1980年代、小田急小田原線の本厚木駅から森の里方面までの交通機関として「モノレール構想」が立ち上がりましたが、この路線は建設される事なく、いわゆる未成線となりました。正式な名称は 厚木市都市モノレール(森の里方面ルート)。
地元ではこの厚木市都市モノレール構想を知る人は多く、有名なルートとしては森の里線が挙げられます。森の里にはかつて、青山学院大学の厚木キャンパスが位置していましたが、利便性が悪かったこともこの一因にあり、2001年にこの地を撤退、相模原市淵野辺へ移転する事となりました。決定打ではなかったものの、モノレールの森の里への導入が見込めなくなったことも、結果的にこの一因となってしまったのではないかと思います。
さて、この厚木市都市モノレール構想、実は森の里線については構想検討ルートの一つの案でしかありませんでした。実際本命と目されていたルートは全部で5ルート。さらに、採算性や実現の可能性を精査し、最終的な報告書として示されたのが森の里線を含む 3つのルートでした。今回は、この厚木市都市モノレール全体構想に触れつつ、森の里線ルートがどの様なものであったのか紹介していきたいと思います。
#モノレール #mjws
地元ではこの厚木市都市モノレール構想を知る人は多く、有名なルートとしては森の里線が挙げられます。森の里にはかつて、青山学院大学の厚木キャンパスが位置していましたが、利便性が悪かったこともこの一因にあり、2001年にこの地を撤退、相模原市淵野辺へ移転する事となりました。決定打ではなかったものの、モノレールの森の里への導入が見込めなくなったことも、結果的にこの一因となってしまったのではないかと思います。
さて、この厚木市都市モノレール構想、実は森の里線については構想検討ルートの一つの案でしかありませんでした。実際本命と目されていたルートは全部で5ルート。さらに、採算性や実現の可能性を精査し、最終的な報告書として示されたのが森の里線を含む 3つのルートでした。今回は、この厚木市都市モノレール全体構想に触れつつ、森の里線ルートがどの様なものであったのか紹介していきたいと思います。
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