天皇陛下は23日、64歳の誕生日を迎えられ、皇居で一般参賀が行われた。
陛下「冷たい雨が降る厳しい寒さの中、誕生日にこのように来ていただき、皆さんから祝っていただくことを誠にありがたく思います」
皇居では4年ぶりに事前の応募なしで一般参賀が行われた。
陛下は皇后さま、愛子さま、秋篠宮ご夫妻、佳子さまとともに、午前中に3回、宮殿のベランダに立ち、祝福に応えられた。
能登半島地震の被害をふまえて、大きな歓声は控えられ、陛下は犠牲者に哀悼の意を表し、「皆さん1人ひとりにとって、穏やかな春となるよう祈っております」と述べられた。
このニュースについて、フジテレビ社会部・宮崎千歳宮内庁キャップとお伝えする。
23日の一般参賀で、愛子さまは淡いラベンダー色のドレスに帽子姿だった。
一般参賀は新年が中止になったため1年ぶりだったが、何度か経験を重ねてこられているため、最初からとても落ち着いた、穏やかなほほ笑みを浮かべていた。
この一般参賀に先立ち、陛下は誕生日の記者会見にも臨まれた。
1時間ほどの会見だったが、最も多く時間が割かれたのが、大学卒業と就職という節目を迎えられた娘の愛子さまについてだった。
──日本赤十字社への就職内定が発表された愛子さまだが、これらに関して陛下はどのように語られた?
陛下は会見で、次のようにお話しになっていた。
陛下「人のために何かできればという思いを以前から持っていたように思います」
陛下は、愛子さまがかなり前から福祉に関心を寄せていたと説明したうえで、就職が決まるまでの経緯については、2023年に両陛下と一緒に日赤の活動の報告を受けたり、日赤の本社に行かれたことなどを通じて、「少しでも社会に貢献したいという気持ちを強く持つようになった」と明かされた。
──愛子さまは、どうして福祉の道に進もうと決められたのか?
きっかけについて陛下に会見で伺ったところ、陛下がお手元で育てられる中で、「福祉についての話を愛子にすることもありました」、「また、そうした話を聞く中で、人々の役に立ちたいという気持ちが徐々に形作られていった」というふうに説明されている。
愛子さまが「人のためになりたい」という思いを幼いころから持っていらしたことを示す作文がある。
中学1年生の時に書かれた短編小説は、「私は看護師の愛子」という書き出しで始まっていて、看護師になった愛子さまが、傷ついた動物たちをどんどん看護して救っていくというお話。
この物語の最後の1文は、「今日も愛子はどんどんやってくる患者を精いっぱい看病し、たくさんの勇気と希望を与えることだろう」と締めくくられていて、誰かを助けたいという思いは幼いころから一貫していたことがわかる。
今回、卒業にあたって進路を考えた時に、やはり福祉の道に進み、日赤に就職したいと考えて両陛下に相談されたという。
その思いを聞いた時に、陛下は「とてもいい考えだ」と感じたと、会見でうれしそうに明かされていた。
実は、社会人という道を選んだ理由はほかにもあるようだった。
陛下は会見で、愛子さまが大学でお友達と一緒に運動できたこともかけがえのない思い出になっていると明かされた。
──運動と就職はどんな関係があるのか?
実は、愛子さまはバレーボールが好きで、大学ではお友達と、皇居に帰ってくると職員と、日々バレーボールをされているという。
愛子さまは体を動かすことが好きなアクティブな一面があり、ある側近は、「ご自分のための研究よりも、自ら行動して社会に貢献する道を選ばれたのではないか」と話していた。
そんな愛子さまに陛下はこのようなエールを送られている。
陛下「社会に出ると大変なこともあるかもしれませんが、それを乗り越えて、社会人の一人として成長していってくれることを願っています」
組織で働くということは思っている以上に大きな環境の変化で、戸惑われることもあるかもしれない。
陛下には、そういった社会の厳しさも知ったうえで、さらに成長していってほしいという願いや温かさが込められているように感じた。
陛下「冷たい雨が降る厳しい寒さの中、誕生日にこのように来ていただき、皆さんから祝っていただくことを誠にありがたく思います」
皇居では4年ぶりに事前の応募なしで一般参賀が行われた。
陛下は皇后さま、愛子さま、秋篠宮ご夫妻、佳子さまとともに、午前中に3回、宮殿のベランダに立ち、祝福に応えられた。
能登半島地震の被害をふまえて、大きな歓声は控えられ、陛下は犠牲者に哀悼の意を表し、「皆さん1人ひとりにとって、穏やかな春となるよう祈っております」と述べられた。
このニュースについて、フジテレビ社会部・宮崎千歳宮内庁キャップとお伝えする。
23日の一般参賀で、愛子さまは淡いラベンダー色のドレスに帽子姿だった。
一般参賀は新年が中止になったため1年ぶりだったが、何度か経験を重ねてこられているため、最初からとても落ち着いた、穏やかなほほ笑みを浮かべていた。
この一般参賀に先立ち、陛下は誕生日の記者会見にも臨まれた。
1時間ほどの会見だったが、最も多く時間が割かれたのが、大学卒業と就職という節目を迎えられた娘の愛子さまについてだった。
──日本赤十字社への就職内定が発表された愛子さまだが、これらに関して陛下はどのように語られた?
陛下は会見で、次のようにお話しになっていた。
陛下「人のために何かできればという思いを以前から持っていたように思います」
陛下は、愛子さまがかなり前から福祉に関心を寄せていたと説明したうえで、就職が決まるまでの経緯については、2023年に両陛下と一緒に日赤の活動の報告を受けたり、日赤の本社に行かれたことなどを通じて、「少しでも社会に貢献したいという気持ちを強く持つようになった」と明かされた。
──愛子さまは、どうして福祉の道に進もうと決められたのか?
きっかけについて陛下に会見で伺ったところ、陛下がお手元で育てられる中で、「福祉についての話を愛子にすることもありました」、「また、そうした話を聞く中で、人々の役に立ちたいという気持ちが徐々に形作られていった」というふうに説明されている。
愛子さまが「人のためになりたい」という思いを幼いころから持っていらしたことを示す作文がある。
中学1年生の時に書かれた短編小説は、「私は看護師の愛子」という書き出しで始まっていて、看護師になった愛子さまが、傷ついた動物たちをどんどん看護して救っていくというお話。
この物語の最後の1文は、「今日も愛子はどんどんやってくる患者を精いっぱい看病し、たくさんの勇気と希望を与えることだろう」と締めくくられていて、誰かを助けたいという思いは幼いころから一貫していたことがわかる。
今回、卒業にあたって進路を考えた時に、やはり福祉の道に進み、日赤に就職したいと考えて両陛下に相談されたという。
その思いを聞いた時に、陛下は「とてもいい考えだ」と感じたと、会見でうれしそうに明かされていた。
実は、社会人という道を選んだ理由はほかにもあるようだった。
陛下は会見で、愛子さまが大学でお友達と一緒に運動できたこともかけがえのない思い出になっていると明かされた。
──運動と就職はどんな関係があるのか?
実は、愛子さまはバレーボールが好きで、大学ではお友達と、皇居に帰ってくると職員と、日々バレーボールをされているという。
愛子さまは体を動かすことが好きなアクティブな一面があり、ある側近は、「ご自分のための研究よりも、自ら行動して社会に貢献する道を選ばれたのではないか」と話していた。
そんな愛子さまに陛下はこのようなエールを送られている。
陛下「社会に出ると大変なこともあるかもしれませんが、それを乗り越えて、社会人の一人として成長していってくれることを願っています」
組織で働くということは思っている以上に大きな環境の変化で、戸惑われることもあるかもしれない。
陛下には、そういった社会の厳しさも知ったうえで、さらに成長していってほしいという願いや温かさが込められているように感じた。