買い替えに興味がなくなりました。Pixel 4aというGoogleの純正スマホにしようかどうか迷っていましたが、見送ります。iPhone を完全に卒業して今は、ロースペックの中華スマホを使っていますが、特に何の不満もありません。 そもそも外出先でスマホ使うことがあんまりないので、スペックが高くなくても、バッテリーが持たなくても全然OKです。あと、いま使っているスマホは指紋認証がなくて、マスクをしているとロック解除が面倒ですけど、マスクをしたままスマホを使う必要がほとんどないので、買い替えスルーで問題ないのです。 スマホを買い換えるのは、あと半年くらいはやめておいて、ニトリでこたつセットを買おうかなと思います。住環境を良くすることにお金を使ったほうが、いまはリターンが大きい気がします。ホットカーペットの上に無印のいわゆる人をダメにするソファーで、一日を過ごすことが多いのですが、私とはあまり相性が良くなく、腰を痛めそうです。無印良品って、欲しいものが全然ないので、どんどん存在感がなくなっている気がします。この20年間の小売業界を支えてきた双璧は、無印良品とセブンイレブンだと思うのですけど、盛者必衰のことわりですね。 通勤がなくなると、いろんなことが変わります。スマホなんてどうでも良くなるし、家のWi-Fiがメインなので、データもそんなに使いません。もしかするとモバイルSIMそのものが要らないのかもしれません。逆に楽天モバイルくらいのクソサービスで充分なライフスタイルになりつつあります。 家にいる時間が長くなったからといって NHK とか地上波のテレビ番組はより一層見なくなってしまいました。NHK は家にテレビ受像機のない世帯からも、受信料を取ろうとしていますが、ほんとやめて欲しいです。バイデンに当確が出て、予想通り NHK のニュースでは東京の通行人に街頭インタビューを行っていました。道行く人の声を聞いて何になるのでしょうか。いい気になって答えるほうにも、問題があります。 でも街頭インタビューなんかにこれだけ需要があるのなら、答えたい視聴者と、テレビ番組制作者をマッチングするアプリとかつくってみたくなります。効率的に撮れ高をアップしたい制作側と、ちょっとしたお小遣い稼ぎでテレビに映りたいインタビュイーをつないであげたくなります。お互いに GPS や Bluetooth で認識しあい、あたかも偶然そこを通行したように、両者は接触します。報酬はコメントの内容によって評価され、評価に応じて謝礼は支払われます。 でも実際に既にいろんな街頭インタビューに同じ人物が答えているようなので、劇団街頭インタビューみたいなプロダクションがすでに存在しているのかもしれません。街頭インタビューなんていう、統計的には何の意味もないご意見伺いがそもそも100%無駄だと思います。 会社員でなくなると、ニトリ大好きの、ニトラーになりそうです。あと、電動アシスト自転車が欲しくなりました。私のように会社を辞めていないまでも在宅勤務がほとんどの人もかなりいると思いますので、サラリーマンのライフスタイルが大きく変わる今、彼ら向けの全く新しいビジネスなんかも、考えつきそうなものです。

2020-11-08 20:18:30

毎日がしょぼい旅なので、会社やめても旅とか行きたくない

日本がなぜ欧米に比べるとコロナ禍がたいしたことないかといえば、一番大きいのは島国だからです。あとは独居世帯が多いのと、土足禁止文化です。今年になってから、海外から人がほとんど入ってきてませんので、そのせいもあって蔓延をまぬがれています。 ただし、寒くなってきて、ウイルスの生存期間が伸びてくると、感染が広がる恐れがあります。日本も、一日の新規感染者数が8月以来昨日1000人を越えました。これはやばいです。くだらないゴートゥーなんちゃらも、予想通り、来月は一時中止となると思います。 ふるさと納税とか、ゴートゥーなんちゃらとか、役人のプロトコルをクリアしないと得られない恩恵は、私はかったるいのでほとんど手を出しません。多分受益者だと思うのですが、そういうガースーとか二階の優遇施策が、早く全部この世からなくなればいいのになと、願ってしまいます。 首都圏でいうと、入間とか厚木とか、あるいは川越とか、程よい郊外への人口移動が進んでいます。私も会社員をやめて、都心に出向く必要がほとんどないので、東京都から脱出したほうがいいかなとも思います。近所のタワマンも価値が暴落しているみたいで、超絶メシウマです。これからはもう不動産なんて所有する意味もありません。クルマも、都市部でもレクサスとか要らないので軽自動車を一人一台持つ時代です。 不動産とかクルマとか、買った途端に負債です。とことん持たざるものでいきたいものです。スマホもiPhoneを持つのをやめて、しょぼいスペックのアンドロイドに変えてしまいましたけど、私の場合、ゲームとか動画編集とか全然しないので丸で問題ありません。ロースペックのスマホでも、全然困らない生活、これが最高です。 私の場合、平成の30年をまるっと否定すれば、ちょうどよいのではないかと思います。この30年は切り捨てです。社会人としての平成時代の経験やスキルはもう役に立ちません。それくらい割り切ると、新しい世界がひらけてきます。会社は既にやめたのであとは、親とか家族も、本当は縁切りしたいです。 時々テレビの公開捜査で、こつぜんと消えちゃう人いますけど、そういう人はだいたい自分の意思でいなくなっているのではないかと思います。平成時代がまるごと無意味なら、これから先、引き摺っていても仕方ないと思います。車谷長吉が、慶応の文学部卒業して入社した中央センコウというしょうもない広告屋を、さっさとやめた気持ちがほんとよくわかります。 戸籍とかも要らないなあと思います。下手に紐付いていると、税金取られたり個人情報ぬかれたり、ろくなことありません。そもそも親がなんの社会的地位もない人なので、私もノーマークの人生を歩みたいです。お立場もご身分も、まじで要りません。トルストイではないですけど、あとは文読む月日があれば良いです。 予想通り会社やめても全然寂しくもないし、むしろもっと早くやめておけばよかったという感想しかないのです。いまはいわゆる有給休暇を消化しているのですが、自分探しの旅とかも丸でする気ありません。むしろチャリンコで近くの蒲田を放浪しているほうが自分探しになります。 大学に行きたいとかもないのです。偏った読書しかしたくないし、あとはNetflix観てれば一日もあっという間です。バンドやったり、ゴルフやったりもしません。ゴルフもテニスもいままでやったことありません。 そう言えば、大学の卒業旅行とかも、いっさい行きませんでした。旅行が人生の節目になるという感覚がありません。毎日が旅です。当時付き合ってた彼女は同じ学年でしたので、彼女はしょっちゅう海外旅行してました。私はあの頃からなんにも変わってません。それでいいのです。

2020-11-07 22:53:03

『美味しんぼ』にみるいまの日本のオワコンぶり

はてなからnoteへの引っ越しにあわせて、毎日ひと月分ずつ、過去のブログ記事をリマスタリングしているのですが、改めて己の進歩のなさに驚きます。ほとんどなにも変わっていません。苦笑してしまいます。こちらはほとんど変わってないのですが、コロナ禍もあり、世の中がこちらへ寄ってきているというのが、正直な思いです。 4年以上前のブログから、引用します。2016年9月14日にすでにこんなことを書いています。 本音を申せば、最早出社も不要ではないかと思う。インターネットが組織を無用の長物にしたということは、組織の容れ物であるオフィスも無用の長物である。精勤や頑張りに何の意味もない。結果が全てである。 会社などのヒエラルキー型の組織は、インターネットのない時代のインターネットでしたので、インターネットが普及すればするほど、大きな組織は要らなくなります。ヒエラルキーは、遅かれ、はやかれ、自律分散型のネットワークによって、滅ぼされます。少なくとも、ヒエラルキーの何を滅ぼし、何を残すのかを決めるのは、ネットワークのがわであり、大きな組織は必ず立ち行かなくなります。 最近YouTubeで、アニメの美味しんぼが無料で公開されていますが、改めてかいつまんで内容を観てみると、30年以上前の日本社会はほとんど別世界のようです。特に、美味しんぼを観て驚いたポイントは次の3つです。 まず東西新聞の記者たちが、まだレッツノートのトリテキをしていません。彼らのオフィスにはワープロさえなく、原稿を手書きしています。当然ながら、取材のメモも手で書いています。パソコンもワープロもないのに、彼らの仕事ぶりはいまよりずっとのんびりしています。 いまの新聞記者なんて、記者会見に来ても事前に決められた記者以外いっさい質問もせず、レッツノートで発言を打ち込んでいるだけです。ガースーに誘われれば、パンケーキパーティーにもホイホイついていきますし、まさしく心を亡くした、朱子学カルトでしかありません。新聞の権威みたいなものももはやなく、文化の担い手という存在意義も、ほとんど日本の新聞には残っていないように思います。 2つ目の驚きは、山岡士郎のアルコール依存症ぶりで、毎晩高級割烹やバーに通い、二日酔いのまんま、午前中は資料室や屋上で寝ています。これはぐうたらなのではなく、飲み過ぎて肝臓がやられているのです。そんな彼は、海原雄山の息子なのでコネ入社、東西新聞社の社運をかけた究極のメニューづくりをまだ20代でありながら、一手に引き受けています。 この時代のサラリーマンは、毎晩浴びるように酒を飲み、午前中は仕事にならない、そんなスタイルでも経済は成長していました。山岡士郎の世代がいまでは、新聞社の役員になっていますので、現在の新聞社の凋落はまさしく山岡世代の結果だと言えるかもしれません。 最後のポイントは、中間管理職の無能ぶりです。東西新聞の社主から、帝都新聞との対決企画について圧力をかけられるたびに、局長、部長、副部長はただただ山岡士郎を呼びつけ、怒鳴りつけ、今度負けたらボーナスはゼロだなどと恫喝します。課題の解決はすべて山岡士郎任せです。栗田ゆう子はお茶くみ係固定とか、あの頃のサラリーマンの常識が、なんと五、六年前までは通用してました。 コロナ禍ではっきりしたのは、この東西新聞の30年前の古い仕事ごっこが、さすがにオワコンだという事実で、本来ならば、少なくとも20年前までには解決していなければならない問題です。デジタル化してないことが問題の本質なのではありません。もはや手遅れ、日本の政財官学マスメディア、エスタブリッシュメントは、コロナ禍で壊滅的な打撃を受けることになると思います。

2020-11-06 18:31:55

コロナ禍の乱世は、生まれ変わるチャンスだよね

アメリカの大統領選は、スイング・ステートと呼ばれる、赤と青がいつも拮抗する州の決着がなかなかつかず、まだ最後にはどうなるかわかりませんけど、このブログを書いている時点では、多分民主党が大統領と下院を、共和党が上院をおさえる勢いです。つまり米国は、来年も乱世が続きます。根っからのアメリカ嫌いの私としては、超絶メシウマな展開です。 ガーファが金儲けするためにAIを使い倒すと、SNSで人は見たいものしか見ない、嫌いな奴はブロックしまくることで、2016年のピザゲートみたいな頭のおかしなフィルターバブルに閉じ込められてしまうわけで、いまの混乱も因果応報だろうと思います。IT革命は、18世紀以降の資本主義、民主制の政治経済システムを壊してしまいました。こう言ってはなんですがアメリカの真の敵は、ガーファです。 バイデンなんていう、単なる過去のバイスプレジデントに敗れそうな、単なるテレビタレントであるトランプの、まさかが起きてしまいましたが、すべてのきっかけは、やはりコロナ禍でしょう。今の時点で23万人のアメリカ人が死んでます。疫病は特に女性の感覚を慎重にします。米国の女が最後に縋る男とは、要はキリストですから、米国の偉大なる父の代弁者である福音派が、トランプを見限りました。これが決定的です。 コロナ禍で、ミクロもマクロもいろんな番狂わせが起きようとしています。一期4年で与野党の政権交代がアメリカで起きるのは、1980年のカーター、1992年のパパブッシュ以来です。1992年の米国の政変は、日本でも翌年の細川護煕政権へとつながっており、米軍の舎弟である日本も2021年はおそらく乱世でしょう。 何が起きても驚かない、根強い心の構えが必要ですが、一体何を整えておけばよいのでしょうか。端的には、己を自律分散させておくことだろうと思います。支えを複線化して、できるだけそれらを独立させておくことです。例えば収入なんかも、一本足打法から抜け出しておいたほうがよいのではないかと思います。 米国が民主党政権になると、環境問題がクローズアップされるので、日本の一本足打法である自動車産業が、EVシフトについていけず、かなり打撃を受けると思います。内燃機関もハイブリッドも、一気に過去の遺物になりそうです。エレクトロニクス産業が10年前に死んでる日本は、コロナ禍の不況に加えて、電気自動車シフトという逆風を食らいそうです。 私の場合、会社をやめてからもそれなりに引き続き、フリーランスとしての仕事がありますが、それに加えていくつかの副業を持たなきゃなと思います。メインの仕事と全然関係のない仕事を、あとふたつくらい持っておきたいです。できれば固定費の丸でかからない、音声入力だけでできるものがいいのですが、そんなものは、ありませんね。 だとすると私は、私淑する深沢七郎や車谷長吉の口に糊したやり方を模倣したくなります。深沢七郎コースなら、隠遁して、今川焼屋をやりたいです。電気式の今川焼製造マシーンは制御がラクで、修行がいらなそうです。車谷コースなら、旅館の下足番や料理人として、たこ部屋を転々と漂流する住所不定生活ですが、いまなら月4万円で多拠点生活ができるサービスもあって、こちらも魅力があります。 どっちにしろ、結局は、漂流物として生きるということだと思いますが、いずれにせよ、無借金の私としては固定費を極限まで下げて、方丈のスモールハウスに住みたいです。コロナ禍の乱世は、生まれ変わるチャンスです。間違えても忙しくなる仕事はまっぴらごめんです。毎日3時間くらいしか働きたくありません。

2020-11-05 19:36:29

イケる口とイカない口のパーフェクト・ハーモニー

イケる口、というのはお酒が好き、お酒が強いという意味ですが、お酒を選択的に飲まない、イカない口というものもあってしかるべきだと思います。エボニー・アンド・アイボリーのように、イケる口・アンド・イカない口のパーフェクト・ハーモニーを追い求める時代になってきたなと思います。私は下戸という言葉が好きではありません。賤民、下等民の意味があるからです。 日本では伝統的にアルコールそのものが、上から下への報酬の一部と考えられていました。下戸とは、報酬としてのアルコールにありつけないくらいの賤民という意味があります。体質的にお酒が飲めないだけではなく、選択的にお酒を飲まない人は、イケない口ではなく、イカない口です。 アルコールは要するにダウナー系の麻薬なので、かつては麻薬も報酬の一部だったわけです。お酒を飲むと明るくなる、ハイになる感覚があるので、アルコールをダウナー系のドラッグだと言ってもピンとこないかと思いますが、人が酒を飲んでハイになるのは、日常に機能していた理性が麻痺している初期段階のみで、泥酔に至れば抑鬱となります。 選択的にお酒を飲まないのは、私の場合、ヒエラルキーの上にいる何者かに、理性のタガをコントロールされるのが嫌だからです。日本という国民国家がアルコール規制をほとんどしないのは、ダウナー系麻薬を与えておけば、反逆を抑止できるからです。建設的な思考を妨げて、だらしなくしたほうが統治はラクです。 選択的に飲まないメリットは、ひとことで言えば、あかるく生きられることです。何者かによって躁鬱を制御されることなく、明るく、つまりは上機嫌に生きられます。抑鬱をコントロールされるということは、カネと時間を奪われることになります。本人は、お酒を飲む意味や価値を鉄壁のロジックで合理化、美化しますけれど、私に言わせればそんなもの、奴隷の自尊心でしかありません。 あかるいは、かるいにつながります。アルコールのない人生は、明るいだけでなく、何もかも軽いのです。お酒のためにお金も時間も使わないので、圧倒的に身軽です。お酒でつながっている人間関係は、だいたい、お酒がないと成立しません。ということは、その人間関係をキープするために、ひたすら消費を強いられます。消費金額や時間が大きいということは、よりたくさんお金を稼がなければなりません。そのプレッシャーはかなり身重です。 それから、イカない口なら、気軽です。朱子学カルトのしょうもない組織ごっこに泥酔してお付き合いする必要なんて、もはやありません。早く見限って、気軽に生きたほうがいいと思います。自由とはほとんどが人間関係の自由です。自由とは嫌な奴と手を切る自由です。貴様俺の酒が飲めないのか? はい、飲みません。それでいい時代なのです。 それから胃袋も軽くなります。お酒を飲まなくなると食事時間が短くなります。アルコールって実は、砂糖や脂肪や塩分を溶かしながら体内にとりれる溶剤でもあります。溶剤としてのアルコールが要らなくなると、砂糖や脂肪や塩分の摂取量がおのずと減るのです。 選択的に飲まないことによる数え切れないメリットをあげてきましたが、もちろんそれでもなお、選択的に飲む自由もあります。イケる口とイカない口の共存が大切です。分煙も、都内では完全に別空間という意味での分煙社会に変わりつつあります。アルコールはタバコに比べれば、同じ空間にいても無害です。日本の外食産業も、大手であればあるほど、イカない口も取り込まないと成長できない、そんな世の中です。あと5年もしたら、日本の外食産業も、がらっと変わっていると思います。酒はサラリーマンの飲み物です。他人に雇われ、こき使われ、対人関係のうんざりする泥沼に投げ込まれ、人生の鍵を握られてしまった人々にとっては、それはまさしく命の水なのです。 でも、本物の自由を生き、未知なる創造の道をどこまでも突き進もうとする者にとっては、シアン化カリウムと何ら変わらないのです。(丸山健二)

2020-11-04 18:35:15

在宅ワークなら、デジタルとアナログのハイブリッド生活が心地よい

こんな不確実な時代ではありますが、さくっと会社員をやめることになり、日々の生活が生まれ変わりつつあります。悪く言えば中高年の引きこもりでしかないのですが、引きこもり上等、コロナ禍では引きこもりがまさかの勝ち組になりそうです。人類で酒を飲まない民族は、エスキモーくらいしかおらず、それは酒をつくる原料がなかったからです。そうか、酒も飲まずに外へもあんまり出ない私は、エスキモーのように生きているんだなと腹落ちしました。ノンアルコールの引きこもりは、これからエスキモー族と名乗りましょう。 会社員はまだやってるけど、家にいることも多い人も多いと思います。徒手空拳日記はもともと、会社員の私が手ぶらで日々をやり過ごす工夫を書き留めた日記なのですが、そんな私が会社員をやめて、いま現在進行形で起きつつある徒手空拳ライフについて、今日は3つお話ししたいと思います。 まず第一の変化は、机がますます要らなくなったということです。Windowsのパソコンも要りません。Chromebookメインで全然困りません。書斎には何時間座っても疲れないようにと、一応ハーマンミラーのアーロンを置いているのですが、最近はあんまり座りません。アンドロイドのスマホ中心になってからは、インプットが殆ど音声入力になり、いまではすっかりGoogleドキュメントなどを使い倒す日々です。このブログも横になって、音声入力で書いています。 それに連動して第2の変化は、紙と音声入力のハイブリッドになったことです。電車にあまり乗らなくなり、生活圏が縮小しましたので、徒歩と自転車メインとなりました。そうなると、紙のメモを持ち歩くようになり、読書も紙の本でも問題なくなりました。音声入力については、Googleドキュメントでラピッド・ロギングをしています。スマホでもパソコンでもシンクロがはやくて、便利です。特にChromebookでは、Googleドキュメントならストレスなく長文の音声入力ができます。 会社員でなくなると、経費管理も自分でしなくてはなりませんが、これもExcelよりも、Googleスプレッドシートのほうが便利です。日付、数字、その他も、スマホでサクサク入力できます。入力はスマホ、まとめたり加工するのはパソコンでやれば効率アップです。Googleドキュメントもスプレッドシートも、ホーム画面に個別ファイルのアイコンをつくることができるのも、便利です。 読書は自宅かクルマの中ですることがほとんどなので、紙の比率がぐいぐい上がってきました。ダイソーで折りたたみのブックスタンドを買い、フリーハンドでメモを取りながら読んでいます。あと、サムシングという名前の、片手で本を押さえられる道具もコロナ禍では重宝しています。これだと、左手で本をホールドして、右手でメモできます。 きているものも変わりました。私の場合、年齢の問題も大きいですが、コンタクトレンズをほとんどしなくなり、メガネがデフォルトになりました。コロナ禍では、なんと言ってもアパレル産業の生き残りが厳しいですが、コンタクトレンズも売れないだろうなと思います。オフィスに行かなくなり、ジャケットを全然着なくなり、そのかわりにパーカーをよく着るようになりました。パーカーを洗濯すると、フードの部分が乾きにくいのですが、ダイソーでパーカー用の乾燥ハンガーを買いました。これ、便利です。 一番近くにある大規模なダイソーは、もともと中国資本のラオックスが入っていましたけど、インバウンド需要が蒸発して、ダイソーになってしまいました。街なかには矢鱈とウーバーイーツの配達員が目立ちます。徒手空拳ライフも、コロナ禍で大きく変化してきていますが、人のゆく裏に道あり花の山という原則は変わりません。

2020-11-03 19:19:22

"大阪都構想" 破れてサンガリア

バンザーイ、なしよになった大阪都構想のレファレンダム否決について思うことは、大衆は5年前の焼き直しなんて望んでなかったんだなということで、そんなこともなんでわからなくなるんだろう? 組織って落とし穴に簡単に落ちます。過ちに引きずられたまんま、腹芸とサーカスだけで5年前を焼き直そうとした維新の戦略のなさが、今回の結果となりました。大衆煽動をやるならば、もっと新しくて、もっと悪い仮想敵を出し続けないと、だめだということだと思います。 維新の今回の大チョンボは、なにもこのしょぼいローカルファシズム政党だけに起きていることではなくて、日本のありとあらゆる政財官学マスメディアに共通する宿痾だろうなと思います。その宿痾とは何か? ひとことで言えば自己否定できない組織風土です。自己否定出来ないから、5年前の古新聞みたいなことを、悲壮感たっぷりなぞることだけが、組織へのロイヤルティになります。 だめなおっさんがなぜか好きな言葉に、「一丁目一番地」というなぞのワードがありますけど、維新で言えば、「都構想こそが維新の一丁目一番地」のようなおべんちゃらが、組織のなかで力を持ち始めてしまったのでしょう。世界がコロナ禍でどんどん新自由主義を疑い始めているのに、政財官学マスメディアは、今頃になって新自由主義の絶頂を迎えているように思います。遅い、鈍い、愚かの三拍子です。 そもそも大阪が恐慌に倒れたのは、2008年の世界金融危機によって、エレクトロニクス産業が壊滅的な打撃を受けたからだと思います。恐慌になると、ファシズムが台頭するのであって、維新もくそもない、ただそれだけのことではないでしょうか? ファシズムは敵をつくりますので、その当時設定された敵が、地方公務員でした。5年前にでっち上げた仮想敵への憎悪パワーが、もはやすっかり衰えていました。維新は仮想敵の更新に失敗したのでしょう。 それにしても、今回のレファレンダムの壮大なムダを傍観して思うことは、繰り返しになりますが、こういった現象は、決してこのしょぼいファシズム政党だけに起きていることではなくて、ありとあらゆる日本のエスタブリッシュメントの通奏低音のようになっています。古新聞のスローガンによりかかり、戦略を更新できないまんま、絶対勝てるはずという悲壮感だけに酔い、壮大なムダが止められない、という構造です。目的と手段の壮大な取り違えは、国民病として、もはや修正不能なのかもしれません。 大阪って、統計見ても全然金融恐慌から復興できておらず、インバウンドがなくなって、ふたたびどん底を伺う勢いです。都市インフラもぼろぼろで、大阪に行くと20年前の東京みたいで、悲しくなります。戦略を更新する勇気を持たないと、このまんまずるずると、社会全体が後退してしまいそうですが、私はそれでいい、と思います。 日本はこれから、感覚的には1960年代前半くらいに戻っていきます。結核がまだあり、貧富の格差が大きく、世界における地位も大して良くない、私が生まれる前の薄暗い時代への、非連続な移ろいがやってくるだろうと思います。自分で自分を維持する時代に逆戻りです。グルメとか海外旅行とかおしゃれとかは、ごく一部のマーケットプレイスになるでしょう。私はいつも、ジャーナリスト斎藤貴男さんの次の言葉を、噛み締めています。私を含む誰にとっても最優先すべきは、どんな時代になろうと自分を見失わないことだと思う。いいかげんなポジティブ・シンキングは百害あって一利もないので敢えて書く。現代のこの国には自分を維持すること以外の希望がない。自分自身を奪われた時こそ私たちは、掛け値なしに救いのない、骨の髄までの貧しさを味わうことになる。(斎藤貴男)「私の『貧乏物語』」より

2020-11-02 21:14:19

ブログだって結局はストックよりフローだよね

ブログの引っ越しは、何に似てるかと言えば、携帯番号の変更です。最近ではキャリアが変わってもだいたい番号は引き継げますが、昔は携帯の番号を変えざるを得なくて、それが逆に、かなり効果的な人間関係のリセットになり、私は内心、せいせいしていたものです。最近は、ナンバーポータビリティなる余計なお世話によって、いつまでも同じ電話番号を引きずらなくてはならなくなってきました。 会社を辞めると、何がすっきりするかというと、会社から借りていた携帯電話とかパソコンを、金輪際、返すことができます。私にしてみれば、これらの貸与デバイスこそが、本質的なマイナンバーでしたので、耳を揃えて返せることに、とてつもない歓びを感じているのです。リモートワークになって半年、監視技術も規則も、だいぶ整ってきたので、いまこそこんなデバイスは奉還したほうがいいのです。 ブログの引っ越しとなると、これまでのコンテンツをどうするのか問題に突き当たりますが、私の思いははっきりとしており、それは、己の排泄したうんこは見ないという原則です。フジテレビの凋落は、数字の8という過去にこだわったからです。視聴者とは、光と音と単語にただ反応する動物でしかないので、8なんていう後半の数字に、なんの資産性もありませんでした。フジテレビのお偉いさんは、それを理解できずに、8なんていう無価値な数字にこだわり、凋落してしまいました。 Netflixとかでも、昔の映画はどんどんみられなくなっていて、もはやストックではなくフローのコンテンツに価値があります。徒手空拳日記の過去アーカイブは、なんらかの形で、クラウドから見られるようにしたいですけど、徒手空拳日記の本懐は、その日のポスティングにこそあると思っています。しかもそれは広告なし、課金なしでありたいのです。 一方的な不特定多数相手のマス広告に、もはや未来はありません。サブスクだって、さらに不景気になれば破綻します。広告は双方向的なマイクロのマッチングに変わりますし、サブスクだって、過渡期的なビジネスモデルでしかなく、テキストコンテンツを汲々とマネタイズしようとししても、仕方ないと思うのです。テキストに課金するなんて、私が村上春樹でもない限り長くはもたないでしょう。 むしろこれからは、私のブログを読んでくださったなら、逆にお礼を支払わなくてはならなくなるかもしれないのです。人々が日々読まなければならない活字は、指数関数的に増大しています。言葉も貨幣の一つですから、いま起きていることは文字のデフレです。文字への課金やサブスクは、マイナス金利時代の高利貸のようなものです。いずれは破綻します。 むしろ、無償のつながりにこそ、これからのヒントがあるのだと思います。友情でも恋愛でも、仕事でも買い物でも、なんでもかんでもコスパをだそうとしますけれど、採算度外視で付き合ってみないと、本当の価値なんてわからないものです。ブログを読んでもらって、あーこの人なんかいいかもな、と思ってもらうためには、過去のストックなんてむしろないほうがいいとすら、思います。 なので過去コンテンツははてなブログに置き去りにしたまんま、noteに移行しようと思います。引き続き、お付き合いいただけましたら幸いです。音声読み上げについても、You TubeからPodcastに移ります。You Tubeは、音声のみのコンテンツをあんまり歓迎してないのと、いやむしろこれからはPodcastがアツイと思うので、こちらも思い立ったが吉日で、移行させていただきます。

2020-11-01 19:17:31

サラリーマンを脱獄します

いわゆるバブル世代は、いま50代ですけれど、表立って彼らのことをバブル世代というのもなんなので、やんわりとなんて呼ぶかといえば、なんと次世代シニアです。普通、次世代なんちゃらと言えば、なんか先進的なものが来るはずが、次世代シニアです。笑えます。 働くことをすっかり忘れた次世代シニアとしての私は、最近は、Netflixと読書ばかりの日々です。暇そうに見えて、コンテンツまつりでとても忙しいです。年末調整になり、今年いくら稼いだのかざっくりカウントしたら昨年より2割くらい減ってました。でも支出も減ってるのでよくわかりません。来年からは収入はさらに半分くらいに減らしたいです。カネより時間ですし、円よりも、えにしの縁が大切です。 朝起きて、コーヒーを飲みながらNetflixスタート、Netflixはもはや、単に映画とか、ドラマの「過去」を観るアーカイブではなく、現在の質の高いコンテンツが集まるフロントラインだと思います。Netflixを観るために、働く時間を減らしている、と言っても過言ではありません。 ひとことで言えば、Netflixとは「クリエーティブ・コモンズ」ですし、「コンテンツ・ドリブンのプラットフォーマー」だと思います。半世紀前のインテリが世界文学を貪るように読んでいたとすれば、これからのインテリは、Netflixだろうなと思います。 今年も赤字決算の東芝がいまさら地上波のテレビ番組を最大一週間全録できるレコーダーを発売しましたけど、パナソニックとかの昔の製品に比べればかなり安いにも関わらず、もはやテレビ・コンテンツの全録なんて丸で要らないなと思います。Netflixが「クリエーティブ・コモンズ」であるのに対して、地上波コンテンツは、「菅義偉チャンネル」でしかありません。内閣にとって都合の悪い内容は、自主規制されてしまい、まさに面妖な草の根のファシズムが横溢しています。 私のこのブログも、書き始めて4年以上経ちましたが、はてなブログの「プロ」という有料コースの契約が、今年の12月に切れてしまいます。2年分まとめて先払いしていたものが、終わります。再契約するかいなか、迷っていたのですが、これを機にnoteに移ろうと思います。はてなブログの有料とか、もう要らないんじゃね? と思うからです。テキストと音声なら、You Tubeなんて無料で公開できますし、はてななんてもうオワコンかもねって思います。 と言うことで、明日の徒手空拳日記から早速、noteにお引越しします。引き続き、お付き合い頂けたなら、うれしいです。内容はあんまり変えるつもりはありません。雑誌「文學界」における「エセー」のようなものをかけたらいいなとは思うのですが、なかなかそのようにはなりませんね。 方針はあんまり変えるつもりはないのですが、サラリーマンを今年いっぱいで脱獄することにしましたので、これからは徒手空拳ぶりに拍車がかかるものと予想できます。わかることとできることは、全然違います。サラリーマンなんてやっているうちは、徒手空拳でもなんでもない、わかったつもりになって、実はなーんにもできない唐変木だと思っていますが、会社員をやめることで、徒手空拳がリアルにできるようになっていくといいなと思います。 いわば「徒手空拳日記・実践篇」のスタートです。なんちゃって会社員から、単なる個人事業主に変わります。付き合う人、費やす時間、居場所がドラスティックに変わると思いますので、その結果として、ブログの内容も変質していくかも知れません。かと言って、もう一花咲かせようなんて丸で思っていませんので、外道の遊民として、飄然と暮らしていきます。

2020-11-01 10:23:08

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